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第4章 さよなら、平穏
槍剣と双剣
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(ソフィー、無事でいて)
ゴブリンの襲撃を声高に警告する村人達とすれ違いながら、涼風は一目散に村を駆け抜ける。目指すは村の出入り口に程近い入会地だった。林を開墾した畑の一角に、蹲るデルマとその傍に寄り添うソフィーを見つけて、涼風は叫んだ。
「ソフィー! デルマさん」
涼風に気づいたソフィーが泣きじゃくりながら助けを求める。
「お、お姉ちゃん! ママが、ママが!」
畑には使い古された数本の矢が突き刺さっていた。恐らくゴブリンが無差別に放ったものであろうその一本が、デルマのふくらはぎを射貫いているのが見て取れる。出血は少なかったが、痛みに喘ぐデルマの様子を見て、幼いソフィーが取り乱すのは無理からぬことだった。
「今そっちに行くから、大丈夫よ」
涼風はデルマとソフィー両者を安心させるように、努めて穏やかな声をかけながら駆け寄ろうとする。だがその瞬間、林の茂みからいくつもの矢が飛来する。風切り音を伴う殺意を避けながら、涼風は暗闇に潜む射手――ゴブリンの一団を視認する。一刻も早くデルマとソフィーを保護しなければという焦燥に駆られる涼風を嘲笑うかのように、ゴブリン達の放つ矢の大群が必殺の軌道を奔って、幼いソフィーの矮躯を射貫かんとしていた。
涼風は右腕を伸ばす。ネフェの手を取れなかったあの時と同じように、涼風とソフィーを隔てるたった数メートルの距離が、彼岸と此岸の断絶のように二人の間に横たわっていた。
(もう、失いたくない)
涼風は尚も必死に手を伸ばし続けた。剣臣たる涼風の眼には、ゴブリンの放った矢などゆっくりと飛来する紙飛行機も同然だったし、圧倒的な身体能力は、矢の襲来よりも早くソフィーを抱き寄せることも造作ないはずだった。しかし彼女の意識は鋭敏となった自らの感覚も、大きく伸長、或いは拡張した肉体的限界も認識し切れておらず、それ故に想像上の限界という壁が彼女の前進を阻んでいた。
(お願い兄さん。もう一度、私に勇気をちょうだい……!)
涼風は伸ばした右手に具現鋳造の剣を顕現させる。彼女固有のそれは漆黒に色づいた両刃剣であり、一見してなんら特徴のない外見だった。
「……破界剣『湍撃』!」
祈るように涼風は叫んだ。すると、彼女の剣の剣身が火花を散らしながら一瞬の内に前方へ押し出される。その激しい加速運動に巻き込まれるように、涼風の剣の周囲に浮遊する粒子の耀きが凝集して激しい水流に変貌する。大気を流れる有り得べからざる早瀬は、ソフィーに襲いかからんとしていた矢の大群を尽く飲み込み、圧し折った。
頬に届く水滴の感触にソフィーは呆然とし、攻撃を阻まれたゴブリン達は驚愕した。
眼前に立ち塞がる壁が硝子のように叩き割られるのを涼風は感じた。分厚い鋼鉄だと信じていたそれは、実際は薄く、脆く、壁の体を為さない。その心許ない仕切りに自らの限界という意味を見出していたのは他ならぬ自分だ。
自分が変わってしまうことを無意識に恐れていた。限界を踏破し、あらゆる可能性につながる道が切り拓かれ、慣れ親しんだ日常を追い抜いて、独り未知の世界へ放り出される不安、恐怖、躊躇。涼風はその足枷を振り切ったのだ。決して独りではないという自信と心強さが彼女の背中を後押ししていたから。
「破界剣『掃流』!」
形状を槍へと変形させた剣を両手に構え直しながら、涼風はゴブリンの一団に突進する。怯んだゴブリン達が腰に佩いた得物を掴むよりも先に、横薙ぎの槍撃が彼らに襲い掛かる。斬撃は激流を纏い、ゴブリン達は文字通りその場から一掃され、後に残る薙ぎ倒された木々がその威力を静かに物語るのみだった。
村内を走る颯磨は視界の端にざわめきを捉える。村に隣接する林全体が揺れ、野鳥が恐慌状態で飛び立つのを見て足を停めるが、殺気を感じ取って息つく暇もなく後方に跳ぶ。直後に大柄なゴブリンが繰り出す石斧の衝撃が地面を叩き割っていた。
