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1接触編
1接触編-1
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序
二〇××年 夏
その日は、蒸し暑い日であったと記録されている。
気温は摂氏三十度を超え湿度も高く、ヒートアイランドの影響もあって街は灼熱の地獄と化していた。にもかかわらず土曜日であったために、多くの人々が都心へと押し寄せ、買い物やウィンドウショッピングを楽しんでいる。
午前十一時五十分。
陽光は中天にさしかかり、気温もいよいよ最高点に達しようとした頃、東京都中央区銀座に突如『異世界への門』が現れた。
中から溢れだしたのは、中世ヨーロッパの鎧に似た武装の騎士と歩兵。そして……ファンタジーの物語や映画に登場するようなオークやゴブリン、トロルと呼ばれる異形の怪異達だった。
彼らは、たまたまその場に居合わせただけの人々へと襲いかかった。
老いも若きも男も女も、人種国籍すら問われなかった。それは、あたかも殺戮そのものが目的であるかのようだった。平和な国の平和な時代であることに慣れ親しんだ人々に抵抗の術はなく阿鼻叫喚の惨劇の中で次々と倒れていった。
買い物客が、親子連れが、そして海外からの観光客達が次々と馬蹄に踏みにじられ、槍を突き刺され、そして剣によってその命を絶たれた。累々たる屍が街を覆い尽くし、銀座のアスファルトは血の色で赤黒く舗装された。その光景にあえて題字をつけるならば『地獄』。異界の軍勢は、積み上げた屍の上にさらなる屍を積み、そうして出来た肉の小山に漆黒の軍旗を掲げたのである。そして彼らの言葉で、声高らかにこの地の征服と領有を宣言した。それは聞く者の居ない一方的な宣戦布告だった。
『銀座事件』
歴史に記録される異世界と我らの世界との接触は、後にこのように呼ばれることとなった。
* *
時の首相、北条重則は国会で次のような答弁を行っている。
「当然のことであるが、その土地は地図に載ってはいない。
どんな自然があり、どんな動物が生息するのか。そして、どのような人々が暮らしているのか。その文化レベルは? 科学技術のレベルは? 宗教は? 統治機構の政体すらも不明である。
今回の事件では、多くの犯人を逮捕した。
逮捕などという言葉を用いるのも、もどかしく感じる。これと言うのも、憲法や各種の法令がかかる事態を想定していないからである。そして我が国が、有事における捕虜の取り扱いについての法令を定めていないからでもある。現在の我が国の法令に従えば、彼らは刑法を犯した犯罪者でしかないのだ。
ならば、強弁と呼ばれるのも覚悟で特別地域を日本国内と考えることにする。
『門』の向こう側には、我が国のこれまで未確認であった土地があり、住民が住んでいると考えるのである。向こう側に統治機構が存在するとしても、これと交渉し国境を確定して、国交を結ばなければ独立した国家としては認められない。現段階では、彼らは無辜の市民と外国人観光客の命を奪った武装勢力でありテロリストなのだ。
彼らと平和的な交渉をという意見があることも承知している。だが、それをするには相手を交渉の席に座らせなければならない。だがどうやって? 現実的に我々は『門』の向こう側と交渉を持っていないのに。
我々は『門』の向こう側に存在する勢力を、我々との交渉のテーブルに着かせなければならないのだ。力ずくで、頭を押さえつけてでもだ。
交渉を優位に進めるには、相手を知る必要もある。
逮捕した犯人達……言葉が通じない彼らからも、少しずつ情報を得ることが出来るようになった。だが、それだけを頼りにするわけにもいかない。誰かがその眼と耳で確かめるために赴かなければならないだろう。
従って、我々は『門』の向こう側へと踏み入る必要があるのだ。
だが、無抵抗の民間人を虐殺するような、野蛮かつ非文明的な土地へと赴くのである。相応の危険を覚悟しなければならないだろう。
まずは、非武装と言うわけにもいかない。さらに特別地域内の情勢によっては、交戦することも考えられる。未開の地で誰を味方とし、誰を敵とするか、その判断も現場にある程度委ねなければならない。
何も、危ないところへわざわざ行く必要はない。いっそのこと、『門』が二度と開かれることのないように破壊してしまえばよいという意見が、野党の一部から出ていることも承知しているが、ただ扉を閉ざしてこれで安全だと言い切れるのだろうか?
これから日本国民は、同じような『門』が今度はどこに現れるかという不安を抱えて生活しなくてはならなくなる。今度、あの『門』が開かれるのはあなた方の家の前、家族の前かもしれない。さらには、被害者やご遺族への補償をどうするかという問題もある。
もし、特別地域に統治機構があってそこに責任者がいると言うのであらば、我が国の政府としては、今回の事件について誠意のある謝罪と補償、そして責任者の引き渡しを断固として求めなければならない。
もし相手方がこれに応じないならば、首謀者を我らの手で捕らえ裁きにかける。資産等があればこれを力ずくにでも差し押さえて、遺族への補償金に充てる。これは、被害者やご遺族の感情からみても当然のことである。従って、我が日本国政府は、『門』の向こうに必要な規模の自衛隊を派遣することと決定した。その目的は調査であり、かつ銀座事件の首謀者逮捕のための捜査であり、補償獲得のための強制執行である」
特別地域自衛隊派遣特別法案は、野党の一部が反対するなか、衆参両議院で可決された。
なお、アメリカ合衆国政府は、「『門』の内部の調査には、協力を惜しまない」との声明を発表している。北条総理は「現在の所は必要ではないが、情勢によってはお願いすることもありえる。その際はこちらからお願いする」と返答している。
また、中国政府は、『門』という超自然的な存在は、国際的な立場からの管理がなされることが相応しい。日本国内に現れたからと言って、一国で管理すべきではない。ましてや、そこから得られる利益を独占するようなことがあってはならないとのコメントを発表した。
* *
「あえて言上いたしますが大失態でありましたな。この未曾有の大損害に際して、いかなる対策を講じられるおつもりか、陛下のお考えを承りとう存じます」
元老院議員であり、貴族の一人でもあるカーゼル侯爵は、議事堂中央に立って玉座の皇帝モルト・ソル・アウグスタスに向けて歯に衣着せぬ言葉を突きつけた。
元老院議員は議場内であれば、至尊の座を占める者に対してもそれをすることが許されていたし、またそれをすることが求められていると確信していたからでもある。
薄闇の広間。
