27 / 100
27話
しおりを挟む
突然呂布軍の背後より騎馬の一団が現れ、そのまま真っ直ぐ曹操軍に突っ込んでいったのだ。その先頭に立つ人物を見て、劉備だけでなく曹操や郭嘉達も目を丸くしている。
「義父上、ここは俺に任せてください」
先頭で戟を振るうのは、徐州の若獅子と呼ばれた劉備の養子、徐州太守の劉備義理息子である関羽雲長であった。
関羽の参戦により、曹操軍はさらに混乱を極める事になる。
曹操軍の武将や兵士達はこの戦場に現れた関羽を知らない者もいるので当然なのだが、そうでない者であっても目の前の光景は信じられないものだった。
曹操軍の中には関羽の勇名を知らぬ者はおらず、曹操ですら知っているほどの名将なのだ。呂布将軍と並び、曹操軍は双璧の二つとして関羽の名を上げているが、まさかその二人が並ぶ日が来るとは誰も思ってはいなかった。
そんな二人の戦いは壮絶であり、その実力は伯仲どころか曹操すら及ばないのかも知れない。それぐらいに互角の勝負を繰り広げていた。
ただひたすらに攻め続け、呂布軍を食い止めていたのは曹操でもなく夏侯惇でも無く徐栄で、その徐栄は二人の間に割って入って曹操を守りつつ、二人の猛攻をしのいでいる。
そこに呂布軍が殺到するが、そこに李典と于禁が立ち塞がった。呂布軍の勢いが止まったところへ、今度は曹操軍の精鋭が襲い掛かる。曹操直属の者達ではなく曹操軍の部隊だったが、これもかなりの強者であり曹操配下の中でも曹操にもっとも近いと言われている武将、楽進文謙の率いる一隊だった。
これによって呂布軍はさらに分断された形になり、その呂布軍には夏侯惇が襲いかかり、呂布は張遼と共に孤立してしまう。
その窮地を救ったのが、徐栄と曹操の援軍にやってきた曹仁、張超の三名である。徐栄は関羽相手に一歩も引かず戦っていたが、呂布の救援に向かったところ、関羽は曹操との戦いに集中していてこちらには来られないと判断して引き返してきたらしい。曹操軍にすればまさに地獄絵図とも言える状況だが、まだこの程度で済んでいると言えた。曹操自身が率いる主力部隊は別方向に展開し、そちらにも兵力を向かわせる事ができる。
一方、劉備の方は呂布との合流に成功し、何とか一息つく事ができた。
劉備達が呂布と合流する少し前、呂布の元に一報が入った。
それは黄巾党の残党を率いていた、盧植の弟子の一人でもある劉辟からの連絡である。
本来であればその情報を得た時点で徐州城に急ぐべきだったのだが、荊州への撤退戦を続けてようやく曹操軍の手を逃れる事の出来た呂布軍の武将達に休養をとらせる必要があり、その判断が遅れてしまった。
その結果、張氏の姿は既に曹操軍の手の内に収められてしまっていた。呂布はすぐに救出に向かいたかったが、それは叶わなかった。
呂布は張氏の安全確保と張氏の身柄を奪還する為の策を練り、劉備は劉備で徐州城に戻ってからすぐに袁術の客将となっている孫乾に使者を送って張氏の捜索を依頼した。
それから数日後、張氏発見の一報が入る。
曹操軍の手によって捕らえられていたのは、張氏本人。曹操に張氏を人質にされ、その命に従うしかなかった。
そう言う事にしておけ、と言うのが張勲の指示である。
もちろんこの事は秘密事項となり、他の者には知られてはならない。もし他に漏れるような事があれば、張氏だけではなく張氏に関わる全員の命が無いものと思え、と。
劉備達からの報告を受けた張飛は、即座に曹操討伐に向かうと言い出した。呂布がそれを止めた理由は一つ。張氏を取り返すのなら、呂布軍だけで行くべきである。そうでなければ意味がないのだ。張氏さえ取り戻せば曹操がどう動こうとも呂布にとっての脅威にはならないし、曹操さえ排除してしまえばこの徐州での曹操の影響力は大幅に削がれる事になる。そうなれば徐州の守りは盤石なものとなるはず。その時には劉備にも協力してもらい、曹操に反旗を翻す事も可能なはずなのだ。
それに、劉備は徐州城に戻り次第、曹操に宣戦布告する準備をしていたのだ。これは徐州城の留守居役を買って出た張紘の提案によるもので、徐州太守代理の陳登も同じ意見を持っていた。
曹操と呂布は犬猿の仲。しかも双方で天下統一を目指しているという共通の目的がありながら、お互いの勢力範囲が入り組んでいて互いに相手を滅ぼそうとする為に戦い続けている状態だ。
徐州太守の劉備は徐州を守りたいだけであり、領土を広げようなどとは考えてもいない。それに比べて曹操はその野心家として名を馳せており、いずれこの大陸を支配する者になりたいと考えている。
両者の差は大きく開いており、曹操に対抗できる勢力と言えば現状では呂布しかいなかった。そして、曹操に対抗する為にもまずはこの徐州を押さえておく必要があるので、曹操は呂布と雌雄を決したいと考えていた。
そこに降って湧いた好機であり、これを見逃せる曹操ではない。
曹操としても、ここで一気にこの乱世を終わらせたいと考えているはずだ。曹操がどれだけ大義名分を振りかざそうとも、今の時代の風潮としては暴君である事に変わりはない。
