三国志英雄伝~呂布奉先伝説

みなと劉

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30話

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さらに荊州軍は荊州に戻ってからも連戦連勝を続け、瞬く間に荊州全土を掌握したのである。
一方、呂布の方でも徐州攻略の為に動いていた。
こちらも張遼軍と共に行動していた事もあり、ほとんど被害も出さずに呂布も攻略に成功している。
しかし、問題はここからだと言える。
ただの制圧ではなく支配なので、これは呂布が望んでいたものではなかったのだ。
もちろん董卓が健在だった頃はこのような事は必要なかったが、今の呂布にとって呂布が望むのは民が飢えることのない平和な世の中であって、誰かが支配するのではない世界なのだから。
とは言うものの、呂布は太守としてこの地に留まるつもりである。
いくら天下の英傑呂布とは言え、たった一人で全てを治めようとは思っていない。そもそも呂布にはそこまでの器量もない。
しかし呂布は人望がある。だからこそこうして信頼を得て太守として認められたのだ。
ならば今しばらくは呂布に太守を任せ、その間に陳宮を中心とした人材が呂布を支えてこの国を発展させていくべきである。
呂布はそう考えていた。
呂布はそんな思いを込めて言ったつもりだったのだが、その話を聞いた呂布陣営は呂布の想像以上に驚いている。
陳宮はともかく、他の武将達には理解されなかったらしい。まあ、元々呂布は口数が少ないうえに無愛想で、あまり言葉を発さない。その分態度や表情などで自分の意志を伝えたり、あるいは他人からの印象を操作したりする。
今回の事もそう思っていたのだが、やはり言葉足らずすぎたようである。陳宮ですら、目を丸くしているくらいだから相当なものだ。
どうしようか、と思っているところに陳珪が声をかけてきた。呂布は曹操が攻めて来た時に、曹操と面識のあった事もあって徐州軍に参加していたのだが、その後は曹操軍の脅威に脅えながら過ごしていた徐州兵を説得したり慰撫したりして徐州城まで戻っていた。
その際に陳珪の推挙によって呂布は城伯に封じられ、徐州軍の武将の一人となる。その呂布を待っていたのが、徐州の実質的な運営である行政官の要職である。この役職に就く事で呂布は自分の考えが受け入れられたのだと安心したのだが、残念ながら呂布にはそれほどの才能はなかった。呂布に求められたのは武力よりも内政であり、呂布自身それを期待されているのだろうと察したのだが、呂布の予想通りそれは正解だった。
ただし、呂布には武力もあった。それに加えて呂布には人を見る目があり、何より人を惹きつけるようなカリスマがあった。徐州軍に加わった時から、呂布に対する兵の信頼は厚いものがあり、また呂布は徐州の治安を安定させる事に尽力したのである。
その結果、呂布は徐州では名士となり尊敬される人物になっていた。ただ、本人には自覚がないと言う点を除けば、だが。
そんな呂布の元へ、張遼軍が荊州攻略成功の報を持ってやって来たところ、丁度そこに居合わせたと言う。呂布としては単純に、これからは曹操の動きにも注意しなければならない事を伝える為だけに、呂布陣営の者達を集めたつもりだった。
が、そこで思わぬ反応があって、さすがの呂布も困惑してしまった。
陳登が呂布の事を慕っているのは知っているが、張遼にまでその感情が向いているとは知らなかった。
「それでしたら問題ございません」
と、張遼の代わりに応えたのは、呂布軍では珍しい女性である高順である。
呂布軍の武将の中では最年少で、しかも武勲が目覚ましいと言う事から、すでに独立部隊とも言える一万の兵を与えられている。
呂布に対して物怖じしない数少ない人物であり、その勇猛さと忠誠心を買われて今回も荊・青州連合の指揮を任されていた。
もっとも、指揮を任されるのはいいとしても、呂布の事を親のように慕うのはあまりよろしくない。
戦場では一騎当千の強さを誇るものの、普段の生活では年相応の幼さを持ち合わせている張遼にとって、これ以上は悪影響しか及ぼさないだろう。
幸いと言って良いのか分からないが、張遼は荊州攻略戦に参加していなかった事もあり、呂布に特別な感情を抱いていないようだったので助かった。
