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2炎龍編

2炎龍編-3

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 商人は語る。
 今、帝都の貴族社会では大変革が起きている。
 貴族の婦人方が纏うドレスにとんでもなく豪奢ごうしゃで鮮やかな、金糸銀糸の絢爛けんらんな織物や美しい染め物で仕立てられたものが現れたのだ。
 その鮮やかさに心奪われたご婦人方はおずおずと「そのお召し物はどちらで?」と問う。だが問われた本人は、優雅に微笑むだけで決して教えてくれない。
 貴女が左手で自らを扇ぐ、その見事な小物(扇子)は何?
「たいしたものではありませんわ。おほほほほ」と言いつつ、これ見よがしにパタパタ扇いだりする。
 その身を飾る、美しい真珠は何? しかも、そのハンパ無い量は?
「それほどのものではありませんわ。おほほほほほほ」と言いつつ、これ見よがしに真珠のネックレスをジャラジャラと、そして真珠のイヤリングを見せびらかせたりする。
 あんたそのスタイル(注 バスト)はどうしたのよ?

「いえいえ、いつの間にか育ったようですわ。おほほほほほほほほほほほほほほほっ」

 その化粧品はどこで買ったか言えっ!

「普段使っているものと同じですわ。美しく見えたとすれば、元が良いからでしょう。おほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ、けほっけほっ」

 女性は知性や気品には嫉妬しないというが、逆に財力とか、美しさの類にはものすごく嫉妬するそうである。そして優越感とは他人の嫉妬心を栄養として肥え太るものなのだ。だから、そりゃぁもう見せびらかすこと見せびらかすこと……。とある貴族のご婦人など、その口惜しさで、ハンカチを食いちぎってしまったほどだという。
 こうして、嫉妬と羨望と憎悪に駆られた婦人方の激情は、矛先を求めて駆けめぐり、最終的には帝都の服飾業界、すなわちお針子や布地を扱う商店へと向けられたのである。
 しかし、お針子や商店主も「あれより凄いものを作りなさい。お金に糸目はつけません。出来なければどうなるか、分かってますね」とか言われても、材料が無くてはどうすることも出来ないのである。
 彼女たちが仕立てるものと言えば、貴婦人等の纏うドレス、メイド服、神官服など。どれも、普通に織られた生地に、さして種類のない染料で染色し、刺繍をしたり、縫い取りをつけたり、あるいはフリルを寄せたりという手間で勝負するしかなく、技術的にはドングリの背比べなのだ。だからこそ、元の材料たる生地から負けていては、どうすることも出来ないのである。
 そこで、生地商人やお針子達はひとまず情報収集に走った。
 どこで入手したにしても、生地からドレスに仕立てたお針子がいるはず。まずはそこからということで、貴族のお屋敷に出入りするお針子が、仲間から締め上げられ白状させられた。(本当に締め上げられて、命の危険をとても強く感じたと、お針子嬢は涙ながらに語った)
 そして、集められた情報の全ては「アルヌス」の方角をゆびさしていた。
 これと似たようなことは宝飾業界でも化粧品業界でも起きている。その後の推移も似たようなことだったので、割愛したい。
 こうして、アルヌス協同生活組合・帝都支店に、お針子や布地商店主達が殺到するに至ったわけなのだが、アルヌス協同生活組合では友禅ゆうぜんぞめや、西陣にしじんおりといった贅沢品は扱っていなかった。
 だが、その代わりとして見せられた商品サンプルが、光沢のあるサテン、透けるほどに薄いオーガンディー、張りの強いタフタ、感触の柔らかいビロード、伸縮性のあるストレッチ素材等である。しかも染色の技術が素晴らしく、色彩も非常に豊富だ。染料の高価さから王家の色と言われた貝紫に似た色ですら、当たり前のように扱われている。
 ちなみに伸縮性のある素材でつくられた『てぃしゃつ』と呼ばれる製品は、吸湿性に優れ着心地も良いため、高価ながらも人気商品として流行の兆しを見せている。

「これだけの生地を材料に出来るならデザインで勝負できる!」

 絶望の地平線を越えたお針子達は、ぐっと拳を握った。参考となる『図絵』も、何故かアルヌス協同生活組合・帝都支店の片隅から発見された。
 一冊だけ、ポツンと置かれていたその図絵には、人間がそのまま吸い込まれたのではないかと思うほど、精微に描写された絵と、どこの国の言葉とも分からない字がズラッと列んでいたのだ。
 誰も読むことは出来なかったが、それはさしたる問題ではない。彼女たちに必要だったのは、服飾デザインの参考となる図絵の方だったからだ。斬新に過ぎるデザインや色遣いは、自分なりにアレンジすればいい。「ちょっとこれは……」と思えるほどの露出も、加減すればいいのである。こうして異国の図絵は帝都のお針子達の間で、密かに、そして大切に、長きにわたって保管されることとなる。
 ちなみにその書籍に書かれた字を日本人が見たら、「コスプレ」とか「レイヤー」などの文字を発見することが出来ただろう。何故そのような書籍が特地に持ち込まれ、帝都まで運ばれてしまったかは、アルヌス協同生活組合と縁の深いとある日本人男性約一名だけが知っている。


