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外伝+特地迷宮攻略編

外伝+特地迷宮攻略編-3

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   03


 大空を支配する最強の猛禽もうきん、炎龍が大空を我が物顔で飛び回っている。
 大地は炎龍の放った炎で焼き払われ、ダークエルフ達は逃げ惑う。ヤオのよく知る友達が次々と炎龍に捕食されていた。
 そしてついには、逃げ遅れて転げたヤオにも、その鋭い眼差しが向けられた。

「もう、だめなのか」

 恐怖感で身体の竦むヤオの面前で、炎龍がその顎門あぎとを大きく開いた。
 鋭く尖った牙が上下にずらりと並び、ダークエルフ達の血で真っ赤に汚れている。歯の隙間には、彼女の仲間の肉片がこびり付いていた。
 ヤオもこれからその同胞と同じようになってしまうのだ。
 だがヤオの心の半分が諦念、そして残りの半分が恐怖によって埋め尽くされたその瞬間、炎龍の頭部が爆炎に包まれた。
 何事かと見れば、伊丹耀司が鉄の逸物を炎龍に向けていた。

「大丈夫かヤオ!?」
「主殿!?」

 わずかな幸運によってもたらされたその隙にヤオは立ち上がる。
 伊丹は鉄の逸物を取り出しては放ち、取り出しては放ちして、炎龍につるべ撃ちをする。
 その勢いは球状の爆炎に炎龍の巨体が呑み込まれてしまうほどで、これまで一方的に狩られるだけの立場であったダークエルフ達も歓呼かんこの声を上げた。

たおせ、斃せ、炎龍を斃せ!」
「イタミ! イタミ!」

 伊丹はそれらの声援を浴びながら雄々しく戦った。
 そして最後の一撃がついに炎龍の急所に直撃すると、炎龍は絶命の咆哮ほうこうを上げながら地にちたのである。
 炎龍の頭部を狩りとって勝利の凱歌がいかを上げた伊丹は、皆が注視する中で倒れたヤオを優しく抱き上げて囁いた。

「ヤオ、お前のために奴を斃したぞ」
「こ、此の身のために?」

 その言葉を聞いて、ヤオは身体のしんしびれてしまうのを感じた。
 これまでヤオに甘い言葉を囁いた男は何人もいた。ヤオのことを綺麗きれいだとか、好きだとか、お前のことを永遠に愛するとか。そして皆言うのだ。だからお前が欲しい、お前を抱きたいと。
 でも、行動で想いを示してくれた男は一人もいない。みんな死んでしまうか、裏切るかしてヤオの前から立ち去ってしまうのだ。
 だが、伊丹は実際に行動で示してくれた。

「そうだ、お前のために炎龍を斃したんだ」

 さらに甘美かんびな言葉を囁いてヤオを力強く抱きしめる。それはヤオが心の底から熱く望んでいながらも、これまで得られずにいたものであった。

「ああっ……」

 感極まったヤオも伊丹を渾身こんしんの力で抱きしめ返す。

「ヤオ……」
「主殿……」

 視界一杯に広がる伊丹の顔。二人の唇が近づいて……突然、頬を軽くペチペチという感じではたかれた。

「お~い、ヤオ。目をましたか? 起きろ~」
「え? 主……殿?」

 目をまたたかせながら周囲を見渡してみる。するとそこは、シュワルツの森ではなくてどこかの安宿だった。
 暗い室内を、光量を落としたLEDランタンの光がほのかに照らしている。そして部屋の真ん中に置かれたベッドでは、レレイが熱に浮かされていた。
 伊丹はヤオの顔を覗き込むように囁く。

「交代の時間だ。後を頼むよ」
「あ、ああ……そうだった」

 伊丹が差し出した腕時計を受け取りながら、ヤオは我に返って呟いた。

「今のは夢か? 夢……」
「ヤオ、どんな夢を見てたんだ?」

 部屋が薄暗いことにヤオはこの時ほど感謝したことはない。両手で顔を覆い隠したところ、顔がまるで熱湯のように熱くなっていた。

「ヤオ、大丈夫か? まさかお前まで発病したとか……?」

 だがそんなことも知らない伊丹は真剣にヤオを心配した。

「それはない。大丈夫だ。そういうんじゃないから頼む、見ないで」
「ならどうしたって言うんだ?」
「お願いだ。後生ごしょうだから追及しないで…………」

 どんな夢だったかなんて伊丹に言えるはずがない。ヤオはあまりにも恥ずかしい夢の内容に頭を抱え込んでしまったのだった。


 レレイを看病かんびょうして数時間が経過した。
 時計を見ると、針は午前四時半を回っている。午前七時になったら起こしてくれと伊丹から頼まれているのだ。

「あと、二時間半か……」

 ヤオは、椅子に深く腰掛けると手足を大きく伸ばした。
 ベッドにはレレイが眠っている。ヤオは、レレイのひたいに置かれた手拭いが乾いてきているのを見ると、洗面器の水に浸して絞り、再びレレイの額に載せた。
 レレイの鼻っ頭や頬に、たまのような汗が浮かんでいる。それを手巾で拭き取ってやる。ついでに頬や首元に触れてみたがまだ少し熱い。
 砂交じりの風が部屋の鎧戸よろいどを叩く。どうやら外は、突風が吹き荒れているようだ。
 先ほどまでヤオが使っていた簡易ベッドを振り返ると、そこに伊丹が眠っていた。
 つい今しがた自分が使っていた寝袋に伊丹が眠っているのを見ると、なんだかこそばゆい気持ちになる。まるで自分が小娘に戻ったかのように感じられてしまうのだ。