そこは厳粛であることを旨に、華美な飾り付けを廃し静謐と重厚を感じさせる石造りの議事堂だった。円形の壁面にそって並べられたひな壇に、いかめしい顔つきの男達が座って、中央をぐるりと囲んでいる。
数にしておよそ三百人。帝国の支配者階級の代表たる、元老院議員達であった。
この国において元老院議員となるには、いくつかのルートが存在する。その一つが権門の家に生まれること。何処の国であっても、貴族とは稀少な存在であるが、この巨大な帝国の首都では石を投げれば貴族に当たると言われているほどに数が多いのだ。従って、ただ貴族の一人として生まれただけでは、名誉ある元老院議員の席を得ることはかなわない。貴族の中の貴族と言われるほどの名門、権門の一員でなければ、元老院議員とはなれないのである。
では、権門でもなく名門でもない家に生まれた貴族は、永遠に名誉ある地位を占めることは出来ないかというと、そうでもないのである。その方法として開かれている道が、大臣職あるいは軍において将軍職以上の位階を経験することであった。
国家の煩雑且つ膨大な行政を司るには官僚の存在が不可欠である。権門ではないが貴族の一族として生まれ、才能に恵まれた者が立身を志したなら、軍人か官僚の道を選ぶという方法が存在した。軍や官僚において問われるのは実務能力である。名ばかり貴族の三男坊であっても、才能と勤労意欲、そして幸運さえあればこの道を進むことも可能なのである。
大臣職は宰相、内務、財務、農務、外務、宮内の六職ある。軍人となるか官僚となる道を選び、大臣か将軍の職を経験した者は、その職を退いた後に自動的に元老院議員たる地位が与えられる。ちなみに将軍職については、出身階級が平民であっても就くことが出来る。と言うのも士官になると騎士階級に叙せられ、位階を進めるにつれ貴族に名を連ねることも可能だからである。
カーゼル侯爵は、男爵という貴族としてはあまり高いとは言えない位階の家に生まれた。そこからキャリアを積み、大臣職を経て元老院議員たる席を得たのである。そうした努力型の元老院議員は、自らの地位と責任を重く受け止める傾向がある。要するに張り切りすぎてしまうのである。得てしてそういう種類の人間は周囲からは煙たがられるもので、そして煙たがられれば煙たがられるほど、より鋭く攻撃的な舌鋒になってしまうのだ。
「異境の住民を数人ばかり攫ってきて、軟弱で戦う気概もない怯懦な民族が住んでいると判断したのは、あきらかに間違いでした」
もっと長い時間をかけて偵察し、可能ならばまずは外交交渉をもって臨み、与し易い相手かどうかを調べ上げるべきだった、と畳みかけた。
確かに、現在の情勢は最悪である。
帝国の保有していた総戦力のおよそ六割を、今回の遠征で失ってしまったのだ。この回復は不可能でないにしても容易ではなく、莫大な経費と時間を必要とするだろう。
当面は、残りの四割で帝国の覇権を維持していかなくてはならない。だが、どうやって?
モルト皇帝は即位以来の三十年、武断主義の政治を行ってきた。周辺を取り囲む諸外国や、国内の諸侯・諸部族との軋轢、諍いを武力による威嚇とその行使によって解決して、帝国による平和と安寧を押しつけてきた。その圧倒的な軍事力を前にしてはいかなる国も恭順の意を示すより他はなく、あえて刃向かった者は全て滅んでいった。
諸侯の帝国に対する反感がどれほど強かろうと、圧倒的な武威を前にしてはそれを隠すしかない。帝国は、この武威によって傲慢かつ傍若無人に振る舞うことが許されてきたのである。
だが、覇権の支柱たる圧倒的な軍事力の過半を失った今、これまで隠忍自重をつづけてきた外国や諸侯・諸部族がどう動くか?
帝国におけるリベラルの代表格となったカーゼル侯爵は、法服たるトューガ(トーガに似た正装)の裾をはためかせるように手を振り、声を張りあげて問いかけた。
「陛下! 皇帝陛下は、この国を、どのように導かれるおつもりか!?」
カーゼル侯爵が、そのように演説を結んで席に着くと、皇帝は重厚さを感じさせるゆっくりとした所作で、玉座の身体をわずかに傾けた。その視線はゆらぐことなく、自らを指弾した論客へと真っ直ぐに向いていた。
「侯爵……卿の心中は察するものである。此度の損害によって帝国が有していた軍事的な優位が一時的にせよ失せていることも確かなのだから。外国や諸侯達が隠していた反感を顕わにし、一斉に反旗を翻し鋭い槍先をそろえて帝都まで進軍して来るのではないかと、恐怖に駆られて夜も眠れないのであろう? 痛ましいことである」
皇帝のからかうような物言いに、厳粛な議場の空気がくぐもった嘲笑で揺れた。
「元老院議員達よ、二百五十年前のアクテクの戦いを思い出してもらいたい。全軍崩壊の報を受けた我らの偉大なる祖先達が、どのように振る舞ったか? 勇気と誇りを失い、敗北と同義の講和へと傾く元老院達を叱咤する、女達の言葉がどのようなものであったか?
『失った五万六万がどうしたというのか? その程度の数、これで幾らでも産んでみせる』と言ってスカートをまくって見せた女傑達の逸話は、あえて言うまでもないだろう?
この程度の危機は、帝国開闢以来の歴史を紐解けば度々あったことである。わが帝国は、歴代の皇帝、元老院、そして国民がその都度、心を一つにして難事に立ち向かい、さらなる発展を成し遂げてきたのである」
皇帝の言葉は、この国の歴史であった。
元老院に集う者にとっては、改めて聞かされるまでもなく誰もがわきまえていることであった。
「戦争に百戦百勝はない。だから此度の戦いの責任の追及はせぬ。敗北の度に将帥に責任を負わせていては、指揮を執る者がいなくなってしまう。まさかと思うが、他国の軍勢が帝都を包囲するまで、裁判ごっこに明け暮れようとする者はおらぬな?」
議員達は、皇帝の問いかけに対して首を横に振って見せた。
誰の責任も問われないとなれば、皇帝の責任を問うことも出来ない。カーゼルは、皇帝が巧みに責任を回避したことに気付いて舌打ちをした。ここであえて追及を重ねれば、小心者と罵倒された上に、裁判ごっこをしようとしていると言われかねない雰囲気になっていたのだ。
さらに皇帝は続けた。
此度の遠征では熟練の兵士を集め、歴戦の魔導師をそろえ、オークもゴブリンも特に凶暴な個体を選抜した。
十分な補給を整え、訓練を施し、それを優秀な将帥に指揮させた。これ以上はないという陣容と言えよう。
将帥が将帥たる責務、百人隊長が百人隊長たる責務、そして兵が兵たる責務を果たすよう努力したはずだ。
にもかかわらず、七日である。
『門』を開いてわずか七日ばかり。敵の本格的な反撃が始まってからを数えるならば、二日で我が軍は壊滅してしまったのだ。
将兵の殆どが死亡するか捕虜となったようだ。ようだ、と推測することしか出来ないのも生きて戻れた者が極めて少ないからである。
