三国志英雄伝~呂布奉先伝説

みなと劉

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20話

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曹操の使者は曹操の陣営で待つと言っていたらしく、その旨を曹操に伝える必要があるというので陳宮が対応に当たり、しばらく待ってようやく準備を調えた呂布が曹操の陣に出向く事になった。呂布が劉備に会ったのは、それから二日後の事になる。
「劉備殿……か?」
劉備の姿を見ても、呂布は一瞬分からなかった。
曹操軍との戦いの中で何度も顔を会わせて話をしたし、劉備が呂布の元へ訪れる事はこれまで何度となく有ったので、その姿形は記憶の中にあるものだった。
だが、以前見た劉備の姿よりも、どこか凛々しく感じられてしまった。
劉備は元々男装をしているが、今の劉備からは以前のような華麗さや艶っぽさが無くなり、代わりに武人としての精彩が増しているように見える。これはやはり女らしい美しさをかなぐり捨てる事によって得た強さなのでは、と呂布は思った。
「お久しぶりです、奉先殿。また、再会出来た事嬉しく思います」
笑顔で答える劉備だが、その声も以前の女性らしさを失いつつあった。
「それで、どのようなご用件でしょうか? 徐州の事なら、まだ何も決まってはいないはずですが」
陳宮は呂布に代わって尋ねる。
劉備は呂布に会う為に呂布の陣を訪れたはずだが、陳宮の言う通り実際に曹操と戦う為に集まった諸将を前に、その総大将として立つと宣言しただけだ。
そこから先の事に関しては一切触れていないので、陳宮が聞くのは当然の事でもあった。
「はい。私がこの徐州へ来たのは曹操殿への帰順の為ではありません。もちろん曹操殿に降ろうと決めたわけでもありません。私はこの徐州の地に住む人達を守る為、呂布将軍の助力を求めてやってきたのです。そして、この徐州にはまだ漢の民が残っている事を知っています。たとえ徐州を攻める曹操軍がどれほど強大であろうと、この徐州は最後まで守り抜くべき地なんです」
劉備の言葉に反応するように、周囲の兵達がざわめく。
劉備は確かに曹操に対して臣従するつもりは無いと言ってはいたものの、まさかこれほどはっきりと明言するとは思っていなかったのだろう。
ただでさえ呂布軍の将兵にとって徐州城は恩人の故郷であり、愛着のある土地であるのだ。そこに住まう人々に対する思い入れが強くてもおかしくはない。そんな彼らにしてみれば、いかに曹操軍が強いといえども劉備の考えには承服しかねる部分もあるようだ。
もっとも、その考え自体は呂布も同じである。呂布にとっては妻の出身地であり、家族もいる大切な場所なのだ。
しかし、徐州攻めが行われる以上それを黙って見過ごす事も出来ない。もしここで呂布が劉備を助けなければ、間違いなく曹操は徐州に攻め入る。そうなれば、いかに守るのが困難な城とはいえ徐州城は必ず陥落する。
その時の徐州城内には、呂布の家族がいるのだから。それは絶対に防がなければならない事であり、そうしなければ妻や子だけでなくこの城の人々全てが無慈悲に殺される。呂布はそれを許容する事など出来なかった。
曹操が徐州城を攻略する際、劉備の手を借りるのは間違いない。そこで曹操軍は油断して隙を見せるかもしれないので、そこを狙うしかない。
その事を話すと、さすがに皆も理解してくれた。曹操軍と戦って勝利する事はもちろん大事であるが、まずはこの場に集まってくれた者達とその家族の安全を確保しなければ始まらない。
曹操軍とて徐州城攻略の為にかなりの犠牲を払うであろうし、その事を曹操自身が納得すれば士気の低下を防ぐ事が出来ると呂布は考えた。
呂布が劉備と話し合い、徐州城の守備を任せられたのが五百だった。その内訳は、元々呂布が連れてきた精鋭三百に加えて徐州の義勇軍から新たに集められた五百人となる。呂布の妻や子供達が住んでいるのも徐州城になるので、守備は徐州城を中心として行うことになっている。
