三国志英雄伝~呂布奉先伝説

みなと劉

文字の大きさ
上 下
18 / 100

18話

しおりを挟む
袁紹と曹操の不仲は有名で、曹操の実力と名声は誰もが認めるところなのだが、袁紹の威光は衰えるどころか増すばかりである。曹操は実力があるだけに、袁紹の配下であるはずの者たちからも疎まれており、今回のように裏で手を回される事も少なくなかった。
しかし、そんな曹操であっても実力だけではどうしようもない事がある。それは人脈の無さだ。
いくら実力があっても、呂布のような人物が現れても、それを活用できなければ何の意味も無い。呂布が戦場で実力を示したのは、呂布自身が武勇に優れるのも理由の一つであるが、一番の理由は呂布の傍にいた曹操軍師の存在が大きい。つまり曹操の実力とは、呂布に匹敵する実力者で軍師である存在がいたればこそだと言える。曹操も若い頃には戦場で活躍したが、その頃は実力よりも運の良さに助けられていた。しかし呂布という武人と出会い、その実力と頭脳を認めて重用した結果、今の曹操が居るのだ。
だからこそ、曹操としてはこの場を生き延びて、次の策を打ち出さなければならない。そのために呂布を討つ事は必要最低限であり、本命は次の策にあった。
曹操は自らの死を装い、そして袁術の元へ使者として赴いた張遼が曹操の首を差し出す事で呂布軍の士気を下げ、さらには劉備と呂布の間に隙を作り、そこを突いて攻め込むと言うものである。
呂布は先陣として戦い、総大将としての務めを果たそうとしていたが、陳宮に言われるまでもなく自分の役割を理解している。ここで討ち取られる事が許されないと言う事も十分理解しているのだから、ここは陳宮に任せておけば良いのだ。
陳宮としてもこの程度の事は分かっていたし、むしろ陳宮にしか分からない事もある。
呂布軍の士気は高い。
そして曹操軍はすでに壊滅寸前である。
この状況を見れば、袁紹軍の援軍があったとしても呂布軍の勝ちは動かない。
ならばこの勝利を決定付ける為の一手を打つべきであろう。
その為に必要な一手が、曹操を袁紹の元に逃がさない事。
袁紹に曹操討伐を申し出る事こそが、陳宮の目的だった。呂布軍と袁紹軍との戦いが終わりを迎える頃、曹操軍の本隊はまだ戦闘状態にあったが、そこに一つの報がもたらされる。
袁術からの使者と名乗る男によって曹操の身柄確保に成功したとの報せだった。
曹操軍の武将たちの中には、これでようやく終わった、と思う者も多かったのだが袁紹はその知らせを聞いて表情を変える事は無かった。
袁紹にしてみれば曹操など敵ではないと考えているからだ。そもそも袁紹にとって、曹操と敵対する事と呂布軍と敵対する事、どちらを選ぶかと問われれば迷う事無く曹操ではなく呂布を取る事を選んだだろう。
曹操は袁紹にとって脅威となる相手ではあるが、同時に協力しなければならない同盟者であり、さらに言えば利用出来る間は利用した方が良い存在である。
だが、呂布はそう言うわけにもいかない。呂布が天下統一を成しえた時、もっとも厄介な障害になるのは間違いなく呂布であり、それを排除するのに力を貸せるのであれば惜しみなく提供するべきだ。
だが、その肝心の呂布は行方知れずになっている。
そこで曹操を捕縛して呂布に人質とするなり、呂布に対して取引を持ちかける事になる。
もちろんそうやって手に入れた呂布を曹操と争わせる為には曹操と呂布の利害が一致していなければならない。だが、袁紹軍は呂布の所在を知らない。
ならば、袁紹が曹操を利用するように、曹操もまた袁紹を利用して呂布に対抗する。呂布に対する人質として利用するつもりであった。
「……それで? 首尾良く行ったと言うのか?」
袁紹から問い質されて、使者の男は頭を下げる。
「はい。曹操は呂布将軍に降伏しました」
その言葉を聞いた袁紹の顔色は変わらなかったものの、眉間にシワを寄せたのは事実だった。
袁紹もさすがに大軍を率いていながら、しかも袁紹軍が負け戦になりつつある時に自ら出陣する事はなかった。呂布軍と戦う前に兵を引き上げてしまった事もあり、曹操が敗れたという情報は聞いていないが、おそらくは袁紹も知っているように既に敗北しているはずである。その上で、袁紹の許へと戻ってきたと言う事は呂布が降伏したからに他ならない。
その事は予想出来た事ではある。
だが、曹操ほどの武将が自らの敗北を認めた上に投降するなどとは思ってもいなかった。
袁紹の知る曹操はそんな人物ではなかったはずだ。
曹操は生粋の戦略家である。
常に相手の弱点を見抜き、その弱みに付け入る事で勝利を収めてきた人物である。呂布の武力や勇猛さを警戒するのならまだ分かるが、曹操がそれを恐れるとも思えない。
その呂布の恐ろしさを誰よりも知っていたのは曹操であるはずなのに、なぜそのような選択をしたと言うのだろうか。
呂布の事を侮っている、としか考えられない。
曹操は自らの才覚に自惚れているのではないか。そんな風にすら感じてしまう。
ただ、それでも袁紹は曹操に価値を感じており、それは決して過大評価をしているわけではない。
曹操は曹操で、やはり呂布の事を脅威と感じていたのかもしれない。
曹操の強みである人望と実力を活かすには、今呂布の勢力が肥大化し過ぎているのは危険である。
今の呂布は、董卓とほぼ互角の兵力を有している。それも圧倒的な差では無く、拮抗していると言っても良いくらいだ。
呂布が曹操の脅威となっている要因の一つは、まさにこれである。
董卓の勢力を削る為に行った事が呂布自身の勢力を拡大する結果となってしまい、呂布を排除出来ない以上曹操の地盤はより強固なものとなっていく。曹操としてもこれ以上の勢力拡大をさせたくない為、呂布を討ち取ろうとしていたのだ。
呂布が袁紹の配下になれば、曹操は呂布を恐れる必要は無いどころか、逆に呂布を取り込みやすくなった事を意味する。
呂布を殺さず、かつ袁紹軍の配下にすると言う事は、曹操の手腕を持ってすれば可能だ。そして曹操はその機会を逃さなかった、という事だろう。
だが、呂布軍の総大将として陳宮が居ない。そしてこの戦で呂布自身も行方知れずになってしまっている為、陳宮に代わる人物を立てなければならない。
ここで陳宮が立てた作戦とは、総大将を失ったまま勢いに乗る呂布軍を打倒するのではなく、総大将を失っている所を突いて呂布軍を叩き潰すと言うものだったのだ。その為にわざわざ曹操を使ってまで時間を作ったり、袁紹に使者を送ったりと様々な策謀を行っていたらしい。全て陳宮の策略であり、それを見事に成功させたと言うのだから、陳宮と言う人物がどれほど優秀な軍師であると言う事が理解できる。
袁紹軍としてはもちろんこのまま曹操軍と共に袁紹の本陣を攻め、袁紹に首を献上して降伏するという選択肢もあったのだが、この期に及んで呂布軍の強攻策を受け、それに呼応する形で袁紹が動いた事によって曹操軍の士気は最高潮に達していた。呂布軍はこの時の為に準備してきたような大軍を相手に、寡兵をもって挑まなければならない事になる。
だが、それこそが狙いでもあった。
いかに優れた将帥が率いていようと、それを支える兵は精々二万前後に過ぎない。対して袁紹軍は十倍以上の兵を集めており、さらに曹操は袁術との約束を果たすべく兵を割いている為に本隊の兵力はそれほど多くないとはいえ六万人以上にも達している。呂布軍は数の差に押され、ついに袁紹軍に飲み込まれていく事になった。
だが、それは想定通り。
問題はここからである。
もし曹操が、呂布と同盟を組むのではなく、最初からその力を利用するだけ利用しようと企んでいたとしたら、この後どのような手を打ってくるか予測する事は難しい。
陳宮であればその可能性にも気付いているだろうが、彼女は既に呂布軍を見限って行動している可能性が高い。
そうなれば、この戦の後の事は袁術に任せて呂布は袁紹の元へと戻り、呂布軍は再び再編されるだろう。
曹操の恐るべきところは、ここまで先読みして手を打っていたにもかかわらず、それがことごとく失敗しても決して慌てる様子を見せないところにある。
