美しい弟

亀之助

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この世の果て

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アーサーは、ショーン先生が亡き父の教え子だったという特別な繋がりに、兄のような親近感を感じていた。 

優しい顔つき、穏やかな話し方、温かい人柄には安心感があり何でも遠慮なく話せる気がする。

そんなショーンからアーサーに「時間が許せば会えませんか?」とメールが来た。

経過観察もしたいので気楽に話をしに来てくださいとのメッセージが添えられていた。
アーサーは久しぶりにショーンの元を訪れた。
 
ショーンは、わざわざ休診時間をアーサーのために空けてくれていた。

「ゆっくり話をしたかったので」と笑顔でアーサーを迎えてくれた。

「お変わりありませんか?」


ショーンの問いかけにアーサーが笑顔で、ええと頷く。

「アーサーさん、私には何の遠慮もいりません。些細な事でも何か胸につかえるようなことがあれば話すだけでも楽になりますから」

「…実はあんな事件があったので、あれからずっと一緒に暮らそうと強く言われて、迷っているというか、困ってて。すいません、こんな話で」


「一緒に暮らす事には迷いがあるんですね、それはストレスになりますね」


はっきりストレスと言われ、アーサーは少し驚いた。


「世の中みんな違う人間です。それぞれの思いがあって当たり前です。長く付き合っても価値感は人によって違うんですから」


「ただ好きだから一緒にいる、ダメなら解消すればいいなんて若い時なら考えたでしょうけど、私達には本当に色々な事があって、今は程よい距離も必要だと思えるんです」


「愛することは無条件ですが、一緒に暮らす事は無条件というわけにはいきませんよね。社会的な立場や、取り巻く環境もそれぞれありますから悩んで当然です。コリンさんとの交際では心ない事を言われ辛い思いをされたことも想像できます。複雑に考えすぎて悩んでしまうこともわかります。私の場合結婚生活がうまくいきませんでしたから偉そうなことは言えないんですけど」


「先生、ご結婚を?」


「バツイチです」


 アーサーはショーン先生が離婚経験者だなんて知るはずもない。


「すいません、知りませんでした」


「お見合い結婚でした。お互いをよく知らずに結婚し、結婚生活は苦しいものでした。尽くしているつもりでも、薄っぺらい優しさでは相手は愛が無い事くらい分かるものなんです。当然ながら相手に他に好きな人が出来て離婚しました」

ショーンは何もかもを正直に話したくなった。
 
アーサーに自分を隠したくない。
 
ショーンはゆっくりした口調で言い直した。

「私の離婚した理由、あなたには本当の事を言いたい。私は彼女を一度しか抱けなかったんです。結婚生活でたった一度だけです。こんなに罪な事があるでしょうか。私は結婚などしてはいけなかった。今は彼女に限らず私は誰も抱けないんです」


アーサーは絶句していた。

ショーンの突然のカミングアウトにどう返していいかわからない。

ショーンは哀しげに言った。


「人間は何かしら欠陥があったり、幸せそうに見えても人知れず悩みを抱えている事がほとんどだという事です。完全な人間などいない。だからこそ自分に正直に生きないと。ネガティブに囚われたらささやかな幸せにも気がつかなくなるから」


「ショーン先生…」


「だからアーサーさん、辛い事があったとしても必ず解決する日が来ます。あなたには心のままに生きてほしい」

ショーンはアーサーの手を取った。

握ったアーサーの手は温かかった。





 ……あの日、
 アーサーと重ね合わせた手の温かさは胸に沁みるようだった。

静かに見つめ合いお互いの痛みを理解しあった気がする。
 
彼の美しい澄んだ瞳で見つめられると新しい世界へと連れて行かれる。

この感覚こそが、ときめくという感覚なんだ。
 
医師として多くの患者を抱え様々な悩みに向き合ってきた。
 
そうして自分の痛みを忘れたかったのかもしれない。
ハロルド先生は幼い彼を残して逝く時、どんなに無念だった事だろう。
先生が夢に出てきたのは何か別の意味もあったのだろうか?
ハロルド先生のお墓参りに行きたくなった。
 
