ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり

柳内たくみ

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4総撃編

4総撃編-3

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 目の前にいるシェリーが子供ということもあってか、キケロの物言いはどこか教師のようであった。だからだろうか、シェリーも教師の質問に答える模範的な生徒のように振る舞った。

「はい。第一人者による統治ですね」
「うむ。君は、よく勉強しているね。では、帝国の統治制度の要諦ようていを説明できるかね?」

 シェリーは「はい」と軽く頷くと教科書を暗唱するかのように語り始める。

「国全体の仕組みを左右するような政策と外交については皇帝が担います。内政については地域の実情に基づいた統治を行うため、皇帝の代理人たる地方長官がこれをにないます。また歴史の長い都市や街のほとんどは自治が認められています。任期のある地方長官が治めるに相応しくない、じっくりと時間をかけた安定化政策が必要となる地方、例えばこのフォルマル伯爵領のように異民族、異種族が混在して住まう土地などは、相応しい能力を示した者に与えられます。これが帝国に中央集権制と封土制が併存する理由です」
「大変よろしい。私が教師なら君にご褒美をあげたいところだ。何故、時の皇帝は封土制を取り入れたのかね? その時の皇帝の名は?」
「残念なことですが任期のある地方長官は、いずれその土地を立ち去ることもあり、その土地を豊かにすることよりも自分の懐を肥やすことを考えてしまいがちです。それによって多くの内乱や騒乱が起こりました。しかし、その土地が自分の財産になるとなれば、慎重に扱うだろうと時の皇帝コーラス陛下は考えられたのです」
「その通りだ。満点をあげよう」
「ありがとうございます」

 シェリーは口頭試問に合格した学徒のように、はにかんだ笑みを見せた。

「こんな幼い少女ですら知っていることだ。このように統治とは一貫性と継続性こそが大切なのだ。それと多様性だな。ある土地では生活しにくい者も、別の土地では生活できるという多様性があることが望ましい。風向き一つで、国の政策がそっくり変わってしまうような制度は問題ありと言えるだろう。特に対外政策において方針がころころと変わることは好ましくない」

 すると、これまで沈黙を保っていたカーゼル侯爵が手を挙げた。

「いや、民から選ばれた者が国を統治するという方法は、あながち時代遅れとは言えんぞ。皇帝による統治も後継者選びという問題がある」

 周囲の議員達も、「そうだ、そうだ」とその意見に同調するように頷いた。
 キケロも「確かに」と頷く。だがその上で反論した。

「人間が人間を統治する以上、なんらかの欠陥は必ずあるものだ。ありもしない完璧さを求める行為自体が、人間としての幼さを露呈したものと言えるだろう」

 カーゼルもキケロと同じように相手の意見に同意できる部分を認めた上で反論した。

「要するに帝政、共和制、どちらの欠点を必要経費として許容するかなのだ。我々は皇帝による統治の即決制と継続性を重視した。だから皇帝制を敷いたのだ。その制度が持つ欠陥を補うのは、運用する我々の役割と言えるじゃろう」
「お二方に尋ねたい。ゾルザルのような男が現れることを防げなかったのは、制度的な欠陥とは言えないか?」

 聴衆の放った質問に、キケロが厳めしい声で答えた。

「自らが為した失敗を、制度の欠陥に転嫁てんかするのはやめたまえ。これは明らかに区別されるべき事柄だ。皇帝の後継者の鑑定は我らに課せられた義務だった。我らは、事なかれ主義に陥って、あの男を権力の座に近づけないようにする努力を怠ってしまったのだ」
「その代価なら、我々は血と苦痛で充分に払った。こうしてここにいることがその証だ」

 だがキケロは首を振って「いや、まだだ」と議員達の意見を否定した。

「まだ支払い終えていない。不足だ。我々は、帝国をこの手に取り戻し、正常な状態を取り戻さなければならない。それが済んで初めて、自らの失敗の代償を支払ったと言える」

 議員達は口々に言った。

「だが、どうやって帝国を取り戻したものか? ゾルザルは帝都の放棄こそしたものの、政権と国軍を掌握しつづけている。皇帝陛下がゾルザルの廃嫡はいちゃくを宣言したというのに、国軍の将兵は今やあの者に従っている」
「力ずくで無理矢理従わせているだけだ! 陛下より勅任ちょくにんされた将軍達は、陛下が呼びかければきっと正道に立ち返ってくれるはずだ」
「いや、無理を言ってはいかんぞ。ゾルザルの奴は、国軍の各部隊に『掃除夫そうじふ』共を配置して、将軍はおろか、兵達にまで監視の目を光らせているというからな。迂闊うかつに逆らえば、たちまち殺されてしまう。我らが危うくそうされかけたようにな」

 掃除夫とはゾルザルの政策に反対する者を摘発し処刑する、政治将校のような存在である。正式には帝権擁護委員オプリーチニキと呼ばれ、彼らの所属する機関は帝権擁護委員部オプリーチニナという。ここに集まっている講和派元老院議員達は皆、彼らによって捕らえられ粛清しゅくせいされる寸前だったのだ。

「そんな奴ら、やっつけてしまえばいい。皆で戦場に出て決戦に挑むのだ!」
「だが、我らの数は少ない。戦線はどうにか膠着こうちゃくしておるが、それもニホンがゾルザル派を牽制けんせいしているからだということを忘れてはならん」