 ――数週間前。


「俺の雑誌、知らない? コスプレインターナショナルの特集号なんだけど」
「見ませんでしたよ」
「どこに、やったのかなぁ?」
「隊長。ちゃんと掌握しょうあくしてないからですよ」


 こうして、帝都の貴族女性のファッションは、入手先不明な絢爛豪華けんらんごうかな素材で作られたドレスと、これまた製法不明の美しい生地で作られた非常に斬新かつ奇抜なデザインのドレスの二大流行によって、完全支配されることになったのである。
 さて、商人は説明を続ける。
 お得意の、とある貴族の令嬢が社交界にデビューしようとしている。その押し出しをよくするためにも、是非『アレより素晴らしいドレスを』と頼まれたのだと。上手くいかなかったらどうなるか……という父親からの脅し付きで。
 そこで、我が身と嫁さんと子ども達の生活のためにも、商人はあちこちの布地を探して歩き、やっと『さてん』という生地に出会ったのだ。商人は切々と語った。この生地を使ってドレスを仕立てたいと。

「でもねぇ……」

 担当の男は腕を組んで唸った。アルヌス協同生活組合に繊維部門担当者として雇われる前は、彼も生地の行商人をしていたので、貴族連中がいかに傲慢で強引であるか身に染みて理解していたのである。だから助けると思って、売ってやりたいとも思うのだ。しかし、上からのお達しに従うなら、小売りは支店でしなければならない。
 そんな風に困り切っている二人を見て、ヤオは「ならば、こうしたらどうだろう」と口を挟むことにした。
 商人の男は、どちらにしても帝都に帰らなくてはならない。繊維担当者は品物を帝都の支店に送らなくてはならない。ならばこの商人に品物を、帝都の支店へと届けて貰えばよいのだ。商人は、品物を預かる代わりに保証金を積む。そして帝都の支店に届けたその場で品物を引き取るわけだ。
 形をそのように整えて置けば、商人は約束は守れなくてもいい。ちゃんと届けて、保証金の預かり証と引き換えに、品物を受け取っても良い。どっちにしても組合側には損は発生しない。ただ、商人として今後の取引を考えるなら、信用のためにきちんと届けた方がよい。しかし、届ける間も惜しいとあれば、それもまた可能となる。
 商人と繊維部門担当者は、ヤオのアイデアを聞いてポンと手を叩いた。

「なるほど。それなら問題ありませんな」
「いやいや、誰も損をしない名案。とはいえ、規則の裏をかくことに関しては、流石はダークエルフですな」
「いかにも、奸智かんちに長けてらっしゃる」

 おぬしも悪よのう、という視線がヤオへと向けられた。
「そ、そんな、普通のことではないのか?」とヤオは思いつつも、役に立ててよかったとその場をそそくさと後にするのだった。


 再び大通りに戻って、緑色の服を着ている者を捜すべく売店を覗き込む。
 すると、売店のメイド服猫耳娘が、緑色の服を着た連中と会話を交わしているのが見えた。
 談笑していると言って良い。彼女が微笑みかけると、男性達は顔を赤くしたりしながら、勧められるままに、あれもこれもと買い物の品数を増やしている。
 すわ、言葉の通じる男か? と思ったのだが、様子が違った。猫耳メイド娘の方が向こうの言葉を喋っているのである。
 ヤオは考える。彼女は何故、緑色の服を着ている者達と言葉を交わすことが出来るのか……。物怖じせずに尋ねてみることにした。そして声をかけてみればその猫耳娘は、昨日ヤオの隣で飲んでいた娘だった。
 猫耳娘は「緑の人はみつかったかニャ?」とちょっと皮肉そうに言いつつも、ヤオの問いに親切に答えてくれる。

「これがあるニャ」

 彼女が見せてくれたのは、小さな書籍であった。
 それは、緑色の服を着ている者達(猫耳娘が言うには『ニホン人』というらしい)……彼らの使う言葉の、簡単な日常会話の手引き書であった。
 アルヌス協同生活組合編集/カトー・エル・アルテスタン監修/学陰書房出版。その表紙の色から、皆『赤本』と呼んでいる。

「こ、これは買えるのか?」

 その赤本の表紙には、金字でこう書かれていた。

『本書は部内専用であるので次の点に注意する。教育訓練の準拠じゅんきょとしての目的以外には使用しない。用済み後は確実に焼却する』
「組合員か、組合の従業員として雇われた者なら無料でもらえるニャ。それと語学研修生とか、その使用人ももらえるニャ。でも、外部の人にあげていいかどうかは分からないニャ。売ることも考えてないから値段が決まってないニャ。残念だけど売ってあげられないニャ」
「何とかしてもらえないだろうか? 昨晩話したように、なんとしても緑の人を探し出して、話をしなければならないのだ。……だが、今朝から何人も声をかけているのに、言葉が全く通じず困っている。伏して頼む」

