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第一幕
なんとしてでも
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◇◇◇◇◇◇◇
「……何で直ぐに言わなかったんだよ」
赤茶……西山宗太郎は苛立たしげに私を睨んだ。
「だって、言い出せなくて」
「アホか!傷だらけじゃねえか!当分此処でおとなしくしてろ」
宗太郎が桶に浸けた私の足の裏を洗いながらブツブツと怒った。
そう、ミカヅチ様にすっ飛ばされた私は、裸足だったのだ。
けれどあの状況で裸足だとは言えず、砂利道を歩き続けた結果足裏から流血し、私は転んでしまった。
つくづく憎たらしい、ミカヅチのアホめっ!
私は小さく息をつくと、西山宗太郎に頭を下げた。
「……ごめんなさい」
「ったく」
「きゃあっ」
西山さんは器用に私の両足に手拭いを巻き付けると、ヒョイと私を抱き上げて畳の上に上がった。
「なんだよ」
西山さんは私の瞳を覗き込んでクスリと笑った。
「あの、西山さん、自分で歩けますから」
「宗太郎でいい。西山だとどっちのことか分かんねぇからな」
……ん?
怪訝な顔をした私に西山………宗太郎は、サラリと言った。
「白鷺も名字が西山だからな。従兄弟同士なんだ」
宗太郎は私を優しく床に下ろすと、どっかりと立て膝をついて座り、こちらを見た。
「今日は俺の家に泊めてやる。その代わり」
宗太郎はそこで一旦言葉を切ると、男らしい顔を手で撫でながらニヤリと笑った。
ん?!
思わずゴクリと喉を鳴らし、私は息を飲みながら後ろへ下がった。
「な、なにっ!?」
「なにって、お前」
言いながら宗太郎は、艶っぽい眼差しで私の全身を眺めた。
なによその色気付いた顔はっ。
私は焦って宗太郎を睨んだ。
「ちょっと、変な事しないでよね」
宗太郎が首をかしげて私の方に身を乗り出す。
「変な事?お前の生業はそういう事だろ?
……一晩の屋根と引き換えに……どんな技使って俺を悦ばせてくれんの?」
早鐘のような心臓の音が耳元でけたたましく響き出し、私は立ち上がろうとした。
「いっ……!」
直後に傷付いた足裏がズキズキと痛み、身体がグラリと傾いた。
「おっと」
「ぎゃあっ!へ、変態!触らないでっ」
「ってっ!!引っ掻くなっ!」
思わず振り回した手が宗太郎にクリーンヒットし、その頬にガリッと爪が当たる。
「ごめんっ、だけど宗太郎がっ」
私が焦りながらそう言うと、私の腰に腕を回したままの宗太郎がピタリと動きを止めた。
明るい茶色の瞳が私を見つめる。
端正な顔立ちが凄く素敵で、私は顔がカアッと熱くなった。
「ねえ、あの、離して」
「お前……本当に商売女じゃないのか」
「だから違うってばっ!もう、離してっ」
腰と腰が密着し、宗太郎の息がかかるほどの近い距離に、私は恥ずかしくて窒息寸前だ。
その時、宗太郎がフッと笑った。
「な、なにっ」
「なんだ、こんなに真っ赤になって……男と抱き合うのが初めてな訳じゃないだろ?」
「そりゃ始めてじゃないよ、結婚してたし!離婚しちゃったけど」
「捨てられたのかよ」
「……っ」
宗太郎は私からそっと離れると、瞳を優しくして笑った。
それから落ち着きなく家中を見渡して口を開いた。
「……独り暮らしだから、掃除とか大してしてなくて汚いんだ。けど、ほんとに行くとこねぇなら、ここにいてもいいぜ」
「…………」
それはかなり助かる。
だって、お金がないんだもの。
それにここは白鷺の家から真っ直ぐ15分程下った場所にあり、迷うこともなさそうだ。
でもなぁ……。
宗太郎に襲われそうな気がする。
やっぱりダメだ。
私は宗太郎を見上げて言った。
「私、本当にそういう仕事じゃないの。だからその、体で家賃を払うとか食費を払うとか無理なの。だから明日になったら街へ連れて行ってくれない?
何処か住み込みで働かせてくれそうなところを見つけるから」
私がそう言うと、宗太郎は白い歯を見せた。
「お前が商売女じゃないのは分かった。襲わないから安心しろ。その代わり飯作ってくれ。な?」
「……ご飯?そんなんでいいの?」
宗太郎は頷いた。
「ああ。未来の飯、食わせろよ」
宗太郎の瞳は綺麗で、私は少し安心してウン、と頷いた。
「じゃあ……暫くの間、よろしくお願いします」
この世界で第一歩を踏み出せた気がした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
宗太郎は貧乏ではなさそうだった。
いや、こんな言い方は失礼だけど、21世紀の人間である私からすると、何もかも古びて見えてしまう。
台所だって、ガスでも電気でもない。
食材もスーパーがあるわけじゃないし、洗濯も食器洗いも眼の前の小さな幅の狭い小川でやるらしい。
火を起こすのは宗太郎がやってくれる約束だ。
当然のごとくというか予想通り、最初に炊いたご飯は失敗した。
「なんだよ焦げ臭い飯だな」
「だって、宗太郎が適当にしか教えてくれなかったからっ!」
「お前、飯炊いたことねーのかよ、どんな位の高い家に生まれたんだよ」
「炊飯器があるんです、未来には!ご飯を自動で炊いてくれる賢い機械!」
「ほーほー、それは随分ご立派だな。さ、飯食ったら仕事に行くぞ」
宗太郎は、白鷺と一緒に刀工として働いているらしい。
仕事場は、私が倒れていた白鷺の家の隣。
「歩けるか?」
「うん。宗太郎がくれた草履と手拭いのお蔭」
私がそう言いながら微笑むと、彼は気恥ずかしそうに咳払いをした。
「そのうち、着物も買ってやる」
「えっ、いいよ。私は当分これで。それにそこまで甘えられない」
「じゃあ、着物代は身体で」
「ばかっ!」
他愛もない話をしている間に、私たちは白鷺の家に到着した。
「白鷺……おっと!」
「痛っ!急に止まんないでよ」
玄関の敷居をまたごうとしたところで宗太郎が急に立ち止まり、私は見事に彼の背中に顔面をぶつけた。
そんな私に宗太郎は振り向きニヤリと笑った。
「おっと、お前は見ない方がいいぜ。刺激が強すぎる」
へ?
