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4総撃編
4総撃編-1
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01
瑞々しい緑の麦畑が地平線まで広がる開拓地の景色は、風景画と見紛うばかりの美しさだった。
だが、画家が手元か、あるいは情緒の一部を狂わせてしまったようにも思えるドス黒い染みが、その印象画的な美観を完膚無きまでに台無しにしている。
集落が燃えて黒煙を上げているのだ。
第三偵察隊所属の富田二等陸曹は、立ち上がる太い煙を遠望して、大空に向かって飛び立とうとする巨竜の姿を連想した。しかしそれは平和な村で生活している人々の命や住まい、そして次の収穫までの蓄えを供犠として呼び起こされたものだ。そう考えて見直すと、この風景画は『邪竜の衝天』とでも名付けるのが相応しいかも知れない。
彼を乗せた大型ヘリコプター・チヌークの大編隊は、僚機と共に黒煙に包まれた集落を、その屋根をかすめるようにして駆け抜けた。
眼下では紅蓮の炎が、人々の住まいや家具などに灼熱の牙を剥いて、噛み砕き、咀嚼音を立て、喰らい尽くそうとしている。蛇の舌先にも似た炎熱がちろちろと燃え草を探してとぐろを巻き、その息吹は轟音を上げていた。
それらを四千三百三十六の軸馬力を発するターボシャフトエンジンの爆音が力ずくでねじ伏せ、頭ごなしに抑えつける。
前後に二つ列んだローターブレードが、黒い紗を幾重にも重ねたような煙を引き裂き、その裾を強烈なダウンウォッシュによって巻き上げる。炎の一部などは、ただそれだけで吹き消されてしまったほどに。
同乗している、と言うより富田達の方が乗せて貰っている側なのだが、陸上自衛隊特地方面派遣部隊第四戦闘団四〇三中隊所属の隊員達は、眼下に広がった無惨な光景を見て一様に口を噤んでいた。
喋り続けているのはテレビニュースの取材スタッフだけ。
誰に許可を得るでもなく当然のように景色が一番よく見える場所を占領した彼らは、カメラの砲口を眼下の集落へと向けている。マイクを手にした古村崎という男は、見れば誰にでも分かるような「集落があります」「煙を上げています」「あちこちに犠牲者の姿が見えます」といった内容を、あたかも自分だけが知る特別な秘密であるかのごとく喋っていた。
そんな情景を眺めながら、富田は傍らの栗林二等陸曹の耳元に口を寄せた。
「護衛するテレビのスタッフって、てっきりお前の妹だと思ったんだけどなあ?」
「なんでかなぁ、最近のあたしらって、こんな任務ばっかりしてない? これってもう偵察じゃないよね」
会話が微妙に噛み合っていない。だが、それぞれに愚痴をこぼしたいだけだったこともあり、特に言葉を重ねることもなく視線を交え、互いに肩を竦め合うだけに終わった。
「野郎共、見ての通りの惨状だ。ここでの俺達の任務はゾルザル派の掃討だ。今度こそ奴らの本隊を見つけだして、ぶっ潰す。わかったな!?」
先任陸曹長の怒鳴るような声を受けて隊員達は一斉に「オッス!」と頷いた。
「良い返事だ。よし、弾込め!」
第一小隊の隊員達は取り出した弾倉の角を、ヘルメットにコンコンとぶつけた。
計二十発の七・六二ミリ弾が弾倉内できちんと揃うようにしているのだ。些細な配慮だが、戦闘中に小銃が弾詰まりなどの作動不良を起こせば命にかかわる。この程度の用心ですら怠ったが故に、生死を分けることになるのが戦場であり、彼らがこれから向かう場所なのである。
慣れた手つきで、六四式小銃に弾倉を装着し終えた隊員達は、槓桿から手を放し薬室に弾丸を送り込む。装弾、装填、閉鎖……彼らが手にする愛銃は、この瞬間をもってあっけないほどに獰猛な凶器となった。
「弾込め良しっ、安全装置良しっ!」
とは言え、銃が攻撃色を発するわけでなく、猟犬のように体毛を逆立てて今にも襲いかからんと唸るわけでもない。冷たい鋼鉄の表情は、弾を装填しようとしまいと、一切変わらないのだ。しかし人差し指に、引き金の重さ二・七~四・三キログラムを僅かに超える力を入れさえすれば撃鉄が雷管を打ち、持ち主が意図した方向に凶悪な殺意の塊を吐き出す。
考えてみれば、隊員達もこの小銃と同じかも知れない。
日頃の彼らも、誰かの友人であり、あるいは誰かの夫で、誰かの息子だ。テレビのスポーツ中継番組で派手な演出を受けて登場する格闘家のような、一目でそれとわかる外見的要素は少ない。制服を脱いでしまえば、そうと言わなければ誰にも気付かれないくらいなのだ。
けれど弾を装填した銃を持ち、命令によって安全装置を解除された彼らは、飢えた狼のように斃すべき獲物を探し、命令という名の引き金を引かれることによって、敵を殲滅せんとして一斉に飛び出して行くのだ。
部品の脱落を防ぐためと、不必要な物音を防ぐ目的で施した黒ビニルテープの補強を確認した隊員達は、負い紐を伸ばすと銃を背負った。中には、町工場で作ってもらったマウントを用いて、私物の照準補助具を強引に装着している者もいる。そうした隊員は、薄暗いチヌーク機内であちこちに銃口を向け、十字照準刻線の見え具合を確かめてから銃を背負った。
隣にいた隊員が問いかける。
「そんな無理矢理とりつけたダットサイト、あてになるのか?」
「なんかの拍子に倒れるかもしれない照星と照門と同じくらい……かな」
戦闘状況が過酷になり始めると、陸自上層部も隊員達がそれぞれに行う創意工夫をかなりのレベルで許すようになっていた。照準補助具もその一つで、前方握把やレーザー照準具を取り付けている者もあるのだ。
二機のチヌークが、集落の広場に影を落として静止する。
少し離れたところを、戦闘ヘリのコブラが旋回し降下する隊員達を支援する構えをとっている。
運動会で使う綱引きの綱ほどに太いファストロープが地面まで下ろされると、小隊長は上げた手を静かに下ろした。
すると第一小隊の隊員達は放たれた弾丸のように、ファストロープに飛びついて、次から次へと滑り降りていった。
そんな彼らの姿を、報道のカメラが見送る。
その脇では、富田達が地上に銃口を向けて、降下する隊員達を攻撃するような敵がいないかを見張っている。
第一小隊の隊員達をすっかりと降ろしてしまうと、チヌークはファストロープを引き上げて、再び高度を上げ始めた。
閑散とした機内では、古村崎がヘリパイ・ヘルメットをかぶった隊員に詰め寄っていた。
「おい、どこかに着陸しろ。俺たちが降りられないじゃないか!」
航空科の機上整備員が内心で辟易としていることのわかる、作ったような愛想笑いで答えた。
「はい、了解しました。でも、着陸するのは地上の安全を確認してからですよ」
「それじゃあ、緊迫した地上の映像が撮れないじゃないか!? 今すぐ、俺たちを降ろせ!」
「いいですけど、……これ使えます?」
機上整備員がファストロープを指し示して説明した。
戦場を往来するヘリコプターが最も危険に曝されるのは、離着陸する瞬間である。それを避けるために懸垂降下や、ファストロープによる降下等の方法が開発されたとも言える。もちろん、素人に突然「やれ」と言って出来ることではないがこれも機体の安全、つまりは取材クルーの安全を確保するために必要な処置なのだと言うと、さすがの古村崎も「仕方ねぇな」と、罵倒混じりに舌打ちするしかなかった。
カメラマンと古村崎が物欲しげに大地を見下ろす中で、チヌークは高度をどんどん上げた。そして地上の安全が確認されるまで、燃えさかる村の上空を旋回することとなったのである。
隊員達は、地面に降り立った瞬間から、四方八方へと散るように駆け出していく。
何かと競争をしているかのように、疾駆しながら銃を構え、警戒の視線とそれに一致した銃の照準とを周囲に向けて巡らせた。
照準を家の戸口、植え込み、人の居そうなあらゆる場所に合わせる。だが、彼らが生きて動いている人間の姿を見つけることはなかった。見えるのは、あちこちに転がっている、つい先ほどまで生きていたであろう様々な種族の男女である。みんな、剣により斬られたり刺されたり、あるいは獣に食いちぎられたような傷を負って倒れていた。
「ターゲット・サーチャーを使ってみろ!」
分隊長の指示で隊員の一人がSF映画に出て来るような未来型の光線銃に似た道具を取り出して植え込みや物陰へと向けた。
それは体温を持つ生命体が発する赤外線を感知して、姿を隠した存在を発見する装置である。
主に狩猟の獲物探しの道具として、大型の獣なら約九百メートル、鳥などの小動物でも、約二十メートル離れた場所から発見できる。また、遭難者の捜索といった用途にも用いられている。しかし、これもまた官品……国からの支給品ではなく隊員の私物であった。残念な話だが予算の制限がきつい自衛隊では、装備の不足は隊員達が自腹を切って補わなければならないのだ。
「熱源があちこちにあって駄目です」
優れた機械ではあるが、近傍に巨大な熱源があればその効力も半減してしまう。家屋を包む炎が邪魔であった。それにあちこちに散らばる死体すらまだ生暖かいのである。
「ちっ……」
機械が有効に働かないとなれば、自らの目と耳とで確認するしかない。
結局の所、各個の隊員達に求められる技量は、古来から変わることなく注意力と観察力が基となる。これを磨き鍛えるしかないのだ。どれほどに機械の進歩があったとしても、その性能が有効に発揮されない場面や、敵味方で互いにその機能を騙し合い、妨害し合うという状況は、いくらでも起こり得るのだから。
隊員達は、倒れている者の中にまだ生きている者はいないか、あるいは襲撃者から身を隠している者が残っていないかを探す。しかし、炎に包まれてパチパチとはぜる建材の燃える音が、もしかしているかも知れない生存者の声の確認を阻害した。靴底が大地を踏む時のざらざらとした音すらも、敵の気配を探ろうと尖らせている神経に障った。
それでも、隊員達は呼吸を静かに抑え、じわりじわりと進みながら些細な異変を見逃すまいとしている。皆の視線は速過ぎることも、遅過ぎることもない速度で、あらゆる箇所を巡り、覗き込み、探っていった。
突然の発砲音が集落に響く。
『どうした!?』
空電音に混じって、無線機に報告を求める声が放たれる。
すでに、これ以上は強くなりようがない程に張り詰めていた隊員達の反応は早い。
素早く姿勢を低くし、ある者は音のした方向を振り返り、また一部の隊員達は、音とは別の方向に視線を巡らせて警戒の漏れを防いでいた。
『そっちに……集落の南方に逃走!』
警声と、散発的に続く銃撃音。
無線で敵の数、移動方向が報告され、小隊長の指示を受けた分隊長は隊員達を率いて、敵の逃れようとしている南へと走った。
(前へ!)
