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6月
第7帖。アジの炊き込みご飯。
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土曜日。
珍しく早起きした慧太だった。時計は午前10時を示している。
――まだこんな時間なのか。
慧太は布団から出て伸びをする。いつもならまだ寝ている時間である。あまりの早起きっぷりに慧太は、今日は何かいいことがありそうだと思うのだった。
隣の部屋からは物音ひとつしない。けーこはどこかに出かけたのだろう。携帯電話のアプリを起動する。メッセージは何も届いていない。
カーテンを開ける。いい天気だった。晴天そのもので、絶好の洗濯日和だった。
慧太の部屋は1階にある。ベランダ側は川に面しているおり、カーテンを開けて窓辺に立てば、なだらかな斜面を下ってはるか先に川が見える。
川の両側は遊歩道が整備されている。
コンマ(カンマ)状のまるでビブリオ科の細菌みたいな物体が複数、遊歩道の上を行ったり来たりしている。犬を連れているビブリオも見える。それらは遊歩道を散歩している人たちで、スーパーに買い物へ行くときは慧太もあの中のひとりになるのだ。
普通、アパートを借りるとき1階を選ばない者は多い。
まずG(ゴキブリの隠語)が出やすい。ムカデだのカタツムリだの、害益を問わず虫が入りやすい。そしてたいていの場合、道路が目の前なので騒音と排気ガスが部屋に入り込む。体をむしばむ。そして防犯上の理由もある。虫が入りやすければドロボウも入って来る。
それらを防ぐため、1階のベランダ側には壁や鉄格子がつけられることが多い。
だがここにはない。
川に面した斜面に低い垣根が設けられているくらいで、ちょっと体力に自信があればピョーンと乗り越えて部屋の前まで来られる。
防犯ゼロじゃないか、と、このアパートを下見したとき慧太は思った。でもそれは天が落ちて来はせぬか、と憂うに近い。
街灯がとても多く、監視カメラも多い。夜間でもそこそこ明るさがあり、かつ、目の前の遊歩道の存在がある。慧太のような引きこもりでも軽い気分で散歩できる。だから老若男女がどの時間帯にもいて、意外と人の目がある。
引っ越す前は男の慧太でさえ、防犯がちょっぴり心配だった。家賃が安いから選んでしまったが、女の子のけーこがよく1階に住もうと思ったものだ。それともアパート選びのことを何も知らないからこそ1階を選んだのかも知れない。何しろたった1日で引っ越して来たのだから。
住んでみないと分からないことが多かった。慧太もそうだったが、今ではここが気に入っている。3年目の今日でもそれは変わらない。新築に近いのに家賃が安い。かつカメラ付きインターホンがある。
それに無用心の元凶たるベランダからの眺めはとても良い。沈みゆく夕日を見しなにコーヒーを飲めば、中学2年生くらいにタイムスリップしたかのごとき郷愁が沸き出でる。
それに住人とすれ違わない。ここは引きこもりには重要だ。例えばギリシア神話に名高いメドゥーサと目が合ったら石にされる。死ぬのだ。慧太もこれと同じ理論で、誰かと会いたくないのだった。
「……散歩でも行くかな。いやついでに買い物だな。アイスがなくなった」
以前の慧太ならば「天気が良いから散歩」などとは絶対に言わない。
慧太はシャワーを浴びてスッキリすると、半そで、半ズボン、サンダルそれに肩掛けカバンに着替えた。6月の暑い日にはこの格好でないとすぐバテる。慧太は半ズボンがあまり好きではない。足の白さが目立ってしまうからである。貧弱ゥな引きこもりだとバレてしまうではないか。このへんに慧太は妙なプライドがを持っている。引きこもりが原因なのに。
◆
散歩をしていて暑かったのでスーパーに来ている慧太。
冷房がよく効いている。果物のコーナーに足を運ぶ。
イチゴの季節は終わっているらしく、姿を見ない。代わりにキウイ、梅、サクランボ、パイナップルが並ぶ。それにグレープフルーツ。これは冷凍品だからいつでも食べられる。それでも柑橘系の旬は今だから、食べるなら今だ。
――と、以前けーこが言っていた気がする。
メロンは高い。さすがに1玉2700円もしては買えない。
「誰が買うんだ、こんな高いの。おっ。サクランボ安いな」
1パックに20房は入っている。痛みかけているせいか、なんと1パック199円。ひとり暮らしを始めてからサクランボを食べていない。
お腹が空いてきた。
お昼ご飯をどうしようか。慧太は真剣に悩む。
時計を見る。夕飯まで6時間以上ある。何食わないのはガマンならない。かといって食べるものはない。ガマンしようか。それとも外食でもしようか。
