そして彼らは伝説へ―異世界転移英雄譚―

長月十六夜

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第3章 誰かが死ぬということ

独りじゃない

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「言い方はともかく、梢の言うことは正しい」

 玲士朗を外に連れ出した鷹介は、村の中を歩きながら、普段と変わらない軽い口調でそういった。

「今日のお前は、よくない。柚希がいようもんなら引っ叩かれていただろうな」

 お道化た言葉は彼なりの優しさである。しかし、鷹介は真に玲士朗の非を咎めていた。それが分かるからこそ、玲士朗は神妙な面持ちで謝罪の言葉を口にする。

「悪い」

「やっぱり、姉ちゃんとフィリネさんが重なるか?」

 返事はない。しかし、張り詰めた表情が玲士朗の心理を代弁していた。
 
「まぁ……無理もないよな」

 氷のような冷たさを纏って突きつけられた梢の言葉で冷静さを取り戻し、玲士朗は自らを省みていた。

 翼咲の死を契機に、玲士朗は自分が激しく怒ることや深く悲しむことは勿論、誰かのそういう姿を見るのも嫌になったのは事実だ。感情の起伏が大きければ大きいほど、翼咲が逝った日の、あの言い様もない虚しさと喪失感、そして身体を震わせるほどの悲しみと苦しみがまた呼び起こされてしまうのではないかという怯えがあった。

 だから玲士朗はお人好しに徹しようとした。情けは人の為ならず、他でもない自分のために誰かを助けていた。感情の起伏のない、同じことを繰り返すありきたりで変わり映えしない毎日が続くように努めた。その結果、自分が傷つくのだとしても一向に構わない。誰かが傷つくのを見るより、その方がマシだった。自分の傷つく姿は、自分には見えないから。

 鷹介は頭上の青空を仰ぎながらいった。

「近頃のお前は、惰性の癖に脅迫されているかのような人助けをしてるのが目に余っていた。みんな、その臆病さの裏返しだって気づいてるよ。
 予防線を張るような生き方は気楽だ。けどそれはいつも諦めを強要する。生きることすら、諦めようとする。本当に健康な奴は健康を意識しないように、精一杯生きようとしている奴は、死ぬことに心惹かれない。そういう意味では、お前は生きることに不誠実ってことだ」

 淡々とした口調で紡がれる言葉は、しかし玲士朗にとってどれも心に響いたし、響く度に、自分の根本的な歪みが露呈するようで、怖ろしかった。

「生きることに誠実じゃない奴は、死についても誠実に考えられない。結局、自分の命を軽んじたり、他人を巻き込んだり、世の中を冷笑したりする。そういうことを平然と、何の感慨もなくやれちまうんだな。そういうのはお前らしくない気がする」

 抗弁する言葉も反論する余地もない。玲士朗は足を止めて、乾いた大地をじっと見つめた。

 翼咲の死に無関心な世の中、無慈悲な世界を玲士朗は無自覚的に憎んでいた。悲しみも虚しさも苦しみも共有してくれない現実に失望し、拒絶した。後を追って死ぬことすらできない臆病な自分にも嫌気が差した。だから機械的に、淡々とお人好しという役割を演じて、生き長らえる自分の意味を無理やり見出し、あわよくばその過程で死にたいと心のどこかで願っていた。

(けどそれは、甘えだったかもしれない……)

 ゴブリンやマリスティアとの命を懸けた戦いを通じて、玲士朗は痛感していた。

 自分が死ぬのは――怖い。それは生きているからこそ知る感情だ。

 そう生きている。存在している。命とは、他の誰でもない、自分のために生の鼓動を刻んでいる。けれど人はいつか死ぬ。人の温かみを感じる心と身体を失い、自分がこの世のどこにも存在しなくなって、忘れ去られることを怖れている。だから人は、自分ではない誰かの記憶の中に繋がりを求めるのだ。生者は死者の分も感情を引き受け、かつて大好きだったあの人が存在していた事実を、心の痛みともに記憶し続ける。

 言うなればそれは、心に死を刻むということだ。その傷は時として耐えがたい苦痛でもあるけれど、今はもういない敬慕の人との縁でもある。思い出は辛い記憶ばかりではない。

「ありがとう」で締めくくった翼咲の人生は、早すぎたかもしれないが決して非業の死ではなかった。彼女は彼女らしく精一杯生きたし、今際に見せた穏やかな笑顔を玲士朗は忘れない。鴇翼咲という欠けがいのない一人の女性の笑顔は、玲士朗が記憶する限り、この世に存在し続けるのだ。

 人は独りで生きているのではなく、いなくなった人々の心と共に在る。今なお強く感じる翼咲への思いが礎となって、今を生きる玲士朗を変えているように。

(自分の命は、自分だけのものじゃない、か)