「イタミ……ヨウジか」

 ヤオは、イタミの顔を睨むと呟く。

「主殿はどういう男なのだ?」

 眠っている伊丹が答えてくれるはずもなかった。


 ヤオは態度には示さないが、本音を言えばニホン人が嫌いである。
 それも、ただの『嫌い』ではない。大を幾つ重ねても表現しきれないほどの『嫌い』であった。
 当然であろう。ヤオの願いを聞いてくれなかったのだから。
 緑の人の名で知られたニホン人達は、ヤオがどれほど頭を下げて懇願しても、我が身を捧げると言っても、一顧いっこだにすることがなかったのだ。
 もちろん、ヤオとて自分が持ち込んだ願いがどれほど無茶なものであったかは承知している。
 人間、誰しも自分の命は惜しい。莫大ばくだい褒賞ほうしょうや快楽を約束されても、それを味わい尽くすことが出来なければ無意味だ。その後の人生を投げ捨てるのと同義である「炎龍を斃して欲しい」という願いが断られるのは、仕方がないことだった。
 しかしそれならそれで、一貫してヤオの願いを拒絶して欲しかった。全員が我が身大事の臆病者でいて欲しかった。
 そうすれば、たとえ納得できなくても己の無力さだけはなぐさめることが出来たのである。
 ところが伊丹耀司という男は違った。
 テュカ・ルナ・マルソーという小娘のために起ち上がった。
 ヤオがいくら懇願しても、誰も頷いてくれなかったというのに、テュカのためならばと全てを投げ捨てて炎龍に立ち向かったのだ。そしてそれに釣られるようにして、ニホン人達も重かった腰を上げ、炎龍退治のために軍勢を送り出した。
 全ては伊丹という男が先頭を切って突き進んだからだ。
 問題は、どうして伊丹がそのようなことをしたのかだ。それが分からない。
 ヤナギダという男から、伊丹がテュカという娘を大事にしていると聞いたから、そしてテュカという娘の身に何が起きたのか聞いたからこそ、ヤオは彼女を精神的に追い詰める手に出たのだが、結局全てが終わってみると、伊丹が何故テュカのため戦いに身を投じたのかが理解できなくなってしまった。
 テュカが、この男にとって肉親とか、妻とか、あるいは恋人だというのなら理解も出来るし納得もする。それが愛。愛する者のためなら、自らの命を投げ捨てることも出来るというのが人間なのだから。
 しかしそれは違った。テュカは伊丹にとっては肉親でも、妻でも、恋人でもない。
 ヤオと出会うまでに、伊丹がテュカという小娘との間にどれほどの関係を築いていたかは知らないが、伊丹とテュカの間に、少なくとも男女の関係を感じさせる要素は欠片かけらもなかった。でなければ、如何に病んでいようと、テュカとて伊丹と父とを混同するはずはない。
 少なくともあの時点では、テュカの伊丹に対する感情は、失った父への思慕しぼが、伊丹という身代わりを得て向けられたものでしかなく、また伊丹もそのことを知っていたはずなのだ。
 そんな相手のために、己の命をけられる男がいるだろうか?
 いや、それでも単に恋人という関係が成立していないだけで、伊丹がテュカに想いを寄せていたというのなら納得できる。
 好きになった相手に思い人が別にいるとか、恋が禁じられているとか、様々な都合から願った通りにならないことなんて、人生においてはいくらでもあるのだから。
 それでも己の心に従ってテュカのために身体を張ったのなら、ヤオは伊丹を理解できる。いや、理解どころか大いに尊敬し、共感しただろう。報われない恋に生きた経験は、きっとヤオのほうが多いのだから。
 ところが、それもまた違う。伊丹の周囲にはテュカのみならずロゥリィ、レレイといった女性がいて、伊丹は皆に対しても同じような態度を示している。三人はほぼ一緒であり、テュカだけが群を抜いて大切に扱われているという様子が全くないのだ。
 だからこそ思ってしまうのである。
「イタミ、お前はいったい何者なのだ」と。


    *    *


 朝が来た。と言っても鎧戸で閉ざした室内が明るくなったわけではなく、時計の針が午前七時を指したというだけのこと。
 ヤオは頼まれた通りに伊丹を揺すり起こすことにした。