 つもり積もった恨みの感情が議論の流れと相互作用を起こして、場が紛糾しそうな気配を見せたその時、シェリーが愚痴をこぼすかのように問いかけた。

「外国や諸侯国の方々は、お力を貸してくださらないのでしょうか?」

 少女の声は、大人達とは音程も音質も異なる。そのため誰の耳にも彼女の声は際立って聞こえた。
 本来ならば大人の話に口を挟んではいけませんと叱りつけるべきところである。だがなんとなく教師と生徒という感覚が残っていることもあり、キケロはその質問を不調法ぶちょうほうとも思わずに答えた。

「当然、使者を送って援軍は要請しているよ。だが、態度を明らかにしない国ばかりだ。みな、日和見ひよりみを決めこんでいる」

 こうしてシェリーは、女子供は口出し無用とされる場で、意見を表明する自由を獲得した。そしてさらに駄目を押すべく、答えの分かり切った質問をあえて発した。

「こちらには皇帝陛下がおわします。外国の方々が、あきらかに正しい側にくみしないのは、どうしてなのでしょうか?」
「そりゃ話は簡単だ。もし我々に味方して、ゾルザルが勝つようなことがあれば、我々に味方した者にとっては破滅を意味するからだ。逆もまたしかり。国の将来をけた決断だ。慎重になるのも当然と言える」
「つまり、わたくしたちは味方を得るためにも、勝つ見込みのあることを内外に示さなければならないのですね?」
「その通りだ。だが皇帝陛下はご健康が優れず、何時またお倒れになるかわからないと来ている。さらにゾルザルは国軍を掌握している」

 傍らで聞いていた貴族の一人が、酒を口に運びながら追加した。

「属州を治める、地方長官共も奴に従っているしな」

 シェリーは「ずるいですわ」と子供っぽく唇を尖らせた。

贔屓目ひいきめに見ても、ゾルザル様が有利すぎます」
「そうなのだ。それでも、諸外国がゾルザルに与しないのは、ニホンという要素がこれに加わるからだ。ニホンは敵に回すと大変にやっかいだ。にもかかわらずゾルザルは、ニホン打倒にこだわっている。彼奴に味方すればニホンとの戦いにつきあわされるからな。諸国はそれを恐れているんだ」

 キケロは「だから、どちらにも味方しないというわけなのさ」と肩を竦めて講義を結んだ。

「だから、ニホンに対する関心が高まっているのですね?」

 シェリーは、日本に関する質問を続けた。

「そうなのだ。ニホンが帝国を占領する意思をもっていないことは既にわかっている。彼らはあくまでも我々が帝国を統治し諸外国との平和を維持することを望んでいる。何も好意でそうしているのではないということは理解できる。異民族の統治は気苦労ばかり多くて実入りが少ないからな。だが、ここに来て宰相が代わるかも知れないとなれば、新しい宰相が我らに対してどのような態度をとるのかが気になるところだ。なぁ、シェリー君、端的に言ってどうなのだろう? 君の見聞した範囲でいいから何か参考になることはないかね?」

 そうですわね。シェリーは人差し指を頬に当ててしばし考える姿を見せた。

「ニホンの民衆は、ゾルザル様のやりように大変ご立腹しておいでだそうです。ゾルザル様のご配下が、あちこちの村や町を襲って、無辜むこの民をいじめてらっしゃるということが知らされているからです」

 すると人垣の向こうから質問が投げかけられた。

「ゾルザルは、帝国軍がしたというのは濡れ衣だ、逆にジエイタイの為した虐殺であると非難し返しているようだが?」

 実際に、まだら緑の衣服をまとった兵が、村落を襲ったという噂はまことしやかに流れており、何人かの貴族はその質問に頷いた。

「そのような声もあるようですが、少なくともアルヌスにおられる皆様は全く信じておられません。盗賊や亜人の方々をけしかけてらっしゃるのがゾルザル様であることは、様々な方面からの証言がありますので」
「だがアルヌスにいるのは、ニホンと縁の深い者ばかりだ。そんな者の証言を信じていいのか?」

 皆、同じ帝国の人間が、自分のしたことを他人のせいにするほど卑怯とは思いたくないと語った。焦土戦は悪辣あくらつな行為だが、必要に駆られれば行う戦術の一つでもある。やるならば堂々とやる。それを他人がやったことにするほどゾルザルについた者も落ちぶれていないだろうと言うのだ。
 だがキケロは、手を挙げて皆を鎮まらせる。

「いや。ゾルザルの配下となった将軍がそのような方法をとろうとしているという警告は、ピニャ殿下も為されていたから、信じたくはないが、おそらく間違いないのだろう。……なるほど、あの男は本気でニホンとの戦いに勝つつもりなのだな」

 事の良し悪しはともかく、侵攻軍を徹底的にわずらわせるというやり方は決して間違っていない。
 実力に圧倒的な差がある時、手段を選んでいる余裕はないからだ。その、なりふり構わない姿勢からも、この戦争に勝利しようという本気度が伝わって来る。
 とは言え、このやり方は全てを破壊する。
 自分のしたことを他人がやったとすり替える手段をとったら、人心は徹底的に荒廃して、領民達は誰も信じなくなってしまうからだ。
 たとえ悪辣な行為であっても、帝国はこれまで「それは俺がやった。それがどうした」という態度をとってきた。これによって民の憎しみは帝国に向かうかも知れないが、同時に恐れを感じ、その恐れが民を従わせてきたのである。
 だが、これを他人のせいにしたらどうなるか。
 人々は自分が見聞き体験したことと、帝国が語ることの乖離かいりから全てを疑う。そう、恐怖ではなく疑いの感情を抱くのだ。そうなれば、たとえ勝利を得ても、その後に国を治めることは非常に難しいものになる。
 もし、これを力で治めるなら、疑いから湧き上がる憤りと反感が、政府へ向かないように、民の口を封じて、内心にまで踏み入るような政策を敷いていく必要がある。すべての責任は外敵にあるということを妄信もうしんさせなくてはならない。
 疑問を口にすることを禁じ、封じ、根すら残さないように徹底的に締め付ける必要が生じてしまうのだ。
 だがきっと、そうなった国は自由など少しもない息の詰まった国となってしまうに違いない。
 嘘を正当化するには、嘘を重ねるしかなく、そこには力尽くで嘘を真実だと言い続ける不断の努力が要求される。
 真実を口にする者を攻め、攻撃し、嘘を信じさせる宣伝を絶えず続けなくてはならない。
 言論の統制とは、まさしくそこに嘘が存在していることを証明する行為なのだ。