先生の死はショックが大き過ぎて今まで墓地を訪れた事はなかった。

今なら手を合わせる事が出来る。

ハロルド先生に会いに行こう。

あの話をした日からアーサーとは会っていない。
 
自分のカミングアウトを聞いて気まずいのかもしれない。
気になりつつも病院に来なくて済むならばそれは良い事だと思い込む。

心の奥底ではアーサーの顔を見たかった。

 ショーンはハロルド先生のお墓参りに訪れた。
先生のお墓は掃除が行き届きとてもきれいだった。

亡くなって20年経っても先生の事を忘れる人はいないのだ。

ハロルド先生は多くの人に愛されてたから。
 
花を手向け、手を合わせる。

その時、背後から「ショーン先生!」と名前を呼ばれた。


アーサーが白い百合の花束を抱えて立っていた。

アーサーも父親のお墓参りにやって来たのだ。
 
偶然の出会いに驚きを隠せない。

先生のお墓の前で不謹慎だが、白百合を抱えたアーサーは大輪の花のように美しかった。

花の艶やかな白さとアーサーの肌の白さが輝いてショーンは息をのんだ。


「ショーン先生、父のために来てくださったんですか?ありがとうございます」


アーサーが嬉しそうな笑顔を向ける。本当に魅力的な笑顔。
 
目を閉じ胸の高鳴りを抑える。


「アーサーさん久しぶりです。予期せずあなたと一緒にハロルド先生の前に立てて心から嬉しいです」


アーサーも花を手向け目を閉じて手をあわせる。
 

「今日来て良かった。おかげで先生に会えました、父の引き合わせでしょうか」


アーサーにそう言われてショーンの胸は温かくなった。

今日はこの後何か用事がありますか?とアーサーに聞かれ、あったとしても答えは同じだ。

「今日は何もありません」


「せっかくならお酒でも飲みませんか?」


アーサーに誘われ気分が高揚する。


「今日は賑やかな場所に行きませんか?」


「賑やかな場所?」と不思議そうに返すと、


「ええ、居酒屋なんてどうです?お嫌いですか?」


「いいですね!」ショーンは本心から言った。

「人で賑わう居酒屋には最近は行ってなくて」
 

お墓参りの帰り、ふたりは会話が弾み笑顔が溢れた。

ショーンは心の底から幸せだった。

笑うアーサーの顔は普段よりもずっと子供っぽい。

眩しくて見つめることが出来なかった。

 そして学生や若者で賑わう通りを一緒に歩き、人でごった返すザワザワした居酒屋で乾杯した。

解放感もあり本当に楽しかった。

お酒を飲んだアーサーは頬がピンク色に染まってそれは可愛かった。

「ショーン先生は本当は良く笑う方なんですね」

そう笑顔で言われると胸の高鳴りが抑えられなかった。

こんな笑顔を独り占めにしているコリンが羨ましいと思う。
居酒屋から出て二人は並んで歩いた。

腕や肩が振れそうなくらい近くにいるアーサーからは何とも言えない甘い香りがする。

どんな香水を使えばこんなにいい香りがするのか聞いてみたくなる。

アーサーとこのまま一緒にいたい…そう思った時、携帯電話が鳴る。
 
アーサーはショーンに断りを入れてから携帯電話に出た。

「わかってるからそんなに心配しなくていいよ。来るの?迎えは必要ないよ。帰宅したらかけ直すから一旦切るよ」そんな会話が聞こえて来た。
コリンからの電話だ。
 
ショーンは現実に一気に引き戻された。 

「そろそろ帰りましょうか」

アーサーがショーンを振り返った時、ショーンの目からは一筋の涙が光っていた。


「どうしたんですか?」

アーサーが慌ててショーンに駆け寄る。


「いえ、生前のハロルド先生を思い出してしまって、本当に私は先生が大好きだったので、お酒も回ったせいか切なくなりました」
 

そう言った時、アーサーがふわりと優しくショーンを軽く抱きしめた。
お酒に酔っていたせいもあった。

ショーンは身体中に走る心地よい痺れに酔いしれた。