 長らく押し黙る玲士朗をチラと盗み見て、鷹介は視線をあらぬ方向に向けながら間の抜けた声を発する。

「あー、すまん、説教じみてた。全部他人の受け売りだ。忘れてくれ」

「……何だよ、急にトーンダウンするなよ」

「誰でも自分のこと以外はよく見えちまうんだ。俺が言うべきことじゃなかった。俺はそう――心ががらんどうだから」

 弁解するかのように、鷹介はいつもの軽やかさをなくして独語した。

「世界なんてくだらない。人は自分以外の存在に対して本質的に無頓着なんだ。世界の裏側で餓死している何万人の子どもがいるって知ってても、腹は減るから好きなものを好きなだけ食べる。肉親が死んでも悲しみは続かないし、涙も止まって、いつの間にか日常を取り戻す。慟哭も悲壮も罪悪感も、生きている限り区切りが来ちまう。くだらない理由でな。深刻に悩んでるお前には悪いが、俺は心底そう思うんだ」

 鷹介は淡々と語る。そこに僻みや恨みはない。高尚さも高踏さも、冷笑も皮肉もなく、どこまでも無感動だった。

 勘が鋭く、視野は広く、あらゆる情報や価値観を受容して吟味し、咀嚼して自分のものとする器量に恵まれた鷹介。持って生まれた類稀なる力量と才能に、玲士朗はじめ竹馬ナインの面々は素直に感服していた。

 だが、一を知って十を知る明敏さは逆に仇となって、世の中の汚さやくだらなさを数限りなくあぶり出し、多くの知恵を吸収できる心には虚しさだけが溜め込まれて、鷹介は徐々に無気力になっていった。

 その彼が常日頃口にする、自身のがらんどうの心。何も感じず、何も響かない虚無。くだらない物事に興味も希望も失った心境。他人に関心のない孤独。

 だが玲士朗は、それが擬態だと確信していた。鷹介の冷笑的シニカルな物言いは、周囲の物事に失望しながらも、どこかで淡い期待や望みをまだ抱いているからこそなのだ。それに、想像もできない深淵を抱く鷹介の心は、しかし幼馴染達を思いやる温かさもまだ持ち合わせているのだから。

「なぁ鷹介、お前は――」

 玲士朗の言葉は最後まで発せられなかった。鷹介が視界に何かを認めて呟いたからだ。

「噂をすれば影が差す、か」

 鷹介の視線の先には普段と変わらない様子の柚希が佇んでいた。玲士朗は眼を瞠った。思わず駆け寄り、幽霊でも見るかのように柚希をまじまじと見つめる。

「柚希、お前、大丈夫なのか」

 幼馴染の思い詰めた表情に、柚希は少したじろいだ。

「う、うん。昨日はごめんね。自分でも良く分からないんだけど、この通り元気だから心配しないで」

「そう、か……なら、いい」

 安堵のあまり肩の力が抜ける玲士朗を見て、柚希も表情を和らげた。

「私のことより玲士朗のことだよ。梢に怒られて落ち込んでるって聞いて……大丈夫? 何で怒られたの?」

「それは――」

 自分が死に急いでいたから、などとは口が裂けても言えない。柚希の耳に入ろうものなら、彼女は本気で叱り、悲しみ、苦悩してしまうに違いないと分かるからだ。誰の所為でもないのに、自分の責任を感じて、自分に何ができるかを模索し続ける。誰かのために傷つき、犠牲になるのではなく、誰かの傷を癒し、生かそうとする、玲士朗とは別の意味でのお人好し。

 玲士朗は苦笑した。もはや心配する側とされる側は入れ替わっている。たとえ異世界だろうと変わらない柚希の在り方に、自分は何度救われるのか。気の置けない仲間達の優しさに、自分は何度護られるのか。

 人と人の間――関係を取り結ぶ事で存在の輪郭を形作る生き物、人間。そのように生まれた玲士朗は、自分の存在が自分の一存で成立せず、また維持されないことを改めて知った。人の縁に護られ、縛られた、生きることも死ぬことも不自由な魂。しかし、その窮屈さは、自然と笑みが零れてしまうほど心強く、また嬉しいことでもあることを、今、こうして実感するのだった。

「――ああ、こっぴどく叱られた。反省してる」

 柚希はそれ以上追及はしなかった。再び柔和な笑みを浮かべて、揶揄うように言う。

「そっか。反省してるならいいんだ。怒られるうちが花だよ」

「……そうだな」

 玲士朗と柚希は笑い合った。屈託なく、心の底から朗らかに。

「仲良いよなぁ、お前ら」

 呆れた様子で鷹介が茶々を入れる。玲士朗と柚希は照れ臭さのあまり、顔を逸らし合った。
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