まるで失敗した事が前提であるかの如く、次の手を冷静に考えているかのようだ。
呂布はそこまで考えてため息をつく。
結局、袁紹は信用出来なかったと言うことだ。曹操を信じる事が出来るなら、そもそもこんな事にはなっていない。
だが、こうなってしまったものは仕方が無い。
袁紹と敵対するのであれば、今すぐにでも攻め寄せた方が良いのではないかと思った事もあった。実際、そうしようとした時もあったが、袁紹に止められていた。袁紹としては曹操に対して面子を保とうとするだけでなく、呂布に対して恩を売っておきたいという考えがあるらしく、まずは曹操を討ってから袁紹を降伏させる形で話をつけたいと言う。
袁紹の考えも分からなくはないものの、そんな悠長な事を言っている余裕など無いのではないかと呂布は思う。
そう思っている時にも曹操は着々と準備を進め、今まさに袁紹軍を飲み込もうとしている。
「将軍、どうなさるおつもりですか?」
側近である曹性は不安そうに呂布に尋ねる。
「うむ……そうだな」
確かに袁紹軍が曹操軍に飲み込まれる前に対処する事は出来るかもしれないが、その場合も曹操は袁紹軍に対して容赦はしないと思われる。曹操にとって袁紹軍と袁紹は敵なのだから、味方ではない以上徹底的に叩き潰してくるはずだ。その時にはおそらく、袁紹軍の武将だけではなく兵士達に至るまで曹操の手にかけられる事になりかねない。
いくら相手が憎くても、さすがにそれだけは許容できないので、ここは一旦退いて対策を練るべきだ。
曹操が呂布を利用して自身の勢力を伸ばそうとしていたのなら、呂布さえ袁紹の軍門に下ればそれで済む話ではある。
だが、陳宮のいない現状では袁紹は呂布を疑っている為、おそらくそれを受け入れる事は無い。
となると、陳宮の策を成功させるか、曹操自身が降ってくるしか無くなる。
陳宮の策自体はすでに動き出しているので問題ないが、それを成功させた上で曹操自身に降伏してもらう必要がある。だが、あの慎重かつ用意周到で用心深い曹操の事だ。それすらも上手くいくかどうかわからない。
何よりも、陳宮の考えた策には大きな欠点があった。
陳宮は今現在どこに向かっているのか。
それすら分からない事だ。
陳宮は曹操と直接対面した事もあり、袁紹よりも曹操に対する評価は高いと言える。
そんな陳宮が袁紹軍より曹操の方に与するというのは、何かしらの理由があってのはずである。それすら判然としていないので、呂布はどうしても焦ってしまう。
「曹操を……討ちます」
呂布は言った。
本来なら袁紹や曹操の事も考えなければならないのだが、曹操に関してはこれ以上好き勝手にさせておく訳にはいかない。
呂布は曹操を討つ事でこの乱を終わらせようと考えた。
が、それはあくまでも個人的な感情であり、袁紹はそれに反対した。
曹操を許せば、またいつ他の諸侯を攻め滅ぼそうとするかも知れず、曹操を野放しにしていればやがて必ず天下に大波乱を起こす事になると呂布を説得してきた。もちろん呂布とて袁紹が言うような懸念を持っていない訳ではない。だが、ここで曹操を放置していれば取り返しのつかない事になると言う事は、董卓との戦いで身に染みている。それでも袁紹の言葉に素直に従う事が出来ないのは、呂布個人の感情によるものなのでどうしようもない。
しかし、ここで曹操軍を見逃してしまえば、それは袁紹と曹操の関係を悪化させるだけに留まらず、袁術まで敵に回す結果を招く恐れもある。
それは袁紹としても避けたいところであろうし、もしここで曹操に譲歩して曹操に袁術討伐までさせた場合、今度は袁術と敵対している曹操軍に対し袁紹は援軍を送って袁術軍を撃破せざるを得なくなる。そうなると袁紹軍としては、せっかく勝ち取った土地を失ってしまう事にもなりかねないのだ。
そうなっては、曹操と袁紹の協力関係どころか反目を招いて袁紹は窮地に立たされてしまう恐れがある。
曹操に恩を売ると言うのは、つまりはそういう危険も背負い込むという事でもあるわけだが、今の袁紹にはそこまで見通す力が無いのだろう。呂布にとってはそれが残念でもあり、心配でもあった。
