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1接触編

1接触編-2

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 大統領は、思ったようにならない現実の忌々しさに、深いため息をついた。

「報告書から見ると、『門』の向こう側での戦闘は苛烈極かれつきわまりなかったようだね?」
「弾薬の使用量が尋常ではなかったようです。ですが、ここ最近は落ち着いています。自衛隊は守り通すでしょう。自衛隊は装備、訓練共に守勢に秀でています」
「ふむ。では、わが国の対応はどうするべきかな?」
「現段階としては日本国政府の武器弾薬類調達を支援する程度でよいでしょう。これは兵器産業界に声をかけるだけで済みます。あとは、特別地域の学術的な合同調査を持ちかけ『門』の向こう側に人を送り込みたいところです。これ以外については、状況次第かと存じます」

 あまり、日本に肩入れしすぎると万が一の時に巻き込まれるおそれがある。
 物事は、どう転ぶかわからないものなのだ。日本が特別地域に自衛隊を進めることについては、多くの国が大義名分があると認めている。だが一部……中国や韓国などは、かつての軍国主義の再来であり、侵略であると非難していた。こうした国は日本が何をやっても非難する傾向があるが、耳に入る以上は気にはなるのだ。日本が『門』から得られる利益を独占するような素振りを見せれば、この主張に同調する国も出て来るだろう。そうなった時に、合衆国が共犯呼ばわりされる事態だけは避けたい。

「火中の栗は、日本に拾わせるべきです」

 そして、状況がこじれたらしゃしゃり出て抑えてしまえばよい。そのために国連を利用する手配もしてある。補佐官はそう言っていた。
 だが、ディレルとしてはやはり不満だった。
 今のところ日本はうまくやっており、口や手を出す機会が見いだせそうもない。
 ディレルは国内に向けて具体的な成果を示す必要に迫られているのだ。かと言って、補佐官の危惧を無視するわけにもいかないのもまた確か。大統領は舌打ちしつつも「そうだな」と頷き、次の懸案事項に話題を移した。
『門』の出現。それは、新大陸発見に続く歴史的な出来事である。
 アメリカ大陸の発見によってスペインが世界帝国へと飛躍したように、『門』の存在は世界の枠組みを大きく変えることが予想された。あらゆる国の政府が、その事を理解しているゆえに、『門』内部での日本の動向が注視されているのである。


    *  *


 ウラ・ビアンカ(帝国皇城)


 皇帝モルトの皇城には、毎日数百人の諸侯・貴族が参勤する。
 元老院議員、貴族や廷臣が集い、諸行事に参加するとともに、政治を雑事でもあるかのように行っていた。
 会議では優雅に踊り、美食にふけり、賭け事や恋愛遊戯ゆうぎといった遊興を楽しみつつ、議場で少しばかり話し合う……という感じである。軍を派遣するかどうかを、貴族達が狐狩りの獲物の数で決めるということもあった。
 だが、ここ暫く続いた敗戦は宮廷の諸侯、貴族達を消沈させるに充分な出来事であった。きらびやかな芸術品は色あせて見え、華やかな音楽も空虚に聞こえる。
 栄耀栄華を誇るモルト皇帝の御代を支えるものは、強大な軍事力と莫大な財力。この両輪こそが、帝国を大陸の覇権国家たらしめていることは小児しょうじであっても理解している。
 それが、今ではその片輪が失われてしまった。
 宮廷を彩った武官や貴族達も出征していただけに、仲間うちの犠牲者も少なくない。未亡人が量産されて、貴族達は文字通り連日おこなわれる葬儀に出席しなくてはならなかった。
 皇帝は喪に服して行事を控え、宮廷も閑散とした日が続いていた。

「皇帝陛下、連合諸王国軍の被害は甚大なものとなりました。死者・行方不明者はおよそ六万人。負傷し軍役に再び就くことのできぬ者とを併せますと、損害は十万にも達する見込みです。敗残の連合諸王国軍は統率を失い、それぞれちりぢりとなって故郷への帰路に就いたようです」

 この数には、オークやゴブリン、トロルといった怪異達は含まれていない。亜人のなかでも知能に劣る怪異達は軍馬と同じ扱いをされているのだ。
 内務相のマルクス伯爵の報告に、皇帝は気怠そうに身を揺すった。

「ふむ、予定通りと言えよう。わずかばかりの損害に怯えておった元老院議員達も、これで安堵することじゃろう」
「しかし、『門』より現れでました敵の動向が気になりますが」
「そなたも、いささか神経質になっているようだな」
「この小心は生来のもののようでして、陛下のような度量は持つに至ることはできませんでした」
「よかろう。ならば、股肱ここうしんを安堵させてやることにしよう。なに、そう難しいことではない。アルヌス丘からここまでの距離は長い。すなわち帝国の広大な国土を、防塁ぼうるいとしてこれにあたればよいのだ」