「なんということか」

 キケロは、帝国の将来を憂いて嘆息した。ゾルザルという暴風を払い除けることが出来たとして、荒廃した帝国をどうやって立てなおせばよいのかと心配になったのだ。

「そうなりますと、わたしたちがゾルザル様に対抗できるかは皇太女殿下の双肩にかかっておいでなのですね。それでピニャ様は、今、どうなさっておいでなのですか?」

 シェリーは、周囲にピニャの姿を探しながら問いかけた。
 だがキケロを始めとする議員達は、一斉に沈鬱ちんつうな表情となった。

「あの方は、政治というものにすっかり失望してしまわれてな。『お前達はわらわに兄様と殺し合えと言うのか』とおっしゃるとイタリカを出ていってしまわれたのだ」

 するとシェリーは驚いた表情を浮かべて「皇太女ともあろうお方が?」と不愉快そうに眉を寄せた。敵前逃亡罪ですわ、と続けた言葉はあまりにも小さくて周囲の耳に入ることはなく、さらに何事も無かったかのような朗らかな笑顔がすぐさま取って代わる。

「それで、殿下は、今どちらにおいでなのですか? もうお迎えにどなたかが向かっておいでですか?」

 おかげで見ていた者は、シェリーの変貌を光線の具合か目の錯覚と思ったくらいである。
 キケロもその一人のようで、目を軽くこすっていた。そして答えた。

「いや、しばらくそっとしておけと陛下が仰せなのでな。今頃は緑の人とやらと行動を共にされているはずだ」

 シェリーは「緑の人……ですか?」と首を傾げることとなった。



 02


 時刻的には、太陽が青空を背景にして南の空に浮かぶ頃合いだが、生憎あいにくの悪天候。空は暗い雲に覆われて、霧にも似た粒の雨が降り注いで大地を湿らせていた。
 だが、戦闘服をまとっている陸上自衛官には傘を差すという習慣はない。
 いつものように六四小銃、ボディアーマーといった重装備で身を固めた伊丹は、アルヌスのヘリポートに駐機したままローターを回転させているCH‐47JAチヌークの傍らで次の任務の支度をしていた。
 とは言っても、資源探査の任務を解かれたわけではない。以前からの任務はそのまま……広い意味では資源探査の一環として、日本の学識経験者を案内するという任務が課せられたのである。
 目的地はクナップヌイ。イタリカから北西に千キロ程離れた辺境の地である。
 そのため、移動手段としてチヌークが利用出来ることになった。
 資源探査に潤沢な予算がつけられていたことがそれを可能にした。ある意味で流用とも言えるが、体裁は整っているのでどこからも文句は出て来ないはずであった。さらに今回は、第三偵察隊で隊長をしていた際の信頼できる部下もつけてもらえた。桑原くわばら曹長以下、倉田くらた勝本かつもと笹川ささがわ、そして黒川くろかわの五名である。栗林と富田、戸津、東、仁科らはマスコミの護衛任務、古田ふるたは諜報任務に就いているため不参加である。
 その代わりとして現地協力者の同行が認められたので、伊丹はロゥリィ、レレイ、テュカ、ヤオの四名を選んでいた。もちろん四人とも、「クナップヌイの調査だよ」と伊丹からうち明けられた瞬間から、身支度を始めている。彼女たちは自分が伊丹に同行するのは当然と言うか、最早権利だと思っているのだ。
 問題があるとすれば、帝国正統政府からの視察員が同行することだろう。皇太女と、彼女の供回りの女性騎士である。
 皇太女とは、もちろんピニャ・コ・ラーダのことである。

「あの、本気で一緒に付いて来るんですか?」

 伊丹の問いに、一本百円のビニール傘を差しているピニャは、これ以上ないというくらいに笑顔をほころばせて答えた。

「無論。妾も、冥王めいおうハーディが下されたというお告げが気になるからな」
「そうは言っても、すっごく訳の分からない内容ですよ。そんなあやふやなものを確かめるために殿下がわざわざ足を運ばなくていいと思うんですが」
「それでもイタミ殿はおもむかれるのであろう?」
「そりゃ、まぁ、命令が出ましたから」
「それだけニホン政府が重要視しているということだ。イタミ殿も無視できぬと思っているのであろう?」

 ピニャの伊丹への評価は、以前からの高さでずっと維持されている。そのため、日本政府が伊丹を派遣すると聞いただけで、彼女は重要なことが起きていると考えた。
 だが伊丹は、逆に自衛隊の上層部は今回の調査をそれほど重要視していないと考えていた。学識経験者を現地に送り込むとは言え、その随伴ずいはんに自分程度の人間しかつけないからである。
 きっと、完全には無視できないから、とりあえず誰かに見てこさせようとしているのだ。そのように、推理していた。

