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外伝4白銀の晶姫編
外伝4白銀の晶姫編-3
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ヴェスパーの言葉を聞いて、レディは深々とため息をつくと空を仰いだ。
なんということだろう。父が死んでわずか数日で、これまで彼女が見ていたものの姿がことごとく変わってしまった。
父と思っていた存在が養い親。優しい伯父だと思っていた存在が、自分を疎ましく思う敵。
そして忠実だと思っていた使用人、メイド達も、レディが家屋敷を失った途端に、焼け残った一切合切を握りしめて立ち去っていくほどの薄情者だった。
この調子なら、不動の大地が揺れ動いて、天が降ってきてもおかしくない。
「そういえば地揺れはありましたものね」
後は天が落ちてくるのを待つのみだ。そう思って見上げる空からは雨が降り注ぎ、レディの顔を洗い流していく。あふれかえる涙で熱くなった瞼も、雨で洗われ冷やされていった。
「天って、どんな風に落ちるのかしら」
ヴェスパーとブザムは互いに顔を見合わせ、肩を竦め合った。
「レディ様」
そんな時である。レディの名を呼ぶ女声が聞こえた。
「レディ様。お屋敷のこの有様は一体? 何があったのですか!?」
誰かと思って振り返れば、アン・ルナ・リーガーだった。リーガー男爵家の令嬢にして、レディにとっての腹心の友だ。
「あらアン。見ての通りよ。わたくしは全てを失ってしまったわ」
「レディ様、お可哀想に」
「アン、貴女こそ今までどこに行っていたの?」
レディは、父の葬儀にも姿を現すことのなかった友に苦情を告げようとした。自分を支えていて欲しかった時にいてくれなかったのはどうしてか、と詰りたかったのだ。
「いえ、その……」
するとアンは言い訳するでもなく口籠もった。
この娘は、今の自分に伝えるのが躊躇されるような報せを持ってきた――レディはそう直感した。
時間が掛かったのは、事実を確かめるのに手間取ったからに違いない。
「何かあったのね? そうでなければ貴女がわたくしから離れるはずないもの。それだけわたくしにとって大切なこと。そうよね?」
「レディ様……どうぞお許し下さい」
アンはひれ伏すように、詰問を容赦して欲しいと言った。ぬかるんだ大地に髪が落ち、たちまち泥だらけとなるが、そんなことは全く気にしていなかった。
だが既に似たような姿になっていたレディは、アンに鋭く迫った。
「ダメです。理由を告げなさい。一体何があったの?」
もう逃れられない。そう覚悟したのか、アンはレディから顔を背け、絞り出すように答えた。
「レディ様。お心をしっかりと持ってお聞き下さい。北方のヤルン・ヴィエットからの報せで……」
「なあに?」
レディ・フレ・ランドールの時は、相対的に見ればこれまで穏やかに流れてきた。紆余曲折はあったにせよ、波瀾万丈とはほど遠い人生だった。
「エファン伯爵公子ディタ様が……戦死」
「ひっ!」
だが、彼女の時の流れは、アンのもたらした悲報を耳にした瞬間、完全に静止した。
父を失って、家屋敷と従僕達を失って、さらにとどめとばかりに告げられた愛する男性の訃報。
レディの心は粉微塵に粉砕されてしまった。
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
張り裂けるような悲鳴がランドール公爵家の屋敷跡に響く。
「レディ様? レディ様、いかがなされました! お、御髪が真っ白に!?」
「まずい、痙攣を起こしている。薬師を呼べ!」
「は、はいっ!」
ヴェスパーとブザムの慌てふためく声や、アンと彼女の馬車の御者とのやり取りが、遙か彼方、異境の地の出来事のように、レディの意識から遠ざかっていく。
レディを囲む世界は、この瞬間から生き生きとした色合いを失って灰白色に塗りつぶされた。
世界との繋がりがメリメリと音を立てて引き剥がされ、落ちるはずもない天が轟音を響かせて落下してくるのを、レディは身体を震わせながらまざまざと感じたのだった。
04
「いやあああああああああああああああ、ディ様!」
レディが叫びながら目を覚ました時、視界に広がっていたのは心配そうなアンの顔だった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
夢を見ていたのだと悟って安堵のため息をつくレディ。
「ああ! レディ様、お気付きになられたのですね?」
レディの腹心の友は、レディが瞼を開いたと見るや、いきなり抱きついて歓喜の声を上げた。
何を大げさな……レディはそう思ったが、大事にされているのだから悪い気はしない。ただ、しがみつかれているのは苦しいので「もう大丈夫よ」と返した。
「お前達、すぐにお医者様を呼ぶのです」
アンは、レディを解放すると背後に並ぶメイド達に告げた。
「はい」
メイド達が慌てふためいた様子で部屋を出て行く。
見慣れない調度品に囲まれているこの部屋は何処なのか? 二人っきりになったのを良いことにレディはその疑問の答えをアンに求めた。
「ここは、我がリーガー家です」
「何故、わたくしがあなたの屋敷に?」
霞が掛かったようだったレディの記憶が、問いかけた直後からうっすらと蘇ってきた。
そうだった。父が亡くなり、暴漢に屋敷を焼かれ、従僕達に逃げられてレディは住む場所を失った。
それに加えてアンからもたらされたエファン伯爵公子の訃報。立て続けに起きた悲しみを受け止め切れなかったレディはそこで気を失ったのだ。
答えにくそうにしているアンにレディは告げた。
「言わなくて良いわ。思い出しました」
状況がだんだんと見えて来た。
「ヘンリーとピノを弔わないと」
ヘンリーはランドール公爵家の執事、ピノはメイド長だ。どちらもレディのために最後の最後まで忠節を尽くしてくれた者達。その二人をあんな場所に野ざらしにしておくわけにはいかない。
主君としての責任感を奮い起こしたレディは、寝台から起き上がろうとした。
だがアンは、今はまだ横になっていて下さいとレディを押し止めた。
「なぜ? あの二人をあのままにしておくなんて嫌よ」
「大丈夫です。父に後のことはお任せ下さい」
「リーガー男爵が?」
「はい。既に神官を招いて葬儀も済ませました」
「もう、終わってしまった?」
「はい。神官のお言葉だと、ランドール家の執事ヘンリーとメイド長ピノは神の下に召されたと」
レディはホッとしたように頷くと、寝台に身体を横たえた。
「でも、昨日の今日で葬儀も済んだなんて随分と早いのね」
「昨日の今日なんて……もう十日も経っているんですよ」
「十日?」
アンの言葉がレディの頭に染みこむまでにしばらくの時が必要だった。
「十日も!? そんなに長い間、わたくしは気を失っていたの?」
「はい。お倒れになったレディ様は、高熱を発せられました。一時は、命すら危なかったほどなのですよ」
レディはアンの説得に応じて身体から力を抜くと再度、頭を枕に委ねた。
十日とは長すぎる気もする。だが、然もありなんとも思う。人間の生命力というのは心と密接に繋がっていて、時に絶望が人間を死に追いやることもあると聞く。エファン伯爵公子の死が、レディにとってそれだけ大きなことだったのは確かなのだ。
「レディ様。申し訳ありませんでした。わたくしが無思慮なばかりにこんなことになって……」
「ディ様の訃報のことね? ううん、貴女はわたくしに真実を伝えようとしてくれただけ。どうしてそのことを恨むことができますか?」
「でも、全てを失って胸を痛めていらしたレディ様には衝撃が強すぎてしまいました」
「いいの、わたくしはもう全てを受け容れます。ただ、ディにはもう会えないと思うと……」
「お悔やみ申し上げます。レディ様」
「ありがとうアン。でも、わたくしは公的にそれを言われる立場にはなれませんでした。わたくしに残ったのは、ディから頂いた指輪と手紙だけ」
レディが右手の中指に嵌めた黄金の指輪を見せると、アンは痛ましそうに頭を振った。
「そうでした。手紙は焼けてしまったんだわ。こんなことなら秘密になんてしなければよかった」
「いいえレディ様。あれはあれで必要な処置でした」
皇帝の姪たるレディとの交際の噂は、貴族達の間でも単なる覗き趣味的な話では終わらない。
皇族の係累に連なるという点から、政治的な意味合いが強くなって余計な雑音が入りやすくなるからだ。
そのためレディは、エファンとの交際を秘密にした。エファン伯爵公子の両親ですら、息子と皇姪との交際に気付かなかったほどで、彼らは自分達の息子に恋人が居るとも知らず、別の縁談を進めようとしてしまったぐらいだ。
そして、それは奇しくもエファンがゾルザル派に与し、叛逆者として追われる立場になった時に役立った。レディが叛徒の関係者とみなされることを防いだのだ。
それでも万が一のことはある。二人の逢瀬が家僕や端女の目に触れないという保証はない。力を持つ者は敵も多く、レディを恨む者は些細な綻びを鵜の目鷹の目で探している。
そのためアンは一計を案じた。レディが、一方的にエファンに好意を抱いていたという評判を流したのだ。
そうすれば、万が一レディがエファン伯爵公子の部屋に忍び入ったのを見たという者が現れても、思い込み女の痛い行動と見なされて、叛徒の共犯者とされる心配はなくなる。
少しばかり不名誉な評価を受けることになるが、政治的にはかえって安全だ。しかもエファンに対する好意を隠さずに済むようにもなるわけで、レディも苦渋の選択ながらそちらの方が価値があると判断したのだ。