分隊長のハンドサインで分隊は敵を待ち構えるように広がった。
最近、このあたりに出没して住民達を襲っている敵は、帝国兵であることを示す姿形をしていない。近在の農民と同じ服装をして襲って来るので、帝国兵なのか、はたまた帝国兵に襲われて恐慌に駆られ、農具を武器として握った農民なのか見ただけでは判別がつかないのだ。だから隊員達は、武器になる物を持って向かって来る者を見れば、全てを敵と認識するしかなかった。いや、何も持っていなくても、敵かも知れないと警戒しなければならないのだ。
「逃げる奴は敵だ、逃げない奴は訓練を受けた敵だ!」という発言は、戦場の狂気を揶揄する戦争映画の中で用いられたセリフだが、狂気の渦巻く戦場では「理性」を保ち続けることが出来る方が異常だ。そもそも、どうやって理性的に人間を殺すと言うのか? 今の価値観に従うならば、理性的に人間を殺せる者の方が恐ろしいはず。戦場では、狂気に駆られていることの方が正常なのである。そして正常と狂気の切り替えに失敗した者から病んで行くことになる。
それに、昔から敵味方を識別する標をつけず、戦闘員の証しとなる戦闘服もまとわない者は武器を持って戦う権利がないとされている。彼らがしているのは、捕らえられたその場で射殺されても文句は言えないほどに卑劣な行為と言える。ハーグ条約はもちろんのこと、ジュネーブ条約ですらも、最低限の条件として「武器を公然と携行すること」と定めているのだから。
だが、「病的な潔癖症」に感染した者はこれらの違反をした者ですら擁護する。そして一般市民を楯にし、市民の間に隠れながらする卑劣な戦闘手段を、弱者が強者に立ち向かう唯一の方法と称して認めてしまう。市民を楯にすることは非難と駆除の対象とされるべきなのに、その攻撃に曝されている兵士の方を指差して「人殺し」「冷血漢」と罵ってしまうのだ。
そう、摘発でも掃討でもない。駆除である。無辜の民を楯とする者はゴキブリや鼠のごとき駆除の対象とすべきである。テロリズムは、数多の憎悪と不幸をまき散らし、狂気と理性を、日常と戦時との境界を脅かして浸食させる、卑怯極まりない行為なのだ。その戦いに市民が巻き込まれたとすれば、その責任の大部分、ほぼ全ては市民を楯とした側にこそある。
にもかかわらず、制服をまとった兵士には完璧であることが求められる。
一瞬の勘違いと、判断の誤りと、手違いが当たり前のように横行する戦場にあって、味方を守り、自分が生き残る鉄則は「敵らしければ撃つ」しかないのに、あたかも殺人マシンのような完璧な敵味方識別能力が求められ、出来なければ「完璧ではない」と非難されてしまうのである。
こうして、兵士達は守っているはずの味方からの、背後からの攻撃によって傷つけられる。罪悪感をあおり立てられ、敵の銃弾を受ける以前から、味方の手によって精神的に参らされていくこととなるのだ。
隊員達は荷車に乗った商人とおぼしき男達を見つけ銃口を向けた。総勢八人。皆、特地で言うところのヒト種だった。
引き金を引く、引かないの一瞬の迷いが起きる。
同僚や誰かを傷つける敵かも知れない存在を、絶対に安全な死体へと変えて安心したいという衝動が隊員達の中にこみ上げた。だが、彼らはまだそこまで疲弊していなかった。強固な意志でこれを抑え付けることに成功し、隊員達は危険に身を晒したまま命令を待った。
「止まれっ!」
アルヌスで習い覚えた片言の言葉で呼び止めながら、隊員達は一斉に銃口を商人達に向けた。
しかし、声が聞き取れないのか、それとも何か理由があるのか商人達はそれを無視して強行突破をはかろうとした。分隊長は威嚇として馬の足下に向けて弾倉一個分の銃撃を加えた。パラパラと薬莢が地に散らばり、銃声に驚いた馬は竿立ちになって暴れた。
慌てた御者はいきり立つ馬を落ち着かせるために手綱をひく。そしてどうにか馬を宥め終えると、観念したように両手を挙げた。
ゆっくりと止まる荷馬車。
隊員達は、射線上に味方をおかないように充分な距離と間隔を広げて荷馬車を半包囲した。そして油断無く男達に銃口を向けて、荷馬車から降りるように指示する。
「いったい何の御用ですか? 俺たちは旅の商人でして、何かご入り用ですか?」
謙った言い方で御者台から声をかけてくるひげ面の男。
隊員達は、男達の下腹部に照準を合わせた。
帝国兵は剣や槍を用いることに優れ、その防御技術は熟練のボクサーにも比肩されるほどだ。そのために頭や胸部はすぐに狙いからはずされてしまう。だが、下腹部は脚を使わなければ動かすことは出来ない。その分、動きが少なく、咄嗟の動きの中でも比較的捉えやすい部位なのだ。
「何故、逃げようとしたんですか?」
数歩の距離を置いたままで、分隊長は丁寧に尋問を始めた。
ひげ面の男は男達の代表を兼ねているのか、肩を竦めて答える。
「当然でしょう! たまたまこの村の近くを通ったら、煙が上がってましてね。何が起こったのかと覗いてみたらこの始末でしょ? 巻き添えになったらたまらないって逃げるのは普通のことですよ……」
実際、巻き込まれてこの始末だとぼやく。
言い訳としては、一応筋が通っていた。だがそれで見逃していては仕事にならない。分隊長は小隊長に状況を報告すると、「荷物を見せてもらえますか?」と告げた。
「い、いや……それは」
「何か見られて困るような物でもあるんですか?」
商人の男達は互いに顔を見合わせ、仕方ないと荷台に被せていた幌を取り払った。
荷台には家具や什器、それから貴金属製品などが山積みとなっていた。この世界の手工業品は新品と中古品の区別が付きにくい。分隊長は荷台の品物を上からさっと見渡して言った。
「まるで、そこらの民家から掻き集めてきたみたいな品揃えですね」
荷台の一番底に置かれた大きな箱に注意をひかれる。誰も触れていないのに、わずかに動いたように見えたのだ。分隊長は、「その箱を開けてみろ」と言うつもりだった。だが、その直前にひげ面の男が抗議するかのように言い放ったためタイミングを失った。
「勘弁してくださいよ。これでも立派な商品なんですよ!」
男は大仰に天を仰いでいた。
「まあ、故買品(盗品)も中にはあるんでしょうけどね。でも、仕入れるのに出先をいちいち尋ねていたらこの商売はやっていけないですよ」
「こいつをどこに運ぶんですか?」
「あちこちですよ。戦争中の今は、あちこちで物が売れるんです」
「例えばどんなもの?」
「何でもですよ。食べ物、家具、什器、それと酒。ついでに奴隷。そうだ、女奴隷です。女、欲しくありません? いろんな種族を取りそろえてますよ。きっとお好みに合うのがいるはずです」
ひげ面の男は、どんなご注文でも承りますよと言って下品に笑った。
「このあたりをうろつく商人なら、帝国正統政府発行の商人鑑札か、フォルマル家発行の通行許可証を持ってるはずですね。見せて下さい」
分隊長の問いに商人は「ええ、あります。ありますとも」と御者台に置かれた鞄を開いた。
「どこにやったかな? 大事な物だから、ちゃんとしまい込んでおいたんですがねぇ。こういう時に限って見つからないや。待ってて下さいね。もし、お手間なようだったら、見つけるまで他の仕事をしてもらっていても……」
分隊長は告げた。
「別に、急がなくて良いですよ。ゆっくり探して下さい」
ひげ面の男は見た目にも緊張した様子だった。「お優しいこって」と舌打ちしている。他の男達はどうなるものかと固唾を呑んでそれを見守っていた。
「ああ、あったあった。これだ……」
「代表者、それを持って前へ。こちらに近づいて良し」
分隊長の指示で、代表の男は折り畳んだコピー紙の束を差し出した。見ると紙面の隅に赤黒い汚れが付着している。
「これ、血で汚れてるぞ」
「いや。ついこのあいだ手を切っちゃいましてね。それで汚しちまって……」
そんなことを言って、手をぶらぶら振るひげの男。
分隊長は書類を開くと、その記述に目を走らせた。
「グレゴルー・ベントン?」
「グレゴリー・ハー・ベイトンです。俺の名前です」
ひげ面の男は、そんなカマかけにはひっかからねぇぜと言いたそうな表情をした。
「ね、本物でしょ?」
そう。確かに通行証はフォルマル家の発行した本物であった。とは言え、通行証は商人の氏名、扱う品、その身元を保証するパトロンたる貴族の氏名などが特地語と日本語の双方で書かれているに過ぎない。
分隊長の関心は、通行証を発行する時に収集される情報にあった。特地の人間には意味を理解することのできない、書類の末尾に記されたバーコードがそれを引き出すのである。
「確かに、この書類は本物ですね」
この言葉で、隊員達の緊張も和らいだ。敵である可能性が低くなり、安全である可能性が高くなったからだ。
分隊長は通行証の発行日時を確かめると、書類の下辺に記されたバーコードに携帯していた機械をあてた。すると、書類の発行時に登録されたグレゴリー・ベイトンという男の顔写真が液晶パネルに表示される。
「…………ふ~ん」
分隊長は、傍らにいた隊員達に画面を見せた。そして日本語で「こいつら偽物だ」と告げる。画面に表示されたのは、ひげ面の男とは似ても似つかない老人だったのだ。
「どうしたんで?」
隊員達のまとっていた雰囲気がガラッと変わったのを察したのだろう、ひげ面の男は何か書類に不備があったか、血で汚したことが問題なのかと話しかけた。だが、背後の男達はその緊張に耐え続けることが出来なかった。一斉に隠していた武器を引き抜いて、自衛官相手に一か八かの勝負を挑んできた。
とは言え、この事態を予測し、充分に距離を取っていた隊員達にとって、対処するのはそれほど難しい事ではない。
武器を手にした者は腹部などに銃弾を受けて、折れるようにしゃがみ込み、あるいは倒れ、剣を抜く事も出来なかったひげ面の男は、銃剣を突きつけられて捕らえられることとなった。
「村を襲ったのは、きっとこいつらですよ」
隊員の一人が、斃れた男を口汚く罵ると彼らが抜いた武器を指差した。
その剣には、拭き取られることもないままに血がこびり付いていたのだ。おそらく村人の血液だろう。しかも、その剣の柄には帝国軍の紋章が刻印されていた。
「おい、ちょっと待て、お前達! 何をやっている? まさか、民間人を殺傷したんじゃないだろうな!?」