悩んだ末、帰宅して残り物を食べることにした。
◆
久し振りに料理をする決心をする慧太。決心しただけでなく、現に、作業に移している。
棚の片隅から乾麺を発見した。そうめんの束である。お昼のメニューは決定したのだった。
慧太は大鍋にたっぷりのお湯を沸かす。かなりの時間を経たのち、ようやくぼこぼこと泡が立ってくる。
そうめんをまとめる帯留めを外す。さあっと円を描くように鍋に投入したのだった。続いてもう1束。合計2束。白いそうめん束は放射状に広がり、熱湯に触れた途端、水分を吸ってしなり、水底に沈む。
菜箸でまぜる。
特に底にくっつかぬよう混ぜる。これでいい、と慧太は菜箸を置いた。あとは適度に時間がたてば完成だ。乾麺は湯がくだけで完成する。便利な食べ物だ。しかしその一手間が面倒なのだった。
ひとり暮らしだと、湯がくことさえしなくなる。
始める前は「ちゃんと料理をするぞ」と意気込んでいたのに。昔を懐かしんでいたら水面の中央が膨らんでくるのが目に入った。いかん、吹きこぼれる。
慧太はコップに水を注ぎ、慌てて差し水した。水は落ち着きを取り戻した。
ところでそうめん束を入れていた箱が見当たらない。湯で時間が何分か分からない慧太だった。じっ……と見る。白かったそうめんが半透明に変わる。
すかさず慧太は数本すくい上げ、コップの水で冷やし、試食。よし、歯ごたえあり。つるんと食える。シコシコした歯ごたえ。パスタに例えればアルデンテの状態。ちょうどいい湯で上がり具合だ。
慧太は火を止め、ザルにざっ……とあけた。すかさず水をジャブジャバ流し、洗い、ぬめりを取る。かつ温度を下げる。そうめんは冷たいものだ。暖かければにゅうめんになってしまう。
「よし」
料理のときはひとり言が多くなる慧太だった。水を止める。氷を放り込み、混ぜ込む。手近の丼鉢の上にザルを乗せた。
ここに至って慧太は重大なことに気付く。めんつゆはあっただろうか。出来合いのものはずっと前に使い切って捨てている。今週はじめ、けーこが引っ越しソバを持ってきたときだって自作している。
自作……? 慧太は思い出す。
――そうだ、あのとき。
けーこが作ってくれた、つゆの余りを冷凍しておいたんじゃなかったかな。冷凍庫の中を探す。
「あった」
プラスチックの容器に「つゆ」、及び日付の書かれた附箋。けーこの丸っこい筆跡。まぎれもなくけーこのつゆだった。慧太は電子レンジに入れると「解凍」を選択してスイッチオン。
チーン! 解凍が終わったらしい。開ける。プラスチック容器の中ではつゆがちゃんと解凍されている。慧太は「解凍」をいつも不思議がるのだった。なぜ熱くならないのだろう。解凍モードだからか。
そんなことを思いつつコタツ机へ運ぶ。
つゆを陶器の涼しげな器に移そうとしたが、面倒なのでやめた。ひとり暮らしだと、こういう妥協が入る。最初は小さな妥協だが3年も経れば大きな妥協となり、もしけーこがいなければ今でも慧太は料理さえしなかったかも知れない。妥協はモノグサに成り果てるのだ。
「いただきます」
ハッとなる。1人のとき食べ始めに「いただきます」を言うのは何年振りだろうか。おそらく3年前。初めてひとり暮らしを始めた頃以来ではないか。そして再開したのはけーこが現れたとき。
――甘えてんな、僕は。
慧太は苦笑した。居もせぬけーこに感謝したのだった。
◆
夕方、隣の部屋に気配がある。
そう思うが早いか、隣部屋のけーこがニュッと現れる。
「ただいまー」
「お帰り。疲れてるね」
「お互い様じゃ。さーて料理じゃ料理じゃ」
「休んでからにしたら?」
「お主も腹が減っておろう。休んでなぞおられんわい」
けーこは殊勝にも台所に立つのだった。
「何にしようかのう」
冷蔵庫、冷凍庫を交互に見ている。どうやら今日、買い物をして来なかったらしい。買い物もせずに料理を作れるのだろうか。
「よし、決まった」
「何?」
「ヒ・ミ・ツ」
けーこは片目をウインク! 細い人差し指を口元に当て、うふん♪ と色気を主張する。
――JKのクセに。
それはともかく、けーこは料理を作る。
けーこはアジの開きを使って炊き込みご飯を作ることに決めた。それにミョウガとそうめんの味噌汁。トリそぼろの卵焼き。賀茂ナスのカラシづけ。イカ焼き。
――さすがワシじゃ!
買い物も行かずにメニューを揃えられるあたり、けーこは機嫌が良くなる。
どうあれまずご飯を炊く。米2合を洗い、ここに醤油大さじ2半、酒大さじ2、みりん大さじ2。これはいつだったかタケノコの炊き込みご飯を作ったときと同じ配合だ。それだけ入れると炊飯器にセッツ! よし。
すっかり冷凍されているアジの開きを解凍するけーこ。
電子レンジに投入!
チーン!
