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episode4
復讐するは……
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****
「キスしたんでしょ?なに、好きなの?」
週末、柚希とショッピングに繰り出した私は來也とのことを全て話した。
「変だよねー」
私は代官山駅から程ない距離にある、カフェの天井を仰いだ。
ガラス張りの天井から下がる透明なシェイドのランプをボケッと眺めながら、私は呟くように言った。
「嫌いじゃないの」
柚希は眉をあげて頷いた。
「そりゃそーでしょーよ。そんなイケメンでイイ身体してて、あんたの為に息切らせて駆け付けるような男、嫌いになる要素がないわ。しかも元恋人から守ってくれてさ」
柚希はニヤリと笑った。
「あんなイカれた御曹司なんぞ忘れてさ、進みな、次の恋に」
「当分恋愛は休もっかなー」
「ライオンはどーすんの、勿体ない!」
私はカフェの天井に連なる、お気に入りのランプを見つめて來也の顔を思い返した。
「ライオンはね、ライオンだけあって獲物が多いみたいよ?翔吾くんが女性と腕組んで歩いてるの見たって言ってたし本人も週末は大抵、女抱き締めて寝てるって言ってたし、特定の彼女がいないだけで付き合ってる女は何人かいるんじゃないかな」
柚希は眉を寄せた。
「なんか嫌な奴だな!」
私は思わず笑った。
「それがね、嫌な感じじゃないんだよね。そーだろーなーて感じ。女がほっとくわけないルックスでさ、キスなんて朝飯前って感じ」
「はーっ!けどそんな男ならさ、あんたがいたら具合悪いんじゃない?女連れ込めないじゃん」
「だよねー。出来るだけ早く出ていかなきゃね」
「ねえライオンは何歳?なんの仕事してんの?」
「さあー」
柚希が眼を見開いて、口を丸く開けた。
「はー?!」
私は少し口を尖らせた。
「本当に知らないんだよね。聞いたことない」
「なんで聞かないのよ?!」
なんでって……なんでかなー。
「……たぶん、それどころじゃなかったから?」
語尾を疑問系にしたのはきっと、私自身も本当にわからなかったからだと思う。
柚希は呆れ顔をブルブルと左右に振り、溜め息をついた。
「……取り敢えず帰ったら聞いてみ。ライオンのプロフィール。知らないなんて不自然でしょ」
「……気が向いたら」
……そうだ、不自然だ。不自然と分かっていながら聞かなかったのは、多分……。
柚希に言われてなんで聞かなかったのか、分かった。本当に今分かった。
これまで聞かなかったのは多分、聞くのが怖かったからだと思う。
來也をこれ以上知ると辛くなる気がして私はそれが怖かったのだ。
私は食材を買い込んで、來也のマンションへと帰った。
買ってきたそれをテーブルに置くと、冷蔵庫へと入れる。
……なんだ私は。お母さんか。いや豪華なマンションだけに家政婦さんか。
『…取り敢えず帰ったら聞いてみ。ライオンのプロフィール。知らないなんて不自然でしょ』
ホントだよね。來也が帰ったら……聞いてみようかな、年齢とか……。
フッと視線をあげてリビングを見回すと、部屋の隅に私のスーツケースが置きっぱなしになっていた。
來也がクローゼットの半分を提供してくれて、シワになるような服だけはハンガーに掛けさせてもらった。あとの荷物はまだこの中だ。
……こんなところに置いたままなんて、景観を損ねるといえばオーバーだが見映えも悪い。どこか部屋に置かせてもらえないかなあ。
私はリビングから出て廊下の左側のドアの前に立った。
ここってなんの部屋だろう?書斎?
そういえば私は、この部屋のドアを開けた事がなかった。來也からはこの部屋については、見るなとも入るなとも言われていない。
……見たらダメかな。
私はドアノブをガチャリと回した。……開いた。
いや、よそのお宅の部屋を勝手に覗くなんてたとえ入るなと言われてなくてもマナー違反だ。
……けど彼はなにも言わなかったしなあ。入ってほしくない部屋がある人間が簡単に人を家に住まわせたりしないだろうし。
「……失礼します……」
私はドアを少し開けると、電気をつけて部屋の中を覗き込んだ。
********
「ねえ、來也」
「ん?」
「あの、何歳?」
夕食時、私は肉じゃがを頬張っている來也に声をかけた。
來也は箸を持つ手を一瞬止めて、僅かに眉を上げた。
「は?」
……は?じゃねーよ。……二回も聞くのは恥ずかしい。私は少し咳払いしてからビールをゴクゴクと飲んだ。
「じゃあ仕事はなにしてるの?」
微妙な沈黙。
ああやだ、なんかやだ!