レディは、エファン伯爵公子からもらった指輪を弄びながら、アンに言った。
「部屋が薄暗いわ。明かりを下さる?」
「はい」
アンはレディの肩に部屋着を一枚掛けると、窓を閉ざしていた鎧戸を押し開けた。
すると北からの冷気を含んだ空気と共に、太陽の日差しが室内に差し込んできた。
「これは?」
流れてきた風に煽られて、胸や腕にまとわりつく自分の髪が目に入る。
「なにこれ?」
そしてその髪を一房握りしめ、真っ白になってしまったそれに見入った。アンが目を逸らしながら説明する。
「お医者様によると、強いショックを受けるとこうなってしまうことがあるとか……」
「まるでおばあちゃんになってしまったみたいね」
「いいえ、そのようなことは決して。レディ様の髪は雪のようでお綺麗です」
「鏡を見せてくれる?」
アンから鏡を受け取ったレディは、自分の姿を注視した。頭髪どころか眉、睫毛も真っ白で、まるで別人のようだった。
「もう、幸せな時のレディ・フレ・ランドールはいないのね?」
そんなレディにアンは抱きついた。
「そんなことはありません! レディ様はレディ様です! お変わりないわたくしの大好きなレディ様です! 髪の色だってもしかしたら、しばらくすると戻ってくるかも知れません」
「いいのよアン。わたくしはもう全てを受け容れていますから」
「そんな!」
レディは目を細めて、窓から見える景色の眩しさに目が慣れるのを待ちながら言った。
「現実はいつだって残酷だわ。でも同時に嬉しくもある。だって貴女のような心から信じられる友達がいるって分かったんだもの」
「レディ様」
アンはレディを抱きしめる腕にいっそう力を込めた。
「ずうっと貴女のお屋敷でわたくしを見てくれていたの? その十日間も……」
「はい。医師から動かさないようにと言われておりましたので……」
「ご迷惑だったでしょ?」
「レディ様、無用なお気遣いですわ。これからは当家をご自宅だと思って下さい。何も心配なさらず、不安でしょうが心を強くお持ち下さい。きっと良いようになって行きますから」
アンの慰めの言葉を聞いた時、レディは自らの身に起きた変調に気付いた。
「レディ様? どうかなされたのですか?」
「ううん。何も心配しなくて良いわ」
本当ならこれからどうなってしまうのだろうと不安であるべきはずなのに、少しも動揺していない自分がいたのだ。青虫が蛹となり蝶と化すように、レディは変化を遂げていた。それは外見的に髪から色素が抜け落ちてしまっただけではなかった。
「アン、お願いがあるの。使いを出してヴェスパーとブザムを呼んで下さらない? それと貴女のお父様にもお目にかかりたいわ」
羽化したばかりの蝶が誰に教わることもなく飛び方を知るように、レディは我が身に起きた変化が何を目的としたものかを本能的に理解していた。これからのことについて、すでに重要な決断を下していたのだ。
それ故、この先どうなるのかという受動的態度から来る怖れや不安を全く抱かなかった。
帝国の貴族社会では、リーガー男爵家の位はさして高いものではない。
だがこの家は帝国の貴族社会では非常に有名だった。それは帝室との縁の深さにある。代々の当主の多くが、歴代の皇帝かあるいはその一族の学友という立場にあったのだ。
当代のリーガー男爵家当主、ラフロイグもまた皇弟ブレンデッドの学友であった。そしてリーガー家の伝統に則って学友から友人に、さらには親友を名乗るまでになり、娘レディの後見人を任されたのである。
つまり、リーガー男爵もレディの出自のことは知っていたのだ。
客間に呼び出されたリーガー男爵は、そのことを娘のアンから詰られることとなった。
「お父様、どうしてですか!?」
「軽々に口にできることではないからな」
レディがカティの血を引くという情報は、扱いを間違えれば命にも関わる。実際、ランドール公爵家は焼き討ちに遭った。
こうした事態の勃発を恐れるが故に、ブレンデッドとリーガー男爵は二人だけで顔を合わせた時でも、そのことを決して口にしないよう守秘を徹底していたのである。
しかしながらレディを欺していたという事実には変わりがない。だからリーガー男爵はまずはそれについて謝罪した。
「レディ……いや、レディ・フレ・カエサル様。どうぞお許し下さい」
リーガー男爵は、髪が真っ白になってしまったレディに向けて深々と頭を垂れた。
寝台のレディは、妖艶な微笑みで返した。
「どうぞこれまで通りレディとお呼び下さい。わたくしは父を失いました。ここにきて親しい後見人までも失ってしまったら、一体誰を頼りに生きていったら良いというのですか?」
「そうですね。そうだ……では遠慮なくレディと呼ばせてもらうよ」
レディは目元を手巾で軽く拭きながら「はい」と微笑みの表情をつくった。
「教えて下さい男爵様。父はどうしてわたくしを引き取って下さったのですか?」
リーガーは棚の上の酒壺に手を伸ばすと杯に注いだ。そして寝台脇の椅子に腰掛け、それを一気に飲み干す。緊張から喉が渇いていたのだ。やがて酒精の混じったため息を深々とつき、二人の娘に対して昔語りを始めた。
「あの頃のことはよく覚えている。モルト陛下は、カティ殿下に何かと辛く当たっていた」
「周囲の者は、それを黙って見過ごしたのですか?」
「カティ殿下にも咎められるべきところが多かったからな。地位を鼻に掛け、他の者を見下す言動が目立っていた。モルト陛下が咎められるべき点は、そんなカティ殿下に、立派な統治者となっていただくためと称して、全てに完璧を求め過ぎたことだ。快活だったカティ殿下もやがてふさぎ込むようになって、次第に追い詰められて……」
「それで亡くなってしまったのね?」
リーガー男爵が口を濁した結末を、レディが継いだ。だがリーガーは頭を横に振る。
「い、いや。女性に逃避するようになった」
「そ、そうよね。でなければわたくしが生まれてくるはずがないし」
「その通り。ところがモルト陛下は、カティ殿下に品行方正であることまで求め始めた。そして女性と会うことを禁じたのです。まぁ学問を放り出して遊び呆けられたら、どんな親だって同じようなことをするでしょうけれど」
「それでは、わたくしが生まれようがないではないですか? 一体どうやって父と母は出会ったのですか?」
「ブレンデッド様が引き合わせたからです。カティ殿下とともに身分を隠して街の盛り場で遊んだり、そこで出会った下町の娘と隠れて会ったり……。クーと知り合ったのもその時です」
「クーというのが母なのですか? ではコロナというのは」
レディは父から聞いていた母の名とは違うと言った。
「貴女はコロナの娘……表向きそうしなければ、貴女のことを庇うことはできませんでしたから。コロナ嬢はブレンデッド様の恋人でクーの友人です。ちなみに私の側女だったメリザも、クーの友人でした。我々の付き合いは、女性を中心にすると分かりやすくなります」
男爵は戸棚の上に置かれた姿絵の入った額縁を手に取ると、レディに渡した。
「これは?」
「真ん中にいるのがクー……貴女の実の母親です。右がコロナ。左が私の側女だったメリザです」
「こ、この人がお母様? そんな……」
レディは絵の真ん中にいる人物を掌で撫でた。その女性の髪は今のレディのごとく真っ白で、瞳が翠色である。一目でルルド族の出身だと分かった。
「三人とも身分や種族の違いなんて気にしないし、地位や権力にこびることもない気立ての良い街娘でした。メリザなんか働き者で、側女の屋敷暮らしは窮屈だとか言って、飛び出して行ってしまったぐらいですからね。今頃何をしてるんだか……」
「母は?」
「クーは月夜のような方でした。いわゆる癒やし系で、勉学と政務見習いで憂さの溜まっていたカティ殿下は一気に傾倒していきました。今の貴女は、母上と面差しがとてもよく似ていますよ」
リーガー男爵は、色が抜け落ちたことで、逆に美しい白銀に輝いているレディの髪に手を伸ばした。
「この髪の色が……そうですか」
レディは納得したように頷く。そんなレディの隙を突くように男爵は言った。
「カティが死んだのは……突然でした。ある日、カティが政務に出てこない。おおかたいつものようにサボっているのだろうと部屋に行ってみたところ、彼が冷たくなっていた」
「死因は?」
「公的には病死とされています。ブレンデッドは何か調べていたようですが、モルト皇帝が殺したと仄めかした以外、彼は一切口を噤んだ。万が一の時、事実を知らないでいることが私の身を守ることになると考えたのでしょう。そして秘密をどこかに隠したまま逝ってしまったのです」
「その後の母は……クーは!?」
「ブレンデッドが帝都から逃がしました。貴女を産み落とした後に、身一つで。そのままにしておいては危険と思われたからです」
「母は、すんなりわたくしを手放したのですか?」
「いいえ。貴女を連れて逃げると言って大騒ぎしました。ですが、乳飲み子を抱えたルルドの娘が一人で生きていくなど不可能です。私達は大反対しました」
「でもお父様ならば、なんとかして……」
「無理でした。モルト皇帝の監視下では、貴女をコロナの産んだ娘と称して引き取ることしかできませんでした。クーも貴女の命を守るためならと、泣く泣くブレンデッドの説得に応じて落ち延びていきました。彼女にはそれしか道がなかったのです」
「そう……だったの。ありがとう男爵様、よくぞ話して下さいました」
「これで一つ、荷を下ろせた気分です。しかし問題はこの後ですよ、レディ。どうされますか?」
リーガーはレディに慈愛の目を向けたが、すぐに表情を改めて真剣な面持ちとなった。
「この後?」
