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vol.2

清雪

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《翡翠の瞳に守られて》


***

数分後。
やけに部屋が静かになって、射し込んできた夕日が律の顔を照らした。
綺麗な律が更に美しく見えて、私はそんな彼に見とれていた。
でも……瀬里に暗示なんてかけて欲しくなかった。
……私は弱い人間だ。律に嫌われたくなくて、どうしても止めることが出来なかった。
でも、理由だけはちゃんと知りたい。
どうして瀬里に暗示をかけたのか聞こうとしたその瞬間、こっちを見ていた律の眼から涙が流れて頬を伝った。

「ごめん、藍」
「律……」
「でも俺、我慢できなかったんだ。俺はヴァンパイアになってずっと一人で生きてきた。もう独りは嫌だ。藍を瀬里ちゃんの知り合いにとられたくない」

……雪野一臣のことだ。

「あの人は瀬里の彼氏の親戚なだけだから」
「嫌なんだ」

律が吐き捨てるように言った。

「藍が、あの男に盗られそうな気がして嫌なんだ。俺は藍を誰にも渡したくない。こんな気持ちは生まれて初めてで自分でも制御出来ない。愛してるんだ、藍を」
「律、私は律のものだよ。律しか見てない」
「……ほんとに?」

私は律に抱きついた。

「ほんとだよ。だから安心して。律だけだもん、私を理解してくれるのは」
「藍……」

律が私の身体を引き寄せて、両腕で囲った。

「ずっと一緒にいてくれる?」
「当たり前だよ。私、ずっとずっと律と一緒にいる」

律が瞳の涙を拭いてフワリと笑った。

「藍。好きだよ」

嬉しくてたまらない。
律が好きでたまらない。
私は瀬里に対する罪悪感より律への愛が大きくて、彼しか見えていなかった。

****

「なーに藍ちゃん!さっきからジロジロ見て」

どうしても瀬里が心配で、私は彼女を見てしまう。

「あ、いや…別に…」
「変なの」

……律に暗示をかけられた瀬里は何も代わりがなく、あの時の事はまるで覚えていないみたいだった。
瀬里が帰ってから私は不安で不安でたまらなくて、律に尋ねた。

「律。暗示ってさ、かけられた本人になにか影響はないの?」

律は優しく微笑んでから私を見た。

「大丈夫だよ。それにこれは瀬里ちゃんの為でもある」
「……瀬里のため?どうして?」

私が眉をひそめると、律が空中を見つめて短く言った。
 
「あの男……いい奴じゃないから」

雪野一臣が……?どうしてだろう。
その時、

「藍ちゃんっ!」
「あっ、ん?」
「大丈夫?!掃除だよ」
「うん、掃除だよね」

掃除道具入れのロッカーを開けたまま佇んでいた私に、瀬里が一際大きな声をかけた。
私はブンブンと頭を振ると、考えるのをやめてホウキに手を伸ばした。

****

数日後。

「藍ちゃん。今日は私、用があるの。画のモデルは明日頼める?」
「うん、いいよ」
「無理言ってごめんね。じゃあ先に帰るね」

瀬里はニッコリと微笑んで私に手を振ると、教室から出ていった。
近頃はみんな、試験に向けて頑張っているみたいで帰るのが早い。
私は誰もいなくなった教室の窓から正門を見下ろして背伸びをした。

「……今日は予定がなくなっちゃったけど、どうせ夕方には律が来るだろうから真っ直ぐ帰ろうかな」

私はゆっくりと席を立つと、廊下に出て歩き始めた。
あ、そうだ。律と……一緒にDVD見ようかな。
そういうの誰ともしたことないから誘うの勇気いるけど……。
そんな事を考えながら正門を出ると、私はレンタルショップへと向かった。

