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外伝2黒神の大祭典編

外伝2黒神の大祭典編-1

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   序


「なーしだ?」

 聞き慣れない単語ということもあって、たみ耀ようはもう一度と問い返した。

「ナッシダでございます」

 ここはアルヌスでエムロイをまつる、通称ロゥリィ神殿。
 その老司祭ろうしさいフラムは嫌がりもせず、柔らかな笑みのまま繰り返してくれた。

「それって何ですか?」
生誕せいたんのお祭りでございます。赤ん坊が生まれて無事に数ヶ月育ちますと、その子には晴れて名前が与えられ、神々の祝福しゅくふくたまわることが出来ます。それを祝うのですよ」
「へぇ? 七五三みたいなものかな」
「七五三ってなんですかぁ?」

 神官見習いのモーイがフリルの神官服を揺らしながら伊丹にすり寄った。だが外見はともかく、モーイは実際には男なので、伊丹は距離をとるべく身をらす。

「子供って弱くて危ないだろう? 昔は子供が無事に育ってくれますようにって三歳、五歳、七歳の節目ふしめごとに神社にお参りして、お祝いしたんだ」
「そう! それですわ。こちら側ではその最初のもよおしを、生後三~五ヶ月くらいで開くんです」

 赤子を抱いて幸せそうにしているボーゼスがうんうんとうなずく。

「赤ちゃんに名前を与えて、神々のご加護を祈るのですわ」
「名前って……もうついてるじゃん?」
「はい。トミタがつけてくれました。マイという名前です。ですが正式には、このナッシダで神々の祝福を得てお披露目ひろめするのが正しいのです。お誕生日もその日になるんですよ」
「へぇ、こっちじゃ、誕生日は生まれた日じゃないんだ?」

 伊丹はかたわらのロゥリィ、レレイ、テュカ、そしてヤオに視線を向けた。
 四人はボーゼスの抱いた赤ん坊のほっぺたをつんつんと指先でつつき、きゃぴきゃぴ言いながらその感触を楽しんでいる。

「きゃー。かわいい!」

 だが赤ん坊の方は皆に迫られて驚いたのか、急にむずかり出した。

「あらあらあら」

 母親初心者のボーゼスはマイなだめようとするも上手くいかない。動揺が伝わって、かえって本格的な泣き声をあげさせてしまうこととなった。
 その時、ヤオがボーゼスの肩を軽く叩いた。

の身に任せてくれぬか?」

 ヤオはそう頼んで、マイを包むように胸に抱く。
 すると、軽く揺らしただけで簡単にマイを微笑ませたのである。
 ボーゼスはそれを見てうらやましそうな表情を浮かべた。基本的な世話をメイド任せにして、子育ての良いとこ取りしかしない貴族女性には、こうしたスキルが身につきにくいのだ。

随分ずいぶんと手慣れてらっしゃるのですね」

 ヤオは軽快なステップでおどるように赤ん坊を揺すりつつ答える。

「シュワルツの森にいた時は、何かと子守を頼まれることが多かったのでな。そんな目をするくらいなら、おんも手ずから襁褓むつきを替えるところからやってみれば良い。何事も経験だぞ」

 だがそう言われても出来ないのが上流階級だったりする。子守メイドの仕事を奪うことになるし、自分が手を掛けると子供を泣かせてしまいそうになるからだ。
 そうなるくらいなら、ベテランに任せておいた方が子供も幸せだろうとか、つい後ろ向きに逃避とうひしちゃうのである。

「妻にもなれず、母親にもなりきれない我が身がなさけなく思います」
「そうか? 最初から上手くやろうとしなければ良いように思うのだがな」
「どうせヤオの場合は、仲間内から便利に使われていただけでしょ? 旦那だんなと遊びに行くから子供を預かってて欲しいとか、夜泣きの対応に疲れたとかいって押しつけられてる姿が目に浮かぶようよ」

 テュカがヤオの置かれていた状況を冷静に推察しつつ、赤ん坊を奪い取った。
 赤ん坊を胸に抱いたテュカは、幸せそうな笑みを浮かべる。

「うぐっ……それを言うな、言わないでくれ」

 そしてテュカが笑った分、ヤオは落ち込んだ。良いんだ良いんだどうせ此の身なんか……としゃがみ込んで胸にぶら下げた護符ごふ代わりの五百円玉をぎゅっと握りしめている。
 するとそわそわ落ち着かない様子を見せていたレレイが、何かの決心を固めたように前に出て、テュカに願い出た。

「だ、だ……だ、抱かせて欲しい」
「えっ? いいわよ」

 赤ん坊をぎこちない手付きで受け取ろうとするレレイの危なっかしさに、皆は彼女が赤ん坊を落としたりしないかと注視してしまった。
 だがレレイは、赤ん坊を受け取るとしっかりと抱きしめた。そしてその手足の不思議なまでの小ささに見入ったのである。
 皆の視線がレレイに向かったその隙を突くように、ヤオが伊丹にすり寄った。

「イタミ殿、どうであろう。そろそろ此の身も己の分身をあやしてみたいのだが、協力してもらえないか?」
「きょ、協力って何さ?」
「赤ん坊は一人ではつくれないからなぁ」
「いや、そう言われてもなぁ……」

 さすがの伊丹も返事をにごした。
 聞いてないように見えながら、実は皆が聞き耳を立てていることを知っているからだ。そのため話題をらすべく、ヤオの不幸体質が育児に影響しなかったかをたずねることにした。