劉備が同行している理由は、万が一の時には曹操軍を迎え撃つ役目を与えるためである。徐州城の兵力が千を超える事を警戒した曹操であったが、それでも五倍近くもの大軍である事に変わりはなく、まともに戦えば勝ち目のない戦いである。しかもこちら側の兵は負傷している者も多く、戦力としては数えられないだろう。それでも戦うには曹操軍の虚を突く以外に手が無いため、呂布が劉備に協力を求めた。
「……曹操軍に動きあり、か」
呂布からもたらされた報告を聞き、陳宮は難しい顔で呟く。
徐州城に篭っているのは呂布の妻や子供を含む五十人ほどしかいない。それでも曹操軍の攻撃に備える為、籠城戦の準備を進めていたのだが、そこに突如として曹操からの攻撃が開始されたという報が届いたのだ。
突然の攻撃だったが、劉備も徐州の豪族達も素早く行動した。
劉備は徐州城を守れと言われただけあって、すぐに呂布の元へ出向いてその事を伝える。呂布も呂布で劉備からの書状を預かったので、それを持って陳宮の元に駆け込んだと言う事だ。
もちろん呂布が陳宮の下へ走った理由の中には、陳宮がかつて自分の義父であった曹騰に重用されている事も含まれていた。
「呂布将軍もご存知の通り、この徐州の城は山を利用して造られています。城壁は高く厚いうえに空堀が二重に掘られていて、さらに城壁の上には弓矢と弩を並べた弓郭があり、その上はさらに高所にある櫓によって完全に守りを固めてあります。それに加え、呂布将軍の率いていた兵士達が加わって数も増えている。これならば簡単に落ちるとは思いませんが、それでも時間の問題かもしれません」
劉備が深刻な表情で言う。
確かにこの城は堅固な造りだが、そもそも守り切る事が難しいほどの大軍であればいずれ力尽きるのが道理である。曹操が徐州城を攻める時にわざわざ曹操軍の方が被害が大きい攻城戦にこだわるとは思えないし、おそらくは城を包囲する事によって精神的な圧迫を与え、それによって呂布軍の降伏を促してくるだろうと予想された。
また曹操軍の方も曹操自身の思惑はどうあれ、徐州を攻める事によって曹操自身に対する不満も募らせる事になる。そうやって曹操軍の内情が悪化していくように仕向ける事は、陳宮の目論見の一つでもあった。
だが、その目論見も甘すぎたようだ。曹操は確かに優れた武将ではあるが、曹操自身は凡庸で覇気に欠けると言われている事もある。また、その言葉遣いなどからも傲慢で自尊心の強い人物と見られがちで、実際その通りでもある。
しかしその実、極めて慎重な人物である事がこれまでの曹操の行動から見て取れる。今回の徐州攻めにしても、曹操軍が勝てる確証も無しに行うはずもない。もちろん、ただでさえ強い曹操軍が十倍の敵と戦う事で犠牲が増える可能性はあったが、それも最初から覚悟していた事だろう。
その曹操軍がたかだか呂布の妻子が住まうだけの徐州にこれほどまでに手間をかける事に、何かしらの狙いがあるはずだった。
曹操の戦略の軸となっているものは陳宮と同じ、天下平定である。つまり曹操軍にとって最も重要な事は呂布との決着であり、呂布の首を取る為なら多少の犠牲など気にしないのかもしれない。
そうなると厄介なのは曹操軍の被害ではなく呂布軍の被害であり、いかに呂布軍が強くとも呂布を討ち取る為だけにここまでの大軍勢を用意する必要は無い。そこまでの危険を犯した以上、そこには曹操軍の勝利だけではなく呂布軍の殲滅が必ず含まれているはずだ。
問題はそれがいつなのかと言う事であり、今はまだそれほど切迫していない。しかし、劉備が言うには城外には曹操軍の旗を掲げた曹操軍の本隊が現れ、徐州城を取り囲むようにして陣取っているらしい。そうなれば呂布の妻達が暮らす徐州城を守る為、呂布は出ざるを得なくなる。
そうなれば、呂布の妻達が人質となってしまう。そうなれば、いかに曹操軍といえども徐州城攻略を諦めてくれるかもしれない。
劉備はそう期待しているようだった。その話を聞いて、呂布も陳宮もその事については同意見ではあった。しかし、劉備の話には一つ、見落としていた事があった。
呂布の妻達を人質に取れば、呂布軍全体の投降を促す事が出来るかもしれないという点である。曹操軍にしてみればその程度の価値しか見いだせないとしても、曹操軍の武将や兵達にしてみたら、自分達の主と決めた人の奥方が人質に取られているのだから呂布軍は降伏するしかないと考える可能性がある。
