2 / 39
Ryo.Sakaki
《1》
しおりを挟む****
都内某所。
秋も深まるある夕刻、私が彼の画に出逢ったのは、本当に偶然だった。
「親友の画なんですよ」
フラリと立ち寄った閉館間際のアートギャラリーで、耳に男性の声が届く。
たったひとりの客に優しく微笑んだ青年は、画廊の主人にしては年若い。
「……素敵な画ばかりですね」
素敵な画だとはわかるけど……実は私、画に詳しくない。
月並みな言葉しか返せない私に、彼は少し頭を下げた。
「ありがとうございます」
「……」
声に混ざって床をする足音に思わず視線が下がる。
そんな私に彼は笑った。
「脚を悪くしまして」
「……」
不躾な眼差しを送ってしまったのではないかと後悔しつつ、何と返事をしたらよいものか思案しているうちに、彼は私の脇に並んだ。
「どんな画をお探しです?」
探していたわけではなかった。
ただ本当に理由もなく立ち寄っただけに、正直にそれを告げる勇気はない。
「……どれも売約済みみたいですね」
けれど青年は申し訳ないと言ったように眉を寄せると、画廊をグルリと見回した。
「すみません。この画家の展示終了日は五日後なのですが、初日に完売してしまって」
これほどまでに素晴らしい画だ。不思議じゃない。
それに……私は画に詳しくないから知らないだけで、有名な画家なのかも。
私は大きなカンヴァスを真正面から凝視して、画を感じようとした。
見る者を自らの意思でその中に踏み込ませてしまいそうな、圧倒的な力を持つ画。
この中で何もかもを忘れ、穏やかに暮らしたいと思ってしまう程幸せで優しい色使い。
かと思えば、その反対側の壁にあるのは退廃的で重苦しい画だった。
立ちこめる深い霧を銀灰色で描き、それが街灯を遮り街を覆う様に、胸が圧迫されるような不安が生まれる。
霧に行く手を阻まれ脚をとられた女性が地面に倒れているのに、画の中の道行く人々は手も貸さない。
それから……どうやら雨が降っているようだ。
歩く人々の上着や建物を濡らす雨水が霧の中の僅かな光で見える様が、見事に描き出されている。
再び倒れた女性の顔を見て、私は思わずギョッとした。
だってよく見ると、なんと女性は笑っているのだ。
どうして?どうして笑っているの?
荷物は散乱し、服は泥の混ざった水で濡れているというのに。
最初は別人の作品かと思ったけれど、どちらも作者は《Ryo.Sakaki》だった。
私は思わず胸に手をやり、眉をひそめた。
……どうして?どうしてRyo.Sakakiは、こんな画を描こうと思ったのだろう。
私の表情に気付いたのか、若い画廊の主人は苦笑した。
「謎めいた画ですよね」
確かに……画の意味が計り知れないし正直不気味だ。
でもこの画も売約済み。
「印象派……ですね。どんな人ですか?この画をお描きになった方は」
私のその問に、彼は困ったような顔をして溜め息をついた。
「印象派のような画をかいたり抽象派のようなものを描いたり……風変わりなヤツなんです。画風に一貫性がなくて」
……風変わり……。
小学生の時に読んだ本の主人公……たしか名前は彦一だったと思うけど……風変わりという表現を聞いたのはあの本が初めてで、その言葉を聞く度、いつも挿し絵の彦一の顔が脳裏に蘇る。
そう思うと次には本の挿し絵の彦一と、顔も知らないこの壮大な油絵の描き手の顔が重なり、私はクスリと声をあげて笑った。
「……どうしました?」
そんな私を、彼は真横から少しだけ覗き込む。
「いえ。私の想像通りの人なら面白いなと思って」
「是非確かめてみてください。その辺をよくウロウロしていますよ」
「そうですか。じゃあいつかお会いできるかも知れないですね」
是非会ってみたい。
この画家は一体どんな姿をしていてどんな声でどんな思考の持ち主なのか。
私は彼に会釈をするとギャラリーの中をもうひと周りした。
無機質なギャラリーにRyo.Sakakiの画が、様々な声を上げているような錯覚を感じる。
Ryo.Sakaki……Ryo.Sakaki
このときの私は、本当に彼と逢えるとも、その出会いによって自分の運命が激動する事にも、まるで気付いていなかった。
0
お気に入りに追加
64
あなたにおすすめの小説
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
【完結】夫は王太子妃の愛人
紅位碧子 kurenaiaoko
恋愛
侯爵家長女であるローゼミリアは、侯爵家を継ぐはずだったのに、女ったらしの幼馴染みの公爵から求婚され、急遽結婚することになった。
しかし、持参金不要、式まで1ヶ月。
これは愛人多数?など訳ありの結婚に違いないと悟る。
案の定、初夜すら屋敷に戻らず、
3ヶ月以上も放置されーー。
そんな時に、驚きの手紙が届いた。
ーー公爵は、王太子妃と毎日ベッドを共にしている、と。
ローゼは、王宮に乗り込むのだがそこで驚きの光景を目撃してしまいーー。
*誤字脱字多数あるかと思います。
*初心者につき表現稚拙ですので温かく見守ってくださいませ
*ゆるふわ設定です
【完結】どうして殺されたのですか?貴方達の愛はもう要りません
たろ
恋愛
処刑されたエリーゼ。
何もしていないのに冤罪で……
死んだと思ったら6歳に戻った。
さっき処刑されたばかりなので、悔しさも怖さも痛さも残ったまま巻き戻った。
絶対に許さない!
今更わたしに優しくしても遅い!
恨みしかない、父親と殿下!
絶対に復讐してやる!
★設定はかなりゆるめです
★あまりシリアスではありません
★よくある話を書いてみたかったんです!!
選ばれたのは美人の親友
杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。
愛する義兄に憎まれています
ミカン♬
恋愛
自分と婚約予定の義兄が子爵令嬢の恋人を両親に紹介すると聞いたフィーナは、悲しくて辛くて、やがて心は闇に染まっていった。
義兄はフィーナと結婚して侯爵家を継ぐはずだった、なのにフィーナも両親も裏切って真実の愛を貫くと言う。
許せない!そんなフィーナがとった行動は愛する義兄に憎まれるものだった。
2023/12/27 ミモザと義兄の閑話を投稿しました。
ふわっと設定でサクっと終わります。
他サイトにも投稿。
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる