そして彼らは伝説へ―異世界転移英雄譚―

長月十六夜

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第4章 さよなら、平穏

救世の歴史①

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 シエラとロザリーは、自分達の前方に躍り出た玲士朗と詩音を見て狼狽を隠せなかった。

「何やってんのあの二人!」

「まさかシオンさん……マリスティアの攻撃を受け止める気なんじゃ……」

「はぁ!? 最前の見てないの!? もう意味分かんない! 連れ戻さなきゃ――」

「待ってロザリー! 詩音と玲士朗なら絶対できるから!」

 彼女達の後方から力強く断言するのは柚希だった。ロザリーは尚も反駁はんばくする。

「ユズキも友達ならやめさせなよ! 人智を超えた剣臣の力って言ったって、そんな便利にできてるはずはないんだから」

「分かってる! でも、詩音も玲士朗も、覚悟の上であそこに立ってるの! お願い、信じてあげて」

 それは気休めでなく、真実、柚希の心の底から発せられた言葉だった。真に迫る口調と、これまでと打って変わって精悍さと凛々しさを強く感じさせる柚希の面持ちを見て、ロザリーは半ば観念するように口を噤んだ。

 柚希も不安がないわけではない。友人二人の命が懸かっているのである。震える両手を握り直し、幼馴染二人の背中を見つめながら祈るように呟いた。

「……二人とも、無事で帰ってきてね」



「よう颯磨、調子はどうだ?」

 傷の程度を気遣う鷹介に、颯磨は苦悶に顔を歪めながらも、努めて笑みを見せる。

「アイツの腕、毒でも仕込んであるのかな? 幻覚と幻聴がキツイや」

「いつも毒を吐いてる男が化け物の毒でグロッキーだなんて洒落にならないな。でもこれで少しは人の痛みってのが分かったんじゃないか?」

「まさに痛感してる」

 軽口の言い合いが颯磨を襲う幻覚と幻聴を和らげていた。傷の痛みは酷かったが、そちらの方が何十倍もマシで、まだ自分が生きているという実感でもあったから、激痛とは裏腹に颯磨は自然な笑みを零していた。

 呼吸が荒く、額には脂汗まで滲み出ている颯磨らしからぬ疲弊した姿を、鷹介はやや憐れむような眼差しで一瞥してから、視線を戦場の外に移した。はなはだ不本意であると言わんばかりに表情を顰める鷹介は、目が合った梢とアイコンタクトを交わしたらしく、苦々しい顔つきのまま再び颯磨に視線を戻す。

「梢達が来るまで辛抱してくれ」

「了解――ところで、鷹介、弓矢なんて使えたっけ?」

 いつの間にか鷹介が携えていたエルフ製の弓矢を見留めて、颯磨は訊いた。

「いや、まったく。具現鋳造とやらが使えればこんなもの借りる必要がなかったんだけどな。じゃ、ちょっと玲士朗達の加勢に行ってくるぞ」



 未だ泥のようにまとわりつく騎士の死相の不気味さと嫌悪感に苛まれ、悟志は断続的に嘔吐し続けていた。美兎は、苦しがる幼馴染の姿を目の当たりにして、今にも泣き出しそうだった。

 朦朧とする意識の中、悟志は傍らで介抱してくれる美兎と梢を目の端に捉え、涙を滲ませる。吐瀉物としゃぶつに落ちたそれは苦悶の生理現象であると同時に、自分の不甲斐なさに対する忸怩じくじたる思いの代弁でもあった。

(いつまでも情けない姿は見せたくない……)

 髪をベッタリと額に張り付かせ、顔面蒼白になりながらも、悟志は強い意志で吐き気を押さえつけ、喘ぎながらも言葉を紡ぐ。

「二人とも、僕は大丈夫だから、颯磨のところに行ってあげて」

「悟志君……」

「ほら、鷹介も呼んでる。僕は大したことないから」

 それは強がりだと美兎は分かっていた。玉のような脂汗と、蒼褪めて引きつった笑顔が苦痛を如実に表していたために戸惑いを隠せない美兎だったが、悟志の決意も同時に感じ取り、板挟みだった。