古村崎がカメラマンを引き連れてやって来たのはその時であった。
「違いますよ。帝国のゲリラ兵です」
「本当か? 適当なこと言って民間人虐殺をごまかしてるんじゃないだろうな?」
古村崎は犠牲者の姿を撮影していたカメラマンを呼び寄せた。
「おい、死体を撮影しろ。しっかりと顔が写るようにな。それと自衛隊の隊旗なんか画面に入れるなよっ!」
古村崎の指示で、商人に扮した帝国兵達の姿を撮影していくカメラマン。
分隊長は、今、この瞬間の映像が夜の報道番組に使われるかも知れない事を意識しながら、血の付いた剣とそれに刻まれた帝国軍の紋章を説明し、捕虜としたひげ面の男に荷台の箱や荷物を開けさせた。
全ての箱を開け、壺があれば中を覗き込むという徹底ぶりである。すると開拓民からの略奪品がぞくぞくと出て来た。さらには迷彩服を真似たのか、緑や濃緑でまだらに染められた柄の衣服まで出てきた。
「ちっ……帝国兵の奴ら、これを着て略奪とかやってるのかよ」
隊員達は古村崎の耳や、映像に記録させるためにあえて口にした。
自衛隊の迷彩服とは似ても似つかないが、こんなものでも加害者の姿が人間の口を介して伝えられていくと「まだら緑の服を着た男達」となってしまうのだ。
動かぬ証拠を目にすると、古村崎もさすがに呻かざるを得ない。
「証拠があって、運が良かったな」と憎まれ口を叩くと、カメラに向かって「帝国兵とおぼしき男達が、村を襲った模様です。しかし、本当に殺害する必要があったのでしょうか? 捕らえて裁きにかけるという方法を全く考慮していない自衛隊員の振る舞いには、我々は疑問を感じざるを得ません」などと語りかけていた。
「俺達、ケーサツじゃねーもん」という、一部の隊員から放たれた呟きは、ほぼ全員の気持ちを代表したものだった。
分隊長は、先ほど気になっていた箱を開けさせた。
すると中から出てきたのは、小さな女の子だった。土や血で汚れた身体を脅えたように丸めて身を震わせていた。猫系統の種族なのか、猫目で側頭部に尖った耳を持ち、茶の体毛がある。鋭い爪が手足にあり、首には竹で出来た小さな笛を下げていた。
分隊長は、安心させようと頭を軽く撫でてやり尋ねた。
「名前は?」
「……クーシ」
両手を上げているひげ面の男に、分隊長は振り返ると大仰に尋ねた。
「さてと、どこにネストを置いて活動しているのか。本隊はどこにいるのか、きりきり吐いて貰うからそのつもりでいろ!」
何度も言うが一般市民を楯にしながら、爆弾を炸裂させたり、武器を振り回したりするような存在の人権を認める必要はない。だが潔癖症の社会ではこのような者にすら、捕虜となる権利を与えなくてはならないのである。
このひげ面の男も、協定に基づいてフォルマル伯爵家に犯罪者として引き渡すことになる。
ただし、そこで取り調べを受けることが、はたして幸せかどうかは当事者とならなければ理解できないことと言える。
カメラの接眼レンズには、ひげ面の男の恐怖に引きつった表情がアップとなって映されていた。
「何? もう一度繰り返せ。……集落の西側で黒妖犬の群を発見しただと!?」
分隊長の声に隊員達が一斉に身構えた。
「こくようけん?」
古村崎は、護衛としてついている富田に尋ねた。
「特地乙種害獣、通称『黒妖犬』です。犬のような外見をしてますが、虎並みにでかい。それが群れて、襲って来るんだそうです。最近のゾルザル軍はそんな生き物を武器に使ってるんです」
富田は栗林と共に古村崎の両脇を固めて周囲を警戒し、戸津、東は仁科一等陸曹の指示でカメラマンや、大きなマイクをつけた竿を握る音声担当者の周囲を固めた。
「ここは危険ですから、空に上がりましょう。今、チヌークを呼びましたから拾ってもらえます」
「馬鹿言うな! そんな危険な動物がいるなら、その姿を撮影しないでどうしろって言うんだ?」
古村崎はそう言うと西へと向かう隊員達を指差して「みんな向かって行くじゃないか!?大丈夫ってことだろう?」と言い放った。
だが、実態は違っていた。第四〇三中隊の中隊長は、ここで姿を現した敵性怪異を叩きのめすことを選んだのだ。
特地の害獣は確かに危険だが遠隔地から操れる性質の物ではない。従って、それが放たれたあたりにこそ、敵の本隊が存在している。危険だが火中の栗を拾ってこれを叩き、ゾルザル軍のゲリラ活動の根を断とうとしているのだ。
第一小隊の小隊長も、抱えていた童女と捕虜を栗林に「預かっててくれ」と押し付けると、西へと走って行く。
「これ、どうしろって言うのよ?」
「おっぱいでも飲ませてやってくれ。それだけでかけりゃ出るだろ?」
「無茶言うなっ! 出産しなきゃ出ないように出来てるんだよっ!」
童女を抱えて呆然と立ちつくす栗林。
その一方で富田は、戦線に向かおうとする古村崎の前に廻り、両手を広げて通せんぼをしていた。
「ちょっと待って、待って下さい! 駄目ですってば!」
古村崎は、富田の胸に人差し指を突きつけ邪魔するなと怒鳴る。
「報道には最大限の便宜を図るのが自衛隊の義務だろう!」
だが、古村崎の怒声など塗りつぶしてしまう空気の切り裂き音が響いた。さらに集落の西側方向からは大地を底から揺さぶるような爆発音が轟く。
支援の砲撃が始まったのだ。
上空ではコブラが銃撃しつつロケット弾を連射し、地上では隊員達が銃弾を放つ。爆音があちこちで響き、富田と古村崎は二人揃って首を竦めた。
地を這う獰猛な獣がその肢体を引き裂かれ、血飛沫を散らす。だが、撤退という言葉を知らない四足の怪異達は、数に任せて愚直に突き進んで来る。
「迫力のあるシーンを撮りたければ、空からだって撮れますよ!」
「地上からの画像と、安全な上空からの画像とじゃ、較べ物にならんよ。たかが犬相手に何を脅えてるんだ?」
「犬はヤバイんです! 速いし、姿勢は低いし、危険だ。それが群れてるなら尚更だ!」
富田は戦闘の専門家として身につけた知識から、戦闘用に訓練された軍用犬がどれほど恐ろしいかを語った。そして黒妖犬はそれを超えると告げた。
油断をすれば命にかかわる。これから始まるであろう戦いでは、前後左右に敵を迎えることとなる。「後方」などという安全地帯はなく、敵に襲われない場所など見つけることも難しいのだ。
「それに、この子をどうするんです? 俺達は護衛だからあんた達についていかないといけない。このままここにいれば、この子を戦闘に巻き込むことになりますよ」
富田は、栗林の抱えているクーシと名乗った少女をどうするのかと古村崎に迫り、古村崎はこの時、初めて逡巡する姿を見せた。
猛烈なダウンウォッシュが吹いて砂埃が巻き上がる。
富田が呼んだチヌークが着陸した。富田達を迎え入れるように後部ハッチを開く。
「あ、来ました! 見えました」
だが、カメラマンは接眼レンズを目に当てながら叫んだ。
高性能のハイビジョンカメラを常に覗き込んでいるカメラマンは、いち早く敵の実態を把握していた。
「お、でっかいオーガーもいますよ。マンモスみたいなのも混ざっている。まるで特地野獣の博覧会だ。まっすぐ、こっちに向かってくる!」
夥しい数の黒妖犬の中に、分厚い鎧に身を固めたジャイアントオーガーの姿までもが認められたのだ。
電柱と見紛うばかりの巨大な棍棒を持っている。迂闊に近づけば、その強烈な腕力で叩きのめされてしまうだろう。
それが大きな楯を連ねて壁を作り、重装歩兵さながら銃弾をはじきつつ進んで来るのだから戦車以上の迫力がある。
自衛隊の指揮官は陣地を構えているわけでもないため、これを真正面から受け止めるようなことはせず、左右に道を開き両脇から叩き伏せることにした。隊員達は、その為の指示を受けて移動を開始する。
「急げ! 急げ! 次の砲撃が始まる前には離陸しなきゃならん!」
捕虜を受け取った航空科員が銃を振りながら「早く乗れ」と急かしている。
「なら、その子だけヘリに乗せればいい。俺たちは地上で取材を続けるぞ」
古村崎の言葉に不安そうな眼差しを向けるカメラマン。戦闘、移動、戦闘、移動、その繰り返しに重いカメラを抱えたまま、はたして付いていくことが出来るのかと心配になったのだ。
「古村崎さん、不味くないですか? ヤバイですよ」
翻意を期待してかカメラマンが言った。
「馬鹿野郎。お前らはそんなんだからいつまでたってもぺーぺーなんだよ!」
古村崎はそう怒鳴りつけると、カメラマンの襟首を掴み無理矢理に引きずって前に進んでいった。自衛官達が立ち退いて既に無人となった、敵の真正面に向かって行く。
富田は、栗林を振り返ると童女と一緒にチヌークに乗るように告げた。
「みんなはどうするの?」
「俺達は彼奴らを連れ戻してくる。ヘリを上空で待たせて置いてくれ! 出来れば援護をしてくれ!」
「あんな馬鹿野郎達、見捨てちゃえばいいじゃない!」
栗林が怒鳴って返した。
「そういうわけにはいかないだろう? 伊丹隊長が言ってたろ、俺達は国民に愛される自衛隊だよって」
富田はニッと片目をつぶると、栗林の抱えた童女の頭を軽く撫でた。
栗林を載せた巨大なヘリコプターは地上を離れていく。見上げる富田の表情は頼もしげに微笑んでいた。
「ヤバィ。ぐっと来た」
栗林はそう呟くと、頬を赤く染めて、戦線へと向かっていく富田の背中を見送るのだった。
「これがいい。お誂え向きに壁が隙間だらけだから、立て籠もっても外の様子が見える」
古村崎は集落の外れにある小屋の戸を開けて、中の様子を覗き込んだ。
その小屋は、急造の粗い作業を感じさせながらも、それなりに耐久性を確保するためか柱の数が多かった。
床には住人らしき翼人女性が陵辱された姿で倒れている。こんな開拓民の中にまじっているのが不思議なほどの美人で、それが襲撃者の獣欲を誘ってしまったのかも知れない。
その側では彼女を守ろうとしたのか、青年が腹部に剣を突き立てた姿のまま倒れていた。
だが古村崎はその二人の素性や人生を一顧だにすることもなく叫んだ。
「ここだ福島。ここから撮影だ!」とカメラマンに叫ぶ。
「いや、駄目ですって。古村崎さん、まずいっすよ! 野生動物は臭いに敏感でしょ、見つかっちまいますよ」
「大丈夫だ。まわりにこんなに死骸があるんだ。臭いに紛れてわからんよ!」