このまま呂布と曹操の争いが続いた場合、どちらかに正義があっても勝者は民の支持を得られなくなってしまうだろう。たとえ呂布が勝つにせよ、曹操が勝ったところでそれが長続きするとはとてもではないが言えない。
しかし今ならば違う。曹操の勢力が呂布を打ち破り、その後に漢帝国を立て直す事で民衆の信頼を得る事ができるかもしれないのだから。そんな情勢の中で、張氏は曹操の手に渡ってしまった。
曹操が何を考えているのか、張氏がどのような立場になるかによって今後の展開も大きく変わってくる。
劉備達は曹操を罠にかけるべく準備を進め、その一方で曹操は呂布軍の動きに備える。
呂布軍は曹操軍を相手に連戦連勝を続けたものの、曹操の本隊と戦う前に力尽きた。
曹操軍とまともに戦う必要はなく、曹操軍の先鋒隊や別働隊の足を徹底的に止める事に全力を尽くした結果である。曹操軍は兵糧の確保の為に徐州城を襲う動きを見せたものの、呂布軍がそれを防ぐ動きを見せるとすぐに撤退している。
呂布軍が徐州城に辿り着いた時、そこには呂布軍の勝利を祝う人々の姿は無かった。
城内には重苦しい空気が漂っており、曹操軍は去ったと言うのに緊張感が解けていない。
呂布軍は徐州城に入ると、徐州城に残っていた守備兵を集めて防衛体制を整える。
徐州城は曹操軍の攻撃に対して強固な防備を持っている。呂布軍の兵士達は、徐州城の守備兵がこれほどのものとは思っていなかったので、曹操軍の追撃が無くなった事を確認してから完全に気を抜いていた。
その油断が致命的だった。曹操の狙いは呂布ではなく、最初から呂布の妻達だったのだ。
呂布も張遼も妻達が囚われているのは自分の屋敷だとばかり思っていたのだが、曹操は曹操で別働隊を動かしていたらしく張遼は別動隊が曹操の伏線だったと言う事にも気付かなかった。
呂布と張遼はそれぞれ兵を率いて妻の救出に向かったが、曹操軍に足止めされた所為もあり呂布は間に合わなかった。張遼が駆けつけた時には既に遅く、張飛の妻が曹操の手で捕らえられていたのである。
呂布は怒り狂い、その感情を抑える事が出来なかった。
その日、呂布は自らの屋敷の屋根の上に登り、そこで酒を浴びるように飲み続けた。
張飛、関羽、李典、夏侯惇、曹仁、徐栄といった武将達もまた呂布の怒りに同調し、その晩は宴を開く事となった。
張飛は張氏を救い出せなかったものの、その功績から呂布に特別待遇を受けていた事に感謝して張氏を救出する為に行動を起こしたのであって、張氏を取り返せなかった責任を責められるべきではない。
呂布軍の諸将たちはそう言い張ったし、劉備と関羽も張飛に謝罪を迫ったりしなかった。
張氏の身柄を取り戻した後に張飛を処刑すればいい、という意見も出たがそれは張紘によって止められた。
張紘は張氏の身柄が曹操の手に落ちた場合は曹操の陣営に潜り込み、曹操に近しい人間になりきるつもりでいる。そうなれば張氏奪還も容易では無いどころか、下手をするとそのまま殺されてしまう可能性すらある。
それなら曹操に忠誠を誓う振りをしておいて情報を得つつ、その間に呂布の味方を増やして対抗するべきというのが張紘の意見で、張飛もそれに同意した。
また張飛と張紘は呂布に対する忠義厚く、何より二人は張氏の父親なのだ。張氏の身柄が人質になっている限り、呂布と敵対し続ける事は出来ないだろうし、張氏さえ取り戻せば呂布と敵対する事もなくなる。
劉備達からしても、曹操に降られてしまえば元も子もないのである。呂布は妻を取り戻す為に徐州城を攻め落としにかかるだろうが、徐州城の城壁は呂布軍相手でも十分すぎるほど堅固なものだった。さらに張紘が呂布と呼応する形で呂布軍に潜入しており、呂布軍を内部分裂させる事に成功した。
これにより、徐州城の防衛力は著しく低下し、呂布軍による徐州城攻略作戦が開始される。劉備達は呂布との決戦を避け、徐州城を包囲する事で時間を稼ぐ策に出た。その方が有利になると判断したのだ。呂布は曹操に激怒し、それこそ後先考えずに徐州城に攻め寄せてくるだろうと予想出来た。だが、それでも万全とは程遠い状況である。
呂布軍は連戦連勝を続けたとはいえ被害が大きく、しかも張虎を討ち取った後は呂布自身を含め多くの将を失っており、これ以上の損失を恐れた曹操軍は攻め寄せる事を躊躇っていた。
ただでさえ少ない手勢を分けてまで、曹操の本陣に呂布の妻達の誘拐を知らせる為に一頭の駿馬を走らせた。
これは曹操にとって寝耳に水の事であり、呂布と決着を付けるよりも呂布軍の足を止める事に力を注ぐ事になった曹操軍は、徐州城からの退却も思うようにいかなくなった。
この混乱の中で、曹操の軍は壊滅的な打撃を受けたのである。
呂布軍は徐州城を包囲して守備を固めていたが、曹操軍の攻勢が止まると打って出て包囲を解く事になる。
ここで曹操軍は徐州城から撤退する事を決め、呂布軍と正対する形になるのを避けて撤退していった。呂布軍はそれを追うが曹操軍の撤退速度に追いつく事が出来ず、追撃戦は曹操軍が徐州城へ撤退するまでのわずかな時間で終わってしまった。
しかしこれによって徐州城の安全が確保され、守備兵の士気高揚に繋がった。
「これでひとまず安心だ」
呂布も胸を撫で下ろす。
今回の戦には曹操の伏線が張り巡らされていたものの、劉備達は見事にそれを見抜いていた。