「……やっぱり、何でもない。忘れて」
私はモグモグと肉じゃがを食べた。來也はそんな私を見ていたけど、やがてフッと笑った。
「28歳」
私は咄嗟に顔を上げた。來也は切れ長の眼で私を見ている。
「相澤來也。28歳。職業はサラリーマン」
「ふ、ふーん」
來也は呆れたように私を見た。
「自分から聞いてきた割には反応薄いな」
「いやその別に……」
「お前は?……名前は知ってるけど」
「私は……藤吉マヒル。27歳で……セネカ貿易株式会社で働いてる」
「趣味は?」
來也がさらりと問う。
「……趣味は……手芸」
「嘘つけ」
あれ、なんでバレたのかしら。
いつもコンパでは、『趣味は手芸』と言っている。
私は焦りを隠してフワリと微笑んだ。
「し、質問タイムは……今日はここまで。ね?」
「なんだよ、趣味がないから答えられないだけだろ。何が手芸だ、アホか」
「な、なによ、手芸バカにすんな」
來也が白い歯を見せた。
「お前さ、週末どーすんの?」
私は箸を置いて思い出すように、頭上を見つめた。
「えーっと、土曜は会社の同僚に合コンに誘われてて、日曜日はフリー」
「……へー、合コン?飲み会じゃなくて?」
「近頃は飲み会的なのが多いけど、同僚曰く、今回のはガッツリとした『由緒正しき合コン』なんだってさ。……ところで來也は?」
來也がニヤリと笑った。
「土日とも、デート」
…………。
土曜と日曜は、別の人とか?
いや私の想像の斜め上を行って二日で四人とか。
「……なんだよ」
「……別に……さすがイイ身体のイケメンは凄いなーって思っただけ」
私が真面目にそう言うと、來也は私を無言で見つめた。
「……なに……?」
そ、そんなに見つめられても。
かっこよすぎる男に見つめられると無駄に心拍が上がる。
私は焦って口を開いた。
「あのもし彼女連れて帰ってくるならさ、私、土日はビジネスホテルとかカプセルホテルとかに泊まるから気にしないで」
「ふーん」
ふーんって。
それで今の会話が成立したのかが些か疑問だったりするけど。
……まあ、いいや。
私は両手を合わせて御馳走様でしたと小さく呟くと、食器を手に立ち上がった。
******
土曜日。
私は少し大きめのバッグをチョイスして、スタンドミラーの前に立った。
今晩はここに帰ってくる気はないから化粧品や下着、服をバッグに詰め込んだ。
スマホからビジネスホテルの予約をしようとしたけど、二泊三日ともなれば数万はする。
今の私にそんなお金はないのでネカフェにでも潜伏する予定。
……だって、來也は土日ともデートだって言ってたから、やっぱり私がいたら迷惑だろうし。
近々物件も探さないとね。
「……来也……?」
いつの間にか來也の姿がない。バスルームにはいなかったし、寝室にもいない。てことは、あの部屋かな?
私はスーツケースを置かせてもらっている部屋をゆっくりと開けた。
するとその部屋の中で、何故か來也は佇んでいた。
「來也、わ」
「……入ったのか?」
「へ?」
來也がゆっくりと私を振り返った。
私は慌てて来也に謝った。
「ごめん、言い忘れてた!いつまでもスーツケースをリビングに置いとくのもアレだなーと思って、この部屋に置かせてもらったの」
來也は射抜くように私を見た。
「……見たのか、この部屋」
私は訝しげに眉を寄せた。
この部屋に見ちゃいけないものがあるとは思えなかったから、來也のその表情に私は少し驚いた。
机やタンスがあるわけでもないし、開ける戸棚だってない。
当たり前だけど、貴重品を物色する趣味は私にはない。
この部屋にあるのは、箱に入ったまま使われていない家電製品などだ。
唯一、棚と言えば本棚が置いてあるだけで、その中には20冊も満たない数の書籍が納められていた。
「見たけど……それより、勝手に入ってごめんね」
來也が私の二の腕をつかんだ。
「見たからには……何処にも行かせない」
私は來也を見上げた。
「……え?」
「お前はここにずっと住むんだ、俺と」
言うなり來也は私を胸に抱いた。
苦しげで、切ない來也の声。
私の髪に顔を埋めて、來也は愛しそうに私を腕に囲った。
「何処に行くのも禁止」
「……來也、どうしちゃったの?」
私は混乱した。頬がカアッと熱くなってどうしていいか分からない。
それに意味も全然分からない。私は夢中で来也に言った。
「ちょっと待って來也。なに?この部屋を見たけどそれがなんなの?普通に物置じゃん。言ってる意味が分からないんだけど」
瞬間、來也の身体がピタリと止まった。
それからゆっくりと身を起こして私の眼を覗き込んできたから、私も來也の瞳を見つめた。
やがてニヤリと來也が笑った。
「俺に迫られて……ドキドキした?」
くそっ、やられたっ!!私は舌打ちしながら來也の胸を拳でガツンと殴った。
「ばか!」
來也は天井を仰いでゲラゲラと笑った。
「まあ、俺にグラッときても恥じる事はないぜ、マヒルちゃん」
「……わたし、合コンいってくるから。じゃあね」
「そんなのに参加しても俺ほどイイ男とは出逢えないぜ」
私は部屋を出ながら来也を振り返った。
「……わかってる」
いや、ほんと素直にそう思うよ。私は小さく息をつくと玄関へと足を向けた。
*******
「かんぱーい!」
私は、六本木のとあるビルの10階にいた。
八木麻里の明るい声が響き渡ると共に、グラスのぶつかる透明な音がイタリアンダイニング『ラ・ルーチェ』に弾けた。
暖かみのある艶々と光る上品な木目のテーブルとオレンジ色のランプに包まれた店内はいつ来ても素敵で、私は久々に嬉しかった。
やるじゃん、八木麻里!