「ヤオ、預かった子供に怪我けがさせたり不幸に巻き込んだりしなかったのか?」

 するとヤオは遠い目をして語った。

「それは大丈夫だった。此の身が命をけて守ったからな」

 つまりはそれだけヤオ自身がひどい目にったということだろう。

「赤子というのはやっかいだ。ちょっと目を離した隙に高いところに上っていたり、どうしてそうなったのかかまどの中にいたり……今思い出すだけでもゾッとしてくる。だが此の身は赤子に傷一つ負わせたことはないぞ。だから安心して此の身をはらませて欲しい」

 その瞬間である。『ギンッ』という擬音ぎおん表現が似合いそうな鋭い視線が、ロゥリィ、テュカ、レレイからヤオに浴びせられた。伊丹にすり寄るところまでは見逃しても、「孕ませて云々うんぬん」はさすがに三人的にアウトな表現だったらしい。
 その戦術高エネルギー・レーザーばりの殺視線にはヤオもされて、たちまち小さくなっていった。

「こ、この人たちは……」

 このまま放っておいては話が全然進まない。改めてそのことを思い知った司祭フラムは強引に話題を引き戻した。

「とにかくですっ! このナッシダは我らがロゥリィ神殿で初めての祝祭なのです!」
「そうですわ。聖下、お願いいたします」

 フラムの言葉に用件を思い出したのか、ボーゼスは改めてロゥリィに頭を下げた。

「聖下! どうせならみんなで盛り上げましょうよ」

 モーイがロゥリィの腕にしがみついた。
 するとロゥリィも握り拳を作って応える。

「当然よぉ。最初の祝事であるからには略式なんて言語道断。本式でも全くもの足りない。やるからにはせいしきでいくわよぉ!」

 女達は一斉に黄色い歓声を上げた。
 ロゥリィは、派手さを嫌って自分の神殿を小さく造り、神殿落成の式典でも略式も良いところのささやかな祭事しかしなかった。なのに他人の祝い事となると、派手に大きくしたがるという一面を持っているらしい。
「分かりました聖下。後見人パトロネをお願いする両親や、友人を招きますわ」とボーゼス。
「お祝い事なんて久しぶり! ナッシダはここでやるとして、終わった後は当然宴会えんかいよね。会場はどこにしようかな? 帝都からは何人くらいお客さんを呼ぶの?」とテュカ。

「両親と一族、家族同然の付き合いのある方々、それから騎士団の同僚達と友人で、合わせて二十人くらいです。トミタ側も同じくらいなので四十は超えないかと。あ、でもどこに泊まっていただこうかしら。屋敷の方は手狭な上に、このアルヌスには旅籠はたごがありません」

 するとレレイが、スヤスヤと寝息を立て始めた赤ん坊をボーゼスに返しつつ言った。

「宿泊所を使うと良い。話は通しておく」

 宿泊所とは、地方に拠点をおいて活動する組合従業員がこのアルヌスに出張して来た時のために用意された、組合専用宿舎である。
 組合の商圏しょうけんが複数の国々にまたがって広くなるにつれ、従業員達はそれぞれの職場近くに住まいを移した。そのため他国、他の街に暮らしている者がアルヌスに来た時のための宿泊所が必要となったのだ。
 いずれは地域支配人ジェネラルマネージヤーを集めた会議も開くことになるので、相応に見栄みばえのする立派な部屋も必要となる。というわけでスイートルームが五室、一般が三十室の宿舎がこのアルヌスに造られていた。
 ただしせつぐう要員――ボーイとかメイドとか――がいないから、人材を別に手配する必要はある。

「それはご安心下さい。それぞれが連れて参りますから」

 ボーゼスの招待客のほとんどが貴族だ。帝都からどんなに急いでも十日はかかる長旅に従者じゅうしゃを伴わないはずがない。
 騎士団時代の同僚ですら、それぞれの従兵を連れて来るから大丈夫ということであった。つまりは部屋さえあればよいのだ。

「問題は幹事かんじよね。どうするの?」

 テュカの言葉に皆が返事を躊躇ためらった。同窓会にしても職場の忘年会にしても、催し物を開くにあたっては、式次第からおえらいさん(同窓会なら先生。職場なら社長とか)の対応といった、面倒くさいことにまで気を配ってくれるホスト役が必要なのだ。
 するとヤオが「適材がいるぞ」とディアボの名を挙げた。
 何かとその存在を忘れられることが多いが、アルヌスの街には、住民達の利益を代弁する『州民自治会』なるものがある。最近では、非組合系の商人をまとめて、第二のアルヌス協同生活組合のようになりつつある。
 その代表こそ、帝国の元・皇子にして元・元老院議員のディアボであった。
 ディアボは講和条約発効の時点でアルヌスにいたため日本国籍を取得予定(正規の国籍獲得は門が再開通してから)であり、この地で選挙が行われるようになったら正式に知事に立候補するつもりである。
 それだけに名前を売る好機と見れば率先そっせんして引き受けてくれるはずだった。
 だが、ここで富田とみたが動いた。自分の子供のささやかな祭事が、なにやら宴会めいたものになろうとしているのを見て、思うところがあったのだろう。神殿の片隅でむっつりと黙っていたのに、おずおず進み出て口を挟もうとしたのである。