「主殿?」
「ん?」

 肩を揺すること十数回、伊丹はゆっくりとまぶたを開けた。
 起き抜けにヤオの顔を至近距離で見たせいか、伊丹は一瞬驚いたような顔をする。

「どうして俺の寝床にヤオが?」

 まだ頭に血が回っていないらしく、状況が掴めていないようだ。なので勝手にヤオの夢に出演しやがった復讐として、少しばかりからかってやることに決めた。

「つれないことを言わないで欲しい。昨夜はあんなに激しく燃えたのに。この感触をもう忘れたのか?」

 ヤオは伊丹の手を取ると、そっと自分の乳房ちぶさに押し当てようとした。だが、伊丹は少なくともヤオよりは目覚めが良いようで、二~三回瞼を瞬かせたかと思うと、ヤオの胸に触れる寸前に手を奪い返し、代わりとしてヤオのおでこを軽く叩いた。
 ペシ。

「んなことしてないだろ。で、レレイの様子は?」
「変わりない」

 ヤオは伊丹にはたかれた額を押さえつつ、頬を膨らませた。
 自分の乳房はそんなに魅力がないのかと、伊丹の淡泊たんぱくな反応にがっかりしてしまったのだ。そして、今しがたレレイの体温を計測した体温計を伊丹に示す。
 数値は三七度五分と表示されている。解熱剤が効いてもなお残る微熱に、伊丹は苦い顔をした。

「意識は?」

 伊丹は寝袋から這い出ながら、戦闘服に袖を通していく。

「まだ眠っている」
「そうか、眠れているのか。よかった」
「ああ。だが、あの偽医者が言っていたように熱が下がっていても、病気そのものが良くなっているわけではないぞ」

 伊丹は簡易ベッドから下りると、そのままレレイの寝台脇まで歩み寄ってLEDランタンの光量を上げた。無機質な青白い光がレレイの顔を照らす。するとその頬や耳朶じだ、首回りが薄紅色に染まっているのが見える。体温が高いため紅潮しているのだ。

「快復の兆しはなしか?」
「ああ。高熱はそれだけでも患者の体力を奪うから病に負けやすくなる。今のうちに根本的な治療法を見つけないとどんどん厳しくなっていくだろう」

 ヤオは自分の考えを語った。
 伊丹は医療嚢をかき回して焦燥感しょうそうかんをあらわにした。

抗生剤こうせいざいとか使っちゃだめなんだろうか? やっぱり解熱剤は使わないほうが良かったんだろうか? 熱は変に下げないほうが良いとも言うし……う~む」

 解熱剤はレレイを高熱から解放するという点で、使用する意味はある。だがそれはレレイの治癒ちゆうながすわけではない。このまま放置しておけば偽医者の言っていた快復率三割の自然治癒に期待しなければならなくなってしまう。

「仕方ない、レレイをアルヌスに連れて帰るか」
「だが、それをしたらレレイは悲しむのでは?」

 レレイは、今回の旅でロンデルに赴き導師号審査を受けることとなっている。ここでアルヌスに引き返したら、そんなレレイの夢を砕くことになる。

「いざとなったらそれもしようがないさ」

 アルヌスに連れて帰ればレレイが快復するという保証は全くない。だが進んだ日本の医学なら、きっとなんとかなるだろうと伊丹は言った。

「良いのか? 勝手にそんなことをして恨まれるかも知れないんだぞ」
「かまわないよ」
「恐くないのか?」
「何を?」
「恨まれるというのは、嫌われるということだろう?」
「けど嫌われるのも恨まれるのも、その相手が生きていてこそだろ?」
「それはそうだが……」
「生きているならいずれ機嫌きげんを直してくれるかも知れない。その時が来るのを信じてるから、俺は今レレイに必要だと思うことを押しつける」
「テュカの時のようにか?」
「ああ」

 炎龍を斃してアルヌスに帰ってくる時、テュカはずいぶんとむくれていた。
 伊丹への感謝の気持ちに溢れていても、同時に随分と酷いことを無理強むりじいされたという意識もあって、胸中は複雑だったのだ。そしてそれがまた伊丹のテュカに対する負い目ともなっていて、二人の関係はぎこちなくなっていた。
 それを片付けるためテュカが伊丹に突きつけた和解案が、伊丹が母親に会いに行くというものであった。伊丹が嫌がっている、あるいは遠ざけようとしていることを押しつけることで、おあいにしようとしたのだ。そして伊丹もそれに素直に応じた。これで二人の間に生じた精神的な貸し借りは清算済みとされたのである。

「もちろん、レレイに好んで嫌われたいわけじゃないから、アルヌスに連れ帰るのは最後の手段にする。風土病だっていうのなら、この土地に治療法があるかも知れないからな。まずはそれを何とかして見つけよう。誰か詳しい人間がいると良いんだけど」
「あの偽医者はアテにはしないほうが良い」
「分かってる」