 ここまでくれば、ヤオも必死である。猫耳娘に深々と頭を下げた。
 猫耳娘も出来ることならヤオに赤本を渡してやりたかった。だが、彼女も雇われている身の上である。勝手な判断を下すことは出来なかった。
 無料で支給されているとはいえ、書籍とは本来非常に高価なものなのだ。これを手渡された時、数カ月分の俸給がさっ引かれることを覚悟したほどだ。仕事で必要な物……例えば今着ているお仕着せ(メイド服)とか、住み込みの場合なら家賃、食費、各種の消耗品の費用が給料から天引きされるのは、この世界では当たり前の事なのである。それが、ここでは違った。
 必要な物は大抵支給してくれる。食費は格安(職員割引)。寮も完備。勿論、備品を乱暴に扱って壊したり破ったりすれば、それ相応の弁償をしなければいけないが、普通に使ってくたびれた分には、給料から天引きされることはないのである。
 これは、どこに行っても見られない好待遇であった。まさに革新的と言っていい。雇用条件について書かれた書類を見て「有給休暇って何、それ美味しいのかニャ?」と思わず叫んでしまったほどである。
 それだけに彼女たちは、仕事に対して真剣に、そして責任感を持ち、信用を失わないように気を配っているのである。気性の荒い傭兵達ですら、自分達が掴んだ幸運を手放さないために、仕事には真剣に取り組んでいる。
 ここで下手をして信用を失えば取り返しのつかないことになる。これほどの理想的な職場を紹介してくれた、フォルマル伯爵家の顔に泥を塗ることになるし、彼女たちの一族の信用をも失いかねない。
 ヤオ達、ダークエルフ一族の存亡がかかっているのも分かるが、キャットピープル一族の生活もかかっているのだ。彼女たちの故郷は、今や彼女たちの仕送りで成り立っているのだから。
 なので「たかが書籍一冊くらいくれてやる」というわけには、いかないのである。
 普段ならこのように判断に困る時は、上司……つまり組合の幹部である老人や賢者かエルフに、「どうしたらいいニャ?」と尋ねることになるのだが、具合が悪いことに今は居ない。だから、待って貰うしかない。なのに、ヤオは「待っている余裕がない。今すぐ」と迫って来た。

「無理だニャ」
「そこを伏して頼む」
「頭を下げられても無理だニャ」
「なんとかして欲しい」

 こうして猫耳娘が困っている丁度その時、ドアから警務隊の隊員(警務官)二人が入って来た。一般の陸上自衛官と同じ戦闘服姿だが、右肩に『警務/MP』と書いた黒腕章をしていた。
 警務官による、定時の巡回であった。

「どや? メイアちゃん。何か、困ってたりしとらんか?」

 気さくな関西弁で、警務官は声をかけた。メイアこと、猫耳娘もたどたどしい日本語で、特別困ってはいないと答える。
 ヤオのしつこい依頼に困っていると答えれば、警務隊はヤオを不審人物として調べたり、店どころか街から追い出してしまったりするかもしれない。けれどヤオがどうしてこのアルヌスに来たかは聞いていたし同情もしていたから、そういうことにはならないようにしてあげたかったのだ。
 ところが警務官の一人が、ヤオの容姿に視線を巡らせて眉を寄せた。

「ん? こちらのエルフ。報告のあった女じゃないか?」
「ホンマや。カラメル色の肌に、銀髪。エルフ耳の美人で、革鎧。……なんや、鞭でも持たせたくなるようなすこぶるつきのべっぴんやな。ターバンにマント姿……報告のあったカツアゲ犯の特徴に合致するわなぁ」
「訴え出たのが、素行の悪い奴だから与太話だと思ったけど……ホントにいたんじゃしょうがない。一応話を聞かないとな」

 実は、警務隊に被害の申し立てがあったのである。「艶っぽいダークエルフの女に誘われて、ついつい森まで行ったら股間を蹴られ、財布を取られた」と。
 特別地域自衛隊派遣特別法施行令では、特地は自衛隊の施設内という扱いになっているので、警務隊が犯罪捜査、犯人逮捕等の治安維持に携わることになる。
 警務官はヤオに「ちっと、話を聞かせて欲しい」と告げた。アルヌスの街の治安に関わる重要な仕事なので、結構熱心に勉強し片言ぐらい話せるのだ。決して、猫耳メイアと親しくなりたいとかいう下心からではない……と思う。
 言葉が通じる日本人!?
 ヤオとしても嬉しい瞬間であった。しかも話を聞こうとすら言ってくれる。
 朝から、いったい何人に声をかけたことか。きちんと話ができる者が居ないことに絶望すらしかけていた。だがこうして、きちんと会話できる相手が現れたことに、幸運が訪れたような喜びを感じた。
 思わず、涙すら浮かぶ。やったぁと叫びだしたいくらいだった。