「みんな聞いてくれ。今は何かと節約しなければならない状況でもあることだし、忙しいだろう? 自分としてはそんな大袈裟おおげさにしたくないん……だ……が」

 そこまで口を開いたところで女達が一斉に振り返った。
 先ほどヤオが浴びせられたような、一人あたり三十二キロワットの殺視線が、今度はこの場にいる女達全員から富田に注がれたのである。
 それを言語化するとすれば「何、余計な口出ししてるんだお前は? あ~ん?」といった感じになるだろう。
 富田は幾度もの戦いを切り抜けた歴戦の戦士である。レンジャーしょう持ちであり、その根性は炎龍のほうこうにもなんとか意識を保ったほどだ。だがその富田をして、この圧迫感には呼吸と心拍が一瞬ながら停止したのである。

「あ、あっ、あの……何か俺、まずいこと言ったか?」
「あのうトミタさん。ナッシダ祭は別名女祭りとも言いましてえ、男の我々が口出しするのはとても危険なことなんですよう。男は黙って金を出す。それが役目で宿命で運命なんですう。まして貴方は子供の父親と推定される存在にすぎず、ボーゼスさんの夫たる権利を主張出来る立場ではないのでしょう? 子供の名前をつけさせてもらえるだけでもありがたいと思うべきなんですよう」

 神官見習いで男のたるモーイが偉そうに神の声を代弁した。

「そ、そういうことは……早く言ってほしかった」

 グゥの音も出ない。モーイに最後のとどめを刺された富田は、ゴールしたマラソンランナーのごとくへたり込んでしまった。
 それを見てフラムが言った。

「しかしながら聖下、トミタ殿の言葉も軽々けいけいに切り捨てることは出来ないかと。祭りを『盛式』で行うなら、あちこちから神官をしょうへいしなければなりませんからね」

 なにしろナッシダの主題は『神々』の祝福を得ることだ。
 略式なら主たる神殿を一ヶ所選んで祝福を得て、他の神々については護符を受けて済ます。正式ならば親が子供を抱いてあちこちの神殿を巡礼し、ついでに後見を頼むパトロネの家々を回るわけなのだが、盛式で行う場合は逆に向こうから来てもらわないといけないのだ。
 神官は最低でも三人以上呼ぶと縁起が良いとされている。だが、よほどのコネクションがないと多忙を理由に断られてしまう怖れがあった。
 気位きぐらいの高い神官達は他所よその神々の風下に立つことを嫌う。そのためすさまじい権威を持つ亜神のロゥリィは敬遠されやすい。俺達はあんたの添え物じゃねーよ、主役になれないのに誰が行くか! という心理である。
 それでもなお神官を引っ張り出すことが出来るとすれば、それは多額のお布施ふせを支払える場合だけである。しがない特別職国家公務員にすぎない富田には、それはいささか難しい。
 だがロゥリィは、フラムの心配を満面の笑みで払拭ふっしょくし、招聘しようとする者の名を指折り数えてリストアップした。

「グランハムでしょ、モーター、ワレハルンにジゼル。連中には貸しがいっぱいあるから、きっと来てくれるわよぉ。もちろん無償でね」

 その名を聞いたボーゼスは戦慄せんりつした。ロゥリィが指折り数え上げた名は高位の神官どころではないからだ。

「現存する亜神の方々を全員!?」

 そう。ロゥリィが並べたのは、現時点で地上にて活動していることが知られる亜神の全てなのだ。

「ああああ! もしそれが実現したら、何という栄誉でしょう」

 フラムは高揚した気持ちを抑えきれず頬を赤く染めた。亜神達が一堂に会して一つの祝祭を行った例はない。実現したら、それだけで歴史に残る一大イベントになるだろう。
 ああ。もう死んでもいい。フラムの表情はそう語っていた。
 だがモーイがそんなフラムの恍惚こうこつを邪魔する。

「でもフラムさまあ。わたし達だけで亜神の皆様の接待をするんですかあ? とても無理ですう」
「そう言われれば、そうですね。早急に本殿の方に応援を要請しましょう。最低でも三十、いえ五十人の増員が必要となります。でも祝祭なのですから聖下もいなとはおっしゃらないはずです。ええ、きっと否とはおっしゃらないはずです」

 フラムはチラリとロゥリィに期待の視線を向けた。大事なことなのでちゃんと二回言っている。
 するとロゥリィは「うっ」と躊躇った。フラム達が自分に仕えることについては嫌々ながらも受け容れたが、やはり大勢の神官にかしずかれることには抵抗感があるのだ。
 フラムが念を押すように言った。

「必要でございます」

 モーイが何も考えずに言った。

「必要なんだそうですう」

 これまで先送りしていた、苦手の克服こくふくに挑戦すべき時が来たのかも知れない。しばし躊躇っていたロゥリィだが、やがて思い切ったように頷いた。
 やったとばかりに握り拳で喜ぶフラム。
 こうなると話は早い。そこからは凄い勢いで展開していった。ナッシダを盛大に行うために、それぞれが「こんなことが必要なはずだ。自分が担当する」「あれは任せて」と役割を提案しては受け持っていく。そしておおむね担当が決まったところで皆の視線が伊丹に集まることとなった。

「えっ、俺?」
「もちろんでございますイタミきょう。本来ならばナッシダのような祭事にはそんたるトミタ様のご一族にも列席たまわらねばなりません。ですが事情が事情なので今回ばかりは諦めざるを得ません。しかしながら参列者は子供の後見役を引き受ける存在でなくてはなりません。新郎側にも地位の高い方に参列をお願い出来れば理想的かと……」
「その交渉を俺にしろと?」

 その手の交渉は富田の役割なのではと思う。だがフラムは言った。

「お骨折りいただけないでしょうか?」

「もちろん、最終的にはわたくしとトミタで直接お願いに伺います。けれどその前に、イタミ様にお話を通しておいていただけると話が進めやすいかと……」と、ボーゼスがもじもじしつつ続けた。
 どうやらそれぐらい上の人間に出張って欲しいということらしい。