抱擁とはこんなに癒されるものなんだ…甘くて柔らかくて温かくて、今は抱きしめてくれたアーサーへの愛しい思いしか無い。


「父を思い出してくださりありがとうございます」


そう言って体を離されると近くに美しく微笑んだアーサーの顔があった。
 
ショーンの身体の芯が熱を持ち、全身に鳥肌が立った。
そんな自分自身に驚愕した。
自分の何かが壊れたのか?
動揺をひた隠して何事もない様にアーサーにお礼を言う。


「今日は本当にありがとう。一緒にハロルド先生のお墓参りができて良かった。何かあれば診察には来てください」
 

ショーンはこの後続けてタクシーが来るから先にどうぞと言い、アーサーをタクシーに乗せて笑顔で別れた。

アーサーを見送った後ショーンはしばらくその場に立ち尽くしていた。

今もずっと心臓の音がうるさく響いている。

自分の身体の変調にも戸惑う。
 このまま死んでしまいそうだ。
 
その日ショーンは家までどうやって帰ったかよく覚えていない。


 ショーンは39歳になって初めて人の温もりを強く欲している。

今までは人に触れたいなどと思ったことは無かった。
一人でいることが望みでもあった。

性行為に全く興味が持てない事も、人を愛せない事も自分に与えられた運命だと諦めて生きてきた。
 
慣れてしまえば特に悩む事もなかった。

そんなショーンは、アーサーに抱きしめられた時から世界が変わってしまった。

一番は、自分の身体の変化への戸惑いだ。

そして光と闇の両方を抱えることになる。

心から愛しいと思える人ができた事と、今までの自分には無かった嫉妬心。
 
ショーンは今温かな幸せと人を妬み苦しむ不幸せが同居している。
 
そしてアーサーにもう一度抱きしめられたかった。

アーサーは自分の恩師の息子であり患者でもある。

それ以上の関係にはなれないことは百も承知している。
 
アーサーに自分はとうてい相応しくはない。
 
 
恋人のコリン副社長は人並み外れた魅力に溢れている。

そして忘れてはいけないのがアーサーに心を奪われ自分を見失い犯罪行為を犯してアーサーを自分のものにしようとした人までいる事。
 
アーサーに愛されなかった彼は常軌を逸したが、今の自分は心理がわかる。

アーサーの魅力に囚われてしまえば逃げ出せない。
 自分もそうだから。
 
偶然ハロルド先生のお墓参りで再会したあの日、二人で語り合い、お酒を酌み交わし、共に過ごした時間は何より幸せだった。
 何度も繰り返し思い出しては、あの瞬間にもう一度戻りたいと胸が苦しくなる。

 盗み見てしまったコリンのセリフと姿を思い出す。

あの時、「僕を拒むことは許さない」と言ってコリンはアーサーの唇を奪った。
 
コリンがアーサーにした口づけは、美しさと艶かしさで鳥肌がたった。
 
そしてあらぬ想像をして自己嫌悪に陥る。

アーサーがコリンに抱かれる姿。
 
あの弾ける様な眩しい笑顔がどんな顔に変わるのだろうか?

アーサーを自分の胸に抱く事など一生死んでも叶う事はないのに、嫉妬心にかられて苦しい。

全てはアーサーが抱きしめてくれた日からこんな風になってしまった。

嫉妬にかられるなど今まで一度も無かった、淫らなことを考えた事は思春期の時でさえ無かった。 なのに何もかも変わってしまった。
これから自分はどこに向かえばいいのだろうか?



 …………



「ショーン先生が亡くなった父の教え子だったなんて凄く驚いた。世の中には信じられないような出会いもあるんだって感動したよ」


アーサーは目を輝かせながら嬉しそうにしていた。

確かにショーン先生との出会いは奇跡に近いかもしれないが、アーサーが興奮する姿は珍しい。
 
コリンは正直、アーサーをあんな笑顔にさせたショーン先生に妬ける。


「今回アーサーの亡くなったお父さんのことを知って、アーサーと今離れて暮らしてる家族のことが気になってる。アーサーからは家族の話をあんまり聞かないし、いつかお会いしてきちんとご挨拶したいと思ってるんだけど…」