興奮した様子の古村崎。理性のたがが外れたようなギラギラした瞳の輝きに、カメラマンと音声担当は思わず後ずさった。だが、逃げようにも、もう時間切れだと宣言するかのようにチヌークが頭上を通過していく。
さらに、すぐそこまで黒妖犬を主力とする怪異の群れが迫っていた。最早、古村崎の言うとおり、この半壊した納屋に隠れて敵をやり過ごすしかないのだ。
カメラマンらは、追いかけてきた仁科ら自衛官と共に、小屋に飛び込むと扉を閉めた。
その直後、巨大な犬が戸にぶつかって派手な音を立てる。野獣の荒い息と、戸をひっかく音が恐怖感を、自分達がいかに危険な状態に陥ったかを実感させた。
「何をしてる、とっとと戸をふさげ!」
古村崎の指示で戸の前にバリケードを積む作業が始まる。
「バリケードは、大きな家具を下にするんだ! 寝台は逆さまにして接地面を広くしろ。柱を利用してつっかえを噛ませろ!」
「こ、古村崎さん、随分と詳しいんですね」
音声のマイクを置いた、取材クルーの松崎が作業をしながら尋ねた。
「全共闘内ゲバ世代を舐めるなよ……俺はな、チェーンバリ越しに、鉄パイプでの叩き合いをやった実戦経験者なんだよっ! その材木はここだっ、ここに噛ませろっ!」
家具を片っ端から掻き集めて、戸の前に積みあげてバリケードにしていく。
頭上を旋回するチヌークは地上に向けて盛んに銃撃を加えていた。栗林が怪異の数をわずかでも減らそうとしているのだろう。
だが、全身に分厚い装甲をまとったジャイアントオーガーにはそれが通じない。左右から飛来する銃弾を跳ね返しながら、柱にも似た棍棒をやたらめったらと振りまわし、無人の家屋や納屋を蹂躙するように破壊していった。
上空を舞うヘリコプターを落とそうとしているのか、棍棒をぶん投げる個体もいる。
流石に命中しなかったが、当たったら最後、一撃で撃墜されかねない迫力で、見ているだけでも冷や汗が噴き出してくる。
そんな光景を撮影しながら、古村崎やカメラマンの福島が歓喜の声を上げた。
「いいぞ、いいぞ! すっげぇ迫力だ! ピューリッツァー賞間違いなしだぜ!」
「こ、こいつら、まともじゃねぇ」
座り込んだ富田は古村崎の姿を見て呻くように呟いた。
戦場を駆け回る時の自分達も、いささかまともとは言えないが、ジャーナリストという存在はそれ以上だと思ったのだ。
実際、目の前で人が殺されようとも、大災害によって目の前で人々が危険に呑まれようとしていても、自由自在に飛び回れるはずのヘリコプターに乗りながら、警告もせず、助けようともせず、報道と称してただひたすら傍観し、撮影してメシの種にする行為は、相当な冷血漢でなければ出来ないだろう。
ジャーナリストとは、トラックが危険に飲み込まれる瞬間を撮るために、ヘリコプターのパイロットに高度を下げさせ、危険に向かって突き進んでいるトラックに向けて「危ない!」と警告することすらしない存在なのである。
ふと、仁科達が「お、おいっ、富田」と肩をつついて来る。
どうしました? と振り返ると、仁科一等陸曹は傍らに倒れている鳥人女性を指差して「これを見ろ」と言った。
「こ、これ、テュワルさんじゃないんですか?」
東陸士長から聞き覚えのある名を聞いて、富田は「えっ?」と近づいて覗き込むようにして女性の顔を確かめた。
それは地揺れの発生を予言し、開拓民として堅気の生活を始めるのだと恋人と共に帝都の悪所を去って行った鳥人女性のテュワルであった。
富田は、まだ温もりの冷めてない彼女の頬を軽く叩いてみた。
死んでいるのか。まだ生きているのか?
コホッ!
テュワルがわずかながら反応を示した。
「まだ、生きてる!」
「おおっ! 生きてたか!?」
死んでしまっていると思っただけに、仁科らの表情は明るくなった。だが、このままにしておけば、か細く小さくなった彼女の命はいずれ消えてしまうだろう。可及的速やかに医者に見せる必要があった。
「このままほっとけば、死んじゃうんじゃないか?」
「仁科さん、時間なんかないですよ」
戸津と東の言葉に仁科は頷いた。
「よし、富田、チヌークを呼べ。ここを離脱するぞ」
だが、仁科一等陸曹の決断に古村崎が抗議の声を上げた。
「馬鹿言うな。今さら外に出ようって言うのかよ!?」
外に出れば間違いなく、外をうろついている怪異に見つかってしまう。
あの膨大な数の野獣を、ここにいる四名ばかりの自衛官では防げないことは素人にもはっきりと理解できるのだ。
「じゃあ、この女性をほっとけって言うのかよ!? あんたら日頃から人命がどうのって俺達のことを非難してるくせに随分と薄情じゃないか?」
だが、古村崎は自分達を巻き込むなと言った。
「優先順位って物を考えろって言ってるんだ。特地の死にかけた女を救うのも確かに大事だが、それってここにいる俺達日本国民を危険に曝してまでしなきゃいけないことかって言ってるんだ。ったく、軍隊って奴はホントに国民を守らないよな」
仁科と古村崎がにらみ合う。
だが富田が割って入った。
「大丈夫ですよ。外に出なくったって、ヘリに収容することは可能です」
「どうやって?」
「あれに穴をあければ良いんですよ。ロープで吊り上げます」
富田はそう言って天井を指差した。そして古村崎に蔑むような目を向けた。
「俺達は昔の帝国陸軍じゃねぇから。現代の陸上自衛隊なんだってところを見せてやるぜ」
半壊している建物の屋根を抜くのはさほど難しいことではなかった。梁に銃弾を浴びせてへし折り、柱を上って屋根板を蹴り割って、剥がしていけば良いだけだった。
だが、作りの粗い小屋の梁を折ったことで、それまで堅牢さを感じさせていた壁が突如としてぐらぐらと揺れ始めた。どうやらこの建物は梁によって束ねられることで安定していたようである。それを失ったため、安物の舞台演劇用大道具のごとく建物自体がぐらつき始めたのだ。
しかも、負傷者収容のためにチヌークが上空に滞空したことが、怪異達の注意を引き寄せたようだ。怪異が四方八方からこの小屋めがけて押し寄せて来た。
怪異達の群れ目掛けて、迫撃砲の重榴弾が降り注ぐ。
土砂が吹き上がり、特地の様々な怪異達は全身を引き裂かれて次々と埋葬されていった。
滞空するコブラがロケット弾を叩き込んで、重装オーガーをなぎ倒していく。
凄まじい爆音と、頼りにならなくなった壁を前に、古村崎は耳を押さえて怒鳴った。
「畜生っ! 全然守れてないじゃないか!」
建物にあいた隙間から、黒妖犬がその鼻先を突っ込んで来た。驚いたカメラマンが仰け反って悲鳴を上げながらしりもちを付いた。
「撃て! 撃て! 撃て!」
富田が、着剣した小銃を突き出して、刺突するとともに引き金を引く。すると反動で銃剣が抜け、敵には確実にダメージを与えることが出来るのだ。
あちこちに出来た隙間に鼻先を突っ込んで来る怪異を寄せ付けまいと、富田達は建物の外に向けて射撃を開始した。
「次は、あんた達だ」
仁科の声に顔を上げる古村崎。見上げるとテュワルを背後から抱きかかえた戸津が、チヌークの中へと引き込まれていった。
「お前行け!」
古村崎は音声担当の松崎を次の脱出者として指名した。すると仁科が太いロープを、松崎の脇の下に通すようにかける。
「その次は福島、お前だ」
「こ、古村崎さんは?」
「俺は民間人としては最後に決まってるだろう。何しろ、現場の責任者なんだからな。上から俺が上っていくところをちゃんと撮れよ」
途端、トラックが突っ込んできたかのような衝撃が小屋を揺さぶった。
埃と木材の切れ端が頭上から降り注いだ。見ればバリバリと壁板が割れて、その隙間の向こうに犀にも似た巨大な怪異の姿が見えた。その太く鋭い角で、壁を突き破ろうとしているのだ。
富田は流れるような動作で弾倉を交換し、銃撃を加える。
その犀に似た生き物は、全身に銃弾を浴びるとやがて座り込むようにして斃れた。だが、それによって開いた壁の穴が突破口となって、怪異達が一気になだれ込んで来る。その中には最近では見ることの少なくなったトロルや、コボルトなどの姿もあった。
東陸士長が引き金を引きっぱなしにして瞬く間に弾を撃ち尽くす。
慌てて空となった弾倉を交換しようとするが、手間取り、その隙にゴブリンが斧を振りかざして迫った。
拳銃を抜いた富田が東の肩越しにゴブリンの腹部に発砲。そのまま前蹴りを繰り出して、蹴倒すと、素早く小銃を構えなおす。開口部の前後に積み上がりつつある屍の山を、乗り越えようとして来るトロルめがけて連射を加えた。
その頃には東も弾倉の交換を終えて、射撃を再開。富田と共に互いに弾倉を交換する隙を埋めるような効果的な連携がとれるようになった。
幸いなことに敵は頭が良くない。
開口部が一つ出来ると、そこから押し入ろうと拘る。だから、その一カ所を守りさえすれば敵の侵入を防ぐことが出来たのである。
「よし、次は俺達だ」
振り返れば、古村崎の脚が天井にあいた穴から消えていく。
「エクストラクションロープでの離脱! 一荷吊りでいくぞ!」
仁科はそう宣言して、戦闘で手が放せない東と富田の身体にスリングロープを装着していった。
三人ともまとめて吊り上げて、この場から一気に離脱しようというのだ。
「よし、やってくれ!」
無線に怒鳴りつける仁科の声で、チヌークは毎分六百メートルもの強烈な速度で高度を上げた。
三人とも、ものすごい勢いで小屋の上空まで吊り上げられる。
下に向けた銃口から弾倉に残っている限りの弾丸をばらまき、さらに「置き土産だ」とばかりに持てる限りの手榴弾を落とした。
その爆発の衝撃によって、眼下の小屋が倒壊して、多くの怪異達がその下敷きとなった。
高度を上げていく富田達の目前をファントムが通過する。ナパーム弾を投下して、戦場は一瞬にして劫火に包まれた。
怪異の焼かれる臭いと、悲鳴が、あたりに満ちる。
見れば第四〇三中隊が怪異の現れた方角に向けて突き進んでいく。上空からは、その向こう側に帝国軍の隊旗を掲げる一隊を認めることが出来た。
瑞々しい緑の麦畑が地平線まで広がる開拓地の景色は、風景画と見紛うばかりの美しさだった。
だが、画家が手元か、あるいは情緒の一部を狂わせてしまったようにも思えるドス黒い染みが、その印象画的な美観を完膚無きまでに台無しにしている。