アジの開きがすっかり解凍されているのを見て、けーこはグリルの火をつける。銀紙を敷き、アジの開きを腹を上にして入れる。
味噌汁の準備を併走させる。
ダシ汁の入った鍋を火にかける。味噌汁は白味噌にしよう。けーこは最後の新ジャガと新タマを切り、鍋に入れた。これでいい。
湯がくまでの間、イカを焼く。どう焼こうか。普通にフライパンで焼くのがいいか。いや、グリルでアジと一緒に焼いてしまえ。アジの横にイカを並べた。
次いで卵3個を割り、混ぜる。マヨネーズを少々入れる。さらに混ぜ、マヨネーズがダマにならぬようにする。火にかけたフライパンを濡れタオルの上に乗せた。じゅうっといって水が蒸発する。ダシ巻き卵を作ったときもそうだったが、これでコゲ付きしにくい。理由は知らないけれども。
けーこはとき卵をフライパンに流した。じゅう……と良い音を立てる。いくぶんか固まったところで、けーこはトリそぼろを準備した。隅っこの部分にトリそぼろを細く並べる。
ここを基点に卵焼きを巻く。
フライ返しを使ってくるり、くるりと巻くのだった。おー、焦げていない。卵焼きはコゲない方が見た目がキレイだ。慧太は、トリそぼろを中心とした薄い卵焼きを作った。フライ返しで隅っこに寄せ、空いたスペースにとき卵を流す。固まったらフライ返しで回す。これを何度も繰り返すのだった。
そうこうするうちに味噌汁鍋の中の新ジャガと新タマは湯がききられている。しまった、湯がき過ぎたかな。けーこは首をひねった。火を小さくする。
そこで思い出したようにグリルをのぞく。アジの開きはまだ充分に焼けていない。だがイカは表面がやや黒い。ひっくり返すなら今しかない。これ以上焼くと焦げる。今でさえコゲの部類に入るのに。菜箸でひっくり返した。
グリルを閉じ、味噌汁を作る。冷凍庫から油揚げをドサッと入れる。沸騰しかけていた鍋は穏やかになる。慧太は白味噌をおたまにすくい、といた。火を止めて麩を数個浮かべる。これで味噌汁は完成だ。
グリルをのぞく。イカはもう焼けた。小皿にとる。アジの開きは腹の面の脂が泡立つように焼けている。魚脂の焼ける良いにおい。けーこは菜箸で慎重にひっくり返した。こちの半面が焼ければオーケーだ。
複数の作業を同時並行しなければならない。
夕飯作りはまだ続く。
けーこは賀茂ナスを薄切りにして水にさらす。少しのち、揉む。これを破れにくいビニール袋に入れ、マスタードを適量入れる。辛いのが好きならマスタードを増やせばいい。けーこは少なめにした。まだ揉む。ナスがビニール袋の中でしんなりしたら、口を縛り、置いておく。漬け物と一緒でしばらくなじませておく。これで完成だ。
百均のすり鉢でゴマをする。ゴマの香が中々どうして、馥郁と香る。すでに湯がいてあるインゲンをボウルに入れた。ここに砂糖と醤油を等量。さらにたっぷりのゴマを加え、混ぜる。味見をし、うんいいぞとけーこはうなずく。インゲンのゴマ和え完成。
グリルからパチパチと音が聞こえる。アジが焼けている。ふわりとアジの焼けるにおい。腹の虫を刺激するいいにおいだ。
アジの開きを2匹とも取り出し、冷ます。粗熱が取れたところでその身をほぐす。骨の1本たりとて逃さぬよう目を皿にするけーこ。まもなくアジは骨のみとなり、むかれた身はホクホクとしてたまらなくウマそうな剥き身の山が出来上がった。
ピーピーと炊飯器が鳴っている。ご飯が炊けたらしい。混ぜておく。よし、アジの炊き込みご飯の準備は9割9分終わった。
ぐうう……
「今のは? けーこ、今の何? ぐふっ」
台所からダッシュしたけーこは慧太の腹に「ずばん!」と右ストレートを決める。
赤面けーこは腹の音をゴマかすようにお腹を押さえた。
「うるさい! 飯じゃ飯じゃ!」
「僕のおなかも被害甚大……」
「飯じゃ!」
分かった分かった、と慧太は笑いながら配膳を始めるのだった。
コタツ机の上にズラリ並べられる。
アジの炊き込みご飯、味噌汁。トリそぼろの卵焼き。賀茂ナスのカラシづけ。イカ焼き。インゲンのゴマ和え。そしてデザート。
「おかしいな」
「何がじゃ」
「けーこ、さっきまでアジを焼いてたろ? なのにアジの姿がない」
「そこにあるぞ。ご飯の中にほぐし身が入っておる」
「あ、なるほど! アジの炊き込みご飯か」
「左様。イタダキマス」
けーこは箸を取った。アジの炊き込みご飯に手を付けた。食べる。アジの香りが広がる。身からにじみ出る魚脂。焼いてあるから旨味がしっかり閉じ込められている。しかも香ばしい。
「ウマい。これはウマいぞ。やはり炊き込まないで正解じゃった」
「え?」
「アジの炊き込みご飯は、ご飯を炊くとき炊飯器にアジの開きを入れれば出来る。勝手に蒸されるしダシも取れるし楽じゃ。でも今日のは焼いてから身をほぐしたのぞ。魚は焼くのが一番ウマいから、手間はかかってもやって良かった」
「へー。そういうものなのか。料理は一手間かけるとウマくなる」
「至言じゃ」
次にけーこが箸をつけるのは、トリそぼろの卵焼きである。けーこはその1切れを、真ん中で割った。トリそぼろから流れる肉汁。卵焼きに閉じ込められていたものが一斉に出て来たのだった。
食い付くけーこ。
甘い、というの第一印象だった。
煮しめられたトリそぼろは昨日よりも味が濃厚だった。そぼろが熟したのか。あるいは味付けがなじんだせいか。ホカホカの卵焼き。隠し味のマヨネーズは本当にすっかり隠れ、卵焼きの甘さを引き立てているのだった。
「甘いぞ。ウマいぞ。残り物でも手を加えればウマく作れば1品になるのう。うーむ。むしろ時間を置くことで味に深みというか、濃厚さが増えておる。このトリそぼろ、昨日食ったときよりも優しい味になっておるようじゃ。不思議じゃ。同じ食べ物なのに時間を経ると味に変化が現れる」
「いつもながら大げさだなあ」
「大げさではない。思うままを言うておるのじゃ、しかし味噌汁は……具が多かったかの」
「ベースが白味噌の味噌汁。ミョウガが夏っぽいね。あと入ってるそうめんは昼の残りだ。目新しい」
このそうめんは今日のお昼に慧太が湯がいたものの残りだ。
続いて、賀茂ナスのカラシ漬けをぱくりとするけーこ。途端、悶絶の表情を浮かべる。
「むぐっ。かか辛い。ワシは苦手じゃ水みずミズ」
「水、水を飲め」
「ごくごく。ふう、これは辛い」
「ぱく。うおっ、本当だ。この味はマスタード?」
「しかり。賀茂ナスのマスタード漬けじゃ。ワシはカラシ漬けと呼でおるがの。そうか。辛いか。量を抑えたつもりだったが……。インゲンのゴマ和えでも食って口直ししてくれ」
とか言いつつ、真っ先に手を伸ばすのはもちろん、けーこである。程よく湯がかれたインゲン。ゴマとともに砂糖の甘みと醤油の味がしっかりとした味がする。
さきほどの辛さと落差あるウマさ。けーこは覚えず、ほうと息をつく。
「ウマい。たかがインゲン。されどインゲン。ゴマ和えにこの甘辛い味。付け合わせとしては最高じゃの」
「インゲンがソーセージみたいに弾力あるね。パキリと折れる」
「このイカもグリルで焼いて良かったわい。表面を炙って醤油を塗っただけで焦げ具合が最高じゃぞ。しかしアジの炊き込みご飯のウマさには敵わんが」
お代わり、お代わり、とけーこがパカリと炊飯器を開けたときだった。
けーこの動きがピタリと止まる。
「どうした」
「カラになってしもうた。2合も炊いたのになくなるとはのう」
その2合とはご飯茶碗4杯分の飯が炊けるのだ。もっとも慧太には、そのうち半分以上をけーこが半食っている気がした。言わないが。
そんなけーこは「マイッタ」と言わんばかりにベッドに横になった。
「食べ過ぎた。腹がクチクなったぞ」
「ずいぶん食ったからなあ」
「さあデザートじゃ」
「ええ! まだ食うのか!」
「ばかメ。デザートは別枠に決まっておろうが。さ、慧太。冷蔵庫からデザートを出すのじゃ」
冷蔵庫からプリン2個。スーパーで買ってきた1個68円の安売り品だ。けーこはそのプリンを食べながら頬をゆるませているあたり、甘いものは本当に別枠らしい。
お腹いっぱい。デザート。もしかすると。と慧太は思う。自分は今すごく幸せなのではないか。ひとり暮らしを始めてからずっとひとり飯だった。ウマくても褒めてくれる人もいず、感想を述べ合う友達もいない。
そこにサッソウとけーこが来た。献立を考え、ともに食べる。これは大いなる幸せではないか。今、けーこの笑顔を見るとそうとしか思えない慧太だった。なんだか亡き家族と食卓を囲んでいるふうに思えた。
「何じゃけいた。ワシの顔を見て。ホれたか?」
「ばか言え」
「だからばかを言ったのじゃ」
言葉遊びをされ、思わず笑う慧太。つられてけーこも笑っている。
「あっという間の1週間だったなあ。けーこが来てから。最初は追い出そうとしちまったけど」
「あれはヒドかったのう。ワシの心は大いに傷ついたぞ」
「そりゃすまん」
「今でもその傷は癒えてはおらん」
「あれだけ飯を食えば治ったんじゃないか」
「心の傷は甘いものがないと治らん。これからも甘いものを準備せよ、けいた。ワシのために」
「おーけー」
「うむ、良い返事じゃ。けいた。また明日もウマいのを頼むぞ」
「はいはい。お任せあれ」
けーこの所望に、慧太は迷わずうなずくのだった。
珍しく早起きした慧太だった。時計は午前10時を示している。
――まだこんな時間なのか。
慧太は布団から出て伸びをする。いつもならまだ寝ている時間である。あまりの早起きっぷりに慧太は、今日は何かいいことがありそうだと思うのだった。
隣の部屋からは物音ひとつしない。けーこはどこかに出かけたのだろう。携帯電話のアプリを起動する。メッセージは何も届いていない。
カーテンを開ける。いい天気だった。晴天そのもので、絶好の洗濯日和だった。
慧太の部屋は1階にある。ベランダ側は川に面しているおり、カーテンを開けて窓辺に立てば、なだらかな斜面を下ってはるか先に川が見える。
川の両側は遊歩道が整備されている。
コンマ(カンマ)状のまるでビブリオ科の細菌みたいな物体が複数、遊歩道の上を行ったり来たりしている。犬を連れているビブリオも見える。それらは遊歩道を散歩している人たちで、スーパーに買い物へ行くときは慧太もあの中のひとりになるのだ。
普通、アパートを借りるとき1階を選ばない者は多い。
まずG(ゴキブリの隠語)が出やすい。ムカデだのカタツムリだの、害益を問わず虫が入りやすい。そしてたいていの場合、道路が目の前なので騒音と排気ガスが部屋に入り込む。体をむしばむ。そして防犯上の理由もある。虫が入りやすければドロボウも入って来る。
それらを防ぐため、1階のベランダ側には壁や鉄格子がつけられることが多い。
だがここにはない。
川に面した斜面に低い垣根が設けられているくらいで、ちょっと体力に自信があればピョーンと乗り越えて部屋の前まで来られる。
防犯ゼロじゃないか、と、このアパートを下見したとき慧太は思った。でもそれは天が落ちて来はせぬか、と憂うに近い。
街灯がとても多く、監視カメラも多い。夜間でもそこそこ明るさがあり、かつ、目の前の遊歩道の存在がある。慧太のような引きこもりでも軽い気分で散歩できる。だから老若男女がどの時間帯にもいて、意外と人の目がある。
引っ越す前は男の慧太でさえ、防犯がちょっぴり心配だった。家賃が安いから選んでしまったが、女の子のけーこがよく1階に住もうと思ったものだ。それともアパート選びのことを何も知らないからこそ1階を選んだのかも知れない。何しろたった1日で引っ越して来たのだから。
住んでみないと分からないことが多かった。慧太もそうだったが、今ではここが気に入っている。3年目の今日でもそれは変わらない。新築に近いのに家賃が安い。かつカメラ付きインターホンがある。
それに無用心の元凶たるベランダからの眺めはとても良い。沈みゆく夕日を見しなにコーヒーを飲めば、中学2年生くらいにタイムスリップしたかのごとき郷愁が沸き出でる。
それに住人とすれ違わない。ここは引きこもりには重要だ。例えばギリシア神話に名高いメドゥーサと目が合ったら石にされる。死ぬのだ。慧太もこれと同じ理論で、誰かと会いたくないのだった。
「……散歩でも行くかな。いやついでに買い物だな。アイスがなくなった」
以前の慧太ならば「天気が良いから散歩」などとは絶対に言わない。
慧太はシャワーを浴びてスッキリすると、半そで、半ズボン、サンダルそれに肩掛けカバンに着替えた。6月の暑い日にはこの格好でないとすぐバテる。慧太は半ズボンがあまり好きではない。足の白さが目立ってしまうからである。貧弱ゥな引きこもりだとバレてしまうではないか。このへんに慧太は妙なプライドがを持っている。引きこもりが原因なのに。
◆
散歩をしていて暑かったのでスーパーに来ている慧太。
冷房がよく効いている。果物のコーナーに足を運ぶ。
イチゴの季節は終わっているらしく、姿を見ない。代わりにキウイ、梅、サクランボ、パイナップルが並ぶ。それにグレープフルーツ。これは冷凍品だからいつでも食べられる。それでも柑橘系の旬は今だから、食べるなら今だ。
――と、以前けーこが言っていた気がする。
メロンは高い。さすがに1玉2700円もしては買えない。
「誰が買うんだ、こんな高いの。おっ。サクランボ安いな」
1パックに20房は入っている。痛みかけているせいか、なんと1パック199円。ひとり暮らしを始めてからサクランボを食べていない。
お腹が空いてきた。
お昼ご飯をどうしようか。慧太は真剣に悩む。
時計を見る。夕飯まで6時間以上ある。何食わないのはガマンならない。かといって食べるものはない。ガマンしようか。それとも外食でもしようか。
悩んだ末、帰宅して残り物を食べることにした。
◆
久し振りに料理をする決心をする慧太。決心しただけでなく、現に、作業に移している。