私は早々と最初の一杯を飲み干すと、ビールピッチャーを持ち上げた。
お決まりの自己紹介を経て、適当に参加者の男性と話していると、ふと会話が途切れた。
瞬間、來也の言った言葉を思い出す。
『そんなのに参加しても俺ほどイイ男とは出逢えないぜ』
ついでに、來也の姿も。実際に、本当にそうだった。
今回の合コンには8人の男性が参加していたけど、來也ほどのイイ男なんていなかった。
……來也は今頃、デートだ。
……來也の選ぶ女の子ってどんな子だろう。小さくて可愛らしい感じ?一言、二言喋るにも頬を赤らめるような、ピュアな子?それとも、年上?
私は急に緑川冴子を思い出した。緑川冴子は、すごく綺麗で可愛かった。センスも良く、話し方も立ち居振舞いも申し分なかった。
そんな素敵な女性を來也は振った。
てことは、來也は物凄く理想が高いということになるよね。当然か、あれだけのイケメンだしな。
いつの間にか私と話していた男の子は反対隣の席の観月京香と話し込んでいて、私はホッと息をついた。その時だった。
「マヒルじゃない?」
ん?
聞きなれない声に名を呼ばれて、私はテーブルの向こう側のスーツの男性を見上げた。細身で背の高い男性の顔に見覚えはない。けれど、相手は私の名前を知っている。
……分かんない。覚えがない。私はニッコリと笑って会釈をした。
「ごめんなさい、どなたでしたかしら」
男性が、笑った。
「一樹だよ。俺の事、忘れちゃった?」
うわっ、柴原一樹!覚えてるわよ、しっかりとな!!
ただ正直、5年のうちに一樹はすっかり変わっていて全然分からなかった。
襟足の長い金髪はスッキリと刈り上げられた漆黒で、品の良いスーツがとても良く似合っていた。
あんなにジャラジャラしていたネックレスもブレスレットも消えていて、どこからどう見ても一樹は素敵な男性へと変貌を遂げていたのだ。
「一樹……あまりにも素敵になっているものだから、分からなかった……!会えて凄く嬉しい!」
ほんとうは、
『てめー、よくもあの時、私の気持ちを踏みにじってくれやがったな!会えたからにはあの時の借り、返させてもらうぜ!』
的な思いに溢れていたけど、私はニッコリと微笑むと両手を組んで、さも嬉しいといったように顔を傾けた。
「マヒルは、全然変わらないな。昔のままだよ。綺麗で可愛くてスタイルも良くて……」
あったり前だっつーの!毎日筋トレ、欠かしたことがないからな!
けれど私はそんな気持ちをおくびにも出さず、さも恥ずかしいといったように俯いた。
「一樹にそう言われると、誰に言われるよりも嬉しい……」
一樹はしばらく私を見つめていたけれど、やがてテーブルを回って私の脇に立ち、端正な顔を近づけて囁いた。
「なあ……二人きりになれるところに行かないか……?」
フッ、かかったな。
この男は……裁かなければならない。どうしても、裁かなければ。でないと今までが無駄になるもの!
……絶対に……逃がさない。
久々に込み上げてきたこの思いを、私は封じ込むことなど出来なかった。
「……うん……」
内心ニヤリとしながら、私は照れたように頷いた。
*****
「あ、ん」
ふたりきりのエレベーターの中で、一樹は我慢できないというように私を抱き締めた。それから首筋に噛みつくように私にキスをして、
「マヒルを抱いてもいい?」
「一樹ったら……ボタン、押してない……」
「なあ、今から俺の部屋、いこ」
言いながらも一樹は、私の身体に執拗に指を這わせる。
……ほんと、相変わらずゲスな男だ。変わったのは見た目だけじゃんか。
「ああ、一樹ったら」
甘ったるい私の声も、自分の指と舌が生み出していると疑わない愚かな男。
「……連れていって、一樹の部屋」
******
コンビニでビールとハイボールとつまみを買うと、私はたまにいくネカフェを目指した。ネカフェというよりは小さなホテルといった感じで清潔だし、快適なんだよね。
おまけに数千円強で早朝5時までいられるし。まあ休日だし24時間プランでもいいかな。
あれやこれやと考えているとスマホが鳴った。
……來也だ。
「來也?どーしたのー?デートじゃないのー?」
「今どこ?」
耳元で來也の低くて魅力的な声がするから、私はその心地よさに立ち止まった。
「今?コンビニ出たとこ。これからネットカフェに行くから、月曜の夕方までは帰らないよ。安心して」
『……なんでそれで俺が安心すんの』
「は?だって來也、土日はデートだって言ってたじゃん。その……私がいたら邪魔でしょ?」
『帰ってこい。今すぐ。俺が迎えに行ってもいい』
「いいよ、そんなの。とにかく今日はネカフェで」
『ダメだ』
かすれた來也の声に、鼓動が跳ねた。
『……帰ってこいって……』
甘酸っぱくて切なくて、胸が軋む感じ。
ああ、來也に会いたい。私はギュッと眼を閉じた。
******
「ただいま……」
「……」
ソファからチラリとこちらを見ると來也は立ち上がり、私の買ってきたコンビニの袋をガサガサと物色し始めた。それからハイボールを手に取ると、カシュッと缶を開ける。
「きゃあ、私が飲もうと思ってたのに!」
そんな私を來也は一瞥すると、
「首筋にキスマークが付いてるけど」
げっ!