集落が燃えて黒煙を上げているのだ。
第三偵察隊所属の富田二等陸曹は、立ち上がる太い煙を遠望して、大空に向かって飛び立とうとする巨竜の姿を連想した。しかしそれは平和な村で生活している人々の命や住まい、そして次の収穫までの蓄えを供犠として呼び起こされたものだ。そう考えて見直すと、この風景画は『邪竜の衝天』とでも名付けるのが相応しいかも知れない。
彼を乗せた大型ヘリコプター・チヌークの大編隊は、僚機と共に黒煙に包まれた集落を、その屋根をかすめるようにして駆け抜けた。
眼下では紅蓮の炎が、人々の住まいや家具などに灼熱の牙を剥いて、噛み砕き、咀嚼音を立て、喰らい尽くそうとしている。蛇の舌先にも似た炎熱がちろちろと燃え草を探してとぐろを巻き、その息吹は轟音を上げていた。
それらを四千三百三十六の軸馬力を発するターボシャフトエンジンの爆音が力ずくでねじ伏せ、頭ごなしに抑えつける。
前後に二つ列んだローターブレードが、黒い紗を幾重にも重ねたような煙を引き裂き、その裾を強烈なダウンウォッシュによって巻き上げる。炎の一部などは、ただそれだけで吹き消されてしまったほどに。
同乗している、と言うより富田達の方が乗せて貰っている側なのだが、陸上自衛隊特地方面派遣部隊第四戦闘団四〇三中隊所属の隊員達は、眼下に広がった無惨な光景を見て一様に口を噤んでいた。
喋り続けているのはテレビニュースの取材スタッフだけ。
誰に許可を得るでもなく当然のように景色が一番よく見える場所を占領した彼らは、カメラの砲口を眼下の集落へと向けている。マイクを手にした古村崎という男は、見れば誰にでも分かるような「集落があります」「煙を上げています」「あちこちに犠牲者の姿が見えます」といった内容を、あたかも自分だけが知る特別な秘密であるかのごとく喋っていた。
そんな情景を眺めながら、富田は傍らの栗林二等陸曹の耳元に口を寄せた。
「護衛するテレビのスタッフって、てっきりお前の妹だと思ったんだけどなあ?」
「なんでかなぁ、最近のあたしらって、こんな任務ばっかりしてない? これってもう偵察じゃないよね」
会話が微妙に噛み合っていない。だが、それぞれに愚痴をこぼしたいだけだったこともあり、特に言葉を重ねることもなく視線を交え、互いに肩を竦め合うだけに終わった。
「野郎共、見ての通りの惨状だ。ここでの俺達の任務はゾルザル派の掃討だ。今度こそ奴らの本隊を見つけだして、ぶっ潰す。わかったな!?」
先任陸曹長の怒鳴るような声を受けて隊員達は一斉に「オッス!」と頷いた。
「良い返事だ。よし、弾込め!」
第一小隊の隊員達は取り出した弾倉の角を、ヘルメットにコンコンとぶつけた。
計二十発の七・六二ミリ弾が弾倉内できちんと揃うようにしているのだ。些細な配慮だが、戦闘中に小銃が弾詰まりなどの作動不良を起こせば命にかかわる。この程度の用心ですら怠ったが故に、生死を分けることになるのが戦場であり、彼らがこれから向かう場所なのである。
慣れた手つきで、六四式小銃に弾倉を装着し終えた隊員達は、槓桿から手を放し薬室に弾丸を送り込む。装弾、装填、閉鎖……彼らが手にする愛銃は、この瞬間をもってあっけないほどに獰猛な凶器となった。
「弾込め良しっ、安全装置良しっ!」
とは言え、銃が攻撃色を発するわけでなく、猟犬のように体毛を逆立てて今にも襲いかからんと唸るわけでもない。冷たい鋼鉄の表情は、弾を装填しようとしまいと、一切変わらないのだ。しかし人差し指に、引き金の重さ二・七~四・三キログラムを僅かに超える力を入れさえすれば撃鉄が雷管を打ち、持ち主が意図した方向に凶悪な殺意の塊を吐き出す。
考えてみれば、隊員達もこの小銃と同じかも知れない。
日頃の彼らも、誰かの友人であり、あるいは誰かの夫で、誰かの息子だ。テレビのスポーツ中継番組で派手な演出を受けて登場する格闘家のような、一目でそれとわかる外見的要素は少ない。制服を脱いでしまえば、そうと言わなければ誰にも気付かれないくらいなのだ。
けれど弾を装填した銃を持ち、命令によって安全装置を解除された彼らは、飢えた狼のように斃すべき獲物を探し、命令という名の引き金を引かれることによって、敵を殲滅せんとして一斉に飛び出して行くのだ。
部品の脱落を防ぐためと、不必要な物音を防ぐ目的で施した黒ビニルテープの補強を確認した隊員達は、負い紐を伸ばすと銃を背負った。中には、町工場で作ってもらったマウントを用いて、私物の照準補助具を強引に装着している者もいる。そうした隊員は、薄暗いチヌーク機内であちこちに銃口を向け、十字照準刻線の見え具合を確かめてから銃を背負った。
隣にいた隊員が問いかける。
「そんな無理矢理とりつけたダットサイト、あてになるのか?」
「なんかの拍子に倒れるかもしれない照星と照門と同じくらい……かな」
戦闘状況が過酷になり始めると、陸自上層部も隊員達がそれぞれに行う創意工夫をかなりのレベルで許すようになっていた。照準補助具もその一つで、前方握把やレーザー照準具を取り付けている者もあるのだ。
二機のチヌークが、集落の広場に影を落として静止する。
少し離れたところを、戦闘ヘリのコブラが旋回し降下する隊員達を支援する構えをとっている。
運動会で使う綱引きの綱ほどに太いファストロープが地面まで下ろされると、小隊長は上げた手を静かに下ろした。
すると第一小隊の隊員達は放たれた弾丸のように、ファストロープに飛びついて、次から次へと滑り降りていった。
そんな彼らの姿を、報道のカメラが見送る。
その脇では、富田達が地上に銃口を向けて、降下する隊員達を攻撃するような敵がいないかを見張っている。
第一小隊の隊員達をすっかりと降ろしてしまうと、チヌークはファストロープを引き上げて、再び高度を上げ始めた。
閑散とした機内では、古村崎がヘリパイ・ヘルメットをかぶった隊員に詰め寄っていた。
「おい、どこかに着陸しろ。俺たちが降りられないじゃないか!」
航空科の機上整備員が内心で辟易としていることのわかる、作ったような愛想笑いで答えた。
「はい、了解しました。でも、着陸するのは地上の安全を確認してからですよ」
「それじゃあ、緊迫した地上の映像が撮れないじゃないか!? 今すぐ、俺たちを降ろせ!」
「いいですけど、……これ使えます?」
機上整備員がファストロープを指し示して説明した。
戦場を往来するヘリコプターが最も危険に曝されるのは、離着陸する瞬間である。それを避けるために懸垂降下や、ファストロープによる降下等の方法が開発されたとも言える。もちろん、素人に突然「やれ」と言って出来ることではないがこれも機体の安全、つまりは取材クルーの安全を確保するために必要な処置なのだと言うと、さすがの古村崎も「仕方ねぇな」と、罵倒混じりに舌打ちするしかなかった。
カメラマンと古村崎が物欲しげに大地を見下ろす中で、チヌークは高度をどんどん上げた。そして地上の安全が確認されるまで、燃えさかる村の上空を旋回することとなったのである。
隊員達は、地面に降り立った瞬間から、四方八方へと散るように駆け出していく。
何かと競争をしているかのように、疾駆しながら銃を構え、警戒の視線とそれに一致した銃の照準とを周囲に向けて巡らせた。
照準を家の戸口、植え込み、人の居そうなあらゆる場所に合わせる。だが、彼らが生きて動いている人間の姿を見つけることはなかった。見えるのは、あちこちに転がっている、つい先ほどまで生きていたであろう様々な種族の男女である。みんな、剣により斬られたり刺されたり、あるいは獣に食いちぎられたような傷を負って倒れていた。
「ターゲット・サーチャーを使ってみろ!」
分隊長の指示で隊員の一人がSF映画に出て来るような未来型の光線銃に似た道具を取り出して植え込みや物陰へと向けた。
それは体温を持つ生命体が発する赤外線を感知して、姿を隠した存在を発見する装置である。
主に狩猟の獲物探しの道具として、大型の獣なら約九百メートル、鳥などの小動物でも、約二十メートル離れた場所から発見できる。また、遭難者の捜索といった用途にも用いられている。しかし、これもまた官品……国からの支給品ではなく隊員の私物であった。残念な話だが予算の制限がきつい自衛隊では、装備の不足は隊員達が自腹を切って補わなければならないのだ。
「熱源があちこちにあって駄目です」
優れた機械ではあるが、近傍に巨大な熱源があればその効力も半減してしまう。家屋を包む炎が邪魔であった。それにあちこちに散らばる死体すらまだ生暖かいのである。
「ちっ……」
機械が有効に働かないとなれば、自らの目と耳とで確認するしかない。
結局の所、各個の隊員達に求められる技量は、古来から変わることなく注意力と観察力が基となる。これを磨き鍛えるしかないのだ。どれほどに機械の進歩があったとしても、その性能が有効に発揮されない場面や、敵味方で互いにその機能を騙し合い、妨害し合うという状況は、いくらでも起こり得るのだから。
隊員達は、倒れている者の中にまだ生きている者はいないか、あるいは襲撃者から身を隠している者が残っていないかを探す。しかし、炎に包まれてパチパチとはぜる建材の燃える音が、もしかしているかも知れない生存者の声の確認を阻害した。靴底が大地を踏む時のざらざらとした音すらも、敵の気配を探ろうと尖らせている神経に障った。
それでも、隊員達は呼吸を静かに抑え、じわりじわりと進みながら些細な異変を見逃すまいとしている。皆の視線は速過ぎることも、遅過ぎることもない速度で、あらゆる箇所を巡り、覗き込み、探っていった。
突然の発砲音が集落に響く。
『どうした!?』
空電音に混じって、無線機に報告を求める声が放たれる。
すでに、これ以上は強くなりようがない程に張り詰めていた隊員達の反応は早い。
素早く姿勢を低くし、ある者は音のした方向を振り返り、また一部の隊員達は、音とは別の方向に視線を巡らせて警戒の漏れを防いでいた。
『そっちに……集落の南方に逃走!』
警声と、散発的に続く銃撃音。
無線で敵の数、移動方向が報告され、小隊長の指示を受けた分隊長は隊員達を率いて、敵の逃れようとしている南へと走った。
(前へ!)