とは言え、今は曹操との決戦に備えて少しでも兵を増やす必要があり、そのためにも袁紹が納得せざるを得ない状況を作るしかない。
そう思った呂布が曹操軍に仕掛けようとした矢先、曹操から使者が来た。その報せを聞いた呂布と袁紹は揃って目を丸くしてしまう。
なんと、曹操は呂布を自分の娘婿に欲しいと言う申し出だった。袁紹が驚くのも無理はない。袁紹は呂布との繋がりを強化するため、呂布の娘と結婚したほどなのだ。
だが、これはあまりにも意外な申し入れであった。
いかに袁紹と言えど、曹操が本気で呂布を取り込もうとしているとは思えないはずなのだが、一体どういうつもりなのか? その答えはすぐに分かった。
呂布軍は数こそ少ないものの、呂布を始め高順や成廉と言った豪傑揃いの武将に加え、魏続・侯成といった若き猛将達と、精鋭と呼んでも差し支えない。さらに陳宮が考案した軍師としての戦術手腕もあり、一戦交える事なく退く事はあり得ないほどの精強さを誇っている。
一方の曹操軍は、夏侯惇をはじめ夏侯淵、楽進、于禁、李典など優れた武将を多く抱えているが兵力はそれほどでもない。呂布軍と比べると戦力の差は大きく開くが、それでも呂布の軍が少数ながら大軍を相手に立ち回る事が出来るのを知っている曹操は、それを計算に入れているはずだ。
そこで曹操からの提案なのだが、今回の一件はお互い無かった事にして水に流さないか、と言う提案である。
曹操も袁紹とは敵対する意志はない為、袁紹軍とも争うつもりは無く呂布軍に矛を収めてもらう事を望んでいる。
一方呂布としては、曹操の甘言に乗って袁紹軍から手を引くつもりは無い。
このまま戦いを続けても、勝てる見込みがあるからではない。ただ単に、ここで曹操軍と戦い袁紹軍と敵対し続ける方が厄介である為、そう言っているだけである。
それに、曹操軍が袁紹軍を飲み込もうとしている事も変わらない事実であり、呂布軍と戦うつもりが無いと言っても曹操軍には戦う理由が残っている。曹操軍には曹操の狙い通り呂布軍の排除をしてもらうとして、呂布軍もここで引き下がるつもりはない。
呂布は曹操の言い分を受け入れず、そのまま曹操を討ち取ろうとする姿勢を見せる。それを受けて、曹操はまた袁紹に呂布を引き留めるよう頼んだらしい。
当然袁紹は拒否した。
ここで曹操が折れたなら、それを理由に曹操を許せるかもしれないが、ここで曹操を討とうとするのであれば、曹操は許しても他の者が黙っていない。曹操の配下達は袁紹が降伏しない事を悟り、曹操もまた袁紹に降る事は無いだろうと判断する。
呂布はここで、ようやく陳宮の真意を理解したのである。
曹操を降ろすのではなく、曹操を討つ。
陳宮は最初から、これを目指していたのだと。
陳宮は今現在どこに向かっているのか分からないが、もしかするとすでに曹操と相対していたのかもしれない。おそらく曹操軍と戦っていた頃、すでに陳宮は曹操軍に対し警戒を促していたのだろう。その上で陳宮は、曹操軍を倒す事で呂布を降ろそうと企んでいたのではなかろうか。
そして、陳宮は曹操の誘いに乗る事は無かった。
曹操は袁紹軍と合流する為に西に向かう。その時曹操は、自分が率いる軍とは別に袁紹軍を援護するように軍を分けておいたらしく、その軍に合流するために曹操は軍を反転させる事になった。曹操軍はこの時、総勢二十万の大軍を率いていたそうだ。
対して、袁紹軍は袁紹、袁術の連合で二百万、さらに公孫賛の兵六十万人を加え合計二百六十万。曹操の予想よりも多くの兵を集結させていたと言う事になる。袁紹と曹操、二人の英傑がぶつかり合う戦場を後にした呂布は、張遼や成廉らと共に曹操を追撃して行く。
曹操は徐州に向けて南下しており、呂布は袁術と合流せずに曹操を迎撃するつもりで南進し、曹操との距離を一足飛びに縮めていくと、やがて曹操が呂布に対して布陣したのが見えた。
曹操が陣を敷いたのは、呂布が先に到着していたにも関わらず、である。それはまるで、呂布軍を待ち構えるかのように。