私は思わず舌打ちして、一樹が唇を寄せた辺りに手をやった。
「……シャワー浴びてくる」
「待て」
ギュッと來也が私の腕をつかむ。
「誰のキスマーク?」
「五年前に付き合ってた男。とにかく話は後」
私は來也の手をそっとほどくと、バスルームへと向かった。
******
「あー、スッキリした~!」
髪をタオルドライしながら私がリビングに戻ると、來也はマジマジと私を凝視した。
「ねえ、ハイボールまだある?」
來也は返事を返さない。
「ねえ、來也?」
なんだ、こいつは。
「來也っ!」
來也は我に返ったように瞬きした。
「あ?」
「あ、じゃなくて。私のハイボールー」
「んー、あと、ひとくち残ってる」
「二本あったでしょ?」
「だから、二本目のラストひとくち」
……殺すわよ。
私は眉間にシワを寄せると、來也の前にある缶に手を伸ばした。
「おっと」
「ひとくちぐらい、くれたっていーじゃん」
來也は私の手を掴んで引き寄せた。
「キスマークの話、教えたら、やる」
「そんなのどーでもいーじゃん。4.5って言われた復讐を遂げただけ!」
「そーいや、4.5の話もまだ聞いてなかったよな」
「大した話じゃないよ。……昔、付き合ってた大好きだった彼に陰で二股かけられてて、それが私の親友だったの」
「よくある話だな」
「で、その親友に彼が私の事を『マヒルの事は10あるうち、5しか好きじゃない。いや、4.5だな』って言ってたらしいの!」
なんだか怒りが込み上げてきて、私は更に続けた。
「4.5だよ?!5から0.5下げられたんだよ、評価!なによ、その小数点はっ!」
來也は黙って私の話に耳を傾けている。
「で、今日偶然五年ぶりに合コンで再会したの。だからその気にさせてこてんぱんに成敗してやったってわけ。その時にエレベーターで付けられたみたい」
「……俺にしたみたいにかよ」
げっ!
來也がムッとして私を見つめた。苛立たしげに光る焦げ茶色の瞳。
「ま、まあ言えばそうだけど……一樹にはバシッと厳しく言ってのけたって感じ?」
來也が唇を引き結んで私を見下ろすから、私は焦って言った。
「ら、來也だってひどいじゃん!『女なんか、ちょっと金使ってやったらチョロい』とかなんとか言っちゃってさ!そんなのダメじゃん!」
「だからって、お前がそういう男達を裁くのかよ。復讐すんのかよ。そんなのお前の役目じゃねえ」
「…………」
どーせなに言っても怒られる気がする……やだなー。
考えあぐねているうちに、來也が最後のひと口だと言ったハイボールをグイッとあおった。
「きゃあ、私のハイボ、……っ……!」
心臓がドクンと跳ねた。
だって來也が私の後頭部に手を回すと、素早く唇にキスをしたから。
途端にレモン風味の炭酸と、ウィスキーの味が口一杯に広がり、私は眼を見開く。
最後に來也の舌が触れて、私は思わず來也の服をギュッと握った。
コクンと飲み込むと、來也は私から顔を離して瞳を覗き込んだ。
「もう二度とするな。お前がそんな事する必要は、もうなくなったんだ」
裁きたかったのは、一樹との過去のせいだ。
それを遂げた今、自分を過去の呪縛から解放しろと來也は私に告げているのだ。
ゆるゆると心から長年の膿が出て、傷が治っていくような気がした。
來也は私を抱き締めながら続けた。
「それと俺以外の男に、身体触らせんな」
へ?
それって。
それって……。
心臓が破裂しそうになって、身体中の血液が全て顔に集まってきたような感覚にクラリとした。
「分かった?」
……それって……それって……なんなの、冗談?
