三国志英雄伝~呂布奉先伝説

みなと劉

文字の大きさ
上 下
3 / 100

3話

しおりを挟む
 裏の井戸へとかめを手にやって来て、ぐるるる……と弱り気味に喉を鳴らし、耳を寝かせた挙げ句に溜息を吐いた。背を丸め冷たい水を汲み取り、柄杓で一杯飲み干す。

「冷えてきたな」

 肌に感じる温度や空気の乾き、森に生きる生き物の鳴き声からして、もうすっかり夜であると知った。瓶を水で満たし庵へと戻ると、篤実は十兵衛の姿を認めて彼を呼んだ。

「十兵衛」
「飯は、口に合いましたか、若君」
「ちと、塩が強かった」
「この辺の味噌は、都に比べるとそうかもしれねえ。次は薄く……」
「いや、そんなことはしなくてよい、十兵衛」

 篤実は碗を手に立ち上がった。つられて十兵衛が顔を上げると微かに笑むような吐息が聞こえた。

「これが其方の味なのだな。此の儘で良い。して……何処に下げれば良い」
「いや、若! 儂が片付けます、どうかごゆるりと」

 十兵衛は水瓶を足元に置き、篤実の気配のする方へ手探りで進む。その手を篤実が取り、空になった碗を握らせた。

「では、余は先に休む。十兵衛、寒いのは余は好まぬ故」
「はい、湯湯婆ゆたんぽを……」
「いや」

 するり……と十兵衛の着物の上から、冷えた薄い掌が撫でた。そうして、肘の辺りが摘ままれる。

「余に添い寝せよ、十兵衛。その方が良い」

 篤実の言葉に十兵衛は無い目を瞠った。

「…じゃが、若君、儂は…」
「余の命が聞けぬか?」

 十兵衛の脳裏には、五年前に見た若者が首を傾げながら自分を睨め付ける様がありありと再生できた。息を詰め、眉間に皺を寄せた後渋々頷く。

「――御意、若君」

 篤実の手が十兵衛の着物の袖を再びキュッと握った後、手の甲を名残惜しげに撫でて離れていく。

 とさりと横に鳴る音を聞いて、十兵衛は掻き込むように夕餉を済ませた。
 湯を沸かし、熱い茶を飲んだ後に布団に近付くと、篤実は大人しくしていたがその僅かな気配の違いから狸寝入りをしているのがばればれであった。なにせ十兵衛は盲になった分気配に敏いのだ。

「……失礼します」

 布団をめくり、潜る。五年振りにして、初めてしとねを共にする若君の背は、こうして並ぶと以前よりも伸びている。それでも頭が十兵衛の胸元に収まり、つま先はすねの辺りまでしかない。

「十兵衛」
「はい」

 囁く声に十兵衛は擽ったさをおぼえて、狼の立ち耳をぴるるるっと震わせる。

「余を抱きしめよ」

 ぶわぁっと毛皮が逆立った。

「さ…すがに、そんな無礼はできねぇ、若君」
「……よい。余とそなたしかおらぬ」

 布団の中で十兵衛よりも細い身体が擦り寄せられる。己と違い毛皮の無いつるりとした肌。濃縮されたひとのにおい。

 あの戦場で庇い、抱き締めた若君のにおい。ずっと嗅いでいたい、生き物の本能に絡み付くにおいがする。

「余は――におう、か? 十兵衛」

 その台詞に、この人は己の心を見抜く目を持っているのだと、十兵衛はかえって恥ずかしくなった。

「あ、明日、湯を沸かしましょう。それか風呂を借りに」
「……そうか」

 獣の匂いをまとわりつかせた若君が腕の中に身を落ち着けて、十兵衛は尚のこと眉間の皺を深くした。あまりにもその匂いが濃くて、近い。横を向いた十兵衛は後ろ向きであるらしい若君の身体に腕を回し、意識を静かに眠らせていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

今日の授業は保健体育

にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり) 僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。 その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。 ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

借金した女(SМ小説です)

浅野浩二
現代文学
ヤミ金融に借金した女のSМ小説です。

ドマゾネスの掟 ~ドMな褐色少女は僕に責められたがっている~

ファンタジー
探検家の主人公は伝説の部族ドマゾネスを探すために密林の奥へ進むが道に迷ってしまう。 そんな彼をドマゾネスの少女カリナが発見してドマゾネスの村に連れていく。 そして、目覚めた彼はドマゾネスたちから歓迎され、子種を求められるのだった。

性転のへきれき

廣瀬純一
ファンタジー
高校生の男女の入れ替わり

処理中です...