 逡巡する美兎とは対照的に、鷹介の無言の指示を受け取った梢は不機嫌な表情を呈しながら、エルフの用意した治療薬をかき集めていた。

「美兎、行くわよ」

「で、でも……」

「悟志より颯磨の傷の方が重傷でしょ。それに、カッコつけたい時って、誰にでもあるものよ。年頃の男の子なら尚更」

 ぶっきら棒で呆れ切った調子の声だったが、悟志を見る梢の眼差しはまったく真剣だった。彼女は悟志の心情を過たずに汲み取っていたのだ。好きな女の子の前で、これ以上の醜態を晒したくないという、青臭い見栄を。

 悟志の見栄と痩せ我慢の虚飾を美兎は混じり気のない利他的行動だと勘違いしたらしい。後ろ髪を引かれる思いに苛まれながらも、ゆっくりと立ち上がっていた。

「……分かった。悟志君、ありがとう」

 悟志は苦悶と安堵と微かな罪悪感が入り混じった複雑な思いに駆られる。それでも、精一杯の笑顔で美兎と梢を送り出した。

 苦しげな呻き声が背後から聞こえ続けるのを感じながら、美兎と梢は唇を固く引き結んで走り続ける。梢は美兎以上に緊張と不安の色がありありと見て取れる面持ちだったが、もう迷いはなかったし、怖気づくような失態も演じることはなかった。

 思い入れのない世界のために命を懸けるなんてありえない。今でもその思いは彼女の中で変わってはいない。

 だが、その思いとは裏腹に、友人達はここにいる全員を守るために傷ついている。守られてばかりでは格好がつかないし、美南海梢という人間は、友人の危急を見て見ぬ振りをするような薄情者ではない。戦場に身を置く恐怖を押し留めたのは、そんな見栄っ張りのプライドと義理人情だった。だがそれは、異世界の洗礼によって自分を見失いかけていた梢が、本来の自分自身を取り戻した瞬間でもあった。

(自分も、悟志のことを笑えないわね)

 自嘲の笑みではあったが、何かを吹っ切った清々しさを微かに感じさせた。気の置けない仲間達の存在が、美南海梢という人格を“らしく”導いてくれる。だから彼らを守ることは、自分を守ることと同義だ。

 故に彼女は走る。マリスティアの魔砲の射線上であろうと構いはしない。幼馴染達が自分を受け入れ、信じてくれたように、自分もまた、彼らを信頼するだけなのだから。



 収束した光が臨界を迎え、轟音とともにマリスティアの魔砲が放たれる。砂塵を巻き上げるほどの颶風が射線上に吹き荒び、禍々しい閃光が詩音に襲い掛かろうとしていた。

破界剣はかいけん――」

 詩音の呼び掛けに応え、具現鋳造の秘められた力が解放される。

「『織り成せ幕壁まくへき』!」

 剣身が発光したかと思うと、天頂から落ちかかる巨大な光の結界を投影し、扇形に広がる斥力場となって赤黒い光条を弾き返す。

 それは、かつて大帝国の首都を千年にも渡って守護してきた城壁の再現――否、召喚であった。あらゆる攻城手段に耐えうる難攻不落の防衛設備にして、侵略と征服の悪意をも撥ね退ける人心の壁の具現。何重にも折り重なる壁は、民を護るために歴代の皇帝が積み重ねてきた決意と自信の象徴である。悠久の時を経た時間的質量は周囲一帯の空間を相転移させ、何者にも侵されず、屈せず、城壁の内側を護り通す神秘に昇華していた。

 もはやマリスティアの攻撃は奇蹟の城壁に敵うべくもなかった。呪詛を叩きつける邪悪な一条の光は、その直線運動を真正面から阻まれる。四散した負のエネルギーは消滅の間際の煌めきを瞬かせて跡形もなく打ち消されていった。

