三国志英雄伝~呂布奉先伝説

みなと劉

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13話

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しかし結果は高遠の目論見は外れ、李儒に対して何の成果も得られなかった。
それは高遠にとって落胆でしかなく、それどころか自分一人の為に呂布軍の貴重な戦力が失われた事が許せなかった。
だが、結果としては高遠は生き残っただけでなく、呂布という偉大な英雄の子を残す事になった。もし呂布の子であると言う誇りを胸に抱く事が出来たなら、高遠も高遠なりに自らの道を進む事が出来るのではないかと言うのも、高遠にこの任務を命じた理由の一つである。
高遠と言う新たな希望を得た呂布は、さらに天下統一に向けて前進する事となった。
呂布の妻は、呂布の正妻である厳氏ではなく、側室の董氏が第一子を産む事になり、呂布の長男である大朗が後を継ぐ事となった。
これには呂布や重臣達が揃って反対の姿勢を示したものの、当の高遠本人がその提案を受け入れた事と、また厳氏の容態が思わしくなく後継者を決めない訳にはいかない事情があった。
これにより、呂布の子は長男大朗の他、次男三四男と五男の計六人。そして次女の呂媛、四女の末娘の小沛のみが残る事になる。
長男の大朗は武人としても優れていたが、どちらかと言えば文官肌の人物であり、武人としての素質は父譲りの武勇を持っていても、それを実戦の中で活かす術を知らなかった。
一方の次男、三男は武人としての資質に恵まれていたが、長兄の大朗と比べられる事にコンプレックスを持ち、兄弟仲も良くは無かったらしい。特に次男の丁原の方にはその傾向が強く、兄が父親から寵愛を受けている事に嫉妬していたとも言われている。
末弟の高遠に至ってはその真逆の性格をしていて、兄弟の中で唯一と言って良いほどの凡才だった。しかし兄達を見返すために必死になって勉強に励み、学問や知識を身に付けていくうちに、いつの間にか兄弟の中では最も優秀になってしまっていたと言う逸話がある。
兄弟達の不仲は根深いものがあり、董卓政権時代でもそうだったが、呂布の即位後はさらに悪化の一途を辿る事になった。
これは呂布軍の武将達にとっても大きな問題となり、張遼の死後も諸将は頭を抱える事になった。
呂布は張遼の死を乗り越え、高遠を得て再び歩み始めたのだが、呂布と張遼の不在の間に起こった問題も多く、それらに対応しなくてはならないのは呂布本人であり、呂布がそれらの問題に答えを出す前に呂布は病に倒れてしまう。
病床に伏した呂布に見舞いに来た張遼の弟、高遠は兄の遺言を伝える。
呂布と高遠の子供達は、それぞれが父に似た性格をしているが、高遠自身は違う。高遠は自分がこの先どう生きれば良いのか悩んでいる事、いずれ高遠にも後継争いが起きる事、それによって兄弟の絆が失われる事を懸念している事など、高遠は自分の思いを正直に語る。
本来であれば自分の言葉は高遠の兄であり、今は亡き張遼の言葉によって封じられていたはずだったが、その張遼自身がいない今、高遠の本音を聞いてもらえる相手は高遠自身しかいない。
「僕は父上のような将軍になりたい。だから兄上には負けないように頑張って来たけど、兄上と違って武芸の素養は乏しいし、兄上より頭が良くない。だから兄上が亡くなった時、これから先の事を考えてみると不安になるんだよ」
高遠の話を聞きながら、呂布は目を閉じた。
高遠の言う事はもっともだと思った。高遠と張遼では、天と地ほどの才能の差があり、おそらく高遠は今後、高遠より優れた武将に出会う事もないだろう。
それでも高遠の悩みを打ち明ける相手は、実の兄弟である張遼だけしかいなかったはずだ。その張遼はこの世を去ってしまったのだから、呂布が高遠の立場にあったら同じように相談する事はあっても、自分の考えや気持ちを語る事は出来なかっただろう。
