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第3章 誰かが死ぬということ
王国民の子ども達
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「おーい、ブルーナ終わったぞー。飯食わせー」
「も、もう、終わったんですか……⁉」
調理場に立つブルーナの驚きは当然だった。これまで彼女達の日課だった朝の水汲みは、子ども数人で都合六往復、時間にして一時間強を要していたのに、鷹介はたった一人で、かつ、ものの数分で終わらせてしまったからだ。
「ああ、マハも満足してたよ。まさに朝飯前の仕事だった――中、入っていいか?」
「は、はい、もうちょっとだけ時間がかかりますから、待っててください」
家具もほとんどない質素な室内では、ブルーナと同年代くらいの子ども達数人が車座になって食事を摂っていた。招かれざる客である鷹介の姿を、皆一様に驚きと怯えの眼差しで迎える。
「新入りの鷹介だ。よろしくな」
決して友好的な雰囲気でない中、鷹介は気さくに声を掛けながら、子ども達の輪の中に割って入って腰を下ろした。
「みんなマハに招待された口か?」
返事はない。誰もが鷹介への対応を考えあぐねているようだった。勝気そうな顔つきの少年が先陣切ってぶっきら棒に答える。
「そうだよ。アンタは……この辺りじゃ見ない顔だな」
「実は世界を股にかける旅人なんだ」
場を和ませる冗句のつもりだったが、思いの外、憧憬や羨望の眼差しで見つめられていることに気づいて、鷹介は頭を掻いた。奇抜な格好と外連味溢れる言動は冗談に真実味を味付けしてしまったらしい。疑うことをまだ知らない幼子の純真さには、さしもの鷹介も辟易せざるを得なかった。
「……まぁ俺のことはどうでもいい。で、先輩達はいつからここに?」
俺、カミルだよと少年は素っ気なく名前を明かした。冷静で物怖じしない気質に加え、聡明さも感じさせる雰囲気のカミルは、どうやら子ども達のリーダー格であるようだった。
「みんな大体、二、三日前から。一番長いのはブルーナだよ。ここに来て、確か五日だっけ?」
スープの入った器を運んできたブルーナに、カミルは確かめるように声を掛ける。ブルーナは困ったような笑顔で首肯した。
「俺と同じように、急にここへ連れてこられたんだろ? 親は心配してるんじゃないか?」
何気なく発せられた問いだったが、カミルやブルーナだけでなく、他の子ども達も食事の手を止めて押し黙ってしまった。家族への恋しさと罪悪感が如実に現れた表情を見せるが、それだけではない。
カミルは感情を押し殺すように、淡々と語る。
「そうかもしれない。でも、帰れないよ。マハ様が言ってた。生まれたからには、誰しもやるべきことがあるんだって。自分のために生きてくれる人達の元から離れて、誰かのために生きる日が必ず来る。今がその時だって。寂しいけど、必要なことなんだ」
「聞き分けが良すぎないか、それ」
鷹介と視線を合わそうとしないカミルに代わって、ブルーナが苦笑した。
「みんな、似たような気持ちなんです。そういう子どもが、ここには集まるってマハ様も言っていました」
「ブルーナもそうなんだ?」
「……なんとなく、思ってただけです。お父さんとお母さんが、いつも大変なお仕事をしているのに、自分は子どもだから、そんなに助けにもならなくて。
――子どもだって、誰かに必要とされたいし、役に立ちたいと思っています」
彼らの真摯な発言に、しかし鷹介は煙に巻かれることはなかった。その言葉の裏にある感情――論理では説明しようもない、人が人である所以の矛盾を見逃さない。
「それだけじゃないだろ? みんな、マハのことが好きなんだな」
そうでなければ、いくら天命の存在を信じていたからといって、ここに残る選択肢は考えられない。主義も主張も、それ自体が完全無欠の正しさを持つから人は信じ殉じるわけではない。その主義主張を体現する人に好意を持つからこそ、信じ殉じるからだ。
