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5冥門編
5冥門編-3
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料理長が、一辺が一・五メートルほどにもなる木箱を持ち出してきた。
中には、マシュマロサイズの発泡スチロールが緩衝材として大量に詰め込まれている。
俺も手伝おうと言ってレレイに手を伸ばそうとしたディアボだったが、パナシュは殿方のお手を煩わせるには及びません、と拒否した。
「もしかして俺に、他の女を触らせたくないとか思っているんじゃないだろうな? こんな小娘だぞ」とまんざらでもない表情となるディアボ。
見透かされまいとしているパナシュをマジマジと見て苦笑し、「まぁいい、そなたがなすが良い」と手を引っ込めた。
パナシュはレレイを胎児のような姿勢に折り曲げると、壊れやすい陶器を扱うかのように箱に詰め込んだ。魔導師の杖を斜めにしてどうにか入れると、さらに上からざらざらと緩衝材を追加し、被せてレレイをその中へと埋める。
木の蓋を被せて、釘を打ち込んでいく料理長。
だがディアボは、「ちょっと待て」と料理長の作業を止めた。
「そんなにきっちりと蓋をして空気は通るのか? 娘を窒息させては元も子もないぞ」
「心配性だね侍従さん。見ての通り箱は隙間だらけだから大丈夫ですぜ」
実際、木箱の造りはとても粗く、棘が毛羽立っている。
板と板の間には一センチ近い隙間が出来ていて、料理長はその隙間を埋めないように、ぺたぺたと壊れ物、天地無用、手鉤使用禁止、水濡れ注意といったシールを貼っていった。
「そうか。分かった、蓋をするのはこちらに任せろ。他にしなければならんことをしてくれ……」
「分かりましたメトメスさん。後はお任せします。俺はその間にこっちを片付けます」
すると料理長は、金槌と釘をディアボに渡し、自分は店の一般席に向かった。
ディアボも、後のことをメトメスに任せるとパナシュとともに後を追う。
料理長はカウンターに突っ伏しているメイアに向けて書類を突きつけていた。
それは、PXに品物を納めている会社に返品する際の書類である。送り先は、組合の取引先として許可を受けた日本企業。それだけにPXからの返品の際は、ゲートの検問でも木箱を開いて中身を見ることはない。組合も今やそれくらい信用されているのだ。
「ほら、返品の送り状だ。サインしろ」
顔を上げるメイア。その顔は、泣いているような笑っているような、苦しんでいるかのような複雑な表情で覆われていた。
「本当にやるニャ?」
「もう後には引けないってことは分かってるだろ? これがうまく行きゃ『門』を閉じるのは先送りになる。お前が気にしている男とも離ればなれにならなくて済むだろ?」
「ううっ……でも、こんなのは最低の恩知らずがやることだニャ」
「何言ってるんだ? これはレレイさんの身を守るためでもあるんだぞ。レレイさんは必ずゾルザルに狙われる。ならどっかに隠す必要があるだろう? しかも誰にも分からないようにな」
「でも、何で荷物みたいにして、ニホンに送る必要があるのかニャ?」
するとディアボが、メイアを誘惑するかのように囁いた。
「この地に安全な場所などないからだ。『笛吹き男』だったか? あの炎龍を討ったことで名高いイタミですら、手を退かせるのにゾルザルを締め上げるしかなかったと聞くぞ。そんな奴をゾルザルがもう一度雇ったらなんとする? きっと無事では済むまい。だが出入りが厳重に管理されている『門』の向こうならば、絶対にゾルザルの手は届かない。安全だ。違うか?」
「それはそうだけど、それだったらレレイさんとちゃんと話して……」
「それでは『門』を閉じるのを止めさせることは出来ないではないか!?」
その通りだと料理長も追従した。
「だから俺達がやるんだ。俺達ならレレイさんを守れる。そして『門』も残る。一石二鳥だ。泥を被るのだって恩返しのウチだ。確かに良心は痛むかもしれないが、後できっと感謝される。だから手伝え」
料理長の言葉にメイアは、凍り付いたように動きを止める。
悩んでいるのだ。だが、有無を言わせない二人の説得に、おそるおそる手を伸ばし、震える手で差し出された書類にサインした。ペンを置くと、ついにやってしまったという体で、カウンターに突っ伏した。
「これでよし。では、『ちゅうごく』に連絡をするとしよう」
ディアボはそう言うと、懐から携帯電話を取りだした。
「ここを押して、これを押したら」と、よく分かっていない様子で何度か間違いながら操作していく。そして「繋がったか? まぁいい。話して見ろ」とパナシュの耳に押し当てた。
「侍従殿。さかさまです」
そう指摘されて「そんなことは分かっている」と慌てて直すディアボ。
パナシュは盛大にため息をつきつつ、携帯電話を受け取ると習い覚えた日本語で話しかけた。
「こちらディアボ殿下の代理の者だ。『玉璧』の荷造りは済ませた。繰り返す、荷造りが済んだ。約束通り、目印をつけて荷馬車に載せて発送するので、受け取りの手配を頼みたい」
そんなパナシュの声を聞いていて、どうやって中国に荷を受け取らせるのかが気になった料理長は、ディアボに身を寄せて小声で尋ねた。
「このまま送りつけたら、宛先に連絡とは違う荷が届いて、ちょっとした騒ぎになっちまうと思うんですけど、どうやって目的の相手に荷を受け取ってもらうんで?」
「荷が運搬中に盗賊なんかに奪われたりすることは、よく聞く話だが、向こうでは起きないか?」
料理長は「なるほど」と頷いた。
「けど、中身はナマモノなんですからね。出来る限り穏便に頼みますよ」
「分かっている。あの娘を傷つけるのは俺の本意ではないのだからな。きっとそのように伝えさせよう」
ディアボは、メトメスが木箱を台車に載せて運んでくるとニヤリと微笑むのだった。
* *
特地と日本との往来は厳重な管理下にあって、日本人だろうと特地人だろうと自由に通行できる状況ではない。とは言え、アルヌスには大量の自衛官が派遣されて滞在しているので、多くの例外が認められ人や物の流れを円滑にしていた。
例えば特地に派遣されている自衛官は、休暇をとると許可を受けて銀座へ、そして銀座からそれぞれの目的地へ散っていく。
有事の真っ最中にカレンダー通りの勤務体制をとることはないので、毎日誰かが任務に就き、曜日に関係なく誰かが休暇をとる。そのため、ほぼ毎日誰かが『門』を通過しているのである。
さらに、陸上自衛隊の輸送隊は毎日ひっきりなしに往復している。
機械化された現代戦において、必要となる物資の量は膨大だ。
戦闘要員一人あたり、平均で二・七キログラムの食料と九キログラムの水や燃料、弾薬、その他で九十~百キログラムを毎日必要とする。一万人が戦い続けるには一日に千トンもの物資を輸送する必要があるのだ(ちなみにその内の六〇パーセントは燃料である)。
そのため毎日、大型のトラックが長蛇の列を作ってしまう。それは銀座という人の集まる街にとっては軽くない負担であり、交通渋滞の原因ともなっていた。
しかも最近はこれに加えて、特に許可を受けた民間物流会社のトラックが銀座の駐屯地に出入りする。隊員個人がやりとりする宅配便、あるいはアルヌス協同生活組合の店舗に並ぶ商品は、これら物流会社によって運ばれているのである。
ただし民間の業者が入ることが出来るのは、『門』を囲うように作られたドームまで。一歩たりとも『門』を越えることは出来ない。
ドーム内のプラットホームに降ろされた荷物は、フェンスの仕切りの中で開封されたり、各種の検査を受けた後に『門』を通り、アルヌス協同生活組合の倉庫まで運ばれるのである。
だが、逆は同じではなかった。注文とは違う品物が送られて来たり、頼んでない品物が間違って届いたりなどの手違いに対する返品に関しては、送り状のチェックを受けるだけで『門』を越え、ドーム内で民間のトラックへと積み込まれる。
『門』を通り抜けたテュカ達が、検問所で通関手続きを待っている間も、フェンス越しに見えるプラットホームでは様々なトラックが荷台を寄せて、様々な品物を降ろし、あるいは積み込み作業をしていた。
テュカの後を追いかけるようにして届けられたPXからの木箱も、小型のフォークリフトを操る運転手によって今まさにトラックへ積み込まれようとしていた。だが、箱の角をあちこちにぶつけ、倒しかけるという乱暴な作業が目を引いて、テュカは思わず叫んだ。
「そこの貴方! もっと慎重に運んでよ! 『壊れ物』って書いてあるじゃない!」
だが、出入りするトラックの騒音が反響するドーム内で、フェンス越しに叫んだところで声が届くはずもなく、運転手は乱暴な荷運びを改めない。
苛立ちを堪えきれなくなったテュカは、精霊魔法を使って見えない風の道を拵えると、再度声を運転手へと届けさせた。
「もう少し慎重に運んでっ!」
その耳元で怒鳴られたような声に、さしもの運転手もビックリしたようで大仰に振り返ると声の発信源を探した。
「輸送の途中で壊れると、こっちが損を被らなきゃなんないの。だから慎重に運んでちょうだい!」
運転手は戸惑った表情となった。きょときょとと周囲を見ても、自分を怒鳴った女声の主が見当たらなかったからだ。
「こっちよ、こっち」
やがて、離れたところで腰に腕を当て、険しい表情で仁王立ちしているテュカの存在に気づく。
そして、まさかぁとでも言いたげな表情をする。だが視線を合わせたテュカが「そう、あたし。きちんと見てますからね。丁寧な仕事をしてね」と繰り返すと納得できたのか、運転手はぺこりと頭を下げ、了解したことを示すように片手を上げた。
「次の二十三番の方。テュカさ~ん、審査しますよ!」
栗林達の通行手続きが終わり、女性係官がテュカの番号と名前を呼んでいた。
もう一言、二言注意したいところだったが、もう行かなければならない。テュカは「あ、はい」と慌ててカウンターへ向かった。
そこでは制服をまとった女性自衛官から、形式的ながらいくつか質問を投げかけられた。
ここ数日病気にかかりませんでしたか? 今、熱はないですか? 日本国内で規制されるような、薬物、刀剣などを持っていないですか? 等々。