 皇帝は続けた。
 敵が動き出したなら、アルヌスより帝都に至る全ての街と村落を焼き払い、井戸や水源には毒を投げ入れ、食糧は麦の一粒に至るまで全てを運び出すよう命ぜよ。さすればいかなる軍といえども補給が続かず焦土の中で立ち往生する。そうなれば、どれほど強大な兵力を有していようと、優れた魔導を有していようと、付け入る隙は現れるであろう、と。
 現地調達できなくなれば食糧は本国から運ぶしかなく、長距離の食糧輸送は馬匹ばひつを用いたとしても重い負担だ。これによって敵の作戦能力は、帝都に近付けば近付くほど低下することとなる。それに対して帝国軍は、帝都に近付けば近付くほど有利になる。各地に拠点を構築し、敵に出血を強いていけば、敵は勢いを失い自然に立ち枯れる。それがこの世界における軍学上の常識であった。
 敵を長駆させ、疲れたところを撃つという、どこの世界においてもみられる至極しごく一般的で分かりやすい戦略であるが故に、効果的でもある。しかし自国を焦土とすることの影響は深刻かつ甚大であり回復は容易でない。人民の生活を全く考慮しない非情さ故に、確実に民心を離反りはんさせる。守ってもらえなかった。それどころか食べ物も、飲み水も奪われたという恨みは、永久に受け継がれていくことになるだろう。そうした影響を考えれば、容易にそれをするわけにはいかないのが政治であるはずだった。しかし……。

「しばし税収が低下しそうですな」

 マルクス伯は、ちょっと差し障りがある程度の言い方で、民衆の被害を囁くだけだった。
 皇帝も「致し方あるまい。園遊会をいくつか取りやめるか。それと、離宮の建造を延期すれば良かろう」と応じるのみ。強大な帝国においては、民衆の被害や民心などその程度のものなのである。

「カーゼル侯あたりが、うるさいかと存じますが」
「何故、余がカーゼル侯の精神衛生にまで気を配らねばならぬのか?」
「恐れ多きことながら、一部の議員らと語らって、非常事態勧告を発動させようとする動きが見られます」

 元老院最終勧告は帝国の最高意思決定とされている。これが元老院によって宣言されれば、いかに皇帝であろうと罷免ひめんされる。歴史的にも元老院最終勧告によって地位を追われた皇帝は少なくないのだ。

「ふむ面白い。ならばしばらくは好きにやらせてみるが良かろう。そのような企てに同調しそうな者共を一網打尽にする良い機会やも知れぬ。枢密院に命じて調べさせておくがよかろう」

 マルクス伯は一瞬驚いたが、ただちに恭しく一礼した。
 元老院の最終勧告に対抗する皇帝側の武器が国家反逆罪である。こうして枢密院に証拠固めという名の証拠ねつ造が命じられた。

「元老院議員として与えられた恩恵を、権利と勘違いしている者が多い。いささか鬱陶しいのでこのあたりで整理をせねばな」

 皇帝はそう呟くとマルクス伯の退出を命じようとした。
 恭しく頭を下げるマルクス伯。だが、静謐せいひつな空気を破ってりんと響き渡る鈴を鳴らしたような声が、宮廷の広間に鳴り響いた。

「陛下!」

 つかつかと皇帝の前に進み出たのは、皇女すなわち皇帝の娘の一人であった。
 片膝を付いてこれ以上はないというほど見事な儀礼を示した娘は、炎のような朱色の髪と白磁の肌を、白絹の衣装で包んでいる。

「どうしたのか?」
「陛下は我が国が危機的状況にあるというのに、何を為されているのですか? 耄碌もうろくされたのですか?」

 優美なかんばせから、棘のある辛辣しんらつなセリフが出てくる。
 モルト皇帝はここにも恩恵と権利を勘違いしている者がいることに気付いて微苦笑した。皇女の舌鋒が鋭いのはいつものことである。

「殿下、いったいどのようなご用件で、陛下の宸襟しんきんを騒がされるのでしょうか?」

 皇帝の三女、ピニャ・コ・ラーダは、腰掛けて微笑んでさえいれば、比類のない芸術品とも言われるほどの容姿を持っている。だが、好きに喋らせると気の弱い男ならその場で卒倒しかねないほど辛辣なセリフを吐くので国中にその名を知られていた。

「無論、アルヌスの丘を占拠する賊徒どものことです。アルヌスの丘は、まだ敵の手中にあると聞きました。陛下のそのような安穏な様子を拝見するに、連合諸王国軍がどうなったのか未だご存じないと思わざるを得ない。マルクス、そなた陛下に事実をご報告申し上げたのだろうな?」
「皇女殿下、ご報告申し上げましたとも。連合諸王国軍は多大な犠牲こそ払いましたが、敵のファルマート大陸侵攻を見事に防ぎきったのです。身命を省みない勇猛果敢なる諸王国軍の猛攻によって、物心共に損害を受けた敵は恐れおののき強固な要害を築いて、冬眠した地熊のごとく籠もろうとしております。そのような敵など、我らにとってなんら脅威ともなりません」

 マルクス伯の説明に、ピニャは「フン」とそっぽを向き言い放った。

わらわも子どもではない故、物は言いようという言葉を知っておる。知っておるが、言うに事欠いて、全滅で大敗北の大失敗を、成功だの勝利だのと言い換える術までは知らなんだぞ」
「これは、事実でございます」
「こうして真実は犠牲になり、歴史書は嘘で塗り固められていくという訳か?」
「そのようにおっしゃられても、私にはお答えのしようもなく」
「この佞臣ねいしんめ! 聖地たるわれらがアルヌスの丘は連中に押さえられたままではないか? 何が防衛に成功したか? 真実は、累々たる屍で丘を埋め尽くしただけであろう」
「確かに、損害は出ましたな……」
「ならば、この後はどうする?」

 マルクス伯爵は、とぼけたように兵の徴募ちょうぼから始まって、訓練と編成に至るまでの一連の作業を説明した。軍に関わる者なら誰でも知る、新兵の徴募と訓練、編成の過程を告げられてピニャは舌打ちした。