ブルーナは愛おしそうに目を細めた。
「私、特にあてもなくこの森に来たんです。そうしたらいつの間にか迷ってしまって……マハ様が助けてくれました。マハ様はとても喜んで、それから……泣いてました」
マハにとっても思いがけない邂逅だったのだろう。きっとその涙は、長い間たった独りで生きてきたマハの氷のように冷え切った心を、ブルーナの温もりが溶かしたからこそ流れた。ブルーナはマハに救われたのかもしれないが、それ以上に、マハもブルーナに救われたに違いない。言葉を交わし、心を通わせることで、マハは誰かと過ごす日々を取り戻したのだから。
カミルも柔らかな微笑を浮かべて、楽し気に語る。
「マハ様って偉そうだけど、放っておけないんだ。俺達がいなくなったら、きっと、寂しくて泣いちゃうからさ」
他の子ども達も、皆一様に笑顔でマハについて饒舌に話し出す。半ば強引に連れ去られてきたというのに、その元凶たるマハを誰も非難しない。恐れもしないし、怨みもしない。こうまで信頼され、愛されるのは、偏に彼女の人となりである。傲岸不遜と唯我独尊を絵に描いたような強引さがあるが、それでいて人情味に溢れ、人を惹きつける魅力のある女性。マハは人を導くべくして生まれた生粋の王女なのだ。
存在価値と生きがいを与えてくれるマハ。愛情と日常を与えてくれる家族。カミルやブルーナらは、人生において誰もが求める居場所の板挟みになっているということだ。両者は並立せず、どちらかを選ばなければならない。それ故の心の葛藤。それ故の生き方のぎこちなさ。
鷹介は小さく溜息を吐いて、おもむろに立ち上がった。
「喉が渇いた。ちょっと水を汲んでくる」
カミルやブルーナの言葉を反芻しながら、鷹介は木桶片手に歩き出していた。物思いに耽りながらも、行き交う土塊人形を器用に避けながら進む。
(やっぱり人は、独りでは生きられないものらしい)
誰しも誰かに認められたい、必要とされたい、役に立ちたい。自分という個人は誰かのお墨付きなど必要としない唯一絶対の存在なのに、他者からの承認を誰もが無意識に求めている。そして、その時々の人間関係に一喜一憂し、生きる意味を、価値を勝手に実感している。意味と価値を見い出せない時、人は、自ら命を絶つこともある。鷹介が慣れ親しんだ元の世界はそうだったし、カミルやブルーナ達の心持ちというのも、大きく違うところはないという印象だった。
だがそれは、人の世界が生み出した呪いなのだ。心を――命を摩耗させる、“言葉”という化け物が吐き出す呪い。
「――マリスティアと変わんねぇな」
平穏だった元の世界だって、魔物は至る所に溢れているのかもしれない。本質がくだらない癖に救いすらない人の世に、思わず嘆き節が漏れてしまった。マハ曰く“理想郷”のこの王国の方がよっぽど暮らしやすく、生きやすいのではないかと変節してしまいそうだったが、森の外で玲士朗達が待っている以上、鷹介はこの場所を受け入れるわけにはいかない。
再び訪れた王国辺縁部の泉。鷹介は木桶に水を汲もうとして手を止め、マハが出入りを禁じている泉の奥の森に視線を転じた。
(ここから出て行くには、どうしたらいいんだ)
意を決して王国の境界に近づき、そっと手を伸ばす。空間が柔らかく反発するかのような違和感に鷹介は顔を顰めた。この不自然さは十中八九、人工の産物で、マハの王国を護る結界に違いない。
掌を通して鷹介に流れ込むこの森の魔力は、おそらく意識を思考に埋没させる不思議な力があった。頭で想像しなければマハの王国には辿り着けないような仕組みなのだ。鷹介がマハに見つけられるまで、同じ場所を堂々巡りをしていたのも、彼が答えの出ない苦悩を潜在的に持ち続けていたが故に、その思考が投影されていたからだった。
そして今、久しくなかった一人きりの時間、見知らぬ土地、生きる意味を模索する子ども達との邂逅が、鷹介にとって最も印象深い一日を想起させた。かつての記憶はタイムトラベルしたかのような臨場感と鮮明さで呼び起こされる。