高遠の言う通り、後継者問題は避けて通れない道でもある。
呂布の実子はまだ幼いため当面の間は問題は無いかもしれないが、呂布が死んだ後に問題が残されても困るのは事実であり、その解決の為に呂布も頭を捻っているのだが、これといった名案は浮かんでこなかった。
張遼が死んだ事により、呂布軍は深刻な打撃を受けた。
まず、張遼と共に戦った多くの者達は張遼の死を悼みながらも、張遼の遺志を無駄にしない為にもその意思を継ぎ、さらなる戦いを続けようと奮起している。
陳宮と郭嘉が先頭に立って張遼の穴埋めをしようとしたが、二人だけで出来る範囲の問題ではなかった。そこで張遼の妹である董氏と厳氏も協力して張遼の葬儀を行った上で張遼の後継者を定めようとしたが、これもうまくいかなかった。
張遼と同世代の若い世代を中心に候補を何人か選んで話し合いをしたものの、誰もが張遼の代わりになれるとは言い難く、中には実力的に劣る者もいた。張遼に鍛えられた兵達がそれに反発した事もあり、意見はまとまらず呂布自身も手を焼いていた。
そこに現れたのが曹操である。
曹操は呂布と袁紹との決戦の際に手を組み、その後の袁紹の専横から呂布の元へやって来た。
その曹操から呂布は張遼の後継者選びに協力して欲しいと言われたのである。
その話を聞いた時には、さすがに曹操の狙いが分からない呂布ではない。
呂布もそれは承知の上で、あえて曹操の手に乗ったのである。
そもそも、曹操は董卓討伐の英雄として世に知られる事になる。董卓を討つ事に賛同していたものの、その董卓にすら勝てなかったのが呂布である。呂布の武勇に疑いは無くとも、その実績があまりにも薄かった。
その為、呂布は袁術の元に送られる事になり、その後の李儒の策謀により、呂布の妻が人質となる。だが、その妻である厳氏には子が無く、また呂布は武人として優れていても政や軍事の手腕には欠けていた。
その欠点を補う人材として曹操は求められた。呂布としてもそれは理解出来たし、それに協力する事に不満はなかった。
呂布は呂布なりに、天下統一の為の布石を打ったつもりであった。
また、呂布は曹操と言う人物を高く評価していて、彼の人を見る目と人の機微に対する洞察力には定評がある事を知っていた。
そしてその曹操の目は、確かに見抜いていたのだった。
曹操は呂布に対し、『高遠』の名を出さなかった。
代わりに、長男の大朗ではなく次男の高遠を後継者とする為、また次男の丁原と三男の高信の対立を解消するように提案した。
長男の大朗も決して凡庸な将軍ではないが、やはり父親譲りの武勇を持つ三男の高信と比べると器量において劣り、呂布の跡を継ぐと言う重圧に耐えられないであろう事。次男の高遠の方が呂布の血を引きながらも文官肌の人物で、三男丁原よりも優れていると言う事などを並べて高遠が呂布の後継にふさわしい理由を挙げたのだ。
さらに高遠を後継者とした時に丁原や三男高信と対立が起こらないようにする方法として、兄弟全員が呂布の養子になると言う案を出した。
養子と言っても、そのままの意味ではない。呂布の長男は大朗であり、次男も高遠なので、他の三人も兄弟という扱いではあるが、あくまでも養子として扱う事で兄弟同士の争いを避ける事が出来るし、高遠はいずれ呂布の名を捨て、曹操の姓である『曹』を名乗る事になる。
そうする事で、兄弟の不仲は呂布家の内紛の原因となりかねないと説き、それを呂布にも納得させる。
これはあくまで、呂布が了承した提案に過ぎず、呂布が高遠に継承させる事を拒否した場合は、高遠と呂布の子である長男、高済の間での争いは避けられないとまで曹操は言っていた。
もし高遠が高遠自身の判断で後継者の座を降りたいと言えばそれまでだし、そうなった場合の対策なども全て用意していた。
それが、呂布軍の諸将達にとっても最善の方法である事は間違い無かった。