「今から始めて何年かかると思っているのか? その間にアルヌスの敵が、なにもせずじっとしていてくれると?」
「皇女殿下。そのようなことは私めも存じております。しかし、現に兵を失った上には、地道にでも徴兵を進め、訓練を施し、軍を再建するしか手はありません。兵を失ったことでは諸国も同じ。もう一度、連合諸王国軍を集めるにしても、軍の再建にかかる時間は国力に比例いたします。諸国の軍再建は我が国より遅くなっても、早くなることはありますまい」

 この言いようには、ピニャも鼻白はなじろむ。

「そのような悠長なことでは、敵の侵攻を防ぐことは出来ぬっ!」

 皇帝はため息と共に、手をわずかに挙げて二人の舌戦を止めた。
 彼の察するところピニャには騒動屋の傾向がある。責任を負うことのない者がよくする物言いで、批判ばかりで建設的な意見は何もないのだ。例え言ったとしても、夢物語みたいで伝統と格式を重んじる者なら到底首を縦に振れないことばかり。それでいて何かあれば、さあ困ったどうするどうすると責め立て実務者を「じゃあ、どうすればいいんだ!」とわめくまでに追い込んでしまうのである。
 今回の事態からすれば、マルクス伯が言うように地道に軍を再建するしかないのである。そのために時間を稼ぐことが、政治であり外交と言える。皇帝としてはそのための連合諸王国軍の招集であり、その壊滅をもって目論見は成功したのだ。
 いささか辟易としてきた皇帝は、娘に向かって話しかけた。

「ピニャよ。そなたがそのように言うのであれば、余としても心を配らねばならぬ」
「はい、皇帝陛下」
「しかし、アルヌスの丘にたむろする敵共について、我らはあまりにもよく知らぬ。丁度良いから、そなた行って見て来てくれぬか?」
わらわがですか?」
「そうだ。帝国軍は再建中でな、今は偵察兵にも事欠く有様じゃ。国内各所に配した兵を引き抜くわけにもいかぬ。新規に徴募してもマルクス伯の申した通り、実際に使えるようになるまで時間がかかる。今、一定以上の練度を有し、それでいて手が空いているのは思いを巡らしてみればそなたの『騎士団』くらいであった。そなたのしていることが兵隊ごっこでなければ……の話だがな」

 皇帝の試すような視線に正対して、ピニャは唇をぎゅと閉じた。
 アルヌスの丘への旅程は、騎馬で片道十日だ。
 そこは危険な最前線、万を超える軍が全滅してしまった地。そんなところへ自分と自分の騎士団だけで赴けと言うのだ。
 しかも、華々しい会戦と違って、地道な偵察行。
 日頃から兵隊ごっこと揶揄されてきた騎士団にとって、任務が与えられたことは光栄と思わなければならないのだろうが、内容が不満である。
 さらに言うならば、彼女の騎士達は実戦経験が皆無であった。自分や、自分の部下達は危険な任務をやり遂げることが出来るだろうか?
 皇帝の視線は、「嫌なら口を挟むな」と告げていた。

「どうだ。この命を受けるか?」

 ピニャは、ギリッと歯噛みしていたが、思い立ったように顔を上げた。そして……、

「確かに承りました」

 と、ピシャリと言い放つと、皇帝に対して儀礼にのっとって礼をとった。

「うむ、成果を期待しておるぞ」
「では、父上。行って参ります」

 そしてピニャは、玉座に背を向けた。



   02


「空があおいねぇ。さすが異世界」

 伊丹が呟いた。青空に、大きな雲がぽっかりと浮かんでいる。電柱とか電線などもない。前から後ろまで、上半分は完全に空だった。

「こんな風景なら、北海道にだってありますよ」

 運転席の、倉田くらた三等陸曹が応じた。倉田三曹は、北海道は名寄なよろ駐屯地から来ている。

「俺は、巨木が歩いていたり、ドラゴンがいたり、妖精とか飛びかっているトコを想像してたんですけどねぇ。これまで通ってきた集落で生活していたのは人間ばっかしだし、家畜も牛とか羊にそっくりでガックリっす」

 倉田は一般陸曹候補学生課程を修了したばかりの二十一歳だ。伊丹が上下関係に鷹揚おうようということを知ると、気軽に話しかけてくるようになった。
 青空を背景に、緑の草原をオリーブドラブに塗装された軍用車両が列を組んで走り抜けていく。
 先頭を七三式小型トラック、その後ろに高機動車(HMV)、さらには軽装甲機動車(LAV)が続く。
 要するに、前二台はジープみたいな乗り物、後ろの一台は装甲車みたいな乗り物が走っているのである。
 伊丹はその二両目の高機動車に乗っていた。
 後席には彼の率いる第三偵察隊の隊員達が乗り込んでいる。車両三台、総勢十二名が偵察隊の総戦力であった。
 後席でガサガサと地図を広げていた桑原くわばら陸曹長が、運転席に顔を突きだした。

「おい倉田、この先しばらく行くと小さな川が見えて来るはずだ。そしたら、右折して川沿いに進め。しばらくすると森が見えてくる。それがコダ村の村長が言っていた森だ」

 航空写真から作られた地図と、方位磁石とを照らし合わせながら説明する桑原曹長は、二等陸士からの叩き上げで今年で五十歳。教育隊での助教経験も長いベテランだ。新隊員達からは『おやっさん』と呼ばれて恐れられていた。倉田も新隊員時代、武山駐屯地で桑原曹長の指導を受けて前期教育を終えたそうだ。
 この世界ではまだ衛星を打ち上げてないのでGPSが使えない。その為に、地図とコンパスによるナビゲーションだけが頼りとなる。そして、こういうことは経験の長いベテランのほうが上手いと、伊丹は隊の運営を全面的に桑原に押しつけていた。

