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第4章 さよなら、平穏
搶光のマラファル
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バーチュは剣を上段に構え、呼吸を整える。戦場にあって彼の周囲だけが静謐な大気に浄化されていくようだった。
「『強くあれ、雄々しくあれ。この身は御主の御加護とともに』」
それは信仰の姿を借りた魔術詠唱だった。広く受容され、加護を信じるに足る信仰の土壌があればこそ、定式化された術式は詠唱者であるバーチュの肉体機能を強化し、信仰心の篤さが彼の揺るぎない闘志をなお一層鼓舞する自己暗示として作用していた。信僕騎士団において『神聖歌』と呼称される奇蹟の一つで、信仰がもたらす目に見えない恩寵を顕在化させる秘儀である。
バーチュは疾走した。申し分ない加速によって得られた鋭い斬撃が青年に襲いかかる。青年は気怠げな視線を向けたかと思うと、同胞の亡骸を盾にしてバーチュの斬撃をやり過ごす。
先ほどまでの無感情さから一転、青年は身の毛もよだつ残虐な笑みを見せ、大きく湾曲した剣でバーチュに斬りかかる。バーチュはその攻撃を受け流し、反撃を企図したが、眼前に迫ったゴブリンの死相に一瞬、怯んだ。青年は亡骸を盾に距離を詰め、バーチュに肉薄していたのだ。
青年はバーチュを串刺しにせんと亡骸もろとも貫く刺突を繰り出した。バーチュは後方に飛んで難なく回避したが、ゴブリンから吹き出した鮮血を見て悟志は苦しげに表情を歪める。
青年の取った戦法に義憤を感じ、バーチュは苛立ち混じりに呟く。
「仲間の亡骸すら辱めるのがゴブリンの流儀か」
青年は持ち上げたゴブリンの骸をまじまじと見て小首を傾げた。
「コイツはもう“いない”。身体はいずれ消えてなくなるだけさ、どう使おうが構わないだろ」
「悪行とはいえ、役割を全うした同胞への敬意はないのか?」
「敬意? 弱くて醜くて、みっともない姿を晒すコイツらを何で敬う必要がある?」
噛み合わない問答に、青年も苛立ちを覚え始めているようで、長い銀髪を強く掻きむしる。
「お前達こそ悔い改めた方がいい。弱者を切り捨てられない偽善と脆弱さがマンドラゴラなんてしょうもない罠にかかる原因だ。間抜けにも程がある。
……まぁ改心したところで、どのみち一人も生かしておかないけど」
バーチュは強張った声で問い質す。
「目的はなんだ? 何故この村を襲う?」
「何故って……別にどこだってよかったんだよ。ただ壊し、殺すだけ。極論すればそれが目的さ。男も女も、老いも若きも、貴賤の違いも関係ない。誰も彼も皆、無様な断末魔と小汚い血の色は変わらないからね」
身の毛もよだつ邪まな嗤笑だった。
「下種が」
バーチュは不快感を露に言い捨てる。言下、彼は吶喊した。鍛え抜かれた肉体と研鑽された剣技、そして信僕騎士団員のみが扱うことを許された魔術――信仰会の言う“神秘の御業”による肉体強化の恩恵が彼に不撓不屈の闘気と揺るぎない自信をもたらしていた。
青年は微動だにしない。だが、悪辣な輝きを見せる朱い瞳は、バーチュの姿を完全に捉えていた。
青年とバーチュの視線が交差した瞬間、フッと、バーチュの視界に深い闇の帳が下りる。その不自然な感覚に彼の集中は掻き乱された。振り抜いた斬撃に手応えはなく、必殺の一撃が空を切る虚しさにバーチュは背筋が凍った。
その危機感は彼をすぐさま退避行動に移らせたが、右腕に走る燃えるような熱さと鋭い痛みに苦悶の声を漏らす。
攻撃を受けたが腕は斬り落とされてはいない。それは感覚として把握できたが、剣傷がどの程度か目視しようとしても、バーチュの瞳は目隠しをされているかのように常闇の深淵を見つめ続けるばかりだった。
「一体、どうしたというのだ……!」
青年は狼狽するバーチュを嘲笑う。
「お前、堅いな。大抵の奴は何でも奪えるんだけど、視覚だけだったか」
