そして彼らは伝説へ―異世界転移英雄譚―

長月十六夜

文字の大きさ
上 下
7 / 70
第1章 幕引きは唐突に

戦いの傷跡

しおりを挟む
 ゴブリン達が潰走かいそうした後の丘陵には夜半の静けさが戻りつつあった。もっとも、玲士朗達の鼓動の高鳴りはすぐには治まらず、静謐な夜への帰還を実感するには程遠かった。

 乱れた呼吸を整えながら、玲士朗は地面に膝をついたままのメーネに近寄り、手を差し出した。

「メーネ、立てるか?」

 多少面食らいながらも、メーネはおずおずとその手を取った。玲士朗達にとって自分は得体の知れない存在だ――そう自分を卑下していたメーネは、こういった気遣いがなされることを予期していなかったのだ。

「ありがとう……ございます」

「礼を言うのはこっちの方だよ。おかげで助かった」

「いえ……皆さんを守ると言っておきながら、情けない限りです」

「そんなこと言うなよ。とにかく、無事でよかった」

 自然と零れた玲士朗の穏やかな笑みに、メーネも釣られるように表情を和らげた。座り込む颯磨に玲士朗が手を貸していると、蒼褪めた柚希が慌てた様子で駆けてくる。

「玲士朗! ち、血が出てるよ!」

 幼馴染の動転振りを目の当たりにして、玲士朗はたじろいだ。

「お、落ち着け柚希、大丈夫だ。これはゴブリンの血だよ。俺自身、怪我はない」

「そ、そっか……それならいいんだけど。本当に痛いところとかない?」

 身体に触れられる照れ臭さも相まって、玲士朗は歯切れの悪い応答しかできない。念入りに玲士朗の五体満足を確かめてから、柚希は颯磨とメーネに視線を転じる。

「颯磨は? メーネは?」

 二人を慎重に検め無事を確認すると、柚希の顔色に薔薇色の生気が徐々に戻っていく。

「よかった……」

 安堵と共に気も抜けて、その場にへたり込もうとする柚希の身体を玲士朗が支える。やれやれと小さく溜息を吐きながらも、柚希の横顔を眺めて玲士朗は微笑を零した。

 天真爛漫に見えて、実は他人の気持ちに人一倍敏感で、いつも自分をのことを二の次に考えて行動してしまう柚希。変わってしまった日常の中であっても、変わらない彼女の在り方がとても貴重なもののように感じられて、玲士朗は思わず嬉しさが込み上げてきたのだった。

 身体こそ無傷だった高校生達だったが、これまで遭遇することのなかった命の危険と想像すらもしなかった戦いの恐怖に心は傷つき、疲弊し切っていた。特に重傷だったのは、未だ泣き腫らし続ける梢――ではなく、沈鬱な眼差しで制服の裾に付いた血を見つめる玲士朗だったかもしれない。

 染み込んだゴブリンの血は赤黒く変色し、鉄じみた異臭が鼻をついた。不快さから逃れようと転じた視線の先には、玲士朗が斬り落としたゴブリンの右腕が地面に打ち捨てられて、生々しい命の残滓を垂れ流し続けている。

 無我夢中のことで実感がなかったが、紛れもなく自分の行いだという確信が玲士朗にはあった。身体にこびりつく血、鼓膜に残る叫声、視界に焼きつく苦悶に満ちた形相は、加害者でなければ感じ得ないものだからだ。

 ――正当防衛だった、自分と仲間を守るためには仕方がなかった。大義があれば暴力だって正義足り得ると思いたいのは人情だろう。だが、理屈では自分以外の誰かを説得できても、自分を納得させることはできない。

 暴力は、どんな形であれ悪なのだと玲士朗は教えられたし、真実、そう考えていた。如何に崇高な理念や大義名分で着飾ったとて、その覆いの下に隠れている本質は、いつの時代も身勝手で醜いエゴでしかない。

 だから、誰かを傷つけることは、翻って自分の良心にも傷跡を残す。自覚的な傷跡は、いつまでも今日の自責と苦痛をふとした弾みで訴える。それがきっと、社会に裁かれない暴力に対する罰なのだ。他の誰でもない、自分自身に赦されないからこそ、癒えることはない傷。畢竟ひっきょう、ゴブリンとの死闘の末、武器を振るい、流血を見た事実は、玲士朗に自己正当化と罪悪感のせめぎ合いという解消し得ない懊悩おうのうをもたらしてしまったのだ。

 悄然とする玲士朗の後ろ姿をメーネは見つめていた。誰であれ、本人でさえ、心の傷を見ることはできない。だから感じるのみである。玲士朗の苦悩と苦痛に共感して、メーネは憂いに翳った瞳を微かに潤ませたようだった。感傷を断ち切るように、長い睫毛まつげに縁取られた端正な双眸をゆっくりと閉じる。

「皆さん、ここは危険です。またいつゴブリンが襲ってくるかも分からない。この丘の麓に村があります。ひとまずそちらに移動しましょう」

「賛成だ。早くここから離れようぜ」

 メーネの提案に鷹介は一も二もなく同意の声を上げる。他の幼馴染達は彼の肯定的な反応に意外そうな視線を向けた。異世界の存在にもメーネの素性にも懐疑的な態度だった鷹介だけに、驚きは一入ひとしおだったのだ。