それらの全てをテュカは「いいえ」と流暢な日本語で否定し、確認書に署名する。すると係員はテュカの差し出した書類に、真っ赤なスタンプを音を立ててついた。
随行する栗林や富田らは、護衛の任務を兼ねているので質問はないし、武器の携行も認められている。警衛に関係書類を見せ、敬礼して終わりであった。
「では、いってらっしゃいテュカさん」
こうして三人は銀座へと入ったのである。
特地人のテュカが、随分すんなりと通行が許可されたのは、アルヌス協同生活組合の幹部故に例外的な扱いを受けているからである。日本政府と交渉する際に必要ということもあって、森田総理から直々に特別許可証が発行されたのだ。しかも、それ以外の配慮が彼女達には与えられていたりする。例えばこれだ。
「今日も、よろしくお願いね」
テュカは、栗林達を引き連れていつものことのように、待ち構えていたワゴン車の後部座席へと乗り込んだ。
前もって連絡さえしておけば、安全確保、機密保持等々の都合といった様々な理由から、黒服を着た運転手の付く乗用車まで用意してもらえるのである。
だが運転手だけでなく、助手席にも誰かが座っていることに気付いたテュカは、身を乗り出して声をかけた。
「あれ、もしかしてコマカド?」
「おはようテュカ……さん、今日はまた、随分とめかし込んだな」
助手席にいたのは駒門だった。運転席の黒服と並んで、二人の男達はテュカの姿を見ただけで魂を奪われたように頬を赤らめた。
「おはよう? 随分と時差が出てきたのね。こちらではまだそんな時間?」
「おっと失礼。今は、おはようと、こんにちはの区別のきわどい時間帯ってところだ。特地はもう昼過ぎか?」
「そうよ。ところで今日は何か特別な日? コマカド自身がわざわざ迎えに来てくれるなんて」
「ちょっとなぁ。銀座が少しばかり騒がしくなってるんで、俺が直接来たってわけだ」
駒門は運転手にエンジンをかけさせると、テュカに顎をしゃくり窓の外を見るように促した。
銀座駐屯地のフェンス周辺に多くの人々が集まって、車道を練り歩いている。見ると、そろいのTシャツを着ていたり、プラカードを持っていたりする。それらには……。
「日本政府は、銀座事件の外国人被災者にも補償せよ!」
「『門』を閉じずに、フロンティアを我らに開放せよ!」
「国際社会に特地を委託せよ!」
「宇宙条約を遵守せよ!」
「特地の環境を破壊するな」
「日本人は鯨やイルカを殺すな!」
といった主張が書かれていた。
もちろん、独特の書体で書かれたそれらをテュカが読めるはずがない。
「何が書いてあるの? 何かの宗教行事?」
「あれは『デモ行進』って言うんだ。民主主義の国家では、ああやって人々が集まって政府に不満を表明したり、主張したいことを皆に向けてアピールしたりすることが許されている」
見ると、警察官が「立ち止まらないで下さい」と拡声器で呼びかけながら、交通整理をしている。それに従うデモ参加者も、まるで運動会の入場行進かと思うほどに秩序だった動きを見せていた。
駒門は、それを見て「ん?」と眉を寄せる。胸騒ぎにも似た違和感を覚えたのだ。どうにも不自然な香りがする。だが、「これって、暴動とかになったりしない?」とテュカに話しかけられ気が削がれてしまう。
「最近の日本じゃまずないな。昔はいろいろな連中が、政府を攻撃すると称しながら、その実自分達と同じ弱い立場の人が所有する車をひっくり返したり、商店を営業不能に追いやって酷い損害を与えたりもしたんだが、今は滅多にない。海外だと暴動に発展したり、気に入らない国の国旗を焼いたり踏みつけたりする例もある。イギリス、ちょっと前にはフランスで暴動騒ぎがあったりしたな……」
「野蛮ねぇ。そんなゴブリンみたいな連中がいるの?」
「人間って堕ちるのは案外簡単なもんなんだ。我々だって、そうならないように注意してないと、あっという間に同じレベルになっちまうから気をつけなきゃならん」
そこまでは関心がないのか、テュカは「ふ~ん」と呟き視線を他所へ向けた。駒門も「いつものように頼む」と運転手に出発を命じる。
テュカ達を乗せた乗用車は、警官が踏切のように人の流れを止めてくれた間隙を縫い、銀座の駐屯地から道路へ出た。
いつもなら、そのまま車の流れにのって銀座から離れられるのだが、今日はそうもいかなかった。長いデモの列のために渋滞が出来ていたからである。乗用車の後ろには、運送会社の大型トラックが数台続いてるが、その運転手達も皆うんざりしたような表情を見せていた。
ふとテュカが感想をもらした。
「ニホンの人って、比較的同じ色合いの肌に、黒髪って印象があったんだけど、こうして見ると意外と多彩なのね」
車窓から見える群衆は、アジア系ばかりでなく白人種、黒人種がまざり国際色が豊かなのだ。
もちろん圧倒的多数はアジア系である。だが、それだけに毛色の違いが目立つのだ。
「実はこのデモは、国際NGOが主体となっているんだ。主催者は一応、日本人ってことになってるんだが、ふたを開けてみたら中国、韓国、フランス、イギリス、アメリカ、ロシアなどからぞろぞろやって来てこの始末だ……だから俺まで出張る羽目になっちまったってわけだ」
「そうなんだ。ありがとう」
「いいえ、どういたしまして……だな」
デモ参加者達は様々な旗を持ち寄っていた。赤い旗。赤と白のストライプに一部青地に白い星をちりばめた旗。赤白青の三色旗など、いろいろだ。
「この色とりどりの旗は、もしかしてそれぞれ参加者の国の旗かしら?」
「そうだ。あの赤いのが中国で、これが韓国。こっちの派手な横縞と星をちりばめたのはアメリカ合衆国、そしてフランスとイギリス。あれはロシアだな」
「でも、外国人が他国で騒ぎなんか起こして問題にならないの?」
「まぁ、法律に反しない限りは……だな。国連総会とか、国際的な会議が行われるところでは、国際NGOがデモとか集会を開いたりするのは普通のことだ」
「そうなの?」
日本についての基本的な知識がまだまだ不充分なテュカには、海外から来た人間にすら示威行動を許す日本のありようは驚きでしかない。
「でも、まるで軍隊みたいに秩序だってるのね」
テュカの感想を耳にした途端、駒門は先ほどから覚えていた違和感の正体を悟った。
そうだ、このデモ隊に参加している外国人達は、国際NGOを名乗っている割には不自然なまでに統制がとれているのだ。その行動も指揮官からの指図でなされているように見えなくもない。「軍隊みたい」……テュカの感想こそが、全てを言い表してるように思えるのだ。
駒門は不安の正体に気付くと、いち早くこの場から脱出すべく運転手に命じた。
「おい、ここでUターンして対向車線に入れ」
だが、これまで無言を貫いていた黒服が、この指示に戸惑いの表情を示した。
「ここは、Uターン禁止です」
「かまうもんか。今はゲストの安全が第一だ、行け!」
「でも、対向車が途切れてからでないと、事故ります。まずいですよ」
渋滞のせいもあって対向車がなかなか途切れない。ムリに割り込めば、接触事故は免れないだろう。運転手が躊躇うのも当然であった。だが、その数秒間の逡巡が皆を騒動に巻き込む。
「え、あれっ! ちょっと、なんか変よ。何? 何? 何が起きたの!?」
外を眺めていたテュカが叫んだ。
それまで整然と行進していたはずの国際NGOのグループの一つが、突如として列を乱し、警官の制止をふりきって一斉に走り出したのである。
その一部は、停止していたトラックや乗用車の間にまであふれ、ただでさえ渋滞していた交通を一気に麻痺させる。
警察官はホイッスルを鳴らし、デモ参加者に列に戻るように声を張り上げた。
だが、あちこちで同時多発的に起こされた突発的な出来事に対処しきれず、数の勢いに圧倒されて、警官達の方がもみくちゃにされてしまった。
テュカ達の乗るワゴン車の周囲は人海で埋め尽くされ、前にも後ろにも動けなくなってしまったのである。
襲われる。そう感じた栗林と富田は反射的に銃を構えた。だが、駒門から撃つなと叫ばれて引き金から指を離す。
「ここは特地じゃないぞ。頼むから二人とも、頭を平時モードに切り換えてくれ!」
とは言え暴動とも言える騒ぎはもの凄い勢いで拡大し、比較的冷静な富田ですら「撃たずに、どんな対処するんですか!」と怒鳴り返したほどである。
デモ参加者はトラックに群がると荷台に積まれていた木箱を道路に投げ落としたり、中身を引っ張り出そうとしたりするという無法行為に手を染めているのだ。
「連中の目的は、略奪か!?」
「いや、それはないと思う」
駒門は運転手の言葉を否定した。確かに一見無統制な暴動のようだが、彼の目にはデモ参加者達が無秩序に暴れているようには見えないのだ。
実際に、通りに面した銀座の商店やデパートなどはショーウィンドウが割られ、商品が略奪されている。銀座は高価な商品を並べている店が多いため、その被害は甚大な金額となるだろう。
だが、よくよく観察すると、そういった略奪をしているのは騒動に便乗したデモ参加者の一部でしかなく、中核となっている連中は、一つの指揮系統に従って行動しているのである。その統制を受けた一団は、トラックの窓を叩き割って、中から運転手達を引きずり下ろすと、荷台に積まれた荷を引っかき回していた。
「彼奴ら、何かを探しているみたいですね」
運転席の黒服もそのことに気がついたようだ。
「そうだな……」
トラック一台の荷物をあらかた調べ終えると、一人の男が次の一台に指を向けて何かを叫んだ。それに従って男達が一斉に走り出し、瞬く間に次のトラックに群がっていく。
「あいつら、何を探してるんでしょうね?」
「分からんが、とにかくここに留まっているのは拙い」
何としても脱出しなければならない。それが駒門の判断だった。
駒門はシートの下に常備されている赤い発煙筒を手に取ると、後部座席を振り返った。
「よし、脱出するぞ。これから発煙筒を焚く。煙が車内に充満したら、一斉に外に飛び出してくれ。車から煙が吹き出せば、火がついていると思うだろうから連中も少しは離れるはずだ。そしたら、その隙を突いて一気に走りだせ。栗林と富田、テュカさんをしっかり守れよ。俺はこの腰だから追いつけんと思うから先に行け。集合場所は……そうだな、とりあえず渋谷の駅交番。そこで合流だ。いいな!」