 昨日、ロゥリィに追い詰められたゼニゲバ医師は、自分の置かれた窮状を素直に語った。
 この特地世界で医師になるための道は、レレイ達学徒の修行過程と似ている。先達せんだつの弟子となり基礎を学んだ上で、上級の医学院で臨床りんしょうを学んで初めて医師たることが認定されるのである。この師匠と、医学院でつくられた同窓生との関係が、開業してからの相互扶助そうごふじょのネットワークとなるのだ。
 自分の住まう町で特定の薬が不足したりしたら、かつての仲間に助けを求めれば薬を送ってくれるし、何か重大な疫病えきびょうが流行した時なども、その縁で支援が始まるのだ。
 しかしくだんの男は、そういう通常の修行過程を経ずに医師を名乗った言わば偽医者であり、そうしたネットワークの支援を受けることが出来ない孤立無援こりつむえんな存在だった。
 とはいえ、厳密に言えばこの世界に医業の資格制度はない。医学院を出ないで医師と名乗って治療行為をしても違法ではないし、そのことで処罰を受けることもない。
 ただ、こうしたバックアップ体制もないのでいざという場面で窮地きゅうちに陥りやすい。今回、灼風熱という病が発生していながら周辺地域の支援も得られないまま地域一帯に蔓延まんえんしてしまったのも、この町にいたのが偽医者だったからとも言えるのだ。
 するとその時、ベッドから手が伸びて伊丹の戦闘服の裾を引っ張る。
 レレイである。目を醒ましたレレイが身体を半分起こし、何かを訴えようとしているのだ。見ているとベッドからずり落ちそうになっているので、ヤオは慌てて駆け寄りレレイを支えてやった。

「お、レレイ。意識が戻ったのか?」

 ヤオはレレイを横たわらせると、毛布を掛けてやった。

「それで、どうした? 喉がかわいたのか?」

 ヤオが問いかけるも、レレイは伊丹に言った。

「この病を治癒させるには……ロクデ梨が必要」
「ろくでなし?」

 ヤオの見ている前で、伊丹はまるで悪口を言われたような情けない表情をした。

「主殿、ロクデ梨とは薬草だ。雨の多い空気の湿しめったところに自生する樹木だ」

 ヤオがダークエルフとして植物に詳しいところを見せるとレレイは頷いた。

「そう……ロクデ梨。樹木、果実のなる植物。その葉、果実に薬効あり。私のかかっているこの病気は、突発的な発熱、高熱が出て下がらない、咳などの呼吸器の症状がない、他の部位に炎症が見られない、といった点から懐抱熱かいほうねつという病の型に思われる。ならばロクデ梨が効果を示すはず」

 レレイは、自分が感染したこの疾患しっかんの知識が自分にはあり、それによるとロクデ梨が効果を発揮するはずだと語った。

「ロクデ梨には患者の体内に入った悪疫が力を増すのを防ぐ性質がある」
「分かった。ロクデ梨なら効くんだな?」

 レレイが目を醒ましたことにホッとしているのか、それとも気が回ってないのか、肝心なことを伊丹は聞いてない。そのためヤオが問いかけた。

「レレイ。そのロクデ梨はどこにある? 少なくとも乾燥かんそうしたこのあたりに自生しているとは思えない。やはりアルヌスか?」

 レレイは頭を振り、アルヌスにはないと告げた。そして、それで力尽きてしまったように枕に頭を落とし横を向く。
 これだけのことを伝えるのにも体力を振り絞る必要があったのだ。
 伊丹はそれ以上問うことを諦め、自分の服の裾を掴み続けているレレイの腕を掛け布団の下に戻してやった。

「ロクデ梨か。あるとしたらきっとコダ村だな。レレイはさとい娘だ。もしないのなら、そのことをちゃんと口にしただろう」
「では、御身がコダ村に?」
「そうしたいんだが、コダ村はここから遠い。コダ村に戻るくらいならレレイをアルヌスに連れて帰ってもほとんど同じだ」
「此の身や御身だけで行って帰ってくるのは?」
「俺はレレイの家の何処にロクデ梨があるのか知らない」
「レレイの縁者に行ってもらっては? カトー老師が同居してたのであろう?」
「ああ、その手があったか。カトー老師に頼んで行ってもらって、それをアルヌスからC1輸送機で空輸、投下してもらうのが一番だ。……けど、今のクレティの気象状況だとそれも難しいか」

 空中からの物資投下というのは気象条件に左右される。シロッコの吹き荒れるこのクレティ周辺ではそれは難しい。

「やるとなったら、このシロッコが止んでからになるのか?」
「それだと何時いつになるか分からないぞ。くそっ!」

 ヤオは、レレイに問いかけた。

「レレイ、すまぬが頑張って答えてくれ。ロクデ梨以外その病気に効く薬はないのか?」
「ない。ロクデ梨でないと……いけない」

 レレイは譫言うわごとのように言った。見ると先ほどより顔の赤みが増している。

「まずい……薬の効き目が切れてきたんだ」

 伊丹は、慌てて朝の分の薬をレレイに呑ませた。
 今度はレレイも自ら薬を呑めたので、伊丹が口移しする必要はなかった。伊丹はレレイの口元を拭いてやりながらはげました。

「分かったよレレイ。なんとかロクデ梨ってのを探すからお前も頑張ってくれ」
「……」

 伊丹はヤオの見ている前で約束すると、レレイにはそのまま眠っているよう告げた。


 トレイにレレイの朝食を載せてテュカがやってきたのは、それから十分ほど後のこと。

「交代の時間よ。二人とも食事に行ってきて」

 酒場の二階は連れ込みに使われているため、寝台は一つしかない。それぞれの部屋もそんなに広くない。
 そのため伊丹はすぐ隣の部屋も借りて、ロゥリィとテュカをそこに割り当てていた。