今や『門』は敵に奪われてしまった。『門』を閉じようにも、『門』のあるアルヌスの丘は敵によって完全に制圧されて、今では近付くことも出来ないでいる。
これを取り戻そうと、数千の騎兵を突撃させた。だがアルヌスの丘は、人馬の死体が覆い尽くし、その麓には比喩でなく血の海が出来てしまった。
「敵の武器のすごさがわかるか? パパパ! だぞ。遠くにいる敵の歩兵がこんな音をさせたと思ったら、味方が血を流して倒れているんだ。あんな凄い魔術、儂は見たこともないわ」
魔導師でもあるゴダセン議員が、敵と接触した時の様子を興奮気味に語った。
彼と彼の率いた部隊は、枯れ葉を掃くようになぎ倒され、丘の中腹までも登ることが出来なかった。ふと気づいた時には静寂があたりを押し包み、動く者は己を除いてどこにもいない。見渡す限りの大地を人馬の躯が覆っていたと述懐した。
皇帝は瞑目して語る。
「既に敵はこちら側に侵入してきている。今は門の周りに屯して城塞を築いているようだが、いずれは本格的な侵攻が始まるだろう。我らは、アルヌス丘の異界の敵と、周辺諸国の双方に対峙していかなければならない」
「戦えばよいのだっ!」
禿頭の老騎士ポダワン伯爵は、立ち上がると皇帝に一礼して、主戦論をもって応じた。
「窮している時こそ、積極果敢な攻勢が唯一の打開策じゃ。帝国全土に散らばる全軍をかき集めて、逆らう逆賊や属国どもを攻め滅ぼしてしまえ! そして、その勢いを持ってアルヌスにいる異界の敵をうち破る! その上で、また門の向こう側に攻め込むのじゃ!」
議員達は、あまりに乱暴な意見に「それが出来れば苦労はない」と、首を振り肩をすくめつつヤジの声を投げた。全戦力をかきあつめれば、各方面の治安や防衛がおろそかになってしまう。皆が口々に罵声を放ちあって、議場は騒然となった。
ポダワンは、逆賊共は皆殺しにすればよい。皆殺しにして、女子どもは奴隷にしてしまえばよい。街を廃墟にし、人っ子一人としていない荒野に変えてしまえば、もうそこから敵対する者が現れる心配などする必要もなくなる……などと、過激すぎる意見で返していた。非現実的なことのようだが、歴史的に見れば帝国にはその前科がある。
帝国がまだ現在よりも小さく、四方の全てが敵であった頃、敵国をひとつずつ攻略しては住民全てを奴隷とし、街を破壊し、森は焼き払い農地には塩をまいて不毛の荒野とし、周囲を完全な空白地帯とすることで安全を確保したのである。
「それが出来たとしても一体全体どうやってアルヌスの敵を倒す? 力ずくでは、ゴダセンの二の舞を演じることになろうな?」
議場の片隅から飛んできた声に対して、ポダワン伯は苦虫を噛みつぶしたような表情をしながらも、苦しげに応じる。
「う~そうじゃな……属国の兵を根こそぎかき集めればよい。四の五の言わせず全部かき集めるのじゃ。さすれば数だけなら十万にはなるじゃろて。弱兵とは言え矢玉除けにはなる。その連中を盾にして、遮二無二、丘に向かって攻め上ればよいのじゃよ!」
「連中が素直に従うものか!」
「そもそもどんな名目で兵を供出させる? 素直に軍の過半を失いましたから、兵を出して下さいとでも頼むのか? そんなことをしたら、逆に侮られるぞ」
カーゼル侯は、空論を振りかざして話をまとまりのつかない方向へとひっぱっていこうとするポダワン伯という存在を苦々しく思った。
タカ派と鳩派双方からの聞くに耐えない言葉の応酬が始まり、議場は掴み合いに陥りかねない雰囲気が漂いだした。
「ではどうしろと言うのか!?」
「ひっこめ戦馬鹿!」
議員達は冷静さを失って乱闘寸前にまでヒートアップする。
時間だけが虚しく過ぎ去って行く。わずかに理性を残す者もこのままではいけないと思うものの、紛糾する会議をまとめることが出来ないでいた。
そんな中で、皇帝モルトが立ち上がる。
発言しようとする皇帝を見て、罵り合う議員達も口を噤んで静かになっていった。
「いささか乱暴であったが、ポダワン伯の言葉は示唆に富んでおった」
それを受けてポダワンは、皇帝に恭しく一礼した。
皇帝の威厳を前にして議員達は冷静さを取り戻していく。皇帝が次に何を言うのか聞こうとし始めているのだ。
「さて、どのようにするべきかだ。このまま事態が悪化するのを黙って見ているのか? それも一つの方法ではある。だが、余はそれは望まない。となれば、戦うしかあるまい。ポダワン伯の進言を採用し、属国や周辺諸国の兵を集めるが良いであろう。各国に使節を派遣せよ。ファルマート大陸侵略を窺う異世界の賊徒を撃退するために、援軍派遣を求めるとな。我らは連合諸王国軍を糾合し、アルヌスの丘へと攻め入る」
「連合諸王国軍?」
皇帝の言に元老院議員達は、ざわめいた。
今から二百年ほど前に東方の騎馬民族からなる大帝国の侵略に対抗するため、大陸諸王国が連合してこれと戦ったことがあった。それまで相争っていた国々が集うのに、「異民族の侵攻に対して仲間内で争っている場合じゃない」という心理が働いたのである。不倶戴天の敵として争っていたはずの列国の王達が、騎士達が、馬を並べて互いに助け合い異民族へと向かっていく姿は、今では英雄物語の一節として語られている。
「それならば、確かに名分にはなるぞ」
「いやしかし、それはあまりにも……」
そう。そもそも『門』を開いて攻め込んだのはこちらではなかったか? 皇帝の言葉はその主客を転倒させていた。こちらから攻め込んでおいて、「異世界からの侵略から大陸を守るため」と称して各国に援軍を要請するとは、厚顔無恥にもほどがあるのではないか。……それをあえて口にする者はいなかったが。
とはいえ「帝国だけでなくファルマート大陸全土が狙われている」と檄を飛ばせば、各国は援軍を送ってよこすだろう。要するに、事実がどうであるかではなく、どう伝えるかと言うことだ。
「へ、陛下。アルヌスの麓は、人馬の躯で埋まりましょうぞ?」
カーゼル侯の問いに、皇帝モルトは嘯くように告げる。
「余は必勝を祈願しておる。だが戦に絶対はない。故に、連合諸王国軍が壊滅するようなこともありうるやも知れぬ。そうなったら、悲しいことだな。そうなれば帝国は旧来通りに諸国を指導し、これを束ねて、侵略者に立ち向かうことになろう」
周辺各国が等しく戦力を失えば、相対的に帝国の優位は変わらないということである。
「これが今回の事態における余の対応策である。これでよいかなカーゼル侯?」
皇帝の決断が下った。
カーゼルは連合諸王国軍の将兵の運命を思って、呆然とした面持ちとなった。
周囲は、そんなカーゼルら鳩派を残し、皇帝に向かい深々と頭を下げると、粛々と各国への使節を選ぶ作業へと移ったのである。
* *
打ち上げられた照明弾が、漆黒の闇を切り裂き大地を煌々と照らす。
彼らがみずからをして『コドゥ・リノ・グワバン』と呼ぶ、敵の突撃が始まった。