劉備達が曹操軍の動きに合わせて動き出さなければ、曹操軍は徐州城への侵入に成功していた可能性が高い。呂布軍としては城を守っていればよかったのだが、徐州城で籠城しているだけでは勝ち目が無かった。曹操軍が徐州城を陥落させようと考えた場合には呂布軍が徐州城を攻め落とす必要があり、呂布軍はその前に曹操軍の足を止めなければならなかったのだ。
徐州城の守備兵の多くは曹操軍の侵攻に備えて守りに入っていたので、曹操軍の攻撃に素早く反応出来ていた。
それに呂布軍は曹操軍に散々痛めつけられていた事もあり、その鬱憤が溜まっていた事もあって猛攻で曹操軍の先鋒隊を壊滅させる事に成功している。
そこからは呂布軍は一転して攻勢に出て、呂布が単騎で敵陣に切り込んで行った事もあった。曹操軍は先鋒隊の壊滅で浮き足立ち、そこに呂布の奇襲を受けて完全に崩壊する。
こうして呂布が曹操を追いつめた時、曹操の本隊は撤退したと言う報告が入る。
その情報は真実なのか虚偽の情報なのか、あるいは罠か策略なのか。
呂布は悩んだが、どちらにせよ今の呂布は妻達を救出する事しか頭に無かった。
曹操は全軍を引き連れて退いた訳ではなく、かなりの数の将兵が城に残されていた。
その為、呂布が妻達の元へ駆けつけた時には曹操の手から張飛の妻が奪われているだけだった。
張飛の妻、小蓮は美しい女性である。その美貌が呂布の心に怒りと言う感情を生みつけるのに、そう時間は掛からなかった。
「俺の……娘に何をする!」
怒りに我を忘れ、張飛は剣を振り上げて曹操に飛びかかる。
だが、その張飛の身体を矢が貫いた。
曹操は張飛の妻の小蓮を人質に取り、張飛の妻を射殺したのである。
この時曹操は張飛の行動を予測していたらしく、伏兵を潜ませていた。
その行動に怒りを覚えた呂布だったが、同時にその行動の意味を理解出来なかった。
もし、この時に呂布が怒りに任せて動いていた場合、曹操は張飛だけでなく呂布にも致命的な損害を与えていたはずだ。
そうなれば張飛と張遼は死ななくても済んだかも知れないが、呂布軍の諸将の中には呂布の寵愛を受けられないのであれば死んだ方がマシだと豪語する者も少なからず存在する。張飛と張遼は呂布軍の四天王と呼ばれ、特に張飛は武勇に優れる者として呂布からも諸将の中でも重んじられていたが、張遼もまた文武両道の人物として名を馳せていた為、二人を敬愛する者達も多く存在した。
そんな彼等を呂布は自分の私情の為に殺す事になったかも知れなかった。曹操はそこまで読んでいて、呂布の怒りを利用したと言える。結果論で言えば曹操の狙い通りになってしまったのだが、曹操の目算は大きく狂う事になった。
激怒した呂布が張飛とその妻を殺した曹操を討ち取ろうと向かってきたからである。
呂布の人並み外れた武勇は曹操の予想を超えており、一騎討ちでは勝負にならないと判断した曹操は張飛の妻を犠牲にして逃げの一手を打つしかなかった。
呂布はその後すぐに追ったが、すでに曹操は撤退の準備を終えていたので追いつく事は出来ない。曹操はそのまま城外へ脱出するが、そこへ劉備が駆けつけてきた。
曹操を追って劉備は戦場へと飛び出したが、その時既に勝敗は決しており、劉備軍は全滅に近い損害を被っていた。
劉備は関羽、そして子龍と共に脱出を試みたが、そこで劉備は曹操の娘と遭遇してしまう。曹操にとってこの出会いは誤算だったはずなのだが、曹操は劉備と出会ってしまった。それが劉備達の運の尽きであり、曹操は劉備と出会えた幸運に感謝しなくてはならない。
呂布の妻である厳氏、華雄、張遼の三人はすでに曹操の手に落ちていた。
さらに、呂布も曹操に追い詰められているところ、呂布軍の精鋭部隊である方天戟隊が駆け付けてくる。曹操はその状況にほくそ笑む。このタイミングで呂布の援軍が現れるなど、まさに神の助けと言わざるを得ない。呂布軍の将士の大半は曹操に討ち取られてしまっただろうが、呂布軍の精鋭部隊のほとんどはまだ無傷である。その戦力差は歴然であり、曹操にとって勝利は揺るがないものとなった。呂布の表情が曇った事を曹操は見逃さなかった。
それは自分が呂布の妻を手に入れた事で油断した瞬間である。
曹操は迷わず自分の乗っている馬車ごと槍を投げ捨て、曹操は落馬する。その直後、先ほどまで曹操の乗っていた馬は呂布の放った矢で打ち抜かれ、そのまま馬は暴走を始める。
この突然の出来事で、曹操軍は混乱に陥った。混乱している間に呂布の軍は曹操軍に襲いかかり、次々と曹操軍を殲滅していく。その勢いのまま徐州城を包囲して呂布は城に入る事が出来た。
城内でも激しい戦いが繰り広げられ、呂布の妻達は曹操軍から守られた。
だが、城の外にいた曹操の子飼の兵は壊滅してしまい、残るは徐州城の中にいる者のみとなっている。その数は曹操の率いている兵力の半分以下であった。
この時点で、曹操軍は敗北したも同然である。それでも曹操が最後まで抵抗を続けたのは、曹操の執念以外の何物でもない。呂布は曹操の諦めの悪さを心底恐れていたが、その曹操が最後に見せた気力には感服するしかない。
呂布は張飛の妻、小蓮を救出した事に安堵したが、ここでまた問題が起こる。