陳宮亡き今、軍師と呼べる者は郭嘉しかいないのだが、郭嘉では武将としての資質に欠ける。特に、あの天才的と言える戦術眼は呂布軍の指揮系統から外れてしまうのは惜しいところでもあった。
そこで呂布は、自分の子供達を養い子にする案を呑んだ。
元々、陳宮は呂布に対して自分の娘を差し出すくらいはして当然と考えていたらしいのだが、さすがにそこまで無茶苦茶を言う気は無い。陳宮は武将としての能力が高く、陳宮がいなければここまで来る事も出来なかった事は確かだ。
そんな陳宮であっても、自分の娘の事はお荷物にしかならないと考えている節があったらしく、呂布もその事は気が付いていた。
それでも陳宮の娘だからと、特別待遇にした覚えは無かった。
実際、呂布の側室や妾の中で、正式に子供を産んだ事があるのは呂布が戦場から戻った際に出迎えてくれる女中だけである。呂布はそういった事は求めておらず、呂布自身も興味がないのである。
それでも、高遠が産まれる前は、厳氏などは自分が呂布の子を産むつもりだったらしく、その思いが強かったのか産後の肥立ちが悪く亡くなってしまった。
その為、高遠に跡を継がせる事を優先させてしまったのである。
呂布も張遼を失った事は悲しかったし、まだ幼い三人の息子達が心配でもある。
だが、呂布もすでに老齢で、この先十年二十年と生きられる保証はない。その時が来たら、張遼や高順と言った戦友達に後を任せるより他に方法が無かった。
その為の布石も、呂布は全て打っているつもりではあったが、果たしてどうなるか。
それは曹操の知略と呂布の老練さが合わさって初めて出来る、見事な策であった。
曹操に言われるまま呂布は張遼の葬儀をした後、張遼と張遼が率いていた軍勢をそのまま引き連れて袁術の元へ向かう。
そこで張遼の後継者として、次男の高遠が後継者に選ばれた事を袁術に伝えると、袁術はそれを受け入れてくれた。
これにより、呂布は高遠を後継者に定めた事が公のものになり、反董卓連合の時に起きた後継問題は完全に解消された。
こうなれば、もう後継者問題に悩む必要は無くなった訳であるが、今度は別の問題が浮上してくる。
それは、呂布軍の将兵達の気持ちの問題である。
呂布は、誰にでも分け隔てなく接している。
呂布の家族に対してもそうだが、部下達にもそうである。
もちろん呂布は名君とは言えないかもしれないが、人望が無い訳ではない。むしろある方であると言っていいだろう。だからこそ、多くの将達は呂布に従い続けているのだとも言える。
ただ、それは呂布軍にとって大きな問題だった。
呂布には息子や娘はいるものの、彼らはまだ幼く、後継者とは言い難かった。しかしそれは、呂布の妻や側妾も同じである。彼女達に子供を生ませる為に、と言う事もあって養子の話が出てきたのである。
つまり、呂布軍は若い兵士達ばかりになっていた。
そこに降ってきたのが、曹操からの誘いである。
曹操であれば、確かに優れた人物である。
能力においても、曹操は袁紹や呂布に引けを取らないだけでなく、呂布と対等以上の条件で勝負を仕掛けてくる人物なのだ。それに、もし後継者争いが起きたとしても、呂布軍と敵対する事無く高遠を後継者にすると言う手段も取れた。
そして曹操も、呂布と敵対するつもりは無く、あくまでも協力関係を築こうとしている。
さらに曹操と縁続きになれば高遠と高遠派の武将達との諍いも防げる上に、その勢力基盤を強化する事が出来る。曹操としては、呂布が断る理由がなかった。
呂布はその話を受け、曹操を徐州に迎え、呂布は高遠と共に長安へ向かった。
曹操の思惑通り、後継者争いが起きていた荊州の高信と長沙の高済もそれぞれ後継者を決める事に成功し、高遠が高遠派と高信派が対立する事態は避けられた。そしてその功績を認められた高遠は正式に呂布の養子となり、『曹』の一字を与えられ、『高遠侯』『高遠王』を名乗り、曹操の義弟になった。
これが後世に言う、三国志の英雄の一人である『高遠侯・高遠王』高遠の生誕である。