罠である可能性を考えなかった訳ではないが、この期に及んで罠に嵌められるはずがないという思い込みもあった。
呂布と曹操。両軍はここで対峙する事となる。
呂布と曹操の決戦は、実に五日間にも及ぶ激戦だった。それは呂布奉先が戦った中で最も長く、激しい戦となった。
曹操の策によって、呂布は窮地に立たされてしまう。それでも曹操の攻勢は激しく、ついに呂布軍は曹操軍を押し返して敗走させる事に成功したのだが、それも束の間、曹操は軍を立て直して反撃してくる。その後の戦いも激しかったが、やはり押し切ったのは呂布軍であった。
だが、ここから先は今までの戦いでは無かった事態を迎える事となった。それは敵ではなく味方による妨害だった。その報を受けた時には既に遅かったようで、呂布が気付いた時はすでに遅く、その頃には徐州軍が曹操側に寝返っているという事になっていたのだ。呂布にはその意図が全く分からなかったが、曹操軍は周到に準備を進めていて、それが成功したと言う事は間違い無いようだ。
その証拠に、曹操は呂布に撤退を命じた。だが、呂布がそれに従うはずもない。
曹操に背を向けるなどあり得ない事である。
曹操としても、このまま戦い続けても勝算はないと言う事は理解出来ているはずなのだが、退く気配を見せない。
呂布は曹操に付き合って戦う覚悟を決めたが、呂布と曹操の決着がつかないまま曹操軍は引き上げていった。これは明らかに曹操の失策であったが、それを責めるわけにもいかない。曹操も、ここまで追い詰めた呂布軍を逃す手はないと判断したのだろう。
結果として曹操と互角に渡り合ったとは言え、勝敗を決めるまでには至らず、また徐州軍の裏切りにより形勢を逆転された呂布軍は大きな被害を出し、さらに曹操軍を追い掛ける事が出来ない。
呂布としてはこれ以上の被害を出す事は避けたかったので、これは仕方のない結果でもある。もしここで全軍を挙げて曹操軍を追った場合、呂布軍はさらなる被害を出していたかもしれない。
そこで呂布は一度軍を引き、呂布軍だけで曹操軍と戦う事にした。これは呂布が決断するのではなく、陳宮の命令である。ここでの最大の誤算は、陳宮の指示を仰ぐ事が出来なくなった事だ。これまでなら、陳宮からの助言を受けられなくても何とかなったのかもしれないが、今回は曹操軍を相手に戦わなければならない。陳宮が不在である以上、曹操軍と戦えるだけの将帥が揃わないかもしれない。陳宮に何かがあったのではなく、呂布自身が陳宮から遠ざけられたと言う可能性もあるが、今はそんな事を考えている暇も無い。
陳宮はおそらく、呂布軍に曹操軍と戦って勝つ事を求めているのではなく、呂布軍が壊滅しない事を望んでいる。その目的の為であれば、陳宮はあらゆる手段を用いる事が出来ると言う事も分かっていた。
曹操軍との交戦に備えて、呂布軍が準備をしている最中に急使がやって来る。
その内容に、諸将も動揺を隠しきれないようだったが、特に顕著に反応を見せたのは高順だった。
「馬鹿な! 何を考えてるんだ!」
そう言って激昂する。
曹操軍の狙いは呂布軍の撃破であり、わざわざ曹操軍の正面に立つような危険を冒す必要はない。しかも、ここで呂布軍が破れれば徐州も危うくなる為、曹操軍に付く事も考えられる。
曹操軍もそう思っているのなら、あえて徐州軍を敵に回す必要は無く、徐州を攻め落とせばいいだけである。それに、仮に曹操軍の思惑通りに徐州を呂布軍で落としたとして、その後に徐州軍を呂布軍のみで支えきれるとは思えない。徐州軍と呂布軍だけになったところで、呂布軍を放置すればそのまま曹操軍に攻め込まれる事になる。
そうなったら呂布軍はもちろんの事、曹操軍でさえ耐えられる保証は無い。曹操はともかく、袁紹は袁術の援軍が来る前に曹操を討とうとするのではないか。その為には、まず袁紹をどうにかする必要がある。
だが、今の呂布軍は曹操軍を迎え撃つどころではない。
そこへ陳宮が戻ってきたのは夜も更けた頃で、その表情は険しくなっていた。
何より、呂布の想像していた通りの結果になってしまったのだろう。