とかなんとか言いながら、宗太郎は身体を斜めにして、私に部屋の中を見せた。
「…………っ!」
「な?」
白鷺が、女の人を抱いていた。
私は、全身の血が引き潮のように身体からなくなってしまうような感覚に硬直した。
昨日私が寝かされていた布団で、白鷺が綺麗な女性を抱き締めていたのだ。
「んっ……、っあぁっ……」
白鷺に揺さぶられ、甘い吐息を漏らす女性は、私と宗太郎にまるで気付かない。
そんな中、白鷺がフッとこちらを向いた。
きゃあ、どうしようっ。
白鷺は私たちに気付くと、何事もなかったかのように女性に回していた腕を解き、彼女から身を離した。
それからそばに脱ぎ捨てていた着物を手に取ると、スッと袖を通す。
「……早いな」
「ああ、今日はコイツと来たから早めに家を出たんだ。邪魔して悪いな」
宗太郎の言葉に頷いてから、白鷺は涼やかな眼を私に向けたけど、私は素早く彼から視線をそらした。
「もうっ、あと少しだったのに」
白鷺に抱き締められていた女性が、彼から受け取った何かを胸元にしまいながら不満そうにそう言うと、
「また今度」
「待ってるわ」
白鷺の低い声がして、女性は私たちをすり抜けるように外へと出ていった。
……濡れ場を見てしまった。
映画でもドラマでも多少の濡れ場は含まれているし免疫はあるはずだけど、はやり画面越しでないとなると動揺する。
余談だが羨ましい事に、さっきの女性の胸はやたらとでかかった。
しかも白鷺の逞しく、腰に下がる程に引き締まった身体が私をドキドキさせた。
いつの間にか引いていった血液が戻ってきて、顔中に集まったように頬が熱い。
変態か、私は。
「俺は先に始めてるからな」
宗太郎は白鷺にそう言うと、私にじゃあなと言って再び外へと消えた。
当然のごとく、部屋には私と白鷺の二人きり。
「何しに来たんです?」
白鷺のウンザリした顔にがっかりしながら、私はゴクリと唾を飲んで大きく息を吸い込んだ。
簡単に引き下がれない事情が、私にはある。
私は土間を進み、部屋のすぐ側まで近寄ると、そこで帯をしめている白鷺を見上げた。
「西山さん、お願いします。私に剣を一刀作ってください。昨日も言いましたが、私に出来ることは何でもします。料理でも洗濯でも掃除でも。それが間に合っているなら、私どこかで働いてお金を作ってきます。だからお願いします」
私が言い終わるのを待ってから、白鷺は口を開いた。
「料理も洗濯も掃除もしていただかなくて結構。それに私の作る刀は、貴方ごときが一生身を粉にして働いたところで買えるような金額ではありません」
取り付く島もないというのはまさにこういう状況を言うのだろう。
もう何を言っても無駄なのだ。
そう思うと後悔した。
「……あの時、あなたの作った脇差を見なきゃよかった。あの脇差を手に取らなければよかった。あの地肌に惚れなきゃよかった。
あなたの刀を好きにならなかったら、ミカヅチ様に過去の日本に飛ばされる事もなかったのに」
ポトリと、土間の堅い土の上に涙が落ちる。
すぐに泣く女だと思われたくなかった。
私は白鷺に背を向けると再び口を開いた。
「……西山さん、あなたの刀が大変高価なのは分かりました。では、私が大金を……あなたが作ってもいいと思うくらい稼いできたら、あなたは私に剣を作って下さいますか?」
白鷺が静かに言った。
「……いいでしょう。その前に……いくつか質問があります」
私はゆっくりと振り返ると彼を見つめた。
帯を締め終えた白鷺は畳の床に立て膝で座り、僅かに目を細めて私を見た。
「あなたは……いつどこで私の刀を見たんです?」
話さなければならない。
今がその時なのだ。
「……聞いてくださいますか?私の身に起きた不思議なお話を」
私は頷いた彼を見て、部屋の縁に腰を掛けた。
話そう。
そう、全てを。
◇◇◇◇◇◇
「信じてもらえないかも知れませんが、今お話ししたのは事実です」
白鷺は唇を引き結び、険しい顔で私を見ていたが、小さく息をついてから梁が剥き出しになっている高い天井を見上げた。
「……話は分かりました。かなり現実離れはしてますが」
そう言われるのは仕方がない。
だって、自分でも信じられないもの。
「私自身が信じられないような体験でしたから、西山さんにしたら疑いたくなりますよね。でも事実なんです」
「では、背中を見ても?」
背中とは……ミカヅチ様に身体を押さえられて、焼け付くような痛みを覚えた時の……。
反射的にミカヅチ様の言葉が蘇る。
『白鷺に会ったら背中を見せろ。これと寸分たがわぬ剣を作らせて持ち帰れ』
背中を見せろだなんてよくも言ったわね、あの三流神様!!