分隊長のハンドサインで分隊は敵を待ち構えるように広がった。
最近、このあたりに出没して住民達を襲っている敵は、帝国兵であることを示す姿形をしていない。近在の農民と同じ服装をして襲って来るので、帝国兵なのか、はたまた帝国兵に襲われて恐慌に駆られ、農具を武器として握った農民なのか見ただけでは判別がつかないのだ。だから隊員達は、武器になる物を持って向かって来る者を見れば、全てを敵と認識するしかなかった。いや、何も持っていなくても、敵かも知れないと警戒しなければならないのだ。
「逃げる奴は敵だ、逃げない奴は訓練を受けた敵だ!」という発言は、戦場の狂気を揶揄する戦争映画の中で用いられたセリフだが、狂気の渦巻く戦場では「理性」を保ち続けることが出来る方が異常だ。そもそも、どうやって理性的に人間を殺すと言うのか? 今の価値観に従うならば、理性的に人間を殺せる者の方が恐ろしいはず。戦場では、狂気に駆られていることの方が正常なのである。そして正常と狂気の切り替えに失敗した者から病んで行くことになる。
それに、昔から敵味方を識別する標をつけず、戦闘員の証しとなる戦闘服もまとわない者は武器を持って戦う権利がないとされている。彼らがしているのは、捕らえられたその場で射殺されても文句は言えないほどに卑劣な行為と言える。ハーグ条約はもちろんのこと、ジュネーブ条約ですらも、最低限の条件として「武器を公然と携行すること」と定めているのだから。
だが、「病的な潔癖症」に感染した者はこれらの違反をした者ですら擁護する。そして一般市民を楯にし、市民の間に隠れながらする卑劣な戦闘手段を、弱者が強者に立ち向かう唯一の方法と称して認めてしまう。市民を楯にすることは非難と駆除の対象とされるべきなのに、その攻撃に曝されている兵士の方を指差して「人殺し」「冷血漢」と罵ってしまうのだ。
そう、摘発でも掃討でもない。駆除である。無辜の民を楯とする者はゴキブリや鼠のごとき駆除の対象とすべきである。テロリズムは、数多の憎悪と不幸をまき散らし、狂気と理性を、日常と戦時との境界を脅かして浸食させる、卑怯極まりない行為なのだ。その戦いに市民が巻き込まれたとすれば、その責任の大部分、ほぼ全ては市民を楯とした側にこそある。
にもかかわらず、制服をまとった兵士には完璧であることが求められる。
一瞬の勘違いと、判断の誤りと、手違いが当たり前のように横行する戦場にあって、味方を守り、自分が生き残る鉄則は「敵らしければ撃つ」しかないのに、あたかも殺人マシンのような完璧な敵味方識別能力が求められ、出来なければ「完璧ではない」と非難されてしまうのである。
こうして、兵士達は守っているはずの味方からの、背後からの攻撃によって傷つけられる。罪悪感をあおり立てられ、敵の銃弾を受ける以前から、味方の手によって精神的に参らされていくこととなるのだ。
隊員達は荷車に乗った商人とおぼしき男達を見つけ銃口を向けた。総勢八人。皆、特地で言うところのヒト種だった。
引き金を引く、引かないの一瞬の迷いが起きる。
同僚や誰かを傷つける敵かも知れない存在を、絶対に安全な死体へと変えて安心したいという衝動が隊員達の中にこみ上げた。だが、彼らはまだそこまで疲弊していなかった。強固な意志でこれを抑え付けることに成功し、隊員達は危険に身を晒したまま命令を待った。
「止まれっ!」
アルヌスで習い覚えた片言の言葉で呼び止めながら、隊員達は一斉に銃口を商人達に向けた。
しかし、声が聞き取れないのか、それとも何か理由があるのか商人達はそれを無視して強行突破をはかろうとした。分隊長は威嚇として馬の足下に向けて弾倉一個分の銃撃を加えた。パラパラと薬莢が地に散らばり、銃声に驚いた馬は竿立ちになって暴れた。
慌てた御者はいきり立つ馬を落ち着かせるために手綱をひく。そしてどうにか馬を宥め終えると、観念したように両手を挙げた。
ゆっくりと止まる荷馬車。
隊員達は、射線上に味方をおかないように充分な距離と間隔を広げて荷馬車を半包囲した。そして油断無く男達に銃口を向けて、荷馬車から降りるように指示する。
「いったい何の御用ですか? 俺たちは旅の商人でして、何かご入り用ですか?」
謙った言い方で御者台から声をかけてくるひげ面の男。
隊員達は、男達の下腹部に照準を合わせた。
帝国兵は剣や槍を用いることに優れ、その防御技術は熟練のボクサーにも比肩されるほどだ。そのために頭や胸部はすぐに狙いからはずされてしまう。だが、下腹部は脚を使わなければ動かすことは出来ない。その分、動きが少なく、咄嗟の動きの中でも比較的捉えやすい部位なのだ。
「何故、逃げようとしたんですか?」
数歩の距離を置いたままで、分隊長は丁寧に尋問を始めた。
ひげ面の男は男達の代表を兼ねているのか、肩を竦めて答える。
「当然でしょう! たまたまこの村の近くを通ったら、煙が上がってましてね。何が起こったのかと覗いてみたらこの始末でしょ? 巻き添えになったらたまらないって逃げるのは普通のことですよ……」
実際、巻き込まれてこの始末だとぼやく。
言い訳としては、一応筋が通っていた。だがそれで見逃していては仕事にならない。分隊長は小隊長に状況を報告すると、「荷物を見せてもらえますか?」と告げた。
「い、いや……それは」
「何か見られて困るような物でもあるんですか?」
商人の男達は互いに顔を見合わせ、仕方ないと荷台に被せていた幌を取り払った。
荷台には家具や什器、それから貴金属製品などが山積みとなっていた。この世界の手工業品は新品と中古品の区別が付きにくい。分隊長は荷台の品物を上からさっと見渡して言った。
「まるで、そこらの民家から掻き集めてきたみたいな品揃えですね」
荷台の一番底に置かれた大きな箱に注意をひかれる。誰も触れていないのに、わずかに動いたように見えたのだ。分隊長は、「その箱を開けてみろ」と言うつもりだった。だが、その直前にひげ面の男が抗議するかのように言い放ったためタイミングを失った。
「勘弁してくださいよ。これでも立派な商品なんですよ!」
男は大仰に天を仰いでいた。
「まあ、故買品(盗品)も中にはあるんでしょうけどね。でも、仕入れるのに出先をいちいち尋ねていたらこの商売はやっていけないですよ」
「こいつをどこに運ぶんですか?」
「あちこちですよ。戦争中の今は、あちこちで物が売れるんです」
「例えばどんなもの?」
「何でもですよ。食べ物、家具、什器、それと酒。ついでに奴隷。そうだ、女奴隷です。女、欲しくありません? いろんな種族を取りそろえてますよ。きっとお好みに合うのがいるはずです」
ひげ面の男は、どんなご注文でも承りますよと言って下品に笑った。
「このあたりをうろつく商人なら、帝国正統政府発行の商人鑑札か、フォルマル家発行の通行許可証を持ってるはずですね。見せて下さい」
分隊長の問いに商人は「ええ、あります。ありますとも」と御者台に置かれた鞄を開いた。
「どこにやったかな? 大事な物だから、ちゃんとしまい込んでおいたんですがねぇ。こういう時に限って見つからないや。待ってて下さいね。もし、お手間なようだったら、見つけるまで他の仕事をしてもらっていても……」
分隊長は告げた。
「別に、急がなくて良いですよ。ゆっくり探して下さい」
ひげ面の男は見た目にも緊張した様子だった。「お優しいこって」と舌打ちしている。他の男達はどうなるものかと固唾を呑んでそれを見守っていた。
「ああ、あったあった。これだ……」
「代表者、それを持って前へ。こちらに近づいて良し」
分隊長の指示で、代表の男は折り畳んだコピー紙の束を差し出した。見ると紙面の隅に赤黒い汚れが付着している。
「これ、血で汚れてるぞ」
「いや。ついこのあいだ手を切っちゃいましてね。それで汚しちまって……」
そんなことを言って、手をぶらぶら振るひげの男。
分隊長は書類を開くと、その記述に目を走らせた。
「グレゴルー・ベントン?」
「グレゴリー・ハー・ベイトンです。俺の名前です」
ひげ面の男は、そんなカマかけにはひっかからねぇぜと言いたそうな表情をした。
「ね、本物でしょ?」
そう。確かに通行証はフォルマル家の発行した本物であった。とは言え、通行証は商人の氏名、扱う品、その身元を保証するパトロンたる貴族の氏名などが特地語と日本語の双方で書かれているに過ぎない。
分隊長の関心は、通行証を発行する時に収集される情報にあった。特地の人間には意味を理解することのできない、書類の末尾に記されたバーコードがそれを引き出すのである。
「確かに、この書類は本物ですね」
この言葉で、隊員達の緊張も和らいだ。敵である可能性が低くなり、安全である可能性が高くなったからだ。
分隊長は通行証の発行日時を確かめると、書類の下辺に記されたバーコードに携帯していた機械をあてた。すると、書類の発行時に登録されたグレゴリー・ベイトンという男の顔写真が液晶パネルに表示される。
「…………ふ~ん」
分隊長は、傍らにいた隊員達に画面を見せた。そして日本語で「こいつら偽物だ」と告げる。画面に表示されたのは、ひげ面の男とは似ても似つかない老人だったのだ。
「どうしたんで?」
隊員達のまとっていた雰囲気がガラッと変わったのを察したのだろう、ひげ面の男は何か書類に不備があったか、血で汚したことが問題なのかと話しかけた。だが、背後の男達はその緊張に耐え続けることが出来なかった。一斉に隠していた武器を引き抜いて、自衛官相手に一か八かの勝負を挑んできた。
とは言え、この事態を予測し、充分に距離を取っていた隊員達にとって、対処するのはそれほど難しい事ではない。
武器を手にした者は腹部などに銃弾を受けて、折れるようにしゃがみ込み、あるいは倒れ、剣を抜く事も出来なかったひげ面の男は、銃剣を突きつけられて捕らえられることとなった。