張飛の妻が救出された時、張飛も負傷して意識を失ってしまいその場に倒れ込んでしまったのだ。
呂布軍の医療技術で、今から治療したところでもう助かるとは思えない程の重傷であったが、呂布は張飛の命を助ける為に医者を呼んだ。しかし到着した医師に張飛の治療は不可能だと言われ、張飛の妻の小蓮も泣き崩れている。呂布としても小蓮にどう声を掛けたら良いのか悩むところではあったが、呂布が悩んでいる暇もなく新たな事態が発生する。
なんと、陳宮までもが捕らわれの身となってしまったのだ。それも袁紹の娘である麗羽と共に囚われている。これには呂布だけでなく呂布軍とは関わりの無い一般の兵達からも悲鳴が上がる。特に、曹操に捕らえられた場合よりも恐怖は大きかった。
いくら董卓四天王の一人とは言え、相手は曹操である。その実力は圧倒的で、もし呂布が張飛の妻達を助けた後でなければ、張飛の妻と小蓮の二人は曹操によって殺されていた可能性が高い。そうならなかっただけでも呂布としては奇跡的なのだが、それすら上回る衝撃的事実が発覚する。張飛の傷を治す手段は無いと思われていた中、一人の老人が現れたのである。そして、その老人が張飛に触れると張飛の身体は光を放ち、一瞬にして全ての怪我が完治してしまった。
これこそが、呂布の父でもある華雄を殺した人物である事が発覚した。しかも張遼とは旧知の仲の様である。その老医の名は高順と言い、呂布に恩義を感じているらしく今回の張飛の治療に関しても尽力してくれた。そして、張飛も一命を取り留める事が出来た。張飛は最初こそ目を覚まさなかったが、一週間程すると目を覚ました。張飛の回復を見て呂布軍の士気は一気に上がり、この日を境に曹操軍は瓦解する事となる。
この時すでに劉備は曹操に見切りをつけ、劉備の子供達と共に曹操と袂を分かつ事になる。曹操と劉備の関係は修復不可能なものとなっていた。
張遼も捕らえられ、劉備も見限られ、呂布軍の精鋭部隊は大半が戦死する。その中で曹操に唯一抗っていたのは、方天戟隊の生き残りである張済だけだった。
だが、曹操はこの時張済を見逃していた事を後に後悔する事になった。こうして、天下分け目の大戦は呂布の辛勝で終わった。
曹操はその後、袁紹と共に魏の王を名乗る事になったが、実権は既に袁紹に移っていたので曹操が実権を握り続けられる可能性は低いと見られていた。
呂布の方はと言うと、曹操を追い詰めたのはいいものの、張飛の妻を殺された怒りはまだ残っていた。
張飛は妻が死んだ悲しみもあり、曹操に対する恨みや憤りもあったが、それ以上に張飛の妻が人質となってからは曹操軍が投降を認めなくなったので戦意喪失となった。
曹操はそんな事は百も承知だったので、張飛の怒りを利用するつもりでわざと呂布と一騎討ちを行ったのだが、それは呂布の妻を人質に取れば呂布と張遼、そして張飛と関羽が従うと思っていたからである。曹操の狙い通り呂布は激怒し、一騎討ちに応じた。そして呂布は勝利したが、曹操が呂布の妻を手にかけた事でさらに怒らせる事になり、呂布は張遼と張飛に撤退を命じたのである。
呂布が張遼と張飛に撤退を命じる前、張遼はすでに城から逃げ出しており呂布の元へ駆け付けていた。
「張遼か!無事だったんだな!」
張遼の姿を確認して呂布は嬉しそうな声を上げる。
あの時、方天戟隊を指揮していたのは張遼であり、張遼自身も重症を負っていたが、その時に曹操軍に包囲されて張遼が真っ先に逃げ出すしかなかった。張遼の撤退命令は当然であるし、呂布もそれが最善策だと判断する。ただでさえ劣勢なのに張遼までいなくなったらいよいよ負けてしまう。張遼が生きていた事に呂布は喜びを隠しきれなかった。
「殿、私達がここにいても足手まといです。すぐに城から離れましょう」
張遼の言葉に呂布は少し考え、決断する。
このまま曹操軍と戦闘になれば、おそらく呂布軍は壊滅してしまう。今は曹操軍は呂布軍と互角の力を持っていると思っているが、その差はほとんどない。曹操軍はその数を大きく減らし、呂布軍は張飛を失っているがその兵力はほぼ無傷である。張飛の妻達を守りながらでは戦いづらいので、この機を逃すべきではないと呂布は思った。
そこで、張飛と妻の仇を討ちたい気持ちはあったが、ここで下手に暴れると呂布は討たれかねない。それに曹操軍は張飛の妻達を殺していない。張飛が生きているならまだ戦いようがあるだろうが、張飛は意識を失っているだけで、この場にいる訳でもない。張飛はともかく、曹操の追撃をかわして無事に徐州城に戻れる保証は無い以上、ここで無理をする意味は無かった。
呂布が全軍に撤退する様に指示した時、張遼はわずかに安堵したが表情には出さなかった。
「義父上、ここは俺に任せてください」
先頭で戟を振るうのは、徐州の若獅子と呼ばれた劉備の養子、徐州太守の劉備義理息子である関羽雲長であった。
関羽の参戦により、曹操軍はさらに混乱を極める事になる。
曹操軍の武将や兵士達はこの戦場に現れた関羽を知らない者もいるので当然なのだが、そうでない者であっても目の前の光景は信じられないものだった。