「まぁ、地震とか星空の配列に異常が発生しているのは事実ですからね。それと関係している世界を巻き込む異変が起きつつあると言われれば、たとえ『神様のお告げ』でも全く無視するというわけにもいかないんでしょう。特に『門』とは深い関係を持っているようですからね、ハーディとかいう神様は」
「ならば、妾もその異変の原因とやらを確かめなければならぬ。あの地揺れとも、関係があると言うならば、なおの事にな」

 ピニャは、伊丹に一歩近づいた。そして恨めしそうな視線を向ける。

「それに……もうまつりごとにかかわるのは嫌だ。帝国の将来のためにしたことを、皆から責めさいなまれるようなことはもうりなのだ。父上の下にいてはまた政争に巻き込まれてしまう」
「ですけど、殿下は皇太女になられたのでしょ?」
「妾は受けた覚えはない。父上や皆が勝手にそう言っているだけだ」
「でも、皇帝陛下は健康に不安があるでしょうし、万が一の時に代理をやれるのは殿下だけですよね。殿下が留守にするっていうのは、やっぱり不味くありません?」

 するとピニャは唇を尖らせて頬を風船のように「ぷぅ」と膨らませた。

「もしや、イタミ殿は妾が邪魔なのではあるまいな!?」
「じゃ、邪魔だなんて……」

 伊丹はあわてて取り成そうとした。だが、ピニャは恋人から別れ話をつきつけられた少女のように悲壮な表情をして、その顔を両手で覆った。

「ああやっぱり、妾は事のついでに拾われる程度の存在でしかなかったのだな!?」
「そんなことないですって」
「じゃあ、なんでイタミ殿はそこまで妾を邪険にするのか?」
「……あの、もしかしてふて腐れてます?」
「当たり前であろう。兄から見捨てられ、絶望の淵にはまり、主戦論者共の罵倒ばとうの嵐にさらされていた妾にとって、イタミ殿から差し伸べられた手は、暗闇の荒野に差し込んだ一筋の光明だったのだ。妾にはイタミ殿に後光ごこうが差して見えたほどだった。あの場所から救い出された瞬間、ようやく妾にも頼りとなってくれる騎士が現れたと思ったほどだ。あの一瞬、イタミ殿に『妾の全てを捧げたい、いや奪われたい』と不覚にも心の底から思ってしまった程だ。リサ様の描かれた作品にもよく用いられる王道のストーリー展開だ。胸が高鳴った。はっきり言ってえた。妾が男でなかったのが悔やまれたほどだ」
「ぶっ!」

 この発言は、伊丹とその周囲にちょっとした波紋を引き起こした。
 一瞬、あたりが森閑しんかんとしたかと思うと、それに続いてザワッとした空気がロゥリィや、テュカ、ヤオのたむろする方角から発せられたのだ。

「いや、俺としては出来れば女性のままの方がありがたいんですけど。男とどうこうする趣味は全然ないので、ほんと勘弁して下さい!」
「イタミ殿が『ピニャ! 来いっ!』と叫んで下さった時、妾は、妾は……」
「そんなこと言ったっけ? 俺」

 振り返って過去の発言を、出発の準備作業に参加しているレレイとロゥリィに確かめる伊丹。
 レレイは無言のまま答える価値もないとばかりに、荷物を抱えてチヌークの後部ハッチに向かって行った。
 あま合羽がっぱを着てテルテル坊主状態のロゥリィは、テュカやヤオ達と額を寄せ合って、何やらひそひそと話し合っている。男色だんしょくとか、衆道しゅうどうとか、その手の単語が聞こえて来た。

「……なのに、なのに、それなのに」
「それなのに?」
「イタミ殿が妾をあそこから連れ出した理由が、その実、もののついででしかなかったと知った時の妾のがっかり感というか、ないがしろにされた感というか、軽く扱われてしまったという没落感がいかほどのものであったか!? わかるか?」
「はぁ、まぁ、ちょっと想像できません」
「そうであろう。そうであろう。簡単に想像されてたまるか」
「あの……分かって欲しいんですか? 分からないほうが良いんですか?」
「分かって欲しいに決まっている」
「分かりました……」
「駄目だ。簡単に分かって欲しくない。簡単に分かられてたまるかっ! 妾の味わった悔しさはそんなに軽くない!」
「じゃ、どうしたらいいんです!?」

 逆切れしたかのように問い叫ぶ伊丹に、ピニャは唇を噛んで「う~」と唸った。そして訥々とつとつと語り出した。

「妾が言うように想像してみて欲しい。まず妾が両膝両腕を大地について、こうべを垂れている。ダンダンと地面を手のひらで叩いて、涙を流して大声でわんわん泣いて悔しがっているところをだ。あの時の妾の苦しみはそれぐらいだった」
「想像すればいいんですね?」

 伊丹の鍛えられた想像力は、瞬時に注文されたとおりの姿を想像した。

「そうだ、出来るだけ惨めな姿で想像するのだ。今日のような雨……いや、豪雨の中でずぶ濡れとなっているところがよい。地面は雨で泥濘でいねいと化している。妾は、泥と雨にまみれているのだ」
「泥と豪雨……なんですね?」
「そうだ。泥は恥辱ちじょくの象徴だ。髪は雨に濡れて、震える手で大地を掴んでいる。泥を握る指の爪は割れて血が滲んでいる」
「うっ……痛そうですね」