「ボーゼスさんって帝国貴族でも上の方だよな」

 そう。上から数えた方が早い、伝統と格式を誇る侯爵閣下である。さらに言えば帝国皇太女のピニャも来るだろう。そうなると日本側からも相応に地位の高い人間を出席させないと、確かに釣り合いがとれない。
 日本の結婚式でも、両家の参列者数、格のバランスをとるようにするのが普通である。この場合は団長クラスを引っ張り出してどうにか釣り合うと言ったところだ。
 具体的にははざ陸将りくしょうか、あるいはけんぐん一等陸佐りくさあたりに頼むしかない。

「なるほど。いきなり交渉するのは富田じゃ荷が勝ちすぎている、か」

 ちらと視線を上げると女性達が満面の笑みを浮かべていた。
 分かってるわよね。そのための説明と交渉は任せるから。
 彼女達は口こそ開かなかったが、笑顔は雄弁に物語っていたのである。


    *    *


 日が暮れて、皆との夕食が終わった。
 特に今日は、ナッシダ祭のことで「ああしよう」「こうしよう」と皆で盛り上がったこともあり非常に楽しい晩を過ごせた。だがそんな楽しい時も一日の終わりという形で一区切りをつけなければならない。
 時間よ止まれと思うところだが、各々の家、各々の部屋、各々のねぐらへと引き揚げる刻限が来てしまったのである。
 ロゥリィも鼻歌をうたいつつ、神殿の傍らに建てた小さな家に戻った。
 戸を閉じてホッとひと息つく。未来の困難への不安から来るものか、それとも一日を無事に終えたことへの安堵あんどから来るものか、こうして一日が終わり孤独となったその瞬間に、小さな小さなため息をつくことが、いつしかくせとなってこびりついていた。
 まずベールを脱ぎ捨てるようにベッドの上に放り出す。次に寝台の縁に腰を下ろし、靴紐をほどいて足からすぽっと抜く。さらに絨毯じゅうたんの上に立って、背中から腰に連なるはとを通じて身を引き締めている紐を解く。すると黒ゴス神官服は重力に従ってストッと床に落ちていった。
 ロゥリィは、少しばかり不愉快な気分になって等身大の姿すがたを睨み付けた。
 日本であがなってきたゴージャスなインナーを身につけたロゥリィが、挑発的な目つきで立っている。その姿はいずれ愛の神になるにふさわしい至高の魅力にちていた。
 ロゥリィの肢体したいはコンパクトではあるが、決してつるぺたの平坦ではない。亜神になる前、早熟傾向にあった彼女の肢体は、年齢の割には胸の起伏、腰のくびれといった女性としての魅力を、ちゃんと主張し得るだけのラインをしっかり形成していたのだ。
 だがそれでも、何の抵抗もないかのごとく衣装に自由落下されてしまうと、きょうを傷つけられたような気分になってしまう。
 皆からは、老いることのない肌や細い肢体の美しい曲線、きゅっと引き締まった腰を羨ましがられるが、それは決して熟すことのない果実。時々、ヤオのような成熟した女性が持つ張りのある豊かな乳房ちぶさや安定を感じさせる腰回りが、女性としては眩しく映るのだ。
 そんな羨望せんぼうの思いは、伊丹の表情によって強く刺激されてしまう。今日のヤオに迫られて困っていた、あの顔だ。

「ヤオの奴。やるわねぇ」

 困るということは、良い意味でも悪い意味でも伊丹が意識しているということ。ある種の感情が揺れ動くからこそ困惑するのである。つまりはヤオのアプローチが、地味ながらも成功していることを示しているのだ。
 我が身をかえりみて思う。自分は、ちゃんと伊丹の心を揺さぶることが出来ているだろうか、と。
 おうように構えてしまっておくれを取っていないか、と。
 男の視線を引き寄せるには魅力が必要だ。自分を目掛けた行動に駆り立てるには吸引力が必要だ。
 もちろん人間には好みというものがあるから、全ての男を魅了しようなどと考えるのは傲慢ごうまんの極みである。しかし、せめて意中の相手くらいは揺さぶり、動かし、その関心を釘付けにしたいと願うのが女だ。それが女というものの種族的欲求なのである。
 伊丹を動揺させるには、ロゥリィの魅力にときめかせるには、今のままではいけない。これまで以上に工夫や演出をらす必要があると思われた。

「これかしらぁ……それとも、これ?」

 ロゥリィは姿見に向かっていろいろなポーズをとってみた。
 あからさまに扇情的せんじょうてき過ぎると引かれてしまうし、かといって手ぬるいのもダメ。伊丹がよく読んでいる絵草紙えぞうしや日頃の言動を参考にして、その中間くらいにある伊丹の好みのど真ん中を見つけ出さなければならない。