呂布は、張遼が張超の子である事を知っていた。
その為、張遼が呂布に好意以上のものを持っているのではないかと危惧していたものの、張遼自身は特に何も感じていないらしい。という事は、張遼はまだ色恋沙汰に興味を持つような年齢でもないのかもしれない。
ただ、今後それがどういう風に張遼に影響するか分からず、場合によっては張遼と相談する必要があるのかもしれなかった。
ただ、今はそんな心配をする時ではない。
それよりも曹操だ。曹操は確かに天下を狙うだけの実力を備えているが、今の天下を牛耳る王允と比べると一枚どころか二枚三枚の上手なのだ。
呂布はその辺りの事も話しておこうと思ったのだが、どうやら曹操に先手を許してしまったらしい。呂布が劉備の討伐に動いた頃には、既に曹操は荊州全土を制圧して荊州城を手に入れていたそうだ。
劉備が呂布の元に向かってくると聞いた時は少し焦ったが、荊州軍も劉備軍を追って南下してしまっていると聞くと、これはもう手遅れではないかと思っていた。
荊州の荊州軍は精鋭ではあるが、その全てが関羽と張飛に匹敵するほどの武勇を持つ訳ではない。
荊州軍を率いているのはあの黄忠なのだから、よほど油断でもしていない限り負ける事はないと思うが、やはり不安はある。
が、劉備軍の方でも荊州攻略は難航しているとの報告も受けていたので、案外早く決着がつくのではないかと考えていた。が、その知らせを聞いたのは呂布軍の武将達が集められてからだった。
曹操軍は徐州侵攻に失敗し、さらに追撃を受けて壊滅的な打撃を受けた。それによって総大将であるはずの曹性は敗走してしまい、他の武将達も同様だったのだが、その中でも劉表の親族であり名門の血筋でもある劉協だけはかろうじて落ち延びたと言う。
曹操はすぐさま追撃を命じたのだが、ここで意外なところから待ったがかかった。その使者は、魏続の甥にあたる孫観である。
曹操がこのタイミングで追撃をかけてきた事に不信感を抱いたのは呂布だけではなかったらしく、徐州に居残っていた呂布の幕僚の一人である于禁もこの情報を掴んだ事で急ぎ呂布に報告に来たのだ。
ちなみにこの二人だが、実は徐州軍の武将達の間では有名であった。
元々徐州には二人の有力武将がいたのだが、片方は性格が災いしてすぐに処罰されたのに対し、もう一方は有能で人望もあり呂布からも信頼されていたので、曹操が徐州に攻め込んで来た時には真っ先に呂布を頼ってきたのだ。
二人はその時も二人で徐州軍を動かして曹操軍を迎撃しようとしていたが、さすがにその二人に兵を率いられて徐州軍が機能するはずもなく、結局呂布は徐州城に籠って防衛に専念させた。
その後、陳宮や徐栄と言った人材を得た呂布は、徐州兵を掌握して一気に曹操を追い詰め、呂布は曹操が逃げる直前に追いつく事に成功した。
ところが、いざ決戦となったところで呂布は足を止めてしまう。
「陳宮が言うには、徐州城が襲われているらしい」
呂布の言葉に、諸将達は騒然となる。
もちろん、その中には呂布自身も入っている。
「おそらく袁紹が背後に回っていると思われる」
陳宮に言わせると、その可能性が高いらしい。
袁術を頼るという事は考えられない以上、そう考えるのが一番自然だと陳宮は言う。
徐州城には呂布の娘、華雄の妹にあたる韓美齢が人質として送られていて、その事で城内はピリピリとした緊張感があった。
しかしそれは呂布軍に徐州を攻めさせない為の工作であり、それを逆手に取って呂布軍が攻めてくるのを待つつもりだとしたら、確かにあり得る。
と言うより、それ以外にあり得ないと言うのが陳宮の考えだったが、問題はどうやって呂布の不在を狙って徐州城を陥れるのかと言う事でもあった。
いくら袁術に援軍を求めたとしても、それには時間を要するはずだ。呂布が戻ってくる前に事が終わっていれば、そのまま何事もなかったかのように戦を続けられるのだから。
呂布としては徐州城の安否は気になるところだが、それでも目の前にいる敵を放っておくわけにもいかない。そこでやむなく戦い、曹操軍を追い返すと言う選択肢を取るしかなかった。
が、呂布もさすがにその事については迷っていた。