「何も知らないフリをして皇帝に従い、どこか外国に王妃として嫁ぐのも一つの生き方です。貴女がそれを望まれるのでしたら私は全力でお手伝いしましょう。もちろん貴女が別の道を選ばれても、全力でお手伝いをすることに変わりはありませんがね」
レディは表情を綻ばせた。
リーガー男爵は、ヴェスパー達と違って自分に考えを押しつけようとしない。レディが悩み、考えて、自分で決めることを尊重してくれているのだ。
だが同時にそれは不要な配慮でもあった。
「ありがとう男爵。けれどわたくし、レディ・フレ・カエサルは平穏を望みません」
リーガー男爵は息を呑んだ。その名乗りは、帝位を奪い取ると宣言したも同然だったからだ。
「険しい道のりですぞ。敵は強大です。失敗したら命に関わることだって起こりえます」
「そうですね。でも、カティの血を引くわたくしに他の生き方はもはやありません」
「何か方法をお考えですか?」
「亡き父が人材を残してくれました。父が見立てて下さったのですから、それだけの能力があると考えて良いはず……そうですわよね?」
レディが室外に向かって呼びかける。
すると待ち構えていたかのように、ヴェスパー・キナ・リレ男爵と、ブザム・フレ・カレッサー勲爵士が扉を開いてレディの寝室へと入ってきた。
二人は、レディの前に片膝を突いて傅くと忠誠を誓った。
「帝国が、貴女という正統なる皇帝を戴けるよう努力いたします」
「期待していますよ、ヴェスパー」
「僕は、貴女の手足となって働きますよ」
「ブザム、すり減るまでこき使って差し上げます。その対価として貴方に栄達をもたらすことを約束しましょう」
するとリーガーとアンもそれに倣い、片膝を突いて礼をした。
「我がリーガー家親子も、未来の皇帝陛下の御為に……」
レディは皆を順番に見てから問いかけた。
「ヴェスパー。皇位を取り戻すには何から始めたら良いのかしら。やはり名乗りを上げること?」
「いえ、それは下策です。堂々と名乗りを上げて帝都民の支持を取り付ければ、確かに皇帝を窮地に追いやることはできます。しかし混乱は元老院が最も嫌う状況。元老院に反感を抱かれては決め手を欠くことになります」
「ではどうしたら?」
「皇帝に気付かれないうちに元老院議員の支持基盤を固めます。名乗りを上げるのはそうした下準備を済ませた後の、最後の一押しに。それまでは……貴女が復讐に猛っていることにしましょう」
「復讐……ですか?」
「はい。貴女が帝位を望んだのは、そんなことも目的におありなのでしょう?」
ヴェスパーに本音を見透かされたレディは視線を逸らした。
「ならば、お心のままになさい。皇帝は貴女のその姿を見てきっと油断します。貴女の行動が自分の利益になると思えば傍観するかも知れません。その間に、私が元老院で工作いたします」
「ディ様の復讐をして良いのですか?」
「ただし皇位を取り戻すことが目的であることをお忘れなく」
ヴェスパーは、恭しくレディに向かって頭を垂れる。
するとレディは勇気づけられたように胸を張り、こう宣言した。
「では、復讐を始めましょう。ディ様の死に責任のある者を討つのです」
* *
レレイ・ラ・レレーナのこれまでを言葉で喩えるなら、やはり『波瀾万丈』だろうか。
その一時一部分に穏やかな時はあっても、大局的にみれば千変万化する人生を送ってきた。
豊富な知識。
粘り強い探究心。
優れた洞察力。
魔法の才能。
そして美しい容姿。
アルヌス協同生活組合の幹部。
リンドン派魔導師にして最年少導師号保持者。
レレイを形容する言葉、レレイに付属する肩書きは輝かしいものばかりだが、生まれながらに彼女に備わっていたものはそれほど多くはない。そのほとんどは、多大な努力に、少しの幸運の助けを得て手に入れてきたものなのだ。
そしてそのようにして得た評価が、時として彼女の人生を激動に彩る原因ともなった。
幼少期からなまじ知恵が回るからと、自立を求められ、甘えを口にすることが許されず、大人として扱われてきた。
理不尽な境遇に対して湧き上がる感情を強固な理性で抑え込んでいるうちに、耐えることが当たり前となり、そのまま子供時代が過ぎてしまったのである。
人間はそんな育ち方をしたらまともな人生は送り難くなる。心に湧き上がる欲望や感情の扱いに不慣れなままでは、人生という大航海に乗り出した舟をどの方角に向けるべきか分からなくなるからだ。
人間は、適度に喜怒哀楽驚恐、全ての感情と付き合って馴染んでおく必要があるのだ。
幼い彼女を弟子として迎え入れたカトー・エル・アルテスタンは、故に彼女の教育に様々な工夫を凝らした。
とにかく引っかき回した。冗談やおふざけを連発して、ぴくりとも動かないレレイの表情筋を引きつらせ、腹筋の用途に感情の表現という一項目を付け加えさせようと努力した。
人生には余裕と潤いが必要であるということを、彼は教えたかったのかも知れない。
だがレレイの反応は、カトーが期待したものとはいささか異なるものとなった。
レレイが師匠に返したのは冷たい視線と無表情。レレイの態度からますます欲求や情熱といったものが欠けていくのを、カトーは悲しい気持ちで見ているしかなかったのだ。
「先生、質問です!」
レレイが弟子達と一緒に行動していると、彼らはレレイを片時も退屈させないことが義務であると思っているかのごとく、手を挙げて質問をしてくる。
レレイは、そんな弟子達の態度の裏に、二種類の動機があることを見抜いていた。
一つは純粋な探究心。もう一つが、自分が優れた学徒であることのアピール。
この二つを見抜くのは案外に簡単だ。
限りある時間の中で師に問いかける機会は希少なのに、後者が動機である者は、本を開けば分かるようなことばかり尋ねるからだ。
「レレイ先生。『門』というのは何ですか?」
後者の代表格とも言えるのが、スマンソン・ホ・イールだ。
レレイは、きらきらとした熱い眼差しを向けてくるスマンソン・ホ・イールに語りかけた。
「『門』は大別して二種類ある。二つの世界線が接触した際に発生する相互に行き来可能な空間隙。こちらは世界線が離れれば自然と消失する。そしてもう一つは、二つの世界を繋ぐ架け橋のようなもの」
「世界線っていうのは何なんですか?」
「箒の姿を想像して欲しい。柄から伸びるブラシの繊維の一本一本が世界線……その一本に私達の住むこの世界があって、その周りには多くの別の世界が存在する」
「箒ですか。そんだけたくさんの世界があったら、目的の世界を見つけ出すのは大変ですよね?」
「大変。だからニホンのある世界を見つけるためには、目印を利用する必要がある」
「目印には何を使うのですか?」
「情報を使うのが適切」
「情報って言うと、図形、文字、音声などのことですか?」
「そう。まったく同一の情報が存在する世界を探せばよい。今回は『長年一つの個体として存在していた物素に宿る情報振動の周波は、二つに分離しても外的な干渉を受けない限り同調が続く』という性質を用いる予定」
「ハマン効果ですね?」
「そう。長年単一個体だった金剛石の断片が、向こうとこちらの世界にある」
「情報振動の受信はどうやって?」
「『門柱』にその機能を具備させる」
「しかしハマン効果を得るほどの金剛石ともなると、最低でも握り拳ほどの質量がなければならないと思いますけど、そんなものが手に入ったのですか?」
「たまたまあった」
「ぜひ見てみたいです」
「分かった。後で所有者に頼む」
スマンソンにだけ質問させてなるものかと、別の学徒が手を挙げた。
「空間隙たる『門』を、保持固定する『門柱』はどうやって造るのですか? その理論は?」
「キノ、それは本に書いてある。調べなさい」
「老師が作ろうとしている『門』は、先ほど述べられた二つの内の後者ですね?」
フォルテ・ラ・メルルの問いにレレイは「そう」と頷いた。
「何故、『門』を造るのですか? いえ、この質問は愚問ですね。何故ハーディは老師にその力を貸し与えて下さったのでしょう?」
「そりゃレレイ先生が凄いからに決まってるじゃないか」
スマンソンが誇らしげに言う。
だがレレイは、論理的とは言えないその言葉は無視してフォルテとの話を続けた。
「神の御心の推測は神学者の領分。学徒の関わるべきところではない」
「でも、老師は神をその身に降ろしたことがあります。ジゼル猊下とも近しいし。だから何か感じてらっしゃるのでは?」
「わたしはこの世界の成り立ちにその秘密があると考えている」
「世界の成り立ちですか、かなり危ない領域ですよね」
「綱渡りに等しい」
「ですよね~。こんなに使徒が集まって来てるんですものね」
フォルテの言葉を聞いて、スマンソンは今更のように周囲を見渡した。
アルヌスの丘を登って陸上自衛隊の駐屯地区画に入ると、アルヌスを囲むように配置された神殿の過半を見下ろすことができる。
そこから分かるのは、この小さな街に四柱もの亜神が集ったということだ。
神が許す範囲を超えて世界の成り立ちを暴こうとする者の背後に、使徒たる亜神が忍び寄るというのは、学徒の間では暗黙の事実だ。どれほど隠れても、隠しても、禁断の領域に立ち入れば何故かそのことを知られてしまう。
そして、その者はある日突然、口を噤んで研究の発表を止めてしまう。あるいは首のない死体と化して路傍に転がるのだ。
このアルヌスは、異世界からの知識や理論を学べる場所であると同時に、神々の監視を最も強く受けている場所でもあった。
「レレイさ……いや先生。貴女なら、きっと世界の成り立ちの秘密に近づけると思います」
スマンソンはレレイを手放しで称賛した。そんな彼をフォルテは揶揄する。
「スマンソンはほんとレレイ老師のことが好きよね」