ちなみにこの時、曹丕が養子に入っていた魏の国では曹叡が皇帝に即位したのは、このわずか二年後の事であっだ。
曹操の義理の弟となった高遠だが、高遠は養父と実子の関係よりも曹操の義父と養子の関係を重視させ、また曹操の娘婿という肩書きを利用して、他の後継者候補を擁立している者達と積極的に交流を持つようにさせた。
これは高遠が曹操の養子と言う立場で後継者として名乗りを上げた場合に起きる、後継者問題に対する対策である。後継者が決まればそれで済むのだが、決まっていない場合は候補者同士の対立が起こる事になる。そうなると、後継者の座を狙って他の者が暗躍を始める。それを阻止する為に、高遠は自分を支持する者を味方に引き入れつつ、敵に対しては徹底して容赦のない行動を取る。
その結果、高済派の諸将は高済を恐れて兵を挙げる事は出来ず、高遠は着実に支持を増やしていった。一方、曹操陣営の動きも無視出来ないところもあった。
呂布軍の主力となっていたのは若手であり、中でも陳宮を失った影響は大きく、呂布軍の中核を成すほどに人材が不足していた。
その状況を好機と見た袁紹は陳宮の旧配下達を積極的に取り込もうとしたが、それを良しとしない者もいる。
それが、荀攸や郭嘉など曹操の元から引き抜かれて来た、いわゆる陳宮軍の幹部達であった。
彼らの中では陳宮こそ絶対の存在であって、陳宮亡き今、彼らが陳宮軍の中枢を担っている。
陳宮軍からしてみれば、自分達を差し置いて郭嘉や陳宮の薫陶を受けていた若造が、呂布の腹心を名乗っている事が許せないところでもあった。呂布軍に高遠が誕生した頃、曹操の元に袁紹からの使者が訪れた。
「袁術殿が亡くなられたそうです」
その言葉に、曹操は表情を曇らせる。
孫堅も亡くなり、劉備もまた行方知れずで、呂布も袁術の訃報を聞けばさぞかし嘆くだろうと、少し同情してしまう程に、袁術の死は大きな出来事だった。
曹操にとって、唯一の弱点と言える存在が袁術だったからである。
呂布と曹操の戦いにおいて、呂布に勝ち目はないと踏んだ曹操は、呂布の排除を考えていた。そこでまず目を付けたのが、同じ呂布の子であっても袁紹ではなく、袁術だった。
袁術さえ討ち取れば、呂布はもう戦えなくなる。
だと、思っていたが実際には違っていたのだ。呂布の老練さが勝ったか、曹操が見誤ったか。
曹操は、そのどちらとも取れる状況に追い込まれていた。
それでも曹操が袁術を討てなかった理由は、呂布が後継者問題を放置してしまっている為でもある。呂布にはまだ幼いとはいえ息子が二人おり、そのうちの一人が高遠なのだが、彼はまだ若い事もあり後継者問題が発生するまでには至っていない。しかし高遠以外の後継者候補である三人の息子は年齢的にも高くなっており、もし高遠派以外の後継者が選ばれてしまった場合、後継者問題が蒸し返されてしまう可能性は極めて高い。そんな状況下で後継者争いをしている相手である曹操に攻め込むのは、あまりにリスクの高い行為と言えた。
だからと言って、手をこまねいているわけにもいかない。
何かきっかけが必要だった。
しかしそれも、呂布軍の世代交代によってようやく訪れたと言っていいだろう。
呂布軍の後継者問題に対して、曹操の策は非常に分かりやすいものであった。
呂布の妻、つまり息子にとっては義母にあたる高順の親族を呂布の元へ送り、呂布の息子の嫁とすると言うものだった。これにより、呂布とその妻の間に子供が生まれやすくなり、曹操の狙い通りに後継者問題に一石を投じる事が出来た。
だが、これで満足している訳には行かない。
問題は後継者ではないのだから。
それに気が付いた時、曹操は呂布に降った自分を呪う事にもなった。
後継者問題に対する解決策として最も単純明快で効果的な手段は、高遠の子供を呂布の妻とする事である。