「了解!」
栗林と富田の二人は武器を手にしているのを見られる方が危ないと考え、それぞれ鞄に押し込んだ。「準備良し」の声で駒門は発煙筒に着火する。
「あ、あれ……」
車内が煙が充満する寸前、テュカは前にいたトラックの台から木箱が降ろされているのを目撃する。それには『壊れ物』『天地無用』などと書かれたシールが貼られていた。地面に叩きつけられたら中身が壊れちゃうと心配になったのだが、暴徒達は何故かその箱に関しては慎重に扱っていたのである。
「ちょっと、それ、どこに持って行くの! 組合の荷物よ!」
思わず声を上げるテュカだったが、刺激性の強い煙に視界を覆われ、最後まで木箱の行方を見届けることは出来なかった。
「行くぞ。いまだ!」
突然、目の前のワゴン車から白い煙があふれ出るのを見たデモ参加者達は、炎上爆発するとでも思ったのか、潮が引くように車から離れていく。
そのわずかに開いた隙をついて、栗林とテュカは車から降りた。
興奮した群衆に条理は通じない。理由のない暴力が犠牲者を求めて渦巻くなかで、周りの男達は二人を標的にして汚れた手を伸ばそうとした。だが、富田がそれを振り払う。たちまちもみ合いから乱闘へと発展し、富田は周囲からの無数の拳によって殴られてしまった。
だが、富田は少しも怯まない。両腕を顔の前で交差させ、栗林とテュカが進むための道を強引に切り開いていった。
後ろ側から抱きすくめようとした男を、回し蹴りで蹴倒した栗林が叫ぶ。
「行ける!? 富田!?」
「任せておけ二人とも、俺に続け! うおおおおおお!」
先頭に立った富田は群衆を押しのけるように突進する。
「そうこなくっちゃ。あんたのそういう所が見たかったのよ!」
栗林は嬉しそうに叫ぶと、テュカを守ってその大きな背中の後に続いて走りだした。
02
ゾルザル討伐の合同軍を送り出した後のイタリカは、妙に閑散としていた。
フォルマル伯爵家の領内に残されたのは伯爵家の私兵部隊と、亜人の諸部族部隊。そしてピニャの騎士団である。これこそが正統政府軍の初期の構成であり、彼らが此処に集まって来たばかりの頃は、その颯爽とした足取りでイタリカの街は高揚した空気に包み込まれていったのだ。
だが今や、その士気は下がるだけ下がり、だらけた気分が蔓延している。
兵士達からはやる気というものが消えていたのだ。
朝靄のまだ晴れないなか、城壁の上に立つ見張りが交代の儀式を執り行っているが、今の彼らを動かしているのは、旺盛な戦意ではなく、習慣という一種の惰性でしかない。
斜面を勢いよく転がっていた巨石も、平地に至ればやがては勢いを失って静止する。それと同じように兵士達が従っている惰性もやがては尽きて、後に残るのはかつては軍であったという残骸だけだろう。その途中経過をイタリカの住民達は見せつけられていたのである。
白薔薇隊隊長ヴィフィータは嘆いた。
「困っている時に限ってこれからは亜人の時代だとか、亜人の地位向上とか言って持ち上げてやがった癖に、なんだよこの掌の返し方はよぉ」
帝国正統政府を立ち上げた当初、講和派貴族達は兵力不足に悩んでいた。
援軍を求めて外国や諸侯国に使者を送っても色好い返事を得ることが出来ず、盗賊や脱走兵などのならず者達にさえも相手にされないという状況に陥っていたのだ。
そのため、彼らは苦肉の策として亜人部族に協力を求めた。帝国内での地位向上を代償にして。
具体的には諸部族の族長階級にある者を帝国貴族として伯爵や子爵に任じ、空席となった議席を埋める形でそれぞれを元老院議員に任じたのである。
それは、国の支配体制の部外者……よく言えば客人として扱ってきた亜人種を帝国の一員とみなし、帝国の行く末について共に論じ合い、共に担っていくという方向に舵を切ったことを意味していた。
亜人部族もこれまでのけ者にされてきた国家運営に携われるようになると思えば、手を貸してやってもいいと思うようになる。こうして正統政府軍には、五十四種族の兵士達が、各地から集まって来たのである。
だが情勢は変わった。
外国や諸侯国からの援軍が到着して、これに比例してヒト種の傭兵が充足しはじめると、帝国正統政府の貴族達は掌を返した。
それまで亜人の族長や有力者が占めていた正統政府軍のポストを、ヒト種の将校、ヒト種の士官に与え、いざ戦争が始まると「お前達はもういいよ」とばかりに亜人部隊を置き捨てて行ってしまったのである。
とは言えもちろん、そんな恥知らずな内情を自ら曝すようなことはしない。
ピニャも「真に困っていた時に助けてくれた者にこそ、皇帝陛下の守護を任せられるのである」と左右に語り、士気の維持をはかっていた。
「いずれ、我らにこそ決戦の場が与えられる。露払いは他の者に任せて、我らはその時まで英気を養っておくのだ」
こんな言葉が、空中分解すれすれの彼らをどうにかまとめ上げていたのである。
だが、次々と届く知らせは正統政府軍の破竹の勢いを伝える物ばかり。自衛隊を主力とする合同軍が苦境に陥ることなどあり得ないように見え、イタリカが危険に曝される状況など、誰にも想像できないのだ。
ピニャの言う決戦などないと気付いた亜人兵は「何しに俺達はこんなことまで来たんだ?」という拍子抜けした気分に陥った。そして、「どうせ、こんなこったろうと思ったぜ。正統政府の奴ら、俺達を体よく騙しやがったんだ」という反感めいた気持ちを抱くようになったのである。
そんな思いに駆られるのは亜人種だけではない。ピニャの騎士団の隊員達までもが、彼らに共感する態度を示していた。
彼らからすれば、自分達こそがピニャの剣、皇帝の楯、正統政府軍の中核であった。そんな自負を抱く者達が肝心の戦いからのけ者にされていると思えば、どうしたって不満を抱かずにはいられない。
ヴィフィータの漏らした「その気持ちは正当な物だし、理解できますけど、それをこの場以外で口にしてはいけませんよ」という言葉も、そんな隊内に広がっている皆の心境を代弁したものだった。
騎士団の指揮をピニャから託されているボーゼスは、柑橘の実を囓りながら友人でもある部下を窘めた。ヴィフィータクラスの高級将校が不満を公言すれば、下々の兵士達はこれ幸いと、言葉だけでなく態度で反感を示すようになるからである。
もちろんヴィフィータも、「分かってるさ」と素直に頷いて口を噤んだ。
彼女とて波風を立たせたいわけではなく、自分だけがそう思っているわけではないことを確認したかっただけで、ボーゼスに「正当で、理解できる」と言って貰えれば充分だからだ。
「それに殿下は、わたくし達こそが決戦の場に立つことになるとおっしゃってます。何の根拠もなく口にされたこととは思えないし、何か考えがおありだと思うわ」
「それこそ、信じられねえ話だよ。自分でも信じてないことを他人に信じさせるなんて器用なこと、俺には無理だぞ」
「けれど、わたくしには殿下が本気でそうおっしゃっているように思えるのよ。だから気を緩めないでちょうだい。隊内をしっかりと引き締めて」
「ちっ……分かったよ。しょうがねぇなぁ」
ヴィフィータは項の髪の生え際のあたりを人差し指でポリポリと掻くと、ボーゼスに敬礼して彼女の執務室を後にした。
これと似たようなやり取りは、イタリカに残った様々な部族でなされていた。そしてわずかに残った志のある兵は、愚直なまでに日々の任務に励んでいたのである。
そしてその努力は、ついに報われることとなった。
哨戒に出ていた六肢族と小人族の兵が、ものすごい勢いで馬を走らせ戻って来た。
「た、大変だ大変だ! 敵だ!」
ダークエルフの警備隊長はそれを聞いて鼻で笑った。
「そんなことあるわけ無いだろう!? その辺で昼寝でもしてて、夢でも見たんじゃないのか? 敵がいるとしても、遥か東だ。どうしてこんなところに湧いて出るんだ?」
だが、六肢族兵は懸命に二対の腕を振り回して叫んだ。
「間違っていたら儂らを処罰してくれてもかまわん! だから確かめるために兵を出してくれ!」
そこまで言われれば、無下に扱うことも出来ない。ダークエルフの警備隊長は半信半疑ながらも、剽悍さで知られる狼系の獣人部隊を斥候として送り出した。
「まぁ、そういうわけだ。頼む」
「はいはい。隊長さんも大変だね」
そして、送り出した狼族の斥候が転げるような勢いで帰って来るのを見て、初めて敵が接近しつつあるという事態を上司に報告したのである。
たちまちイタリカの城市は、大騒ぎとなった。
ピニャは、「やはりそうか」とだけ答えると、ボーゼスに敵の出現方向に向けて強力な幹部斥候を出させた。
兵士がもたらした報せは、敵らしき前哨部隊を見たと言うだけで、その規模や目的を推し量れるような情報ではなかったからである。そして届けられた報告は、ゾルザルの旗印を掲げる帝国軍約一万が近づいて来るというものであった。
「兄様が直々に率いておられるのだな?」
斥候任務から戻ってきたシャンディー・ガフ・マレアが跪いた姿のまま答えた。
「はい殿下。ゾルザル殿下の旗印をこの目で確認いたしました!」
「数は一万か……どうやってと問うことは無意味だな。きっと兄様は最初からここを決戦場に決めていたのだ」
「殿下は、こうなることをご存じだったのですか?」
ボーゼスがおずおずと尋ねた。
「想定された事態の一つだったとだけ答えておこう。普段の兄様の言動から見ても、こうなるような予感はあった。勝ち目のない守勢の戦いで、ずるずると戦力を消耗して破れるくらいなら、乾坤一擲の大勝負に出て来る可能性もあると思っていたのだ」
「ピニャ殿下ほど、ゾルザルのご気性を理解している方はいないでしょう」
「そうでもないぞ。妾からしてみればこの事態は、ある意味で意外だ」
「意外……ですか?」
「あれで兄様は臆病者でな。こんな勝負に打って出るほどの気概は、本来は持ち合わせていないはずなのだ」
「これは異な事を。それなのに、出てくると予想されていた?」