コリンは腕の中のアーサーに話しかけた。
 今二人は共に同じベッドのなかにいる。
 
コリンにとって、最も心癒されるひとときだ。

肌が触れあっている時が何よりも満たされる。

アーサーがコリンの腕の中から顔を出し、コリンを見上げて至近距離で目が合った。
 
アーサーは少し照れた表情になって、コリンの腕の中から逃れようとした。



「駄目。まだ僕の腕の中にいて。家族の話をしたくなければ話を変えるから」
 

そう言ってアーサーの額にキスをした。


「それとももう一回する?」


「ハア?」
 

アーサーは呆れた顔をしてコリンの腕から逃れ体を起こした。
 
コリンは白くて艶やかな肩にそっと口づけてからアーサーの肩を抱き、座り直す。

コリンがアーサーに再びキスをしようとすると、執拗にキスされるのを阻止するかの様に話し始めた。


「以前話した事があると思うけど、家族はみんな海外で暮らしてる」
 

コリンは自分の父親に交際を認めてもらえていない経緯もあり、今までアーサーの家族についてあえて詮索してこなかった。


「父は大学で社会学を教えていたけどもう退官してる。
 実の父は俺が7歳の時に病気で死んでしまった。医者だったのに病には勝てなかった…」


「これ以上は聞かない方がいい?」


「んん、全然かまわない、、、今の父は10歳の時に母と再婚して本当に俺を可愛がってくれたし、何不自由なく育ててもらった。実の父親以上だと思う。母とは今でも仲が良いよ」


「良かった!それでアーサーの母上はどんな方?」


「母はピアニストだったんだ、父が亡くなってからは大学で音楽講師をしてた」


「ピアニスト!!だからアーサーはピアノが弾けるんだねっ!想像がつくなぁ…素敵なお母様の姿が。ぜひお会いしてみたい。アーサーは確か一人っ子だったよね」コリンが尋ねた。