曹操軍の中には関羽の勇名を知らぬ者はおらず、曹操ですら知っているほどの名将なのだ。呂布将軍と並び、曹操軍は双璧の二つとして関羽の名を上げているが、まさかその二人が並ぶ日が来るとは誰も思ってはいなかった。
そんな二人の戦いは壮絶であり、その実力は伯仲どころか曹操すら及ばないのかも知れない。それぐらいに互角の勝負を繰り広げていた。
ただひたすらに攻め続け、呂布軍を食い止めていたのは曹操でもなく夏侯惇でも無く徐栄で、その徐栄は二人の間に割って入って曹操を守りつつ、二人の猛攻をしのいでいる。
そこに呂布軍が殺到するが、そこに李典と于禁が立ち塞がった。呂布軍の勢いが止まったところへ、今度は曹操軍の精鋭が襲い掛かる。曹操直属の者達ではなく曹操軍の部隊だったが、これもかなりの強者であり曹操配下の中でも曹操にもっとも近いと言われている武将、楽進文謙の率いる一隊だった。
これによって呂布軍はさらに分断された形になり、その呂布軍には夏侯惇が襲いかかり、呂布は張遼と共に孤立してしまう。
その窮地を救ったのが、徐栄と曹操の援軍にやってきた曹仁、張超の三名である。徐栄は関羽相手に一歩も引かず戦っていたが、呂布の救援に向かったところ、関羽は曹操との戦いに集中していてこちらには来られないと判断して引き返してきたらしい。曹操軍にすればまさに地獄絵図とも言える状況だが、まだこの程度で済んでいると言えた。曹操自身が率いる主力部隊は別方向に展開し、そちらにも兵力を向かわせる事ができる。
一方、劉備の方は呂布との合流に成功し、何とか一息つく事ができた。
劉備達が呂布と合流する少し前、呂布の元に一報が入った。
それは黄巾党の残党を率いていた、盧植の弟子の一人でもある劉辟からの連絡である。
本来であればその情報を得た時点で徐州城に急ぐべきだったのだが、荊州への撤退戦を続けてようやく曹操軍の手を逃れる事の出来た呂布軍の武将達に休養をとらせる必要があり、その判断が遅れてしまった。
その結果、張氏の姿は既に曹操軍の手の内に収められてしまっていた。呂布はすぐに救出に向かいたかったが、それは叶わなかった。
呂布は張氏の安全確保と張氏の身柄を奪還する為の策を練り、劉備は劉備で徐州城に戻ってからすぐに袁術の客将となっている孫乾に使者を送って張氏の捜索を依頼した。
それから数日後、張氏発見の一報が入る。
曹操軍の手によって捕らえられていたのは、張氏本人。曹操に張氏を人質にされ、その命に従うしかなかった。
そう言う事にしておけ、と言うのが張勲の指示である。
もちろんこの事は秘密事項となり、他の者には知られてはならない。もし他に漏れるような事があれば、張氏だけではなく張氏に関わる全員の命が無いものと思え、と。
劉備達からの報告を受けた張飛は、即座に曹操討伐に向かうと言い出した。呂布がそれを止めた理由は一つ。張氏を取り返すのなら、呂布軍だけで行くべきである。そうでなければ意味がないのだ。張氏さえ取り戻せば曹操がどう動こうとも呂布にとっての脅威にはならないし、曹操さえ排除してしまえばこの徐州での曹操の影響力は大幅に削がれる事になる。そうなれば徐州の守りは盤石なものとなるはず。その時には劉備にも協力してもらい、曹操に反旗を翻す事も可能なはずなのだ。
それに、劉備は徐州城に戻り次第、曹操に宣戦布告する準備をしていたのだ。これは徐州城の留守居役を買って出た張紘の提案によるもので、徐州太守代理の陳登も同じ意見を持っていた。
曹操と呂布は犬猿の仲。しかも双方で天下統一を目指しているという共通の目的がありながら、お互いの勢力範囲が入り組んでいて互いに相手を滅ぼそうとする為に戦い続けている状態だ。
徐州太守の劉備は徐州を守りたいだけであり、領土を広げようなどとは考えてもいない。それに比べて曹操はその野心家として名を馳せており、いずれこの大陸を支配する者になりたいと考えている。
両者の差は大きく開いており、曹操に対抗できる勢力と言えば現状では呂布しかいなかった。そして、曹操に対抗する為にもまずはこの徐州を押さえておく必要があるので、曹操は呂布と雌雄を決したいと考えていた。
そこに降って湧いた好機であり、これを見逃せる曹操ではない。
曹操としても、ここで一気にこの乱世を終わらせたいと考えているはずだ。曹操がどれだけ大義名分を振りかざそうとも、今の時代の風潮としては暴君である事に変わりはない。
このまま呂布と曹操の争いが続いた場合、どちらかに正義があっても勝者は民の支持を得られなくなってしまうだろう。たとえ呂布が勝つにせよ、曹操が勝ったところでそれが長続きするとはとてもではないが言えない。
しかし今ならば違う。曹操の勢力が呂布を打ち破り、その後に漢帝国を立て直す事で民衆の信頼を得る事ができるかもしれないのだから。そんな情勢の中で、張氏は曹操の手に渡ってしまった。
曹操が何を考えているのか、張氏がどのような立場になるかによって今後の展開も大きく変わってくる。
劉備達は曹操を罠にかけるべく準備を進め、その一方で曹操は呂布軍の動きに備える。
呂布軍は曹操軍を相手に連戦連勝を続けたものの、曹操の本隊と戦う前に力尽きた。