「兄様はな、自分を英雄だと思い込んでいる。いや思い込まされているとでも言うべきかな? 英雄を形だけ真似て、色を好まねばならないと思うから次々と女を漁る。だけど劣等感が強くて、貴族の女相手にはどう接すれば良いか分からない。女の目を真っ直ぐ見られないのだ。だから奴隷女を側に置く。だが奴隷女で満足していると思われるのは屈辱だ。だから無下に扱ったり、虐待したりする。それと同じで自分を勇気のある男だと思うからこそ、こういった状況では、乾坤一擲の勝負に出るものだと思い込んでいる」
「……なんだかその、もの凄く……みっともない話ですね」
「事実みっともないのだから仕方がないな。その昔、兄様は妾の寝所に忍んできたことがあった。他の女を真っ直ぐ見れないから妹の身体で自分が男であることを試してみたかったのだろう。だがすげなくされた。妾からすれば当然の話だがな……以来、兄様は奴隷女に走り、妾には複雑な気分を抱いたまま。昔の恥を雪ぐために妾に自分は凄いんだぞと認めさせたくってしょうがないのだ。それゆえに妾を吊し上げたりもしたのだろうが……結局は恥を上塗りして、妾に情けない姿を曝す結果になってしまった」
なんという事かと皆は揃って頭を抱えた。
帝国が、そんな男の見栄のために振りまわされているのかと思うと、皆やりきれない気分になってしまったのだ。
「兄様の妹として皆に頼みがある。このことは内緒にして欲しい。恥ずかしい話だからな」
集まったピニャの部下達は、しょうがないとでも言うように「はい」と頷いた。
最早ゾルザルのことを脅威だと思うような者は、どこにもいなかった。
その意味では、ピニャは勇壮な演説をすることなく、主立った者からゾルザルに対する恐れの感情を取り去ることに成功したのである。
「とは言え、お前達がこの地に残っていたことは僥倖である。妾は麾下に最高の戦力をそろえた状態で、あの劣等感の塊と戦うことが出来るのだからな」
イタリカに残る兵力は八千に届くかどうかでしかない。
とは言え城に籠もって戦うには充分な数でもあった。城市を守り、敵を防いでさえいればいずれ味方が駆けつけて来る。要するに、城壁内部でじっと耐えてさえいれば良いのだ。
「だが、それではこの内乱は終わらない。終わらせることは出来ない」
ピニャは、待ち続けているボーゼスや、ヴィフィータ、ニコラシカ、ハミルトン、シャンディー、グレイといった子飼いの部下達、そして亜人連合部隊の指揮官ドッツエル(ダークエルフ)、メイソン(ドワーフ)、エルナン(六肢族)、コルドール(ワータイガー)らに向き直ると告げた。
「各部族代表者達をことごとく広間に集めよ。あらかじめ申し渡しておくことがある」
ボーゼスは尋ねた。
「そうおっしゃるのは、常道とは異なる策を用いられるおつもりだからですね?」
「そうだ。妾としては、城外に出て兄様を迎え撃ちたい」
これには、皆、驚いたように互いの顔を見合わせた。城に籠もっていれば犠牲は最小限で済むというのに、あえて城外で戦うことに理由を見いだすことが出来なかったからだ。
ベドワイデン地方の領主として子爵に封じられたダークエルフの族長、ドッツエルが訝しげに問いかけた。
「殿下のご命令とあらば、それがいかようなものであろうとも従いますが、お話は聞かせて頂けるのでしょうな?」
「もちろんだ。その理由を説明するために隊長格の者を集めたいのだ」
「では、直ちに皆を集めます」
シャンディー達が弾かれたように走り出した。
* *
「卿らに告げる。妾はあえて城外に出て、野戦にて兄様に挑もうと思っている。その理由はこの地を本当の意味での決戦場にするため。ゾルザルをこの地から逃さないためである」
皆が驚愕の沈黙に包まれている中で、グレイ・コ・アルドが尋ねた。
「どういうことですかな殿下? 小官にも分かるように是非、詳しく教えて下され」
皆が発言しづらい時に発言し、問いにくいことを面と向かって問える位置にグレイという男はいる。
歴戦のグレイが発する問いは、将兵の心に沿った物が多いのだ。ピニャも、彼を納得させることが、兵士達を納得させることに繋がると理解していた。
「もし、妾達が城に籠もって戦ったとしよう。そうなればゾルザル軍は、城を陥そうと遮二無二攻めかかって来るだろう。だが戦に手間取れば臆病な兄様のことだ、いつ我が軍の本隊が戻って来るかとやきもきしはじめる。そして適当なところで見切りを付け、この地から逃げ出し、別の地に根を下ろして再起しようとする。これでは内戦は終わらない。だから妾は兄様にそれをさせないために、時を忘れさせなければならないと考える。あと一踏ん張りで、この戦いに勝利できると思わせ続けなければならぬのだ。味方が駆け戻って来る、その瞬間までな」
「そのための野戦ですか? しかし、そうなると相当の犠牲が出ることが予想されますが」
「それは覚悟して貰いたい。我らは基本的に守勢で戦い続ける。皆が懸念している犠牲も数多く出るであろう。だが、兄様を逃して、内乱が長引くよりは良いはずだ。この地で決着をつけてしまった方が犠牲の数は少なくなる計算だ」
この説明の重さに皆が黙ってしまった。
確かにピニャの言う通りだろうと思われたからである。とは言え、それは犠牲を数字として捉えているから言えることだ。
ここにいる隊長格の者達にとって犠牲となる兵士は、顔を知り名を呼んだことのある者達である。それを将来のために、あえて供犠にすると言われても、なかなか納得できることではないのだ。
「しかし殿下、お味方は本当に戻って来ますでしょうか? 戻って来るとして、いつ頃に?」
グレイの問いに、ピニャは分からんと笑った。
「戦闘中でもあるし、味方がどこまで進んでいるかによるから、いつ戻って来るとまでは明言できぬが、おそらくは一両日中には来ると思ってよかろう」
グレンダ地方の領有を伯爵として認められた、ドワーフの族長メイソンが、文字通り重い腰をよっこらせと上げた。
「う~む。そういうことならば仕方あるまいな。儂が先鋒を買って出ることにしよう」
「いや。ドワーフばかりに任せてはおけんぞ。我ら六肢族とて」
「そうだ! 考えて見ればこれは帝国の隅っこに追いやられていた我らが、誇りを取り戻す絶好の機会とも言えるぞ」
ドッツエル、エルナン、コルドール達が次々と声を上げる。さらには隊長達もその声に押されるようにして頷きはじめた。
「うむ。この機会を失っては、次の戦いでまた蔑ろにされかねん。儂らはここで誰もが認めざるを得ない程の戦果を得なければならんのだ。後の語り種となるような戦いをしてみせようぞ」
「その通り! 戦場から遠ざけられて腐っていた我らに、敵と戦う機会が与えられたのだ。これを喜ばずなんとする?」
「そうだな。遠のいたと思った手柄首が、我らの前に転がってきたのだ。野戦ならゾルザルを捕らえることも出来るかも知れん」
隊長達の高まった戦意と、壮絶な戦いへの覚悟はたちまち兵士達にも伝わった。
ここで怯まずに戦い抜いてこそ、部族の地位を高め、自分の家族や子供達の未来は開かれるのだという希望を胸に抱いた亜人部族の兵士達は、正面から勢いに任せて蹂躙しようと突き進んで来るゾルザル軍の鋭鋒に対して、一歩も退くことなく立ち向かったのである。
* *
ゾルザル派帝国軍は、イタリカの城市を背にして布陣する正統政府軍に対して正面から戦いを挑んだ。強固な要害を背にされては、側面や背面に回り込むことは難しく、他に攻め手がなかったからである。
槍先をそろえ楯を並べ、その後ろに身を隠しながら突き進んだ両軍の先鋒は、ただ力任せにぶつかり合うこととなった。その激突は、向かい合って走った数十台のダンプカーが正面から激突するほどの衝撃音を周囲にまき散らした。
林のように並べられていた槍はその衝撃でへし折れる。割れた楯が弾けて天空に舞い上がり、無数の木っ端があちこちに飛び散って、槍の穂先を胸に受けた兵士が、自らの血しぶきを浴びながら糸の切れた操り人形のように崩れ倒れた。
だが、兵達は一歩も退かずに向かい合い、その場に脚を止めて戦った。
隊列を少しも乱すことなく、自分の前に立つ味方の背中を支えて立ち、前の兵士が倒れるやいなや、戦斧を振り下ろし雄叫びをあげながら突き進んでいった。
ワータイガーが、大地を這うようにして敵兵の脛をなぎ払い、ゾルザル軍の隊列に亀裂を入れる。その背後からドワーフの重装兵が楯を並べて凄まじい圧力をかけ、エルフの弓兵が正確な狙いで矢の雨を降らせた。
ロキ族や、ギガスといった半裸の巨人種族が錆びかけた剣を振りまわす。
小柄なサムツァが槍を並べて、次々と小刻みに突き出す。
ゾルザル軍の兵士達は、亜人兵の意外なほどの堅い守りに、攻めあぐねることとなった。
「正面から攻めるしかないとなると、小勢が相手でも意外と手間取るものだな」
戦場の様子を眺めながら、ゾルザルはそんな感想を漏らした。
緒戦とは言え、戦況が拮抗してなかなか動かない様は、見ている側にとっては非常に忍耐を要求されるものなのだ。
「結局のところ戦いとは、相手をどうやって包囲するかです。その意味でピニャ様は、囲まれないことを目的にして、この野戦を考えられたのでしょう。籠城してしまえば備えは堅いですが、同時に逃げられなくなることも意味しますので」
抜け穴でも用意してあれば別ですがね、というヘルムの解説にゾルザルは、ふんと鼻を鳴らした。
「小癪な奴だ。こんな事なら毫象部隊を引き連れて来るべきだったか」
そうすれば正面から踏みつぶしてやれたものを、とゾルザルは愚痴った。
だが森の深い山岳地帯を行軍するのに、そのようなものを連れて来ることは出来なかった。
「とは言えピニャの狙いが最初から退路の確保にあるならば、イタリカから逃れ出ようとする者を監視させる必要もあろうな。上手くすると大魚を得られるかも知れんぞ」
ゾルザルは、ピニャが包囲を嫌った理由を、皇帝の逃げ道を確保するためと見た。ならば、見張っていれば皇帝がイタリカから逃げ出すところを捕らえられるかも知れない。
「はい。既に斥候を放って監視させております」
ヘルムはそう答えてから、「第三梯団! 前へ!」と指令した。
太鼓が叩かれ、ラッパが吹き鳴らされる。
すると今まで戦わずに控えていた方陣の千名が、前進を開始していった。
新たな戦力の参入を受けて、ピニャの軍からも一部隊がその進路を妨げるように動いていた。その数は千五百ぐらいに見える。
「ピニャ殿下、貴女の弱点は原則に忠実で、相手より多い戦力で対応したがるところだ!」