棚の片隅から乾麺を発見した。そうめんの束である。お昼のメニューは決定したのだった。
慧太は大鍋にたっぷりのお湯を沸かす。かなりの時間を経たのち、ようやくぼこぼこと泡が立ってくる。
そうめんをまとめる帯留めを外す。さあっと円を描くように鍋に投入したのだった。続いてもう1束。合計2束。白いそうめん束は放射状に広がり、熱湯に触れた途端、水分を吸ってしなり、水底に沈む。
菜箸でまぜる。
特に底にくっつかぬよう混ぜる。これでいい、と慧太は菜箸を置いた。あとは適度に時間がたてば完成だ。乾麺は湯がくだけで完成する。便利な食べ物だ。しかしその一手間が面倒なのだった。
ひとり暮らしだと、湯がくことさえしなくなる。
始める前は「ちゃんと料理をするぞ」と意気込んでいたのに。昔を懐かしんでいたら水面の中央が膨らんでくるのが目に入った。いかん、吹きこぼれる。
慧太はコップに水を注ぎ、慌てて差し水した。水は落ち着きを取り戻した。
ところでそうめん束を入れていた箱が見当たらない。湯で時間が何分か分からない慧太だった。じっ……と見る。白かったそうめんが半透明に変わる。
すかさず慧太は数本すくい上げ、コップの水で冷やし、試食。よし、歯ごたえあり。つるんと食える。シコシコした歯ごたえ。パスタに例えればアルデンテの状態。ちょうどいい湯で上がり具合だ。
慧太は火を止め、ザルにざっ……とあけた。すかさず水をジャブジャバ流し、洗い、ぬめりを取る。かつ温度を下げる。そうめんは冷たいものだ。暖かければにゅうめんになってしまう。
「よし」
料理のときはひとり言が多くなる慧太だった。水を止める。氷を放り込み、混ぜ込む。手近の丼鉢の上にザルを乗せた。
ここに至って慧太は重大なことに気付く。めんつゆはあっただろうか。出来合いのものはずっと前に使い切って捨てている。今週はじめ、けーこが引っ越しソバを持ってきたときだって自作している。
自作……? 慧太は思い出す。
――そうだ、あのとき。
けーこが作ってくれた、つゆの余りを冷凍しておいたんじゃなかったかな。冷凍庫の中を探す。
「あった」
プラスチックの容器に「つゆ」、及び日付の書かれた附箋。けーこの丸っこい筆跡。まぎれもなくけーこのつゆだった。慧太は電子レンジに入れると「解凍」を選択してスイッチオン。
チーン! 解凍が終わったらしい。開ける。プラスチック容器の中ではつゆがちゃんと解凍されている。慧太は「解凍」をいつも不思議がるのだった。なぜ熱くならないのだろう。解凍モードだからか。
そんなことを思いつつコタツ机へ運ぶ。
つゆを陶器の涼しげな器に移そうとしたが、面倒なのでやめた。ひとり暮らしだと、こういう妥協が入る。最初は小さな妥協だが3年も経れば大きな妥協となり、もしけーこがいなければ今でも慧太は料理さえしなかったかも知れない。妥協はモノグサに成り果てるのだ。
「いただきます」
ハッとなる。1人のとき食べ始めに「いただきます」を言うのは何年振りだろうか。おそらく3年前。初めてひとり暮らしを始めた頃以来ではないか。そして再開したのはけーこが現れたとき。
――甘えてんな、僕は。
慧太は苦笑した。居もせぬけーこに感謝したのだった。
◆
夕方、隣の部屋に気配がある。
そう思うが早いか、隣部屋のけーこがニュッと現れる。
「ただいまー」
「お帰り。疲れてるね」
「お互い様じゃ。さーて料理じゃ料理じゃ」
「休んでからにしたら?」
「お主も腹が減っておろう。休んでなぞおられんわい」
けーこは殊勝にも台所に立つのだった。
「何にしようかのう」
冷蔵庫、冷凍庫を交互に見ている。どうやら今日、買い物をして来なかったらしい。買い物もせずに料理を作れるのだろうか。
「よし、決まった」
「何?」
「ヒ・ミ・ツ」
けーこは片目をウインク! 細い人差し指を口元に当て、うふん♪ と色気を主張する。
――JKのクセに。
それはともかく、けーこは料理を作る。
けーこはアジの開きを使って炊き込みご飯を作ることに決めた。それにミョウガとそうめんの味噌汁。トリそぼろの卵焼き。賀茂ナスのカラシづけ。イカ焼き。
――さすがワシじゃ!
買い物も行かずにメニューを揃えられるあたり、けーこは機嫌が良くなる。
どうあれまずご飯を炊く。米2合を洗い、ここに醤油大さじ2半、酒大さじ2、みりん大さじ2。これはいつだったかタケノコの炊き込みご飯を作ったときと同じ配合だ。それだけ入れると炊飯器にセッツ! よし。
すっかり冷凍されているアジの開きを解凍するけーこ。
電子レンジに投入!
チーン!