「伊丹二尉、意見具申します。森の手前で停止しましょう。そこで野営です」

 桑原の言葉に伊丹は振り返って「賛成」と応じた。桑原は、軽く頷いて通信機のマイクをとった。
 倉田は、バックミラーで後ろに続く軽装甲機動車との車間距離を確認した。

「あれー、伊丹二尉。一気に乗り込まないんすか?」
「今、森に入ったら夜になっちゃうでしょ? どんな動物がいるかもわからない森の中で、一夜を明かすなんてご免こうむります。それに、情報通りに村があるとしたら、そこで住んでいる人を脅かすことになるでしょ? 俺たち国民に愛される自衛隊だよ。そんな威圧するようなこと出来ますかってーの」

 だから森には少人数で入ると伊丹は告げた。
 この偵察行の目的は現地住民と交流し、民情を調査することにある。ヘリコプターを使えば速いのに、わざわざ地面を行くのだって通りすがる住民と交流するためだ。
 暴力で制圧することが目的ではない。悪感情を持たれるような事は極力避ける。それが方針だった。
 これまで三カ所の集落を通り、この土地の住民と交流をとってみた。住民達は戦争なんて領主様のすることで、俺らには関係ねぇやという態度であり、伊丹達に特別悪感情を示すということもなかった。ならば余計なことをして仕事を難しくする必要はない。

「えーと」

 伊丹は胸ポケットから黒革の手帳を取り出すと、この土地の挨拶を綴ったページを開いて予習する。銀座事件の捕虜を調査した言語学者達の成果である。

「サヴァール、ハル、ウグルゥー?(こんにちは、ごきげんいかが?)」
「棒読みっすねぇ。駅前留学とかに通ったほうがよかぁありません?」
五月蠅うるせえ!」

 パコッと倉田の頭をヘルメット越しに叩く伊丹であった。


 こうして森の手前にやって来た第三偵察隊であったが、最初に彼らの目に入ったのは天を焦がす黒煙だった。

「燃えてますねぇ」

 倉田の言葉に、「はい、盛大に燃えてます」と伊丹は黒煙を見上げた。森から炎が立ち上っていた。

「大自然の脅威っすね」
「というより怪獣映画だろ」

 桑原はそう言うと、双眼鏡を伊丹に渡した。そして正面からやや右にむかったところを指さす。
 伊丹は桑原の指さした辺りに双眼鏡を向けた。

「あれま!」

 ティラノサウルスにコウモリのような羽根をつけた感じの巨大な生き物が、地面に向かって火炎放射していた。

「首一本のキングギドラか?」

 桑原のセリフに倉田が「おやっさん、古いなぁ。ありゃ、エンシェントドラゴンっすよ」と突っ込む。だが、桑原はドラゴンと言われるとブルース・リーを連想してしまう年代なので妙に話が合わなかった。
 前方で停止した七三式トラックから、小柄なWACワック(女性自衛官)が走り寄ってきた。
 この偵察小隊には二人のWACが配属されている。住民と交流する時、女性がいたほうが良い場面があるかも知れないという配慮から配属されていた。例えばイスラムのような戒律のある土地だった場合、女性と交渉するのは女性であったほうが良いのである。

「伊丹二尉、どうしますか? ここでこのままじっとしてるわけにはいきませんが」

 栗林くりばやし二等陸曹だった。
 彼女を見ると多くの男性自衛官は、装備が重くないかと質問する。体が小さすぎて装備を身につけると言うより、装備が彼女を入れて歩いているという印象になってしまうのだ。だが、小柄というだけで侮ると酷い目にう。これでも格闘徽章きしょうを有する猛者なのだ。

「あのドラゴンさぁ、何もないただの森を焼き討ちする習性があると思う?」

 意見を求められても栗林に分かるはずがない。だが「分かりません」と素直に答えるようなタマでもない。少しばかり辛辣な態度で、

「ドラゴンの習性にご関心がおありでしたら、何に攻撃をしかけているのか、二尉ご自身が見に行かれてはいかがですか?」

 と言ってのけた。

「栗林ちゃん。おいら一人じゃ怖いからさぁ、ついてきてくれる?」
「わたくしは嫌です」
「あっ、そう」

 伊丹はバリバリと頭を掻くと告げた。

「適当なところに隠れてさ、様子を見よか。んで、ドラゴンがいなくなったら森の中に入ってみよう。生き残っている人がいたらさ、救助とかしたいし」

 森の中に集落があるという情報があった。多分、その集落がドラゴンに襲われているんじゃないかというのが伊丹の考えであった。


 結局、伊丹達が森に入ることが出来たのは、翌朝だった。
 夜になっても火がなかなか消えず、また黒煙が立ちこめていて見通しが利かなかったからだ。夜半からは雨が降り始めたおかげで森林火災が下火となり、これによって、ようやく森に入ることが出来るようになったのである。
 森は、すっかり見通しが良くなっていた。
 木の葉は全て焼けおち、立木は炭となり果てていた。
 黒い地面からは、ブスブスと煙が上がっている。
 地面にはまだ熱が残っていて、半長靴はんちょうかの中がじんわりとあったかい。

「これで生存者がいたら奇跡っすよ」

 倉田の言葉に、伊丹もそうかもなと思いつつ、とにかく集落があったと思われるところまでは行ってみようと考えていた。
 二時間ほど進む。すると立木のない開豁地かいかつちへと出た。
 この森が焼かれていなければ、ここまで入るのに最低でも半日を要したであろう距離である。
 見渡すと、明らかに建物の焼け跡とおぼしきものが何軒分かある。よく見れば……いや、よく見なくても、仏像の炭化したようなものが数体横たわっていた。仏像というよりは、焦げたミイラとでも言うべきか。