バツイチだから別にいいだろ!とか思われてたら……悔しいっ!
再びミカヅチ様に怒りを覚えた私を、白鷺の声が呼び戻した。
「背中を見せてください」
……ここで嫌だとは言えない。
拒否したら、全て作り話だと思われかねない。
ああっ!
もう逃げられないし仕方ないっ!
「わ、分かりました!見せます!」
私は目を閉じると唇を噛みしめ、腕を交差させて服の裾を掴むと、一気にまくり上げた。
その時、
「おい!」
きゃああっ!
異様にデカイ声が響き、驚いた私は慌てて服を戻し、声のした方を見やった。
見ると出入り口に宗太郎が立っていた。
あー、ビックリしたあ!
それから見られたのがまるで知らない人間ではなかった事実にホッとする。
「宗太郎……あの」
私の声に被せるようにして、宗太郎が尋ねた。
「柚菜、何してる」
何してるってその……背中を見せてるとか、服を脱いでましたとか、言葉にするといやらしい感じで誤解を招くような……。
かといって、『何でもないの』って言うのも絶対おかしいし。
考えあぐねて口ごもる私を見て、宗太郎はチッと舌打ちしながら荒々しく歩を進めた。
私の傍まで来た途端、宗太郎は私の腕を掴んで立たせたとおもうと、腰に腕を絡めて引き寄せた。
「きゃ!」
「うるせえ」
低い声でそう言うと、宗太郎は至近距離から私の瞳を覗き込んだ。
切り込んだような二重の眼が苛立たしげに光っていて、私はその迫力にコクンと息を飲んだ。
「宗太郎……?」
「柚菜、道分かるだろ。お前はもう帰ってろ。俺が帰るまで家から出るなよ」
「で、でも……」
「うるせぇ、イライラさせんな」
「……分かった」
何で宗太郎がイラついてるのかは、明白だ。
私が長々と白鷺を引き留めて話をしていたせいで、いつまでも仕事を始められないからだ。
宗太郎に怒られたことがショックだった。
だって彼は、私を助けてくれた人だから。
「ごめん、宗太郎」
私がそう言うと、宗太郎は驚いたように私を見つめた。
やがて険しかった眼差しが優しいものに変わる。
「……もういいから、家で待ってろ」
一瞬宗太郎は腕に力を込めて私を抱き締めると、そっとそれを解いた。
「うん……」
◇◇◇◇◇◇
白鷺の家も宗太郎の家も集落から離れているらしく、道中ではまだは人に出会っていない。
……どこで食材を調達しているんだろう。
かまどから数歩離れた場所の、紐で吊るした籠の中を覗き込みながら、私は首をかしげた。
卵がある。
未来の飯を食わせろと宗太郎は言ったけど、ここにある食材では無理だ。
私は小さく息をついて卵を見つめた。
◇◇◇◇◇
……いい匂い……。
……鍋……?
鍋なんていつぶりだろう?
確か拓也が寒いから鍋にしてってラインしてきて……。
時期的な事を考えてみると、あの時からもう拓也の気持ちは私から離れていたんだ。
嫌だ、行かないで。
側にいてよ。
離さないで。
夢だと言って。
その時、肩を揺すられた。
「……っ!」
「大丈夫で、」
「宗太郎っ!」
どうやら夢を見ていたようだ。
うす暗い室内には、不安定な橙色の灯りが揺らめいて、私は怖くて心細くて目の前の腕にしがみ付いた。
「宗太郎、怖い夢見ちゃった」
言いながら彼の腕にしがみつき、私は宗太郎を見上げた。
「あっ!……きゃあっ!」
宗太郎じゃないじゃん!
驚く事に、目の前の人物は白鷺だった。
「ご、ごめんなさい!宗太郎と間違えてっ!」
慌てて放り投げるように白鷺の腕を離すと、彼は呆れたように私を見て溜め息をついた。
「宗太郎はあれからすぐに宍粟へと出掛けました。十日は帰らないでしょう」
「十日も?!」
「千種鋼の買い付けに。あちらには馴染みの職人がいまして」
「西山さんは、千種鋼を刀の材料に?!戦国時代だったかな?昔は南蛮鉄を用いる刀工が多かったとききましたが、千種鋼はどうですか?!私が持っていた本によると、硬すぎて芯鉄を入れないと……あっ!」
慌てて両手で口を覆ったのは、白鷺がポカンとした顔で私を見ていたから。
「あの、ごめんなさい……」
そんな私を見て、白鷺はクスリと笑った。
「私の刀は……使う材料にもよりますが芯鉄はいれません。そういった面では昔の日本刀の作り方に近いのかもしれません。今の時代の刀は材料の質の問題もあり、芯鉄を包み込むようにするのが主流です。残念なことに刃文こそ違えど、あ」
今度は白鷺が我に返った。
その顔が、赤い。
それを隠すかのように白鷺は咳払いをした。
「とにかく、宗太郎から伝言で……私の家にでも泊めてもらえと」
……白鷺の家に?
私はまじまじと白鷺を見つめた。
「でも……ご迷惑なんじゃ」
「迷惑です」
なんだよっ、その返しはっ!
はっきり拒絶された事に傷付き、思わず俯く。
「……じゃあ、私、ここにいます」
だってこれ以上嫌われて、剣を作ってもらえないなんて事になると……ゾッとする。
「では今晩だけ……夕食の支度をしましたから一緒に食べましょう」
「西山さんが作ってくださったんですか?!」
ついつい嬉しくて、私が土間のかまどとその隣の鍋に眼をやると、白鷺が困ったように笑った。
「……味は保証できませんが、猟師の仁さんから猪肉をいただいたので、入れました」
「いい匂い!」
「お酒は飲みますか?」
白鷺の問いに私は頷いた。
「実は私、ザルなんです」
「へえ、そうですか」
白鷺は流すように私を見ると、鼻で笑った。
まるで信じてないようだ。
何でもいいから一つでも、自分の事を信じて欲しかった。
「本当よ」
私は白鷺の側においてあった陶器の徳利を手にすると、彼を見つめてニヤリと笑った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
……んー……。
痛い……身体が。
堅い床は本当に慣れない。
下にしている肩がたまらなく痛い。
私は顔をしかめながら寝返りを打った。
あれ、なんでこんな壁際で寝てんの私。
……まあいいや。
そう思いながら壁にすり寄ると、そこから出てきた腕に身体を囲うように包まれた。
んあ?
なに、どういうこと?
でも温かくて気持ちいい。
「柚菜」
拓也?
いや、拓也のわけがない。
拓也とは離婚して……。
「柚菜」
低くて聞き心地のよいこの声の主は……。
うわっ!
ゆっくりと瞼を開けると、私は息を飲んで眼を見開いた。
「おっと、こんな至近距離で叫ぶな。頭に響く」
素早く私の口を手で塞いだのは、紛れもなく白鷺だった。
お互い横向きに寝そべり、白鷺に腕枕をされ、挙げ句に彼の右足が私の身体を挟むように絡み付いている。
「あ、あの、ふがっ」
クスリと笑って白鷺が私の口から手をどけた。
「おはよう、柚菜」
ゆ、ゆ、柚菜っ!
サッと血の気が引いた。
なんで急に名前、しかも呼び捨て!?
やだ、ちょっと待って、今思い出す……。
焦る私を見て、白鷺が笑った。
至近距離から見る白鷺の端正な顔立ち。
通った鼻筋と精悍な頬。
逞しい首から肩にかけてのライン。
なに、この恋人同士みたいな密着度は。
私は一体、彼に何をしたんだろう。
ヤバい、嫌われたら剣が。
私は白鷺から離れようともがいた。
「あの、西山さん、ごめんなさい!私何か失礼な事を……」
「……今さら白々しく『西山さん』なんて呼ばなくていい」
嘘でしょ、どうしよう!
「待って、今思い出すから……」
焦りまくる私を更にギュッと抱き締めると、白鷺は息がかかる距離で口を開いた。
『白鷺、剣を作ってっ!じゃないと私、21世紀に帰れない!白鷺の刀は凄く素敵なのに作った本人は凄く意地悪!でも私、剣を作ってくれるまでは側を離れない!』
まじか……!私、そんな暴言を……!
「……ごめんなさい」
項垂れる私を見て、白鷺は笑った。
「柚菜は酒を飲まない方がいい」
……そう言われても仕方ないよね……。
気付いてなかったが酒乱だったのか、私。
「……俺以外の人間の前では」
「……へ?」
それはどういう意味なのか。
「とにかく、俺以外とは酒を飲まないと約束を」
もしかして、酒飲んで暴れて無礼を働いたら、この世界では斬り殺されるぞという忠告なのだろうか。
「はい……ごめんなさい」
「それとひとつ質問が」
この体勢で、質問?
「なんですか?」
「敬語は使わなくていい。化けの皮は剥がれているから」
化けの皮って……そんなに酷かったのか、私。
「……なに?」
私が白鷺を見つめると、彼は少し咳払いして視線を反らした。
「宗太郎とは、その」
宗太郎?
「……はい?」
「俺がいない間に浮気するなと伝言を」
は?
私はフッと笑った。
「なんだそれ。宗太郎の冗談はつまんないですね」
「だから……宗太郎と柚菜は、その、」
「私と宗太郎?そんな関係じゃないですけど。私、そういう仕事の人じゃないですし」
「それは分かっている。こんな貧相な身体で客が取れるとは思えないので」
サラッと失礼な事を言うな、白鷺は。
「悪かったですね、胸もお尻もなくて。てか大体、どうして私と西山さんはこんなにくっついているんですか?」
私がムッとして白鷺を見上げると、白鷺は呆れたように口を開いた。
『白鷺、白鷺っ、今なんか、部屋の隅で動いたっ!虫っ?!やだやだ、怖いから一緒に寝て!』
たまらなくなって私は飛び起きた。
「重ね重ね、すみませんでした!」
もう、最悪だ。
恥かきっぱなし。
「私、凄く酔っぱらってたんですね。途中から記憶がありません。本当にごめんなさい」
床に頭を擦り付けて謝ると、白鷺は起き上がってクスクスと笑った。
「もういい。とにかく宗太郎が帰るまで、俺の家に」
「……ほんとに……いいんですか?」
白鷺が微笑みながら頷いた。
「ありがとう、西山さん」
お礼を言った声が大きすぎたのか、白鷺は僅かに眉を寄せながらそっぽを向いた。
「白鷺でいい」
私は白鷺にペコリと頭を下げると、ホッとして眼を閉じた。
「……何で直ぐに言わなかったんだよ」
赤茶……西山宗太郎は苛立たしげに私を睨んだ。
「だって、言い出せなくて」
「アホか!傷だらけじゃねえか!当分此処でおとなしくしてろ」
宗太郎が桶に浸けた私の足の裏を洗いながらブツブツと怒った。
そう、ミカヅチ様にすっ飛ばされた私は、裸足だったのだ。
けれどあの状況で裸足だとは言えず、砂利道を歩き続けた結果足裏から流血し、私は転んでしまった。
つくづく憎たらしい、ミカヅチのアホめっ!
私は小さく息をつくと、西山宗太郎に頭を下げた。
「……ごめんなさい」
「ったく」
「きゃあっ」
西山さんは器用に私の両足に手拭いを巻き付けると、ヒョイと私を抱き上げて畳の上に上がった。
「なんだよ」
西山さんは私の瞳を覗き込んでクスリと笑った。
「あの、西山さん、自分で歩けますから」
「宗太郎でいい。西山だとどっちのことか分かんねぇからな」
……ん?
怪訝な顔をした私に西山………宗太郎は、サラリと言った。
「白鷺も名字が西山だからな。従兄弟同士なんだ」
宗太郎は私を優しく床に下ろすと、どっかりと立て膝をついて座り、こちらを見た。
「今日は俺の家に泊めてやる。その代わり」
宗太郎はそこで一旦言葉を切ると、男らしい顔を手で撫でながらニヤリと笑った。
ん?!
思わずゴクリと喉を鳴らし、私は息を飲みながら後ろへ下がった。
「な、なにっ!?」
「なにって、お前」
言いながら宗太郎は、艶っぽい眼差しで私の全身を眺めた。
なによその色気付いた顔はっ。
私は焦って宗太郎を睨んだ。
「ちょっと、変な事しないでよね」
宗太郎が首をかしげて私の方に身を乗り出す。
「変な事?お前の生業はそういう事だろ?
……一晩の屋根と引き換えに……どんな技使って俺を悦ばせてくれんの?」
早鐘のような心臓の音が耳元でけたたましく響き出し、私は立ち上がろうとした。
「いっ……!」
直後に傷付いた足裏がズキズキと痛み、身体がグラリと傾いた。
「おっと」
「ぎゃあっ!へ、変態!触らないでっ」
「ってっ!!引っ掻くなっ!」
思わず振り回した手が宗太郎にクリーンヒットし、その頬にガリッと爪が当たる。
「ごめんっ、だけど宗太郎がっ」
私が焦りながらそう言うと、私の腰に腕を回したままの宗太郎がピタリと動きを止めた。
明るい茶色の瞳が私を見つめる。
端正な顔立ちが凄く素敵で、私は顔がカアッと熱くなった。
「ねえ、あの、離して」
「お前……本当に商売女じゃないのか」
「だから違うってばっ!もう、離してっ」
腰と腰が密着し、宗太郎の息がかかるほどの近い距離に、私は恥ずかしくて窒息寸前だ。
その時、宗太郎がフッと笑った。
「な、なにっ」
「なんだ、こんなに真っ赤になって……男と抱き合うのが初めてな訳じゃないだろ?」
「そりゃ始めてじゃないよ、結婚してたし!離婚しちゃったけど」
「捨てられたのかよ」
「……っ」
宗太郎は私からそっと離れると、瞳を優しくして笑った。
それから落ち着きなく家中を見渡して口を開いた。
「……独り暮らしだから、掃除とか大してしてなくて汚いんだ。けど、ほんとに行くとこねぇなら、ここにいてもいいぜ」
「…………」
それはかなり助かる。
だって、お金がないんだもの。
それにここは白鷺の家から真っ直ぐ15分程下った場所にあり、迷うこともなさそうだ。
でもなぁ……。
宗太郎に襲われそうな気がする。
やっぱりダメだ。
私は宗太郎を見上げて言った。
「私、本当にそういう仕事じゃないの。だからその、体で家賃を払うとか食費を払うとか無理なの。だから明日になったら街へ連れて行ってくれない?
何処か住み込みで働かせてくれそうなところを見つけるから」
私がそう言うと、宗太郎は白い歯を見せた。
「お前が商売女じゃないのは分かった。襲わないから安心しろ。その代わり飯作ってくれ。な?」
「……ご飯?そんなんでいいの?」
宗太郎は頷いた。
「ああ。未来の飯、食わせろよ」
宗太郎の瞳は綺麗で、私は少し安心してウン、と頷いた。
「じゃあ……暫くの間、よろしくお願いします」
この世界で第一歩を踏み出せた気がした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
宗太郎は貧乏ではなさそうだった。
いや、こんな言い方は失礼だけど、21世紀の人間である私からすると、何もかも古びて見えてしまう。
台所だって、ガスでも電気でもない。
食材もスーパーがあるわけじゃないし、洗濯も食器洗いも眼の前の小さな幅の狭い小川でやるらしい。
火を起こすのは宗太郎がやってくれる約束だ。
当然のごとくというか予想通り、最初に炊いたご飯は失敗した。
「なんだよ焦げ臭い飯だな」
「だって、宗太郎が適当にしか教えてくれなかったからっ!」
「お前、飯炊いたことねーのかよ、どんな位の高い家に生まれたんだよ」
「炊飯器があるんです、未来には!ご飯を自動で炊いてくれる賢い機械!」
「ほーほー、それは随分ご立派だな。さ、飯食ったら仕事に行くぞ」
宗太郎は、白鷺と一緒に刀工として働いているらしい。
仕事場は、私が倒れていた白鷺の家の隣。
「歩けるか?」
「うん。宗太郎がくれた草履と手拭いのお蔭」
私がそう言いながら微笑むと、彼は気恥ずかしそうに咳払いをした。
「そのうち、着物も買ってやる」
「えっ、いいよ。私は当分これで。それにそこまで甘えられない」
「じゃあ、着物代は身体で」
「ばかっ!」
他愛もない話をしている間に、私たちは白鷺の家に到着した。
「白鷺……おっと!」
「痛っ!急に止まんないでよ」
玄関の敷居をまたごうとしたところで宗太郎が急に立ち止まり、私は見事に彼の背中に顔面をぶつけた。
そんな私に宗太郎は振り向きニヤリと笑った。
「おっと、お前は見ない方がいいぜ。刺激が強すぎる」
へ?
とかなんとか言いながら、宗太郎は身体を斜めにして、私に部屋の中を見せた。
「…………っ!」
「な?」
白鷺が、女の人を抱いていた。
私は、全身の血が引き潮のように身体からなくなってしまうような感覚に硬直した。
昨日私が寝かされていた布団で、白鷺が綺麗な女性を抱き締めていたのだ。
「んっ……、っあぁっ……」
白鷺に揺さぶられ、甘い吐息を漏らす女性は、私と宗太郎にまるで気付かない。
そんな中、白鷺がフッとこちらを向いた。
きゃあ、どうしようっ。
白鷺は私たちに気付くと、何事もなかったかのように女性に回していた腕を解き、彼女から身を離した。
それからそばに脱ぎ捨てていた着物を手に取ると、スッと袖を通す。
「……早いな」
「ああ、今日はコイツと来たから早めに家を出たんだ。邪魔して悪いな」
宗太郎の言葉に頷いてから、白鷺は涼やかな眼を私に向けたけど、私は素早く彼から視線をそらした。
「もうっ、あと少しだったのに」
白鷺に抱き締められていた女性が、彼から受け取った何かを胸元にしまいながら不満そうにそう言うと、
「また今度」
「待ってるわ」
白鷺の低い声がして、女性は私たちをすり抜けるように外へと出ていった。
……濡れ場を見てしまった。
映画でもドラマでも多少の濡れ場は含まれているし免疫はあるはずだけど、はやり画面越しでないとなると動揺する。
余談だが羨ましい事に、さっきの女性の胸はやたらとでかかった。
しかも白鷺の逞しく、腰に下がる程に引き締まった身体が私をドキドキさせた。
いつの間にか引いていった血液が戻ってきて、顔中に集まったように頬が熱い。
変態か、私は。
「俺は先に始めてるからな」
宗太郎は白鷺にそう言うと、私にじゃあなと言って再び外へと消えた。
当然のごとく、部屋には私と白鷺の二人きり。
「何しに来たんです?」
白鷺のウンザリした顔にがっかりしながら、私はゴクリと唾を飲んで大きく息を吸い込んだ。
簡単に引き下がれない事情が、私にはある。
私は土間を進み、部屋のすぐ側まで近寄ると、そこで帯をしめている白鷺を見上げた。
「西山さん、お願いします。私に剣を一刀作ってください。昨日も言いましたが、私に出来ることは何でもします。料理でも洗濯でも掃除でも。それが間に合っているなら、私どこかで働いてお金を作ってきます。だからお願いします」
私が言い終わるのを待ってから、白鷺は口を開いた。
「料理も洗濯も掃除もしていただかなくて結構。それに私の作る刀は、貴方ごときが一生身を粉にして働いたところで買えるような金額ではありません」
取り付く島もないというのはまさにこういう状況を言うのだろう。
もう何を言っても無駄なのだ。
そう思うと後悔した。
「……あの時、あなたの作った脇差を見なきゃよかった。あの脇差を手に取らなければよかった。あの地肌に惚れなきゃよかった。
あなたの刀を好きにならなかったら、ミカヅチ様に過去の日本に飛ばされる事もなかったのに」
ポトリと、土間の堅い土の上に涙が落ちる。
すぐに泣く女だと思われたくなかった。
私は白鷺に背を向けると再び口を開いた。
「……西山さん、あなたの刀が大変高価なのは分かりました。では、私が大金を……あなたが作ってもいいと思うくらい稼いできたら、あなたは私に剣を作って下さいますか?」
白鷺が静かに言った。
「……いいでしょう。その前に……いくつか質問があります」
私はゆっくりと振り返ると彼を見つめた。
帯を締め終えた白鷺は畳の床に立て膝で座り、僅かに目を細めて私を見た。
「あなたは……いつどこで私の刀を見たんです?」
話さなければならない。
今がその時なのだ。
「……聞いてくださいますか?私の身に起きた不思議なお話を」
私は頷いた彼を見て、部屋の縁に腰を掛けた。
話そう。
そう、全てを。
◇◇◇◇◇◇
「信じてもらえないかも知れませんが、今お話ししたのは事実です」
白鷺は唇を引き結び、険しい顔で私を見ていたが、小さく息をついてから梁が剥き出しになっている高い天井を見上げた。
「……話は分かりました。かなり現実離れはしてますが」
そう言われるのは仕方がない。
だって、自分でも信じられないもの。
「私自身が信じられないような体験でしたから、西山さんにしたら疑いたくなりますよね。でも事実なんです」
「では、背中を見ても?」
背中とは……ミカヅチ様に身体を押さえられて、焼け付くような痛みを覚えた時の……。
反射的にミカヅチ様の言葉が蘇る。
『白鷺に会ったら背中を見せろ。これと寸分たがわぬ剣を作らせて持ち帰れ』
背中を見せろだなんてよくも言ったわね、あの三流神様!!
バツイチだから別にいいだろ!とか思われてたら……悔しいっ!
再びミカヅチ様に怒りを覚えた私を、白鷺の声が呼び戻した。
「背中を見せてください」
……ここで嫌だとは言えない。
拒否したら、全て作り話だと思われかねない。
ああっ!
もう逃げられないし仕方ないっ!
「わ、分かりました!見せます!」
私は目を閉じると唇を噛みしめ、腕を交差させて服の裾を掴むと、一気にまくり上げた。
その時、
「おい!」
きゃああっ!
異様にデカイ声が響き、驚いた私は慌てて服を戻し、声のした方を見やった。
見ると出入り口に宗太郎が立っていた。
あー、ビックリしたあ!
それから見られたのがまるで知らない人間ではなかった事実にホッとする。
「宗太郎……あの」
私の声に被せるようにして、宗太郎が尋ねた。
「柚菜、何してる」
何してるってその……背中を見せてるとか、服を脱いでましたとか、言葉にするといやらしい感じで誤解を招くような……。
かといって、『何でもないの』って言うのも絶対おかしいし。
考えあぐねて口ごもる私を見て、宗太郎はチッと舌打ちしながら荒々しく歩を進めた。
私の傍まで来た途端、宗太郎は私の腕を掴んで立たせたとおもうと、腰に腕を絡めて引き寄せた。
「きゃ!」
「うるせえ」
低い声でそう言うと、宗太郎は至近距離から私の瞳を覗き込んだ。
切り込んだような二重の眼が苛立たしげに光っていて、私はその迫力にコクンと息を飲んだ。
「宗太郎……?」
「柚菜、道分かるだろ。お前はもう帰ってろ。俺が帰るまで家から出るなよ」
「で、でも……」
「うるせぇ、イライラさせんな」
「……分かった」
何で宗太郎がイラついてるのかは、明白だ。
私が長々と白鷺を引き留めて話をしていたせいで、いつまでも仕事を始められないからだ。
宗太郎に怒られたことがショックだった。
だって彼は、私を助けてくれた人だから。
「ごめん、宗太郎」
私がそう言うと、宗太郎は驚いたように私を見つめた。
やがて険しかった眼差しが優しいものに変わる。
「……もういいから、家で待ってろ」
一瞬宗太郎は腕に力を込めて私を抱き締めると、そっとそれを解いた。
「うん……」
◇◇◇◇◇◇
白鷺の家も宗太郎の家も集落から離れているらしく、道中ではまだは人に出会っていない。
……どこで食材を調達しているんだろう。
かまどから数歩離れた場所の、紐で吊るした籠の中を覗き込みながら、私は首をかしげた。
卵がある。
未来の飯を食わせろと宗太郎は言ったけど、ここにある食材では無理だ。
私は小さく息をついて卵を見つめた。
◇◇◇◇◇
……いい匂い……。
……鍋……?
鍋なんていつぶりだろう?
確か拓也が寒いから鍋にしてってラインしてきて……。
時期的な事を考えてみると、あの時からもう拓也の気持ちは私から離れていたんだ。
嫌だ、行かないで。
側にいてよ。
離さないで。
夢だと言って。
その時、肩を揺すられた。
「……っ!」
「大丈夫で、」
「宗太郎っ!」
どうやら夢を見ていたようだ。
うす暗い室内には、不安定な橙色の灯りが揺らめいて、私は怖くて心細くて目の前の腕にしがみ付いた。
「宗太郎、怖い夢見ちゃった」
言いながら彼の腕にしがみつき、私は宗太郎を見上げた。
「あっ!……きゃあっ!」
宗太郎じゃないじゃん!
驚く事に、目の前の人物は白鷺だった。
「ご、ごめんなさい!宗太郎と間違えてっ!」
慌てて放り投げるように白鷺の腕を離すと、彼は呆れたように私を見て溜め息をついた。
「宗太郎はあれからすぐに宍粟へと出掛けました。十日は帰らないでしょう」
「十日も?!」
「千種鋼の買い付けに。あちらには馴染みの職人がいまして」
「西山さんは、千種鋼を刀の材料に?!戦国時代だったかな?昔は南蛮鉄を用いる刀工が多かったとききましたが、千種鋼はどうですか?!私が持っていた本によると、硬すぎて芯鉄を入れないと……あっ!」
慌てて両手で口を覆ったのは、白鷺がポカンとした顔で私を見ていたから。
「あの、ごめんなさい……」
そんな私を見て、白鷺はクスリと笑った。
「私の刀は……使う材料にもよりますが芯鉄はいれません。そういった面では昔の日本刀の作り方に近いのかもしれません。今の時代の刀は材料の質の問題もあり、芯鉄を包み込むようにするのが主流です。残念なことに刃文こそ違えど、あ」
今度は白鷺が我に返った。
その顔が、赤い。
それを隠すかのように白鷺は咳払いをした。
「とにかく、宗太郎から伝言で……私の家にでも泊めてもらえと」
……白鷺の家に?
私はまじまじと白鷺を見つめた。
「でも……ご迷惑なんじゃ」
「迷惑です」
なんだよっ、その返しはっ!
はっきり拒絶された事に傷付き、思わず俯く。
「……じゃあ、私、ここにいます」
だってこれ以上嫌われて、剣を作ってもらえないなんて事になると……ゾッとする。
「では今晩だけ……夕食の支度をしましたから一緒に食べましょう」
「西山さんが作ってくださったんですか?!」
ついつい嬉しくて、私が土間のかまどとその隣の鍋に眼をやると、白鷺が困ったように笑った。
「……味は保証できませんが、猟師の仁さんから猪肉をいただいたので、入れました」
「いい匂い!」
「お酒は飲みますか?」
白鷺の問いに私は頷いた。
「実は私、ザルなんです」
「へえ、そうですか」
白鷺は流すように私を見ると、鼻で笑った。
まるで信じてないようだ。
何でもいいから一つでも、自分の事を信じて欲しかった。
「本当よ」
私は白鷺の側においてあった陶器の徳利を手にすると、彼を見つめてニヤリと笑った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
……んー……。
痛い……身体が。
堅い床は本当に慣れない。
下にしている肩がたまらなく痛い。
私は顔をしかめながら寝返りを打った。
あれ、なんでこんな壁際で寝てんの私。
……まあいいや。
そう思いながら壁にすり寄ると、そこから出てきた腕に身体を囲うように包まれた。
んあ?
なに、どういうこと?
でも温かくて気持ちいい。
「柚菜」
拓也?
いや、拓也のわけがない。
拓也とは離婚して……。
「柚菜」
低くて聞き心地のよいこの声の主は……。
うわっ!
ゆっくりと瞼を開けると、私は息を飲んで眼を見開いた。
「おっと、こんな至近距離で叫ぶな。頭に響く」
素早く私の口を手で塞いだのは、紛れもなく白鷺だった。
お互い横向きに寝そべり、白鷺に腕枕をされ、挙げ句に彼の右足が私の身体を挟むように絡み付いている。
「あ、あの、ふがっ」
クスリと笑って白鷺が私の口から手をどけた。
「おはよう、柚菜」
ゆ、ゆ、柚菜っ!
サッと血の気が引いた。
なんで急に名前、しかも呼び捨て!?
やだ、ちょっと待って、今思い出す……。
焦る私を見て、白鷺が笑った。
至近距離から見る白鷺の端正な顔立ち。
通った鼻筋と精悍な頬。
逞しい首から肩にかけてのライン。
なに、この恋人同士みたいな密着度は。
私は一体、彼に何をしたんだろう。
ヤバい、嫌われたら剣が。
私は白鷺から離れようともがいた。
「あの、西山さん、ごめんなさい!私何か失礼な事を……」
「……今さら白々しく『西山さん』なんて呼ばなくていい」
嘘でしょ、どうしよう!
「待って、今思い出すから……」
焦りまくる私を更にギュッと抱き締めると、白鷺は息がかかる距離で口を開いた。
『白鷺、剣を作ってっ!じゃないと私、21世紀に帰れない!白鷺の刀は凄く素敵なのに作った本人は凄く意地悪!でも私、剣を作ってくれるまでは側を離れない!』
まじか……!私、そんな暴言を……!
「……ごめんなさい」
項垂れる私を見て、白鷺は笑った。
「柚菜は酒を飲まない方がいい」
……そう言われても仕方ないよね……。
気付いてなかったが酒乱だったのか、私。
「……俺以外の人間の前では」
「……へ?」
それはどういう意味なのか。
「とにかく、俺以外とは酒を飲まないと約束を」
もしかして、酒飲んで暴れて無礼を働いたら、この世界では斬り殺されるぞという忠告なのだろうか。
「はい……ごめんなさい」
「それとひとつ質問が」
この体勢で、質問?
「なんですか?」
「敬語は使わなくていい。化けの皮は剥がれているから」
化けの皮って……そんなに酷かったのか、私。
「……なに?」
私が白鷺を見つめると、彼は少し咳払いして視線を反らした。
「宗太郎とは、その」
宗太郎?
「……はい?」
「俺がいない間に浮気するなと伝言を」
は?
私はフッと笑った。
「なんだそれ。宗太郎の冗談はつまんないですね」
「だから……宗太郎と柚菜は、その、」
「私と宗太郎?そんな関係じゃないですけど。私、そういう仕事の人じゃないですし」
「それは分かっている。こんな貧相な身体で客が取れるとは思えないので」
サラッと失礼な事を言うな、白鷺は。
「悪かったですね、胸もお尻もなくて。てか大体、どうして私と西山さんはこんなにくっついているんですか?」
私がムッとして白鷺を見上げると、白鷺は呆れたように口を開いた。
『白鷺、白鷺っ、今なんか、部屋の隅で動いたっ!虫っ?!やだやだ、怖いから一緒に寝て!』
たまらなくなって私は飛び起きた。
「重ね重ね、すみませんでした!」
もう、最悪だ。
恥かきっぱなし。
「私、凄く酔っぱらってたんですね。途中から記憶がありません。本当にごめんなさい」
床に頭を擦り付けて謝ると、白鷺は起き上がってクスクスと笑った。
「もういい。とにかく宗太郎が帰るまで、俺の家に」
「……ほんとに……いいんですか?」
白鷺が微笑みながら頷いた。
「ありがとう、西山さん」
お礼を言った声が大きすぎたのか、白鷺は僅かに眉を寄せながらそっぽを向いた。
「白鷺でいい」
私は白鷺にペコリと頭を下げると、ホッとして眼を閉じた。
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