 伊丹とピニャはそろって「っう」と呻いて指先をニギニギと擦った。いろいろな意味で発達し過ぎた二人の想像力は、痛覚ですらリアルに再現してしまうのだ。

「うむ、ちょっと痛いな。爪が割れるのは無しにしよう」

 ピニャはちょっと後悔したように呟いた。
 その言葉から伊丹はピニャが実際の体験を語っているわけでないことを悟った。いや、もちろん分かってはいたのだが、最初からそう決めつけるのは失礼だと思っていたのだ。

「ということは実際には、しなかったんですね?」
「本当にやったら汚れるし痛いじゃないか。いや、もちろん悔しかったのは本当だ。あまりの悔しさに我を忘れて、寝台で枕を叩きのめしてしまった。枕を涙で濡らした」
「枕が相手なんですね?」

 伊丹はピニャがぽふぽふと枕を叩いている姿を想像した。
 その姿はいつも着ているようなお姫様的な白い衣装である。だが、彼女が言うように雨に濡れているという条件が入ってしまったため、ピニャの肢体が透けて見えてるという想像となった。

「そっちを想像しては駄目だ! 土砂降りの雨、ぬかるんだ泥、ずぶ濡れの妾、この要素をどれも欠いてはならない!」

 伊丹の想像はピニャの求める姿に再び修正された。

「どうだ。イタミ殿のつれない態度が、どれほどの苦しみを妾に与えたか、想像してもらえたな?」
「…………」
「…………」

 口をぽかんと開けて、想像を続ける伊丹。一連の想像は、ちょっとばかり淫靡いんびだった。
 ふと見ると、ピニャは伊丹がどのような反応を示すのかと期待する表情で待っている。伊丹は、どのような反応を返すことが適切なのかを確かめるべく尋ねた。

「ちょっとお伺いしたいんですけど、今、ここはどういう場面なんでしょう?」
「もちろん、イタミ殿が己の非を認めて謝罪し、妾の機嫌をとるために剣をささげて忠誠を誓うところだ」
「非を認めろ……ですか?」
「そうだ。イタミ卿」
「剣なんて持ってないんですけどね」
「ならば、その手にしているジュウでもよいぞ」
「あ……そだ。部下の指揮しなきゃ」

 伊丹はかつての部下達に話しかけることで、この場からの逃亡を試みた。
 だが彼らは伊丹の指揮なんか必要としていなかった。細かい指図を受ける前から、率先して積載せきさいする天幕を運び、武器弾薬を点検し、食糧・水などを運んでいた。
 とばっちりを受けたりしないように「忙しい、忙しい」と、伊丹に背を向けているだけだという説もあるが、決してそうではないはずである。絶対に違うと信じたい伊丹であった。
 とは言え、任務に精励せいれいしている彼らを邪魔することは出来なかった。となれば残るのは……そう、ピニャのお付きである女性騎士ハミルトンの面倒を見るという仕事がある。彼女も、航空機に乗るのは初めてのはずだから、それなりの配慮をする必要があると思うのだ。
 実際、彼女は大変な問題を抱えていた。
 まだ離陸までしばらくあると言うのに、チヌーク機内のトルーパーシートに腰掛けて、緊張した面持ちで固まっているのだ。
 機内にいるのは雨を避けるためだが、固まっている理由は彼女の発する「こんな大きな鉄の塊が空に浮かぶなんて、どうしても信じられません!」という悲鳴にあらわれている。
「馬で街道を行くんじゃ駄目なんですか!? 殿下! クナップヌイまで、てくてくのんびり地上を参りましょうよ!」とまるで電気椅子に縛り付けられた死刑囚みたいな表情で叫んでいた。

「…………う~む」

 流石の伊丹も、声をかけることに躊躇ためらいを感じてしまった。ピニャに至ってはあからさまにハミルトンから目をそらしていた。

「そんな重たそうな物をいっぱい積み込んで!? どうやって空に浮かぶって言うんですか!」

 皆も同じように思っているらしく、ハミルトンに背を向けている。
 倉田と勝本の二人は、「やめて、お願い許して! 重くしないで!」という声を浴びながら航空科の隊員と共に、搬入した物資の固定作業をしていた。
 それを手伝っていたレレイも、青い顔をしてがたがた震えている女性騎士をちらりと視線で刺してからチヌークの操縦席へと向かう。
 いつものように無表情であるため、レレイの感情の動きがどのようになっているかはわからないが、少なくともがたがた震えているハミルトンに飛行の原理について説明をして心配を取り除いてあげようとは思わないようだった。
 彼女の関心は今、離陸前の点検をしているパイロットの仕事ぶりへと向けられているのだ。
 コクピットに入るとパイロット達の背中に、まるでしがみつくようにして見学している。その目は、まるで餌をもらえるのを待っている子犬のようであった。
 高機動車の運転を覚えて以来、レレイの興味は自衛隊が特地に持ち込んだ様々な乗り物に向けられていた。施設科のブルドーザー、オートバイXLR250R等々。
 ブルドーザーやオートバイの時にそうしてもらったように、「操縦席に座ってみるかい?」と声をかけられるのを待っているのだ。
 だが、この少女を操縦席に座らせることは出来なかった。
 この嘱託技官に高機動車を運転し、オートバイで荒野を疾走し、ブルドーザーを操って地面を平らにならせるようになるまで努力を積み上げる熱意があることはわかっているが、さすがに航空機を自由にさせるわけにはいかないからである。法律や、規則というものがある。いくら特地とは言えお目こぼし貰えることには限界があるのだ。
 レレイもそこのところは承知しているようで、自分に操縦させて欲しいとは口にしない。だがその分、目で語る。そう、レレイは表情や言葉こそ乏しいが、身体で語る熱い女なのだ。
 熱い視線をひしひしと感じるパイロット達は、レレイの視線にかなりの緊張をいられることになる。自分の一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくが観察され、何かの検定を受けている気分になるからだ。
「ね、熱心に見ているようだけど、面白いかい?」と、パイロットの一人が尋ねてみたところ「魔法に応用することを考えている」という答えが返ってきた。
 レレイは事も無げにこう答えた。