「二尉、これって」
「倉田、言うなよ……」
「うへっ、吐きそうっすよ」

 倉田は、胃のあたりを押さえると周辺を見渡した。
 襲撃を警戒するかのように、集落跡をゆっくりと歩く。
 無事な建物は一軒たりともない。石造りの土台の上につくられていた建物は焼け、瓦礫がれきの山と化している。そんな建物の間に、黒こげの死体が転がっているという状態なのだ。

仁科にしな一曹、勝本かつもと戸津とづをつれて東側をまわってくれ。倉田、栗林、俺たちは西側を探すぞ」
「探すって、何を?」

 栗林の言葉に伊丹は「う~ん、生存者かな?」と肩をすくめた。


 小一時間かけて捜索して、どうやらこの集落には生存者がいないようだと分かった。
 伊丹は、井戸の脇にどっかりと腰を下ろすと、タオルで汗をぬぐう。他の隊員達は、ここに住んでいた者が生活していた時の様子が分かるものを探して、集落のあちこちを歩き回っている。
 すると、栗林がクリップボードを小脇に抱えてやってきた。

「二尉。この集落には大きな建物が三軒と、中小の建物が二十九軒ほどありました。確認できただけで遺骸は二十七体で、少なすぎます。ほとんどは建物が焼け落ちた時に瓦礫の下敷きになったのではないかとも考えられます」
「一軒に三人世帯と考えても、三十軒なら九十人だもんなぁ。大きな家を合わせたら最低でも百人くらいの人が生活してたんじゃないかなぁ。それが全滅したのか、それともどこかに隠れているのか……」
「酷いものです」
「ふむ。この世界のドラゴンは集落を襲うこともあるって報告しておかないとな」
「門の防衛戦では、敵の中にドラゴンに乗っていた者もあったそうです。そのドラゴンは昨日確認したものよりはかなり小さかったんですが、そいつの鱗でも7・62㎜弾は貫通できなかったそうですよ。腹部の柔らかい部分でも12・7㎜の徹甲弾でどうにかということでした」

 伊丹は、栗林の蘊蓄うんちくを聞くと「へぇ」と目を丸くした。
 ドラゴンの遺骸を回収して、その鱗の強度試験をやったという噂は聞いていたが、結果がどうだったかまでは伝わって来てなかったからだ。条件にもよるが、7・62㎜弾は厚さ10㎜の鋼板を貫通する。ドラゴンの鱗はそれ以上の硬さを持つということになる。

「ちょっとした、装甲車だね」
「はい」

 伊丹は水筒に口をつけると残りが少ないのを気にして、チャプチャプと振った。周囲を見渡して、自分の後ろにあるのが井戸だと気づくと、その上にある木桶を手にとる。水を汲むのに木桶を放り込んで、縄で吊り上げる形式のようだ。

「ドラゴンがどのあたりに巣を作っていて、どのあたりに出没するかも調べておかないといけないね」

 などと言いながら、井戸に木桶を放り込んだ。
 すると、コーーーンと甲高い音が井戸から聞こえた。

「ん?」

 普通、水に物が落ちたら水の跳ねる音がするものだ。
「ドボン」という音が聞こえると思っていたから、妙に思った伊丹は井戸をのぞき込んだ。栗林も「なんでしょうね」と、一緒にのぞき込む。
 すると……、
 井戸の底で、長い金髪の少女が、おでこに大きなコブをつくってプカプカと水に浮かんでいるのが見えたのであった。


    *  *


「テュカ、起きなさい」

 少女の優しい夢は、父親の声に破られた。

「お父さん、どうしたの? 折角いい気持ちで寝てたのに」

 目を擦り擦り、身を起こす。
 見渡して見ると居間にはうららかな日射しが差し込んでいる。
 午睡から無理矢理目覚めさせられたためか、頭がまだはっきりとしない。ただ、自分を起こした父の表情が異様なまでに険しくなっていることには気づいた。
 窓の外からも、雑多な足音や喧噪けんそうが聞こえて来る。集落中が騒ぎに包まれていた。そのただならぬ気配に何か重大なことが起こったのだと感じた。

「どうしたの?」

 その答えは、テュカ自ら悟った。窓の外、その空に巨大な古代龍の姿が見えたからだ。このあたりには龍は棲まない。だから実際に見るのはこれが初めてである。しかし幼い日々、父親から受けた博物学の講義で知識として知っていた。

「あれは、もしかして炎龍っ!?」
「そうだ」

 父が手にしているのは弓だった。これはエルフ一族では一般的な武器だ。さらには、貴重品をしまい込むのに使っているタンスに手をのばし、中からミスリル銀のやじりおおとりの羽根でつくられた矢を取り出そうとしている。
 父が、戦おうとしている!?
 テュカも反射的に、愛用の弓矢に手をのばした。だが、父親の「やめなさいっ」と言う声に止められてしまう。