人工の灯りと、中空に打ち上げられた照明弾によって、麓から押し寄せる人馬の群れが浮かび上がる。
重装騎兵を前面に押し立て、オークやトロル、ゴブリンといった異形の化け物が大地を埋め尽くして突き進んで来る。その後ろには、方形の楯を並べた人間の兵士が続いていた。
上空には、人を乗せた怪鳥の群れが見える。
数にして、数千から万。はっきり言って数えようがない。
監視員が無線に怒鳴りつけていた。
「地面三分に、敵が七分。地面が三分に敵が七分だ!!」
敵意が、静かに、ひたひたと押し寄せて来る。
哨所からの知らせを受けた、陸上自衛隊特地方面派遣部隊・第五戦闘団第502中隊の隊員達は交通壕を走ると、第二区画の各々に指定された小銃掩体へと飛び込んで、担当範囲へ向けて銃を構えた。
陸自の幕僚達は、今回の特地方面派遣部隊を編成するに当たっては、かなり苦心惨憺していた。なにしろ、文明格差のある敵である。槍や甲冑で身を固めた敵と対峙した経験を持つ者などどこにもいないし、魔法やら、ファンタジーな怪異、幻想種への対処法に至っては、知るよしもない。
そこで彼らは、小説や映画にアイデアを求めることとした。
自衛隊のPX(売店)では自衛隊が戦国時代にタイムスリップする小説はもとより、漫画、挙げ句の果てに新旧の映画版やテレビ版のDVDが飛ぶように売れたという。さらにはファンタジーの映画やアニメを求めて幹部自衛官が秋葉原の書店に列を作るという、笑っていいのかいけないのか分からない事態すらおこっている。
M氏やT氏といった高名なアニメ監督や小説家などが、市ヶ谷に集められて参考意見を求められたという話までもがまことしやかに語られているほどなのだ。
そして彼らは某かの結論を下すと、全国の各部隊から合わせて三個師団相当の戦力を抽出したのである。
それは一尉~三尉の幹部と三等陸曹以上の陸曹を集中するという特異な編成であった。
その理由としては、首相の答弁にある『未開の地で誰を味方として、誰を敵とするか』という高度な判断力を現場の指揮官に求める必要があるからと説明しているが、それだけではないことは、誰の目にも明らかだった。
特地方面派遣部隊は、かき集められた装備にも特徴があった。比較的古い物が多く見られるということである。まず隊員達の携行する小銃は六四式小銃。集結した戦車は七四式だった。全て新装備が導入されたことで、第一線からは姿を消しつつあるものだ。
「在庫一斉処分」などと口の悪い最先任上級曹長は語っている。そういう側面がないとも言えないが、そればかりが理由ではないのだ。
六四式小銃が選択されたのは八九式の5・56㎜弾では、槍を構えて突っ込んで来る重量級のオークを止めることが出来なかったからだ。さらに同銃の銃剣で敵を刺突すると、鋸状になっている鎬が鎧やチェーンメイル等の防具にひっかかって、そのまま抜けなくなってしまった事例が多く報告されたのだ。
その上、情勢によっては装備を放棄して撤退しなければならない事態も想定されている。一両数億円もする高価な兵器を、簡単にうち捨ててくるわけにはいかないので、廃棄しても惜しくない、廃棄予定あるいは既に廃棄済みであるが、手続きの遅れによって倉庫等に眠っていた装備をかき集めたのである。
六四式小銃を持つ者は二脚を立てて、照星と照門を引き起こす。配られた弾が常装薬なので、規整子は『小』にあわせた。
ある者は5・56㎜機関銃のミニミを構え、カチカチと金属製ベルトリンクで繋がれた弾帯を押し込んでいる。(六二式機関銃は、陸曹や幹部が血相を変えて「俺たちを殺すつもりかぁ」と反対したので、特地には持ち込まれていない。それほど故障が多く、言うことキカン銃と揶揄されていた銃なのだ)
高射特科のスカイシューターをはじめとする、35㎜二連装高射機関砲L90や、40㎜自走高射機関砲M42と言った新旧そして骨董品の対空火器が、上空から近付く怪鳥へと砲口を向けた。
次の照明弾が上げられ、闇夜が再び明るくなった。上空から降り注ぐ光が、夜空を背景にしていた敵を浮かび上がらせる。敵も、その足を速め、足音と言うよりは轟きに近くなっている。
小銃の切り替え軸(安全装置)を「ア」から「レ」へとまわす。
耳に付けたイヤホンから、指揮官の声が聞こえた。
「慌てるなよ、まだ撃つなぁ……」
慣れたわけではないが、これが初めてという訳でもない。自衛官達は近づいて来る敵を前にして息を呑みつつも、号令を待つことが出来た。
敵が、彼らの言葉で『アルヌス・ウルゥ』と呼んでいるこの丘に押し寄せて来るのは、これで三回目。そのうち二回は彼らの失敗だった。大敗北と言って良いはずだ。
この世界の標準的な武器である槍や弓そして剣、防具としての甲冑では、その戦術はどうしても隊伍を整えて全員で押し寄せるという方法となる。時折、火炎や爆発物を用いた攻撃(魔法かそれに類するものではないかと言われている)も行われているが、射程が短い上に数も圧倒的に少ないため、それほどの脅威にならない。そのために、どれほどの数を揃えようとも、現代の銃砲火器を装備した自衛隊の前では敵ではなかったのだ。
黒澤明監督の映画『影武者』で、武田騎馬隊が織田・徳川の鉄砲隊を前にたちまち壊滅するという場面が描かれていたが、それよりもさらに映画的に、人馬の屍が丘の麓を埋め尽くす結果となったのである。
だが、それでもなお彼らはこの丘を取り戻そうと攻撃を始める。
自衛隊もこの地に居座って、アルヌスの丘を守ろうとする。
全てはここに『門』があるからだ。『門』こそが、異世界を繋ぐ出入り口であった。敵はこのアルヌスから銀座へとなだれ込んだのである。東京、そして銀座で起きたあの忌まわしい惨劇を防ぐためには、この『門』を確保し絶対に渡すことは許されない。
奪おうとする。そして守ろうとする。この二つの意志が衝突してついに三度目の攻防戦へと行き着いた。過去の二回の経験を学んだのか、今回は夜襲だった。月の出ていない夜間なら見通しも利かない。夜ならば油断も隙もあり得る……というのが、この世界の感覚だったのだろう。悪い考えとは言えない。が、しかし……次の照明弾があがると、コドゥ・リノ・グワバン将兵の姿が、はっきりと浮かび上がった。
「撃てぇ!」
東京そして日本は、二十四時間営業は当たり前の世界だ。昼だろうと夜だろうと区別無く、列べられた銃口は挨拶代わりとして砲火をもって彼らを出迎えたのである。
01
伊丹耀司二等陸尉(三十三歳)はオタクであった。現在もオタクであり、将来もきっとオタクであり続けるだろうと自任している。