「ぷぷっ……」

 ドアの隙間から突っ込まれたテュカの顔を見たヤオは、腹を抱えて笑った。

「な、何よ?」

 テュカがくぐもった抗議の声を上げる。

「いや、すまない。どうにもその被り物がおかしくてな」

 テュカはゴム製の防毒面(防護マスク四型)を付けていた。もちろんそれを装着させたのは伊丹である。
 灼風熱の『若い女性に感染する』という定義を考えると、この部屋に入る時はそうしたほうが良いと判断したらしい。既に感染してしまっている可能性もあるが、まだ症状が現れていない以上は、これで感染リスクを少しでも減らせるはずなのだ。
 もちろんテュカは、レレイはおろか伊丹よりも年上だ。しかし、若さというのは病気においては肉体的に見るべきことであって、外見的に十六歳のテュカには念を入れなければならないと伊丹は説得したのだ。
 やがて腹を抱えて笑うヤオに、伊丹が冷たい視線を向けてきた。

「ヤオ、笑うなよ。テュカにやっと納得してもらってるんだぞ」
「わ、分かっているとも。分かってるのだがどうもな……」

 いつまでも笑い続けるヤオに対し、伊丹の言葉が次第に冷たくなっていく。

「それ以上笑うなら、ヤオにも防護マスクを着けてもらうことにするが」
「あ、いや。それは勘弁」

 慌ててヤオは、痙攣けいれんする腹筋を懸命けんめいに押さえた。
 ヤオはレレイの看病にあたって防毒面の使用を拒絶していた。その理由が「此の身は三百歳を超えているのだぞ……」という根拠のあやふやなものであった。
 ヤオはヒト種に換算すると三十三歳。この町で暮らしている女性達は、三十代でも発病していたと言うから、リスクの点ではテュカと何ら変わらない。
 だがこんな被り物をさせられたり隣室に隔離されてしまったら、伊丹の役に立てない。そのためあえて危険をおかした。この時ヤオは自分の身の安全なんてことは少しも考えなかったのだ。


 この町の食堂兼居酒屋は朝から営業していない。だが、宿泊者に対しては朝食を出していると言う。レレイの看病をテュカに任せたヤオと伊丹は、部屋を出て階下の店へと向かった。
 薄暗い階段を下りていくとカウンターに店の主人がいて、二人の顔を見るなり不満をぶつけてきた。

「やっと来たか。あったかい飯を食わしてやりたかったのに、すっかり冷めちまったぞ。どうしてエルフの娘っ子と一緒に来ない? おかげで二度手間になっちまったじゃないか」

 答えようとする伊丹をヤオが押さえて前に出た。

「すまない。レレイを一人にしたくなくって。入れ違いになるようにしてたんだ」
「ちっ。そういうことか、ならしようがねぇなあ」

 主人はぶつぶつ言いながらも、スープを温め直すために台所に向かってくれた。

「こういう時は女が答えたほうが角が立たないんだ」

 伊丹を振り返って、役に立つでしょうとアピールするヤオ。伊丹もそんなヤオに苦笑を返した。

「おはよう」

 食堂に一人残っていたロゥリィが、ここにいると知らせるように声をかけてくる。漆黒の亜神は、すでに食事を終えたのか香茶を優雅ゆうがに飲んでいた。

「おはようございます聖下」

 ヤオが挨拶あいさつを返す。

「窓も開けられない暗い店内じゃぁ、おはようという気分にはなれないけどねぇ」
「そうだな……」

 伊丹はロゥリィの真向かいに腰を下ろした。
 ヤオもその流れで伊丹の隣に腰を下ろそうとする。だがロゥリィにギッと睨まれると、自分が無意識にしようとした行為がどれほど無謀むぼうで危険であるかを悟り、ロゥリィの隣に腰を下ろすことにした。
 ロゥリィは伊丹に顔を近づけクンクンと鼻を鳴らすと、自分の隣にやってきたヤオを睨みつけた。

「ヤオぉ? ヨウジィの身体からあんたの臭いがプンプンと香るのはどうしてぇ?」
「えっ?」
「あんた達ぃ、レレイが意識不明なのを良いことにぃ、楽しいことして遊んだんじゃないでしょうねぇ?」
「あ、いや、もちろんそんなことは……た、多分、臭いが移ったのは、一つの寝台を此の身とイタミ殿が交代で用いたからではないかと……」
「本当ぉ?」

 ロゥリィが確認するような目を伊丹に向ける。すると伊丹もうんうんと繰り返し頷いた。

「も、もちろん」

 するとロゥリィもそれで安堵したのか、居住まいを元の優美な姿へと戻した。

「で、今日はどうするのぉ? このままレレイの様子を見続けるのぉ?」
「いや、実はついさっき意識を取り戻したレレイから、この病気にはロクデ梨っていう名の薬草が効くって教えてもらった」
「ロクデ梨ぃ? ふ~ん、ならぁどこかに在庫がないか聞いてみましょう。ねぇ、尋ねたいことがあるんだけどぉ」