「すまんが、ちぃと、ついてきてくれるかぁ? 話があるからのぉ」

 いいとも、いいとも、話を聞いてくれるならどこへでもついていこう。
 こうしてヤオは、警務官の求めに素直に任意同行するのであった。カツアゲ事件の参考人として……。


    *  *


 森の中。
 木立の合間に、小さな泉が一つ。その淵に鎮座まします大岩に、一人の老人が座していた。
 その手にするは魔法の杖。その双眸そうぼうが見つめるは彼の教え子。
 孫娘といっても通じそうな弟子の成長を、老賢者にして魔導師カトーはじっと見計らっていた。
 レレイ・ラ・レレーナは泉の畔にあって静かに佇みながら、杖を七分三分の位置で掴み、魔法行使の支度を整えていた。
 オカリナの音色にも似た喉声が、意味あるモノフォニー一人和声滔々とうとうと紡ぎ上げていく。

「abru-main!」

 まずは『起動式』を建てる。
『現理』の支配する世界を『法理』で開豁かいかつして、『虚理』を展開するべく『陣』を敷設ふせつ
 空気の動きとしての風ではない『何か』。それは『虚理』の担い手たる『偽氣ぎき』の揺らめき。魔法の行使者の志操を受けて、沸き立つように蠢く『法理』が彼女の銀髪を静かにそよがせる。
 魂魄こんぱくが、その根源たる『在理』へと触れる。
 静寂なる森に、真空が横たわったごとく絶対無音の真なる静が場を支配した。
 レレイの突きだした掌を中心に、小さなプラズマ円が描かれる。その光円は、腕輪のごとくレレイの前腕周囲を浮遊。その円が静かに分裂して二つに、四つにと増えていく。しかも、肘から掌へと数を増やしていくに従って、その円は直径を大きくしていった。
 数珠繋ぎとなった光の円は、レレイの指先を越えてさらに三十個ほどにその数を増やし、メガホンのごとくその径を大きくしながら、やがて彼女の小柄な体躯たいくをもしのぐ大きさへと至る。

「duge-main」

 レレイは中空に描かれた連環から、腕を引き抜くと、指を鳴らした。途端……。
 光の円が、連鎖的に弾けた。
 その炸裂は次第に加速、増幅されていく。連鎖爆燃する大きなトランペットから一条の紫光が飛び出す。
 その光の矢は、熱の塊そのものであった。それは泉の水面を突き破ると、瞬時にして周囲の水を大量に蒸発させた。これが一瞬にして為されると水蒸気爆発と呼ばれることになる。
 轟音と共に噴水のような大きな水しぶきをまき散らすに至った。
 突然の驟雨しゅううの如き水を浴びながらも、カトーはしばし身じろぎすることが出来なかった。予測を遥かに超えた『効果』に、肝を冷やされてしまったのである。衝撃も、周囲に立ちこめる高温の蒸気も、そして降り注ぐ冷たい水も、どれもこれも彼の心臓によくなかった。
 レレイは空から堕ちてくる水しぶきを浴びながら、静かにいつもの無表情で、カトーの講評を待っていた。

「う~む」

 カトーは濡れそぼった髪をたくし上げ、水滴を払いつつ唸った。

「レレイよ、見事すぎて言葉もない。汝が展開した『理』を語るが良い」

 レレイは静かに一礼すると、学会発表のごとく語り始めた。
 我々リンドン派の魔導師は、戦闘魔法を用いると世に恐れられているが、実のところそれほどたいしたものではない。
 魔法を戦闘に用いていると言っても、それは魔法によって干渉された『現理』たる自然現象を、戦闘に応用しているのに過ぎない。

「このように」

 レレイは拾った小石を浮遊させると、近くの朽木に銃弾のごとく打ち込んだ。
『虚理』は、小石という物質が静止しているという『現理』に干渉した。しかし、このようなことは、石弓や投石機にも出来ること。だから、我々はこの現実を応用と洗練で克服してきた。
 レレイは今度は十個ほどの石を浮遊させた。この石を目標の周囲に漂わせ、四方八方の全周囲から襲いかからせて、倒木の幹に無数の穴を穿うがつ。
 この技芸は、一丁の石弓や投石機には不可能な現象。故に、戦闘魔法は人々の畏怖を勝ち得てきたのだ。
 だが、観客はそれでいいとしても、タネを知る奇術師の側から見ればどうか? 火の魔法は、要するに火を浴びせるだけ。ならば火のついた薪や油を相手に浴びせるのと同じではないか? 水の魔法は、結局の所水を浴びせるだけと分かってしまうのだ。
 ……これらは全て、機械や道具を用いることで再現できることだ。しかも『虚理』の効果範囲は短く、また発揮される力もより大規模な機械によって軽く凌駕されてしまう。
 これまでの規模の小さな戦闘においては欠点たり得なかった問題だが、最近の戦場は、激突する戦力が大きくなって、魔導師の重要度は低下する一方なのである。無論、無用の長物と化したわけではない。医療や間接支援において、今なお不可欠な役割を担っている。だがしかし、魔法戦闘の大家リンドン派としてはその現状に甘んずることは許されない。先達が努力を積み上げて来たように、我々もまた研鑽けんさんを続けなければならない。
 しかし、自衛隊が用いる『銃』や『砲』のような強力な武器が登場した今、これまでと同様の努力では、時代の変革に対応できないかも知れない。
 これは『現理』に干渉する形で『虚理』を行使している限り、かならずつきまとう問題だ。『現理』に働きかけることに関しては、『現理』のほうがより効率的なのだから。結局技術の発達に必ず追いつかれ、追い越されることとなる。
 ところが、門の向こうの『現理』の探求は、我々の遥か先を行って深く広かった。その『現理』に沿った形で魔法を展開すれば、今以上の威力を魔法において発揮できないか? それがレレイの着眼だった。
 例えば、門の向こうに『炎』についての研究があった。
 それによると、『炎』とは空中の『焼素』と、物質のもつ『然素』が結合する現象である。それは燃焼と呼ばれる。
 そして、爆発とはこの燃焼が一瞬の時間で為されることである。我々の研究が行き詰まっていたのは、密封した容器が熱されて起きる破裂と、爆轟ばくごうとを取り違っていたからだ。