「いや歳の離れた兄がいるんだ。血の繋がりはないけど。今は金融機関で働いててバンカーとして活躍してる」


コリンは〈血が繋がらない〉という禁断のワードに嫌な予感がした。

そして「そうなんだ…」と言っただけで話題を変えた。

『血が繋がらない兄』
 

アーサーが弟になって生活を共にしたらどんな気持ちが芽生えるかは想像がつく。

寝起きを共にして四六時中一緒にいれば好きにならずにはいられないはず。

コリンは自分に置き換えて考えてしまう。
 
アーサーがもしも「弟」として自分の前に現れたならどうだろう?
 この上なく美しい男の子が自分の弟になったなら最初は嬉しいはずだ。
 
子供のアーサーはさぞかし可愛かったに違いない。
 
賢くて明るくて。
 そして兄として一番近くで美しく成長していくアーサーを見るのだ。

もし自分だったら…それはまさしく地獄だ。
 
兄弟なんてまっぴらごめんだ。
 一緒にいれるとしても、兄弟だけは絶対に嫌だ。

報われなくても他人でいて夢を見ていられる方が幸せだ。
 
あの美しい体を抱き、思う存分触れて、幸せの絶頂を知るコリンにとって近くにいて触れることさえ許されないなんて毎日が拷問だ。
  
キスはもちろん手を握る事さえも許されないなんて…。
 それなら他人でいて、いっそのこと会えない方がマシだ。
 一緒にいてもただ見つめるだけなんて。

もしも自分だったら?きっと間違いを起こしてしまう。
そんな事になれば家族は崩壊する。

アーサーの兄や両親がアーサーを一人残して海外にいる理由は?
 …考えることをやめた。
 
アーサーを愛するあまり暴走する妄想に蓋をして不埒な自分に落ち着けと言い聞かせる。

隣にいるアーサーの横顔を見つめる。
アーサーの横顔は何よりも美しい。
 
この顔が、そして全てが大好きだ。
 このままこうして二人でいられるなら何も望まない。




昨日肌を重ねたばかりなのに今日はもう会いたくてたまらない。
 
熱病の様な狂おしい症状は悪化するばかりだ。

今はとにかく一緒に暮らしたい。

 毎日自分の元に帰ってきてくれると想像しただけで幸せな気持ちになる。
 
少しも冷めない熱い想いにコリンは参っている。

寄り添って眠りにつきたい。朝起きた瞬間隣にいたい。

昨日のベッドの中のアーサーの姿を思い出してまた体が熱くなり胸が苦しくなった。
 
アーサーを抱いた時、彼の顔つきが変わる瞬間熱狂する。
 
次はいつゆっくりと二人の時間が持てるのだろうか?アーサーが猛烈に恋しい。

コリンは今日も浅い眠りになりそうだった。


…………


アーサーを忘れようと自分と闘うショーンの元に、体調を崩し高熱を出したアーサーが診察に訪れた。

ショーンは慌て、診療する。
 
下がらない高熱が心配で念のため1日入院するように言った。

疲労が重なったのだろうか?精神的に辛い何かがあったのか?
 
明確な原因は分からなかった。

点滴を受けて眠るアーサーを見つめる。

早く楽にしてあげたい。

 ショーンは気がついた。

アーサーの白い胸には以前はなかった薄い赤い痣があった。

これはキスマーク⁉︎ コリンにつけられたのか?

 ショーンは顔が熱くなって動揺してしまう。
 
目を閉じたアーサーの傍らに座りそっと手に触れた……


どれくらい時間が経ったのか?いつのまにか眠っていた。
アーサーは自分の側で涙を流すショーンに気がついた。


「先生、何かあったのですか?」
 

ショーンは泣きながら小刻みに震えていた。


「先生、大丈夫ですか?」


「私を助けて欲しい」

ショーンの震える指がアーサーの顔に近づいて頬に触れて唇にも触れた。

アーサーは何が起こっているのか理解できず固まったままだ。
ショーンの指先に感じるこの上なく柔らかくて温かいアーサーの肌と唇。

アーサーは驚いて何も言わない。

「私をどうか許してください」


ショーンは辛そうに謝罪しアーサーの病室をふらふらと出て行った。

 亡き父を今も慕うショーン先生はアーサーに早逝した父を思い出させてくれた。

父の教え子だったショーン先生には特別な縁を感じるし信頼もよせた。
 
それでもこうして触れられるのは明らかに度を越した行為で戸惑うしかない。


…………


アーサーは初恋だったハロルド先生の忘形見であり、自分の患者。
 
しかもコリン社長の最愛の人だ。
 
はじめはアーサーの幸せが何より大切で、彼の幸せを見守りたいと思っていた。
 
恋人に心から愛される姿に安心した。
 なのに時が経つほど想いは違う方向に深くなっていき、到底叶わぬ恋だと自覚しつつも、嫉妬に悩まされるようになる。
 
そして信頼され笑顔を向けられるとアーサーの温もりを強く欲するようになった。
 
今まで人に触れたいと思ったことは無いし、一人で生きることが望みだった。

ショーンは誰も愛せない性的不能者であると信じ込み生きてきた。
 
アーサーに親愛の意味でのハグをされた時、それが覆された。
 
雷に打たれた様に体に電流が走り自分の身体が熱を持った。
 
ショーンは高鳴る胸と自分の体の変化にも激しく戸惑った。

今になって愛を知ったところで、どうすることもできない。
愛する想いが溢れ出し、こらえきれずアーサーに触れてしまった。

しかも体調を崩して診療にやって来た日に病室でだ。
 
医師として絶対に許されない行為だ。
 
アーサーはショックを受けていたが、震えながら涙を流したショーンを責めなかった。


 もう主治医でいる事は不可能だ。

忘れてはいけないのが知り合うきっかけとなった事件。

アーサーは、拉致されそうな危険な目に遭い病院に運ばれてきた。

今の自分もあの時の加害者と同じように暴走しかねない。

二人で過ごした時間を何度も思い返し、かけがえのない思い出があればそれでいいと決心した。
ショーンはこれ以上アーサーの近くにいる事はできないと苦悩の末に離れる決断をした。
これは国外へと移り住んだアーサーの兄と全く同じ心理だろう。
ショーンは身辺の整理をして母である理事長に休職を願い出た。