「村を襲ったのは、きっとこいつらですよ」
隊員の一人が、斃れた男を口汚く罵ると彼らが抜いた武器を指差した。
その剣には、拭き取られることもないままに血がこびり付いていたのだ。おそらく村人の血液だろう。しかも、その剣の柄には帝国軍の紋章が刻印されていた。
「おい、ちょっと待て、お前達! 何をやっている? まさか、民間人を殺傷したんじゃないだろうな!?」
古村崎がカメラマンを引き連れてやって来たのはその時であった。
「違いますよ。帝国のゲリラ兵です」
「本当か? 適当なこと言って民間人虐殺をごまかしてるんじゃないだろうな?」
古村崎は犠牲者の姿を撮影していたカメラマンを呼び寄せた。
「おい、死体を撮影しろ。しっかりと顔が写るようにな。それと自衛隊の隊旗なんか画面に入れるなよっ!」
古村崎の指示で、商人に扮した帝国兵達の姿を撮影していくカメラマン。
分隊長は、今、この瞬間の映像が夜の報道番組に使われるかも知れない事を意識しながら、血の付いた剣とそれに刻まれた帝国軍の紋章を説明し、捕虜としたひげ面の男に荷台の箱や荷物を開けさせた。
全ての箱を開け、壺があれば中を覗き込むという徹底ぶりである。すると開拓民からの略奪品がぞくぞくと出て来た。さらには迷彩服を真似たのか、緑や濃緑でまだらに染められた柄の衣服まで出てきた。
「ちっ……帝国兵の奴ら、これを着て略奪とかやってるのかよ」
隊員達は古村崎の耳や、映像に記録させるためにあえて口にした。
自衛隊の迷彩服とは似ても似つかないが、こんなものでも加害者の姿が人間の口を介して伝えられていくと「まだら緑の服を着た男達」となってしまうのだ。
動かぬ証拠を目にすると、古村崎もさすがに呻かざるを得ない。
「証拠があって、運が良かったな」と憎まれ口を叩くと、カメラに向かって「帝国兵とおぼしき男達が、村を襲った模様です。しかし、本当に殺害する必要があったのでしょうか? 捕らえて裁きにかけるという方法を全く考慮していない自衛隊員の振る舞いには、我々は疑問を感じざるを得ません」などと語りかけていた。
「俺達、ケーサツじゃねーもん」という、一部の隊員から放たれた呟きは、ほぼ全員の気持ちを代表したものだった。
分隊長は、先ほど気になっていた箱を開けさせた。
すると中から出てきたのは、小さな女の子だった。土や血で汚れた身体を脅えたように丸めて身を震わせていた。猫系統の種族なのか、猫目で側頭部に尖った耳を持ち、茶の体毛がある。鋭い爪が手足にあり、首には竹で出来た小さな笛を下げていた。
分隊長は、安心させようと頭を軽く撫でてやり尋ねた。
「名前は?」
「……クーシ」
両手を上げているひげ面の男に、分隊長は振り返ると大仰に尋ねた。
「さてと、どこにネストを置いて活動しているのか。本隊はどこにいるのか、きりきり吐いて貰うからそのつもりでいろ!」
何度も言うが一般市民を楯にしながら、爆弾を炸裂させたり、武器を振り回したりするような存在の人権を認める必要はない。だが潔癖症の社会ではこのような者にすら、捕虜となる権利を与えなくてはならないのである。
このひげ面の男も、協定に基づいてフォルマル伯爵家に犯罪者として引き渡すことになる。
ただし、そこで取り調べを受けることが、はたして幸せかどうかは当事者とならなければ理解できないことと言える。
カメラの接眼レンズには、ひげ面の男の恐怖に引きつった表情がアップとなって映されていた。
「何? もう一度繰り返せ。……集落の西側で黒妖犬の群を発見しただと!?」
分隊長の声に隊員達が一斉に身構えた。
「こくようけん?」
古村崎は、護衛としてついている富田に尋ねた。
「特地乙種害獣、通称『黒妖犬』です。犬のような外見をしてますが、虎並みにでかい。それが群れて、襲って来るんだそうです。最近のゾルザル軍はそんな生き物を武器に使ってるんです」
富田は栗林と共に古村崎の両脇を固めて周囲を警戒し、戸津、東は仁科一等陸曹の指示でカメラマンや、大きなマイクをつけた竿を握る音声担当者の周囲を固めた。
「ここは危険ですから、空に上がりましょう。今、チヌークを呼びましたから拾ってもらえます」
「馬鹿言うな! そんな危険な動物がいるなら、その姿を撮影しないでどうしろって言うんだ?」
古村崎はそう言うと西へと向かう隊員達を指差して「みんな向かって行くじゃないか!?大丈夫ってことだろう?」と言い放った。
だが、実態は違っていた。第四〇三中隊の中隊長は、ここで姿を現した敵性怪異を叩きのめすことを選んだのだ。
特地の害獣は確かに危険だが遠隔地から操れる性質の物ではない。従って、それが放たれたあたりにこそ、敵の本隊が存在している。危険だが火中の栗を拾ってこれを叩き、ゾルザル軍のゲリラ活動の根を断とうとしているのだ。
第一小隊の小隊長も、抱えていた童女と捕虜を栗林に「預かっててくれ」と押し付けると、西へと走って行く。
「これ、どうしろって言うのよ?」
「おっぱいでも飲ませてやってくれ。それだけでかけりゃ出るだろ?」
「無茶言うなっ! 出産しなきゃ出ないように出来てるんだよっ!」
童女を抱えて呆然と立ちつくす栗林。
その一方で富田は、戦線に向かおうとする古村崎の前に廻り、両手を広げて通せんぼをしていた。
「ちょっと待って、待って下さい! 駄目ですってば!」
古村崎は、富田の胸に人差し指を突きつけ邪魔するなと怒鳴る。
「報道には最大限の便宜を図るのが自衛隊の義務だろう!」
だが、古村崎の怒声など塗りつぶしてしまう空気の切り裂き音が響いた。さらに集落の西側方向からは大地を底から揺さぶるような爆発音が轟く。
支援の砲撃が始まったのだ。
上空ではコブラが銃撃しつつロケット弾を連射し、地上では隊員達が銃弾を放つ。爆音があちこちで響き、富田と古村崎は二人揃って首を竦めた。
地を這う獰猛な獣がその肢体を引き裂かれ、血飛沫を散らす。だが、撤退という言葉を知らない四足の怪異達は、数に任せて愚直に突き進んで来る。
「迫力のあるシーンを撮りたければ、空からだって撮れますよ!」
「地上からの画像と、安全な上空からの画像とじゃ、較べ物にならんよ。たかが犬相手に何を脅えてるんだ?」
「犬はヤバイんです! 速いし、姿勢は低いし、危険だ。それが群れてるなら尚更だ!」
富田は戦闘の専門家として身につけた知識から、戦闘用に訓練された軍用犬がどれほど恐ろしいかを語った。そして黒妖犬はそれを超えると告げた。
油断をすれば命にかかわる。これから始まるであろう戦いでは、前後左右に敵を迎えることとなる。「後方」などという安全地帯はなく、敵に襲われない場所など見つけることも難しいのだ。
「それに、この子をどうするんです? 俺達は護衛だからあんた達についていかないといけない。このままここにいれば、この子を戦闘に巻き込むことになりますよ」
富田は、栗林の抱えているクーシと名乗った少女をどうするのかと古村崎に迫り、古村崎はこの時、初めて逡巡する姿を見せた。
猛烈なダウンウォッシュが吹いて砂埃が巻き上がる。
富田が呼んだチヌークが着陸した。富田達を迎え入れるように後部ハッチを開く。
「あ、来ました! 見えました」
だが、カメラマンは接眼レンズを目に当てながら叫んだ。
高性能のハイビジョンカメラを常に覗き込んでいるカメラマンは、いち早く敵の実態を把握していた。
「お、でっかいオーガーもいますよ。マンモスみたいなのも混ざっている。まるで特地野獣の博覧会だ。まっすぐ、こっちに向かってくる!」
夥しい数の黒妖犬の中に、分厚い鎧に身を固めたジャイアントオーガーの姿までもが認められたのだ。
電柱と見紛うばかりの巨大な棍棒を持っている。迂闊に近づけば、その強烈な腕力で叩きのめされてしまうだろう。
それが大きな楯を連ねて壁を作り、重装歩兵さながら銃弾をはじきつつ進んで来るのだから戦車以上の迫力がある。
自衛隊の指揮官は陣地を構えているわけでもないため、これを真正面から受け止めるようなことはせず、左右に道を開き両脇から叩き伏せることにした。隊員達は、その為の指示を受けて移動を開始する。
「急げ! 急げ! 次の砲撃が始まる前には離陸しなきゃならん!」
捕虜を受け取った航空科員が銃を振りながら「早く乗れ」と急かしている。
「なら、その子だけヘリに乗せればいい。俺たちは地上で取材を続けるぞ」
古村崎の言葉に不安そうな眼差しを向けるカメラマン。戦闘、移動、戦闘、移動、その繰り返しに重いカメラを抱えたまま、はたして付いていくことが出来るのかと心配になったのだ。
「古村崎さん、不味くないですか? ヤバイですよ」
翻意を期待してかカメラマンが言った。
「馬鹿野郎。お前らはそんなんだからいつまでたってもぺーぺーなんだよ!」
古村崎はそう怒鳴りつけると、カメラマンの襟首を掴み無理矢理に引きずって前に進んでいった。自衛官達が立ち退いて既に無人となった、敵の真正面に向かって行く。
富田は、栗林を振り返ると童女と一緒にチヌークに乗るように告げた。
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栗林が怒鳴って返した。
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富田はニッと片目をつぶると、栗林の抱えた童女の頭を軽く撫でた。
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その小屋は、急造の粗い作業を感じさせながらも、それなりに耐久性を確保するためか柱の数が多かった。
床には住人らしき翼人女性が陵辱された姿で倒れている。こんな開拓民の中にまじっているのが不思議なほどの美人で、それが襲撃者の獣欲を誘ってしまったのかも知れない。
その側では彼女を守ろうとしたのか、青年が腹部に剣を突き立てた姿のまま倒れていた。