後継者候補が後継者になり、その配偶者は後継者の妻となり得る事が出来る。高遠には高遠の母がいるが、曹操から見て高遠の母親の能力はそれほど優れているとは思えない。曹操と呂布の娘との婚姻話が上がった際も、呂布自身が難色を示していた。
それは妻となる娘の能力を気にしたのではなく、単純に高遠が嫌がっている事を知ったからに過ぎない。高遠は養父を慕っており、実母より義理の母の方を大切しているのは明らかであり、もし高遠が曹操との縁談を受けていれば後継者争いに巻き込まれる事なく平穏に暮らせていた事もあって、高遠自身もこの縁談話を喜んで受け入れると考えていたが、どうやら高遠はその縁談話を断ったらしい。
ならば高遠の子供でも良さそうなものだが、こちらは曹操がいくら探しても高遠との間に子供が生まれたという話が出てこなかった。曹操も焦り始め、ついに呂布と高遠が長安にいる事を突き止め、高遠を呼び出したのだが……。
「これは、一体どういう事だ?」
呂布は眉をひそめて尋ねる。
高遠が高遠派の諸将を率いて曹操軍と手を結んだと言う報告を受けてやって来た呂布だったが、そこにいたのは高遠一人だけだったからだ。
本来であれば、呂布と敵対する意思が無い高遠が呂布と会談の場を持つとすれば、配下の者を立ち会わせるものである。
だが高遠と呂布の前にいるのは高遠ただ一人で、高遠は申し訳無さそうに頭を下げている。
「私だけでは不足でしたでしょうか? それとも、やはり天下を治める器は高遠では役不足と、おっしゃるつもりですか」
高遠はそう言うと立ち上がり、手に持っていた刀を構える。
その構え方は陳宮直伝の物であり、明らかに実戦経験が少ないと一目で分かる高遠とは比べものにならない鋭さがある。
「高遠!」
高遠の言葉に反応するように、呂布が叫ぶ。
陳宮亡き今、高遠を守る者はおらず、その命を絶つのは容易いはず。なのに、なぜそうしないのか。
呂布が叫びながら立ち上がると同時に、その動きに呼応するかのように部屋の入り口の扉が開かれ、一斉に槍を持った兵達がなだれ込んでくる。その中には韓浩の姿もあり、完全に包囲されてしまった形になってしまった。
曹操も予想外だったらしく、慌てて剣を構えているが、それでもこの状況を覆すだけの力を持っているようには見えない。
呂布や高遠と違い、曹操は明らかに武人とは言えない人物であり、戦場に出たとしても呂布達のように最前線に出るような事はしないだろうし、その実力も呂布や高遠と比べて数段落ちる。
そもそも呂布は高済の暗殺を警戒され、曹操も呂布の妻の件で接触を試みたところ、逆にその機会を狙われて身内を害される事態になっていた。曹操の方はそれで失脚してしまったが、曹操が呂布に対して刺客を差し向けて来た場合、呂布も高済と同様に用心深くなっていたので、簡単に返り討ちにしてやったのだ。その為、呂布の名声は一気に高まり、同時に曹操の信用を大きく落としてしまった事になる。
呂布は曹操の事など気にせず、高遠に目を向けると戟を振り下ろす。
しかしその瞬間、部屋の天井が轟音と共に砕け散ると、その中から巨体が姿を現す。
身の丈八尺はあるのではないかと思われるその体躯は人間のものではなく、顔もまた狼の頭部そのものといった姿だった。その巨大な生物こそ、高順が召喚した獣神と呼ばれる怪物である。
その姿を呂布は知っているだけでなく、戦った事もある。
その時の事を、呂布はよく覚えていた。
あれは呂布が丁原の元で下働きをしていた頃であった。
丁原軍の中でもっとも勇猛だった男と言えば、誰もが張遼であると答えていただろう。呂布自身もそうだと思っていたし、あの頃からずっと呂布は自分の強さには自信を持っていた。
そんなある日、張遼に連れられて山に入り狩りをする事になった。獲物を追っていた呂布は、不意に茂みの向こうに白い毛皮に覆われた虎のような姿を見かけた。一瞬、呂布はその美しさに見惚れたが、次の瞬間には襲いかかろうとしていた。
ところが、呂布が襲うより先に別の者が現れ、呂布の代わりに攻撃を加えて追い払う。