 ロゥリィは、カウンターの店主に声をかけて心当たりはないかと尋ねた。

「ロクデ梨でございますか? 申し訳ありませんが、小生しょうせいには見当もつきません……それがどうかなさいましたか?」

 偽医師から黒ゴス神官少女の正体を聞いたのか、店主はロゥリィに対して非常に丁寧な物腰となっていた。なんと、昨日はしてくれなかった食事をテーブルに運ぶことまでしてくれる。

「実は、それが灼風熱とかに効くらしいんだ」

 すると店主は、テーブルに朝食を並べつつ伊丹に返した。

「薬のことはその道の専門家に尋ねてみな。あんなゼニゲバな奴だが、それでも医者を名乗ってこの町で仕事をしてきた。俺らなんかより知識を持っているはずだ」
「それもそうだな。ありがとう」

 ヤオと伊丹は礼を言って朝食を取り始めた。
 だが、その時どやどやと店内に何人もの人間が入って来た。
 振り返ると、昨日いたブルという名の巨漢を含めた町の男達で、その数はヤオの目には少なく見積もっても百人近くに見えた。

「お前達、まだ営業時間じゃねえぞ!」

 店主の言葉を無視して男達は言った。

「いや、ここに泊まっている客に用があって来たんだ」
「客に用だと?」

 振り返る店主。

「おっ、いたぞ」

 その視線の先にヤオ達の姿を認めた男達はわっとむらがってくる。

「あんた、すごくよく効く熱冷ましの薬を持ってるそうだな!」
「頼む、それを売ってくれ!」

 みんな伊丹に解熱剤を求め始めた。どうやら偽医師から聞かされたらしい。

「頼む、女房が!」
「娘が!」
「孫が!」

 驚くべきはその人数だ。患者の家族が全員集まってるわけでもないだろうに、それでもこれだけの人数となると、町全体で百人以上の女性が灼風熱に苦しめられている計算になる。

「メノフェイを救ってやってくれ! 金なら出すから!」
「俺は、金貨一枚出す!」
「儂は金貨一枚に銀貨二枚をつける!」

 誰も彼もが家族のためだからと必死であった。
 ヤオは皆にちょっと待つように告げ、伊丹とロゥリィの二人に顔を寄せた。

「どうする? 手持ちの分はレレイに必要なのだろう?」
「いや、もし日本の薬剤が少しでも役立つなら、アルヌスに連絡して天候回復を待ってC1輸送機で投下してもらうことも出来る」
「だが、熱を下げてもこの病気そのものは治らないのだろ?」
「そうよぉヨウジィ。今はぁ、この病を治すのに効果があるというロクデ梨を手に入れることに専念せんねんするべきよぉ」

 ヤオは男達の群れを見渡し、後方に偽医師の姿を見つけると問いかけた。

「先生! この町には、ロクデ梨はないのか?」
「ロクデ梨だって? なんでそんなものを探す?」
「問答している暇はないのぉ。素直に答えなさぁい」

 ロゥリィが偽医師に迫った。

「いや、私のところにはロクデ梨の在庫はありませんので」

 伊丹は集まった男達に問いかけた。

「誰か、ロクデ梨を持っている者、あるいは知っている者は?」

 だが、みんな頭を振った。ロクデ梨という植物が存在していることすら知らない者も多い。

「どうしてそんなものを?」

 偽医師が前に出てきて問いかける。

「レレイが言っていた。この病気は懐抱熱の亜型だってな。ならロクデ梨が効くそうだ」
「懐抱熱? それは迷信ではないのか?」

 偽医師は少し馬鹿にしたように言った。熱病にかかった小娘の譫言を真に受けていると思ってしまったようだ。
 だがロゥリィが返す。

「レレイはリンドン派の高位魔導師よぉ。しかも導師号の試験を受けようとしているのぉ」

 すると偽医師も目を瞬かせ、納得したように頷いた。

「なるほど、リンドン派の魔導師は戦闘魔法の大家たいかだ。戦場で発生する負傷者や陣中の病に対する知識を持っていてもおかしくはない。……やはり正規の教育機関で、横断的に知識を獲得した人間には、私のような偽医者では勝てないのかも知れないな」
「おい、ロクデ梨ってのがあれば病気が治るということか!?」

 町の男達は揃ってヤオに問いかけた。

「少なくともレレイはそう言っていた」

 ヤオがきっぱり頷くと、町の住民達の視線が偽医師に集中した。

「先生!」

 偽医師は皆の勢いに気圧けおされて後退った。

「しかし、ロクデ梨なんて空気の湿ったところに育つ植物だ。こんな内陸の乾いた土地を探したって見つかるものではないだろう?」

 するとその時、店主が言った。

「ラビリンスならどうだ? あそこならあるんじゃないのか?」
「あそこか……なるほど、確かにラビリンスならあるかも知れない。だが……」
「無理だ。絶対に無理だ!」

 町の男達は灼風熱にロクデ梨が効くと聞いた時、今にも駆け出しそうな勢いを見せていた。しかしその在処ありかがラビリンスと聞くと、狼狽うろた躊躇ためらう姿を見せ始めた。