やだ、分かんない、冗談を真に受けるバカな奴だと思われなくない。
私は來也の意図が分からず、もがいた。
「來也、離して」
「離さない」
「來也、どうして……?」
「俺、何回お前にキスしてると思ってんの」
ドギマギしながら私が硬直していると、來也は小さく息をついた。
「ムカついて死にそうなんだけど」
だめだ、私の方が死にそうだ。
「マヒル」
「は、は、はい」
來也がクスッと笑った。
「……タンクトップに短パンって……寒くない?……俺にしたらソソルから、いーけど」
「ば、ばか、変態」
來也が一層私を抱き寄せた。
「男はみーんな変態だぜ、マヒルちゃん」
そう言いながら甘く笑うと、來也は再び私にキスをした。
「キスしたんでしょ?なに、好きなの?」
週末、柚希とショッピングに繰り出した私は來也とのことを全て話した。
「変だよねー」
私は代官山駅から程ない距離にある、カフェの天井を仰いだ。
ガラス張りの天井から下がる透明なシェイドのランプをボケッと眺めながら、私は呟くように言った。
「嫌いじゃないの」
柚希は眉をあげて頷いた。
「そりゃそーでしょーよ。そんなイケメンでイイ身体してて、あんたの為に息切らせて駆け付けるような男、嫌いになる要素がないわ。しかも元恋人から守ってくれてさ」
柚希はニヤリと笑った。
「あんなイカれた御曹司なんぞ忘れてさ、進みな、次の恋に」
「当分恋愛は休もっかなー」
「ライオンはどーすんの、勿体ない!」
私はカフェの天井に連なる、お気に入りのランプを見つめて來也の顔を思い返した。
「ライオンはね、ライオンだけあって獲物が多いみたいよ?翔吾くんが女性と腕組んで歩いてるの見たって言ってたし本人も週末は大抵、女抱き締めて寝てるって言ってたし、特定の彼女がいないだけで付き合ってる女は何人かいるんじゃないかな」
柚希は眉を寄せた。
「なんか嫌な奴だな!」
私は思わず笑った。
「それがね、嫌な感じじゃないんだよね。そーだろーなーて感じ。女がほっとくわけないルックスでさ、キスなんて朝飯前って感じ」
「はーっ!けどそんな男ならさ、あんたがいたら具合悪いんじゃない?女連れ込めないじゃん」
「だよねー。出来るだけ早く出ていかなきゃね」
「ねえライオンは何歳?なんの仕事してんの?」
「さあー」
柚希が眼を見開いて、口を丸く開けた。
「はー?!」
私は少し口を尖らせた。
「本当に知らないんだよね。聞いたことない」
「なんで聞かないのよ?!」
なんでって……なんでかなー。
「……たぶん、それどころじゃなかったから?」
語尾を疑問系にしたのはきっと、私自身も本当にわからなかったからだと思う。
柚希は呆れ顔をブルブルと左右に振り、溜め息をついた。
「……取り敢えず帰ったら聞いてみ。ライオンのプロフィール。知らないなんて不自然でしょ」
「……気が向いたら」
……そうだ、不自然だ。不自然と分かっていながら聞かなかったのは、多分……。
柚希に言われてなんで聞かなかったのか、分かった。本当に今分かった。
これまで聞かなかったのは多分、聞くのが怖かったからだと思う。
來也をこれ以上知ると辛くなる気がして私はそれが怖かったのだ。
私は食材を買い込んで、來也のマンションへと帰った。
買ってきたそれをテーブルに置くと、冷蔵庫へと入れる。
……なんだ私は。お母さんか。いや豪華なマンションだけに家政婦さんか。
『…取り敢えず帰ったら聞いてみ。ライオンのプロフィール。知らないなんて不自然でしょ』
ホントだよね。來也が帰ったら……聞いてみようかな、年齢とか……。
フッと視線をあげてリビングを見回すと、部屋の隅に私のスーツケースが置きっぱなしになっていた。
來也がクローゼットの半分を提供してくれて、シワになるような服だけはハンガーに掛けさせてもらった。あとの荷物はまだこの中だ。
……こんなところに置いたままなんて、景観を損ねるといえばオーバーだが見映えも悪い。どこか部屋に置かせてもらえないかなあ。
私はリビングから出て廊下の左側のドアの前に立った。
ここってなんの部屋だろう?書斎?
そういえば私は、この部屋のドアを開けた事がなかった。來也からはこの部屋については、見るなとも入るなとも言われていない。
……見たらダメかな。
私はドアノブをガチャリと回した。……開いた。
いや、よそのお宅の部屋を勝手に覗くなんてたとえ入るなと言われてなくてもマナー違反だ。
……けど彼はなにも言わなかったしなあ。入ってほしくない部屋がある人間が簡単に人を家に住まわせたりしないだろうし。
「……失礼します……」
私はドアを少し開けると、電気をつけて部屋の中を覗き込んだ。
********
「ねえ、來也」
「ん?」
「あの、何歳?」
夕食時、私は肉じゃがを頬張っている來也に声をかけた。
來也は箸を持つ手を一瞬止めて、僅かに眉を上げた。
「は?」
……は?じゃねーよ。……二回も聞くのは恥ずかしい。私は少し咳払いしてからビールをゴクゴクと飲んだ。
「じゃあ仕事はなにしてるの?」
微妙な沈黙。
ああやだ、なんかやだ!