片腕の肘から先を無くした大柄なゴブリンは忌々しげに颯磨を睨みつける。見覚えのある巨体は、過日、玲士朗が右腕を斬り落としたゴブリンに他ならない。復讐に猛り、逆上するゴブリンは、石斧を振り回しながら颯磨に襲い掛かる。
その重量だけで叩き潰されるかのような容赦ない猛撃を双剣で何とか受け流しながら、颯磨は舌打ちをした。逆恨みで命を狙われるのも腹立たしかったが、それ以上にもっと彼を憤らせたのは、この襲撃が自分達剣臣への私怨に端を発しているという確信だった。
激しい剣戟の中、颯磨は絶命するエルフ達を視界の先に捕らえる。彼らが傷つき、命を落とした責任の一端は自分達にある。あの夜、徹底的な返り討ちによってゴブリン達の戦意を挫き切れなかった甘さが斯かる事態を招いたのだという自責と、不愉快な現実に対する怒りが颯磨の中で一気に燃え上がる。
憤怒は破壊衝動と化して双剣に宿り、繰り出される暴戻な一撃が石斧を粉砕する。勢いそのままに颯磨はゴブリンの身体を一刀両断にしてみせた。
絶命して尚、復讐心に猛り狂う眼差しを向けるゴブリンに一瞥をくれることもなく、颯磨は村の奥へと進撃しようとするゴブリンの集団を正面から迎え撃つ。
双剣を交差して構え、深く長い息を吐くと、淡く煌めく粒子が颯磨の周囲で踊り、一時的に世界摂理の手が届かない自在空間へと彼を相転移させる。
「破界剣――『鳴無』」
光の軌跡と巻き上がる粉塵を後に残して颯磨はその場から一瞬にして姿を消した。常人の眼にも耳にも捉えられぬ音速の剣が、当のゴブリン達も気付かぬまま彼らの身体を斬り裂いていく。大気に焼き付いたかのような剣筋が消失前の刹那の鈍い煌めきを見せたかと思うと、ゴブリン達は物言わぬ屍となって崩れ落ちていた。
人間、エルフ、ゴブリン……地面に打ち捨てられた多種族の死体を見て、颯磨は微かに表情を歪める。感傷を抱く暇すら与えられず、彼の目の前には隊伍を組むゴブリンの一団が迫ってきていた。
「……地獄に堕ちろ、クソ野郎」
颯磨は再び双剣を握る手に力を込め、眼前の敵を睥睨した。
ゴブリンの襲撃を声高に警告する村人達とすれ違いながら、涼風は一目散に村を駆け抜ける。目指すは村の出入り口に程近い入会地だった。林を開墾した畑の一角に、蹲るデルマとその傍に寄り添うソフィーを見つけて、涼風は叫んだ。
「ソフィー! デルマさん」
涼風に気づいたソフィーが泣きじゃくりながら助けを求める。
「お、お姉ちゃん! ママが、ママが!」
畑には使い古された数本の矢が突き刺さっていた。恐らくゴブリンが無差別に放ったものであろうその一本が、デルマのふくらはぎを射貫いているのが見て取れる。出血は少なかったが、痛みに喘ぐデルマの様子を見て、幼いソフィーが取り乱すのは無理からぬことだった。
「今そっちに行くから、大丈夫よ」
涼風はデルマとソフィー両者を安心させるように、努めて穏やかな声をかけながら駆け寄ろうとする。だがその瞬間、林の茂みからいくつもの矢が飛来する。風切り音を伴う殺意を避けながら、涼風は暗闇に潜む射手――ゴブリンの一団を視認する。一刻も早くデルマとソフィーを保護しなければという焦燥に駆られる涼風を嘲笑うかのように、ゴブリン達の放つ矢の大群が必殺の軌道を奔って、幼いソフィーの矮躯を射貫かんとしていた。
涼風は右腕を伸ばす。ネフェの手を取れなかったあの時と同じように、涼風とソフィーを隔てるたった数メートルの距離が、彼岸と此岸の断絶のように二人の間に横たわっていた。
(もう、失いたくない)
涼風は尚も必死に手を伸ばし続けた。剣臣たる涼風の眼には、ゴブリンの放った矢などゆっくりと飛来する紙飛行機も同然だったし、圧倒的な身体能力は、矢の襲来よりも早くソフィーを抱き寄せることも造作ないはずだった。しかし彼女の意識は鋭敏となった自らの感覚も、大きく伸長、或いは拡張した肉体的限界も認識し切れておらず、それ故に想像上の限界という壁が彼女の前進を阻んでいた。
(お願い兄さん。もう一度、私に勇気をちょうだい……!)