『オタク』と言っても、自分でファンフィクション小説や漫画を描いたり、あるいはフィギュアや球体関節人形を作って愛でたりするという、クリエイティブなオタクではない。もちろんボーカロイドを歌わせたりもしない。他人が「創った」り「描いた」ものへの批評や評価を掲示板に投稿するという、アクティブなオタクでもない。誰かの書いた漫画や小説をただひたすらに読みあさるという、パッシブな消費者としてのオタクであった。
夏季と冬季の同人誌即売会には欠かさず参加し、靖国神社なんかには一度も行ったことがないくせに中野、秋葉原へは休日の度に詣でている。官舎の壁には中学時代に入手した高橋留美子のサイン色紙が飾られていて、本棚には同人誌がずらっと並んでいるありさまだ。法令集や教範、軍事関係の書籍は開くこともないからと本棚でなく、新品状態のままにビニール紐で縛り上げて押入の中に放り込んである。
そんな性向の彼であるから、仕事に対する態度は熱意というものにいささか欠けていた。例えば、演習の予定が入っていても「その日は、イベントがありまして……」と臆面もなく休暇を申請してしまうというように。
彼は嘯く。
「俺はね、趣味に生きるために仕事してるんですよ。だから仕事と趣味とどっちを選ぶ? と尋ねられたら、趣味を優先しますよ」
そんな彼が、よーも自衛官などになったものだと思うのだが、なっちゃったのだから仕方ないのである。
そもそも彼のこれまでは、「喰う寝る遊ぶ、その合間にほんのちょっと人生」と言うに相応しい物であった。彼が昔愛読したマンガにあった「息抜きの合間に、人生やってるんだろ」というセリフが最も合っているように思われる。だからでもないだろうが、競争率の低い公立高校を選んで、あんまり勉強することなく入試に合格。成績は中の下。アニメ・漫画研究会で漫画や小説を読みふける毎日。たまに映画の封切り日には朝早く映画館に列ぶという三年間を過ごしたのだった。
大学は、新設されたばかりで競争率の低そうな学科を選び、これもまたあんまり勉強することなく合格。やはりアニメを観賞し、漫画やライトノベルを読みつづける毎日を過ごすが、在学中無遅刻・無欠席で全ての講義に出席していたこともあって、講師陣の受けはそれなりに良く、「伊丹だから、ま、いいか」と『良』と『可』の成績をもらい四年で卒業。
「就活どうする?」という話題が、学生の間でそろそろ出始めた頃に、彼はしゃかりきになって会社訪問するのは好きじゃないなぁ……などと呟きながら都内某所にある自衛隊地方連絡部(現在は地方協力本部)の事務所の戸を叩いたのである。
「こんな奴、よくも幹部にしたものだ」とは、誰のセリフだっただろうか。
彼の国防意欲というか、熱意に欠ける職務態度に業を煮やした上司が、「お前ちょっと鍛え直して貰ってこい」と有無を言わさず過酷な訓練で定評のある幹部レンジャー訓練に放り込んだ。
案の定、すぐに音を上げて「やめたいんですけど」と電話をかけて来た。
これには彼の上司も困ってしまった。あの手この手で励まし、頑張らせようとしたのだがどうにもならない。そもそも言ってどうにかなるなら最初から苦労しない。疲れ果て、どうしようもなくなって、最後にポツリと呟いた。
「ここで止めたら、年末(二十九、三十、三十一日)の休暇はやらん」
「じゃぁ、頑張ってみます」
伊丹の上司は、自分が口にした何に効果があったのかと、今でも悩んでいると言う。
さて、こんな伊丹が夏のある日、都内某所でおこなわれているイベントに行くために新橋駅で『ゆりかもめ』を待っていたところ、とんでもない事件に出くわした。
後に『銀座事件』と呼ばれるアレである。
突然あらわれた巨大な『門』。
そこからあふれ出た、異形の怪異をふくむ軍勢。
今でこそ『門』の向こう側を、政府は特別地域などと呼んでいるが、伊丹には瞬間的に『異世界』だと理解できた。理解できてしまった。
そしてこう思った。
「くそっ! このままでは、夏の同人誌即売会が中止になってしまう」
その後の彼の活躍は、革新系の大手新聞ですら一面で取り上げざるを得なかったほどである。
霞ヶ関や永田町も襲われ、何が起きているのかわからずただ逃げ回るばかりの政府の役人と政治家たち。命令が来ないために、出動したくても出来ない自衛隊。桜田門以南の官庁街がほぼ壊滅したために指揮系統がズタズタになり、効果的な対応が出来ない警察。
そんな中で伊丹は、付近の警察官を捕まえて西を指さした。
「皇居へ避難誘導してくれ!」
だが、「そんなことできるわけない」という言葉が返ってくる。一般の警察官にとって、皇居内に立て籠もるなどというアイデアは思案の外にあったからだ。
とはいえ、皇居は元より江戸城と呼ばれた軍事施設である。従って数万の人々を収容し、かつ中世レベルの軍勢から守るのにこれほど相応しい施設はない。いや、包囲されているわけでも無いから籠城の必要はない。避難した人々は、半蔵門から西へと脱出すればよいのだ。
伊丹は、指揮系統からはずれつつも懸命に民間人を守ろうとしていた警察官や、避難した民間人の協力を仰いで、皇居へと立て籠もった。皇宮警察がやかましかったが、これも皇居にお住まいの『偉い方』のお言葉一つで鎮まる。
徳川の手によって造られた江戸城は実戦経験のない城塞である。だが、数百年の時を経て平成の世にて初めて城塞としての真価を発揮したのである。
この後、皇居にある近衛と称される第一機動隊、そして市ヶ谷から自主的に出動してきた第四機動隊によって、『二重橋濠の防衛戦』は引き継がれたのであるが、それまでの数時間が、数千からの人を救ったという功績は誰もが認めることである。こうして伊丹は防衛大臣から賞詞を賜った上で二等陸尉へと昇進することとなった。
なっちゃったのである。
で、時が少しばかりたって、特別地域派遣部隊である。
三度目の攻撃を受けた翌朝。
明るくなって見えた光景は、夥しい人馬と怪異の死骸によって大地が埋め尽くされているというものだった。
さらには高射機関砲の40㎜徹甲弾を受けて墜ちた飛竜も横たわっていた。
伝説ではドラゴンの鱗は鉄よりも硬いと語られているが、確かにそのようである。ただ40㎜弾を受けては耐えることは出来なかったようだ。
「ちょっとした地方都市一個分の人口が、まるまる失われたってことか」
伊丹は、これを見て思った。
銀座事件で攻め込んできた敵は、約六万。
第一次から始まって昨晩の第三次攻撃で、およそ六万が死傷(オークやゴブリン等の怪異はこれに含まず)。合わせて十二万もの兵を失っちゃって、敵はどうするつもりなんだろか、と。
この世界の人口がどの程度か知る由もない。何しろ、『門』とその周辺を確保しただけで、まだなんの調査も出来ていないのだから。
だが一般的な常識から考えても、数万の戦力を丸ごと失って、その部族だか国家だかが無事でいられるはずがないのだ。見たところ倒れている兵士の中に、子どもにしか見えない者もいる。実際に子どもなのか、そのような容姿をもった種族なのかは分からないが……。もし、子どもを戦場に送るようならその国の有り様は、最早末期的と言えるだろう。