「呂布将軍、どうやら曹操は本気の様です」
張遼が重々しく言う。
それは今朝方届いた伝令によって伝えられたもので、その内容はあまりにも予想外なものだったので呂布も一瞬言葉を失ったほどだ。
それは徐州城が陥落したというものだった。
城内では火災が起き、火は徐州城を包み込んでしまい、すでに生存者はいないらしい。そして徐州城は陥落し、城主であった劉岱が討ち取られたとあった。その知らせに呂布だけでなく他の者も驚愕したが、中でも最も取り乱したのは張遼だったと言えるくらいである。普段感情を見せる事の無い張遼であるが、さすがにこの時は顔色を変えていたのだ。それは無理もない事である。張遼にとって、養父である曹豹を殺した男と言ってもいい相手であるし、呂布や臧覇にとっても仇のような存在なのだ。張遼に限らず、この報告を聞いた者は皆怒りに打ち震えていた。
しかし、この知らせはただ徐州が曹操軍の手に落ちたと伝えるものではなく、呂布に対する最後通告でもあった。すなわち、これ以上抵抗を続けるつもりなら徐州兵を使って曹操軍はこの城を攻め落とすと言う事を伝えてきたのだ。
この一報は瞬く間に広がっていき、呂布軍の武将達の胸中は穏やかではなかった。
もちろん、この報せを受けて黙っていられるはずもない。
だが、それでもなお曹操軍は強大である。まともに戦えば勝ち目はない。呂布としては撤退すべきなのだが、それは陳宮が許さないであろう事は、呂布自身も理解している。それでも、陳宮がいなければ呂布には何も決める事が出来ないのだ。
だが、陳宮の不在は長くは続かなかった。
呂布の元にやって来たのは、劉備玄徳その人である。
劉備は呂布の前に座ると、徐州の状況を語ってくれたが、それは呂布達が思っていたよりも遥かに悪い状況だった。
陳宮の指示による内応は、一応成功したと言えなくもないが、それでも完全に成功させることは出来なかった。陳宮の策略である事がばれてしまい、逆に利用されたという事なのだ。その結果、内通していた武将達は軒並み討たれてしまったという。
しかもその混乱の中で、今度は関羽までもが行方不明となっているという。これに関しては呂布も初耳だったが、それについて詳しく聞き出そうとすると、劉備の方も首を傾げて不思議そうにしていたが、呂布としてはそれ以上の追求が出来るわけもなく話を戻した。呂布軍の中でも最強と謳われる三将の内二人が欠けた状態で、しかも兵力に劣っているとなれば、呂布軍に曹操軍と戦って勝つ手段が無いと言う事は呂布にも分かっている。
曹操の思惑としては、呂布と雌雄を決するのは呂布軍の力のみ。曹操軍だけでは呂布軍を打ち破る事は出来ないと考えているからこそ、呂布に対して降伏しろと言っているのだ。つまり曹操軍との戦いを避ければ良いと言う事でもあるのだが、そうする事は難しいだろう事も呂布には分かっていた。曹操軍の狙いは徐州であり、徐州を手に入れる事で天下を狙う事が出来るようになると言う事を呂布はよく知っている。そう考えれば曹操が徐州攻略を諦めない限り、必ず呂布とは戦う事になる。それも徐州を守る為に、だ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

今日の授業は保健体育

にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり) 僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。 その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。 ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

性転のへきれき

廣瀬純一
ファンタジー
高校生の男女の入れ替わり

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

処理中です...