「ラビリンスとは?」

 そんな男達の態度が気になって、ヤオは傍らの巨漢に尋ねてみた。昨日、伊丹のことが気に入らないと言って突っかかった男で、名前を確かブルとかいった。

「実は、このクレティ地方は帝国に併合へいごうされる前、アルンヌという王国の一部だった。で、その王国の薬種園やくしゅえんがこの近くにあるんだ」
「ほう、薬種園か」

 薬種園とは要するに薬草を栽培さいばいする農場である。
「そこならロクデ梨というのを分けてもらえるのか?」と伊丹。

「いや、薬種園はもうない。王国が滅んだ時に、薬種園も閉鎖へいさされた。今は遺跡いせきがあるだけだ」
「じゃあ駄目じゃんか」
「話は最後まで聞けって。遺跡といっても別に焼き払われたわけでも、薬草が根こそぎり取られたわけでもない。実際、草ぼうぼうで手入れされることなく荒れ果てているだけなんだ。ロクデ梨ってのが植物なら、そこに自生している可能性があるだろ?」
「なら、なぜこの者達はこんなに狼狽える?」

 妻や娘を救えるかも知れないとなれば、それに希望を託して皆で行こうという発言があっても良いはずだ。なのに町の男達はどうしてこんな及び腰になるのか。それがヤオには分からない。

「狼狽えるというよりはおびえている感じよねぇ。もしかして薬種園に何かあるのぉ?」

 ブルが答えた。

「薬というのは今も昔も貴重品だろ? するとそれを盗もうとする輩が出てくる。その薬種園もご多分に漏れず盗人ぬすびとが何人もやってきたらしい。薬を欲しがるような連中だから、その中には同情すべき境遇の人間もいたんだろうが、それ以上に金儲け目的って輩が多くて、薬種園の管理者はそれに怒って周囲をラビリンスで取り囲んでしまったんだ。そして番犬代わりになる怪異を、迷宮の各所に放った」
「怪異?」
「そう。ミノタウロスとか、コカトリスがみ着いてるって話だ」

 迷路構造でただでさえ迷いやすくなっているのに、凶暴なミノタウロスやコカトリス等々の様々な化け物が巣食っている。おかげで地元の住民でも遺跡の入り口からわずかな範囲までしか立ち入ることが出来なくなってしまったのである。

「それを越えて奥まで入り込んで、戻ってこられた者は存在しない」

 ヤオは頷いた。

「なるほど。だからラビリンス……迷宮と呼ばれているわけか」
「そういうわけさ。ダークエルフのねえさん」

 妻や娘のためなら多額の金を払うのも惜しくないと言う男達が、尻込しりごみしてしまうのもそのせいらしい。厄介なのはこの灼風熱が必ず死ぬ病ではないこと。もしそうならみんな後先考えずに飛び出して行くだろう。
 だが助かる可能性もある。仮にも自分が薬を取りに行って死んでしまったら、運が良ければ助かった妻や娘も、結局面倒を見る者がいなくて命を落としてしまうかも知れない。そう考えると、男達が尻込みするのも仕方がないのだ。

「主殿。どうする?」

 ヤオは伊丹に問いかけた。
 ラビリンスとやらに行けばロクデ梨が手に入るかも知れない。そうすればレレイをアルヌスに連れて帰らずに済む。
 しかし、ミノタウロスやコカトリスと戦う必要はあるだろう。もちろん命を落とす可能性も充分にある。自分の命を危険にさらしてでも、レレイを救うかという状況である。
 だが伊丹は言った。

「もちろん行くさ。炎龍に比べたら大したことはないだろうしな」

 そんな伊丹の反応を見てロゥリィは満足そうに頷く。
 どうやら彼女は問わずとも、伊丹がどのように行動するか分かっていたようだ。
 ヤオも心のどこかで伊丹がそのように答えてくることを予想していた。期待通りと言っても良い。だが同時にヤオは、胸にチクッとトゲが刺さったような痛みを感じた。

「まさか……あんたら、行くのか?」

 ブルが伊丹に尋ねる。

「ああ、そこにロクデ梨があるかも知れないならな。俺はロクデ梨ってのがどんな形をしているか分からない。ヤオ、頼めるか?」
「あ、ああ。植物の鑑別かんべつなら任せて欲しい」

 ヤオは、立ち上がると頷いた。
 伊丹は無言でロゥリィを見る。するとロゥリィは目を瞬かせて立ち上がり、ハルバートを引き寄せながら満面の笑みを浮かべた。

「ちゃんと学習したみたいねぇ」

 どうやら伊丹とロゥリィとは無言で会話できるらしい。それを見たヤオは更に胸の痛みが強くなるのを感じた。
 偽医者が言う。

「聖下もご一緒においでになると?」
「そうよぉ」
「おお、聖下が一緒ならば心強い。もしよろしければ、町の皆のためにもロクデ梨を採ってきて頂けないでしょうか?」

 町の男達からの期待の視線が伊丹に集まる。だが伊丹は皆に対して「それはかまわない。けど問題がある」と返した。

「問題とは?」
「その薬種園って、正式な持ち主っているの? そこにある木の実とか勝手に採っちゃまずいんじゃない?」

 伊丹は続ける。

「ゲームなどに良く出てくる各種モンスターのいる迷宮だと誰も気にしないけどさ、現実にそのようなものが存在するとなると、さすがに勝手に挑むわけにはいかないでしょ? だって他人様が所有する建造物に立ち入って、中に保管されている物品、貴重品の類いを奪ってくるのは泥棒だもの」