伊丹ですらこのように感じるのだから、他の幹部達も当然考えていた。
この世界の調査をしなければ、と。
前進して一定の地域を確保するにしても、『門』周辺だけを確保し続けるにしても、さらに進んで敵と交渉するにしても、今後の方針を定めるには情報が不足しているのである。幸いにしてOH‐1型ヘリが撮ってきた航空写真から周辺の地図は起こすことができた。滑走路が開けば、無人偵察機を飛ばすこともできるだろう。従って、次はどんな人間が住んでいるか、人口や人種、産業、宗教そして政治形態がどのようになっているか、そして住民の性格はどういうものかの調査をしたいところだ。
どうやって、調査するのか。
もちろん、直接行って見るのである。
「それがいいかも知れませんねえ」
「それがいいかもじゃない! 君が行くんだ」
檜垣三等陸佐は、物わかりの悪い部下に疲れたように言った。
伊丹は、新しく上司となった男の言葉に首を傾げた。
自分は員数外の幹部として第五戦闘団に所属しているおまけみたいな二尉だ。調査という任務はわからなくもないが、その為の部下を持っていなかったのである。
「まさか、一人で行けと?」
それも、気楽でいいかなと思わなくもない。
「そんなことは言うわけないだろう。とりあえず六個の深部情報偵察隊を編成する。君の任務はその内の第三の指揮だ。担当地域の住民と接触し民情を把握せよ。可能ならば、事後の今後の活動に協力が得られるよう、友好的な関係を結んできたまえ」
「はぁ……ま、そう言うことなら」
こうして伊丹は後頭部をポリポリと掻きながら、第三偵察隊の隊長となったのである。
* *
アメリカ合衆国
ホワイトハウス
「大統領閣下。東京に現れた『門』に関する、第六次報告です」
大統領のディレルは、カリカリに焼き上げた薄切りのトーストにバターとジャムを重ねて塗ったものをサクッと囓ると、彼の優秀なスタッフが差し出した報告書を受け取った。
大統領は表紙を含めて数枚ばかりめくる。さっと目を通した程度で、テーブルの上にポンと放り出した。
「クリアロン補佐官。この報告によると、日本軍は折角『門』の向こう側へ立ち入ったのに『門』の周囲を壁で囲んで、亀の子みたいに首を引っ込めて立て籠もっている。そういうことなのだね?」
「その通りです、閣下。自衛隊は守備を固めて動いていません」
Army(軍)ではなくSelf Defense Force(自衛隊)だと、さりげなく訂正する補佐官。だが大統領はそれに気づかないのかそのまま話を続けた。
「ふむ……圧倒的な技術格差。高度な訓練を受けた優秀な兵士。いったい何を躊躇う必要がある? 君の考えを述べたまえ」
「大統領閣下、ご説明いたします。日本は、かつての大戦の教訓から学んだのです。いかに強力な戦力を有しているとは言え、広大な地域を制圧支配しようとするには、その戦力は不足します。選択しうるオプションとしては、特別地域の政治状況を明確に見極め、要点を押さえるという戦略しかありません」
そのことは中級指揮官の層を異常なまでに厚くした特地派遣部隊の編成からも窺い知ることが出来る。『門』を確保する段階を終えて、現在は特別地域の各地に小部隊を派遣し、情報収集や宣撫工作にあたらせる、といったところだろう。
大統領はナプキンで口元についたバターをぬぐうと、目の前の部下を一瞥した。
「つまり、日本軍の現状は特別地域の情勢を窺っているからだと言うのだね?」
「そのとおりです大統領閣下。北条首相は石橋を叩く男のようです。成果を急いでいません」
大統領は、ススッとコーヒーを口に含んだ。
銀座事件を受けた後の強腰の態度をとった北条は、空前の支持率を受けて政権が安定している。だから成果を急ぐ必要がないと言うのである。
我が身を振り返ればディレルは支持率が急落している。早急に具体的な成果をあげて国民に示さなければならない。それが彼の立場だった。
「補佐官、『門』はフロンティアだ」
「その通りです、大統領閣下」
「『門』の向こう側に、どれほどの可能性が詰まっているか、想像したまえ」
手つかずの資源。圧倒的な技術格差から生ずる経済的な優位。汚染されていない自然。これら全てに資本主義経済は価値を見いだすのである。
資源は存在する。これは間違いがない。
東京に攻め込んできた兵士の武装を解析したところ、ほぼ地球と同じ鉱物資源があることが判明している。それどころか、こちら側ではレアメタル、レアアースとされる稀少資源が、特地では豊富に存在する可能性も指摘されていた。
そして技術格差は、武器の種類や構造から類推することが出来る。
見事な、工芸品と見まがうばかりの細工が施されていたが、所詮は手工業の域を出ないものばかりだ。材質、構造共に不均質で規格といったものは存在してなかった。
これらの武装で身を固めた騎士達が攻め込んで来るという戦術を見れば、その社会構造と生産力までも予想が可能だ。
さらに、こちら側には存在しないファンタジーな怪異、動物、亜人達。これらの生き物が持つ遺伝子情報は、生命科学産業の研究者達にとって宝の山と言えるだろう。
極めつけは『門』である。
この超自然現象を含めた全てに、全世界の科学者達が注目しているのだ。
「ご安心下さい大統領閣下。わが国と日本とは友邦です。価値観を同じくする国であり、経済的な結びつきも強固です。『門』から得る利益は、わが国の企業にも開放されるでしょう。また、そのように働きかけるべきです」
「それでは不足なのだよ」
同様の働きかけならば、既にEU各国が始めている。
中国やロシア、新興諸国も『門』がもたらすであろう利益、資源を狙って水面下の活動を始めていた。
「問題は、どれほどの権益を確保できるかなのだ」
これこそがディレル大統領が国民に示すことの出来る成果となるだろう。
「その為には、わが国はもっと積極的に関与するべきではないかね? 米日同盟の見地から陸軍の派兵を検討しても良いと思うが」
だが、補佐官は残念そうに首を振った。
「我が国は、中近東だけでも手を焼いております。余所様の喧嘩に手を出す余裕はありません」
それに『門』の持つ可能性は、必ずしもよい面ばかりとは限らないのだ。未開の野蛮人を手なずけ教化しようとするなら、多額の予算と人材を長期間にわたって投入しなければならなくなる。かつての植民地時代のように、ただ収奪すればよいという時代ではないのだ。
二〇××年 夏
その日は、蒸し暑い日であったと記録されている。
気温は摂氏三十度を超え湿度も高く、ヒートアイランドの影響もあって街は灼熱の地獄と化していた。にもかかわらず土曜日であったために、多くの人々が都心へと押し寄せ、買い物やウィンドウショッピングを楽しんでいる。