本来であれば、全軍で反転して助けに向かうべきなのだろうが、さすがにこの状況でそれを行う事はできない。曹操軍の狙いはあくまでも呂布である。
その為、呂布を誘き出す為にわざと城を襲う、というのは十分考えられる。むしろそれ以外に手が無いと言える。
そうなると、今呂布が率いている軍は二万に満たず、しかも荊州の荊州軍は荊州攻略戦に参加した者も多い。荊州攻略戦においては荊州軍の方が数が多いとは言え一万以上の損害を出しており、とてもじゃないが頼りにならないとまでは言わないが、戦力にはならない。
しかも荊州軍は荊州城を奪われた事により、その城を守る事も出来なくなっている状況だ。呂布にとって荊州軍は貴重な存在ではあったが、今はそれよりも自分の身の安全を確保する方が先決だった。
荊州軍と合流できるまで待つべきかとも思ったのだが、曹操はそれを許さなかった。
呂布は急いで徐州に戻ると、城の状況を確認しようとしたのだが、どう考えてもその時間は与えてもらえなかった。
まずは城の守備軍である。
荊州軍は二千程度の兵を動員出来たが、その内の五百ほどは負傷していた。が、重傷者や戦死者はおらず、何とか守り通したようだった。
呂布はその報告を受けると同時に安堵し、改めて曹操への怒りを露わにする。
呂布にしてみれば、呂布が留守の間に徐州城が落ちていたなどという事になったら、自分自身に対する面目を保つどころか呂布家そのものが危うくなる可能性もあった。
それだけではない。徐州城にいた韓美齢も無事かどうか分からないし、城を守ってくれた荊州軍の武将達や兵士達にしても家族や友人がいる。彼らを見捨てて、呂布だけ逃げるような事を呂布自身が許容できなかった。
とはいえ、その呂布の決断を待ってくれるような曹操ではない事も明らかだったので、とりあえず守備軍は残して呂布と他の将達ですぐに徐州城を出立する事にした。
曹操軍は、荊州軍から奪った荊州城を攻める事によって呂布軍の注意を引きつけ、同時に城兵に混乱を生じさせる事で劉備軍の追撃を防ぎたかったようだが、残念ながら上手く行かなかった。
劉備軍は曹操軍から荊州城を奪った事を知ると、荊州軍を追う形で南下を続けていたのだが、城兵が動揺していると知ると急遽北上、徐州城に向かってくる。
この劉備の行動に対し、曹操は荊州城に呂布が来ると思っているらしく迎撃を命じたのだが、これが完全に裏目に出た。
曹操の命令に対して、呂布軍が従う訳がなかったのだ。曹操軍は完全に劉備軍を舐め切っており、劉備は小沛での戦いで見せた様な動きを見せて曹操軍を翻弄すると、そのまま徐州城に向かってきた。
曹操軍の混乱が収まるよりも早く劉備軍が到着した事で、呂布軍の援軍が間に合ったのだが、この事は徐州城を守った荊州軍の武将達には大きな影響を与えたらしい。
それまでは荊州軍の武将達にとっても呂布軍の武将達にとっては呂布こそが英雄であり、憧れの存在であったのだが、この時を境に呂布を見る彼らの目は変わる事になる。呂布自身はその変化に全く気がついていなかったものの、陳宮からは言われ続けていた。
呂布奉先は徐州の為に戦ったのではなく、曹操を討ったと言う実績を作る為に参戦したに過ぎない。そしてその目的は達成された以上、これ以上徐州に留まる必要はない、と。
もちろん陳宮も、そうは言っても徐州に駐留し続ける限りは徐州の人々を守り続けてくれる事は分かっていたので、それ以上強く言うつもりはなかった。
その言葉の意味を実感したのは、呂布軍が曹操軍を追っている最中の事であった。
「殿! 徐州城で反乱です!」
伝令の言葉に、呂布は眉をひそめる。
「何があった?」
「詳しい話は分かりませんが、何者かの手引きにより城内で反旗が掲げられたと……」
呂布は耳を疑う。
「誰かは分かるか? 徐晃将軍が戻られたのか!?」
「いえ、そうではなく、徐州城に残っていた荊州軍の生き残りが城内に潜伏しており、それに呼応したものと思われます」
呂布は天を仰ぐ。
確かに、呂布軍は荊州を攻めている間徐州城を空けていた。その間に、いつの間に城内に潜入したのかは定かではないが、荊州軍の中でも実力はあり、さらに言えば荊州奪還に最も尽力してくれた武将が反乱を起こしたのだ。
それはある意味、もっとも正しい選択と言えなくもない。
徐州城に籠るのが曹操ならば良かったのだが、よりにもよって一番信用出来ない人物が首謀者であるのだから、呂布軍としては手の打ち様がない。