 マリスティアの攻撃が防ぎ切られた瞬間、玲士朗が弾丸のような初速で詩音の後方から飛び出す。マリスティアも既に迎撃態勢に移行しており、応戦するように二本の触手を玲士朗目掛けて放つ。だが、玲士朗は目もくれずにマリスティアへ突撃を敢行していた。

 まるで示し合わせたかのように、マリスティアの触手が側面から放たれた暴戻な速度を伴う矢によって抉り抜かれる。一本目の触手を行動不能にした矢は勢いを緩めることなく、延長線上の二本目の触手をも串刺しにしてしまう。

 玲士朗は矢を放った鷹介を目の端に捉える。いつもながら得意気になるでもなく、絶大な力に驚くでもなく、飄々とした表情で残心を見せる幼馴染に対して、玲士朗は思わず笑みを零す。あまりにも予想通りの光景に気が緩みそうだった。

 障害を排除された玲士朗はさらに加速する。だが、本丸は眼に見えない防壁に護られていることに加え、容易く人体を串刺しにする触手の脅威もある。接近して防壁を突破し、触手を排除して、本体の核を破壊するには手数が多くなりすぎて、マリスティアを確実に仕留めることが難しい。攻め方を誤れば、心臓を貫かれて絶命した騎士と同じ末路を辿ることになるだろう。

 故に、玲士朗の思考に、刀が届く距離までマリスティアに接近するという考えは初めからなかった。詩音や颯磨の闘志に触発された玲士朗は、具現鋳造のさらなる可能性を、自信の内奥から感じる確信として認識していた。

 言うなればそれは、今まで忘れていたキャッチボールの感触を、久しぶりに手にしたミットを通してありありと思い出してくようなものだった。いつ、どこで、どうして知ったのか、記憶はなくとも身体が覚えている。心臓を動かしたり、呼吸をしたりするように、理屈抜きで出来てしまう単純で自然な感覚とでもいうべきものだった。

 玲士朗は鞘から刀を抜き放ち、マリスティアとの距離数メートルの位置で停止した。防壁と触手による迎撃を企図していたマリスティアは意表を突かれ、一瞬、怯んだように身体がかしいだ。

「破界剣――」

 その言葉は、具現鋳造の真価を発揮させる言霊だった。マリスティアが言葉の負の側面を利用した『呪詛』を叩きつけるのならば、剣臣は、誰しも魂に秘める無限の可能性を言葉によって『祝福』し、一つの志向を持った願いや望みとして現実化する。

 玲士朗が刀を高く掲げた。無限の可能性の中から玲士朗の呼びかけに応え、一つの形相として現実化した力は、黒い刀身を引き延ばしたかのような天を衝く漆黒の光芒だった。

 テルマテルの創世神が敷いた秩序とは異なる、玲士朗の意を通すための秩序が一時的に世界を支配する。この瞬間だけ、玲士朗は神に代わる代筆者であり、運命という名の物語の記述者だった。具現鋳造の力を媒介として彼が望む現実が神の脚本に追記され、摂理の奴隷たる事象を己が意に従わせる。

「『虚世見うつせみ』!」

 触れたものに黄泉の国への引導を渡す黒い光芒がマリスティアに向けて振り下ろされる。彼の躍動する魂と揺るぎない心意の重さを質量として現界した霊的な幽光の刃は、マリスティアの不可視の防壁を“絶命”させ、防御の姿勢を取った触手と両腕を死に至らしめ、喉元の核もろとも一刀両断にしてみせた。凄まじい剣圧が衝撃波の追い打ちとなり、マリスティアの核を粉々に粉砕する。鬼火のような紫炎がマリスティアの内側から燃え盛り、その身体を焼き尽くして、爆ぜた灰が煌めきながら大気に散っていった。
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