「……やっぱり、何でもない。忘れて」
私はモグモグと肉じゃがを食べた。來也はそんな私を見ていたけど、やがてフッと笑った。
「28歳」
私は咄嗟に顔を上げた。來也は切れ長の眼で私を見ている。
「相澤來也。28歳。職業はサラリーマン」
「ふ、ふーん」
來也は呆れたように私を見た。
「自分から聞いてきた割には反応薄いな」
「いやその別に……」
「お前は?……名前は知ってるけど」
「私は……藤吉マヒル。27歳で……セネカ貿易株式会社で働いてる」
「趣味は?」
來也がさらりと問う。
「……趣味は……手芸」
「嘘つけ」
あれ、なんでバレたのかしら。
いつもコンパでは、『趣味は手芸』と言っている。
私は焦りを隠してフワリと微笑んだ。
「し、質問タイムは……今日はここまで。ね?」
「なんだよ、趣味がないから答えられないだけだろ。何が手芸だ、アホか」
「な、なによ、手芸バカにすんな」
來也が白い歯を見せた。
「お前さ、週末どーすんの?」
私は箸を置いて思い出すように、頭上を見つめた。
「えーっと、土曜は会社の同僚に合コンに誘われてて、日曜日はフリー」
「……へー、合コン?飲み会じゃなくて?」
「近頃は飲み会的なのが多いけど、同僚曰く、今回のはガッツリとした『由緒正しき合コン』なんだってさ。……ところで來也は?」
來也がニヤリと笑った。
「土日とも、デート」
…………。
土曜と日曜は、別の人とか?
いや私の想像の斜め上を行って二日で四人とか。
「……なんだよ」
「……別に……さすがイイ身体のイケメンは凄いなーって思っただけ」
私が真面目にそう言うと、來也は私を無言で見つめた。
「……なに……?」
そ、そんなに見つめられても。
かっこよすぎる男に見つめられると無駄に心拍が上がる。
私は焦って口を開いた。
「あのもし彼女連れて帰ってくるならさ、私、土日はビジネスホテルとかカプセルホテルとかに泊まるから気にしないで」
「ふーん」
ふーんって。
それで今の会話が成立したのかが些か疑問だったりするけど。
……まあ、いいや。
私は両手を合わせて御馳走様でしたと小さく呟くと、食器を手に立ち上がった。
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土曜日。
私は少し大きめのバッグをチョイスして、スタンドミラーの前に立った。
今晩はここに帰ってくる気はないから化粧品や下着、服をバッグに詰め込んだ。
スマホからビジネスホテルの予約をしようとしたけど、二泊三日ともなれば数万はする。
今の私にそんなお金はないのでネカフェにでも潜伏する予定。
……だって、來也は土日ともデートだって言ってたから、やっぱり私がいたら迷惑だろうし。
近々物件も探さないとね。
「……来也……?」
いつの間にか來也の姿がない。バスルームにはいなかったし、寝室にもいない。てことは、あの部屋かな?
私はスーツケースを置かせてもらっている部屋をゆっくりと開けた。
するとその部屋の中で、何故か來也は佇んでいた。
「來也、わ」
「……入ったのか?」
「へ?」
來也がゆっくりと私を振り返った。
私は慌てて来也に謝った。
「ごめん、言い忘れてた!いつまでもスーツケースをリビングに置いとくのもアレだなーと思って、この部屋に置かせてもらったの」
來也は射抜くように私を見た。
「……見たのか、この部屋」
私は訝しげに眉を寄せた。
この部屋に見ちゃいけないものがあるとは思えなかったから、來也のその表情に私は少し驚いた。
机やタンスがあるわけでもないし、開ける戸棚だってない。
当たり前だけど、貴重品を物色する趣味は私にはない。
この部屋にあるのは、箱に入ったまま使われていない家電製品などだ。
唯一、棚と言えば本棚が置いてあるだけで、その中には20冊も満たない数の書籍が納められていた。
「見たけど……それより、勝手に入ってごめんね」
來也が私の二の腕をつかんだ。
「見たからには……何処にも行かせない」
私は來也を見上げた。
「……え?」
「お前はここにずっと住むんだ、俺と」
言うなり來也は私を胸に抱いた。
苦しげで、切ない來也の声。
私の髪に顔を埋めて、來也は愛しそうに私を腕に囲った。
「何処に行くのも禁止」
「……來也、どうしちゃったの?」
私は混乱した。頬がカアッと熱くなってどうしていいか分からない。
それに意味も全然分からない。私は夢中で来也に言った。
「ちょっと待って來也。なに?この部屋を見たけどそれがなんなの?普通に物置じゃん。言ってる意味が分からないんだけど」
瞬間、來也の身体がピタリと止まった。
それからゆっくりと身を起こして私の眼を覗き込んできたから、私も來也の瞳を見つめた。
やがてニヤリと來也が笑った。
「俺に迫られて……ドキドキした?」
くそっ、やられたっ!!私は舌打ちしながら來也の胸を拳でガツンと殴った。
「ばか!」
來也は天井を仰いでゲラゲラと笑った。
「まあ、俺にグラッときても恥じる事はないぜ、マヒルちゃん」
「……わたし、合コンいってくるから。じゃあね」
「そんなのに参加しても俺ほどイイ男とは出逢えないぜ」
私は部屋を出ながら来也を振り返った。
「……わかってる」
いや、ほんと素直にそう思うよ。私は小さく息をつくと玄関へと足を向けた。
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「かんぱーい!」
私は、六本木のとあるビルの10階にいた。
八木麻里の明るい声が響き渡ると共に、グラスのぶつかる透明な音がイタリアンダイニング『ラ・ルーチェ』に弾けた。
暖かみのある艶々と光る上品な木目のテーブルとオレンジ色のランプに包まれた店内はいつ来ても素敵で、私は久々に嬉しかった。
やるじゃん、八木麻里!