アジの開きがすっかり解凍されているのを見て、けーこはグリルの火をつける。銀紙を敷き、アジの開きを腹を上にして入れる。
味噌汁の準備を併走させる。
ダシ汁の入った鍋を火にかける。味噌汁は白味噌にしよう。けーこは最後の新ジャガと新タマを切り、鍋に入れた。これでいい。
湯がくまでの間、イカを焼く。どう焼こうか。普通にフライパンで焼くのがいいか。いや、グリルでアジと一緒に焼いてしまえ。アジの横にイカを並べた。
次いで卵3個を割り、混ぜる。マヨネーズを少々入れる。さらに混ぜ、マヨネーズがダマにならぬようにする。火にかけたフライパンを濡れタオルの上に乗せた。じゅうっといって水が蒸発する。ダシ巻き卵を作ったときもそうだったが、これでコゲ付きしにくい。理由は知らないけれども。
けーこはとき卵をフライパンに流した。じゅう……と良い音を立てる。いくぶんか固まったところで、けーこはトリそぼろを準備した。隅っこの部分にトリそぼろを細く並べる。
ここを基点に卵焼きを巻く。
フライ返しを使ってくるり、くるりと巻くのだった。おー、焦げていない。卵焼きはコゲない方が見た目がキレイだ。慧太は、トリそぼろを中心とした薄い卵焼きを作った。フライ返しで隅っこに寄せ、空いたスペースにとき卵を流す。固まったらフライ返しで回す。これを何度も繰り返すのだった。
そうこうするうちに味噌汁鍋の中の新ジャガと新タマは湯がききられている。しまった、湯がき過ぎたかな。けーこは首をひねった。火を小さくする。
そこで思い出したようにグリルをのぞく。アジの開きはまだ充分に焼けていない。だがイカは表面がやや黒い。ひっくり返すなら今しかない。これ以上焼くと焦げる。今でさえコゲの部類に入るのに。菜箸でひっくり返した。
グリルを閉じ、味噌汁を作る。冷凍庫から油揚げをドサッと入れる。沸騰しかけていた鍋は穏やかになる。慧太は白味噌をおたまにすくい、といた。火を止めて麩を数個浮かべる。これで味噌汁は完成だ。
グリルをのぞく。イカはもう焼けた。小皿にとる。アジの開きは腹の面の脂が泡立つように焼けている。魚脂の焼ける良いにおい。けーこは菜箸で慎重にひっくり返した。こちの半面が焼ければオーケーだ。
複数の作業を同時並行しなければならない。
夕飯作りはまだ続く。
けーこは賀茂ナスを薄切りにして水にさらす。少しのち、揉む。これを破れにくいビニール袋に入れ、マスタードを適量入れる。辛いのが好きならマスタードを増やせばいい。けーこは少なめにした。まだ揉む。ナスがビニール袋の中でしんなりしたら、口を縛り、置いておく。漬け物と一緒でしばらくなじませておく。これで完成だ。
百均のすり鉢でゴマをする。ゴマの香が中々どうして、馥郁と香る。すでに湯がいてあるインゲンをボウルに入れた。ここに砂糖と醤油を等量。さらにたっぷりのゴマを加え、混ぜる。味見をし、うんいいぞとけーこはうなずく。インゲンのゴマ和え完成。
グリルからパチパチと音が聞こえる。アジが焼けている。ふわりとアジの焼けるにおい。腹の虫を刺激するいいにおいだ。
アジの開きを2匹とも取り出し、冷ます。粗熱が取れたところでその身をほぐす。骨の1本たりとて逃さぬよう目を皿にするけーこ。まもなくアジは骨のみとなり、むかれた身はホクホクとしてたまらなくウマそうな剥き身の山が出来上がった。
ピーピーと炊飯器が鳴っている。ご飯が炊けたらしい。混ぜておく。よし、アジの炊き込みご飯の準備は9割9分終わった。
ぐうう……
「今のは? けーこ、今の何? ぐふっ」
台所からダッシュしたけーこは慧太の腹に「ずばん!」と右ストレートを決める。
赤面けーこは腹の音をゴマかすようにお腹を押さえた。
「うるさい! 飯じゃ飯じゃ!」
「僕のおなかも被害甚大……」
「飯じゃ!」
分かった分かった、と慧太は笑いながら配膳を始めるのだった。
コタツ机の上にズラリ並べられる。
アジの炊き込みご飯、味噌汁。トリそぼろの卵焼き。賀茂ナスのカラシづけ。イカ焼き。インゲンのゴマ和え。そしてデザート。
「おかしいな」
「何がじゃ」
「けーこ、さっきまでアジを焼いてたろ? なのにアジの姿がない」
「そこにあるぞ。ご飯の中にほぐし身が入っておる」
「あ、なるほど! アジの炊き込みご飯か」
「左様。イタダキマス」
けーこは箸を取った。アジの炊き込みご飯に手を付けた。食べる。アジの香りが広がる。身からにじみ出る魚脂。焼いてあるから旨味がしっかり閉じ込められている。しかも香ばしい。
「ウマい。これはウマいぞ。やはり炊き込まないで正解じゃった」
「え?」
「アジの炊き込みご飯は、ご飯を炊くとき炊飯器にアジの開きを入れれば出来る。勝手に蒸されるしダシも取れるし楽じゃ。でも今日のは焼いてから身をほぐしたのぞ。魚は焼くのが一番ウマいから、手間はかかってもやって良かった」