曹操軍とまともに戦う必要はなく、曹操軍の先鋒隊や別働隊の足を徹底的に止める事に全力を尽くした結果である。曹操軍は兵糧の確保の為に徐州城を襲う動きを見せたものの、呂布軍がそれを防ぐ動きを見せるとすぐに撤退している。
呂布軍が徐州城に辿り着いた時、そこには呂布軍の勝利を祝う人々の姿は無かった。
城内には重苦しい空気が漂っており、曹操軍は去ったと言うのに緊張感が解けていない。
呂布軍は徐州城に入ると、徐州城に残っていた守備兵を集めて防衛体制を整える。
徐州城は曹操軍の攻撃に対して強固な防備を持っている。呂布軍の兵士達は、徐州城の守備兵がこれほどのものとは思っていなかったので、曹操軍の追撃が無くなった事を確認してから完全に気を抜いていた。
その油断が致命的だった。曹操の狙いは呂布ではなく、最初から呂布の妻達だったのだ。
呂布も張遼も妻達が囚われているのは自分の屋敷だとばかり思っていたのだが、曹操は曹操で別働隊を動かしていたらしく張遼は別動隊が曹操の伏線だったと言う事にも気付かなかった。
呂布と張遼はそれぞれ兵を率いて妻の救出に向かったが、曹操軍に足止めされた所為もあり呂布は間に合わなかった。張遼が駆けつけた時には既に遅く、張飛の妻が曹操の手で捕らえられていたのである。
呂布は怒り狂い、その感情を抑える事が出来なかった。
その日、呂布は自らの屋敷の屋根の上に登り、そこで酒を浴びるように飲み続けた。
張飛、関羽、李典、夏侯惇、曹仁、徐栄といった武将達もまた呂布の怒りに同調し、その晩は宴を開く事となった。
張飛は張氏を救い出せなかったものの、その功績から呂布に特別待遇を受けていた事に感謝して張氏を救出する為に行動を起こしたのであって、張氏を取り返せなかった責任を責められるべきではない。
呂布軍の諸将たちはそう言い張ったし、劉備と関羽も張飛に謝罪を迫ったりしなかった。
張氏の身柄を取り戻した後に張飛を処刑すればいい、という意見も出たがそれは張紘によって止められた。
張紘は張氏の身柄が曹操の手に落ちた場合は曹操の陣営に潜り込み、曹操に近しい人間になりきるつもりでいる。そうなれば張氏奪還も容易では無いどころか、下手をするとそのまま殺されてしまう可能性すらある。
それなら曹操に忠誠を誓う振りをしておいて情報を得つつ、その間に呂布の味方を増やして対抗するべきというのが張紘の意見で、張飛もそれに同意した。
また張飛と張紘は呂布に対する忠義厚く、何より二人は張氏の父親なのだ。張氏の身柄が人質になっている限り、呂布と敵対し続ける事は出来ないだろうし、張氏さえ取り戻せば呂布と敵対する事もなくなる。
劉備達からしても、曹操に降られてしまえば元も子もないのである。呂布は妻を取り戻す為に徐州城を攻め落としにかかるだろうが、徐州城の城壁は呂布軍相手でも十分すぎるほど堅固なものだった。さらに張紘が呂布と呼応する形で呂布軍に潜入しており、呂布軍を内部分裂させる事に成功した。
これにより、徐州城の防衛力は著しく低下し、呂布軍による徐州城攻略作戦が開始される。劉備達は呂布との決戦を避け、徐州城を包囲する事で時間を稼ぐ策に出た。その方が有利になると判断したのだ。呂布は曹操に激怒し、それこそ後先考えずに徐州城に攻め寄せてくるだろうと予想出来た。だが、それでも万全とは程遠い状況である。
呂布軍は連戦連勝を続けたとはいえ被害が大きく、しかも張虎を討ち取った後は呂布自身を含め多くの将を失っており、これ以上の損失を恐れた曹操軍は攻め寄せる事を躊躇っていた。
ただでさえ少ない手勢を分けてまで、曹操の本陣に呂布の妻達の誘拐を知らせる為に一頭の駿馬を走らせた。
これは曹操にとって寝耳に水の事であり、呂布と決着を付けるよりも呂布軍の足を止める事に力を注ぐ事になった曹操軍は、徐州城からの退却も思うようにいかなくなった。
この混乱の中で、曹操の軍は壊滅的な打撃を受けたのである。
呂布軍は徐州城を包囲して守備を固めていたが、曹操軍の攻勢が止まると打って出て包囲を解く事になる。
ここで曹操軍は徐州城から撤退する事を決め、呂布軍と正対する形になるのを避けて撤退していった。呂布軍はそれを追うが曹操軍の撤退速度に追いつく事が出来ず、追撃戦は曹操軍が徐州城へ撤退するまでのわずかな時間で終わってしまった。
しかしこれによって徐州城の安全が確保され、守備兵の士気高揚に繋がった。
「これでひとまず安心だ」
呂布も胸を撫で下ろす。
今回の戦には曹操の伏線が張り巡らされていたものの、劉備達は見事にそれを見抜いていた。
劉備達が曹操軍の動きに合わせて動き出さなければ、曹操軍は徐州城への侵入に成功していた可能性が高い。呂布軍としては城を守っていればよかったのだが、徐州城で籠城しているだけでは勝ち目が無かった。曹操軍が徐州城を陥落させようと考えた場合には呂布軍が徐州城を攻め落とす必要があり、呂布軍はその前に曹操軍の足を止めなければならなかったのだ。
徐州城の守備兵の多くは曹操軍の侵攻に備えて守りに入っていたので、曹操軍の攻撃に素早く反応出来ていた。
それに呂布軍は曹操軍に散々痛めつけられていた事もあり、その鬱憤が溜まっていた事もあって猛攻で曹操軍の先鋒隊を壊滅させる事に成功している。