午前十一時五十分。
陽光は中天にさしかかり、気温もいよいよ最高点に達しようとした頃、東京都中央区銀座に突如『異世界への門』が現れた。
中から溢れだしたのは、中世ヨーロッパの鎧に似た武装の騎士と歩兵。そして……ファンタジーの物語や映画に登場するようなオークやゴブリン、トロルと呼ばれる異形の怪異達だった。
彼らは、たまたまその場に居合わせただけの人々へと襲いかかった。
老いも若きも男も女も、人種国籍すら問われなかった。それは、あたかも殺戮そのものが目的であるかのようだった。平和な国の平和な時代であることに慣れ親しんだ人々に抵抗の術はなく阿鼻叫喚の惨劇の中で次々と倒れていった。
買い物客が、親子連れが、そして海外からの観光客達が次々と馬蹄に踏みにじられ、槍を突き刺され、そして剣によってその命を絶たれた。累々たる屍が街を覆い尽くし、銀座のアスファルトは血の色で赤黒く舗装された。その光景にあえて題字をつけるならば『地獄』。異界の軍勢は、積み上げた屍の上にさらなる屍を積み、そうして出来た肉の小山に漆黒の軍旗を掲げたのである。そして彼らの言葉で、声高らかにこの地の征服と領有を宣言した。それは聞く者の居ない一方的な宣戦布告だった。
『銀座事件』
歴史に記録される異世界と我らの世界との接触は、後にこのように呼ばれることとなった。
* *
時の首相、北条重則は国会で次のような答弁を行っている。
「当然のことであるが、その土地は地図に載ってはいない。
どんな自然があり、どんな動物が生息するのか。そして、どのような人々が暮らしているのか。その文化レベルは? 科学技術のレベルは? 宗教は? 統治機構の政体すらも不明である。
今回の事件では、多くの犯人を逮捕した。
逮捕などという言葉を用いるのも、もどかしく感じる。これと言うのも、憲法や各種の法令がかかる事態を想定していないからである。そして我が国が、有事における捕虜の取り扱いについての法令を定めていないからでもある。現在の我が国の法令に従えば、彼らは刑法を犯した犯罪者でしかないのだ。
ならば、強弁と呼ばれるのも覚悟で特別地域を日本国内と考えることにする。
『門』の向こう側には、我が国のこれまで未確認であった土地があり、住民が住んでいると考えるのである。向こう側に統治機構が存在するとしても、これと交渉し国境を確定して、国交を結ばなければ独立した国家としては認められない。現段階では、彼らは無辜の市民と外国人観光客の命を奪った武装勢力でありテロリストなのだ。
彼らと平和的な交渉をという意見があることも承知している。だが、それをするには相手を交渉の席に座らせなければならない。だがどうやって? 現実的に我々は『門』の向こう側と交渉を持っていないのに。
我々は『門』の向こう側に存在する勢力を、我々との交渉のテーブルに着かせなければならないのだ。力ずくで、頭を押さえつけてでもだ。
交渉を優位に進めるには、相手を知る必要もある。
逮捕した犯人達……言葉が通じない彼らからも、少しずつ情報を得ることが出来るようになった。だが、それだけを頼りにするわけにもいかない。誰かがその眼と耳で確かめるために赴かなければならないだろう。
従って、我々は『門』の向こう側へと踏み入る必要があるのだ。
だが、無抵抗の民間人を虐殺するような、野蛮かつ非文明的な土地へと赴くのである。相応の危険を覚悟しなければならないだろう。
まずは、非武装と言うわけにもいかない。さらに特別地域内の情勢によっては、交戦することも考えられる。未開の地で誰を味方とし、誰を敵とするか、その判断も現場にある程度委ねなければならない。
何も、危ないところへわざわざ行く必要はない。いっそのこと、『門』が二度と開かれることのないように破壊してしまえばよいという意見が、野党の一部から出ていることも承知しているが、ただ扉を閉ざしてこれで安全だと言い切れるのだろうか?
これから日本国民は、同じような『門』が今度はどこに現れるかという不安を抱えて生活しなくてはならなくなる。今度、あの『門』が開かれるのはあなた方の家の前、家族の前かもしれない。さらには、被害者やご遺族への補償をどうするかという問題もある。
もし、特別地域に統治機構があってそこに責任者がいると言うのであらば、我が国の政府としては、今回の事件について誠意のある謝罪と補償、そして責任者の引き渡しを断固として求めなければならない。
もし相手方がこれに応じないならば、首謀者を我らの手で捕らえ裁きにかける。資産等があればこれを力ずくにでも差し押さえて、遺族への補償金に充てる。これは、被害者やご遺族の感情からみても当然のことである。従って、我が日本国政府は、『門』の向こうに必要な規模の自衛隊を派遣することと決定した。その目的は調査であり、かつ銀座事件の首謀者逮捕のための捜査であり、補償獲得のための強制執行である」
特別地域自衛隊派遣特別法案は、野党の一部が反対するなか、衆参両議院で可決された。
なお、アメリカ合衆国政府は、「『門』の内部の調査には、協力を惜しまない」との声明を発表している。北条総理は「現在の所は必要ではないが、情勢によってはお願いすることもありえる。その際はこちらからお願いする」と返答している。
また、中国政府は、『門』という超自然的な存在は、国際的な立場からの管理がなされることが相応しい。日本国内に現れたからと言って、一国で管理すべきではない。ましてや、そこから得られる利益を独占するようなことがあってはならないとのコメントを発表した。
* *
「あえて言上いたしますが大失態でありましたな。この未曾有の大損害に際して、いかなる対策を講じられるおつもりか、陛下のお考えを承りとう存じます」
元老院議員であり、貴族の一人でもあるカーゼル侯爵は、議事堂中央に立って玉座の皇帝モルト・ソル・アウグスタスに向けて歯に衣着せぬ言葉を突きつけた。
元老院議員は議場内であれば、至尊の座を占める者に対してもそれをすることが許されていたし、またそれをすることが求められていると確信していたからでもある。
薄闇の広間。
そこは厳粛であることを旨に、華美な飾り付けを廃し静謐と重厚を感じさせる石造りの議事堂だった。円形の壁面にそって並べられたひな壇に、いかめしい顔つきの男達が座って、中央をぐるりと囲んでいる。
数にしておよそ三百人。帝国の支配者階級の代表たる、元老院議員達であった。
この国において元老院議員となるには、いくつかのルートが存在する。その一つが権門の家に生まれること。何処の国であっても、貴族とは稀少な存在であるが、この巨大な帝国の首都では石を投げれば貴族に当たると言われているほどに数が多いのだ。従って、ただ貴族の一人として生まれただけでは、名誉ある元老院議員の席を得ることはかなわない。貴族の中の貴族と言われるほどの名門、権門の一員でなければ、元老院議員とはなれないのである。