「そ、そんなんじゃないよ! どんな障害があっても道があるなら進まないでいられない。それが俺達学徒だろ? 僕は先生なら、きっと行き着けるところまで行き着けるって信じてるんだ。僕はそれを見てみたい。そう、先生を見ていたいんです!」
「ふーん、ほう、へぇ。スマンソンは、レレイちゃんを見ていたいわけだ」
「先生のことを『レレイちゃん』言うな! 僕は真剣に尊敬しているんだぞ!」
「でも、年下の女の子って意識してないとも、言わないでしょ?」
「そ、それはそうだけど……」
レレイは互いに冷やかし合う弟子達を放置して、アルヌスの丘の頂上に杖を立てた。
既にここにあった『門』と、それを覆っていたドームの瓦礫は全て撤去された。そして、陸上自衛隊施設科隊員達が重機を動かし、地面に大きくて深い穴を掘っている。
新たなる『門』建設の基礎工事である。
「レレイさん! お待ちしてました。これでどうですか?」
自衛官達がレレイ達を見つけて駆け寄って来る。そして基礎工事が行われている頂のやや脇に並べられた、十数張りの大型天幕へと案内してくれた。
ここが『門』建設の作業場となる。いや、厳密に言えば、『門』を支える『門柱』をこの場所で造るのだ。
「大変満足している」
レレイは、その充分な広さと行き届いた仕事ぶりに頷くと、弟子達を振り返り、すぐに荷物や道具を運び込むよう告げたのだった。
05
「ドムの棟梁! ここ、本当にアルヌスなんですか?」
宮石工の弟子でドワーフの少年ツムは、眼前に広がる華やかな街並みを見て師匠にそう尋ねずにいられなかった。
「前に来た時は、何にもない丘だったんだけどな。アイヒバウムも帝国の仕事でここに来た時のことは覚えてるよな?」
ドワーフとは思えないほど細い身体の――とは言ってもヒト種に比べればそれなりに太い――ドム・ダン・ケルシュは、あごひげを撫でながら配下を振り返った。
アイヒバウム、アインベッカー、ケーニヒ……と厳つい職工ドワーフ達がずらりと並ぶ。弟子のツムを加えた三十一名が彼の率いる職工メソン集団だ。
「ああ、あの時のことはよっく覚えているぜ。丘の周りを帝国軍の天幕がびっしり埋め尽くしててよ。急げ急げとせっつかれて、飯だってろくなものを喰わせてもらえなかった」
「ああ、そのくせでき上がったらお前らいらネ、とっとと失せろだもんな。ドワーフ使いの荒い奴らだったぜ」
「向こうに行った連中全滅したとか聞いて、ざまぁみろとか思ったよな」
皆が口々に言う意見にドムは頷いた。
「それが今ではこんな街になってるとはな」
「棟梁。ここは盛大な祭りもやったそうですよ。きっと良い酒にもうまい食い物にもありつけますぜ」
「祭り? 俺達メソンには関係のない話さ。俺達は、注文された通りに魔法装置やら神殿の祭壇なんかを造る。でき上がったら別の所に行く。それだけだからな……」
「宮殿とか建物の建造なら、完成すると落成のお祝いとかあるんだけどなぁ」
アイヒバウムの言葉にドムは鼻を鳴らした。
「落成のお祝いにありつきたかったら、石工に戻ればいい。なんなら良い石工の親方を知っているから紹介してやるぞ、アイヒ」
「待ってくれよドム! 折角宮石工になれたんだ、今更戻れっかよ! 工賃だってこっちの方が段違いに良いんだぜ! ただ、少しはマシなもん喰いたいなぁってだけだよ。これだけでかい街なんだ、期待はしたっていいだろ?」
「確かにそうだが、期待ってのは往々にして裏切られるもんだ。後でがっかりしないようにしろ」
「ドムの棟梁、これ見て下さい!」
声のした方を振り返ると、ツムが街の入り口あたりに立てられた案内板の前にいた。
「なになに? アルヌスの街にようこそ……『ようこそ』だとよ」
観光地の如く歓迎の言葉が書かれていることにドムは笑ってしまった。外来者向けにこの手の設備を用意するという発想は特地世界にはない。
「絵の方は……この町の地図ですかね?」
「ああ、街の見取り図になってる。……ははん、なるほど。ここがこれから俺達が行く組合の事務所ってわけか。それにハーディを祀る神殿ジゼラ、それとエムロイの神殿ロゥリアがあって……なに!? ダンカンを祀る神殿モタだと!? モーター鎚下がこの街で神殿を開かれたのかよ!」
ドムの言葉に職人達が群がってきた。
「それは大変だ棟梁。早速ご挨拶にうかがわないと」
ドムはその名の『ダン』を見れば分かるように、鍛冶神ダンカンの敬虔な信者だ。そしてそれ以外の男達も職人である以上、ダンカンへの信仰心を持っている。
「よし、今から行くぞ」
「はいっ! 早く一人前になれますようにって祈らなきゃ!」
アルヌスに入ったドム達は、配下の職人達と共に神殿モタへと向かったのである。
「ここがアルヌス協同生活組合か」
神殿モタに参拝して亜神モーター・マブチスへの挨拶を済ませたドム一行は、その後、街の中心部にあるアルヌス協同生活組合の事務所を訪ねた。
「えーごめん。俺達はケルン村のメソンだ……」
組合事務所は入り口すぐに接客用のカウンターがあり、その向こうに事務机が並んでいるという、いかにもお役所的なレイアウトになっていた。
入り口近くにいた事務員の犬耳娘が、ドムの呼びかけに素速く反応する。
「は~い。石工の皆さんですね。お待ちしていました。既にお仲間が到着なさっていますよ」
犬耳娘としては遠路はるばるやってきてくれたドワーフ達を、精一杯の笑顔で迎えたつもりだった。だが何が気に入らなかったのか、そのドワーフはむすっと不機嫌そうな顔になった。
「俺達は石工じゃない。宮石工だ」
「ど、どう違うんでしょう?」
「石工っていうのは、家やお屋敷、神殿といった大雑把なデカ物を造るのが仕事だ。それに対して俺達宮石工は、祭殿や祠、石碑あるいは魔法のための大がかりな装置とか、繊細な石細工を造ることに特化してる」
「ほえー……そんな風に石工と宮石工を区別してるんですねえ」
「そういうことだ。今回あんたは知らなくて間違った。だから許してやる。だが次また一緒くたに扱いやがったら、女子供だろうとぼてくりこかしてやるからな。分かったな!」
「あ、はいっ!」
「で、先に到着したという石工連中はどこだ?」
「奥の会議室です。どうぞ中に入って下さい」
犬耳娘の案内で組合事務所の廊下を進むドム達。
会議室に入ってみると、そこには六十数人の職工達が集まっていた。
ドワーフだけでなく、ヒト種やワーウルフ、六肢族など雑多な種族達が揃っている。共通点は皆が男で、体格が良いということ。重たい石を相手にする仕事だけに、体格が貧弱な者ではついていけないのだ。
「おおっ、ドム。久しぶりだな」
「ホッファ!? もう来ていたのか?」
中に居たドワーフの一人が、ドムの名を呼んで歩み寄った。
互いに壮健を祝うように肩を叩き合う姿はなんとも微笑ましいが、打撃音がいささか強く響く。表面的には友好的に見えても、その実、憎み合ってるんじゃないのかと心配になるほどだ。
「元気だったか? ホッファ!」
「あたぼうよ。ドム、お前の方こそこのところ村に帰ってないみたいだな。サンドラが嘆いてたぞ。お前がちっとも家に寄りつかないってな。あんましほっとくと浮気されっぞ!」
「は、サンドラはそんな女じゃねぇよ。それに家に帰れないのは、それだけ忙しいってことだ。俺様は腕が良いからな、あっちこっちからお呼びが掛かっちまうんだよ。おかげで女房を可愛がる暇もねえと来てる。だから憎まれ口なんか叩いてないで、同情してくれ」
「おいおい、それはもしかして自慢か?」
「そう聞こえたとしたら、お前が何かを引け目に思ってるからだろ? メソンを辞めてただの石工に成り下がったことを、後悔しているんじゃないのか?」
「くっ……相変わらず高慢ちきな野郎だぜ」
二人は互いに睨み合うと、一歩ずつ退いた。
いよいよ殴り合いが始まるかと思われたが、二人はがっちりと互いの拳をぶつけ合った。
「ドム。この仕事に呼んでくれてありがとよ」
「はっ、他に手の空いている石工の親方がいなかったんで、仕方なくお前を呼んだだけだ」
「それでもいい。仕事さえしてれば気が紛れるからな。娘のシレイとも、ようやく女房の思い出話ができるようになったんだ」
「そうか。娘っ子は元気か、今どうしてる?」
「ああ、今回は姉貴に預かってもらってる。あいつは良い子で聞き分けがいいからな。おかげで俺もこうやって出稼ぎに出られるようになったってわけだ。で、ドム、今回造るのはなんだ? 神殿か? それとも戦勝記念碑か?」
「いや、実を言うと何を造るのかまだ聞いてない」
「傲慢な奴だな。仕事の内容に無関心なのは、何でも造れるっていう自信があるからか?」
その時である。メイアがやってきて言った。
「はいはいは~い。職工のみなさ~ん、今日は良くおいで下さいました!」
ドムとホッファは振り返った。
「これからみなさんが寝起きする宿屋に案内するニャ。これだけ人数が多いと一カ所ってわけにいかないから分宿してもらうニャ」
ドムはメイアに尋ねた。
「宿よりも施主さんへの挨拶が先だろう。賃金とか、細かい話を詰めておきたいしな」
「代表は今別件で出かけているニャ。なので挨拶は明日にして欲しいニャ。それと賃金の交渉はウチが任されてるニャ」
「はっ、俺達を呼びつけておきながら、後回しってことかよ?」
「違うニャ。遠くから職工を招いたので、その出迎えだニャ」
「俺達メソン以上の職工がいるっていうのか?」
ドムという男、誇り高いという範囲を超えて、自意識が過剰なようだ。自分が一番に敬われないことが気に入らないようで「フンッ」と鼻息を鳴らす。
「俺達メソンが一番上等な仕事をしてるんだ。敬われるのは当然だろ?」
