恋愛ノスタルジー

友崎沙咲

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意外な一面

《1》

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*****


「凌央さんー、こんにちはぁ!」
「おう!来たな」

夢川貿易から出た私はスーパーで食材を調達すると、急いで凌央さんのマンションを目指した。
渡されていたカードキーで凌央さんの家に入ると、一番北側のアトリエから声が響く。

「丁度良かった。水飲む時にそっちに硝子棒を忘れてきた。取ってきてくれ」
「あ、はーい!」

大きく返事をしたものの、硝子棒は見当たらない。
……冷蔵庫の近くかな。お水を飲んだ時に忘れたって言ってたから。
私はダイニングテーブルに食材を置くと、キッチンと隣り合わせの仕切りのないリビングを覗き込んだ。

***

「……なんだよこれ」

凌央さんは私が手渡した物をシゲシゲと見て呟いた。

「リビングに見当たらなくて、キッチンの引き出しから取ってきました。ガラス棒ってマドラーの事じゃないんですか?」

そうだと疑わなかった私が驚いていると、凌央さんは身体を大袈裟に仰け反らせた。

「これは俺がハイボール混ぜる時に使ってるやつで硝子棒じゃねえよ」
「ああ、どうりで軽いなーって思いました。プラスティックですか?」
「お前、ふざけてんのか。マドラーの素材なんかどうでもいーんだよ。硝子棒ってのは線を描く道具だ」
「えっ?ガラスの棒で描くんですか?」

さすが雨で画を描く人だけのことはある。

「雨でも棒でも描くなんて、凄いですね!」

称賛を込めて見つめる私を暫く張り付いたように見つめていたけれど、やがて凌央さんはクッと笑うと私の手を掴んだ。

「……来い」

大きくて温かい凌央さんの手の感覚に、思わず心臓が跳ね上がる。
嬉しい……手を握られたのが嬉しい……!

「なにアホみたいな顔してんだよ。早く来い」

甘い雰囲気はまるでないけど。

「あれだ。あれが硝子棒」

リビングに連れていかれ、凌央さんの指差したテーブルを見ると、何か細く透明なものが見えた。
近寄ってよく見ると、片方の端が球になっている正真正銘、ガラスの棒だった。

「なにこれ」
「だから硝子棒だよ」
「ほう……」

どうみても何かをかき混ぜる道具に思えるけど……。
イマイチ響けない私はガラスの棒を凝視して考えた。
中が空洞でインクなんて入っていないガラスの棒で、どうやって描くんだろう。

筆のようにこの丸い先端を、インクや絵の具に浸すとか?
だけどこのガラスが絵の具を吸うとはまるで思えない。
……うーん……。
私の表情を察して珍回答が飛び出すとでも思ったのか、凌央さんは笑いを押し殺しながら口を開いた。

「……使い方見せてやるから来い」
「は、はいっ。お願いします」

百聞は一見にしかずだもんね。

***

「凄い……!」

私は硝子棒を定規の窪みに滑らせ、巧みに筆を動かして意のままに直線や曲線を描く凌央さんの指先を感嘆の思いで見つめた。

「こうやって硝子棒を滑らせながら筆を動かすと、直線も曲線も思うように描けるんだ」

筆と硝子棒をお箸のように持ち、その幅を広くしたり狭くしたりしながら、彼はケント紙の上に美しい線を生み出していった。
それに……。

「……なんて素敵な画なの……」

広いテーブルの上にある鮮やかな画に、私は息を飲んで見入った。
後で聞いた話によると、それは《全紙》と呼ばれているサイズの画だった。
数多くの鮮やかな色を使い、寄せては遠ざかる波と直線的な大地を思わせる模様。
その抽象的な背景に彩られ、太陽神アポロンが唇を引き結び雄々しく瞳を光らせている。
私の掠れた呟きに、凌央さんがフッと顔をあげた。

「これはイタリア料理店の開店祝いに贈る画なんだ。入り口に飾りたいんだと」
「凄く素敵です!きっとお客様は料理の美味しさだけじゃなく、この画からも幸せを感じるでしょうね!」

絶対にそうだ。だって凄く素晴らしい画だもの。
言いながら凌央さんを見ると、彼は少し驚いた顔をして私を見上げていた。
それから我に返ったのか、定規や筆をサイドテーブルに戻してクスリと笑う。

「誉めてくれた礼として、晩飯おごってやるよ。飲みに行こうぜ」

言いながら立ち上がった凌央さんに、私は慌てて首を振った。
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