「どうして?」
「君は、逃げるんだ」
「あたしも戦うわ」
「ダメだ。君に万が一のことがあったら、私はお母さんに叱られてしまうよ」

 父が亡くなった母のことを持ち出すのは、娘に是が非でも言うことを聞かせたい時だ。だが、精神的に自立する年齢を迎えていた娘は父に笑顔で逆らった。

「炎龍が相手じゃどこに逃げても一緒よ。それに、手勢は一人でも多い方が良いでしょ」

 肉食の炎龍が好物とするのはエルフや人間の肉だと言う。ここで炎龍を倒さない限り、どこへ逃げようとも匂いを嗅ぎつけてやって来るに違いない。大地をはいずり回るエルフや人がどれだけ逃げようとも、古代龍にとってはひとっ飛びの距離でしかないのだから。
 窓の外では、戦士達の矢が空に向けて放たれた。風や水の精霊が召喚され、炎龍への攻撃が始まっている。だが、その効果は薄い。
 逆に炎龍から放たれた炎が、誰かの悲鳴と共に家を焼く。避難しようとしていた女子どもがこれに巻き込まれて火だるまになった。
 絶命の金切り声が耳の奥まで響いて、テュカは眉根を寄せる。

「とにかく、ここにいては危ない。外へ出よう」

 父は、娘の手を引いた。娘はしっかりと弓矢を握っていた。
 絹裂く悲鳴がそこかしこから響く。
 戸口から出たテュカが眼にしたのは、幼なじみの少女が炎龍の牙にかけられる瞬間だった。

「ユノっ!」

 愛する親友が食べられてしまう。とっさの判断でテュカは素早く弓矢をつがえた。若いとはいえ、弓を手に産まれてくると言われるエルフである。腕前は確かだった。
 渾身の力で引き絞り狙いを定めて矢を放つ。だがテュカの矢は、はじかれてしまう。
 テュカの矢ばかりではない。エルフの戦士達が無数の矢を龍に浴びせかけていた。だが、そのどれもが分厚い鱗に阻まれて傷一つ負わすことが出来ないでいた。
 バリバリとエルフの少女をかみ砕き飲み込んだ炎龍は、縦長の瞳を巡らせると次なる獲物としてテュカを選んだ。

「ユ、ユノが。ユノが……」

 炎龍に見据えられた瞬間、テュカの全身は恐怖にすくむ。
 逃げようにも足は動かず、叫ぼうにも声すら出ない。龍と視線をあわせてしまうと魂が砕かれるという。この時のテュカは、まさに魂を奪われたかのように動けなく、いや逃げようとすることすら意識にのぼらなくなっていた。

「ダメだ、テュカ!」

 父が矢を番えつつ、精霊に呼びかける。

「Acute-hno unjhy Oslash-dfi jopo-auml yuml-uya whqolgn!」

 風の精霊の助力を得て、閃光のような矢が炎龍の眼に突き刺さった。
 その瞬間、炎龍の叫びが大気を振るわせた。その振動は周囲に居合わせた生きる物全てを引き裂いてしまうのではないかと思わせるほど。
 炎龍はのたうち回るようにして、空へと浮かぶ。

「眼だ、眼を狙え!!」

 戦士達の矢が炎龍の頭部に狙いを集めた。だが大地に降りているならともかく上空に舞い上がった龍の眼を狙うのは、いかに弓兵のエルフといえども難しい。
 炎龍は、自らを傷つけたエルフを選び出し狙いを定めた。
 集落を巨大な炎の柱で焼き払うと、炎龍はその鋭い爪と牙とでエルフの戦士達を蹴散らす。払いのける。踏みつぶす。その牙で食いちぎる。

「テュカ、逃げなさい!!」

 父親は娘を叱咤した。しかし、娘は呆然と立ちすくんだまま。
 ホドリューは娘に手をあげるどころか、声を荒げたことすらない優しい父親である。それは日々の暮らしの中では柔和なだけの甘い父親として見える。しかし、このような危急の時……則ち勇猛さと暴力的な荒々しさをむき出しにしなければならない時、これを発露できる厳しさも兼ね備えていた。
 娘が龍の上顎と下顎の隙間に捕らえられる寸前、父は自らの身体をもって娘をはじき飛ばした。そして、炎龍の顎にレイピアのひと突きを喰らわせる。
 そのまま娘の身体を抱え上げて走りだす。

「来たぞっ!」

 戦士達の精霊への呼びかけは、あたかも合唱のように響く。
 矢が斉射され、その内の数本が炎龍の鱗の隙間へと突き刺さる。口腔こうくうに突き刺さる。爪の付け根へと突き刺さる。
 だが、龍はひるむことなく巨体をもって迫ってきた。
 父は、娘に語り聞かせた。

「君はここに隠れているんだ。いいねっ!」

 そして、娘は井戸の中へと投げ込まれる。
 投げ込まれる最後の一瞬、彼女が見たものは父の背後に広げられた炎龍の巨大な顎。そして鋭い牙だった。


 どれほどの時間を井戸の底で過ごしただろうか。
 集落や森が焼き尽くされていく炎の音。
 井戸の中にまで降り注ぐ火の粉。
 戦士達の怒号。そして悲鳴。
 腰までつかる水の冷たさに震える。ただただ怖くて、恐ろしくて、そして不安で、涙を止めることも出来ない。
 ふと、気がつくと耳に入る音がなくなっていた。
 聞こえるのは自分の呼吸音。心拍の音。あるいは、ささやかに聞こえる水の音だけ。蒼かった空が、いつの間にか黒く暗くなっていた。だが、不思議と井戸の周りは明るかった。集落を焼く炎の光が、井戸の底まで届いているのだ。
 気がつくと、雨が降り始めていた。
 全身が雨に濡れる。顔が濡れる。目に水が入る。だが、どうしても空から目を離すことが出来なかった。

「やぁ、テュカ。無事だったかい?」

 そう言って父が、ひょっこりと顔を出す。そんな光景を何度思い浮かべたことか。
 でも、いくら待ち続けても誰の声もしなかった。
 みんな死んでしまったのではないかという嫌な思いが浮かび上がって、胸が千々ちぢに引き裂かれそうになった。