 伊丹に言われて男達も互いに顔を見合わせた。

「正統な所有者なんていないんじゃないのか?」
「滅んだ王国の所有だったからなあ」
「ラビリンスはファルムの森にあるんだから、このクレティの入会いりあいって理解で良いはずだが?」

 入会地とは、村や部落など共同体が所有する土地のことだ。たきぎや落ち葉などを拾ったり利用したりする権利は地域の住民が持っている。

「なら、ロクデ梨も、町の人のものだから採集しても良いって理解で良いの?」

 伊丹が問うと、酒場の主と町の男達が一斉に頷いた。

「まあ、そういう理屈になるな」
「なら、誰か一緒に来て欲しい」

 そのダンジョンが町の入会地であるというのなら、町の人間でなければ植物や様々なものを採集できない。一人でも良いから町の誰かについて来てもらう必要がある。
 だが同行者をつのる伊丹の言葉に、町の男達は全く応じなかった。

「いや、無理」
「だめだ。行けない」

 ざわついて互いの顔を見合わせるだけであった。

「どうして? 怪異は俺達が引き受けるって言ってるんだよ」

 様々な問題はクリアされたはずなのに、それでもみんな尻込みする。ロゥリィの皆を見る目はだんだん厳しくなっていった。

「何か、他にもあるのかしらぁ?」

 すると偽医者が皆をかばうように言った。

「聖下。実は、まだお話ししてない問題があるのです」
「そのようねぇ」

 店の主人が続けた。

「非常に、極めて重要な問題です」
「それはぁ?」

 ブルが、項垂うなだれた姿で声を絞り出すように言った。

「実は、灼風熱で死んだ女は生ける屍になってしまうんだ」
「生ける屍!?」

 ロゥリィが驚く。

「そうなんだ」
「生ける屍って何だ?」

 ヤオが問いかけると偽医者が語り始めた。

「人間には魂魄こんぱくがありますな。死んだ時その魂はハーディの下にされ、はくは地へとかえるのが普通です。しかし灼風熱で死ぬと、何故か魄が肉体を離れずに留まってしまいます」

 伊丹は、そういった存在がホラーファンタジーに登場することを思い出した。

「もしかして、生きている人間の血を吸ったり肉を食らおうとしたりして襲ってくる?」
「まさしく」
「つまりはゾンビってことか?」

「ぞんび?」とロゥリィ。

「俺のところでは、そういう存在をそんな風に呼んでるんだ。……話の腰を折ってすまない、続けてくれ」

 偽医者は説明を続けた。

「要するにそのラビリンスには、この町の女達の屍がうようよしているわけです。こんな狭い町ですから、その娘達は大抵が知り合いか友人か、家族でした」

 するとロゥリィが納得したように頷いた。

「そんな死体を剣で切り刻むなんて、心情的に出来るはずがないわけねぇ」
「そうなんだ。俺もあいつの遺骸いがいと出くわしたらって考えると……無理だ。絶対無理だ。だからラビリンスには行けねえ。すまんっ!」

 ブルは、ぷるぷると身体を震わせながら巨体を折り曲げた。
 伊丹にもその心情は大いに理解できる。

「でもぉ、どうして遺体がラビリンスなんて場所にあるのぉ?」

 ロゥリィの問いかけに町の男達は顔を伏せた。

「これまでに何人もの女達が灼風熱で死んだ。最初は何も知らずに普通に埋葬まいそうしていたんだが、その遺体がはかから這い出てきて人を襲うようになって、墓地なんかに埋葬できなくなって……」
「ラビリンスなら這い出て来ても、外に出てくることは難しいだろうって。それで灼風熱で死んだ女は、土中に埋葬せずラビリンスに置いてくるようになったんです」

 それを聞いてヤオはどうして火葬かそうしないのかと思ったりした。
 だが、埋葬はその土地の人間の死生観や宗教にかかわる重要な問題ということを思い出す。効率とか合理的かという側面では解決できないのだ。

「つまり、そのラビリンスの深奥部にはミノタウロスが待っている。その手前にもコカトリスをはじめとする様々な番人が守っている。さらに御身らの女房や娘の成れの果てがぞんびとして、迷宮を彷徨い歩いている。そういう理解で良いのだな?」

 男達は一斉にヤオに頷いた。
 ロゥリィが伊丹に囁く。

「わたしぃ達だけで行きましょう」
「ああ、俺もそうしたい。けどなあ……」

 するとその時、偽医者が手を挙げた。

「分かった。入会権のことについては儂が領主様に届けておく。後々問題が起きたら全責任は儂が負うことにする」
「領主って、確か行方不明なんじゃ……」

 誰かが呟くが、たちまち周囲の男達が頭を叩いてだまらせる。

「おほん……この件では、君達は儂から依頼を受けてダンジョンに入ったということにする。皆もそう理解するように」

 偽医者は繰り返し述べて、この問題は自分が責任を負うことを皆に宣言したのである。


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