その後に現れた人物こそが、高順だった。
高順によって助けられたものの、呂布はどうしても自分の非礼を詫びたかった。そして、できればもっと話がしたいと言うと、高順は呂布を食事に誘ってくれた。
高順の家は裕福ではなく、むしろ貧しいと言っていいほどだったが、その日の献立はいつも以上に豪勢なものを用意してくれて、しかも酒まで振る舞われた。
その酒を飲んでからの記憶が曖昧なのだが、気が付くと呂布は高順に抱かれており、高順の子が出来てしまったと言う。
その事で呂布は戸惑ったが、高順が産んでくれと言うので了承した。
呂布自身にも不思議でならないのだが、呂布は高順の申し出に違和感を覚える事無く、言われるままに高順を受け入れてしまっていた。
ただ、一つ気になる事もあった。その夜以来、高順が姿を見せる事は無かったのである。
翌日になって高順に尋ねてみると、彼は笑って答えてくれた。
「あいつなら死んだよ」
と。
その言葉を聞いた時、呂布の胸に広がった感情が悲しみなのか憎しみなのか寂しさなのか悔しさなのか分からないが、ただ胸の中にあった暖かいものが消え去ったのだけは分かった。
その日の夜、呂布は一頭の熊を仕留める。その首は高順の墓前に供え、残った胴体はその場で解体し高順の家で食べる事にしたが、呂布にはもうその肉を食べる気持ちは無く、自分で全て食べてしまう。
呂布が高順の埋葬を終えて屋敷に戻った頃には、すっかり日が暮れていたのでそのまま寝ようとしたが、なぜか眠れなかった。なので、高順の家に行く。
高順の両親もすでに亡く、弟も家を出てしまって空き屋になっていたので、遠慮なく使わせてもらうことにした。家の中はまだ高順の匂いが残っており、その残り香がさらに呂布を切なくさせる。だが、それが嫌な訳ではなかった。その心地良い感覚に浸りながら眠りについたが、今度は夢を見た。自分が高順と寄り添って歩いているのだ。高順は相変わらず優しく微笑んでいるのだが、その隣にいるはずの女の姿は無い。どうやら夢の中の自分はそれに気付かず、高順の笑顔を見て満足しているようだ。だがその表情が次第に崩れていき、その口から怨念に満ちた呪わしい声を発する。
(お前さえ現れなければ)
そう言って自分を責めるのだ。
その度に呂布は目が覚める。何度も同じ光景を繰り返し見るうちに、それは悪夢ではなくなった。
呂布がようやく眠ったのは何日か経ってからの事だったが、その間一度も目を醒ますことも無く熟睡出来ていたらしい。
だが、呂布は高順の夢を見続けていた。
ある日の事、呂布は高順の母親の体調が悪いという話を聞いて見舞いに行った。すると、母親は嬉々として出迎えてくれる。
話を聞く限り、彼女は息子の嫁に来ないかと言っているようだった。
正直なところ、呂布はあまり乗り気にはならなかった。
確かに呂布は女性に対して苦手意識がある訳ではないし、美人であれば嫌いでもない。しかし、母親とは言え他人の妻であり、その家庭の問題に口出しするのも憚られる。
そもそも高順が死んだ以上、呂布は高遠を守らなければならない立場にある。高遠の母が高遠に対して何を言おうとも、それに対して呂布が何か言う事は出来なかった。高遠の母は呂布を歓迎してくれたので、その好意に応える為にも呂布は高遠の屋敷に向かう。
その道中、呂布は妙な視線を感じた。敵意のある視線ではなく、どこか懐かしいような優しい目だった。呂布はその目に覚えがあったので振り返るが、そこには誰もいない。
首を傾げながら呂布は高遠の元へ向かう。
そこで待っていたのは高遠の妻、つまり呂布にとって義理の母となる人物だった。
年の頃は四十代後半といった感じで、高遠の妻と言うより娘と言った方が似合うような愛らしさを持った人である。
その外見とは裏腹に、性格は非常に穏やかだった。
また彼女には不思議な魅力があり、呂布の目から見て高遠には勿体無いと感じるような人だった。そんな人と結婚出来た事が羨ましいくらいである。