涼風は伸ばした右手に具現鋳造の剣を顕現させる。彼女固有のそれは漆黒に色づいた両刃剣であり、一見してなんら特徴のない外見だった。
「……破界剣『湍撃』!」
祈るように涼風は叫んだ。すると、彼女の剣の剣身が火花を散らしながら一瞬の内に前方へ押し出される。その激しい加速運動に巻き込まれるように、涼風の剣の周囲に浮遊する粒子の耀きが凝集して激しい水流に変貌する。大気を流れる有り得べからざる早瀬は、ソフィーに襲いかからんとしていた矢の大群を尽く飲み込み、圧し折った。
頬に届く水滴の感触にソフィーは呆然とし、攻撃を阻まれたゴブリン達は驚愕した。
眼前に立ち塞がる壁が硝子のように叩き割られるのを涼風は感じた。分厚い鋼鉄だと信じていたそれは、実際は薄く、脆く、壁の体を為さない。その心許ない仕切りに自らの限界という意味を見出していたのは他ならぬ自分だ。
自分が変わってしまうことを無意識に恐れていた。限界を踏破し、あらゆる可能性につながる道が切り拓かれ、慣れ親しんだ日常を追い抜いて、独り未知の世界へ放り出される不安、恐怖、躊躇。涼風はその足枷を振り切ったのだ。決して独りではないという自信と心強さが彼女の背中を後押ししていたから。
「破界剣『掃流』!」
形状を槍へと変形させた剣を両手に構え直しながら、涼風はゴブリンの一団に突進する。怯んだゴブリン達が腰に佩いた得物を掴むよりも先に、横薙ぎの槍撃が彼らに襲い掛かる。斬撃は激流を纏い、ゴブリン達は文字通りその場から一掃され、後に残る薙ぎ倒された木々がその威力を静かに物語るのみだった。
村内を走る颯磨は視界の端にざわめきを捉える。村に隣接する林全体が揺れ、野鳥が恐慌状態で飛び立つのを見て足を停めるが、殺気を感じ取って息つく暇もなく後方に跳ぶ。直後に大柄なゴブリンが繰り出す石斧の衝撃が地面を叩き割っていた。
片腕の肘から先を無くした大柄なゴブリンは忌々しげに颯磨を睨みつける。見覚えのある巨体は、過日、玲士朗が右腕を斬り落としたゴブリンに他ならない。復讐に猛り、逆上するゴブリンは、石斧を振り回しながら颯磨に襲い掛かる。
その重量だけで叩き潰されるかのような容赦ない猛撃を双剣で何とか受け流しながら、颯磨は舌打ちをした。逆恨みで命を狙われるのも腹立たしかったが、それ以上にもっと彼を憤らせたのは、この襲撃が自分達剣臣への私怨に端を発しているという確信だった。
激しい剣戟の中、颯磨は絶命するエルフ達を視界の先に捕らえる。彼らが傷つき、命を落とした責任の一端は自分達にある。あの夜、徹底的な返り討ちによってゴブリン達の戦意を挫き切れなかった甘さが斯かる事態を招いたのだという自責と、不愉快な現実に対する怒りが颯磨の中で一気に燃え上がる。
憤怒は破壊衝動と化して双剣に宿り、繰り出される暴戻な一撃が石斧を粉砕する。勢いそのままに颯磨はゴブリンの身体を一刀両断にしてみせた。
絶命して尚、復讐心に猛り狂う眼差しを向けるゴブリンに一瞥をくれることもなく、颯磨は村の奥へと進撃しようとするゴブリンの集団を正面から迎え撃つ。
双剣を交差して構え、深く長い息を吐くと、淡く煌めく粒子が颯磨の周囲で踊り、一時的に世界摂理の手が届かない自在空間へと彼を相転移させる。
「破界剣――『鳴無』」
光の軌跡と巻き上がる粉塵を後に残して颯磨はその場から一瞬にして姿を消した。常人の眼にも耳にも捉えられぬ音速の剣が、当のゴブリン達も気付かぬまま彼らの身体を斬り裂いていく。大気に焼き付いたかのような剣筋が消失前の刹那の鈍い煌めきを見せたかと思うと、ゴブリン達は物言わぬ屍となって崩れ落ちていた。
人間、エルフ、ゴブリン……地面に打ち捨てられた多種族の死体を見て、颯磨は微かに表情を歪める。感傷を抱く暇すら与えられず、彼の目の前には隊伍を組むゴブリンの一団が迫ってきていた。
「……地獄に堕ちろ、クソ野郎」
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