すると他の職工達が「またドムのメソン至上主義が始まったぜ」と陰口を叩いた。
どうやらドムのこの態度は、今に始まったことではないようであった。
なんということだろう。父が死んでわずか数日で、これまで彼女が見ていたものの姿がことごとく変わってしまった。
父と思っていた存在が養い親。優しい伯父だと思っていた存在が、自分を疎ましく思う敵。
そして忠実だと思っていた使用人、メイド達も、レディが家屋敷を失った途端に、焼け残った一切合切を握りしめて立ち去っていくほどの薄情者だった。
この調子なら、不動の大地が揺れ動いて、天が降ってきてもおかしくない。
「そういえば地揺れはありましたものね」
後は天が落ちてくるのを待つのみだ。そう思って見上げる空からは雨が降り注ぎ、レディの顔を洗い流していく。あふれかえる涙で熱くなった瞼も、雨で洗われ冷やされていった。
「天って、どんな風に落ちるのかしら」
ヴェスパーとブザムは互いに顔を見合わせ、肩を竦め合った。
「レディ様」
そんな時である。レディの名を呼ぶ女声が聞こえた。
「レディ様。お屋敷のこの有様は一体? 何があったのですか!?」
誰かと思って振り返れば、アン・ルナ・リーガーだった。リーガー男爵家の令嬢にして、レディにとっての腹心の友だ。
「あらアン。見ての通りよ。わたくしは全てを失ってしまったわ」
「レディ様、お可哀想に」
「アン、貴女こそ今までどこに行っていたの?」
レディは、父の葬儀にも姿を現すことのなかった友に苦情を告げようとした。自分を支えていて欲しかった時にいてくれなかったのはどうしてか、と詰りたかったのだ。
「いえ、その……」
するとアンは言い訳するでもなく口籠もった。
この娘は、今の自分に伝えるのが躊躇されるような報せを持ってきた――レディはそう直感した。
時間が掛かったのは、事実を確かめるのに手間取ったからに違いない。
「何かあったのね? そうでなければ貴女がわたくしから離れるはずないもの。それだけわたくしにとって大切なこと。そうよね?」
「レディ様……どうぞお許し下さい」
アンはひれ伏すように、詰問を容赦して欲しいと言った。ぬかるんだ大地に髪が落ち、たちまち泥だらけとなるが、そんなことは全く気にしていなかった。
だが既に似たような姿になっていたレディは、アンに鋭く迫った。
「ダメです。理由を告げなさい。一体何があったの?」
もう逃れられない。そう覚悟したのか、アンはレディから顔を背け、絞り出すように答えた。
「レディ様。お心をしっかりと持ってお聞き下さい。北方のヤルン・ヴィエットからの報せで……」
「なあに?」
レディ・フレ・ランドールの時は、相対的に見ればこれまで穏やかに流れてきた。紆余曲折はあったにせよ、波瀾万丈とはほど遠い人生だった。
「エファン伯爵公子ディタ様が……戦死」
「ひっ!」
だが、彼女の時の流れは、アンのもたらした悲報を耳にした瞬間、完全に静止した。
父を失って、家屋敷と従僕達を失って、さらにとどめとばかりに告げられた愛する男性の訃報。
レディの心は粉微塵に粉砕されてしまった。
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
張り裂けるような悲鳴がランドール公爵家の屋敷跡に響く。
「レディ様? レディ様、いかがなされました! お、御髪が真っ白に!?」
「まずい、痙攣を起こしている。薬師を呼べ!」
「は、はいっ!」
ヴェスパーとブザムの慌てふためく声や、アンと彼女の馬車の御者とのやり取りが、遙か彼方、異境の地の出来事のように、レディの意識から遠ざかっていく。
レディを囲む世界は、この瞬間から生き生きとした色合いを失って灰白色に塗りつぶされた。
世界との繋がりがメリメリと音を立てて引き剥がされ、落ちるはずもない天が轟音を響かせて落下してくるのを、レディは身体を震わせながらまざまざと感じたのだった。
04
「いやあああああああああああああああ、ディ様!」
レディが叫びながら目を覚ました時、視界に広がっていたのは心配そうなアンの顔だった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
夢を見ていたのだと悟って安堵のため息をつくレディ。
「ああ! レディ様、お気付きになられたのですね?」
レディの腹心の友は、レディが瞼を開いたと見るや、いきなり抱きついて歓喜の声を上げた。
何を大げさな……レディはそう思ったが、大事にされているのだから悪い気はしない。ただ、しがみつかれているのは苦しいので「もう大丈夫よ」と返した。
「お前達、すぐにお医者様を呼ぶのです」
アンは、レディを解放すると背後に並ぶメイド達に告げた。
「はい」
メイド達が慌てふためいた様子で部屋を出て行く。
見慣れない調度品に囲まれているこの部屋は何処なのか? 二人っきりになったのを良いことにレディはその疑問の答えをアンに求めた。
「ここは、我がリーガー家です」
「何故、わたくしがあなたの屋敷に?」
霞が掛かったようだったレディの記憶が、問いかけた直後からうっすらと蘇ってきた。
そうだった。父が亡くなり、暴漢に屋敷を焼かれ、従僕達に逃げられてレディは住む場所を失った。
それに加えてアンからもたらされたエファン伯爵公子の訃報。立て続けに起きた悲しみを受け止め切れなかったレディはそこで気を失ったのだ。
答えにくそうにしているアンにレディは告げた。
「言わなくて良いわ。思い出しました」
状況がだんだんと見えて来た。
「ヘンリーとピノを弔わないと」
ヘンリーはランドール公爵家の執事、ピノはメイド長だ。どちらもレディのために最後の最後まで忠節を尽くしてくれた者達。その二人をあんな場所に野ざらしにしておくわけにはいかない。
主君としての責任感を奮い起こしたレディは、寝台から起き上がろうとした。
だがアンは、今はまだ横になっていて下さいとレディを押し止めた。
「なぜ? あの二人をあのままにしておくなんて嫌よ」
「大丈夫です。父に後のことはお任せ下さい」
「リーガー男爵が?」
「はい。既に神官を招いて葬儀も済ませました」
「もう、終わってしまった?」
「はい。神官のお言葉だと、ランドール家の執事ヘンリーとメイド長ピノは神の下に召されたと」
レディはホッとしたように頷くと、寝台に身体を横たえた。
「でも、昨日の今日で葬儀も済んだなんて随分と早いのね」
「昨日の今日なんて……もう十日も経っているんですよ」
「十日?」
アンの言葉がレディの頭に染みこむまでにしばらくの時が必要だった。
「十日も!? そんなに長い間、わたくしは気を失っていたの?」
「はい。お倒れになったレディ様は、高熱を発せられました。一時は、命すら危なかったほどなのですよ」
レディはアンの説得に応じて身体から力を抜くと再度、頭を枕に委ねた。
十日とは長すぎる気もする。だが、然もありなんとも思う。人間の生命力というのは心と密接に繋がっていて、時に絶望が人間を死に追いやることもあると聞く。エファン伯爵公子の死が、レディにとってそれだけ大きなことだったのは確かなのだ。
「レディ様。申し訳ありませんでした。わたくしが無思慮なばかりにこんなことになって……」
「ディ様の訃報のことね? ううん、貴女はわたくしに真実を伝えようとしてくれただけ。どうしてそのことを恨むことができますか?」
「でも、全てを失って胸を痛めていらしたレディ様には衝撃が強すぎてしまいました」
「いいの、わたくしはもう全てを受け容れます。ただ、ディにはもう会えないと思うと……」
「お悔やみ申し上げます。レディ様」
「ありがとうアン。でも、わたくしは公的にそれを言われる立場にはなれませんでした。わたくしに残ったのは、ディから頂いた指輪と手紙だけ」
レディが右手の中指に嵌めた黄金の指輪を見せると、アンは痛ましそうに頭を振った。
「そうでした。手紙は焼けてしまったんだわ。こんなことなら秘密になんてしなければよかった」
「いいえレディ様。あれはあれで必要な処置でした」
皇帝の姪たるレディとの交際の噂は、貴族達の間でも単なる覗き趣味的な話では終わらない。
皇族の係累に連なるという点から、政治的な意味合いが強くなって余計な雑音が入りやすくなるからだ。
そのためレディは、エファンとの交際を秘密にした。エファン伯爵公子の両親ですら、息子と皇姪との交際に気付かなかったほどで、彼らは自分達の息子に恋人が居るとも知らず、別の縁談を進めようとしてしまったぐらいだ。
そして、それは奇しくもエファンがゾルザル派に与し、叛逆者として追われる立場になった時に役立った。レディが叛徒の関係者とみなされることを防いだのだ。
それでも万が一のことはある。二人の逢瀬が家僕や端女の目に触れないという保証はない。力を持つ者は敵も多く、レディを恨む者は些細な綻びを鵜の目鷹の目で探している。
そのためアンは一計を案じた。レディが、一方的にエファンに好意を抱いていたという評判を流したのだ。
そうすれば、万が一レディがエファン伯爵公子の部屋に忍び入ったのを見たという者が現れても、思い込み女の痛い行動と見なされて、叛徒の共犯者とされる心配はなくなる。
少しばかり不名誉な評価を受けることになるが、政治的にはかえって安全だ。しかもエファンに対する好意を隠さずに済むようにもなるわけで、レディも苦渋の選択ながらそちらの方が価値があると判断したのだ。
レディは、エファン伯爵公子からもらった指輪を弄びながら、アンに言った。
「部屋が薄暗いわ。明かりを下さる?」
「はい」
アンはレディの肩に部屋着を一枚掛けると、窓を閉ざしていた鎧戸を押し開けた。
すると北からの冷気を含んだ空気と共に、太陽の日差しが室内に差し込んできた。
「これは?」
流れてきた風に煽られて、胸や腕にまとわりつく自分の髪が目に入る。
「なにこれ?」
そしてその髪を一房握りしめ、真っ白になってしまったそれに見入った。アンが目を逸らしながら説明する。
「お医者様によると、強いショックを受けるとこうなってしまうことがあるとか……」
「まるでおばあちゃんになってしまったみたいね」
「いいえ、そのようなことは決して。レディ様の髪は雪のようでお綺麗です」
「鏡を見せてくれる?」
アンから鏡を受け取ったレディは、自分の姿を注視した。頭髪どころか眉、睫毛も真っ白で、まるで別人のようだった。
「もう、幸せな時のレディ・フレ・ランドールはいないのね?」
そんなレディにアンは抱きついた。
「そんなことはありません! レディ様はレディ様です! お変わりないわたくしの大好きなレディ様です! 髪の色だってもしかしたら、しばらくすると戻ってくるかも知れません」
「いいのよアン。わたくしはもう全てを受け容れていますから」
「そんな!」
レディは目を細めて、窓から見える景色の眩しさに目が慣れるのを待ちながら言った。
「現実はいつだって残酷だわ。でも同時に嬉しくもある。だって貴女のような心から信じられる友達がいるって分かったんだもの」
「レディ様」
アンはレディを抱きしめる腕にいっそう力を込めた。
「ずうっと貴女のお屋敷でわたくしを見てくれていたの? その十日間も……」
「はい。医師から動かさないようにと言われておりましたので……」
「ご迷惑だったでしょ?」
「レディ様、無用なお気遣いですわ。これからは当家をご自宅だと思って下さい。何も心配なさらず、不安でしょうが心を強くお持ち下さい。きっと良いようになって行きますから」
アンの慰めの言葉を聞いた時、レディは自らの身に起きた変調に気付いた。
「レディ様? どうかなされたのですか?」
「ううん。何も心配しなくて良いわ」
本当ならこれからどうなってしまうのだろうと不安であるべきはずなのに、少しも動揺していない自分がいたのだ。青虫が蛹となり蝶と化すように、レディは変化を遂げていた。それは外見的に髪から色素が抜け落ちてしまっただけではなかった。
「アン、お願いがあるの。使いを出してヴェスパーとブザムを呼んで下さらない? それと貴女のお父様にもお目にかかりたいわ」
羽化したばかりの蝶が誰に教わることもなく飛び方を知るように、レディは我が身に起きた変化が何を目的としたものかを本能的に理解していた。これからのことについて、すでに重要な決断を下していたのだ。
それ故、この先どうなるのかという受動的態度から来る怖れや不安を全く抱かなかった。
帝国の貴族社会では、リーガー男爵家の位はさして高いものではない。
だがこの家は帝国の貴族社会では非常に有名だった。それは帝室との縁の深さにある。代々の当主の多くが、歴代の皇帝かあるいはその一族の学友という立場にあったのだ。
当代のリーガー男爵家当主、ラフロイグもまた皇弟ブレンデッドの学友であった。そしてリーガー家の伝統に則って学友から友人に、さらには親友を名乗るまでになり、娘レディの後見人を任されたのである。
つまり、リーガー男爵もレディの出自のことは知っていたのだ。
客間に呼び出されたリーガー男爵は、そのことを娘のアンから詰られることとなった。
「お父様、どうしてですか!?」
「軽々に口にできることではないからな」
レディがカティの血を引くという情報は、扱いを間違えれば命にも関わる。実際、ランドール公爵家は焼き討ちに遭った。
こうした事態の勃発を恐れるが故に、ブレンデッドとリーガー男爵は二人だけで顔を合わせた時でも、そのことを決して口にしないよう守秘を徹底していたのである。
しかしながらレディを欺していたという事実には変わりがない。だからリーガー男爵はまずはそれについて謝罪した。
「レディ……いや、レディ・フレ・カエサル様。どうぞお許し下さい」
リーガー男爵は、髪が真っ白になってしまったレディに向けて深々と頭を垂れた。
寝台のレディは、妖艶な微笑みで返した。
「どうぞこれまで通りレディとお呼び下さい。わたくしは父を失いました。ここにきて親しい後見人までも失ってしまったら、一体誰を頼りに生きていったら良いというのですか?」
「そうですね。そうだ……では遠慮なくレディと呼ばせてもらうよ」
レディは目元を手巾で軽く拭きながら「はい」と微笑みの表情をつくった。
「教えて下さい男爵様。父はどうしてわたくしを引き取って下さったのですか?」
リーガーは棚の上の酒壺に手を伸ばすと杯に注いだ。そして寝台脇の椅子に腰掛け、それを一気に飲み干す。緊張から喉が渇いていたのだ。やがて酒精の混じったため息を深々とつき、二人の娘に対して昔語りを始めた。
「あの頃のことはよく覚えている。モルト陛下は、カティ殿下に何かと辛く当たっていた」
「周囲の者は、それを黙って見過ごしたのですか?」
「カティ殿下にも咎められるべきところが多かったからな。地位を鼻に掛け、他の者を見下す言動が目立っていた。モルト陛下が咎められるべき点は、そんなカティ殿下に、立派な統治者となっていただくためと称して、全てに完璧を求め過ぎたことだ。快活だったカティ殿下もやがてふさぎ込むようになって、次第に追い詰められて……」
「それで亡くなってしまったのね?」
リーガー男爵が口を濁した結末を、レディが継いだ。だがリーガーは頭を横に振る。
「い、いや。女性に逃避するようになった」
「そ、そうよね。でなければわたくしが生まれてくるはずがないし」
「その通り。ところがモルト陛下は、カティ殿下に品行方正であることまで求め始めた。そして女性と会うことを禁じたのです。まぁ学問を放り出して遊び呆けられたら、どんな親だって同じようなことをするでしょうけれど」
「それでは、わたくしが生まれようがないではないですか? 一体どうやって父と母は出会ったのですか?」
「ブレンデッド様が引き合わせたからです。カティ殿下とともに身分を隠して街の盛り場で遊んだり、そこで出会った下町の娘と隠れて会ったり……。クーと知り合ったのもその時です」
「クーというのが母なのですか? ではコロナというのは」
レディは父から聞いていた母の名とは違うと言った。
「貴女はコロナの娘……表向きそうしなければ、貴女のことを庇うことはできませんでしたから。コロナ嬢はブレンデッド様の恋人でクーの友人です。ちなみに私の側女だったメリザも、クーの友人でした。我々の付き合いは、女性を中心にすると分かりやすくなります」
男爵は戸棚の上に置かれた姿絵の入った額縁を手に取ると、レディに渡した。
「これは?」
「真ん中にいるのがクー……貴女の実の母親です。右がコロナ。左が私の側女だったメリザです」
「こ、この人がお母様? そんな……」
レディは絵の真ん中にいる人物を掌で撫でた。その女性の髪は今のレディのごとく真っ白で、瞳が翠色である。一目でルルド族の出身だと分かった。
「三人とも身分や種族の違いなんて気にしないし、地位や権力にこびることもない気立ての良い街娘でした。メリザなんか働き者で、側女の屋敷暮らしは窮屈だとか言って、飛び出して行ってしまったぐらいですからね。今頃何をしてるんだか……」
「母は?」
「クーは月夜のような方でした。いわゆる癒やし系で、勉学と政務見習いで憂さの溜まっていたカティ殿下は一気に傾倒していきました。今の貴女は、母上と面差しがとてもよく似ていますよ」
リーガー男爵は、色が抜け落ちたことで、逆に美しい白銀に輝いているレディの髪に手を伸ばした。
「この髪の色が……そうですか」
レディは納得したように頷く。そんなレディの隙を突くように男爵は言った。
「カティが死んだのは……突然でした。ある日、カティが政務に出てこない。おおかたいつものようにサボっているのだろうと部屋に行ってみたところ、彼が冷たくなっていた」
「死因は?」
「公的には病死とされています。ブレンデッドは何か調べていたようですが、モルト皇帝が殺したと仄めかした以外、彼は一切口を噤んだ。万が一の時、事実を知らないでいることが私の身を守ることになると考えたのでしょう。そして秘密をどこかに隠したまま逝ってしまったのです」
「その後の母は……クーは!?」
「ブレンデッドが帝都から逃がしました。貴女を産み落とした後に、身一つで。そのままにしておいては危険と思われたからです」
「母は、すんなりわたくしを手放したのですか?」
「いいえ。貴女を連れて逃げると言って大騒ぎしました。ですが、乳飲み子を抱えたルルドの娘が一人で生きていくなど不可能です。私達は大反対しました」
「でもお父様ならば、なんとかして……」
「無理でした。モルト皇帝の監視下では、貴女をコロナの産んだ娘と称して引き取ることしかできませんでした。クーも貴女の命を守るためならと、泣く泣くブレンデッドの説得に応じて落ち延びていきました。彼女にはそれしか道がなかったのです」
「そう……だったの。ありがとう男爵様、よくぞ話して下さいました」
「これで一つ、荷を下ろせた気分です。しかし問題はこの後ですよ、レディ。どうされますか?」
リーガーはレディに慈愛の目を向けたが、すぐに表情を改めて真剣な面持ちとなった。
「この後?」
「何も知らないフリをして皇帝に従い、どこか外国に王妃として嫁ぐのも一つの生き方です。貴女がそれを望まれるのでしたら私は全力でお手伝いしましょう。もちろん貴女が別の道を選ばれても、全力でお手伝いをすることに変わりはありませんがね」
レディは表情を綻ばせた。