私は早々と最初の一杯を飲み干すと、ビールピッチャーを持ち上げた。
お決まりの自己紹介を経て、適当に参加者の男性と話していると、ふと会話が途切れた。
瞬間、來也の言った言葉を思い出す。
『そんなのに参加しても俺ほどイイ男とは出逢えないぜ』
ついでに、來也の姿も。実際に、本当にそうだった。
今回の合コンには8人の男性が参加していたけど、來也ほどのイイ男なんていなかった。
……來也は今頃、デートだ。
……來也の選ぶ女の子ってどんな子だろう。小さくて可愛らしい感じ?一言、二言喋るにも頬を赤らめるような、ピュアな子?それとも、年上?
私は急に緑川冴子を思い出した。緑川冴子は、すごく綺麗で可愛かった。センスも良く、話し方も立ち居振舞いも申し分なかった。
そんな素敵な女性を來也は振った。
てことは、來也は物凄く理想が高いということになるよね。当然か、あれだけのイケメンだしな。
いつの間にか私と話していた男の子は反対隣の席の観月京香と話し込んでいて、私はホッと息をついた。その時だった。
「マヒルじゃない?」
ん?
聞きなれない声に名を呼ばれて、私はテーブルの向こう側のスーツの男性を見上げた。細身で背の高い男性の顔に見覚えはない。けれど、相手は私の名前を知っている。
……分かんない。覚えがない。私はニッコリと笑って会釈をした。
「ごめんなさい、どなたでしたかしら」
男性が、笑った。
「一樹だよ。俺の事、忘れちゃった?」
うわっ、柴原一樹!覚えてるわよ、しっかりとな!!
ただ正直、5年のうちに一樹はすっかり変わっていて全然分からなかった。
襟足の長い金髪はスッキリと刈り上げられた漆黒で、品の良いスーツがとても良く似合っていた。
あんなにジャラジャラしていたネックレスもブレスレットも消えていて、どこからどう見ても一樹は素敵な男性へと変貌を遂げていたのだ。
「一樹……あまりにも素敵になっているものだから、分からなかった……!会えて凄く嬉しい!」
ほんとうは、
『てめー、よくもあの時、私の気持ちを踏みにじってくれやがったな!会えたからにはあの時の借り、返させてもらうぜ!』
的な思いに溢れていたけど、私はニッコリと微笑むと両手を組んで、さも嬉しいといったように顔を傾けた。
「マヒルは、全然変わらないな。昔のままだよ。綺麗で可愛くてスタイルも良くて……」
あったり前だっつーの!毎日筋トレ、欠かしたことがないからな!
けれど私はそんな気持ちをおくびにも出さず、さも恥ずかしいといったように俯いた。
「一樹にそう言われると、誰に言われるよりも嬉しい……」
一樹はしばらく私を見つめていたけれど、やがてテーブルを回って私の脇に立ち、端正な顔を近づけて囁いた。
「なあ……二人きりになれるところに行かないか……?」
フッ、かかったな。
この男は……裁かなければならない。どうしても、裁かなければ。でないと今までが無駄になるもの!
……絶対に……逃がさない。
久々に込み上げてきたこの思いを、私は封じ込むことなど出来なかった。
「……うん……」
内心ニヤリとしながら、私は照れたように頷いた。
*****
「あ、ん」
ふたりきりのエレベーターの中で、一樹は我慢できないというように私を抱き締めた。それから首筋に噛みつくように私にキスをして、
「マヒルを抱いてもいい?」
「一樹ったら……ボタン、押してない……」
「なあ、今から俺の部屋、いこ」
言いながらも一樹は、私の身体に執拗に指を這わせる。
……ほんと、相変わらずゲスな男だ。変わったのは見た目だけじゃんか。
「ああ、一樹ったら」
甘ったるい私の声も、自分の指と舌が生み出していると疑わない愚かな男。
「……連れていって、一樹の部屋」
******
コンビニでビールとハイボールとつまみを買うと、私はたまにいくネカフェを目指した。ネカフェというよりは小さなホテルといった感じで清潔だし、快適なんだよね。
おまけに数千円強で早朝5時までいられるし。まあ休日だし24時間プランでもいいかな。
あれやこれやと考えているとスマホが鳴った。
……來也だ。
「來也?どーしたのー?デートじゃないのー?」
「今どこ?」
耳元で來也の低くて魅力的な声がするから、私はその心地よさに立ち止まった。
「今?コンビニ出たとこ。これからネットカフェに行くから、月曜の夕方までは帰らないよ。安心して」
『……なんでそれで俺が安心すんの』
「は?だって來也、土日はデートだって言ってたじゃん。その……私がいたら邪魔でしょ?」
『帰ってこい。今すぐ。俺が迎えに行ってもいい』
「いいよ、そんなの。とにかく今日はネカフェで」
『ダメだ』
かすれた來也の声に、鼓動が跳ねた。
『……帰ってこいって……』
甘酸っぱくて切なくて、胸が軋む感じ。
ああ、來也に会いたい。私はギュッと眼を閉じた。
******
「ただいま……」
「……」
ソファからチラリとこちらを見ると來也は立ち上がり、私の買ってきたコンビニの袋をガサガサと物色し始めた。それからハイボールを手に取ると、カシュッと缶を開ける。
「きゃあ、私が飲もうと思ってたのに!」
そんな私を來也は一瞥すると、
「首筋にキスマークが付いてるけど」
げっ!