「この勝負ぅ、絶対に負けるわけにはいかないのよぉ」

 自分を魅力的に見せる角度を探るロゥリィの研究は、こうして小一時間続いたのだった。


 ポーズの練習というのも、気合いを入れて続けていると結構汗をかく。
 美しいポーズというのが、実は極めて不自然で無理に無理を重ねた姿勢であるという証左しょうさかも知れない。
 かつて見習い神官だった頃、じゅの指導官が「神々は、巫女が苦痛にあえぎ耐えている姿を喜ばれるのだ」と語ったが、確かにその通りだとロゥリィは改めて思い知った。
 汗に濡れた下着を脱ぎ捨て、冷水シャワーを浴びて汗と汚れを洗い流す。
 肌にまとわりついた水滴を軽く拭き取り、くるぶしまでを覆う白い薄衣の夜着よぎに袖を通した。
 いつもならば、このあと髪を丹念にくしけずって寝台に入るところである。だが今夜に限っては机に向かった。就寝前に一仕事済ませておきたかったのだ。
 ぺたぺたとスリッパの音を鳴らしながら、重厚な樫樹材かしきざいの机に向かって腰を下ろす。
 ランプの灯心を少しばかり伸ばして火を大きくし、暖かみのある柔らかな明かりの下で羊皮紙ようひしを広げたロゥリィは、羽ペンをインクに浸した。
 流麗りゅうれいな文字で、自分のための神殿をアルヌスの地にかいびゃくしたこと。最初のナッシダを盛式で行うので祭司役をお願いしたい。時期は二~三ヶ月後を予定している。詳細が決まったら改めて連絡するのでその心づもりでいてほしい……といったことを礼儀正しく格調高い言葉で記していく。
 それは指折り数え上げた、しょうしん前の亜神達への招聘状であった。
 最後に署名、おう
 花押とは差出人が本物であることを証明する特殊な記号だが、ロゥリィのような亜神は血液をインクに加えることで、神秘的な効果をこの手紙に付与する。
 末尾に一筆。「追伸ついしん、借りを返せ」これで、断ってくる者はいないはずであった。
 インクが乾くと羊皮紙をくるくるっと丸める。
 リボンをかけ、燭台しょくだいの火であぶってほどよく溶けた封蝋ふうろうをポタポタと垂らす。そして陰影を刻み込んだふうかんを施すと神書の出来上がりである。
 ところがロゥリィはこれを、不意に窓から外へとポイッと放り投げた。
 すると神書は、風に吹かれどこへともなく飛んでいってしまった。
 神書は海に投じられる手紙入りのボトルに似る。波にさらわれ、海流に乗って海岸に打ち上げられ、世界のどこかにいる誰かに、偶然に届くことを期待してボトルは海に流される。だが亜神たる彼女がこれを投じると、もっと確実で意図的なものとなるのだ。
 神書の運び手は自然のいとなみそのものである。地に落ち、風に吹かれ、がけを転がる。動物につつかれ、巣の材料にしようとした鳥が運ぶ。そして巣の下を通った何も知らない行商人の荷に落下し、まぎれこみ、宛先とされた者の手元に、いつの間にか届いているのである。

「えっ!?」

 ロゥリィがペンを走らす手をふと止めたのは、三通目の手紙に花押を書き込んだ時。
 トントントンと軽く戸を叩く音に、「誰?」と問うような無駄はしない。ロゥリィの鋭敏えいびんな感覚は、その慣れ親しんだ気配から来訪者がどこの誰であるかを察していたからだ。
 だがそれでもロゥリィは驚いていた。まさか、そんな、けれどついに……居ても立ってもいられなくなったロゥリィは椅子を倒す勢いで、ドアまでの短い距離を走った。
 ところが何を思ったのか、慌ててドアの前から取って返して姿見の前に立つ。
 鏡の前で自らの姿に乱れがないかを素早くチェック。夜着一枚という姿が扇情的に過ぎるように思えて、慌てて薄絹の表着をとって羽織はおる。
 さらにささっと髪のほつれを直す。手についたインクを手巾ハンカチ綺麗きれいに拭き取って、先ほど練習した魅惑的なポーズと笑顔を素早くおさらいした。
 その上でもう一度ドアに向かって走ったのである。

「どうしたのぉ? こんな時間にぃ」

 ロゥリィは、期待に高鳴る胸を軽く押さえつつドアを開けた。
 外開きのドアを大きく押し開き、小首を傾げるように上目遣いで微笑む。すると襟元えりもとから綺麗な鎖骨や首肩のラインが覗けるはずである。これが、ロゥリィが考えたわく的なポーズだった。
 第一声は、最初「鍵を渡してあるんだからノックなんかしないで入ってくればいいのに」にするつもりだった。だが、それだと来訪者に迫り過ぎているような気がして急遽変更した。
 どうせ仕事上の連絡事といった用件で来たのに決まっているのだから、戸口のおうで終わるだろう。ならば、これをきっかけに訪問しやすい雰囲気をつくって次回につなげることを考えたのだ。
 来訪者はロゥリィの姿に目をぱちくりさせながら言った。

「悪いな、ロゥリィ。もしかして寝てたか?」
「ううん、今手紙を書いていたところだから」
「そっか、よかった。ちょっと話をしたくてさ。入って良い?」

 その一言に思わず息をむ。
 やだぁ、ちょっと待ってぇ。いったいどうしたのぉ?
 男の口から出たとは思えない言葉に、ロゥリィは耳や頬が真っ赤になるのを感じた。
 なんでか知らないけど心臓が跳ねて、ついでに身体までぴょんぴょん飛んでしまいそうであった。そんな上下運動を強引に抑え込もうとしたせいか、ロゥリィの声はついつい重々しくなってしまった。

「と、とにかくどうぞぉ」

 いつまでも玄関前に立たせていてはいけない。籠式かごしきねずみ捕りの入口でうろつく思い切りの悪いネズミに、早く入れ早く入れと急かすような気分で、ロゥリィは大きく戸を開けて伊丹が通るべき道を広げたのだった。