ヘルムは矢継ぎ早に命令を放った。
「第四梯団も続けて前進せよ!」
中には、マシュマロサイズの発泡スチロールが緩衝材として大量に詰め込まれている。
俺も手伝おうと言ってレレイに手を伸ばそうとしたディアボだったが、パナシュは殿方のお手を煩わせるには及びません、と拒否した。
「もしかして俺に、他の女を触らせたくないとか思っているんじゃないだろうな? こんな小娘だぞ」とまんざらでもない表情となるディアボ。
見透かされまいとしているパナシュをマジマジと見て苦笑し、「まぁいい、そなたがなすが良い」と手を引っ込めた。
パナシュはレレイを胎児のような姿勢に折り曲げると、壊れやすい陶器を扱うかのように箱に詰め込んだ。魔導師の杖を斜めにしてどうにか入れると、さらに上からざらざらと緩衝材を追加し、被せてレレイをその中へと埋める。
木の蓋を被せて、釘を打ち込んでいく料理長。
だがディアボは、「ちょっと待て」と料理長の作業を止めた。
「そんなにきっちりと蓋をして空気は通るのか? 娘を窒息させては元も子もないぞ」
「心配性だね侍従さん。見ての通り箱は隙間だらけだから大丈夫ですぜ」
実際、木箱の造りはとても粗く、棘が毛羽立っている。
板と板の間には一センチ近い隙間が出来ていて、料理長はその隙間を埋めないように、ぺたぺたと壊れ物、天地無用、手鉤使用禁止、水濡れ注意といったシールを貼っていった。
「そうか。分かった、蓋をするのはこちらに任せろ。他にしなければならんことをしてくれ……」
「分かりましたメトメスさん。後はお任せします。俺はその間にこっちを片付けます」
すると料理長は、金槌と釘をディアボに渡し、自分は店の一般席に向かった。
ディアボも、後のことをメトメスに任せるとパナシュとともに後を追う。
料理長はカウンターに突っ伏しているメイアに向けて書類を突きつけていた。
それは、PXに品物を納めている会社に返品する際の書類である。送り先は、組合の取引先として許可を受けた日本企業。それだけにPXからの返品の際は、ゲートの検問でも木箱を開いて中身を見ることはない。組合も今やそれくらい信用されているのだ。
「ほら、返品の送り状だ。サインしろ」
顔を上げるメイア。その顔は、泣いているような笑っているような、苦しんでいるかのような複雑な表情で覆われていた。
「本当にやるニャ?」
「もう後には引けないってことは分かってるだろ? これがうまく行きゃ『門』を閉じるのは先送りになる。お前が気にしている男とも離ればなれにならなくて済むだろ?」
「ううっ……でも、こんなのは最低の恩知らずがやることだニャ」
「何言ってるんだ? これはレレイさんの身を守るためでもあるんだぞ。レレイさんは必ずゾルザルに狙われる。ならどっかに隠す必要があるだろう? しかも誰にも分からないようにな」
「でも、何で荷物みたいにして、ニホンに送る必要があるのかニャ?」
するとディアボが、メイアを誘惑するかのように囁いた。
「この地に安全な場所などないからだ。『笛吹き男』だったか? あの炎龍を討ったことで名高いイタミですら、手を退かせるのにゾルザルを締め上げるしかなかったと聞くぞ。そんな奴をゾルザルがもう一度雇ったらなんとする? きっと無事では済むまい。だが出入りが厳重に管理されている『門』の向こうならば、絶対にゾルザルの手は届かない。安全だ。違うか?」
「それはそうだけど、それだったらレレイさんとちゃんと話して……」
「それでは『門』を閉じるのを止めさせることは出来ないではないか!?」
その通りだと料理長も追従した。
「だから俺達がやるんだ。俺達ならレレイさんを守れる。そして『門』も残る。一石二鳥だ。泥を被るのだって恩返しのウチだ。確かに良心は痛むかもしれないが、後できっと感謝される。だから手伝え」
料理長の言葉にメイアは、凍り付いたように動きを止める。
悩んでいるのだ。だが、有無を言わせない二人の説得に、おそるおそる手を伸ばし、震える手で差し出された書類にサインした。ペンを置くと、ついにやってしまったという体で、カウンターに突っ伏した。
「これでよし。では、『ちゅうごく』に連絡をするとしよう」
ディアボはそう言うと、懐から携帯電話を取りだした。
「ここを押して、これを押したら」と、よく分かっていない様子で何度か間違いながら操作していく。そして「繋がったか? まぁいい。話して見ろ」とパナシュの耳に押し当てた。
「侍従殿。さかさまです」
そう指摘されて「そんなことは分かっている」と慌てて直すディアボ。
パナシュは盛大にため息をつきつつ、携帯電話を受け取ると習い覚えた日本語で話しかけた。
「こちらディアボ殿下の代理の者だ。『玉璧』の荷造りは済ませた。繰り返す、荷造りが済んだ。約束通り、目印をつけて荷馬車に載せて発送するので、受け取りの手配を頼みたい」
そんなパナシュの声を聞いていて、どうやって中国に荷を受け取らせるのかが気になった料理長は、ディアボに身を寄せて小声で尋ねた。
「このまま送りつけたら、宛先に連絡とは違う荷が届いて、ちょっとした騒ぎになっちまうと思うんですけど、どうやって目的の相手に荷を受け取ってもらうんで?」
「荷が運搬中に盗賊なんかに奪われたりすることは、よく聞く話だが、向こうでは起きないか?」
料理長は「なるほど」と頷いた。
「けど、中身はナマモノなんですからね。出来る限り穏便に頼みますよ」
「分かっている。あの娘を傷つけるのは俺の本意ではないのだからな。きっとそのように伝えさせよう」
ディアボは、メトメスが木箱を台車に載せて運んでくるとニヤリと微笑むのだった。
* *
特地と日本との往来は厳重な管理下にあって、日本人だろうと特地人だろうと自由に通行できる状況ではない。とは言え、アルヌスには大量の自衛官が派遣されて滞在しているので、多くの例外が認められ人や物の流れを円滑にしていた。
例えば特地に派遣されている自衛官は、休暇をとると許可を受けて銀座へ、そして銀座からそれぞれの目的地へ散っていく。
有事の真っ最中にカレンダー通りの勤務体制をとることはないので、毎日誰かが任務に就き、曜日に関係なく誰かが休暇をとる。そのため、ほぼ毎日誰かが『門』を通過しているのである。
さらに、陸上自衛隊の輸送隊は毎日ひっきりなしに往復している。
機械化された現代戦において、必要となる物資の量は膨大だ。
戦闘要員一人あたり、平均で二・七キログラムの食料と九キログラムの水や燃料、弾薬、その他で九十~百キログラムを毎日必要とする。一万人が戦い続けるには一日に千トンもの物資を輸送する必要があるのだ(ちなみにその内の六〇パーセントは燃料である)。
そのため毎日、大型のトラックが長蛇の列を作ってしまう。それは銀座という人の集まる街にとっては軽くない負担であり、交通渋滞の原因ともなっていた。
しかも最近はこれに加えて、特に許可を受けた民間物流会社のトラックが銀座の駐屯地に出入りする。隊員個人がやりとりする宅配便、あるいはアルヌス協同生活組合の店舗に並ぶ商品は、これら物流会社によって運ばれているのである。
ただし民間の業者が入ることが出来るのは、『門』を囲うように作られたドームまで。一歩たりとも『門』を越えることは出来ない。
ドーム内のプラットホームに降ろされた荷物は、フェンスの仕切りの中で開封されたり、各種の検査を受けた後に『門』を通り、アルヌス協同生活組合の倉庫まで運ばれるのである。
だが、逆は同じではなかった。注文とは違う品物が送られて来たり、頼んでない品物が間違って届いたりなどの手違いに対する返品に関しては、送り状のチェックを受けるだけで『門』を越え、ドーム内で民間のトラックへと積み込まれる。
『門』を通り抜けたテュカ達が、検問所で通関手続きを待っている間も、フェンス越しに見えるプラットホームでは様々なトラックが荷台を寄せて、様々な品物を降ろし、あるいは積み込み作業をしていた。
テュカの後を追いかけるようにして届けられたPXからの木箱も、小型のフォークリフトを操る運転手によって今まさにトラックへ積み込まれようとしていた。だが、箱の角をあちこちにぶつけ、倒しかけるという乱暴な作業が目を引いて、テュカは思わず叫んだ。
「そこの貴方! もっと慎重に運んでよ! 『壊れ物』って書いてあるじゃない!」
だが、出入りするトラックの騒音が反響するドーム内で、フェンス越しに叫んだところで声が届くはずもなく、運転手は乱暴な荷運びを改めない。
苛立ちを堪えきれなくなったテュカは、精霊魔法を使って見えない風の道を拵えると、再度声を運転手へと届けさせた。
「もう少し慎重に運んでっ!」
その耳元で怒鳴られたような声に、さしもの運転手もビックリしたようで大仰に振り返ると声の発信源を探した。
「輸送の途中で壊れると、こっちが損を被らなきゃなんないの。だから慎重に運んでちょうだい!」
運転手は戸惑った表情となった。きょときょとと周囲を見ても、自分を怒鳴った女声の主が見当たらなかったからだ。
「こっちよ、こっち」
やがて、離れたところで腰に腕を当て、険しい表情で仁王立ちしているテュカの存在に気づく。
そして、まさかぁとでも言いたげな表情をする。だが視線を合わせたテュカが「そう、あたし。きちんと見てますからね。丁寧な仕事をしてね」と繰り返すと納得できたのか、運転手はぺこりと頭を下げ、了解したことを示すように片手を上げた。
「次の二十三番の方。テュカさ~ん、審査しますよ!」
栗林達の通行手続きが終わり、女性係官がテュカの番号と名前を呼んでいた。
もう一言、二言注意したいところだったが、もう行かなければならない。テュカは「あ、はい」と慌ててカウンターへ向かった。
そこでは制服をまとった女性自衛官から、形式的ながらいくつか質問を投げかけられた。
ここ数日病気にかかりませんでしたか? 今、熱はないですか? 日本国内で規制されるような、薬物、刀剣などを持っていないですか? 等々。
それらの全てをテュカは「いいえ」と流暢な日本語で否定し、確認書に署名する。すると係員はテュカの差し出した書類に、真っ赤なスタンプを音を立ててついた。