「魔法で空も飛べるようになると思う」
「そうなったらもう、本格的に魔法少女だよねぇ」

 それが皆の感想であった。
 しかし、ここまで話を聞けば、大抵の者が「やっぱりほうきまたがるんでしょ?」とレレイに勧める。小説、映画、漫画等でおなじみの『魔法使い』+『飛行』→『箒』という組み合わせからの発想だ。
 だが、この言葉を発した者は、例外なく「イヤ」という拒絶の言葉とともに、『箒って何それ? そんな細い物に女の子に跨れって? もしかして馬鹿なの? 死ぬの? あんた変態なの?』と言わんばかりの冷たい視線が与えられたのである。
 この出来事を聞いた伊丹は、「そう言えば、昔、箒に乗る練習と称して、鉄棒に座ってるアニメがあったなぁ」と語り、レレイに皆が、どうしてそういう発想をするのかについて説明した。
 伊丹の説明で納得したレレイは、差し出された竹箒を眺めながら感想を述べた。

「普通は苦痛を感じる。イヤ……こんなものに慣れたくない」

 伊丹もその言葉にしみじみと頷いた。

「確かにサドルのかわりに鉄パイプをつけた自転車には乗れないよな。ケツが痛くなりそ……」

 冷静に考えれば至極当たり前の話である。
 こうしてレレイに箒に乗れと言い出す者は居なくなった。絶滅した。根絶された。そして今日もまたチヌークのパイロットが、レレイからじいっと観察されることとなったのである。
 パイロット達は、その熱い視線に背中が焼けるような感触を味わいつつも、これを黙殺して仕事を続けていた。
 操縦士の養成課程は過酷かこくだ。パイロットになりたい。その一心で自衛隊に入って訓練に励んだとしても、規定の時間内に課題を達成できないと、冷酷にも「お前要らないケッチン」と放り出されるのだ。
 ウィングマークを手にするのはそんな過酷な関門を越えた者である。
 彼らの誇りの基は、血と汗と涙の訓練の日々によって磨き上げた技量だ。それが特地魔法少女の観察に耐えられないようなら立つ瀬が無い。辛い訓練の日々が走馬灯のように目に浮かんでしまう。
 誇りを守るにはレレイを充分に満足させる必要がある。彼女の熱い視線に応え、飛行とはこういうものだ、こうして空を飛ぶのだと力量を示し続けなければならないのだ。
 そんな訳で、コクピット付近には猛烈な熱気が漂っている。誰もがちょっと近付きたくないなぁと思うような気配で充ち満ちていた。伊丹もここに突入するのは嫌だった。
 つまりは、伊丹の逃げ場はどこにも存在していなかったのである。

「イタミ殿。何も言ってくれぬのか?」

 ピニャに迫られた伊丹は、「うっ」と後ずさった。
「さぁ」と迫るピニャ。
「いや、その……」と退く伊丹。

「さあ、さあ、さあ」

 ピニャが迫り、伊丹が後ずさった。

「おほんっ!!」

 突然の咳払いに注意を喚起された桑原曹長が、背筋を伸ばして号令を発する。

「短間隔集まれ!」

 倉田達が横隊に整列すると胸を張った。
 救いの手が差し伸べられた嬉しさに、伊丹は基本教練の教範に載せたいぐらいに整った最高の敬礼をすると、皆の前に現れた狭間はざま陸将に報告した。ピニャが恨めしそうな表情をしているが、今はそれどころではないのだ。

「出発準備、完了いたしました」
「うむ、ご苦労である」

 かしこまった挨拶をそこまでとした狭間は、随伴してきた壮年や老年に達する男性達や、テレビ局のカメラマン他の取材スタッフを伊丹達に紹介した。

「こちらは、京都の大学で宇宙生物学を研究してらっしゃる漆畑うるしばた教授だ。さらにこちらは国立天文台の白位しらい博士。そして、こちらが養鳴ようめい教授だ。理論物理学がご専門で、東大に奉職されている。それと取材チームの栗林菜々美ななみさん」
漆畑うるしばたです」
「僕、白位しらい
わし養鳴ようめいだ」
「栗林菜々美です。姉がいつもお世話になってます」
「えー、マスコミも同行するんですか? 聞いておりませんが……」

 そんな伊丹の反応を耳にした養鳴教授は「儂らが直々に調査するのに、マスコミが注目せんはずがないだろう!」と怒鳴った。特地に学術研究者が立ち入るのは、実はこれが初めてなのだ。
「おじゃまにならないようにしますから」と両手を合わせる栗林妹の言葉を信用するしかないようである。
 一方、養鳴は振り返ると狭間に向かって「何故、儂の紹介を最後にする」などと言いがかりのようなことをまくしたてていた。

「儂は東大の教授だぞ。履歴書の職業欄なんぞ、東大助手、東大講師、東大助教授、東大教授とたった四行で済むほどだ。そこらの連中と一緒にするな」

 漆畑や白位を指さしての失礼な物言いに、流石の狭間も額に汗が噴き出た。とりあえず手ぬぐいで額をくと「先輩は、自分の身内という位置づけになりますので、いろいろと最後にさせていただいております」等と言って取り成した。
 すると養鳴は急に態度を変えた。

