恋愛ノスタルジー

友崎沙咲

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悲しいキス

《4》

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****

「どこに買いにいく?」

車に乗り込んだ私を見ず、圭吾さんは少し掠れた声でそう問いかけてきた。
国産の高級車はスタイリッシュなスポーツタイプで、見目麗しい圭吾さんによく似合っている。

……なんか緊張するなあ……。

「僕は食材を買いに行かないからどの店がいいとか詳しくないんだ」

……でしょうねぇ……。
買い物カートから一番遠い人種だもの。

「そうですか……じゃあ、大通りに出て星霜百貨店を目指していただいていいですか?その地下の食材店なら、色んな物がありますから」

以前美月をそこに連れていったら、

『何ここ!トマト一個が900円!?セレブはこんなところで買い物すんのか、ちきしょう!』

なんて毒ついていたけれど、それは美月がオーガニックコーナーに迷い込んでいただけだ。

「分かった」

車に詳しくない私は、圭吾さんの車の車種は分からない。
道路は混んでいて、いくら速そうなこの車もアクセルを踏み込む程スピードは出せない。
誰もが目的地へ少しでも早く到着したい中、圭吾さんの運転はとても紳士的だった。

他の車や歩行者に対する気遣いを忘れず、譲られれば手をあげたり頭を下げたりと感謝の意をちゃんと伝える。
……なんか……素敵。
そう思いつつじっと圭吾さんの横顔を見つめると彼は視線を感じたのか、

「なんだ」

あ、そうだ。

「そういえば圭吾さんはどんな鍋がいいですか?」
「どんな鍋?」
「別に鍋スープを買わなくてもシンプルな鍋なら作れますけど、キムチ鍋とか塩ちゃんこ鍋とかカレー鍋とか豆乳鍋とか……今って色んな鍋スープがあるんですよ」
「……」

いっこうに返事が返って来ないから様子を窺うように運転席を見ると、彼は何故か無表情のまま運転していた。
……まあいいか。店について決めてもいいしね。
私は彼の返事を諦めると、窓の外の喧騒に眼を向けた。

*****

「着いたぞ」

誰かに身体を揺すられて、私は驚いて眼を開けた。

「凌央さん?……あ」

あれ、暗!ん!?どこ、ここ。えっと、確か……。

「行くぞ」
「あっ、圭吾さん!」

……そうだ、圭吾さんと鍋をしようって話で一緒に買い物に来たんだった。
やだ、こんな短時間に眠っちゃうなんて。

「ごめんなさい、寝ちゃった」
「凌央さんじゃなくて悪かったな」
「えっ!?」

もしかして今私、凌央さんの名前を呼んじゃってたのか。
ほんの少しだけ冷たく私を見下ろすと圭吾さんは、

「行くぞ」
「……はい」

ああ。ほんとあり得ない。こんな雰囲気で鍋なんて。


*****

意外な事に圭吾さんは自らカートにカゴを乗せ、食材を選び出した。
スーツ姿の長身イケメンがカートを押しながら一心に食材を選ぶ様はかなりのギャップ萌えらしく、会社帰りのOLさんや主婦をはじめ、パートの女性までもが圭吾さんに釘付けになっている。

皆さんポォッとしているけど……分かってないわ。
言っときますけどこのイケメンの夢川圭吾さんは好きな女性とは甘い言葉でラブラブな会話とかしてるけど、無理矢理結婚しなきゃならないドン臭い女には超冷たいんだから。
この間なんて刺し殺さんばかりの鋭い眼差しで私を……。

「彩」

……はっ?
あ、あ、彩!!
それは紛れもなく私の名前で、声は圭吾さんに間違いなかった。

「彩」

彩なんて、今だかつて呼ばれた事なんかなくて、その……。

「彩」
「は、はいっ」

裏返りそうな勢いで返事をした私を、周囲の人がチラチラと見る。

「何してるんだ」
「いや、あの、別に……」
「鍋スープはこれにする」
「あ、はい」

カゴの中には白菜や椎茸、その他の鍋の食材と鍋スープが綺麗に入っている。
その鍋スープのパッケージには《寄せ鍋・アゴ出汁》の文字が。

私がそれを凝視していると、

「彩が嫌なら別のものでいい」

そう言えば婚約パーティが終わって最後に二人で厨房に挨拶に行った時、圭吾さんは料理長にアゴ出汁のお吸い物がすごく美味しかったってお礼を言っていた。

「アゴ出汁、私も大好きです。これにしましょう」

そう言いながら圭吾さんを見上げると、彼は一瞬ポカンとしたあと、小さく咳払いして横を向いた。

「昼抜きなんだ。帰るぞ」
「あ、はい!」

昼抜きなんて……なんか悪い事しちゃった。
私が予め仕事帰りに食材調達していたら、少しでも早く圭吾さんに鍋を食べさせてあげられたのに。

****

「で、その男とはどうなってるんだ」
「え?!」

鍋を食べながら、まるで天気の話をするように圭吾さんはこう切り出した。
……そうだ。そう言えば圭吾さんに私は一体どんな失礼を働いてしまったのか。
お箸を持ったまま硬直した私をチラリと見た後、圭吾さんは自分のグラスにビールをついで一口飲んだ。

それから、

「今更隠さなくていい。好きな男がいるのは知ってるし昨夜のあの乱れようは尋常じゃなかった」

じ、尋常じゃない乱れ方!?

「あの、そう言えば……私なにか言ってました?」
「覚えてないのか?」
「はい……」
「……」

圭吾さんは私をしばらく見つめていたけれどやがて諦めたように鍋を食べはじめた。
よく考えたら圭吾さんに迷惑をかけたのは確かだし、何も言わないのはダメよね。
私は器を置くと、意を決して口を開いた。

「……好きな人が……他の女性とキスしてるのを見ちゃったんです。それで、悲しくて……」

私のその声に、圭吾さんはお箸を止めた。

「もう一度詳しく話せ」
「……はい」


****

凌央さんに出会ってから今までの経緯を、私は包み隠さず圭吾さんに話した。
昨日の今日だからお酒は断ったのに、少し飲んだ方が話しやすいだろうと言われ、素直に納得してビールを飲んだ。

「でね、彼の画って凄いの。なんだか知らず知らずのうちに吸い込まれる感じがして。それだけじゃないの。風が木々を揺らしている様子を見ているだけで、私もその風を感じられるというか……水の透明さや空気の美しさも全て感じるの」

ビールのせいか、身体が熱い。
ううん、凌央さんの話をしているからかも知れない。

「凌央さんは本当に素敵な人で……私、出逢ったときに思ったんです。三ヶ月間だけでもそばにいて彼を見続けたいって。彼の役に立ちたいって。少しでも身の回りのお手伝いをして素晴らしい画を沢山描いてほしいって。三ヶ月後……正確には三ヶ月切ってますけど個展を開くんです、彼」

……そうだ。凌央さんは個展を開く。確か現代アート展にするとかなんとか。 


『彩、次の個展に向けて急ピッチで作業しなきゃならない。悪いけどよろしくな』


男らしい口元をゆるめ、白い歯を見せて笑った凌央さんが脳裏に蘇った。
その時、

「誰かとキスをしたら、そいつの人格がお前が好きだった頃と変わってしまうのか?」
「……え?」

圭吾さんが真正面から私を見つめている。

「誰かがキスしたら、そいつはそいつじゃなくなるのか?」

心臓がドキッとして、私は思わず息を飲んだ。
確かに……立花優さんがキスしても、私が好きになった凌央さんには代わりがない。
でも……私じゃない、他の人とのキスは悲しい。
圭吾さんは続けた。

「起きてしまった事はもう変えようがない。そいつが好きなら、耐えろ。それができないなら諦めろ。どちらも無理ならそれ以外の方法を考えろ」

私はジッと圭吾さんを見つめた。
男らしい眉や通った鼻筋、それに何よりしっかりと『自分』を持っている瞳。

「愛し方は一種類じゃないだろう?」

圭吾さんのこの言葉が私の心をグルグルとかき乱した。

「……」

人の愛し方は一種類じゃない……。
胸の中に、霧のような薄い膜が漂い、まとわりつく。
……苦しい。凄く苦しい。
その時ふと思った。
圭吾さんは苦しくないのだろうか。
愛する花怜さんがいながら、私と結婚しなきゃならないのに。

「圭吾さん、圭吾さんは大丈夫ですか?」

圭吾さんが少しだけ眉を上げた。

「花怜さんを愛してるのに、私なんかと……。あなたは凄く素敵で、私にはもったいない人だわ」
「彩、」

言いながら泣けてきて、私はグズグズと鼻をすすった。
ダメ。私ったらまたメソメソして。こんなの余計に圭吾さんに嫌な思いをさせてしまう。
だから無理矢理笑うと私は続けた。

「圭吾さん、ありがとう。慰めてくれて。正直に言うとお鍋を二人で食べるとか嫌だったんだけど、食べて良かったです。買い物も楽しかったし……」

その時、クラリと目眩を感じた。

「彩?」
「あれ、変だな。でも大丈夫です……私はもう大丈夫……痛っ……」
「こら、ここで寝るな」

ゴン!と額がテーブルにぶつかって、私は慌てて身を起こすと圭吾さんに微笑んだ。

「大丈夫です……眠い」
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