私は思わず舌打ちして、一樹が唇を寄せた辺りに手をやった。
「……シャワー浴びてくる」
「待て」
ギュッと來也が私の腕をつかむ。
「誰のキスマーク?」
「五年前に付き合ってた男。とにかく話は後」
私は來也の手をそっとほどくと、バスルームへと向かった。
******
「あー、スッキリした~!」
髪をタオルドライしながら私がリビングに戻ると、來也はマジマジと私を凝視した。
「ねえ、ハイボールまだある?」
來也は返事を返さない。
「ねえ、來也?」
なんだ、こいつは。
「來也っ!」
來也は我に返ったように瞬きした。
「あ?」
「あ、じゃなくて。私のハイボールー」
「んー、あと、ひとくち残ってる」
「二本あったでしょ?」
「だから、二本目のラストひとくち」
……殺すわよ。
私は眉間にシワを寄せると、來也の前にある缶に手を伸ばした。
「おっと」
「ひとくちぐらい、くれたっていーじゃん」
來也は私の手を掴んで引き寄せた。
「キスマークの話、教えたら、やる」
「そんなのどーでもいーじゃん。4.5って言われた復讐を遂げただけ!」
「そーいや、4.5の話もまだ聞いてなかったよな」
「大した話じゃないよ。……昔、付き合ってた大好きだった彼に陰で二股かけられてて、それが私の親友だったの」
「よくある話だな」
「で、その親友に彼が私の事を『マヒルの事は10あるうち、5しか好きじゃない。いや、4.5だな』って言ってたらしいの!」
なんだか怒りが込み上げてきて、私は更に続けた。
「4.5だよ?!5から0.5下げられたんだよ、評価!なによ、その小数点はっ!」
來也は黙って私の話に耳を傾けている。
「で、今日偶然五年ぶりに合コンで再会したの。だからその気にさせてこてんぱんに成敗してやったってわけ。その時にエレベーターで付けられたみたい」
「……俺にしたみたいにかよ」
げっ!
來也がムッとして私を見つめた。苛立たしげに光る焦げ茶色の瞳。
「ま、まあ言えばそうだけど……一樹にはバシッと厳しく言ってのけたって感じ?」
來也が唇を引き結んで私を見下ろすから、私は焦って言った。
「ら、來也だってひどいじゃん!『女なんか、ちょっと金使ってやったらチョロい』とかなんとか言っちゃってさ!そんなのダメじゃん!」
「だからって、お前がそういう男達を裁くのかよ。復讐すんのかよ。そんなのお前の役目じゃねえ」
「…………」
どーせなに言っても怒られる気がする……やだなー。
考えあぐねているうちに、來也が最後のひと口だと言ったハイボールをグイッとあおった。
「きゃあ、私のハイボ、……っ……!」
心臓がドクンと跳ねた。
だって來也が私の後頭部に手を回すと、素早く唇にキスをしたから。
途端にレモン風味の炭酸と、ウィスキーの味が口一杯に広がり、私は眼を見開く。
最後に來也の舌が触れて、私は思わず來也の服をギュッと握った。
コクンと飲み込むと、來也は私から顔を離して瞳を覗き込んだ。
「もう二度とするな。お前がそんな事する必要は、もうなくなったんだ」
裁きたかったのは、一樹との過去のせいだ。
それを遂げた今、自分を過去の呪縛から解放しろと來也は私に告げているのだ。
ゆるゆると心から長年の膿が出て、傷が治っていくような気がした。
來也は私を抱き締めながら続けた。
「それと俺以外の男に、身体触らせんな」
へ?
それって。
それって……。
心臓が破裂しそうになって、身体中の血液が全て顔に集まってきたような感覚にクラリとした。
「分かった?」
……それって……それって……なんなの、冗談?
やだ、分かんない、冗談を真に受けるバカな奴だと思われなくない。
私は來也の意図が分からず、もがいた。
「來也、離して」
「離さない」
「來也、どうして……?」
「俺、何回お前にキスしてると思ってんの」
ドギマギしながら私が硬直していると、來也は小さく息をついた。
「ムカついて死にそうなんだけど」
だめだ、私の方が死にそうだ。
「マヒル」
「は、は、はい」
來也がクスッと笑った。
「……タンクトップに短パンって……寒くない?……俺にしたらソソルから、いーけど」
「ば、ばか、変態」
來也が一層私を抱き寄せた。
「男はみーんな変態だぜ、マヒルちゃん」
そう言いながら甘く笑うと、來也は再び私にキスをした。
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