「休職するなんて何を馬鹿な事言ってるの」


ショーンの母は当初休職を受理しようとはしなかった。


「無責任すぎるわ。あなたの患者はどうするつもりなの?」


「私の患者はこの病院の優秀な先生方に引き継いでもらいます。もし私が死んだら必然的にそうなるでしょう」

「何を言うの!妙なこと言わないで!」


「例えばの話ですよ。私は今まで同じ場所で、がむしゃらに働いてきました。少し自分に新しい風を入れたいだけです。 しばらく離島や過疎地の医療に携わらせてください。また戻ってきますから」


死んだら…という脅しの例え話が効いてショーンの休職は渋々受理された。
ショーンはアーサーに手紙を書いた。

【無責任な私をどうか許してください。
 私があなたの主治医でいられない事はあなたが一番分かっていると思います。
 私は遠隔地医療に携わらせてもらう事になりました。
 ここを離れます。
 アーサーさんの診療はこの病院で一番優秀で信頼のおける先生にしっかりとお願いしてあります。
 不調があれば安心して病院に来てください。
 あなたに出会えた事、天国のハロルド先生に感謝しています。
 あなたの幸せをずっと祈っています。 
 私はまた誠実な医師となれる様頑張ります。
 どうかいつも笑顔でいてください。体を大切に。】



 ショーンは離島の診療所に医師として着任した。任期は2年間だ。
 
着任した離島は漁業や農業が盛んで、田舎といえど活気のある島だった。
 
ただ本土と結ぶ船は本数が少ないため観光客はほとんど来ない。
 
美しい海と手つかずの自然しかないこの島は都市とは空気や匂いも違っている。

ここでは専門外も当たり前に診なくてはならない。

島の人々は温厚で住民に宴会などに誘われる事も多く、お見合い話まで持ってこられる。
 
よそ者の自分を受け入れてもらえて、ここにきて良かったと思う。
 
移動手段はもっぱら小さなバイクで車は使わず歩く事も増えた。

アーサーの電話番号も含め連絡先の全てを削除した。
 
なのに簡単には忘れることが出来ない。

特に一人の夜は美しいアーサーの横顔や笑顔が浮かんできて胸が痛む。
 
この道を選んだのは全てやり直すためだ。
 
一人で生きていけるよう努力している。
すっかり陽に焼けて肌は小麦色になった。
体重も少し増えたかもしれない。
 
この島へ来て3カ月、実家には一度も帰っていない。
 
今日は休診日。
 お昼頃まで寝ていたい気もするが窓から入る太陽がまぶしくてショーンは起き出した。
 
掃除をし、終わると買い物を兼ねて散歩に出た。
 
海沿いをのんびり歩いていると、島の役場の女性がこちらに向かって走って来る。


「先生!先生を訪ねて来られた方がいます。診療所の場所を聞かれたんです。引き返して帰った方が良いと思います!」
 

妙に興奮している。


「すごく美人な人で芸能人みたいでしたよ!!」


「美人?」

「綺麗なんですけど男の人です!」
 

ショーンは顔色が変わり踵を返し駆け出した。

まさかという思いで心臓の音がうるさく響く。
 
そしてショーンは海沿いの草の生えた駐車場で立ち止まった。

 真っ白なシャツに濃いブルーのデニム姿のアーサーが佇んでいた。

陽射しが強いせいかアーサーはキラキラと輝いているようで神々しかった。

海風に吹かれて髪をかきあげる仕草があまりに魅力的でショーンの心臓が止まりそうだ。

肌の白さが際立っていて、目を奪われる。
ショーンはしばらく言葉を失っていたが、辛うじて「なぜここにいるのですか?」と聞いた。


「黙って姿を消すなんて、無責任ですよ」


「私からの手紙は読んでいただいたのですか?」

ショーンが尋ねると
「はい。読みました…。心配しました。でもお元気そうですね。すっかり日に焼けて以前より健康的に見えます」
 

アーサーがそう言って自分に向かって微笑んでいる。夢でも見ている様だ。


 二人はそれ以上話さず海沿いをゆっくり並んで歩いた。
 
青く穏やかな海を眺め、海風を感じ時間は流れていく。
 
アーサーはどういうつもりでここまで来たのか?
 そしてショーンの住む一軒家へと戻って来た。
アーサーが口を開いた。


「美しい場所ですね。先生の顔が見れて安心しました。あんな手紙を残して消えて電話も繋がらなくなって連絡も絶たれ、心配していたんです。でも元気な先生に会えてこれで安心して帰れます」