呂布の挨拶を受けた後、高遠は二人きりにしてもらいたいと呂布に伝え、呂布はその場から追い出された。
それから呂布は、高遠の妻に誘われるままお茶に招かれて、その席でも色々と話を聞かせてもらったが、やがて高遠は用事があると言って出て行ってしまう。
取り残された呂布の元に、高遠の妻はそっと近づいて来る。
そして耳元に顔を近づけて、小さな声で呂布に告げた。
「……あの子は死にました」
呂布は一瞬驚いたものの、その言葉の意味を理解すると、ゆっくりと椅子に腰を下ろす。特に動揺は無かった。むしろすっきりした気分である。
自分のせいだと思わない事もないのだが、それ以上に自分といると迷惑をかけると心配になった。
呂布にすれば高順の死は突然訪れたものであり、そこに疑問を感じる余裕すら無かったのである。
呂布は自分の屋敷に戻り、今後について考える。
高順の息子の高義が成人するまで、あと数年ほどはあるはずだ。その時、丁原の元へ帰るべきか高遠の元に戻るべきかを決断しなければならなかった。
しばらく悩んだ末、高遠に相談してみる事にした。
呂布と高遠の付き合いはそれなりに長いが、呂布が高遠の事を良く知っているのに比べて、高遠は呂布の事をほとんど知らない。
その為、呂布は高遠の答え次第でどちらに行くべきなのか判断しようと思ったのだ。
ところが、呂布が高徳を訪ねた時に高徳はすでにこの世に居なかった。
病死と聞いて最初は信じられなかったが、葬式の準備が進められていたので呂布は納得せざるをえなかった。
その報せを持って来た高遠の顔を見ると、彼の顔には深い悲しみと苦悩の色が浮かんでいた。
葬儀の後、呂布は一人、酒瓶と盃を手にしていた。
いつも高遠と飲み明かした中庭に出て、空を眺める。雲一つない夜空には満天の星が広がり、呂布はそれを見ながら静かに酒を酌む。
高順が生きていた時と同じように、ただ一人で飲むつもりだった。だが、いつの間にか高順がすぐそばに立っている。呂布が驚いて見上げるが、やはりその姿は見えない。
だが、呂布の肩に何かが触れる感触があった。高順の手のひらだった。高順は微笑みを浮かべたまま何も言わず、杯を差し出すように手を動かす。
呂布はそれを受け取り、高順の為に用意した盃に注ぐ。
二人でそれを乾すと、高順は消えていった。だが、不思議と恐怖や喪失感は無く、高順が自分の中に入ってきたかのような安堵に包まれていた。
その日から呂布と高遠が共に過ごす時間が増えた。今まではお互いにあまり接してこなかったのだから当然だが、それでも高遠が積極的に呂布との時間を増やそうとしてくれる。
だが、それに対する呂布の反応も、少しずつ変わっていった。以前は高遠と接する事に戸惑いを感じていたが、今は全く気にならなくなっていた。高遠が自分を騙しているとは思えず、それは高遠の性格からも疑う余地は無いからだ。
高遠と共に居る事が多くなるにつれて、呂布はふと思う事が出てきた。自分は何の為に生きているのか、自分は本当に生きていて良いのだろうか、自分は幸せになっても良いのだろうか、自分は高遠に相応しいのだろうか、高遠を愛しているのかどうか。呂布の心に迷いが生じた。
自分は戦場において無類の強さを誇った武将である。だが、今は一介の武将に過ぎないどころか、守る家族もいる。もし、万に一つの事でもあれば、呂布家の血筋を残す事も出来なくなるだろう。そうならない為に、自分が戦う意味を考える必要があった。
ある時、呂布がそんな思いを伝えると、高遠はこう言った。
「それは、貴方自身で決める事です。例え、それが間違った道であっても、その道を貫けば良いだけの事。私は、ただそれだけの事を伝えます」
そう言って笑う高遠を見て、呂布は思わず涙を流した。そんな風に言われてしまうと泣きたい気持ちが抑えられなくなってしまう。しかし、高遠はそれを咎めることなく、呂布を優しく抱きしめてくれた。