「何だよ、当初の予定通りだろ、村に行ってみるってのは。メーネが口利きしてくれるんならスムーズで尚良しじゃねぇか」

 鷹介の楽観さとは裏腹に、涼風は表情を曇らせた。

「でも、私達みたいな……得体の知れない人間を受け入れてくれるのかしら。それに、後を追って最前のゴブリン達が村を襲ったら……」

「大丈夫です。村の人々は私達に好意的ですし、周辺一帯はエルフの一族が守ってくれていますので」

 詩音が驚きのあまり、思わず口を挟んだ。

「エルフって、まさかあの……まぁいいわ。詳しいことは安全な場所に行ってから聞かせてもらいましょう」

 詩音達は足早に丘を下り始める。不安は拭い切れないが、一刻も早くこの場を離れたいという焦燥が彼らの去就を決定づけていた。

「柚希、歩けるか?」

「う、うん。ごめんね。私、玲士郎に助けてもらってばっかりだね」

「気にするな。俺は気にしてないぞ。お前って手がかかるから」

「手がかかるって……子どもじゃないんだから――メーネ?」

 気恥ずかしさに視線を漂わせていた柚希は、立ち尽くすメーネを眼に留める。柚希の視線を追った玲士朗は、メーネの小さな背中から再び危うさを感じ取っていた。まるで世界に彼女一人しか生き残っていないかのように寂寥として、静かな絶望を背負っている重々しさに思わず息を呑む。

 振り返ったメーネは、どこか寂し気な印象の笑みを見せた。

「すみません。少し呆としてしまって。村に急ぎましょう」

 三人は無言で丘を下り始めた。メーネの瞳は哀しみと愁いを帯びて、どこか遠くを見つめるようだった。玲士朗も柚希も、そんなメーネの雰囲気を気掛かりに思いつつも、何も言葉をかけられなかった。

 意を決したように、柚希が努めて陽気な声でメーネに尋ねる。

「あの綺麗な空のカーテン、無憂の天蓋ペール・ヴェールって言うんだよね? この世界の人達にとって、どういう存在なの?」

 思いがけない質問に、メーネは一瞬、眼を大きく張って柚希を見返した。それから夜空を見上げ、耽美な神秘の創成伝説に思いを馳せる。

無憂の天蓋ペール・ヴェールは、かつてテルマテルを襲った災禍に立ち向かい、救世主となった女性が、世界の安寧と平和を願い、その思いが形となって現れ出たものと伝わっています。以来、テルマテルに暮らす人々を守護する覆いとなり、悲しみや苦しみ、憎しみや寂しさを断ち切る加護の結晶と信じられています」

「本当、綺麗だよね。こんなに綺麗なものを作っちゃった救世主さんって、きっと心がすごく清らかで、純粋だったんだね」

 柚希の嘘偽りない感動に、メーネも柔和な微笑を向ける。無憂の天蓋ペール・ヴェールは、地上の血生臭さや少年達の苦悩とは無縁で、穏やかな月光に彩られてゆったりと音もなくたなびいていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

生まれる世界を間違えた俺は女神様に異世界召喚されました【リメイク版】

雪乃カナ
ファンタジー
世界が退屈でしかなかった1人の少年〝稗月倖真〟──彼は生まれつきチート級の身体能力と力を持っていた。だが同時に生まれた現代世界ではその力を持て余す退屈な日々を送っていた。  そんなある日いつものように孤児院の自室で起床し「退屈だな」と、呟いたその瞬間、突如現れた〝光の渦〟に吸い込まれてしまう!  気づくと辺りは白く光る見た事の無い部屋に!?  するとそこに女神アルテナが現れて「取り敢えず異世界で魔王を倒してきてもらえませんか♪」と頼まれる。  だが、異世界に着くと前途多難なことばかり、思わず「おい、アルテナ、聞いてないぞ!」と、叫びたくなるような事態も発覚したり──  でも、何はともあれ、女神様に異世界召喚されることになり、生まれた世界では持て余したチート級の力を使い、異世界へと魔王を倒しに行く主人公の、異世界ファンタジー物語!!

のほほん異世界暮らし

みなと劉
ファンタジー
異世界に転生するなんて、夢の中の話だと思っていた。 それが、目を覚ましたら見知らぬ森の中、しかも手元にはなぜかしっかりとした地図と、ちょっとした冒険に必要な道具が揃っていたのだ。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

【ヤベェ】異世界転移したった【助けてwww】

一樹
ファンタジー
色々あって、転移後追放されてしまった主人公。 追放後に、持ち物がチート化していることに気づく。 無事、元の世界と連絡をとる事に成功する。 そして、始まったのは、どこかで見た事のある、【あるある展開】のオンパレード! 異世界転移珍道中、掲示板実況始まり始まり。 【諸注意】 以前投稿した同名の短編の連載版になります。 連載は不定期。むしろ途中で止まる可能性、エタる可能性がとても高いです。 なんでも大丈夫な方向けです。 小説の形をしていないので、読む人を選びます。 以上の内容を踏まえた上で閲覧をお願いします。 disりに見えてしまう表現があります。 以上の点から気分を害されても責任は負えません。 閲覧は自己責任でお願いします。 小説家になろう、pixivでも投稿しています。

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

せっかくのクラス転移だけども、俺はポテトチップスでも食べながらクラスメイトの冒険を見守りたいと思います

霖空
ファンタジー
クラス転移に巻き込まれてしまった主人公。 得た能力は悪くない……いや、むしろ、チートじみたものだった。 しかしながら、それ以上のデメリットもあり……。 傍観者にならざるをえない彼が傍観者するお話です。 基本的に、勇者や、影井くんを見守りつつ、ほのぼの?生活していきます。 が、そのうち、彼自身の物語も始まる予定です。

処理中です...