「へー。そういうものなのか。料理は一手間かけるとウマくなる」
「至言じゃ」
次にけーこが箸をつけるのは、トリそぼろの卵焼きである。けーこはその1切れを、真ん中で割った。トリそぼろから流れる肉汁。卵焼きに閉じ込められていたものが一斉に出て来たのだった。
食い付くけーこ。
甘い、というの第一印象だった。
煮しめられたトリそぼろは昨日よりも味が濃厚だった。そぼろが熟したのか。あるいは味付けがなじんだせいか。ホカホカの卵焼き。隠し味のマヨネーズは本当にすっかり隠れ、卵焼きの甘さを引き立てているのだった。
「甘いぞ。ウマいぞ。残り物でも手を加えればウマく作れば1品になるのう。うーむ。むしろ時間を置くことで味に深みというか、濃厚さが増えておる。このトリそぼろ、昨日食ったときよりも優しい味になっておるようじゃ。不思議じゃ。同じ食べ物なのに時間を経ると味に変化が現れる」
「いつもながら大げさだなあ」
「大げさではない。思うままを言うておるのじゃ、しかし味噌汁は……具が多かったかの」
「ベースが白味噌の味噌汁。ミョウガが夏っぽいね。あと入ってるそうめんは昼の残りだ。目新しい」
このそうめんは今日のお昼に慧太が湯がいたものの残りだ。
続いて、賀茂ナスのカラシ漬けをぱくりとするけーこ。途端、悶絶の表情を浮かべる。
「むぐっ。かか辛い。ワシは苦手じゃ水みずミズ」
「水、水を飲め」
「ごくごく。ふう、これは辛い」
「ぱく。うおっ、本当だ。この味はマスタード?」
「しかり。賀茂ナスのマスタード漬けじゃ。ワシはカラシ漬けと呼でおるがの。そうか。辛いか。量を抑えたつもりだったが……。インゲンのゴマ和えでも食って口直ししてくれ」
とか言いつつ、真っ先に手を伸ばすのはもちろん、けーこである。程よく湯がかれたインゲン。ゴマとともに砂糖の甘みと醤油の味がしっかりとした味がする。
さきほどの辛さと落差あるウマさ。けーこは覚えず、ほうと息をつく。
「ウマい。たかがインゲン。されどインゲン。ゴマ和えにこの甘辛い味。付け合わせとしては最高じゃの」
「インゲンがソーセージみたいに弾力あるね。パキリと折れる」
「このイカもグリルで焼いて良かったわい。表面を炙って醤油を塗っただけで焦げ具合が最高じゃぞ。しかしアジの炊き込みご飯のウマさには敵わんが」
お代わり、お代わり、とけーこがパカリと炊飯器を開けたときだった。
けーこの動きがピタリと止まる。
「どうした」
「カラになってしもうた。2合も炊いたのになくなるとはのう」
その2合とはご飯茶碗4杯分の飯が炊けるのだ。もっとも慧太には、そのうち半分以上をけーこが半食っている気がした。言わないが。
そんなけーこは「マイッタ」と言わんばかりにベッドに横になった。
「食べ過ぎた。腹がクチクなったぞ」
「ずいぶん食ったからなあ」
「さあデザートじゃ」
「ええ! まだ食うのか!」
「ばかメ。デザートは別枠に決まっておろうが。さ、慧太。冷蔵庫からデザートを出すのじゃ」
冷蔵庫からプリン2個。スーパーで買ってきた1個68円の安売り品だ。けーこはそのプリンを食べながら頬をゆるませているあたり、甘いものは本当に別枠らしい。
お腹いっぱい。デザート。もしかすると。と慧太は思う。自分は今すごく幸せなのではないか。ひとり暮らしを始めてからずっとひとり飯だった。ウマくても褒めてくれる人もいず、感想を述べ合う友達もいない。
そこにサッソウとけーこが来た。献立を考え、ともに食べる。これは大いなる幸せではないか。今、けーこの笑顔を見るとそうとしか思えない慧太だった。なんだか亡き家族と食卓を囲んでいるふうに思えた。
「何じゃけいた。ワシの顔を見て。ホれたか?」
「ばか言え」
「だからばかを言ったのじゃ」
言葉遊びをされ、思わず笑う慧太。つられてけーこも笑っている。
「あっという間の1週間だったなあ。けーこが来てから。最初は追い出そうとしちまったけど」
「あれはヒドかったのう。ワシの心は大いに傷ついたぞ」
「そりゃすまん」
「今でもその傷は癒えてはおらん」
「あれだけ飯を食えば治ったんじゃないか」
「心の傷は甘いものがないと治らん。これからも甘いものを準備せよ、けいた。ワシのために」
「おーけー」
「うむ、良い返事じゃ。けいた。また明日もウマいのを頼むぞ」
「はいはい。お任せあれ」
けーこの所望に、慧太は迷わずうなずくのだった。
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よろしくお願い申し上げます。平成27年7月14日、タイトルを変えました。旧称『落ちぶれ大学生と転生JKとは並んで台所に立つ。』新称『制服エプロン。』突然です。申し訳ありません。
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