そこからは呂布軍は一転して攻勢に出て、呂布が単騎で敵陣に切り込んで行った事もあった。曹操軍は先鋒隊の壊滅で浮き足立ち、そこに呂布の奇襲を受けて完全に崩壊する。
こうして呂布が曹操を追いつめた時、曹操の本隊は撤退したと言う報告が入る。
その情報は真実なのか虚偽の情報なのか、あるいは罠か策略なのか。
呂布は悩んだが、どちらにせよ今の呂布は妻達を救出する事しか頭に無かった。
曹操は全軍を引き連れて退いた訳ではなく、かなりの数の将兵が城に残されていた。
その為、呂布が妻達の元へ駆けつけた時には曹操の手から張飛の妻が奪われているだけだった。
張飛の妻、小蓮は美しい女性である。その美貌が呂布の心に怒りと言う感情を生みつけるのに、そう時間は掛からなかった。
「俺の……娘に何をする!」
怒りに我を忘れ、張飛は剣を振り上げて曹操に飛びかかる。
だが、その張飛の身体を矢が貫いた。
曹操は張飛の妻の小蓮を人質に取り、張飛の妻を射殺したのである。
この時曹操は張飛の行動を予測していたらしく、伏兵を潜ませていた。
その行動に怒りを覚えた呂布だったが、同時にその行動の意味を理解出来なかった。
もし、この時に呂布が怒りに任せて動いていた場合、曹操は張飛だけでなく呂布にも致命的な損害を与えていたはずだ。
そうなれば張飛と張遼は死ななくても済んだかも知れないが、呂布軍の諸将の中には呂布の寵愛を受けられないのであれば死んだ方がマシだと豪語する者も少なからず存在する。張飛と張遼は呂布軍の四天王と呼ばれ、特に張飛は武勇に優れる者として呂布からも諸将の中でも重んじられていたが、張遼もまた文武両道の人物として名を馳せていた為、二人を敬愛する者達も多く存在した。
そんな彼等を呂布は自分の私情の為に殺す事になったかも知れなかった。曹操はそこまで読んでいて、呂布の怒りを利用したと言える。結果論で言えば曹操の狙い通りになってしまったのだが、曹操の目算は大きく狂う事になった。
激怒した呂布が張飛とその妻を殺した曹操を討ち取ろうと向かってきたからである。
呂布の人並み外れた武勇は曹操の予想を超えており、一騎討ちでは勝負にならないと判断した曹操は張飛の妻を犠牲にして逃げの一手を打つしかなかった。
呂布はその後すぐに追ったが、すでに曹操は撤退の準備を終えていたので追いつく事は出来ない。曹操はそのまま城外へ脱出するが、そこへ劉備が駆けつけてきた。
曹操を追って劉備は戦場へと飛び出したが、その時既に勝敗は決しており、劉備軍は全滅に近い損害を被っていた。
劉備は関羽、そして子龍と共に脱出を試みたが、そこで劉備は曹操の娘と遭遇してしまう。曹操にとってこの出会いは誤算だったはずなのだが、曹操は劉備と出会ってしまった。それが劉備達の運の尽きであり、曹操は劉備と出会えた幸運に感謝しなくてはならない。
呂布の妻である厳氏、華雄、張遼の三人はすでに曹操の手に落ちていた。
さらに、呂布も曹操に追い詰められているところ、呂布軍の精鋭部隊である方天戟隊が駆け付けてくる。曹操はその状況にほくそ笑む。このタイミングで呂布の援軍が現れるなど、まさに神の助けと言わざるを得ない。呂布軍の将士の大半は曹操に討ち取られてしまっただろうが、呂布軍の精鋭部隊のほとんどはまだ無傷である。その戦力差は歴然であり、曹操にとって勝利は揺るがないものとなった。呂布の表情が曇った事を曹操は見逃さなかった。
それは自分が呂布の妻を手に入れた事で油断した瞬間である。
曹操は迷わず自分の乗っている馬車ごと槍を投げ捨て、曹操は落馬する。その直後、先ほどまで曹操の乗っていた馬は呂布の放った矢で打ち抜かれ、そのまま馬は暴走を始める。
この突然の出来事で、曹操軍は混乱に陥った。混乱している間に呂布の軍は曹操軍に襲いかかり、次々と曹操軍を殲滅していく。その勢いのまま徐州城を包囲して呂布は城に入る事が出来た。
城内でも激しい戦いが繰り広げられ、呂布の妻達は曹操軍から守られた。
だが、城の外にいた曹操の子飼の兵は壊滅してしまい、残るは徐州城の中にいる者のみとなっている。その数は曹操の率いている兵力の半分以下であった。
この時点で、曹操軍は敗北したも同然である。それでも曹操が最後まで抵抗を続けたのは、曹操の執念以外の何物でもない。呂布は曹操の諦めの悪さを心底恐れていたが、その曹操が最後に見せた気力には感服するしかない。
呂布は張飛の妻、小蓮を救出した事に安堵したが、ここでまた問題が起こる。
張飛の妻が救出された時、張飛も負傷して意識を失ってしまいその場に倒れ込んでしまったのだ。
呂布軍の医療技術で、今から治療したところでもう助かるとは思えない程の重傷であったが、呂布は張飛の命を助ける為に医者を呼んだ。しかし到着した医師に張飛の治療は不可能だと言われ、張飛の妻の小蓮も泣き崩れている。呂布としても小蓮にどう声を掛けたら良いのか悩むところではあったが、呂布が悩んでいる暇もなく新たな事態が発生する。
なんと、陳宮までもが捕らわれの身となってしまったのだ。それも袁紹の娘である麗羽と共に囚われている。これには呂布だけでなく呂布軍とは関わりの無い一般の兵達からも悲鳴が上がる。特に、曹操に捕らえられた場合よりも恐怖は大きかった。