実際に曹操が妻を人質とする事まで考えているのかは分からないが、呂布はそこを懸念していた。もし劉備がそれに気付かず妻達を曹操に差し出すような真似をした場合、たとえ呂布が曹操軍と戦ったところで呂布軍の勝利は難しい。それは、呂布自身が良く分かっていた。
もちろん呂布にもその考えを伝えてはいるのだが、劉備が納得しているかどうかの自信は無かった。劉備の人の良さは、呂布もよく知っている。
だが、ここで劉備を説得して時間を稼いでも何の解決にはならない。曹操が本格的に城攻めを開始した時には、妻達は曹操の手に渡ってしまう可能性が高い。その時になってから、劉備を説得出来るだろうか。
とにかく、今は城の守備に専念する必要がある。
いくら曹操軍の士気が高くないと言っても、こちらには負傷者も多い上に武器も不十分である。まともに戦えば勝ち目はないのだ。
呂布は急いで守備の為の編成を行う。まずは陳宮の指示に従い呂布の親衛隊が集められた。この者達は呂布の手足となって戦い続けてきた精鋭であるが、先の戦で多くの者を失っていた。
今回呂布に同行している呂布の家族の護衛を任されたのは張遼で、臧覇の義勇軍は城外での守備を担当する事になった。
「呂布将軍、どうか無事で」
そう言って呂布を見送る劉備の顔は、いつも以上に心配そうであった。
呂布の妻は、劉備にとっては呂布と同じくらい大切な存在だと言う。そんな女性を曹操などに預けるのは気が気ではないのだろう。しかし、それを口に出してしまっては妻の身を心配していると認める事になってしまうので言えない。その気持ちを抑えて呂布に話しかけて来たのだと思われる。
そう考えると、自分が留守の間に妻達を曹操に渡してしまった場合、どんな顔で謝られる事になるか想像しただけで呂布の背筋が凍る。下手したら劉備とは絶縁されかねない事態になりかねない。
そうならない為にも、ここはなんとしてでも守りきる必要がある。
とはいえ曹操軍の数は十倍近くあり、こちらはその数に対して圧倒的に少ない。その上負傷兵も多数抱えていて満足な戦闘が出来る状態ではなかった。
陳宮としてはこのまま持久戦に持ち込みたいところなのだが、城内の食料も無限にあるわけではない。しかも曹操軍の方から兵糧攻めを仕掛けてこられた場合には籠城側は干上がってしまい、敗北を喫する事にもなりかねない。
陳宮は焦りながらも対策を考える。
この城は守るに適した城ではあるが、攻め手である曹操軍の方が数が多い。呂布の武勇を持ってしても曹操軍を打ち破る事は出来ないかもしれない。
だが、呂布はそれでも勝つつもりだった。その為の準備をしている事を陳宮に伝えておく必要があった為、呂布は自分の部屋へ戻ろうとする。
その時だった。
城内が騒然とし始め、兵士の一人が現れた。
伝令の兵士らしく慌ただしく駆け込んできた男は息も絶えだえと言った様子で、それでも懸命に大声で報告してくる。
「大変です! 曹操軍が打って出て来ました!」
あまりにも急過ぎる出来事の報告を聞き、呂布や兵士達はもちろん、陳宮すら驚きを隠しきれない。
確かに今の状況であれば、城を囲んではいてもすぐに攻め込むとは限らない。しかし、曹操軍は十倍の敵を相手にしなければならないはずだし、攻城兵器も無い状態で城を攻めるなど正気とは思えない。
そもそも呂布の妻達が住んでいる徐州城の城門は堅牢そのものであり、曹操軍ではあの巨大な門を開ける事も困難だと言うのに、どうやって呂布達を攻め立てるつもりなのか。
陳宮には曹操の考えが読めなかった。
「……分かった。ありがとう。お前は休んでおけ。後は俺たちに任せろ。大丈夫、きっと上手くいくさ」
呂布は兵達と一緒にやって来た陳宮の耳元で言う。
確かに陳宮にとって呂布の言葉の通りであって欲しいのだが、呂布自身も曹操軍の作戦に疑問を感じている事は間違いなさそうだ。
呂布達が城外へ出ると、そこには十倍以上の兵に囲まれた曹操軍の姿があった。
しかし、どう見ても呂布達の方を向いている兵は一割に満たない程度しかいない。
曹操軍の先頭には曹操本人ではなく、曹操軍の鎧を身に着けた夏侯惇がいる。呂布の姿を捉えるなり、夏侯惇は大声を上げて叫んだ。
「我らの目的は貴様の首一つのみ! この城にいる全ての者に告げよ! 呂布奉先を討った者には曹操軍の全てを与えると!」