****

インターホンが鳴り、私は二階からそのまま玄関へと向かいドアを開けた。
一階のどこかの部屋に入ってモニターを確認すれば来客が誰か確認できたのに。

「はい。律?」
「話がある」

やって来た人物を律だと疑っていなかった私は、耳に届いた聞き覚えのある低い声にビクリとして息を飲んだ。
顔を上げると視界に、雪野一臣の端正な顔が飛び込む。

「なに」
「見せたいものがある。ついてこい」

もう午後六時だ。冬だけに辺りはすっかり暗い。
なのに、見せたいもの?
雪野一臣と関わると律が嫌がる。
大好きな律に嫌われたくない。

「悪いけど行けない。帰って」

私は雪野一臣から眼をそらすと首を横に振って、玄関ドアを閉めようとした。

「待て。真実から眼をそらすな」
「なにそれ。意味わかんない。さよなら」

素早く雪野一臣が私の腕をつかんだ。

「お前に必要な事だ。しっかり見て自分で判断しろ」
「なに……?怖いんだけど」
「怖くてもしっかり見ろ」

嫌な予感しかしない。
絶対律に関係ある事だ。
だって、予感がするもの。
私はこれ以上雪野一臣を拒むことが出来ずに、ぎこちなく頷くと出掛ける用意をした。

****

「……何処にいくの?」
「……」

雪野一臣は私の質問に答えず前を向いたまま車を走らせた。
やがてゆっくりと車を停止させると、彼は短く低い声で言った。

「降りろ。ここからは歩く」
「ねえ、何処にいくの?」
「……すぐに分かる」

大通りから幾筋も入った道路は、繁華街から遠ざかるごとに幅が狭くなっていく。
やがて私と雪野一臣は路地へと足を踏み入れ、置いてある自転車やゴミ箱を避けながら進んだ。
その路地の暗さが私を余計に不安にさせる。
建物の間を吹き抜ける風も、やけに冷たく感じて心細い。
私は我慢ができなくなって雪野一臣の背中に問いかけた。

「ねえ、どこに行くのよ。いい加減教え…」
「ここだ」

雪野一臣が見上げた建物は、古びたビルだった。
どうやって建てたのか疑問に思うほど幅の狭いそのビルに、雪野一臣は足を踏み入れた。
怪しく点滅する蛍光灯と、錆びた階段。
雪野一臣は私を肩越しに振り返り、小さな声で言った。

「ゆっくり上れ。出来るだけ足音をたてるな」

私は無言で頷くと雪野一臣の後について階段を上った。
多分、三階だと思う。
雪野一臣が静かに振り返って私を見た。
どうやら本当に着いたらしい。
階段から離れ狭い廊下に差し掛かると、ドアのない部屋から声だけが聞こえた。
……誰かいる。
私が雪野一臣を見上げると、彼はかすかに頷いた。

「清雪様、とうとうマリウスが来日しました」

……律だ。律の声だ。
セイセツ様って、誰?
一瞬そう思ったけれど、すぐに私の脳裏にあの日見た律のビジョンが蘇った。
清雪……。
……多分、死体の山から律を引っ張り出し、流行り病から彼を救ったあの綺麗な男性だ。
だって声が……あの時の彼だもの。
瞬く間に私の鼓動が早くなっていく。息が苦しい。
思わず胸に手を当てて眉を寄せると、私は口を開けて静かに息を吸った。

「……そうか。ではそろそろ準備にかからなくてはならないな。Fascinating bloodの準備は整ったのか」

清雪に尋ねられた律が、クスリと笑った。

「準備ならもう既にできてますよ。ただ」

そこで言葉を切った律に、清雪がすぐ問う。

「ただなんだ?」
「時を迷っているところです」

清雪が呆れたように息だけで笑った。

「……この娘にそれをさせるのか?」

この娘?まだ誰かいるの?
入り口の近くの壁に張り付いている私に、部屋の中は見えない。
律が口を開いた。

「はい。この女……瀬里は使えます」

瀬里?!瀬里がいるの?!どうして?!
思わず息を飲んだ私を雪野一臣が鋭い眼差しで見た。

「……」

分かってる、見つかっちゃいけないのは。
私は雪野一臣に頷くと再び視線を落とし、中の様子に集中した。

「実は、瀬里は犬どもと通じておりまして……我らの儀式が終わった後にでも、見せしめとして殺し、やつらに送りつけるのもいいかと」

息苦しくて死にそうになる。
これは、夢なんだろうか。
だって律が、律がこんな事をいうなんて。
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