(あの時も、こうして見えない壁を意識したもんだ……)
「も、もう、終わったんですか……⁉」
調理場に立つブルーナの驚きは当然だった。これまで彼女達の日課だった朝の水汲みは、子ども数人で都合六往復、時間にして一時間強を要していたのに、鷹介はたった一人で、かつ、ものの数分で終わらせてしまったからだ。
「ああ、マハも満足してたよ。まさに朝飯前の仕事だった――中、入っていいか?」
「は、はい、もうちょっとだけ時間がかかりますから、待っててください」
家具もほとんどない質素な室内では、ブルーナと同年代くらいの子ども達数人が車座になって食事を摂っていた。招かれざる客である鷹介の姿を、皆一様に驚きと怯えの眼差しで迎える。
「新入りの鷹介だ。よろしくな」
決して友好的な雰囲気でない中、鷹介は気さくに声を掛けながら、子ども達の輪の中に割って入って腰を下ろした。
「みんなマハに招待された口か?」
返事はない。誰もが鷹介への対応を考えあぐねているようだった。勝気そうな顔つきの少年が先陣切ってぶっきら棒に答える。
「そうだよ。アンタは……この辺りじゃ見ない顔だな」
「実は世界を股にかける旅人なんだ」
場を和ませる冗句のつもりだったが、思いの外、憧憬や羨望の眼差しで見つめられていることに気づいて、鷹介は頭を掻いた。奇抜な格好と外連味溢れる言動は冗談に真実味を味付けしてしまったらしい。疑うことをまだ知らない幼子の純真さには、さしもの鷹介も辟易せざるを得なかった。
「……まぁ俺のことはどうでもいい。で、先輩達はいつからここに?」
俺、カミルだよと少年は素っ気なく名前を明かした。冷静で物怖じしない気質に加え、聡明さも感じさせる雰囲気のカミルは、どうやら子ども達のリーダー格であるようだった。
「みんな大体、二、三日前から。一番長いのはブルーナだよ。ここに来て、確か五日だっけ?」
スープの入った器を運んできたブルーナに、カミルは確かめるように声を掛ける。ブルーナは困ったような笑顔で首肯した。
「俺と同じように、急にここへ連れてこられたんだろ? 親は心配してるんじゃないか?」
何気なく発せられた問いだったが、カミルやブルーナだけでなく、他の子ども達も食事の手を止めて押し黙ってしまった。家族への恋しさと罪悪感が如実に現れた表情を見せるが、それだけではない。
カミルは感情を押し殺すように、淡々と語る。
「そうかもしれない。でも、帰れないよ。マハ様が言ってた。生まれたからには、誰しもやるべきことがあるんだって。自分のために生きてくれる人達の元から離れて、誰かのために生きる日が必ず来る。今がその時だって。寂しいけど、必要なことなんだ」
「聞き分けが良すぎないか、それ」
鷹介と視線を合わそうとしないカミルに代わって、ブルーナが苦笑した。
「みんな、似たような気持ちなんです。そういう子どもが、ここには集まるってマハ様も言っていました」
「ブルーナもそうなんだ?」
「……なんとなく、思ってただけです。お父さんとお母さんが、いつも大変なお仕事をしているのに、自分は子どもだから、そんなに助けにもならなくて。
――子どもだって、誰かに必要とされたいし、役に立ちたいと思っています」
彼らの真摯な発言に、しかし鷹介は煙に巻かれることはなかった。その言葉の裏にある感情――論理では説明しようもない、人が人である所以の矛盾を見逃さない。
「それだけじゃないだろ? みんな、マハのことが好きなんだな」
そうでなければ、いくら天命の存在を信じていたからといって、ここに残る選択肢は考えられない。主義も主張も、それ自体が完全無欠の正しさを持つから人は信じ殉じるわけではない。その主義主張を体現する人に好意を持つからこそ、信じ殉じるからだ。
ブルーナは愛おしそうに目を細めた。
「私、特にあてもなくこの森に来たんです。そうしたらいつの間にか迷ってしまって……マハ様が助けてくれました。マハ様はとても喜んで、それから……泣いてました」