随行する栗林や富田らは、護衛の任務を兼ねているので質問はないし、武器の携行も認められている。警衛に関係書類を見せ、敬礼して終わりであった。
「では、いってらっしゃいテュカさん」
こうして三人は銀座へと入ったのである。
特地人のテュカが、随分すんなりと通行が許可されたのは、アルヌス協同生活組合の幹部故に例外的な扱いを受けているからである。日本政府と交渉する際に必要ということもあって、森田総理から直々に特別許可証が発行されたのだ。しかも、それ以外の配慮が彼女達には与えられていたりする。例えばこれだ。
「今日も、よろしくお願いね」
テュカは、栗林達を引き連れていつものことのように、待ち構えていたワゴン車の後部座席へと乗り込んだ。
前もって連絡さえしておけば、安全確保、機密保持等々の都合といった様々な理由から、黒服を着た運転手の付く乗用車まで用意してもらえるのである。
だが運転手だけでなく、助手席にも誰かが座っていることに気付いたテュカは、身を乗り出して声をかけた。
「あれ、もしかしてコマカド?」
「おはようテュカ……さん、今日はまた、随分とめかし込んだな」
助手席にいたのは駒門だった。運転席の黒服と並んで、二人の男達はテュカの姿を見ただけで魂を奪われたように頬を赤らめた。
「おはよう? 随分と時差が出てきたのね。こちらではまだそんな時間?」
「おっと失礼。今は、おはようと、こんにちはの区別のきわどい時間帯ってところだ。特地はもう昼過ぎか?」
「そうよ。ところで今日は何か特別な日? コマカド自身がわざわざ迎えに来てくれるなんて」
「ちょっとなぁ。銀座が少しばかり騒がしくなってるんで、俺が直接来たってわけだ」
駒門は運転手にエンジンをかけさせると、テュカに顎をしゃくり窓の外を見るように促した。
銀座駐屯地のフェンス周辺に多くの人々が集まって、車道を練り歩いている。見ると、そろいのTシャツを着ていたり、プラカードを持っていたりする。それらには……。
「日本政府は、銀座事件の外国人被災者にも補償せよ!」
「『門』を閉じずに、フロンティアを我らに開放せよ!」
「国際社会に特地を委託せよ!」
「宇宙条約を遵守せよ!」
「特地の環境を破壊するな」
「日本人は鯨やイルカを殺すな!」
といった主張が書かれていた。
もちろん、独特の書体で書かれたそれらをテュカが読めるはずがない。
「何が書いてあるの? 何かの宗教行事?」
「あれは『デモ行進』って言うんだ。民主主義の国家では、ああやって人々が集まって政府に不満を表明したり、主張したいことを皆に向けてアピールしたりすることが許されている」
見ると、警察官が「立ち止まらないで下さい」と拡声器で呼びかけながら、交通整理をしている。それに従うデモ参加者も、まるで運動会の入場行進かと思うほどに秩序だった動きを見せていた。
駒門は、それを見て「ん?」と眉を寄せる。胸騒ぎにも似た違和感を覚えたのだ。どうにも不自然な香りがする。だが、「これって、暴動とかになったりしない?」とテュカに話しかけられ気が削がれてしまう。
「最近の日本じゃまずないな。昔はいろいろな連中が、政府を攻撃すると称しながら、その実自分達と同じ弱い立場の人が所有する車をひっくり返したり、商店を営業不能に追いやって酷い損害を与えたりもしたんだが、今は滅多にない。海外だと暴動に発展したり、気に入らない国の国旗を焼いたり踏みつけたりする例もある。イギリス、ちょっと前にはフランスで暴動騒ぎがあったりしたな……」
「野蛮ねぇ。そんなゴブリンみたいな連中がいるの?」
「人間って堕ちるのは案外簡単なもんなんだ。我々だって、そうならないように注意してないと、あっという間に同じレベルになっちまうから気をつけなきゃならん」
そこまでは関心がないのか、テュカは「ふ~ん」と呟き視線を他所へ向けた。駒門も「いつものように頼む」と運転手に出発を命じる。
テュカ達を乗せた乗用車は、警官が踏切のように人の流れを止めてくれた間隙を縫い、銀座の駐屯地から道路へ出た。
いつもなら、そのまま車の流れにのって銀座から離れられるのだが、今日はそうもいかなかった。長いデモの列のために渋滞が出来ていたからである。乗用車の後ろには、運送会社の大型トラックが数台続いてるが、その運転手達も皆うんざりしたような表情を見せていた。
ふとテュカが感想をもらした。
「ニホンの人って、比較的同じ色合いの肌に、黒髪って印象があったんだけど、こうして見ると意外と多彩なのね」
車窓から見える群衆は、アジア系ばかりでなく白人種、黒人種がまざり国際色が豊かなのだ。
もちろん圧倒的多数はアジア系である。だが、それだけに毛色の違いが目立つのだ。
「実はこのデモは、国際NGOが主体となっているんだ。主催者は一応、日本人ってことになってるんだが、ふたを開けてみたら中国、韓国、フランス、イギリス、アメリカ、ロシアなどからぞろぞろやって来てこの始末だ……だから俺まで出張る羽目になっちまったってわけだ」
「そうなんだ。ありがとう」
「いいえ、どういたしまして……だな」
デモ参加者達は様々な旗を持ち寄っていた。赤い旗。赤と白のストライプに一部青地に白い星をちりばめた旗。赤白青の三色旗など、いろいろだ。
「この色とりどりの旗は、もしかしてそれぞれ参加者の国の旗かしら?」
「そうだ。あの赤いのが中国で、これが韓国。こっちの派手な横縞と星をちりばめたのはアメリカ合衆国、そしてフランスとイギリス。あれはロシアだな」
「でも、外国人が他国で騒ぎなんか起こして問題にならないの?」
「まぁ、法律に反しない限りは……だな。国連総会とか、国際的な会議が行われるところでは、国際NGOがデモとか集会を開いたりするのは普通のことだ」
「そうなの?」
日本についての基本的な知識がまだまだ不充分なテュカには、海外から来た人間にすら示威行動を許す日本のありようは驚きでしかない。
「でも、まるで軍隊みたいに秩序だってるのね」
テュカの感想を耳にした途端、駒門は先ほどから覚えていた違和感の正体を悟った。
そうだ、このデモ隊に参加している外国人達は、国際NGOを名乗っている割には不自然なまでに統制がとれているのだ。その行動も指揮官からの指図でなされているように見えなくもない。「軍隊みたい」……テュカの感想こそが、全てを言い表してるように思えるのだ。
駒門は不安の正体に気付くと、いち早くこの場から脱出すべく運転手に命じた。
「おい、ここでUターンして対向車線に入れ」
だが、これまで無言を貫いていた黒服が、この指示に戸惑いの表情を示した。
「ここは、Uターン禁止です」
「かまうもんか。今はゲストの安全が第一だ、行け!」
「でも、対向車が途切れてからでないと、事故ります。まずいですよ」
渋滞のせいもあって対向車がなかなか途切れない。ムリに割り込めば、接触事故は免れないだろう。運転手が躊躇うのも当然であった。だが、その数秒間の逡巡が皆を騒動に巻き込む。
「え、あれっ! ちょっと、なんか変よ。何? 何? 何が起きたの!?」
外を眺めていたテュカが叫んだ。
それまで整然と行進していたはずの国際NGOのグループの一つが、突如として列を乱し、警官の制止をふりきって一斉に走り出したのである。
その一部は、停止していたトラックや乗用車の間にまであふれ、ただでさえ渋滞していた交通を一気に麻痺させる。
警察官はホイッスルを鳴らし、デモ参加者に列に戻るように声を張り上げた。
だが、あちこちで同時多発的に起こされた突発的な出来事に対処しきれず、数の勢いに圧倒されて、警官達の方がもみくちゃにされてしまった。
テュカ達の乗るワゴン車の周囲は人海で埋め尽くされ、前にも後ろにも動けなくなってしまったのである。
襲われる。そう感じた栗林と富田は反射的に銃を構えた。だが、駒門から撃つなと叫ばれて引き金から指を離す。
「ここは特地じゃないぞ。頼むから二人とも、頭を平時モードに切り換えてくれ!」
とは言え暴動とも言える騒ぎはもの凄い勢いで拡大し、比較的冷静な富田ですら「撃たずに、どんな対処するんですか!」と怒鳴り返したほどである。
デモ参加者はトラックに群がると荷台に積まれていた木箱を道路に投げ落としたり、中身を引っ張り出そうとしたりするという無法行為に手を染めているのだ。
「連中の目的は、略奪か!?」
「いや、それはないと思う」
駒門は運転手の言葉を否定した。確かに一見無統制な暴動のようだが、彼の目にはデモ参加者達が無秩序に暴れているようには見えないのだ。
実際に、通りに面した銀座の商店やデパートなどはショーウィンドウが割られ、商品が略奪されている。銀座は高価な商品を並べている店が多いため、その被害は甚大な金額となるだろう。
だが、よくよく観察すると、そういった略奪をしているのは騒動に便乗したデモ参加者の一部でしかなく、中核となっている連中は、一つの指揮系統に従って行動しているのである。その統制を受けた一団は、トラックの窓を叩き割って、中から運転手達を引きずり下ろすと、荷台に積まれた荷を引っかき回していた。
「彼奴ら、何かを探しているみたいですね」
運転席の黒服もそのことに気がついたようだ。
「そうだな……」
トラック一台の荷物をあらかた調べ終えると、一人の男が次の一台に指を向けて何かを叫んだ。それに従って男達が一斉に走り出し、瞬く間に次のトラックに群がっていく。
「あいつら、何を探してるんでしょうね?」
「分からんが、とにかくここに留まっているのは拙い」
何としても脱出しなければならない。それが駒門の判断だった。
駒門はシートの下に常備されている赤い発煙筒を手に取ると、後部座席を振り返った。
「よし、脱出するぞ。これから発煙筒を焚く。煙が車内に充満したら、一斉に外に飛び出してくれ。車から煙が吹き出せば、火がついていると思うだろうから連中も少しは離れるはずだ。そしたら、その隙を突いて一気に走りだせ。栗林と富田、テュカさんをしっかり守れよ。俺はこの腰だから追いつけんと思うから先に行け。集合場所は……そうだな、とりあえず渋谷の駅交番。そこで合流だ。いいな!」
「了解!」
栗林と富田の二人は武器を手にしているのを見られる方が危ないと考え、それぞれ鞄に押し込んだ。「準備良し」の声で駒門は発煙筒に着火する。