「実はさ、折り入って相談したいことがあるんだ……」

 部屋に入ると伊丹はいきなり切り出した。
 わくわくした気分でふわりと寝台の縁に腰を下ろしたロゥリィとしては、ムードの欠片かけらもないと肩を落としたくなる前フリであった。
 いい女と二人きり。しかも折良おりよく風呂上がり。
 寝台に腰かけ、ここに座れと自分の隣をぽふぽふと叩いているのだから、もう少し雰囲気を作るというか、場を楽しんでも良いと思うのである。
 なのにこの男は、腰を下ろそうともしないし、甘い言葉もささやかない。期待させられただけに、「どうせそんなこったろうと思ったよ」と、がっかりしてしまった。
 ここはロゥリィを抱き寄せ押し倒し、むふふふふという展開に持っていくことが男としては正しいはず。というよりそれ以外にあってはならない。
 だがしかし、とは言えなれど、さにあらず。相手は伊丹だ。いきなりハードルの高いことを求めるのは間違いかも知れない。
 何しろこの男、「女は触れずにでるもの」という信念らしきものを抱いており、それを頑なに守ろうとしている節が見受けられるからだ。
 これで結婚歴があるというから笑える。
 やることはちゃんとやってたらしいが、もし元妻の梨紗りさに再会する機会があれば、後学こうがくのために、どんな風にそういう状況に持ち込んだのか具体的に教えてもらいたいところだった。

「はああああぁ~~」

 ロゥリィは深々とため息をつくと「がっつくな、がっつくな」と自分に呼びかけ、練習済みの笑顔で問い返した。

「それでぇ? 相談したいことって何ぃ?」

 すると伊丹はロゥリィの正面にすっと腰を落とした。
 ベッドに腰かけているロゥリィと視線の高さが同じになって、えらく距離が近いところに伊丹の顔が降りて来る。おかげでむしゃぶりつきたくなるという、野獣めいた気持ちになってしまった。
 だがロゥリィの内心で渦巻く欲望の深さを知らない子羊は、餓えた狼の前で平然とのたまった。

「結婚式やらない?」

 一瞬の空白。そしてロゥリィの脳は沸騰した。

「けっ! 結婚!? ちょっちょっと待ってぇ、まだ心の準備がぁ! でもでもはいっ! はいはいはいっのはいっ!」

 まさか結婚などという言葉が伊丹の口から出るなんて。
 ロゥリィは瞬時にしびれるような幸福感に包まれ伊丹に抱きついた。感極まって吸いついた。思いあまって噛みついた。
 伊丹は大慌てでロゥリィを制止する。ちょっと待て、落ち着けと必死になだめた。

「ちょっと待てって! 絶対に勘違いしてるから!」
「勘違い? わたしぃとヨウジが結婚することの何が勘違いだって言うのよぉ!?」
「だから結婚しようなんて言ってないから!」
「じゃあ、誰とするつもりぃなのっ! 言いなぁさい!」

 レレイかテュカかヤオか、それともピニャじゃねぇだろうなと伊丹の首を締め上げるロゥリィ。

「け……結婚式って言っても、うっ……俺のじゃないから。く、苦じぃ」
「だったら、誰の結婚式なのよっ!?」
「も、もちろん、富田とボーゼスの……し、しむ。死む……る……」
「あっ…………なるほど」

 するとロゥリィも腑に落ちたのか、ポンとてのひらを叩いたのだった。
 ついでに伊丹も落ちてその場にコロンと倒れたのだった。


 伊丹が意識を失っていたのは、わずか数分間のことだ。だが目を覚ますと、いつの間にか伊丹はロゥリィの寝台に横たわっていた。
 しかも全身が金縛かなしばり状態になってぴくりとも動かせない。何故か知らないが、身体をぐるぐる巻きに縛られていたのだ。

「あの、ロゥリィさん。なんでこんなことに?」

 伊丹をこんな目に遭わせた張本人は、身じろぎひとつ出来ない伊丹に、添い寝するようにひっついていた。

「ちょっと、やってみたかっただけぇ」
「つまり、大した意味はないと?」

 ロゥリィはくすくすくすと妖艶に笑いながらこくりと頷いた。
 この女は時々こういう悪戯いたずらを仕掛けてくることがあるが、伊丹が心底、徹底的に嫌だと思うようなことをしたことはない。だから今回もきっと大丈夫。そう信じて囁きかけた。

「じゃあさ、そろそろほどいてくれない? 俺としては話があって来たわけだし……ね?」
「いやぁよ。解いたらぁ、逃げようとするでしょぅ?」
「そ、そりゃまぁ。でも、別に逃げるわけじゃ……」
「嘘ぉ。ヨウジィって、一度逃がすとホント捕まえられなくなっちゃうんだものぉ……。このままタンスに仕舞っておこうかしらぁ」

 ロゥリィは悪戯っぽく瞳を輝かせながら、自らの親指の爪を軽く噛んだ。
 その瞳に、僅かに混じる狂気の色を見つけた伊丹は、何日間も、いや下手すると何ヶ月もこの状態のままにされてしまう最悪の事態を想像して身震いした。
 ロゥリィがそんなことするはずないとは思うのだが、不安というのはいつだって、一抹いちまつという微少な量から増殖ぞうしょくしていくものなのだ。