「奪った……だと?」
「俺の眼は特殊なんだ。視線が合った奴の肉体活動を撹乱して定常を奪う。五感だけじゃない。呼吸、血の巡り、心臓の動かし方……本人が自覚していない自律機能だって奪い尽くす。そして俺を殺さない限り、元には戻らない。そのまま嬲り殺しだ」
「貴様……搶光のマラファルか」
青年は興醒めしたように憮然とした。
「なんだ、知ってたのか」
「『マシアフ戦士団』六番隊の隊長、全てを奪い尽くす“搶光のマラファル”といえば、卑劣さと残虐さで悪名高いからな」
バーチュの挑発に、しかし青年――マラファルは口の端を持ち上げた。
「卑劣、ね。戦いに正義だとか公正だとか幻想を抱く奴を殺すのは気分が良い。こっちを甘く見た報いっていうのかな、それを思い知らせてやれるから」
「つくづく度し難いなマラファル。もはや容赦せんぞ」
「ははは、いいね、威勢がよくて。その方が愉しめるってもんだ。勝手にこっちを値踏みして、同じ土俵にいると勘違いする身の程知らずが」
バーチュは内心、焦っていた。痛みを訴える右腕だったが、深手ではない故、剣を握るに支障はない。だがマラファルの言のとおり、視覚の不調は一過性ではなく、その不利な条件を抱えたまま、ゴブリンの隊長格と剣を交えるのは無謀に過ぎると言えた。
退却の二文字がバーチュの脳裏をかすめる。だが自分が逃げてしまえば村人達は鏖殺されてしまうだろう。信仰圏の守護者である信僕騎士として断じてそれは認められなかった。
進退を決められぬまま、マラファルの殺意が急速に近づくのを感じ取り、バーチュは歯噛みして剣を構える。全神経を集中させて、マラファルの気配を探索する。
「バーチュさん! 動かないで!」
悟志はバーチュの前に出て、マラファルを迎え撃つ。突然、割って入ってきた少年によって攻撃を防がれたことに微かに眉を顰めたマラファルだったが、悟志の力量を確めるかのように、二撃目、三撃目を加える。悟志は怯えながらも攻撃を全て防ぎ、渾身の力で振り抜いた一撃によってマラファルは数十メートル先の民家まで弾き飛ばされる。
「『強くあれ、雄々しくあれ。この身は御主の御加護とともに』」
それは信仰の姿を借りた魔術詠唱だった。広く受容され、加護を信じるに足る信仰の土壌があればこそ、定式化された術式は詠唱者であるバーチュの肉体機能を強化し、信仰心の篤さが彼の揺るぎない闘志をなお一層鼓舞する自己暗示として作用していた。信僕騎士団において『神聖歌』と呼称される奇蹟の一つで、信仰がもたらす目に見えない恩寵を顕在化させる秘儀である。
バーチュは疾走した。申し分ない加速によって得られた鋭い斬撃が青年に襲いかかる。青年は気怠げな視線を向けたかと思うと、同胞の亡骸を盾にしてバーチュの斬撃をやり過ごす。
先ほどまでの無感情さから一転、青年は身の毛もよだつ残虐な笑みを見せ、大きく湾曲した剣でバーチュに斬りかかる。バーチュはその攻撃を受け流し、反撃を企図したが、眼前に迫ったゴブリンの死相に一瞬、怯んだ。青年は亡骸を盾に距離を詰め、バーチュに肉薄していたのだ。
青年はバーチュを串刺しにせんと亡骸もろとも貫く刺突を繰り出した。バーチュは後方に飛んで難なく回避したが、ゴブリンから吹き出した鮮血を見て悟志は苦しげに表情を歪める。
青年の取った戦法に義憤を感じ、バーチュは苛立ち混じりに呟く。
「仲間の亡骸すら辱めるのがゴブリンの流儀か」
青年は持ち上げたゴブリンの骸をまじまじと見て小首を傾げた。
「コイツはもう“いない”。身体はいずれ消えてなくなるだけさ、どう使おうが構わないだろ」
「悪行とはいえ、役割を全うした同胞への敬意はないのか?」
「敬意? 弱くて醜くて、みっともない姿を晒すコイツらを何で敬う必要がある?」
噛み合わない問答に、青年も苛立ちを覚え始めているようで、長い銀髪を強く掻きむしる。