「そこで、爆轟を起こすことを試みた」

 レレイは、中空に光の球を作り上げた。

「焼素は、門の向こうでは酸素と呼ばれる。然素は、門の向こうで炭素や水素と呼ばれる物質があてはまる。そこで『虚理』を持って、『焼素』と『然素』を引きはがし、集めることにした。これを力場に封じ、適度な密度を持って中空に浮かび上がらせる。そして『虚理』から一気に解放する」

 指を鳴らすと、ポンッとその光球は弾けた。

「門の向こうでは、『火薬』と呼ばれる物がある。それがこの光球に相応する」
「うむ、理にかなっている。魔法の応用範囲はこれまで以上に広がるであろう。異界の研究から示唆を受けたとはいえ、それを魔導に組み入れ、実際に行使するまでにまとめ上げた功績は博士号にも値しよう」

 これまで手の届かなかった爆轟という現象を操れるようになったとなれば、魔法の価値はさらに上がることになる。ちょっと考えただけでも、軍事、工業や土木において有用ではないか。カトーはそう論じて場を締めようとした。

「しかし、これは威力がない」

 爆轟は、それだけではたいした破壊力がない。大きな音と衝撃、光、そして熱を放って終わりである。より強い効果を得たければ、然素をかき集めればいいのだが、効率的とはいえない……とレレイは説明を続けようとした。ところが、カトーが手を挙げて話を中途で制止した。
「お客のようだ」と告げて振り返る。
 レレイもカトーの視線の方向へと目を向けた。するとそこに、自衛隊の警務官の一人が立っていた。

「すみません。ちょっと複雑な話になってきまして、通訳をお願いしたいんですが」

 レレイは小さくため息をつくと、カトーに一礼して、呼び出しに来た警務官の元へと進むのだった。



  04


 警務隊の取調室は、誰の趣味なのか、刑事物テレビドラマに出てくるような、いかにも取調室と言いたくなる内装がなされていた。
 広さは二坪程度……畳で言うと四畳くらいだ。中央に飾り気に欠けたテーブルがひとつ置かれ、その前後にはパイプ椅子が配置されている。
 鉄格子の嵌った窓側は『調べられる側』、出口側は『調べる側』が座る席だ。
 出入り口近くの壁際には別の机が置かれて、そこは口述筆記をとる係官が座る。インターフォンや、電話もここに置かれている。
 ヤオはこの部屋の『調べられる側』の席に座って、肩を落としていた。流石に涙目とまではなっていないが、身に覚えのない嫌疑に、相当憔悴しょうすいしている様子が見て取れた。
 向かいに座る警務官も、単語帳やら、赤本やら、ボロボロになりつつある辞書を並べ、意思疎通を懸命に図ろうとした様子が見受けられた。くしゃくしゃに丸められた調書用紙が屑籠くずかごに山になっていて、相当に苦労しているようである。
 警務官も最初は犯罪被疑者ひぎしゃを取り調べるように、いかめしい口調と恫喝どうかつ的な迫力で、取り調べを始めたのである。実際、被害者が奪われたと訴えていた財布を、ヤオが所持していたことも、彼の心証を悪くする一要素となっていたからだ。つまり、普通ならば冤罪えんざい事件になるような材料が、見事にそろっていたのである。
 ところが、そうはならなかった。
 それもこれも、担当した警務官が知ったかぶりをしなかったからである。要するに身の程を知っていたというか、自分に語学のセンスがないことをわきまえていたのだ。
 言葉が通じないから、互いの意思疎通に嫌でも慎重になる。一語一語を聞き取り、翻訳して文章に構成する。そして読み上げて本人に間違いないか確認をとる。これらの作業を丁寧にしていくから、「ああ、分かった、分かった。こういうことだな」という感じの、安易な決め付けが起きなかったのである。
 こうして悪戦苦闘している内に、事情は何やら込み入っていて、財布を奪ったとか奪われたとか、そういう簡単な話ではないことが分かってきた。
 警務官も「ん?」と懐疑的になった。そして、「どうもおかしい。被害者の訴えと全然違う」と考えるようになったのだ。
 目の前にいるのは、褐色の肌を持つ美しいエルフ女性。しかも、『襲われる』とか『乱暴される』ことを意味する単語を辞書から探し出すのを見ては、放って置くことが出来るだろうか? もし、暴行を受けたのであれば心理的なケアも必要になるだろうし。
 最初厳めしい態度だった警務官も最後には優しく「うんうん」と頷きながら聞こうとする態度になってしまった。そして、自分では細かな意思疎通は不能と判断し「恥ずかしながら、自分では詳しいことが分からん。技官のレレイさんを呼んでくれ」と部下に伝えたのである。
 取調室の電話が鳴ると、警務官は「待っていた」と言わんばかりの態度で受話器を取った。