リーガー男爵は、ヴェスパー達と違って自分に考えを押しつけようとしない。レディが悩み、考えて、自分で決めることを尊重してくれているのだ。
だが同時にそれは不要な配慮でもあった。
「ありがとう男爵。けれどわたくし、レディ・フレ・カエサルは平穏を望みません」
リーガー男爵は息を呑んだ。その名乗りは、帝位を奪い取ると宣言したも同然だったからだ。
「険しい道のりですぞ。敵は強大です。失敗したら命に関わることだって起こりえます」
「そうですね。でも、カティの血を引くわたくしに他の生き方はもはやありません」
「何か方法をお考えですか?」
「亡き父が人材を残してくれました。父が見立てて下さったのですから、それだけの能力があると考えて良いはず……そうですわよね?」
レディが室外に向かって呼びかける。
すると待ち構えていたかのように、ヴェスパー・キナ・リレ男爵と、ブザム・フレ・カレッサー勲爵士が扉を開いてレディの寝室へと入ってきた。
二人は、レディの前に片膝を突いて傅くと忠誠を誓った。
「帝国が、貴女という正統なる皇帝を戴けるよう努力いたします」
「期待していますよ、ヴェスパー」
「僕は、貴女の手足となって働きますよ」
「ブザム、すり減るまでこき使って差し上げます。その対価として貴方に栄達をもたらすことを約束しましょう」
するとリーガーとアンもそれに倣い、片膝を突いて礼をした。
「我がリーガー家親子も、未来の皇帝陛下の御為に……」
レディは皆を順番に見てから問いかけた。
「ヴェスパー。皇位を取り戻すには何から始めたら良いのかしら。やはり名乗りを上げること?」
「いえ、それは下策です。堂々と名乗りを上げて帝都民の支持を取り付ければ、確かに皇帝を窮地に追いやることはできます。しかし混乱は元老院が最も嫌う状況。元老院に反感を抱かれては決め手を欠くことになります」
「ではどうしたら?」
「皇帝に気付かれないうちに元老院議員の支持基盤を固めます。名乗りを上げるのはそうした下準備を済ませた後の、最後の一押しに。それまでは……貴女が復讐に猛っていることにしましょう」
「復讐……ですか?」
「はい。貴女が帝位を望んだのは、そんなことも目的におありなのでしょう?」
ヴェスパーに本音を見透かされたレディは視線を逸らした。
「ならば、お心のままになさい。皇帝は貴女のその姿を見てきっと油断します。貴女の行動が自分の利益になると思えば傍観するかも知れません。その間に、私が元老院で工作いたします」
「ディ様の復讐をして良いのですか?」
「ただし皇位を取り戻すことが目的であることをお忘れなく」
ヴェスパーは、恭しくレディに向かって頭を垂れる。
するとレディは勇気づけられたように胸を張り、こう宣言した。
「では、復讐を始めましょう。ディ様の死に責任のある者を討つのです」
* *
レレイ・ラ・レレーナのこれまでを言葉で喩えるなら、やはり『波瀾万丈』だろうか。
その一時一部分に穏やかな時はあっても、大局的にみれば千変万化する人生を送ってきた。
豊富な知識。
粘り強い探究心。
優れた洞察力。
魔法の才能。
そして美しい容姿。
アルヌス協同生活組合の幹部。
リンドン派魔導師にして最年少導師号保持者。
レレイを形容する言葉、レレイに付属する肩書きは輝かしいものばかりだが、生まれながらに彼女に備わっていたものはそれほど多くはない。そのほとんどは、多大な努力に、少しの幸運の助けを得て手に入れてきたものなのだ。
そしてそのようにして得た評価が、時として彼女の人生を激動に彩る原因ともなった。
幼少期からなまじ知恵が回るからと、自立を求められ、甘えを口にすることが許されず、大人として扱われてきた。
理不尽な境遇に対して湧き上がる感情を強固な理性で抑え込んでいるうちに、耐えることが当たり前となり、そのまま子供時代が過ぎてしまったのである。
人間はそんな育ち方をしたらまともな人生は送り難くなる。心に湧き上がる欲望や感情の扱いに不慣れなままでは、人生という大航海に乗り出した舟をどの方角に向けるべきか分からなくなるからだ。
人間は、適度に喜怒哀楽驚恐、全ての感情と付き合って馴染んでおく必要があるのだ。
幼い彼女を弟子として迎え入れたカトー・エル・アルテスタンは、故に彼女の教育に様々な工夫を凝らした。
とにかく引っかき回した。冗談やおふざけを連発して、ぴくりとも動かないレレイの表情筋を引きつらせ、腹筋の用途に感情の表現という一項目を付け加えさせようと努力した。
人生には余裕と潤いが必要であるということを、彼は教えたかったのかも知れない。
だがレレイの反応は、カトーが期待したものとはいささか異なるものとなった。
レレイが師匠に返したのは冷たい視線と無表情。レレイの態度からますます欲求や情熱といったものが欠けていくのを、カトーは悲しい気持ちで見ているしかなかったのだ。
「先生、質問です!」
レレイが弟子達と一緒に行動していると、彼らはレレイを片時も退屈させないことが義務であると思っているかのごとく、手を挙げて質問をしてくる。
レレイは、そんな弟子達の態度の裏に、二種類の動機があることを見抜いていた。
一つは純粋な探究心。もう一つが、自分が優れた学徒であることのアピール。
この二つを見抜くのは案外に簡単だ。
限りある時間の中で師に問いかける機会は希少なのに、後者が動機である者は、本を開けば分かるようなことばかり尋ねるからだ。
「レレイ先生。『門』というのは何ですか?」
後者の代表格とも言えるのが、スマンソン・ホ・イールだ。
レレイは、きらきらとした熱い眼差しを向けてくるスマンソン・ホ・イールに語りかけた。
「『門』は大別して二種類ある。二つの世界線が接触した際に発生する相互に行き来可能な空間隙。こちらは世界線が離れれば自然と消失する。そしてもう一つは、二つの世界を繋ぐ架け橋のようなもの」
「世界線っていうのは何なんですか?」
「箒の姿を想像して欲しい。柄から伸びるブラシの繊維の一本一本が世界線……その一本に私達の住むこの世界があって、その周りには多くの別の世界が存在する」
「箒ですか。そんだけたくさんの世界があったら、目的の世界を見つけ出すのは大変ですよね?」
「大変。だからニホンのある世界を見つけるためには、目印を利用する必要がある」
「目印には何を使うのですか?」
「情報を使うのが適切」
「情報って言うと、図形、文字、音声などのことですか?」
「そう。まったく同一の情報が存在する世界を探せばよい。今回は『長年一つの個体として存在していた物素に宿る情報振動の周波は、二つに分離しても外的な干渉を受けない限り同調が続く』という性質を用いる予定」
「ハマン効果ですね?」
「そう。長年単一個体だった金剛石の断片が、向こうとこちらの世界にある」
「情報振動の受信はどうやって?」
「『門柱』にその機能を具備させる」
「しかしハマン効果を得るほどの金剛石ともなると、最低でも握り拳ほどの質量がなければならないと思いますけど、そんなものが手に入ったのですか?」
「たまたまあった」
「ぜひ見てみたいです」
「分かった。後で所有者に頼む」
スマンソンにだけ質問させてなるものかと、別の学徒が手を挙げた。
「空間隙たる『門』を、保持固定する『門柱』はどうやって造るのですか? その理論は?」
「キノ、それは本に書いてある。調べなさい」
「老師が作ろうとしている『門』は、先ほど述べられた二つの内の後者ですね?」
フォルテ・ラ・メルルの問いにレレイは「そう」と頷いた。
「何故、『門』を造るのですか? いえ、この質問は愚問ですね。何故ハーディは老師にその力を貸し与えて下さったのでしょう?」
「そりゃレレイ先生が凄いからに決まってるじゃないか」
スマンソンが誇らしげに言う。
だがレレイは、論理的とは言えないその言葉は無視してフォルテとの話を続けた。
「神の御心の推測は神学者の領分。学徒の関わるべきところではない」
「でも、老師は神をその身に降ろしたことがあります。ジゼル猊下とも近しいし。だから何か感じてらっしゃるのでは?」
「わたしはこの世界の成り立ちにその秘密があると考えている」
「世界の成り立ちですか、かなり危ない領域ですよね」
「綱渡りに等しい」
「ですよね~。こんなに使徒が集まって来てるんですものね」
フォルテの言葉を聞いて、スマンソンは今更のように周囲を見渡した。
アルヌスの丘を登って陸上自衛隊の駐屯地区画に入ると、アルヌスを囲むように配置された神殿の過半を見下ろすことができる。
そこから分かるのは、この小さな街に四柱もの亜神が集ったということだ。
神が許す範囲を超えて世界の成り立ちを暴こうとする者の背後に、使徒たる亜神が忍び寄るというのは、学徒の間では暗黙の事実だ。どれほど隠れても、隠しても、禁断の領域に立ち入れば何故かそのことを知られてしまう。
そして、その者はある日突然、口を噤んで研究の発表を止めてしまう。あるいは首のない死体と化して路傍に転がるのだ。
このアルヌスは、異世界からの知識や理論を学べる場所であると同時に、神々の監視を最も強く受けている場所でもあった。
「レレイさ……いや先生。貴女なら、きっと世界の成り立ちの秘密に近づけると思います」
スマンソンはレレイを手放しで称賛した。そんな彼をフォルテは揶揄する。
「スマンソンはほんとレレイ老師のことが好きよね」
「そ、そんなんじゃないよ! どんな障害があっても道があるなら進まないでいられない。それが俺達学徒だろ? 僕は先生なら、きっと行き着けるところまで行き着けるって信じてるんだ。僕はそれを見てみたい。そう、先生を見ていたいんです!」