「お父さん……………助けて」

 やがて、空が明るくなった。夜の黒い空から、昼間の青い空へと移り変わった。
 井戸水は冷たい。寒さと疲れ、そして空腹とでテュカは立っていることも出来なくなっていた。絶望と悲しみとで、あらゆる種類の気力が失われていった。

「このまま、死んじゃうのかな」

 そんな風に思う。だが不思議と怖くなかった。と言うより、このまま死んでしまうことは、何か良いアイデアにも思えるのだ。死んでしまえば、怖れや不安から解き放たれる。孤独の悲しみも、切なさからも逃れられる。あらゆる苦しみからの唯一の救いが死、そんな風に感じられたのだ。
 ふと、井戸の上から何か人の声が聞こえたような気がした。
 朦朧もうろうとした意識で、天を見上げてみる。すると、視界全体に水汲み用のおけのような物が広がっていた。
 こ~んという甲高い音。
 鼻の奥に香辛料を吸い込んだようなツーンとした激痛。視界一杯に広がる火花。

「はへぇ……」

 スウと、彼女の意識が遠のいていった。

「Daijyoubuka! Okiro! Meoakero!」

 ぺちぺちと頬を叩かれる感触、そしてかけられる声。
 霞のかかる視界の向こうで自分をのぞき込む誰かの顔は、どこか彼女の父に似ていた。

「お父……さ……ん」


    *  *


「エルフっすよ、二尉」

 倉田三曹の言葉に、伊丹は「エルフですねぇ」と応じた。

「しかも、金髪のエルフっすよ。くぅ~~希望が出てきたなぁ!」
「お前、エルフ萌えか?」
「違いやす。俺はどっちかって言うと、艶気たっぷりのほうが好みでして。でも、エルフがいたんですから、妖艶ようえんな魔女とか、貞淑ていしゅくな淫魔(女)とか、熱いハートのドラキュリーナとか、清楚せいそな獣娘と出会う可能性アリでしょ? 洒脱な会話の楽しい狼娘も可です」

 伊丹は、十八禁同人誌などに描かれる彼女たちの姿を思い浮かべつつも……こんなのが現実にいたらどうなるんだろうというある種の恐怖感に苛まれた。
 獣娘については、手塚漫画の大作によく似たミュージカルに出演メークを施した女優さんがよい例になるかもしれないと思ったりする。倉田の言うように、妖艶な魔女とかドラキュリーナとかが本当にいたら、きっと萌えるだろう。

「そりぁ、まぁ、あり得る可能性は高くなっているよな」
「いや、絶対にいます!」

 握り拳で何やら力説し、萌え……この場合は燃えている倉田の姿に退きながら、伊丹は「まぁ、がんばれよぉ」と遠くで応援することにした。
 栗林ともう一人のWAC女性自衛官黒川くろかわ二曹が、井戸から引き上げた見た目で十六歳前後の少女の濡れた衣服を脱がせたり、ブランケットシートでくるんだりと手当している。
 その光景を見物しようとすると、栗林二曹の鉄拳制裁で確実に排除されるために男連中は近付くことも出来ないでいた。
 伊丹も、遠巻きに見ているしかない。仕方なく井戸に降りるのに使ったロープとかを片づける。井戸の底に降りた時、水に濡れた服が冷たい。さらには半長靴の中には水が少しばかり入り込んで歩くたびにギュボ、ギュボと言った。
 他の隊員達は携帯円匙えんぴで簡単な埋葬用の穴を掘ったり、集落の状況を記録におさめるために瓦礫がれきの山を掘り返していたりする。人々の生活に使われていた家具什器、あるいは弓矢などの焼け残った品物を集めて、ビデオや写真を撮るのも大切な仕事だ。資料として持ち帰るためである。
 伊丹は、腰を下ろすと半長靴を脱いで逆さにした。するとドドっと水がこぼれ落ちた。このまま履くのは抵抗があるが、裸足で居るわけにもいかないので、背嚢はいのうから取り出した新聞紙を靴の中につっこんで水を吸えるだけ吸わせる。靴下はよく絞ってから履き直す。
 すると黒川二等陸曹(看護師資格有り)がやってきた。
 一応、敬礼してくれるので伊丹も答礼するのだが、身長が一七〇センチになるかならないかの伊丹は黒川二曹を見上げる姿勢になる。黒川は、身長が一九〇センチもあるのだ。
 身長をいろいろと誤魔化してどうにか採用基準ギリギリの栗林と二人ならべて第三偵察隊の凸凹WACと呼ばれていたりする。

「とりあえず体温が回復して参りましたわ。漫画的にできた、おでこのコブもお約束に従ってほどなく消えるでしょう。もう大丈夫だとは思いますが……これから、どういたしましょう? 私たちは、いつまでもここに居るわけにも参りませんし、でも女の子をここに一人だけ残していくのも何やら不人情な気もいたします」

 と、ゆったりとしたお淑やか口調で黒川は語った。
 小柄な栗林が気が短くて勇猛果敢なのに対して、大柄な黒川がのんびり屋でお淑やかという性格の対比が妙である。

「見たところココの集落は全滅してるし、助け出したものを放り出していくわけにもいかないでしょ。わかりました、保護ということにして彼女をお持ち帰りしましょ」

 黒川はニッコリと笑った。この女の側にいると時間がゆっくりと流れているような気がして来るから不思議だ。

「二尉ならばそうおっしゃって下さると思っていましたわ」
「それって、僕が人道的だからでしょ?」
「さぁ? どうでしょうか。二尉が、特殊な趣味をお持ちだからとか、あの娘がエルフだからとか、色々と理由を申し上げては失礼になるかと存じます」