「はいっ、菊地きくちです。ええ、待ってました。こちらに案内して下さい」

 こうしてレレイが案内されて来ることとなったのである。
 レレイが入れば、それまで停滞していた事情聴取は瞬く間に片付いていく。ヤオの供述から恐喝事件はやはり嘘であったことが判明する。偽りを訴え出た男は、警務官が「ちょっと話がある」と尋ねるとあっさり白状して、逆に婦女暴行未遂犯として捕らわれることとなった。
 ちなみに特地での犯罪は、加害者あるいは被害者が日本人の場合と、事件現場が駐屯地施設内、及びアルヌスの街の場合、犯人を東京に送還して裁判に付されることになっている。事件現場が施設外、あるいは被害者・加害者の双方が現地人同士の場合は、ピニャの指定した司法機関、この場合はイタリカのフォルマル伯爵家へと身柄を送検して、現地の法によって裁かれることが協定実務者会議での取り決めだ。今回は、事件が現地人同士の事例であったためイタリカに身柄を送られることとなる。
 こうして、ヤオの巻き込まれた事件はあっさりと片が付いたのであるが、ヤオは仕事を終えて立ち去ろうとするレレイを、しがみつくようにして捕まえるとこの機を逃してなるものかとばかりに、『緑の人』に会いたい、会って話をしたい旨をまくし立てた。そして、炎龍に一族が襲われていると告げたのである。
 レレイとしても、炎龍がダークエルフの集落を襲っていると聞いて、無視することは出来なかった。いま、こうして彼女がここにいるのも炎龍にコダ村が襲われたからなのだ。それに、彼女の友人や知り合いの多くが、炎龍によって命を失っている。

「つまりは、ニホン人に助けて欲しいという希望を伝えればよい?」
「そうだ。見たところ、御身は顔があちこちに利くようだ。ならば口添えも頼みたい」

 無論レレイに、ヤオの願いを断る理由はなかった。
 こうして、ヤオの希望はようやく叶ったのである。そして、その直後に彼女は絶望の淵へと叩き込まれることとなった。


 アルヌスの街の食堂――『貴賓席』。
 そこは、清掃の行き届いたちょっとした喫茶店のような雰囲気で、落ち着いたデザインのテーブルと椅子が整然と並べられていた。そして観葉植物に、絵画。これらの調度品類が上品さを醸し出している。一般席の雑多な雰囲気とは大違いだった。
 夕の食事時にはまだ早いが、一日の研修課業を終えたボーゼスとか、パナシュといった貴族のお嬢様方は、奥まった一番良い位置にあるテーブル席を占領している。
 見れば、何冊かの本をテーブルに積み上げ、それを取り囲むようにして、何やらヒソヒソと話をしていた。耳を澄ませば「リサ様から……」とか、「新刊」とか「翻訳作業の分担」といった単語が漏れ聞こえただろう。

「お嬢様。本日の新しい茶葉が入りました。おためし下さい」

 彼女らに給仕をするのは、『執事番』と言われるウェイターだ。典雅な振る舞いで、高貴な育ちのお嬢様達にも、怖じけず負けず、堂々と応対していた。
 何でも池袋にある、とある特殊な喫茶店で働いていた、というふれこみで柳田が連れてきたのである。
 日本側から持ち込まれる、お茶やコーヒー等の取り扱いやサービスについて現地人料理長やウェイトレスに指導するというのが建前だが、まだ特地への立ち入りが一般人には禁じられている現状で、それを信じているのは特地側の人々だけであった。自衛官連中は「どう見ても二科(情報担当)だよな?」という意見で一致していた。
「きっと池袋で、研修させられたんだろうなぁ。ご苦労というか、何というか……」と、その労苦をしみじみと思いつつ、幹部自衛官達は口をつぐむ。
 とはいえ、堂々たる執事ぶりであった。

「まぁ、美味しいっ! このお菓子はなぁに?」
「はい、お嬢様。こちらは、ミルフィユ・グラッセでございます。小麦を溶いて薄く焼いた生地に、甘みを抑え、ブランデーの風味をほんのりと効かせたカスタードクリームを塗り重ね、チョコレートで飾りたてたものでございます。日本国は青山にございます、高名な菓子職人の手からなる逸品でございます」
「素晴らしいわ。日本という国は、どうして些細な食べ物すら、芸術の域に高めてしまうのかしら」