「ふーん、ほう、へぇ。スマンソンは、レレイちゃんを見ていたいわけだ」
「先生のことを『レレイちゃん』言うな! 僕は真剣に尊敬しているんだぞ!」
「でも、年下の女の子って意識してないとも、言わないでしょ?」
「そ、それはそうだけど……」
レレイは互いに冷やかし合う弟子達を放置して、アルヌスの丘の頂上に杖を立てた。
既にここにあった『門』と、それを覆っていたドームの瓦礫は全て撤去された。そして、陸上自衛隊施設科隊員達が重機を動かし、地面に大きくて深い穴を掘っている。
新たなる『門』建設の基礎工事である。
「レレイさん! お待ちしてました。これでどうですか?」
自衛官達がレレイ達を見つけて駆け寄って来る。そして基礎工事が行われている頂のやや脇に並べられた、十数張りの大型天幕へと案内してくれた。
ここが『門』建設の作業場となる。いや、厳密に言えば、『門』を支える『門柱』をこの場所で造るのだ。
「大変満足している」
レレイは、その充分な広さと行き届いた仕事ぶりに頷くと、弟子達を振り返り、すぐに荷物や道具を運び込むよう告げたのだった。
05
「ドムの棟梁! ここ、本当にアルヌスなんですか?」
宮石工の弟子でドワーフの少年ツムは、眼前に広がる華やかな街並みを見て師匠にそう尋ねずにいられなかった。
「前に来た時は、何にもない丘だったんだけどな。アイヒバウムも帝国の仕事でここに来た時のことは覚えてるよな?」
ドワーフとは思えないほど細い身体の――とは言ってもヒト種に比べればそれなりに太い――ドム・ダン・ケルシュは、あごひげを撫でながら配下を振り返った。
アイヒバウム、アインベッカー、ケーニヒ……と厳つい職工ドワーフ達がずらりと並ぶ。弟子のツムを加えた三十一名が彼の率いる職工メソン集団だ。
「ああ、あの時のことはよっく覚えているぜ。丘の周りを帝国軍の天幕がびっしり埋め尽くしててよ。急げ急げとせっつかれて、飯だってろくなものを喰わせてもらえなかった」
「ああ、そのくせでき上がったらお前らいらネ、とっとと失せろだもんな。ドワーフ使いの荒い奴らだったぜ」
「向こうに行った連中全滅したとか聞いて、ざまぁみろとか思ったよな」
皆が口々に言う意見にドムは頷いた。
「それが今ではこんな街になってるとはな」
「棟梁。ここは盛大な祭りもやったそうですよ。きっと良い酒にもうまい食い物にもありつけますぜ」
「祭り? 俺達メソンには関係のない話さ。俺達は、注文された通りに魔法装置やら神殿の祭壇なんかを造る。でき上がったら別の所に行く。それだけだからな……」
「宮殿とか建物の建造なら、完成すると落成のお祝いとかあるんだけどなぁ」
アイヒバウムの言葉にドムは鼻を鳴らした。
「落成のお祝いにありつきたかったら、石工に戻ればいい。なんなら良い石工の親方を知っているから紹介してやるぞ、アイヒ」
「待ってくれよドム! 折角宮石工になれたんだ、今更戻れっかよ! 工賃だってこっちの方が段違いに良いんだぜ! ただ、少しはマシなもん喰いたいなぁってだけだよ。これだけでかい街なんだ、期待はしたっていいだろ?」
「確かにそうだが、期待ってのは往々にして裏切られるもんだ。後でがっかりしないようにしろ」
「ドムの棟梁、これ見て下さい!」
声のした方を振り返ると、ツムが街の入り口あたりに立てられた案内板の前にいた。
「なになに? アルヌスの街にようこそ……『ようこそ』だとよ」
観光地の如く歓迎の言葉が書かれていることにドムは笑ってしまった。外来者向けにこの手の設備を用意するという発想は特地世界にはない。
「絵の方は……この町の地図ですかね?」
「ああ、街の見取り図になってる。……ははん、なるほど。ここがこれから俺達が行く組合の事務所ってわけか。それにハーディを祀る神殿ジゼラ、それとエムロイの神殿ロゥリアがあって……なに!? ダンカンを祀る神殿モタだと!? モーター鎚下がこの街で神殿を開かれたのかよ!」
ドムの言葉に職人達が群がってきた。
「それは大変だ棟梁。早速ご挨拶にうかがわないと」
ドムはその名の『ダン』を見れば分かるように、鍛冶神ダンカンの敬虔な信者だ。そしてそれ以外の男達も職人である以上、ダンカンへの信仰心を持っている。
「よし、今から行くぞ」
「はいっ! 早く一人前になれますようにって祈らなきゃ!」
アルヌスに入ったドム達は、配下の職人達と共に神殿モタへと向かったのである。
「ここがアルヌス協同生活組合か」
神殿モタに参拝して亜神モーター・マブチスへの挨拶を済ませたドム一行は、その後、街の中心部にあるアルヌス協同生活組合の事務所を訪ねた。
「えーごめん。俺達はケルン村のメソンだ……」
組合事務所は入り口すぐに接客用のカウンターがあり、その向こうに事務机が並んでいるという、いかにもお役所的なレイアウトになっていた。
入り口近くにいた事務員の犬耳娘が、ドムの呼びかけに素速く反応する。
「は~い。石工の皆さんですね。お待ちしていました。既にお仲間が到着なさっていますよ」
犬耳娘としては遠路はるばるやってきてくれたドワーフ達を、精一杯の笑顔で迎えたつもりだった。だが何が気に入らなかったのか、そのドワーフはむすっと不機嫌そうな顔になった。
「俺達は石工じゃない。宮石工だ」
「ど、どう違うんでしょう?」
「石工っていうのは、家やお屋敷、神殿といった大雑把なデカ物を造るのが仕事だ。それに対して俺達宮石工は、祭殿や祠、石碑あるいは魔法のための大がかりな装置とか、繊細な石細工を造ることに特化してる」
「ほえー……そんな風に石工と宮石工を区別してるんですねえ」
「そういうことだ。今回あんたは知らなくて間違った。だから許してやる。だが次また一緒くたに扱いやがったら、女子供だろうとぼてくりこかしてやるからな。分かったな!」
「あ、はいっ!」
「で、先に到着したという石工連中はどこだ?」
「奥の会議室です。どうぞ中に入って下さい」
犬耳娘の案内で組合事務所の廊下を進むドム達。
会議室に入ってみると、そこには六十数人の職工達が集まっていた。
ドワーフだけでなく、ヒト種やワーウルフ、六肢族など雑多な種族達が揃っている。共通点は皆が男で、体格が良いということ。重たい石を相手にする仕事だけに、体格が貧弱な者ではついていけないのだ。
「おおっ、ドム。久しぶりだな」
「ホッファ!? もう来ていたのか?」
中に居たドワーフの一人が、ドムの名を呼んで歩み寄った。
互いに壮健を祝うように肩を叩き合う姿はなんとも微笑ましいが、打撃音がいささか強く響く。表面的には友好的に見えても、その実、憎み合ってるんじゃないのかと心配になるほどだ。
「元気だったか? ホッファ!」
「あたぼうよ。ドム、お前の方こそこのところ村に帰ってないみたいだな。サンドラが嘆いてたぞ。お前がちっとも家に寄りつかないってな。あんましほっとくと浮気されっぞ!」
「は、サンドラはそんな女じゃねぇよ。それに家に帰れないのは、それだけ忙しいってことだ。俺様は腕が良いからな、あっちこっちからお呼びが掛かっちまうんだよ。おかげで女房を可愛がる暇もねえと来てる。だから憎まれ口なんか叩いてないで、同情してくれ」
「おいおい、それはもしかして自慢か?」
「そう聞こえたとしたら、お前が何かを引け目に思ってるからだろ? メソンを辞めてただの石工に成り下がったことを、後悔しているんじゃないのか?」
「くっ……相変わらず高慢ちきな野郎だぜ」
二人は互いに睨み合うと、一歩ずつ退いた。
いよいよ殴り合いが始まるかと思われたが、二人はがっちりと互いの拳をぶつけ合った。
「ドム。この仕事に呼んでくれてありがとよ」
「はっ、他に手の空いている石工の親方がいなかったんで、仕方なくお前を呼んだだけだ」
「それでもいい。仕事さえしてれば気が紛れるからな。娘のシレイとも、ようやく女房の思い出話ができるようになったんだ」
「そうか。娘っ子は元気か、今どうしてる?」
「ああ、今回は姉貴に預かってもらってる。あいつは良い子で聞き分けがいいからな。おかげで俺もこうやって出稼ぎに出られるようになったってわけだ。で、ドム、今回造るのはなんだ? 神殿か? それとも戦勝記念碑か?」
「いや、実を言うと何を造るのかまだ聞いてない」
「傲慢な奴だな。仕事の内容に無関心なのは、何でも造れるっていう自信があるからか?」
その時である。メイアがやってきて言った。
「はいはいは~い。職工のみなさ~ん、今日は良くおいで下さいました!」
ドムとホッファは振り返った。
「これからみなさんが寝起きする宿屋に案内するニャ。これだけ人数が多いと一カ所ってわけにいかないから分宿してもらうニャ」
ドムはメイアに尋ねた。
「宿よりも施主さんへの挨拶が先だろう。賃金とか、細かい話を詰めておきたいしな」
「代表は今別件で出かけているニャ。なので挨拶は明日にして欲しいニャ。それと賃金の交渉はウチが任されてるニャ」
「はっ、俺達を呼びつけておきながら、後回しってことかよ?」
「違うニャ。遠くから職工を招いたので、その出迎えだニャ」
「俺達メソン以上の職工がいるっていうのか?」
ドムという男、誇り高いという範囲を超えて、自意識が過剰なようだ。自分が一番に敬われないことが気に入らないようで「フンッ」と鼻息を鳴らす。
「俺達メソンが一番上等な仕事をしてるんだ。敬われるのは当然だろ?」
すると他の職工達が「またドムのメソン至上主義が始まったぜ」と陰口を叩いた。
どうやらドムのこの態度は、今に始まったことではないようであった。
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