「あ、あの、ちゃんと解いてくれるんだよね? 冗談だよね?」
「ヨウジィはどう思う?」
「もちろん冗談だと思ってるさ。きっと、多分、おそらく……」
「でもヨウジィって、ちっとも期待に応えてくれないから、一度徹底的にお仕置きをしておきたかったのよねぇ」
「ど、どんな期待をしていたのかな?」
「意地悪。それを女に言わせようとするのぅ? ちゃんと考えてよぉ」
「でも、ほら、時間がないしさ……頼むから教えてよ。縄を解いてよ。ね」
「なによぉ、わたしぃと遊んでる時間はないって言うつもりぃ?」
「いえいえ、そんなことはありません。ただ遊ぶにしても縛られたままじゃあね、ね、ね」
「そんなに心配しなくても大丈夫よぉ。堪能たんのうしたら解放してあげるからぁ……うふふふ」

 ロゥリィはくすくすと笑うと、伊丹をなぶるようににふうっと息を吹きかけたり、伊丹に馬乗りになってあちこちくすぐったりして反応を楽しんだ。

「ぐはっ、わはっ……ロゥリィさん! ちょっちょっと、タンマタンマ!」

 芋虫のように身をよじらせることしか出来ない伊丹は、ロゥリィがこの遊びに早く飽きてくれることをただひたすら祈った。

「ひひひひひ、も、もう降参! し、死ぬる! こ、このままじゃマジで死ぬ! 死んじゃう!」

 ロゥリィが伊丹を攻め立てるのを止めたのは、それから六分二十七秒後のことであった。


 いい加減飽きたのか、それとも伊丹の限界をちゃんと計っていたのか、ロゥリィは伊丹がもだえ死ぬ寸前にくすぐるのを止めた。
 全身汗まみれになった伊丹はほうけたように天井を見上げてハァハァゼイゼイと息を切らしている。時々痙攣けいれんしていたりもするから、くところまで行きかけたらしい。
 ロゥリィも伊丹に跨がったまま、彼の胸に覆い被さっていた。

「面白かったぁ」

 悶え苦しむ伊丹を押さえつけながらくすぐるという行為もそれなりに疲れるのか、ロゥリィも肌にたまのような汗を浮かべていた。
 薄衣の夜着でそんなことになれば、当然肌に張り付き肌もける。途中経過を知らない者が今の二人を見たら、いかがわしい行為の最中かその直後だと思うこと間違いなしの姿である。
 そして、その時であった。

「聖下どうしました!? 何か禿猪はげいのしし拷問ごうもんされながら絞め殺されたような叫び……が、ここから……聞こ……え」

 ハルバートを掲げたモーイとニーナの二人が、ノックもせずに慌ててロゥリィの部屋へと飛び込んで来たのである。
 見習い神官の男のは目を丸くしてしばしの沈黙。
 助祭の娘は、あんぐりと口を開けたまま思考停止。
 その後すぐに再起動を果たしたモーイがニーナを担ぎ上げ、「失礼しましたあ。どうぞごゆっくりい、気にせず続きをどうぞお」と回れ右して出て行ったのである。

「うわ、やっちゃったぁ。じょうを下ろし忘れたわぁ」

 ロゥリィはドアが閉じられると、真っ赤に染まった顔を両手で覆った。

「おい、どうしてくれるロゥリィ……あのニーナに勘違いされたぞ」

 伊丹は、ロゥリィを責めるように苦情を言った。ニーナはロゥリィのことになると、伊丹に襲いかかってくることがある。

「そうねぇ。このままじゃあ誤解が広まっちゃう。モーイって結構口が軽くてぇ、あちこち吹聴ふいちょうしてまわるのよねぇ」
「それってヤバイよ。すぐにおっかけて訂正しないと!」

 伊丹は尺取虫しゃくとりむしのようにい進んでモーイの後を追おうとした。

「その必要はないわぁ……」
「なんで!? どうして!?」
「だからぁ、誤解じゃなくって、本当のことにすれば良いだけだものぉ」
「ちょっっっと待った! 待った! 無理だから! どうやったって無理だから!」

 こうして伊丹の叫びが、再び夜のアルヌスに響き渡ることとなったのである。


 伊丹を拘束するために、衣服の上から縄でぐるぐる巻きにしたことがロゥリィ的には災いとなり、伊丹にとっては幸いとなった。衣服を脱がすことが出来ず、結局伊丹をめにすることは叶わなかったのである。
 そのせいかロゥリィは不機嫌になり、唇をとがらせて頬をふくらませた。

「ふ~ん。あの二人の結婚式をねぇ」
「ヤオがさ、ボーゼスがいろいろ鬱屈うっくつしてて少しヤバイんじゃないかと言ってきてなあ。まぁ、妻にもなれず、母親にもなりきれないなんて言葉がサラッと出てくるようじゃその通りだって思うし、このままだと富田の奴も肩身が狭いだろうから、入籍は無理でも式ぐらいは、やっちゃった方がいいんじゃないかって思うんだよ」

 するとロゥリィは、またぷっくりと頬を膨らませた。
「またヤオか」という気分である。
 あのダークエルフは、あなどれない。気配りの出来る女というアピールをちゃっかり伊丹にして、点数を着実にかせいでいるのである。
 ロゥリィも負けてはいられないと思った。

「だからナッシダに便乗びんじょうしてぇ結婚式を開きたいと言うのねぇ?」
「もともと丘の上でも何かイベントしたいねって話にはなってたんだ。ボーゼスさんの家族や友人が来るならそれに合わせた方が都合いいだろう? 秘密裡に準備して、いきなりぶつけてやったら面白いとか思わない?」
「もちろんよぉ。素敵だわぁ。そういうの大好きぃ」