「あ、あれ……」
車内が煙が充満する寸前、テュカは前にいたトラックの台から木箱が降ろされているのを目撃する。それには『壊れ物』『天地無用』などと書かれたシールが貼られていた。地面に叩きつけられたら中身が壊れちゃうと心配になったのだが、暴徒達は何故かその箱に関しては慎重に扱っていたのである。
「ちょっと、それ、どこに持って行くの! 組合の荷物よ!」
思わず声を上げるテュカだったが、刺激性の強い煙に視界を覆われ、最後まで木箱の行方を見届けることは出来なかった。
「行くぞ。いまだ!」
突然、目の前のワゴン車から白い煙があふれ出るのを見たデモ参加者達は、炎上爆発するとでも思ったのか、潮が引くように車から離れていく。
そのわずかに開いた隙をついて、栗林とテュカは車から降りた。
興奮した群衆に条理は通じない。理由のない暴力が犠牲者を求めて渦巻くなかで、周りの男達は二人を標的にして汚れた手を伸ばそうとした。だが、富田がそれを振り払う。たちまちもみ合いから乱闘へと発展し、富田は周囲からの無数の拳によって殴られてしまった。
だが、富田は少しも怯まない。両腕を顔の前で交差させ、栗林とテュカが進むための道を強引に切り開いていった。
後ろ側から抱きすくめようとした男を、回し蹴りで蹴倒した栗林が叫ぶ。
「行ける!? 富田!?」
「任せておけ二人とも、俺に続け! うおおおおおお!」
先頭に立った富田は群衆を押しのけるように突進する。
「そうこなくっちゃ。あんたのそういう所が見たかったのよ!」
栗林は嬉しそうに叫ぶと、テュカを守ってその大きな背中の後に続いて走りだした。
02
ゾルザル討伐の合同軍を送り出した後のイタリカは、妙に閑散としていた。
フォルマル伯爵家の領内に残されたのは伯爵家の私兵部隊と、亜人の諸部族部隊。そしてピニャの騎士団である。これこそが正統政府軍の初期の構成であり、彼らが此処に集まって来たばかりの頃は、その颯爽とした足取りでイタリカの街は高揚した空気に包み込まれていったのだ。
だが今や、その士気は下がるだけ下がり、だらけた気分が蔓延している。
兵士達からはやる気というものが消えていたのだ。
朝靄のまだ晴れないなか、城壁の上に立つ見張りが交代の儀式を執り行っているが、今の彼らを動かしているのは、旺盛な戦意ではなく、習慣という一種の惰性でしかない。
斜面を勢いよく転がっていた巨石も、平地に至ればやがては勢いを失って静止する。それと同じように兵士達が従っている惰性もやがては尽きて、後に残るのはかつては軍であったという残骸だけだろう。その途中経過をイタリカの住民達は見せつけられていたのである。
白薔薇隊隊長ヴィフィータは嘆いた。
「困っている時に限ってこれからは亜人の時代だとか、亜人の地位向上とか言って持ち上げてやがった癖に、なんだよこの掌の返し方はよぉ」
帝国正統政府を立ち上げた当初、講和派貴族達は兵力不足に悩んでいた。
援軍を求めて外国や諸侯国に使者を送っても色好い返事を得ることが出来ず、盗賊や脱走兵などのならず者達にさえも相手にされないという状況に陥っていたのだ。
そのため、彼らは苦肉の策として亜人部族に協力を求めた。帝国内での地位向上を代償にして。
具体的には諸部族の族長階級にある者を帝国貴族として伯爵や子爵に任じ、空席となった議席を埋める形でそれぞれを元老院議員に任じたのである。
それは、国の支配体制の部外者……よく言えば客人として扱ってきた亜人種を帝国の一員とみなし、帝国の行く末について共に論じ合い、共に担っていくという方向に舵を切ったことを意味していた。
亜人部族もこれまでのけ者にされてきた国家運営に携われるようになると思えば、手を貸してやってもいいと思うようになる。こうして正統政府軍には、五十四種族の兵士達が、各地から集まって来たのである。
だが情勢は変わった。
外国や諸侯国からの援軍が到着して、これに比例してヒト種の傭兵が充足しはじめると、帝国正統政府の貴族達は掌を返した。
それまで亜人の族長や有力者が占めていた正統政府軍のポストを、ヒト種の将校、ヒト種の士官に与え、いざ戦争が始まると「お前達はもういいよ」とばかりに亜人部隊を置き捨てて行ってしまったのである。
とは言えもちろん、そんな恥知らずな内情を自ら曝すようなことはしない。
ピニャも「真に困っていた時に助けてくれた者にこそ、皇帝陛下の守護を任せられるのである」と左右に語り、士気の維持をはかっていた。
「いずれ、我らにこそ決戦の場が与えられる。露払いは他の者に任せて、我らはその時まで英気を養っておくのだ」
こんな言葉が、空中分解すれすれの彼らをどうにかまとめ上げていたのである。
だが、次々と届く知らせは正統政府軍の破竹の勢いを伝える物ばかり。自衛隊を主力とする合同軍が苦境に陥ることなどあり得ないように見え、イタリカが危険に曝される状況など、誰にも想像できないのだ。
ピニャの言う決戦などないと気付いた亜人兵は「何しに俺達はこんなことまで来たんだ?」という拍子抜けした気分に陥った。そして、「どうせ、こんなこったろうと思ったぜ。正統政府の奴ら、俺達を体よく騙しやがったんだ」という反感めいた気持ちを抱くようになったのである。
そんな思いに駆られるのは亜人種だけではない。ピニャの騎士団の隊員達までもが、彼らに共感する態度を示していた。
彼らからすれば、自分達こそがピニャの剣、皇帝の楯、正統政府軍の中核であった。そんな自負を抱く者達が肝心の戦いからのけ者にされていると思えば、どうしたって不満を抱かずにはいられない。
ヴィフィータの漏らした「その気持ちは正当な物だし、理解できますけど、それをこの場以外で口にしてはいけませんよ」という言葉も、そんな隊内に広がっている皆の心境を代弁したものだった。
騎士団の指揮をピニャから託されているボーゼスは、柑橘の実を囓りながら友人でもある部下を窘めた。ヴィフィータクラスの高級将校が不満を公言すれば、下々の兵士達はこれ幸いと、言葉だけでなく態度で反感を示すようになるからである。
もちろんヴィフィータも、「分かってるさ」と素直に頷いて口を噤んだ。
彼女とて波風を立たせたいわけではなく、自分だけがそう思っているわけではないことを確認したかっただけで、ボーゼスに「正当で、理解できる」と言って貰えれば充分だからだ。
「それに殿下は、わたくし達こそが決戦の場に立つことになるとおっしゃってます。何の根拠もなく口にされたこととは思えないし、何か考えがおありだと思うわ」
「それこそ、信じられねえ話だよ。自分でも信じてないことを他人に信じさせるなんて器用なこと、俺には無理だぞ」
「けれど、わたくしには殿下が本気でそうおっしゃっているように思えるのよ。だから気を緩めないでちょうだい。隊内をしっかりと引き締めて」
「ちっ……分かったよ。しょうがねぇなぁ」
ヴィフィータは項の髪の生え際のあたりを人差し指でポリポリと掻くと、ボーゼスに敬礼して彼女の執務室を後にした。
これと似たようなやり取りは、イタリカに残った様々な部族でなされていた。そしてわずかに残った志のある兵は、愚直なまでに日々の任務に励んでいたのである。
そしてその努力は、ついに報われることとなった。
哨戒に出ていた六肢族と小人族の兵が、ものすごい勢いで馬を走らせ戻って来た。
「た、大変だ大変だ! 敵だ!」
ダークエルフの警備隊長はそれを聞いて鼻で笑った。
「そんなことあるわけ無いだろう!? その辺で昼寝でもしてて、夢でも見たんじゃないのか? 敵がいるとしても、遥か東だ。どうしてこんなところに湧いて出るんだ?」
だが、六肢族兵は懸命に二対の腕を振り回して叫んだ。
「間違っていたら儂らを処罰してくれてもかまわん! だから確かめるために兵を出してくれ!」
そこまで言われれば、無下に扱うことも出来ない。ダークエルフの警備隊長は半信半疑ながらも、剽悍さで知られる狼系の獣人部隊を斥候として送り出した。
「まぁ、そういうわけだ。頼む」
「はいはい。隊長さんも大変だね」
そして、送り出した狼族の斥候が転げるような勢いで帰って来るのを見て、初めて敵が接近しつつあるという事態を上司に報告したのである。
たちまちイタリカの城市は、大騒ぎとなった。
ピニャは、「やはりそうか」とだけ答えると、ボーゼスに敵の出現方向に向けて強力な幹部斥候を出させた。
兵士がもたらした報せは、敵らしき前哨部隊を見たと言うだけで、その規模や目的を推し量れるような情報ではなかったからである。そして届けられた報告は、ゾルザルの旗印を掲げる帝国軍約一万が近づいて来るというものであった。
「兄様が直々に率いておられるのだな?」
斥候任務から戻ってきたシャンディー・ガフ・マレアが跪いた姿のまま答えた。
「はい殿下。ゾルザル殿下の旗印をこの目で確認いたしました!」
「数は一万か……どうやってと問うことは無意味だな。きっと兄様は最初からここを決戦場に決めていたのだ」
「殿下は、こうなることをご存じだったのですか?」
ボーゼスがおずおずと尋ねた。
「想定された事態の一つだったとだけ答えておこう。普段の兄様の言動から見ても、こうなるような予感はあった。勝ち目のない守勢の戦いで、ずるずると戦力を消耗して破れるくらいなら、乾坤一擲の大勝負に出て来る可能性もあると思っていたのだ」
「ピニャ殿下ほど、ゾルザルのご気性を理解している方はいないでしょう」
「そうでもないぞ。妾からしてみればこの事態は、ある意味で意外だ」
「意外……ですか?」
「あれで兄様は臆病者でな。こんな勝負に打って出るほどの気概は、本来は持ち合わせていないはずなのだ」
「これは異な事を。それなのに、出てくると予想されていた?」
「兄様はな、自分を英雄だと思い込んでいる。いや思い込まされているとでも言うべきかな? 英雄を形だけ真似て、色を好まねばならないと思うから次々と女を漁る。だけど劣等感が強くて、貴族の女相手にはどう接すれば良いか分からない。女の目を真っ直ぐ見られないのだ。だから奴隷女を側に置く。だが奴隷女で満足していると思われるのは屈辱だ。だから無下に扱ったり、虐待したりする。それと同じで自分を勇気のある男だと思うからこそ、こういった状況では、乾坤一擲の勝負に出るものだと思い込んでいる」
