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第4章 さよなら、平穏

傷つけ合う愚かさ

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「う、うわぁぁぁ――――!」
 
 悟志はゴブリンから逃げ惑っていた。戦いへの恐れを抱きながらも、集会所から出て幼馴染達に合流しようとした矢先、ゴブリンに発見され、人気のなくなった村内を追いかけ回されていたのだ。

 悟志は足をもつれさせて地面に倒れ込んでしまう。ゴブリンは馬乗りとなって組み伏せ、戦斧を振り下ろそうとした。

「や、やめろ! やめろぉぉぉ!」

 少年が上げるか細い断末魔の叫びに、ゴブリンは下卑た喜色を浮かべる。だが、斧は悟志の体を切り刻むことはなかった。彼の周囲で細かい粒子が煌めき始めたかと思うと、それは凝集して一振りの長柄の武器を構築し、不可視の防壁によって己が使い手を守ったのだ。
 
 棍棒のような武器の先端部分は、肉厚の鉄板が五枚、五角形を描く様に配置され、機械的な外見の鍔がぐるりと細い柄を一周していた。剣というにはあまりにもかけ離れたその外見は、悟志の具現鋳造が敵を切り裂くのではなく、敵の武器を粉砕することに特化した槌剣ついけんであったからだ。

 無我夢中で槌剣を掴み取り、悟志はゴブリンを押し返す。もたつきながらも立ち上がり、戦意の結晶を振り上げた。

 殺されたくないという悟志の強い生存本能によって鍛えられ、並はずれた力を帯びた鎚剣は、ゴブリンの戦斧を破砕して、勢いそのままに地面までをも割砕した。上下から襲い掛かる衝撃に、ゴブリンは堪らず態勢を崩した。

 悟志は必死の形相で叫ぶ。

「何で……何で戦うんだ! 何で傷つけ合わないといけないんだよ! 言葉が分かるんだろう!? もうやめてくれ。僕は……僕は、争いたくないんだ」

 声も、手も、魂すら震わせた悟志が、精一杯の思いで絞り出した赤心は、しかしゴブリンには届かないし、響かない。悟志が見せた隙を突いて再び組み伏せ、鋭利な爪を顔面目掛けて突き立てる。

 悟志はゴブリンの腕を掴んで、その殺意を阻んでいた。細い腕から想像もできないような膂力が、若き剣臣のそれと拮抗し、両者は膠着状態となった。

 ゴブリンは澱んだ朱い両眼で悟志を凝眸し、憎悪に満ちた声で呪いの言葉を紡ぐ。

「父神バラルの神恩をないがしろにする涜神者とくしんしゃども。お前達が存在する限り、我らは殺し続けル、奪い続けル。虚妄と不義に塗り固められた世界を破壊して、新たな創世を迎えるのダ。
 ふるき弱き者どもヨ、消エろ、消エろ、消エろ――!」
 
 悟志は恐怖した。禍々しい殺意を纏うゴブリンの力は凄まじく、狂ったように繰り返される呪言が悟志を心理的にも追い詰める。

 呪いは言葉である。実在し、人を損なう力を持つ。人類が言語上でしか認識できない愛の実在を信じるように、呪いもまた、呪われる側が意味を見出し、信じてしまえばすべからく呪いにかかるのだ。悟志の心は、確実に呪いに蝕まれていた。言葉に秘められた悪意と害意が生きる意志や活力を磨耗させていく。

 攻防を繰り広げていた両者に豪風が襲い掛かる。大気を引きちぎるかのような拳打によってゴブリンの矮躯は宙を飛び、悟志は俄に現れた騎士を呆然と見上げた。

「戦えぬのなら退がれ少年。武人としての覚悟を持たぬ者は戦場に立つにあたわず」

 穏やかだが厳格な叱責を悟志に浴びせたのは信僕騎士団のバーチュだった。正面から猪突する別のゴブリンを鋭い眼光で睨みつけ、筋骨隆々とした両腕で剣を構える。重々しい斬撃はゴウッという烈風を伴ってゴブリンの身体を真っ二つに斬り裂いた。

「言葉を交わせても、人が分かり合うことは容易なことではない。遺憾ではあるが、霊長の八種族の歴史はその事実を今日まで証明してきてしまった。嫌というほどに、な」

 バーチュは小さく嘆息した。

「こうして戦うことでしか信条をぶつけ合うことが出来ない私達を君は軽蔑するやもしれんが、魂と魂を打ち震わせ合わなければ心意は伝わらぬ。それを放棄するなら、ただ相手の自我に押し潰されるだけ……。
 少年、君の奉じる不戦と平穏希求の理想を押し付ける前に、現状と己の果たすべき責務を正しく認識せよ」

「現状……責務?」

 朗々と語られる言葉は揺るぎない意志と信念に裏打ちされて、悟志に突きつけられる。恐怖のあまり腰を抜かしたままの悟志は、ただ茫然とバーチュの広い背中を見つめることしか出来なかった。

 悟志の横合いからゴブリンが襲いかかる。バーチュは泰然とした動作で豪剣を振るい、軽々とゴブリンを薙ぎ払った。

「騎士である私の責務は、聖下より賜りしこの剣を振るい、守るべき人々のために職責を全うすること。少年、君も選択しなければならない。剣臣としての天命をけた来訪神であるのならば、自身が何をせねばならないかを」
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