荊州攻略戦に参加した者は多く、中には荊州攻略後に徐州に戻った者もいただろう。それらの中に裏切り者がいたとしても不思議ではなかった。
徐州城の城門が開かれる。と言うより、破壊されていると言う方が正しい表現かもしれない。
呂布達が徐州城を出て曹操軍と決戦を行った頃、城内では曹操軍による徐州城攻めが行われていた。
陳宮も予想していた事だが、呂布軍の留守を狙ったものである事には間違いない。
が、曹操軍の誤算は徐州城の守り手が少なかった事だろう。呂布の不在はともかくとして、留守を預かるはずだった呂布の妻である厳氏は曹操との因縁があり、また関羽と張飛の兄弟も呂布同様に留守を守っていたが、呂布程留守を任される者としての能力は求められていない。
その為、徐州城にいる者は呂布を除けばそれほど高い戦闘能力を持っているわけではなく、しかも城外の戦いに巻き込まれないように避難する事になっていた。つまり、籠城に必要な物資や武具を持って移動する時間が無かっただけでなく、それらを保管する余裕すら無かったと言える。
元々荊州侵攻時に比べて守備兵力が減っていた事もあり、攻め込まれた際の抵抗力が皆無に近い状態だった。その為徐州城を守備していた兵士の多くは負傷していたものの、幸いにして命を落とす事は無かったようだが負傷の度合いは大きく、戦う事が不可能な状態になっている者も多かったようだ。
そこへ劉備軍が合流すると、たちまち徐州城は陥落し徐州城主である陶謙の首が上がった。
徐州の民や豪族達の間では、太守である陶謙は劉備軍に対しての降伏条件を提示し、その対価として徐州の地を得たのだと噂されていた。
実際問題、劉備軍の規模は十万近く、それに対して曹操軍はまだ三千程度の兵数を残している。対する劉備は荊州軍を吸収し、呂布軍に救援されて一戦交えたものの、徐州城を落すのが精一杯で追撃される事も無く徐州へ逃げ帰る事になったとは言え、曹操軍も荊州攻略戦で少なからずの損害を出しており、徐州制圧の為の予備戦力は無くなっているはずなのだ。
そこに呂布軍の援軍が到着してしまった為、曹操軍に残された予備兵で呂布軍と相対する事になってしまった。呂布も徐州城を留守にする事は避けたかったので、急ぎ兵を返す事は出来なかった。しかし、それでも曹操軍にとって苦しい戦いになった事は確かだ。
曹操軍は元々呂布軍に対する警戒を強めていた上に、劉備軍という予想外の援軍まで到着してしまった為に徐州城を守備出来るだけの兵を残しておらず、さらには曹操軍の補給部隊が劉備軍によって包囲されてしまった為、充分な食料を確保できなかった事もあって徐州城の門を開けるしかなかった。
そこで劉備と荊州軍の武将達は徐州城に入ると、城の守備に残っていた兵士達を集めて徹底抗戦の姿勢を見せたのだが、荊州軍の武将の中にはすでに降伏した者もいると聞く。
そうこうしている内に、呂布軍が現れた。
呂布軍は荊州軍と違って正規の兵だった事もあり、荊州軍は呂布軍を見ても味方とは思わなかった。が、呂布軍の武将達の顔を見た瞬間、徐州城で反乱が起こった理由を知る事になる。
曹操軍から劉備を守るようにして立つ男達の中で目立つ人物こそいないのだが、その中に紛れ込むようにしている武将の姿を見つけて、徐州城の武将達の顔色が変わる。
荊州の武神と呼ばれる呂布奉先。荊州の武将達にとっては仇敵のような存在だったが、彼らは知らない。
彼らが束になっても、あの人を倒すのは不可能であることを。
荊州の武将達にとってみれば曹操以上に恐ろしいのは呂布であり、曹操の配下である以上は呂布軍の武将達であっても敵に回すわけにはいかないのは明白な事実であった。
ただ、曹操軍にとってはこの呂布の出現は誤算と言う他無いだろう。呂布は呂布なりに徐州の人々を気遣ってはいたものの、あくまでも一時的な滞在で、その期間が終わった以上は速やかにこの地を離れるつもりであったからだ。
が、それが上手く行かなかった事で呂布軍もまた徐州城に留まり、徐州城に残していった兵達の分まで徐州の治安維持の為に奮闘した。
呂布が徐州にいた理由はもう一つある。
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