「……なんだかその、もの凄く……みっともない話ですね」
「事実みっともないのだから仕方がないな。その昔、兄様は妾の寝所に忍んできたことがあった。他の女を真っ直ぐ見れないから妹の身体で自分が男であることを試してみたかったのだろう。だがすげなくされた。妾からすれば当然の話だがな……以来、兄様は奴隷女に走り、妾には複雑な気分を抱いたまま。昔の恥を雪ぐために妾に自分は凄いんだぞと認めさせたくってしょうがないのだ。それゆえに妾を吊し上げたりもしたのだろうが……結局は恥を上塗りして、妾に情けない姿を曝す結果になってしまった」
なんという事かと皆は揃って頭を抱えた。
帝国が、そんな男の見栄のために振りまわされているのかと思うと、皆やりきれない気分になってしまったのだ。
「兄様の妹として皆に頼みがある。このことは内緒にして欲しい。恥ずかしい話だからな」
集まったピニャの部下達は、しょうがないとでも言うように「はい」と頷いた。
最早ゾルザルのことを脅威だと思うような者は、どこにもいなかった。
その意味では、ピニャは勇壮な演説をすることなく、主立った者からゾルザルに対する恐れの感情を取り去ることに成功したのである。
「とは言え、お前達がこの地に残っていたことは僥倖である。妾は麾下に最高の戦力をそろえた状態で、あの劣等感の塊と戦うことが出来るのだからな」
イタリカに残る兵力は八千に届くかどうかでしかない。
とは言え城に籠もって戦うには充分な数でもあった。城市を守り、敵を防いでさえいればいずれ味方が駆けつけて来る。要するに、城壁内部でじっと耐えてさえいれば良いのだ。
「だが、それではこの内乱は終わらない。終わらせることは出来ない」
ピニャは、待ち続けているボーゼスや、ヴィフィータ、ニコラシカ、ハミルトン、シャンディー、グレイといった子飼いの部下達、そして亜人連合部隊の指揮官ドッツエル(ダークエルフ)、メイソン(ドワーフ)、エルナン(六肢族)、コルドール(ワータイガー)らに向き直ると告げた。
「各部族代表者達をことごとく広間に集めよ。あらかじめ申し渡しておくことがある」
ボーゼスは尋ねた。
「そうおっしゃるのは、常道とは異なる策を用いられるおつもりだからですね?」
「そうだ。妾としては、城外に出て兄様を迎え撃ちたい」
これには、皆、驚いたように互いの顔を見合わせた。城に籠もっていれば犠牲は最小限で済むというのに、あえて城外で戦うことに理由を見いだすことが出来なかったからだ。
ベドワイデン地方の領主として子爵に封じられたダークエルフの族長、ドッツエルが訝しげに問いかけた。
「殿下のご命令とあらば、それがいかようなものであろうとも従いますが、お話は聞かせて頂けるのでしょうな?」
「もちろんだ。その理由を説明するために隊長格の者を集めたいのだ」
「では、直ちに皆を集めます」
シャンディー達が弾かれたように走り出した。
* *
「卿らに告げる。妾はあえて城外に出て、野戦にて兄様に挑もうと思っている。その理由はこの地を本当の意味での決戦場にするため。ゾルザルをこの地から逃さないためである」
皆が驚愕の沈黙に包まれている中で、グレイ・コ・アルドが尋ねた。
「どういうことですかな殿下? 小官にも分かるように是非、詳しく教えて下され」
皆が発言しづらい時に発言し、問いにくいことを面と向かって問える位置にグレイという男はいる。
歴戦のグレイが発する問いは、将兵の心に沿った物が多いのだ。ピニャも、彼を納得させることが、兵士達を納得させることに繋がると理解していた。
「もし、妾達が城に籠もって戦ったとしよう。そうなればゾルザル軍は、城を陥そうと遮二無二攻めかかって来るだろう。だが戦に手間取れば臆病な兄様のことだ、いつ我が軍の本隊が戻って来るかとやきもきしはじめる。そして適当なところで見切りを付け、この地から逃げ出し、別の地に根を下ろして再起しようとする。これでは内戦は終わらない。だから妾は兄様にそれをさせないために、時を忘れさせなければならないと考える。あと一踏ん張りで、この戦いに勝利できると思わせ続けなければならぬのだ。味方が駆け戻って来る、その瞬間までな」
「そのための野戦ですか? しかし、そうなると相当の犠牲が出ることが予想されますが」
「それは覚悟して貰いたい。我らは基本的に守勢で戦い続ける。皆が懸念している犠牲も数多く出るであろう。だが、兄様を逃して、内乱が長引くよりは良いはずだ。この地で決着をつけてしまった方が犠牲の数は少なくなる計算だ」
この説明の重さに皆が黙ってしまった。
確かにピニャの言う通りだろうと思われたからである。とは言え、それは犠牲を数字として捉えているから言えることだ。
ここにいる隊長格の者達にとって犠牲となる兵士は、顔を知り名を呼んだことのある者達である。それを将来のために、あえて供犠にすると言われても、なかなか納得できることではないのだ。
「しかし殿下、お味方は本当に戻って来ますでしょうか? 戻って来るとして、いつ頃に?」
グレイの問いに、ピニャは分からんと笑った。
「戦闘中でもあるし、味方がどこまで進んでいるかによるから、いつ戻って来るとまでは明言できぬが、おそらくは一両日中には来ると思ってよかろう」
グレンダ地方の領有を伯爵として認められた、ドワーフの族長メイソンが、文字通り重い腰をよっこらせと上げた。
「う~む。そういうことならば仕方あるまいな。儂が先鋒を買って出ることにしよう」
「いや。ドワーフばかりに任せてはおけんぞ。我ら六肢族とて」
「そうだ! 考えて見ればこれは帝国の隅っこに追いやられていた我らが、誇りを取り戻す絶好の機会とも言えるぞ」
ドッツエル、エルナン、コルドール達が次々と声を上げる。さらには隊長達もその声に押されるようにして頷きはじめた。
「うむ。この機会を失っては、次の戦いでまた蔑ろにされかねん。儂らはここで誰もが認めざるを得ない程の戦果を得なければならんのだ。後の語り種となるような戦いをしてみせようぞ」
「その通り! 戦場から遠ざけられて腐っていた我らに、敵と戦う機会が与えられたのだ。これを喜ばずなんとする?」
「そうだな。遠のいたと思った手柄首が、我らの前に転がってきたのだ。野戦ならゾルザルを捕らえることも出来るかも知れん」
隊長達の高まった戦意と、壮絶な戦いへの覚悟はたちまち兵士達にも伝わった。
ここで怯まずに戦い抜いてこそ、部族の地位を高め、自分の家族や子供達の未来は開かれるのだという希望を胸に抱いた亜人部族の兵士達は、正面から勢いに任せて蹂躙しようと突き進んで来るゾルザル軍の鋭鋒に対して、一歩も退くことなく立ち向かったのである。
* *
ゾルザル派帝国軍は、イタリカの城市を背にして布陣する正統政府軍に対して正面から戦いを挑んだ。強固な要害を背にされては、側面や背面に回り込むことは難しく、他に攻め手がなかったからである。
槍先をそろえ楯を並べ、その後ろに身を隠しながら突き進んだ両軍の先鋒は、ただ力任せにぶつかり合うこととなった。その激突は、向かい合って走った数十台のダンプカーが正面から激突するほどの衝撃音を周囲にまき散らした。
林のように並べられていた槍はその衝撃でへし折れる。割れた楯が弾けて天空に舞い上がり、無数の木っ端があちこちに飛び散って、槍の穂先を胸に受けた兵士が、自らの血しぶきを浴びながら糸の切れた操り人形のように崩れ倒れた。
だが、兵達は一歩も退かずに向かい合い、その場に脚を止めて戦った。
隊列を少しも乱すことなく、自分の前に立つ味方の背中を支えて立ち、前の兵士が倒れるやいなや、戦斧を振り下ろし雄叫びをあげながら突き進んでいった。
ワータイガーが、大地を這うようにして敵兵の脛をなぎ払い、ゾルザル軍の隊列に亀裂を入れる。その背後からドワーフの重装兵が楯を並べて凄まじい圧力をかけ、エルフの弓兵が正確な狙いで矢の雨を降らせた。
ロキ族や、ギガスといった半裸の巨人種族が錆びかけた剣を振りまわす。
小柄なサムツァが槍を並べて、次々と小刻みに突き出す。
ゾルザル軍の兵士達は、亜人兵の意外なほどの堅い守りに、攻めあぐねることとなった。
「正面から攻めるしかないとなると、小勢が相手でも意外と手間取るものだな」
戦場の様子を眺めながら、ゾルザルはそんな感想を漏らした。
緒戦とは言え、戦況が拮抗してなかなか動かない様は、見ている側にとっては非常に忍耐を要求されるものなのだ。
「結局のところ戦いとは、相手をどうやって包囲するかです。その意味でピニャ様は、囲まれないことを目的にして、この野戦を考えられたのでしょう。籠城してしまえば備えは堅いですが、同時に逃げられなくなることも意味しますので」
抜け穴でも用意してあれば別ですがね、というヘルムの解説にゾルザルは、ふんと鼻を鳴らした。
「小癪な奴だ。こんな事なら毫象部隊を引き連れて来るべきだったか」
そうすれば正面から踏みつぶしてやれたものを、とゾルザルは愚痴った。
だが森の深い山岳地帯を行軍するのに、そのようなものを連れて来ることは出来なかった。
「とは言えピニャの狙いが最初から退路の確保にあるならば、イタリカから逃れ出ようとする者を監視させる必要もあろうな。上手くすると大魚を得られるかも知れんぞ」
ゾルザルは、ピニャが包囲を嫌った理由を、皇帝の逃げ道を確保するためと見た。ならば、見張っていれば皇帝がイタリカから逃げ出すところを捕らえられるかも知れない。
「はい。既に斥候を放って監視させております」
ヘルムはそう答えてから、「第三梯団! 前へ!」と指令した。
太鼓が叩かれ、ラッパが吹き鳴らされる。
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新たな戦力の参入を受けて、ピニャの軍からも一部隊がその進路を妨げるように動いていた。その数は千五百ぐらいに見える。
「ピニャ殿下、貴女の弱点は原則に忠実で、相手より多い戦力で対応したがるところだ!」
ヘルムは矢継ぎ早に命令を放った。
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