 伊丹は、大きな汗の粒が額から頬をつたって喉を経てえりに潜り込み、服の下へと落ちていくのを感じた。


 本来の予定であれば、あと二~三カ所の集落巡りをすることになっている。だが、保護したエルフの娘を連れ回すわけにも行かない。そのために伊丹は、来た道をたどってアルヌス駐屯地へと帰還することにした。アンテナ立てて本部にお伺いを立てたところ、「ま、いいでしょ。いいよ、早く帰ってこいや」という感じの返事が来た。

「桑原曹長……そんなことで宜しくお願いします。まずはコダ村に戻りましょう」

 伊丹はそう言うと、さっさと高機動車の助手席に乗り込んでしまう。運転は倉田、後部席で桑原が全体の指揮をする。また保護したエルフの看護のために、黒川が乗り込んでいた。
 第三偵察隊は、再び走り出した。
 復路も、往路と同じような平和な光景が広がっていた。つい今朝方まで、ドラゴンが空を覆い、集落の一つを全滅させたなど思えないほどののどかさだ。
 空は晴れてどこまでも青く、大地は広がっている。
 半日近い行程を、砂煙を巻き上げながらただひたすら走り抜ける。来る時と違ってスピードが出ているせいか、偵察隊にはなんとなく逃げるような気分が満ちていた。

「ドラゴンが来たら嫌だなぁ」
「言うなって。ホントになったらどうするんよ」

 運転席から聞こえた言葉に思わずつっこむ伊丹。
 舗装などされていない道だ。サスペンションも路面の振動を吸収しきれず、車は上下に激しく揺れた。
 黒川がエルフの少女の血圧や脈を測って、首を傾げながら呟いた。
「エルフの標準血圧ってどのくらいでしょう? 脈拍は?」などと尋ねてきて伊丹を閉口させながらも、バイタルの数値は安定している。人間を基準とするならば低いけれど、と報告してきた。

「大丈夫かな?」
「呼吸は落ち着いてますし、血圧も脈拍、体温とも安定。不自然に汗をかくということもないですし……人間ならば、大丈夫と申し上げたいところなのですが」

 エルフの生理学など知らない黒川としてはそう答えるしかない。伊丹は、はやいところ現地人に接触して、エルフ娘の扱いについて相談するのが一番かと考えていた。


 コダ村の人々は、「何だお前ら、また来たのか」という感じで伊丹達を歓迎するでなく、といって嫌悪するわけでもなく、なんとなく迎え入れた。
 伊丹は、村長に話しかけ、教えて貰ったとおり森の中に集落があったが、そこは既にドラゴンに襲われて焼き払われていた、というようなことを辞書を見ながらたどたどしく説明した。

「なんとっ! 全滅してしまったのか? 痛ましいことじゃ」

 伊丹は、小さな辞書をめくりながら単語を選び出す。

「あ~~と。私たち、森に行く。大きな鳥、いた。森焼けた。村焼けた」

 適切な単語がないので『鳥』と言いながらもメモ帳にドラゴンの絵を描いてみせる。こういうイラストは伊丹は得意だったりするのだ。
 長老は、そのイラストを見て血相を変えた。

「こ、これは古代龍じゃ。しかも炎龍じゃよ」

 伊丹の辞書に単語が増える。古代龍を意味する単語が付け加えられ、現地でなんと発音するのかが、ローマ字で表記された。

「ドラゴン、火、だす。人、たくさん、焼けた」
「人ではなく、エルフであろう。あそこに住んでいたのはエルフじゃよ」

 村長はこの世界の言葉で『re-namu』と何度か繰り返した。伊丹は、辞書の『え』の覧に『エルフ/re-namu』と書き込む。

「そうです。そのエルフ、たくさん死んでいた」
「わかった、よく教えてくれた。すぐに近隣の村にも知らせねばならぬ。エルフや人の味を覚えたドラゴンは、腹を空かしたらまた村や町を襲って来るのじゃよ」

 村長はお礼かたがた伊丹の手を握る。そして人を呼ぶよう家族や周囲に声をかけてまわった。
 ドラゴンがエルフの集落を襲ったという知らせに、村人達は血相を変えて走り出した。

「一人、女の子を助けた」

 伊丹の言葉に、村長は「ほぅ」と顔を上げた。村長を高機動車の荷台へつれて行き意識無く横たわる金髪の少女を見せた。

「痛ましい事じゃ。この娘一人を残して全滅してしまったのじゃな」

 村長は、エルフ娘の金髪頭をひと撫でした。種族こそ違え、このコダ村とエルフの集落とはそれなりの交流があったのだ。
 エルフは森を守り、狩猟で入り込む猟師が森の深部に入りこまないようにと牽制しながらも、負傷したり迷ったりと困窮していれば助け、時には保護して送り返してくれる。
 互いに干渉しない、距離を置いた、しかし敬意を払い合う関係とでも言うべきか。そんな関係が両者の間にはあったのだ。

「あ~と……この子、村で保護……」

 伊丹の言うことは理解できる。だが、村長は首を振った。

「種族が違うので習慣が異なる。エルフはエルフの集落で保護を求めるのが良い。それに、我らはこの村から逃げ出さねばならぬ」
「村、捨てる?」
「逃げるのじゃよ。知らせて貰えねば、そんな暇もなく我らは全滅してしまったろうに。ホントに感謝するぞ」


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