「お前達こそ悔い改めた方がいい。弱者を切り捨てられない偽善と脆弱さがマンドラゴラなんてしょうもない罠にかかる原因だ。間抜けにも程がある。
……まぁ改心したところで、どのみち一人も生かしておかないけど」
バーチュは強張った声で問い質す。
「目的はなんだ? 何故この村を襲う?」
「何故って……別にどこだってよかったんだよ。ただ壊し、殺すだけ。極論すればそれが目的さ。男も女も、老いも若きも、貴賤の違いも関係ない。誰も彼も皆、無様な断末魔と小汚い血の色は変わらないからね」
身の毛もよだつ邪まな嗤笑だった。
「下種が」
バーチュは不快感を露に言い捨てる。言下、彼は吶喊した。鍛え抜かれた肉体と研鑽された剣技、そして信僕騎士団員のみが扱うことを許された魔術――信仰会の言う“神秘の御業”による肉体強化の恩恵が彼に不撓不屈の闘気と揺るぎない自信をもたらしていた。
青年は微動だにしない。だが、悪辣な輝きを見せる朱い瞳は、バーチュの姿を完全に捉えていた。
青年とバーチュの視線が交差した瞬間、フッと、バーチュの視界に深い闇の帳が下りる。その不自然な感覚に彼の集中は掻き乱された。振り抜いた斬撃に手応えはなく、必殺の一撃が空を切る虚しさにバーチュは背筋が凍った。
その危機感は彼をすぐさま退避行動に移らせたが、右腕に走る燃えるような熱さと鋭い痛みに苦悶の声を漏らす。
攻撃を受けたが腕は斬り落とされてはいない。それは感覚として把握できたが、剣傷がどの程度か目視しようとしても、バーチュの瞳は目隠しをされているかのように常闇の深淵を見つめ続けるばかりだった。
「一体、どうしたというのだ……!」
青年は狼狽するバーチュを嘲笑う。
「お前、堅いな。大抵の奴は何でも奪えるんだけど、視覚だけだったか」
「奪った……だと?」
「俺の眼は特殊なんだ。視線が合った奴の肉体活動を撹乱して定常を奪う。五感だけじゃない。呼吸、血の巡り、心臓の動かし方……本人が自覚していない自律機能だって奪い尽くす。そして俺を殺さない限り、元には戻らない。そのまま嬲り殺しだ」
「貴様……搶光のマラファルか」
青年は興醒めしたように憮然とした。
「なんだ、知ってたのか」
「『マシアフ戦士団』六番隊の隊長、全てを奪い尽くす“搶光のマラファル”といえば、卑劣さと残虐さで悪名高いからな」
バーチュの挑発に、しかし青年――マラファルは口の端を持ち上げた。
「卑劣、ね。戦いに正義だとか公正だとか幻想を抱く奴を殺すのは気分が良い。こっちを甘く見た報いっていうのかな、それを思い知らせてやれるから」
「つくづく度し難いなマラファル。もはや容赦せんぞ」
「ははは、いいね、威勢がよくて。その方が愉しめるってもんだ。勝手にこっちを値踏みして、同じ土俵にいると勘違いする身の程知らずが」
バーチュは内心、焦っていた。痛みを訴える右腕だったが、深手ではない故、剣を握るに支障はない。だがマラファルの言のとおり、視覚の不調は一過性ではなく、その不利な条件を抱えたまま、ゴブリンの隊長格と剣を交えるのは無謀に過ぎると言えた。
退却の二文字がバーチュの脳裏をかすめる。だが自分が逃げてしまえば村人達は鏖殺されてしまうだろう。信仰圏の守護者である信僕騎士として断じてそれは認められなかった。
進退を決められぬまま、マラファルの殺意が急速に近づくのを感じ取り、バーチュは歯噛みして剣を構える。全神経を集中させて、マラファルの気配を探索する。
「バーチュさん! 動かないで!」
悟志はバーチュの前に出て、マラファルを迎え撃つ。突然、割って入ってきた少年によって攻撃を防がれたことに微かに眉を顰めたマラファルだったが、悟志の力量を確めるかのように、二撃目、三撃目を加える。悟志は怯えながらも攻撃を全て防ぎ、渾身の力で振り抜いた一撃によってマラファルは数十メートル先の民家まで弾き飛ばされる。
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