ただでさえ混乱している曹操軍に呂布を討てば褒美を出すなどという出まかせを言っても信じる者は多くないはずだ。
陳宮はそう思ったのだが、意外にも曹操軍の中に動揺が広がっている事が見て取れた。
よく見れば、呂布の首を狙っていると豪語していた魏続や宋憲などの武将達も動きを止めていた。
曹操軍にしてみれば、呂布を討ち取った時に得る物は呂布自身の首だけではなく、その家族も一緒に手に入れられると考えた方が自然である。そしてそれは曹操軍に限らず呂布の妻達を狙う賊も同じ事であり、それを餌にする事で呂布軍に寝返らせようとした。しかし、それはあくまでも曹操軍の武将が狙うべき獲物であって、兵達からすればただ呂布が討ち取られただけの事でしかない。呂布の家族を狙ったとしても、それが誰の手に渡るのかは分からないのだ。
そこへ来て、呂布を討つ事に恩賞が出ると言われたのだから、兵達の動きは止まってしまうのも当然である。それに元々、呂布軍と曹操軍の兵数の差を考えればまともに戦ったところで勝ち目はない。
呂布さえ仕留めてしまえば、他の者達を降伏させる手間を省ける。曹操軍の誰もがそんな事を考えていたのだろう。それに城の中には負傷兵が多数おり、まともに戦える状態にない事も知られているはずだった。曹操軍の兵数から考えれば、呂布を追い詰める事自体はさほど難しくはないはずなのだが、曹操軍の総大将である曹丕が出てこない以上、迂闊に攻めかかるのも難しい状況と言える。
だが、呂布にとってはこの絶好の機会を逃す手は無い。
「陳宮殿、俺が突っ込んで道を作る。その間に全軍の撤退準備を整えて欲しい」
呂布は言う。曹操軍は大軍であるがゆえに行軍速度が遅く、まだ布陣したばかりなので退却の準備を整える時間はあるだろうと言う事である。
また、いくら曹操軍の将帥と言えども十倍もの敵に囲まれて攻めかかられては身を守るだけで精一杯になり、呂布を追う余裕などないだろうと言う事も考えられる。
この好機を逃してはならない。そう考えての行動だったのだが、陳宮からは即座に反論された。
「呂布将軍はお分かりにならないのですか? この状況で曹操軍を突破してきた場合、こちらの被害がどれほどになるか」
そう言われてしまうと呂布は何も言い返せない。
しかし、それでは妻達を救出するのにどれだけの時間がかかるか分からない。
ここで曹操軍を打ち破って曹操軍を殲滅するか、あるいは突破出来るかどうかも分からない賭けに出るかのどちらかしかなく、しかもそのどちらも失敗した場合は最悪妻達を人質に取られる可能性もある。そうなると打つ手がなくなってしまうどころか、妻達を救出に行く事すら出来なくなるのだ。
「呂布将軍。曹操軍の陣形が崩れ始めています。ここは我々が……」
張遼が呂布を促す。
呂布軍としては今すぐにでも攻めかからなければならないのだが、それでもこのまま何もしないわけにはいかない。呂布は陳宮の方を見る。
陳宮は小さくため息をついてから言った。
「仕方ありませんね。曹操軍の包囲が緩んだ瞬間、一気に駆け抜けます。私の指示に従い、迅速に動く事が出来なければこの策は失敗すると考えてください。それと……この場を切り抜けた後はしばらく大人しくしていて下さい。曹操軍が呂布将軍の討伐に成功したと喧伝してくれないと、後々が面倒ですから。いいですね?」
陳宮は小声で呂布に囁く。
陳宮はこの城に来て以来、曹操軍の戦略を何度も練っていたらしい。
呂布としては、曹操軍がこのまま呂布の妻達を人質として使うとは思えなかったのだが、曹操軍もそれほど無能ではないはずだ。
今のうちに呂布の妻達に危害を加えようとせず、むしろ利用しようとする事は十分に考えられた。そうでなければわざわざ十倍の敵を呼び寄せる必要は無く、呂布達を城内に閉じこめておく事の方が簡単だったはずだ。
その為に陳宮が立てた作戦は至極単純なものだった。呂布に単騎で敵陣に切り込み道を作ってもらい、その道を利用して撤退する。その際は陳宮が指示を出すので、呂布は陳宮の命令に従って動けという事だ。
単純ではあるが、成功させる事が極めて困難なのも事実である。
曹操軍の包囲網には穴が無い。どこを攻めても十倍の兵を相手にする事になるが、呂布はその全てを相手にする事になる。いかに武勇に優れた武将であろうと、多勢を相手にして勝つ事は極めて困難である。まして呂布の場合、十倍以上の相手であっても勝ってしまう実績はあるが、十対一の状況で戦い続けるのは体力的な問題だけでなく精神的な消耗をも激しくさせ、最終的には致命的なミスを犯しかねない。