「なんだ、貴様も東大出か?」
「はっ。先輩の五期後輩に当たります」
「おおっ、そうかそうか。身内扱いか。ならば仕方ないな。結婚式でも身内は一番後ろの席だ……うんうん。身内扱いか、あっはっはっ!」

 何が気に入ったのか、養鳴の態度が急に鷹揚おうようなものとなった。
 そして、突然関心の方向を変えておもむろに傘をほっぽり投げると四つん這いになってアルヌスの大地をばんばんと叩いたり、「むむむむ、これに乗るのかっ!?」などと叫びながらチヌークの中をいきなり覗き込んで、トルーパーシートで凍り付いてるハミルトンの心拍数を、ドキンッ! と跳ね上がらせたりしていた。
 漆畑は、養鳴の失礼な発言や奇行も全く気にすることもなく、この特地の風景を眺めたり、テュカやヤオの肢体をまじまじと観察したりしていた。

「ほうほうほう……なるほど、発生環境が地球に似ていれば知的生命体の形態は、ヒトと同じかそれに近くなるという説は正しかったようだね」

 周りをぐるぐる回りながら、頭の先から足の先までをつぶさに観察する視線に曝された二人は、びくっびくっと怖がる表情を見せた。
 普段のヤオなら、舐めるような視線を向けられれば、失礼過ぎると威嚇したり、ぶん殴ったりするはずである。だが漆畑博士のそれは、男が女に向けるみだらな視線とは明らかに色合いが異なっているため、どう対応したら良いのかと戸惑っているのだ。
 そう、それは研究者が毛並みの良い実験動物を見るような視線であった。
 伊丹などはそれを見て「この学者、もしかするとテュカとヤオを解剖かいぼうしたいんじゃないだろうな」と思ったりした。
 案の定と言うべきか、漆畑は「あー狭間君。この二人は、持ち帰ってよいのかね?」と言い始める。

「漆畑先生、それはダメです。その二人は現地協力者ですから」
「そうか、それは残念だ」

 何が残念なのかと問いただしたくなる発言であった。
 そんな中、三人目の学者である白位は、反射型天体望遠鏡、手動式赤道儀のついた三脚などの膨大な機材を抱えていて、アルヌスのあちこちにカメラを向けシャッターを押しまくっていた。好事家こうずかなのか、最近では見るのも珍しいフィルムを用いたカメラのようである。

「雨が止むのが待ち遠しいなぁ。むっふふふふ、特地の星空はどんななんだろう。撮るぞ、撮るぞ、撮るぞ!」

 それぞれ非常に個性的で、いろいろな意味で「奇特」な方々であった。

「これが大学の……先生方ですか?」

 伊丹の問いに狭間は「うん、そうだ。………そのはずだ。多分」とその威儀の重さに反し、実に自信なさげに答えるのだった。


     *  *


 さて、問題はそもそも何だって、学者達を連れて特地の深奥部であるクナップヌイなどというところまで行かなくてはならないのか。それを語るには伊丹達がベルナーゴ神殿に赴いた時まで少しばかり時間を遡らなくてはならない。
 レレイを狙う刺客がいる事をグレイ達から報された伊丹は、これから逃れるため、ロンデルにとどまらず、その周辺のあちこちを気まぐれに移動していた。
 移動を続けてさえいれば、どれほど多くの刺客が放たれたとしても、伊丹達に追いつくことは出来ないと考えたからである。そして、それはおおむね正解と言えた。もし、追いつかれることがあるとすれば、次の目的地がどこかを読みとられ、先回りされた時だけである。だが、抜け目のない伊丹は、これを避けるためにちょっとした工夫を凝らしていた。

「さて、次の目的地を決めるぞ」

 ロンデルの西方、距離にして約五十キロのところにある、銅山の廃鉱をレレイの義姉であるアルペジオとともに調査し、サンプルの収集を終えた伊丹は、おもむろに落ちていた棒を地面に立てると、人差し指でその尖端を支えた。

「手を離すぞ」

 そう、棒の倒れた方角に進むというやり方で進路を決めていたのだ。
 ただ、棒を手で立てただけだと、無意識に倒れる方向を操作してしまうおそれがあるので、指先で棒を支えたらそのまま目をつむり、その周りをぐるりと一周するという方法で念を入れた。
 さらに、倒れた棒がどの方角を指したとしても、必ずその場所に向かうというルールを定めていた。
 もちろん厳密に従えば、何もないところを延々とうろつくことになってしまうので、棒の指し示した方角に向かいつつも、その近くに村や町、鉱山などを見つけ、そこを目的地とする程度には幅を持たせている。とは言え、これによって進路の選択がほぼ完全にでたらめとなったため、伊丹達の前にレレイを狙う刺客が姿を現すことはなくなっていたのである。
 乾いた音を立てて転がった棒を、皆で一斉に覗き込んだ。

「方位、三百二十六度と……概ね北北西だな」

 伊丹が方位磁石をおいて棒の指した方角を読みとった。

「北北西ねぇ?」

 偶然のはずの結果に、ロゥリィは「ねぇ、今ぁ、変な風が吹かなかったぁ?」と疑義を唱えるかのように皆の顔を見た。

「いや。風なんか吹かなかったと思うぞ」

 地面に広げた地形図に、現在位置から方位三百二十六度の方向に向けて、まっすぐに線を引いていた伊丹は、ロゥリィの問いに顔を上げて答えた。するとロゥリィの顔は、額を接するほどに近いところにあったりした。