 憶えたての日本語で、令嬢達は賞賛した。日本語を学ぶために来ていることもあって、彼女達はこの場では日本語を使用する。

「そのことを理解できる方に食されて、菓子職人も満足しておりましょう」

 ケーキは日本発祥の物ではないんだがと思いつつも、あえてそれには触れず、ウェイターはレベルが高いものを理解できるのは、レベルが高い者だけ……という論理のおべっかで、お嬢様達を持ち上げてみせた。
 ちなみに、彼の目はしっかりと情報収集のために働いていた。が、机の上に並べられていた書籍の正体を知って、げんなりとした気分を味わっている。
「腐ってやがる……」という呟きが彼の心境を表している。もしかすると、この種の文化は彼女達には早すぎたのかも知れない。彼が着眼点とするEEI(情報主要素/Essential Element of Information)は、「彼女たちが何に関心を持ち、どう行動しようとしているか」だが、最近は、報告書をどう書いたものかと悩まされている。
 一方、別のテーブルではヤオが呆然としていた。
 その視線は中空に留まり、何物も目に映っていないようである。まるで、スイッチを切ったロボットのような感じで、ただ静止していた。
 その向かい席にはレレイの姿があった。何を考えているのか、じっとヤオを観察している。

「おまちどおさま」

 食堂の看板娘、デリラが、銀トレーに載せた香茶ポットを運んで来た。
 レレイは、日本から運ばれてくるハーブティがお気に入りで愛飲している。今回は、鬱気分に効果のあるセントジョーンズワートを注文していた。別にレレイが鬱気分な訳ではない。ヤオへの配慮である。
 だが、お茶が届いたにもかかわらずヤオは何の反応も示さなかった。仕方なく、レレイは手を伸ばすとポットからカップへと注ぎ、ヤオへと勧める。

「飲んで」
「………………」

 ヤオは表情を動かさずに、手を伸ばすと機械的にカップを口へと運んだ。
 待つことしばし。
 やがてカップは空になる。
 再度、お茶を注いで、ヤオへと勧める。

「飲んで」
「………………」

 ヤオは呆然とした面持ちのまま、手を伸ばすと機械的にカップを口へと運ぶという作業を繰り返した。
 やがて空となったカップを置いたヤオは、はたと気付いたように言った。

「なんだか悪夢を見てたような気がしている。妙に現実感がない……そうか、夢だったんだ」

 レレイは黙したまま、ヤオへ向けていた視線を下ろした。そうして、淡々と自分のカップを口に運ぶという作業を繰り返した。
 ヤオは、そんなレレイを見ているうちに、ポツポツと涙を落とす。

「…………………………………………何か言ってくれないか?」
「夢ではなかった。貴女が聞いた言葉、見た光景、全てが現実」
「ほ、翻訳の間違いとか……」
「それはない」
「………………お願いだ。間違いだと言ってくれ」
「言ったとして、何も変わらない」
「…………………なぜだ。何故、駄目なんだ」
「ハザマ将軍は、既にその説明をされた」
「でも、それって……余りにも、あまりにも……」

 炎龍を倒すべく、助けが欲しい。レレイの紹介を受けて狭間はざま陸将と面会がかなったヤオは、真っ直ぐにそう頼み込んだのである。事情も説明し、代償としては部族から預かってきた金剛石の原石も提示した。
 だが、狭間の態度は話の当初から重苦しい物だった。地図を広げ、ヤオの故郷であるシュワルツの森がどの地域にあるのかを確認するに及んで、狭間は苦虫を噛みつぶしたような表情で、首を振った。

「遠路はるばるおいで下さったのに、力になれず申し訳ない」

 その理由として、狭間はこう言った。

「あなたの故郷であるシュワルツの森は、帝国との国境を越えてエルベ藩王国だ。軍が国境を越える意味は、語らずともお分かりになりますな?」

 古今東西、ことわりもなく兵に国境を越えさせる行為は、宣戦布告と同義であった。それはこの異世界においても同じである。また国境を越さなくても、国境近くに大軍を移動させると政治的な緊張を高めることになるのだ。

「た、大軍でなくても良いのです。み、緑の人……たしか十人ほどと聞き及んでいます。その人数なら、軍勢とは言えないはず」
「滅相もない。そのような少数で危険なドラゴンと相対させるなど、部下を死地に追いやるも同然。自分にはそのような命令を下すことは出来ません」

 叫ぶように泣くことが出来たら、ヤオもそうしただろう。だが、彼女はそのように泣いたことはなかった。伴侶となるはずだった男性を失った時も、恋人が亡くなったことを知った時も、今と同様に両手で顔を覆い、ただ声を殺して涙を流したのである。流された涙は、彼女の両の手掌しゅしょうから手首へと伝わり、そのまま肘へと流れ落ちていく。

「くふぅ……」

 絞るように漏れた嗚咽。
 いつの間にか、まわりのテーブル席を埋めていた自衛隊幹部達も、重々しい空気と痛ましさで黙り込む。
 そんな中で語学研修のご令嬢方の楽しげな笑い声が、かすかに聞こえることが、かえって哀れを誘うのであった。