アーサーの言葉を聞き、ショーンの様子が豹変する。


「なぜ?ここに来たりしたんですか?あなたを忘れたくて離れたことがわからない?
 私は生きる事が辛くて仕方がないのに、罪深い私を許すような言動はやめてください」


「何が罪深いのですか?生きる事がなぜ辛いのですか?」


「ハロルド先生の最愛の息子であるあなたを好きになってしまったからです。
 私はあなたを求める自分が怖くて仕方がない。そして心が痛くて、後悔して、毎日が地獄です。私のあなたへの邪な気持ちがわかりませんか」


そう言うと涙が流れた。


「あなたに会うと私は泣いてばかりだ。本当に嫌気がさします」ショーンは俯いて呟いた。


「あなたが地獄にいるというなら、救いたい」アーサーにまっすぐ見つめられた。

アーサーの腕を強く掴み、「私は、私はあなたを一度だけでもこの胸に抱けるならその思い出だけで生きていける」
 

「私には恋人がいます。先生のそばにいる事はできません。でも今夜一夜だけでいいなら好きにしてください」
 

ショーンはアーサーの思いもよらない言葉に驚き、その場に座りこんだ。


ショーンは立ち上がりアーサーを抱きしめた。
 
どこか別の世界にいるようだ。
 
アーサーの美しい白い肌。
 
診察時には何度も見たはずなのにこんなにも緊張するなんて。
 
アーサーの素肌から漂う香りはどこまでも優しくて甘い。
 
儚いような美しさと気高さを併せ持つアーサー、間違いなく自分の目の前にいる。

 自分には彼を充たす事などとても出来ない。
 
見つめるだけで気分が高揚して余裕などないのだから。
 
アーサーの細い腰に手を回して抱きしめた。
 
離したくない。
体の中心はすでに熱を持っている。

初めて経験する快楽の大きな波に簡単にのみ込まれた。

 白い首筋に、肩に胸に口づけを繰り返す。

肌と肌を合わせるように抱きしめると経験した事のない感覚に打ち震えた。
 
アーサーの肌は想像以上に艶やかで滑る様だ。

ショーンが苦しげにアーサーを見上げた。
 
体がふわりと浮き上がる様な感覚がした。
 
体を繋げなくても触れ合い抱き合うだけでこの上なくみたされた。
 
この逢瀬は夢か幻か?
 
ショーンはアーサーの胸に顔を埋め再び抱きしめてから目を閉じた。
アーサーがここにいる現実味がないのに、別れの時が近づいてくる。

「先生、もう好きになったことに罪悪感は持たないでください。先生に罪などありません。ただもう二度と私は先生と会う事は出来ません。昨日約束した通り、先生と私は今日が最後の日です。
 父の事を愛してくれた先生の事は決して忘れません。ショーン先生は医師として最前線で多くの人を救う使命がある。患者を決して見捨てなかった私の父の魂を引き継いでいて欲しいんです。」


 ショーンは絶句した。
 

ハロルド先生を愛していた事をアーサーは分かっていたのだ。

それで身代わりになったというのか。


「あなたはハロルド先生の身代わりなんかじゃない。あなたがあなただから好きになったんです」

ショーンの人生で一番幸せで一番哀しい1日が終わり、新しい1日が始まろうとしている。
 

交わした約束はどんなに辛くても守らなければならない。
 
それが自分に返せるアーサーへの愛だから。
 
アーサーの背中を見送り一人きりになった時、ショーンは声をあげて泣いた。
 
声が出なくなるまで泣き叫んだ。

この世の果てにいる気分だった。
 

ショーンの新しい世界の全てが終わった。
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