いくら董卓四天王の一人とは言え、相手は曹操である。その実力は圧倒的で、もし呂布が張飛の妻達を助けた後でなければ、張飛の妻と小蓮の二人は曹操によって殺されていた可能性が高い。そうならなかっただけでも呂布としては奇跡的なのだが、それすら上回る衝撃的事実が発覚する。張飛の傷を治す手段は無いと思われていた中、一人の老人が現れたのである。そして、その老人が張飛に触れると張飛の身体は光を放ち、一瞬にして全ての怪我が完治してしまった。
これこそが、呂布の父でもある華雄を殺した人物である事が発覚した。しかも張遼とは旧知の仲の様である。その老医の名は高順と言い、呂布に恩義を感じているらしく今回の張飛の治療に関しても尽力してくれた。そして、張飛も一命を取り留める事が出来た。張飛は最初こそ目を覚まさなかったが、一週間程すると目を覚ました。張飛の回復を見て呂布軍の士気は一気に上がり、この日を境に曹操軍は瓦解する事となる。
この時すでに劉備は曹操に見切りをつけ、劉備の子供達と共に曹操と袂を分かつ事になる。曹操と劉備の関係は修復不可能なものとなっていた。
張遼も捕らえられ、劉備も見限られ、呂布軍の精鋭部隊は大半が戦死する。その中で曹操に唯一抗っていたのは、方天戟隊の生き残りである張済だけだった。
だが、曹操はこの時張済を見逃していた事を後に後悔する事になった。こうして、天下分け目の大戦は呂布の辛勝で終わった。
曹操はその後、袁紹と共に魏の王を名乗る事になったが、実権は既に袁紹に移っていたので曹操が実権を握り続けられる可能性は低いと見られていた。
呂布の方はと言うと、曹操を追い詰めたのはいいものの、張飛の妻を殺された怒りはまだ残っていた。
張飛は妻が死んだ悲しみもあり、曹操に対する恨みや憤りもあったが、それ以上に張飛の妻が人質となってからは曹操軍が投降を認めなくなったので戦意喪失となった。
曹操はそんな事は百も承知だったので、張飛の怒りを利用するつもりでわざと呂布と一騎討ちを行ったのだが、それは呂布の妻を人質に取れば呂布と張遼、そして張飛と関羽が従うと思っていたからである。曹操の狙い通り呂布は激怒し、一騎討ちに応じた。そして呂布は勝利したが、曹操が呂布の妻を手にかけた事でさらに怒らせる事になり、呂布は張遼と張飛に撤退を命じたのである。
呂布が張遼と張飛に撤退を命じる前、張遼はすでに城から逃げ出しており呂布の元へ駆け付けていた。
「張遼か!無事だったんだな!」
張遼の姿を確認して呂布は嬉しそうな声を上げる。
あの時、方天戟隊を指揮していたのは張遼であり、張遼自身も重症を負っていたが、その時に曹操軍に包囲されて張遼が真っ先に逃げ出すしかなかった。張遼の撤退命令は当然であるし、呂布もそれが最善策だと判断する。ただでさえ劣勢なのに張遼までいなくなったらいよいよ負けてしまう。張遼が生きていた事に呂布は喜びを隠しきれなかった。
「殿、私達がここにいても足手まといです。すぐに城から離れましょう」
張遼の言葉に呂布は少し考え、決断する。
このまま曹操軍と戦闘になれば、おそらく呂布軍は壊滅してしまう。今は曹操軍は呂布軍と互角の力を持っていると思っているが、その差はほとんどない。曹操軍はその数を大きく減らし、呂布軍は張飛を失っているがその兵力はほぼ無傷である。張飛の妻達を守りながらでは戦いづらいので、この機を逃すべきではないと呂布は思った。
そこで、張飛と妻の仇を討ちたい気持ちはあったが、ここで下手に暴れると呂布は討たれかねない。それに曹操軍は張飛の妻達を殺していない。張飛が生きているならまだ戦いようがあるだろうが、張飛は意識を失っているだけで、この場にいる訳でもない。張飛はともかく、曹操の追撃をかわして無事に徐州城に戻れる保証は無い以上、ここで無理をする意味は無かった。
呂布が全軍に撤退する様に指示した時、張遼はわずかに安堵したが表情には出さなかった。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。


今日の授業は保健体育
にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり)
僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。
その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。
ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ドマゾネスの掟 ~ドMな褐色少女は僕に責められたがっている~
桂
ファンタジー
探検家の主人公は伝説の部族ドマゾネスを探すために密林の奥へ進むが道に迷ってしまう。
そんな彼をドマゾネスの少女カリナが発見してドマゾネスの村に連れていく。
そして、目覚めた彼はドマゾネスたちから歓迎され、子種を求められるのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる