恋愛ノスタルジー

友崎沙咲

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悲しいキス

《1》

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****

「ほーお。で、その画材道具の会社社長にして天才イケメン画家の家政婦やってんだ。天下の峯岸グループの御令嬢のアンタが」
「もう!美月ったら!『の』が多すぎるし悪意がある!」

尊さんのイタリアンレストラン《ブリッラーレ》のオープンパーティから数日後の今日、私は美月と二人きりの女子会を開いていた。
場所は、美月の勤めるアパレル会社付近の和風居酒屋。
橙色の灯りが和む、私たちの行き付けの店だ。

「それにしても不倫を推奨する旦那ってどうよ。狂ってるとしか言いようがないわ。金持ちって変!」
「だって……私も圭吾さんもお互いを好きじゃないんだもの」

店内の客はまだまばらで、話の内容が内容だけに自然と声が小さくなる。
美月は私の言葉にわざと眼を細めると、鶏皮の串をグイッと真横に引いた。

「で、なに。今日はイケメン画家のところに行かなくていいわけ?」
「今晩は会食があるんだって。昨日、掃除と洗濯をしたのでやることないんでーす」

会えないという残念な気持ちを隠しきれず、私はジョッキを握り直して溜め息をついた。

「ふうん……」
「……なに」

あと一口残っていたビールを飲み干した美月が、ジッと私を見つめる。

「私は彩の三ヶ月を応援するよ?でもさ、圭吾さんとはどうなのよ。相変わらず冷たいの?麗しの婚約者様は」

そうだ。まだインテリア雑貨搬入の件を話してなかった。

「そう言えば予期せぬ事が起こったの」
「予期せぬ事?どんな事よ」
「それがね」

私はジョッキを傾けたあと小さく咳払いをして身を乗り出した。

***

「そう来なくちゃね……」

話終えた私の真正面で、美月がニヤニヤと笑う。

「なによその笑いは」
「何でしょう……」

なんだか不気味だ。

「なんか思ってるならちゃんと教えて」
「さあー……なんでしょう……あ、ヨシ君、ビールお代わり!」
「はい、美月さん」

店員のヨシ君がニッコリ頷き奥へ消えていく。
モヤッとするなあ……!
口を尖らせた私をチラ見した後美月は瞳を伏せたけど、その顔は相変わらず締まりがない。

ああ。今頃なにやってるんだろう、凌央さん。
私は意味不明な美月を諦めて、凌央さんの顔を思い浮かべた。

凌央さんはとにかく見た目も中身もカッコいいのよね……。
そう。頭の先から爪先まで全て素敵。

「わ、なに!」

急に私の想像をかき消すかのように美月がゴトリと音を立ててジョッキを置いた。
運ばれてきたばかりの新しいビールが早くも半分減っている。

「これだけはしっかりと覚えておきなさいよ、彩」
「え?」
「イケメン画家に本気になればなるほど、辛くなるってこと」

美月の顔からはさっきまでのニヤニヤが消え失せていて、代わりに僅かに眉が寄っている。

「……うん」

返事をしたものの、私に実感はなかった。

****


数日後。

「凌央さん。デッサン鉛筆削りましたし練り消しも取り替えました」
「おう!助かる」

美月と女子会を開いた数日後、漸く私は凌央さんのアシスタント業に慣れてきていた。

「あ、カッターの刃を替えたんですけど最後の一枚でした。ストックどこですか?」
「あの引き出しの中。それとクロッキー帳、小さい方も出しておいてくれ」
「はい」

凌央さんが指で示した壁一面の棚に歩を進めると、私は背伸びをして引き出しの中を覗き込んだ。
……つもりが……中が見えない。

「わ、わ」

挙げ句につま先立ちのせいでよろける始末。
直後、後頭部にコツンと何かが当たる。

「チビ」

声の後、フワリと凌央さんの香りが漂った。
どうやら、後頭部に当たったのは凌央さんの身体らしい。

「……背は……普通だと思うんですけど」

ドキマギしながら咄嗟にこう言うと、いとも簡単に背後から手を伸ばした凌央さんが、引き出しの中の替刃ケースを取り出した。

「じゃあただのドジか」

ポン、と頭に温かい凌央さんの手のひらが乗る。

「ドジって……」
「ははは。悪かったな。今度から届かない場所にあるヤツは俺がとる」

私を覗き込んで笑うその顔に、反射的にキュンとしてしまう。

「すみません」

ドキドキする胸の前で受け取った替刃ケースを握りしめていると、凌央さんはククッと笑った。

「そう言えばお前、最初にデッサン鉛筆の削りを頼んだとき、書斎の電動鉛筆削り使ったんだよな」
「あの時は……ごめんなさい……」

実はカッターで削って、芯を長く出すのがデッサン鉛筆の削り方だということを私は知らなかった。
あのときも凌央さんは随分ビックリしてたっけ。

「まあ、笑わせてもらったからいいけどな」
「はは……」

恥ずかしい過去だ。過去といっても少し前だけど。

「それより、今日の晩飯なに?」

あ、そうだ、そろそろ夕飯の支度をしなくちゃ。
いつもは予め献立を決めて、凌央さんの家に向かう途中に食材を買う。
けれど今は冷蔵庫に肉、魚、野菜もあるからあえて献立は決めてこなかった。

「何がいいですか?」

振り返って見上げた私に凌央さんは、

「んー、そうだな、カレー食いたい」
「社長、お忘れ物です」

開けっ放しのドアから、急に澄んだ声がした。
ビクッとする私とは対照的に、凌央さんは声の主を驚く様子もなく見つめた。

「あー、うっかりしてた!悪かったな、優」

アトリエの入り口で、黒っぽいスーツに身を包んだ細身の女性がサラリと黒髪を揺らす。

「いえ、帰り道ですので」

彼女は少し頭を下げると視線を凌央さんから私に移した。
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