マハにとっても思いがけない邂逅だったのだろう。きっとその涙は、長い間たった独りで生きてきたマハの氷のように冷え切った心を、ブルーナの温もりが溶かしたからこそ流れた。ブルーナはマハに救われたのかもしれないが、それ以上に、マハもブルーナに救われたに違いない。言葉を交わし、心を通わせることで、マハは誰かと過ごす日々を取り戻したのだから。
カミルも柔らかな微笑を浮かべて、楽し気に語る。
「マハ様って偉そうだけど、放っておけないんだ。俺達がいなくなったら、きっと、寂しくて泣いちゃうからさ」
他の子ども達も、皆一様に笑顔でマハについて饒舌に話し出す。半ば強引に連れ去られてきたというのに、その元凶たるマハを誰も非難しない。恐れもしないし、怨みもしない。こうまで信頼され、愛されるのは、偏に彼女の人となりである。傲岸不遜と唯我独尊を絵に描いたような強引さがあるが、それでいて人情味に溢れ、人を惹きつける魅力のある女性。マハは人を導くべくして生まれた生粋の王女なのだ。
存在価値と生きがいを与えてくれるマハ。愛情と日常を与えてくれる家族。カミルやブルーナらは、人生において誰もが求める居場所の板挟みになっているということだ。両者は並立せず、どちらかを選ばなければならない。それ故の心の葛藤。それ故の生き方のぎこちなさ。
鷹介は小さく溜息を吐いて、おもむろに立ち上がった。
「喉が渇いた。ちょっと水を汲んでくる」
カミルやブルーナの言葉を反芻しながら、鷹介は木桶片手に歩き出していた。物思いに耽りながらも、行き交う土塊人形を器用に避けながら進む。
(やっぱり人は、独りでは生きられないものらしい)
誰しも誰かに認められたい、必要とされたい、役に立ちたい。自分という個人は誰かのお墨付きなど必要としない唯一絶対の存在なのに、他者からの承認を誰もが無意識に求めている。そして、その時々の人間関係に一喜一憂し、生きる意味を、価値を勝手に実感している。意味と価値を見い出せない時、人は、自ら命を絶つこともある。鷹介が慣れ親しんだ元の世界はそうだったし、カミルやブルーナ達の心持ちというのも、大きく違うところはないという印象だった。
だがそれは、人の世界が生み出した呪いなのだ。心を――命を摩耗させる、“言葉”という化け物が吐き出す呪い。
「――マリスティアと変わんねぇな」
平穏だった元の世界だって、魔物は至る所に溢れているのかもしれない。本質がくだらない癖に救いすらない人の世に、思わず嘆き節が漏れてしまった。マハ曰く“理想郷”のこの王国の方がよっぽど暮らしやすく、生きやすいのではないかと変節してしまいそうだったが、森の外で玲士朗達が待っている以上、鷹介はこの場所を受け入れるわけにはいかない。
再び訪れた王国辺縁部の泉。鷹介は木桶に水を汲もうとして手を止め、マハが出入りを禁じている泉の奥の森に視線を転じた。
(ここから出て行くには、どうしたらいいんだ)
意を決して王国の境界に近づき、そっと手を伸ばす。空間が柔らかく反発するかのような違和感に鷹介は顔を顰めた。この不自然さは十中八九、人工の産物で、マハの王国を護る結界に違いない。
掌を通して鷹介に流れ込むこの森の魔力は、おそらく意識を思考に埋没させる不思議な力があった。頭で想像しなければマハの王国には辿り着けないような仕組みなのだ。鷹介がマハに見つけられるまで、同じ場所を堂々巡りをしていたのも、彼が答えの出ない苦悩を潜在的に持ち続けていたが故に、その思考が投影されていたからだった。
そして今、久しくなかった一人きりの時間、見知らぬ土地、生きる意味を模索する子ども達との邂逅が、鷹介にとって最も印象深い一日を想起させた。かつての記憶はタイムトラベルしたかのような臨場感と鮮明さで呼び起こされる。
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