曹操軍としても呂布は是非とも捕らえたい人物であり、だからこそ罠を張っているはずであり、呂布もそれは分かっていた。
しかし、だからと言って陳宮の案を否定する事も出来ない。呂布が妻の安全を最優先にしているのと同じように、陳宮も呂布の命を何よりも大切に考えている。
陳宮の案が最も成功率が高いと判断した以上、そこに反対する事は出来なかった。
そうしている間にも曹操軍の陣形は崩れているのだが、曹操は未だに出て来ていない。夏侯惇だけが声を上げているが、あれだけ騒いでいれば当然と言えば当然なのだが、曹操は夏侯惇に任せきりになっているのだろうか。
呂布がそう考えた時、ようやく曹操自身が姿を現わした。
その隣にいる人物を見て、呂布だけではなく呂布軍の武将達まで驚いた表情を見せた。
曹操の隣にいる人物は、袁紹であった。
曹操軍にとって最大の敵であり、天敵にして宿敵とも言える袁紹が自ら姿を現した事に、誰もが驚愕した。呂布軍にも少なからず動揺はあったが、陳宮はすぐに気を取り直した。
この千載一遇の好機を逃す手は無いのだ。
呂布が突撃をかける事によって、呂布の妻子を人質に取る機会を与える事もないし、曹操軍の士気が崩壊する恐れも無い。そしてこの混乱を収拾される時間を与えない事も重要になる。
呂布と陳宮がそれぞれ兵を率いて馬に乗り、呂布と張遼も愛馬を駆って出撃していく。呂布の側には高順や張遼、李粛などが付き従い、陳宮の指揮する騎兵達はそのまま曹操軍に襲い掛かった。
しかし曹操軍は歴戦の強者揃いである。特に魏続と宋憲は共に五虎大将の名を与えられた事もある名将でもあるのだから油断できるはずもないのだが、さすがの二人も呂布軍の攻勢を跳ね返す事は出来ずに突破を許してしまった。
曹操の思惑通りではあるのだが、ここで想定外の事が起きた。
張遼である。
張遼が指揮をするはずの騎兵隊の動きが鈍かった。曹操軍が呂布の家族に対して何らかの脅しをかけた可能性もあり、そのせいか恐怖感が染み付いてしまったようで身動きが取れなくなってしまった。張遼もその事を気にかけていたのだが、今はそれどころではなく呂布の為に道を切り開く事が優先だと考えていたらしくて判断が遅れてしまっていた。
しかし、そんな事は言い訳にならない。もし呂布の妻達が曹操軍の人質になってしまった場合、張遼の行動が遅れたと言う結果に変わりはないのである。
「……どうすれば良い」
自問しても答えが出るものでもなく、かといってじっとしているわけにはいかないが何もできない。そのもどかしさが、より焦りを生じさせて冷静な思考力を奪っていく。
そこへ伝令兵がやってきた。
「曹操軍から呂布将軍へ、撤退の許可が出たとの事です」
その一言で張遼の顔から血の気が引いた。
このまま妻達の元へ向かったとしても、人質を取られたままではどうしようもなくなってしまうからだ。下手をすると妻達に危害が加えられる可能性もあるし、人質にされているのであれば連れ出す事など不可能である。
それでも呂布なら助けに行ってくれるのではないか? という希望的観測も出来たのだが、それすらも打ち砕かれた形になってしまう。呂布がいくら勇猛果敢で剛毅な性格をしているとは言え、曹操から呂布への伝言を持ってきた人物が、曹操本人の使者とは思えないがそれでも袁紹の側近ではある。
その使者の言葉を無視する事は難しい。
つまり、曹操が妻達に危害を加える可能性も否定できず、むしろそちらの可能性の方が高いと言える。
それに気づいた時、張遼は自分の無能さに絶望して泣き出しそうになった。呂布の期待に応えられず、ただいたずらに自分の心を追い詰めていただけだった。
「……行くぞ、みんな。この命に代えても曹操軍を突破する!」
しかし、そこで諦めなかったのが呂布奉先という男だった。
この程度の苦境で呂布の心が折れる事は無く、たとえ妻達に危険が迫っていようと、この場を凌ぎさえすれば妻と娘を助ける事が出来る。
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