 ロゥリィは瞳を輝かせた。だがすぐに眉間みけんにぎゅっとしわを寄せた。

「ただ、結婚式までわたしぃが仕切っていいのかしらぁ」
「なにか不味いのか?」
「う~ん。ちょっと事情があってぇ……わたしぃが結婚式に関わると確実に邪魔が入るのよねぇ。やりきるにはそれを打ち破る相当の決意と覚悟が必要になるわぁ」
「なんでまたそんな?」
「昔ぃいろいろやらかしてぇ、呪われているのよぉ」
「呪いかよ?」
「そう、呪い。あ、でも、本人達にぃ内緒で準備をするって言うのなら上手く行くかも知れないわねぇ。わたしぃは式が始まる寸前まで無関係ぇ。それならぁ、余計な邪魔も入らないかも知れないでしょ?」
「分かった。問題ないってんなら、その方向で各方面に根回しをしていくぞ」

 だから縄を外してくり、と伊丹は言った。だがロゥリィは小さく拒絶した。

「ねぇヨウジィ。それってやっぱりトミタのためぇ?」
「まぁな……ロゥリィだって他人のことは言えないだろう? 見栄えよりも実が大事って言って、神殿の落成式はちんまりとしかしなかった癖に、舞ちゃんのナッシダはド派手にやろうとしてる」
「だってぇ、ここではぁ初めての祭事なんだものぉ、盛大にやりたいじゃなぁい」
「ま、それならそれでもいいけどね。でもホントに大丈夫なのか?」
「大丈夫って何ぁにがぁ?」
「だってお前、神官にびくびくされるのがいたたまれないって前に言ってたろ?」
「そうねぇ。そんなこともあったわねぇ」
「なのにその神官を五十人も集めるんだろ? そりゃ、人手が必要になるんならしょうがないんだろうけどさ、別に神官でなくってもいいんじゃない?」

 招かれて来る亜神達の接待なら、例えばフォルマル家に頼み込んでメイドさん達を何人か貸して下さいと頼む方法もある。
 エムロイの熱心な信者だったメイド長なら、きっと二つ返事で手を貸してくれるはずだ。

「大丈夫よぉ。祭典の間だけのことだしぃ、フラムやニーナの様子を見ていると昔みたいなことはなさそうだしぃ。それにぃ、神官でないと出来ないこともあるのよぉ」
「けど、お前にとっては軽いことじゃないんだろう?」

 そんな思いやりの感じられる伊丹の言葉は、ロゥリィの胸を打った。
 この男はちゃんと自分を見ている。見てくれているという感動がロゥリィの中でじわじわと込み上げてきたのだ。
 ロゥリィは伊丹に手を伸ばしてぎゅっとしがみついた。ついでに脚も絡めてやった。

「あ、あのうロゥリィさん?」
「いいじゃなぁい。嫌じゃないんでしょう?」
「そりゃ、まぁ、けど、いろいろと反応しちゃいそうなんだけど」
「反応させたいのよぉ……」

 すると伊丹が1、3、5、7、11、13……と、何やら数を数え出す。

「我慢なんかしなくていいのにぃ」

 ロゥリィはその瞳を野獣のように輝かせると、本気の『やる気』を示すように、いよいよ伊丹を縛った縄を解き始めた。

「まてまてまて、ちょっと待て」
「なぁによ? もしかして、このまま縛られたままでしたいとかぁ?」
「んなわけあるか! ただ、その五十人の神官団、どこに寝泊まりさせるか考えてあるのかなぁって思ってな?」

 これにはロゥリィも意表を突かれたのか、ふと手が止まった。

「へっ?」

 と同時に、事態の深刻さを理解した。
 森の中にあるロゥリィ神殿は、ここはほこらかと叫びたくなるほどに小さい。フラム達三人がやって来た時、慌てて生活のための殿舎を増築させたほどで、五十人もの人間が寝泊まりする空間なんてまったく用意していないのだ。
 前述したようにこのアルヌスにはホテルがない。組合専用宿舎もボーゼスの一族友人に使わせるならそれで一杯だ。
 建物が慢性的に不足しているこの街には、急に使いたいと言って使える建物などどこにもないのだ。倉庫なら山ほどあるが、まさか倉庫で寝泊まりしろと言うわけにもいかないだろう。
 ロゥリィは伊丹の胸におでこを押しつけるようにして、だらだらだらっと脂汗を流し始めた。

「やっぱり考えてなかったか……」

 伊丹の言う通りであった。
 五十人の神官団を受け容れるという決断は、彼女にとってはやはり重かった。そのため実務的なことが頭の中からすっぽりと抜けていたのである。
 本来なら、これはフラムやモーイあたりが指摘しなければならないことだが、こっちもこっちでロゥリィの許可が出たことに喜んでしまって考えが至らなかったのだろう。
 とは言えフラムやモーイのあの笑顔を、今更ダメと言ってくもらせたくはない。宿舎が足りないからという理由をきちんと告げたとしても、やはりロゥリィが神官達との和解を望んでいないのだと誤解するに違いない。

「ど、ど、ど、どうしよう……」

 滅多にないミスだが、それだけにロゥリィは激しく狼狽うろたえた。
 今から建物を建設するという荒技もあるが、神官達を一時的に滞在させるためだけに建物を一戸建てるというのも無駄である。
 組合幹部であるロゥリィは今ではちょっとした富豪ふごうなのだが、その財は神殿のものであり無駄に使うわけにはいかない。

「もしかしてそんなことになってないかって、思ったんだ」

 例によって伊丹は、なんとかなると思うから任せておけと言った。そして、その代わりに縄を解いてくれと頼んだのである。


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