だが古村崎はその二人の素性や人生を一顧だにすることもなく叫んだ。
「ここだ福島。ここから撮影だ!」とカメラマンに叫ぶ。
「いや、駄目ですって。古村崎さん、まずいっすよ! 野生動物は臭いに敏感でしょ、見つかっちまいますよ」
「大丈夫だ。まわりにこんなに死骸があるんだ。臭いに紛れてわからんよ!」
興奮した様子の古村崎。理性のたがが外れたようなギラギラした瞳の輝きに、カメラマンと音声担当は思わず後ずさった。だが、逃げようにも、もう時間切れだと宣言するかのようにチヌークが頭上を通過していく。
さらに、すぐそこまで黒妖犬を主力とする怪異の群れが迫っていた。最早、古村崎の言うとおり、この半壊した納屋に隠れて敵をやり過ごすしかないのだ。
カメラマンらは、追いかけてきた仁科ら自衛官と共に、小屋に飛び込むと扉を閉めた。
その直後、巨大な犬が戸にぶつかって派手な音を立てる。野獣の荒い息と、戸をひっかく音が恐怖感を、自分達がいかに危険な状態に陥ったかを実感させた。
「何をしてる、とっとと戸をふさげ!」
古村崎の指示で戸の前にバリケードを積む作業が始まる。
「バリケードは、大きな家具を下にするんだ! 寝台は逆さまにして接地面を広くしろ。柱を利用してつっかえを噛ませろ!」
「こ、古村崎さん、随分と詳しいんですね」
音声のマイクを置いた、取材クルーの松崎が作業をしながら尋ねた。
「全共闘内ゲバ世代を舐めるなよ……俺はな、チェーンバリ越しに、鉄パイプでの叩き合いをやった実戦経験者なんだよっ! その材木はここだっ、ここに噛ませろっ!」
家具を片っ端から掻き集めて、戸の前に積みあげてバリケードにしていく。
頭上を旋回するチヌークは地上に向けて盛んに銃撃を加えていた。栗林が怪異の数をわずかでも減らそうとしているのだろう。
だが、全身に分厚い装甲をまとったジャイアントオーガーにはそれが通じない。左右から飛来する銃弾を跳ね返しながら、柱にも似た棍棒をやたらめったらと振りまわし、無人の家屋や納屋を蹂躙するように破壊していった。
上空を舞うヘリコプターを落とそうとしているのか、棍棒をぶん投げる個体もいる。
流石に命中しなかったが、当たったら最後、一撃で撃墜されかねない迫力で、見ているだけでも冷や汗が噴き出してくる。
そんな光景を撮影しながら、古村崎やカメラマンの福島が歓喜の声を上げた。
「いいぞ、いいぞ! すっげぇ迫力だ! ピューリッツァー賞間違いなしだぜ!」
「こ、こいつら、まともじゃねぇ」
座り込んだ富田は古村崎の姿を見て呻くように呟いた。
戦場を駆け回る時の自分達も、いささかまともとは言えないが、ジャーナリストという存在はそれ以上だと思ったのだ。
実際、目の前で人が殺されようとも、大災害によって目の前で人々が危険に呑まれようとしていても、自由自在に飛び回れるはずのヘリコプターに乗りながら、警告もせず、助けようともせず、報道と称してただひたすら傍観し、撮影してメシの種にする行為は、相当な冷血漢でなければ出来ないだろう。
ジャーナリストとは、トラックが危険に飲み込まれる瞬間を撮るために、ヘリコプターのパイロットに高度を下げさせ、危険に向かって突き進んでいるトラックに向けて「危ない!」と警告することすらしない存在なのである。
ふと、仁科達が「お、おいっ、富田」と肩をつついて来る。
どうしました? と振り返ると、仁科一等陸曹は傍らに倒れている鳥人女性を指差して「これを見ろ」と言った。
「こ、これ、テュワルさんじゃないんですか?」
東陸士長から聞き覚えのある名を聞いて、富田は「えっ?」と近づいて覗き込むようにして女性の顔を確かめた。
それは地揺れの発生を予言し、開拓民として堅気の生活を始めるのだと恋人と共に帝都の悪所を去って行った鳥人女性のテュワルであった。
富田は、まだ温もりの冷めてない彼女の頬を軽く叩いてみた。
死んでいるのか。まだ生きているのか?
コホッ!
テュワルがわずかながら反応を示した。
「まだ、生きてる!」
「おおっ! 生きてたか!?」
死んでしまっていると思っただけに、仁科らの表情は明るくなった。だが、このままにしておけば、か細く小さくなった彼女の命はいずれ消えてしまうだろう。可及的速やかに医者に見せる必要があった。
「このままほっとけば、死んじゃうんじゃないか?」
「仁科さん、時間なんかないですよ」
戸津と東の言葉に仁科は頷いた。
「よし、富田、チヌークを呼べ。ここを離脱するぞ」
だが、仁科一等陸曹の決断に古村崎が抗議の声を上げた。
「馬鹿言うな。今さら外に出ようって言うのかよ!?」
外に出れば間違いなく、外をうろついている怪異に見つかってしまう。
あの膨大な数の野獣を、ここにいる四名ばかりの自衛官では防げないことは素人にもはっきりと理解できるのだ。
「じゃあ、この女性をほっとけって言うのかよ!? あんたら日頃から人命がどうのって俺達のことを非難してるくせに随分と薄情じゃないか?」
だが、古村崎は自分達を巻き込むなと言った。
「優先順位って物を考えろって言ってるんだ。特地の死にかけた女を救うのも確かに大事だが、それってここにいる俺達日本国民を危険に曝してまでしなきゃいけないことかって言ってるんだ。ったく、軍隊って奴はホントに国民を守らないよな」
仁科と古村崎がにらみ合う。
だが富田が割って入った。
「大丈夫ですよ。外に出なくったって、ヘリに収容することは可能です」
「どうやって?」
「あれに穴をあければ良いんですよ。ロープで吊り上げます」
富田はそう言って天井を指差した。そして古村崎に蔑むような目を向けた。
「俺達は昔の帝国陸軍じゃねぇから。現代の陸上自衛隊なんだってところを見せてやるぜ」
半壊している建物の屋根を抜くのはさほど難しいことではなかった。梁に銃弾を浴びせてへし折り、柱を上って屋根板を蹴り割って、剥がしていけば良いだけだった。
だが、作りの粗い小屋の梁を折ったことで、それまで堅牢さを感じさせていた壁が突如としてぐらぐらと揺れ始めた。どうやらこの建物は梁によって束ねられることで安定していたようである。それを失ったため、安物の舞台演劇用大道具のごとく建物自体がぐらつき始めたのだ。
しかも、負傷者収容のためにチヌークが上空に滞空したことが、怪異達の注意を引き寄せたようだ。怪異が四方八方からこの小屋めがけて押し寄せて来た。
怪異達の群れ目掛けて、迫撃砲の重榴弾が降り注ぐ。
土砂が吹き上がり、特地の様々な怪異達は全身を引き裂かれて次々と埋葬されていった。
滞空するコブラがロケット弾を叩き込んで、重装オーガーをなぎ倒していく。
凄まじい爆音と、頼りにならなくなった壁を前に、古村崎は耳を押さえて怒鳴った。
「畜生っ! 全然守れてないじゃないか!」
建物にあいた隙間から、黒妖犬がその鼻先を突っ込んで来た。驚いたカメラマンが仰け反って悲鳴を上げながらしりもちを付いた。
「撃て! 撃て! 撃て!」
富田が、着剣した小銃を突き出して、刺突するとともに引き金を引く。すると反動で銃剣が抜け、敵には確実にダメージを与えることが出来るのだ。
あちこちに出来た隙間に鼻先を突っ込んで来る怪異を寄せ付けまいと、富田達は建物の外に向けて射撃を開始した。
「次は、あんた達だ」
仁科の声に顔を上げる古村崎。見上げるとテュワルを背後から抱きかかえた戸津が、チヌークの中へと引き込まれていった。
「お前行け!」
古村崎は音声担当の松崎を次の脱出者として指名した。すると仁科が太いロープを、松崎の脇の下に通すようにかける。
「その次は福島、お前だ」
「こ、古村崎さんは?」
「俺は民間人としては最後に決まってるだろう。何しろ、現場の責任者なんだからな。上から俺が上っていくところをちゃんと撮れよ」
途端、トラックが突っ込んできたかのような衝撃が小屋を揺さぶった。
埃と木材の切れ端が頭上から降り注いだ。見ればバリバリと壁板が割れて、その隙間の向こうに犀にも似た巨大な怪異の姿が見えた。その太く鋭い角で、壁を突き破ろうとしているのだ。
富田は流れるような動作で弾倉を交換し、銃撃を加える。
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その頃には東も弾倉の交換を終えて、射撃を再開。富田と共に互いに弾倉を交換する隙を埋めるような効果的な連携がとれるようになった。
幸いなことに敵は頭が良くない。
開口部が一つ出来ると、そこから押し入ろうと拘る。だから、その一カ所を守りさえすれば敵の侵入を防ぐことが出来たのである。
「よし、次は俺達だ」
振り返れば、古村崎の脚が天井にあいた穴から消えていく。
「エクストラクションロープでの離脱! 一荷吊りでいくぞ!」
仁科はそう宣言して、戦闘で手が放せない東と富田の身体にスリングロープを装着していった。
三人ともまとめて吊り上げて、この場から一気に離脱しようというのだ。
「よし、やってくれ!」
無線に怒鳴りつける仁科の声で、チヌークは毎分六百メートルもの強烈な速度で高度を上げた。
三人とも、ものすごい勢いで小屋の上空まで吊り上げられる。
下に向けた銃口から弾倉に残っている限りの弾丸をばらまき、さらに「置き土産だ」とばかりに持てる限りの手榴弾を落とした。
その爆発の衝撃によって、眼下の小屋が倒壊して、多くの怪異達がその下敷きとなった。
高度を上げていく富田達の目前をファントムが通過する。ナパーム弾を投下して、戦場は一瞬にして劫火に包まれた。
怪異の焼かれる臭いと、悲鳴が、あたりに満ちる。
見れば第四〇三中隊が怪異の現れた方角に向けて突き進んでいく。上空からは、その向こう側に帝国軍の隊旗を掲げる一隊を認めることが出来た。
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