「そうかしらぁ?」

 首を傾げるロゥリィ。彼女は亜神だけに、ヒトには感じられないような気配を察知したらしい。

「よしんば風が吹いて棒の倒れる方向が影響を受けたとしても、別にいいんじゃないの?」

 テュカがそんな風に言いながら顔を上げた。やっぱりすっごく近いところに顔があった。
 ロゥリィは「う~ん」と唸りつつ、再び顔を下げて伊丹の手元を覗き込む。

「でも、これの行き先ってベルナーゴなのよねぇ。嫌な予感しかしないわぁ」

 地形図に引かれた線を指先でなぞって伸ばして行くと……やがてベルナーゴと記された部分を貫く。それがあまりにもどんぴしゃりなので、ロゥリィは今の棒倒しの結果は偶然ではなく、何者かの意志が働いていると言うのだ。
 伊丹はロゥリィがそう言う以上、そうかも知れないと思った。だが……

「ベルナーゴ神殿からは招待状が届いてたからなぁ。遅かれ早かれ、一度は行かなきゃいけなかったろ。何が問題なんだ?」

 荷物の中にしまわれている禍々まがまがしい気配を放つ招待状。
 それは血で染めたような黒い羊皮紙で、びたなまりの粉末がインクとして用いられていた。
 内容は炎龍を倒し、使徒ジゼルを実力で退けた伊丹を神殿まで招待するというもの。しかも封蝋ふうろうにまで黒を使うという念の入った演出が施されており、これを諧謔かいぎゃくでやったのだとすれば、招待者は相当に趣味が悪いと言わざるを得なかった。
 おかげで事務的な文面でしかないのに、一読しただけで焼き捨てたくなるような代物しろものとなっているのだ。とは言え、これがあるためベルナーゴは目的地の一つとなっている。

「ロゥリィだって、ハーディとかいう神様に、『あんたの嫁にはならない』って直に宣言するつもりなんだろ? ヤオだって三行半みくだりはんを突きつけるとか言っていたよな」
「そうよぉ。けどぉ、今のぉこの時期にぃあそこに行くってことにはぁ、嫌な予感があるのよねぇ。彼奴のことだからぁ、刺客とかぁもぉ一緒に招き寄せていそうだしぃ」
「此の身も聖下のお考えに同意する」

 そう言ってヤオは、かつて主神と仰いだ存在に対する不信感を表明した。
 彼女は仲間のダークエルフを炎龍のえじきにされたことを知って以来、ハーディへの信仰を捨てている。
 この特地では、神は実在しているし、その数は多数いる。気に入った神に帰依きえし、気に入らなくなれば信者をやめるのはごく自然のことなのだ。信徒同士をいくつかの派閥に分けて、互いに殺しあいをさせる上に、もう嫌だと棄教ききょうすることを罪とするような、どこぞの狭量な唯一絶対の支配神とは性格が全く異なるのである。

「あの……もう一度、棒倒ししたらどうでしょう?」

 シャンディー・ガフ・マレアの横からの提案に、テュカが飛びついて「それがいいわね」と頷いた。伊丹もうんうんと頷きながら棒を拾い上げ、もう一度立てる。
 目をつぶって、その周りをぐるりと一周してから指を離す。
 すると、倒れた棒の指向した先は……、

「…………」
「…………」
「北北西でありますな」

 言葉を失って沈黙する皆を代弁するかのように、グレイ・コ・アルドが言った。

「どうするぅ?」
「もう一度だ」

 伊丹はもう一度棒を倒した。

「…………」

 その結果を見て、レレイが視線をそらしながら歎息たんそくする。
 アルペジオが、「ベルナーゴって、食べ物が美味しいところだそうですわね」などとグレイに話しかけて、これから赴くことになるであろう、街についての噂話を始めた。

「も、もう一度」

 伊丹は、もう一度棒を手にすると、今度は思いっきり南の方角に傾けた。
 そして、目を閉じて手を離す。
 当然、棒は重力に従って南に向かって倒れようとする。だが、何故か突風が棒をあおり、北北西の方向へと倒した。

「…………」
「…………」
「は、ハーディの奴ぅ」

 カンッと棒を蹴り飛ばすロゥリィ。
 飛んでいった棒は立木に当たって跳ね返り、「いてっ!」と伊丹の頭部を痛撃した。さらに律儀にもその尖端を北北西の方角へと向けた。
 伊丹は、痛む頭を押さえながら、棒を指差すと言った。

「みんな! 見方を変えるんだ。この棒が指し示しているのは、北北西じゃなくて南南東だ」

 伊丹は棒の太い側の断端だんたんを指差した。そして棒は矢印ではないから、どちらを尖端と考えても良いのだと主張した。
 いささか苦しい意見であるが、皆この考え方を名案と思ってか「なるほどぉ」と手を打った。
 だが、途端に突風が吹いた。そして棒を転がして、方向を北北西へと変える。

「くっ……」

 伊丹は、この方法で行く先を決めることにした時、どんなに都合が悪くても棒の指し示した方向に向かうという宣言をしていた。ふざけてのことだが、誓いも立てたぐらいである。
 レレイは膝を叩いて泥を払いながら立ち上がると、高機動車の運転席に座りエンジンをかけた。テュカもロゥリィも、みんな諦めたような表情で車へと乗り込んでいく。

「仕方ない。充分に注意して行くことにしよう」

 こうして、伊丹達はベルナーゴ神殿へと向かうこととなったのである。


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