「まるでお通夜みたいだねぇ」と厨房に戻ってきたデリラは、料理長に貴賓席の様子を告げた。

「しょうがねぇさ、あのダークエルフの姐さん、例の炎龍退治をハザマ将軍に頼み込んで断られたってんだから」

 料理の下ごしらえに手を動かしていた料理長はそう返す。

「それって、やっぱりロゥリィの姐御あねごを怒らせたからかなぁ」
「違うだろ? 今回はイタミの旦那、絡んでねぇもん」
「そう言えばそうだね。そうすると上のお人達の事情って奴か。どんな事情なんだろうねぇ。折角、隊長さん達が集まってきてるってぇのに。あたいもニホン語の聞き取りをもうちょっと磨かないと駄目だな、こりゃ」
「デリラ。お前さんの影仕事についちゃあ、俺はうるさく言うつもりはない。だが、適当にしておけよ。俺は、今の仕事を失いたくない。何かあったら、真っ先にお前の名前を言うからな」
「分かってる、分かってるって。ヘマはしないよ」

 デリラは料理長に向けて両手を合わせると、ドリップの済んだコーヒーをカップに注ぐのであった。


 ヤオとレレイ達から少し離れたテーブルには、健軍けんぐん一等陸佐と加茂かも一等陸佐、そして用賀ようが二等陸佐と柘植つげ二等陸佐の四人が、注文したコーヒーが運ばれてくるのを待っていた。四人の視線はさめざめと泣くヤオへと向けられている。

「用賀……なんとかしてやれんか?」
「無理ですねぇ。何しろ、市ヶ谷(防衛省)のほうから、野党から突っ込まれるようなことはするなというお達しが出ていますから」

 横で聞いていた、柘植二等陸佐が「ドラゴンの退治が、野党の攻撃材料になるって言うのか?」と言って話に割り込んだ。
 用賀は語る。

「実際になりました。防ぎようもなかった損害を理由に、現場の担当指揮官を国会に招致して吊し上げようとしたくらいですから……まして、今度は帝国の外ですからね。ドラゴン退治で越境攻撃しましたっていうのは、ちょっと不味すぎます」
「参考人招致どころか、証人喚問は免れなくなっちまうってか?」

 加茂一等陸佐はそう言って肩をすくめた。

「それこそ、内閣不信任決議案の良い口実です。参院がいくら騒ごうが無視を決め込める議席数を衆院で確保してるのに、今の内閣は基本的に弱腰で事なかれ主義ですからね」

 そこへデリラがコーヒーを運んできた。
 デリラが、テーブルにコーヒーカップを並べている間、会話は一時中断するが、彼女が立ち去ると今度は加茂一等陸佐が嗤った。

「でも、あの野郎ならなんとかかわせるんじゃねぇか? 俺はよぉ、テレビ見てて思わず爆笑したぜ。ま、茶化すような答弁が咎められて、後でしこたま叱られたそうだけど、それだって形だけのことだったしな。国会で言いたい放題言って、注意で済むってのも人徳って言うんかね」
「あれは、あの後の三人娘の方がもっとインパクトがあったからですよ。その援護射撃だって、結局は『伊丹だから』でしょうしね……」

 実際、自分達だったらコダ村からの避難民をそのまま連れて来たか怪しいのである。流石に見捨てたりはしなかっただろうが、もっと官僚的に、子ども達を不安がらせるような対応になってしまっただろう。伊丹のように「大丈夫、ま~かせて」という感じでは扱えなかったことだけは間違いない。当然、三人娘達が今みたいな好意的な感情を、自分達に向けてくれるとも思えないのだ。
 柘植は、コーヒーを飲み干してから言い放った。

「ドラゴン退治だけじゃない。帝国を叩き潰して、責任者の処罰と被災者への賠償を取り立てるという当初の目的だって、いつの間にか『門』を確保して、再侵攻を防げればよしという話にスケールダウンしている。いったい政府は何を考えてるんだ……」
「まぁ、この世界の政治情勢がだいぶ分かってきましたからね。この世界の覇権国家たる帝国を迂闊に叩き潰して、この大陸を戦国時代にするわけにはいかないっていう理由は、分かる話です。古代ローマ帝国が、ダキア(現在のルーマニア)を攻め滅ぼしたために、東方からの蛮族侵入を直接防がなければならなくなったという歴史を思い返すべきです」

 今、アメリカが滅んだら、頸木くびきを失った中国やロシアはあっという間に各地で戦争をおっぱじめるだろう。チベットやウイグル、グルジアを見ても、そう思わないとすれば相当におめでたい頭をしていると言わざるを得ない。
 それと同じ事で、帝国がなくなればこの世界でも覇権を巡って列強間の戦争が始まるのだ。日本、そして自衛隊はこの世界において無敵に近いが、それにも限りがある。従って、この世界の平和を維持する役割を、誰かに負わせなければならない。


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