その後、丁原が漢軍によって殺されたという報が届いた。呂布はすぐに行動を開始した。呂布は妻子の安全を確保する為、すぐにでも長安へ移動する事を主張したが、高遠が止めた。確かに呂布の実力であれば、この程度の相手は容易く退けられるかも知れない。しかし、今の呂布は一軍の長であり、その地位にある以上、呂布にも守るべき立場がある。
それに高遠も同行すると決めた以上、ここを離れる訳にはいかない。
高遠の決意は固く、呂布は渋々従った。そして高遠と二人きりになる機会を得て、改めて呂布は尋ねた。
何故、そこまでして丁原を守ろうとするのか。
高遠も迷っていたらしいが、結局は答えを出す事が出来なかったと言う。そこで呂布は一つの提案をした。
高遠と自分が夫婦になり、呂布が丁原の養子になるという案である。
養子になってしまえば、高遠は呂布を守る事が出来るが、呂布はその恩義から高遠を頼らなければならない。そうなれば丁原の天下盗りは不可能に近くなるが、呂布としては丁原さえ無事でいてくれればいいと言う考えだった。
高遠もそれに同意したが、高遠にはもう一つの目的があった。
それは自分の娘である華雄を引き取る事である。
これは高遠にとって、とても大きな決断だった。
華雄は幼い頃に高遠が拾って育てて来た娘である。呂布と出会う前から行動を共にしており、彼女の武芸は父である高遠譲りのものでもある。
また高徳の妻は、自分の娘の様に華雄を可愛がり、将来はどこかに嫁いで欲しいと思っていたのだが、肝心の華雄自身が父から離れようとしなかった。その為、結婚など考えられないと言っていたが、ある日、高遠が縁談を持ち込んだところ、意外なほど素直に従ったのだ。高遠は高遠なりに心配しており、娘の将来の事を真剣に考えていたのだが、そのせいか舞い上がっていたらしく、高遠は肝心なところで言葉を間違えてしまった。その結果、その話を受けた途端、それまで従順であったはずの華雄が、いきなり高遠に殴りかかったのだ。
殴られた痛みより先に驚きを感じて呆然としていた高遠は、それでも自分の言葉足らずを詫び、何とか仲を修復しようとしたのだが、その時にはすでに遅かった。高遠は華雄と絶交状態になってしまい、その関係改善には長い年月を要した。
呂布の提案を、高遠が受けた理由はまさにそれである。このままでは、いつまで経っても高遠と華雄は元の関係に戻る事は出来ない。高遠にしてみれば、それは非常に辛い事なのだが、同時に呂布が高遠と同じ状況でいるならば、高遠が呂布を救いたいと思うのと同じくらい、呂布は高遠の力になりたいと思うはず、と考えたのである。
呂布は高遠に言われ、しばらく高徳の元で待つ事になった。その間に董卓軍が動き出し、呂布は急いで高遠の元に戻った。
その時の呂布の姿を見た時、高遠は自分の判断が間違っていなかったと確信したが、それはそれで問題もあった。
呂布の体格が大きく変化し、髭が伸びていた事で呂布は一瞬誰だか分からなかった様だが、呂布の方はすぐに高遠と分かった。だが、その見た目の違いに驚くよりも、呂布は高遠の娘の事で頭がいっぱいになっていた。
自分が丁原の養子となり、丁原は殺される事は無いとしても、その跡継ぎがいないのは大きな問題となるだろう。自分が養子となった時点で呂布家の存続は絶望的だが、高遠の希望は孫の存在にある。
呂布と高遠の子供か、それとも丁原と高遠の子が、次の呂布家当主として立てられる事になる。その方が、よっぽど安定した呂布家の血筋を残す事が出来る。
だが、呂布はそれを拒んだ。自分が呂布を名乗る事で、呂布家に禍根が残るのではないか、そう考えると名乗れないと言った。呂布にはその辺りの理屈はよく理解出来なかったものの、高遠の言葉に従い呂布の名を捨てる事にした。その後、呂布と高遠の親子は丁原と別れ、洛陽へと向かった。
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