では、権門でもなく名門でもない家に生まれた貴族は、永遠に名誉ある地位を占めることは出来ないかというと、そうでもないのである。その方法として開かれている道が、大臣職あるいは軍において将軍職以上の位階を経験することであった。
国家の煩雑且つ膨大な行政を司るには官僚の存在が不可欠である。権門ではないが貴族の一族として生まれ、才能に恵まれた者が立身を志したなら、軍人か官僚の道を選ぶという方法が存在した。軍や官僚において問われるのは実務能力である。名ばかり貴族の三男坊であっても、才能と勤労意欲、そして幸運さえあればこの道を進むことも可能なのである。
大臣職は宰相、内務、財務、農務、外務、宮内の六職ある。軍人となるか官僚となる道を選び、大臣か将軍の職を経験した者は、その職を退いた後に自動的に元老院議員たる地位が与えられる。ちなみに将軍職については、出身階級が平民であっても就くことが出来る。と言うのも士官になると騎士階級に叙せられ、位階を進めるにつれ貴族に名を連ねることも可能だからである。
カーゼル侯爵は、男爵という貴族としてはあまり高いとは言えない位階の家に生まれた。そこからキャリアを積み、大臣職を経て元老院議員たる席を得たのである。そうした努力型の元老院議員は、自らの地位と責任を重く受け止める傾向がある。要するに張り切りすぎてしまうのである。得てしてそういう種類の人間は周囲からは煙たがられるもので、そして煙たがられれば煙たがられるほど、より鋭く攻撃的な舌鋒になってしまうのだ。
「異境の住民を数人ばかり攫ってきて、軟弱で戦う気概もない怯懦な民族が住んでいると判断したのは、あきらかに間違いでした」
もっと長い時間をかけて偵察し、可能ならばまずは外交交渉をもって臨み、与し易い相手かどうかを調べ上げるべきだった、と畳みかけた。
確かに、現在の情勢は最悪である。
帝国の保有していた総戦力のおよそ六割を、今回の遠征で失ってしまったのだ。この回復は不可能でないにしても容易ではなく、莫大な経費と時間を必要とするだろう。
当面は、残りの四割で帝国の覇権を維持していかなくてはならない。だが、どうやって?
モルト皇帝は即位以来の三十年、武断主義の政治を行ってきた。周辺を取り囲む諸外国や、国内の諸侯・諸部族との軋轢、諍いを武力による威嚇とその行使によって解決して、帝国による平和と安寧を押しつけてきた。その圧倒的な軍事力を前にしてはいかなる国も恭順の意を示すより他はなく、あえて刃向かった者は全て滅んでいった。
諸侯の帝国に対する反感がどれほど強かろうと、圧倒的な武威を前にしてはそれを隠すしかない。帝国は、この武威によって傲慢かつ傍若無人に振る舞うことが許されてきたのである。
だが、覇権の支柱たる圧倒的な軍事力の過半を失った今、これまで隠忍自重をつづけてきた外国や諸侯・諸部族がどう動くか?
帝国におけるリベラルの代表格となったカーゼル侯爵は、法服たるトューガ(トーガに似た正装)の裾をはためかせるように手を振り、声を張りあげて問いかけた。
「陛下! 皇帝陛下は、この国を、どのように導かれるおつもりか!?」
カーゼル侯爵が、そのように演説を結んで席に着くと、皇帝は重厚さを感じさせるゆっくりとした所作で、玉座の身体をわずかに傾けた。その視線はゆらぐことなく、自らを指弾した論客へと真っ直ぐに向いていた。
「侯爵……卿の心中は察するものである。此度の損害によって帝国が有していた軍事的な優位が一時的にせよ失せていることも確かなのだから。外国や諸侯達が隠していた反感を顕わにし、一斉に反旗を翻し鋭い槍先をそろえて帝都まで進軍して来るのではないかと、恐怖に駆られて夜も眠れないのであろう? 痛ましいことである」
皇帝のからかうような物言いに、厳粛な議場の空気がくぐもった嘲笑で揺れた。
「元老院議員達よ、二百五十年前のアクテクの戦いを思い出してもらいたい。全軍崩壊の報を受けた我らの偉大なる祖先達が、どのように振る舞ったか? 勇気と誇りを失い、敗北と同義の講和へと傾く元老院達を叱咤する、女達の言葉がどのようなものであったか?
『失った五万六万がどうしたというのか? その程度の数、これで幾らでも産んでみせる』と言ってスカートをまくって見せた女傑達の逸話は、あえて言うまでもないだろう?
この程度の危機は、帝国開闢以来の歴史を紐解けば度々あったことである。わが帝国は、歴代の皇帝、元老院、そして国民がその都度、心を一つにして難事に立ち向かい、さらなる発展を成し遂げてきたのである」
皇帝の言葉は、この国の歴史であった。
元老院に集う者にとっては、改めて聞かされるまでもなく誰もがわきまえていることであった。
「戦争に百戦百勝はない。だから此度の戦いの責任の追及はせぬ。敗北の度に将帥に責任を負わせていては、指揮を執る者がいなくなってしまう。まさかと思うが、他国の軍勢が帝都を包囲するまで、裁判ごっこに明け暮れようとする者はおらぬな?」
議員達は、皇帝の問いかけに対して首を横に振って見せた。
誰の責任も問われないとなれば、皇帝の責任を問うことも出来ない。カーゼルは、皇帝が巧みに責任を回避したことに気付いて舌打ちをした。ここであえて追及を重ねれば、小心者と罵倒された上に、裁判ごっこをしようとしていると言われかねない雰囲気になっていたのだ。
さらに皇帝は続けた。
此度の遠征では熟練の兵士を集め、歴戦の魔導師をそろえ、オークもゴブリンも特に凶暴な個体を選抜した。
十分な補給を整え、訓練を施し、それを優秀な将帥に指揮させた。これ以上はないという陣容と言えよう。
将帥が将帥たる責務、百人隊長が百人隊長たる責務、そして兵が兵たる責務を果たすよう努力したはずだ。
にもかかわらず、七日である。
『門』を開いてわずか七日ばかり。敵の本格的な反撃が始まってからを数えるならば、二日で我が軍は壊滅してしまったのだ。
将兵の殆どが死亡するか捕虜となったようだ。ようだ、と推測することしか出来ないのも生きて戻れた者が極めて少ないからである。
今や『門』は敵に奪われてしまった。『門』を閉じようにも、『門』のあるアルヌスの丘は敵によって完全に制圧されて、今では近付くことも出来ないでいる。
これを取り戻そうと、数千の騎兵を突撃させた。だがアルヌスの丘は、人馬の死体が覆い尽くし、その麓には比喩でなく血の海が出来てしまった。
「敵の武器のすごさがわかるか? パパパ! だぞ。遠くにいる敵の歩兵がこんな音をさせたと思ったら、味方が血を流して倒れているんだ。あんな凄い魔術、儂は見たこともないわ」
魔導師でもあるゴダセン議員が、敵と接触した時の様子を興奮気味に語った。
彼と彼の率いた部隊は、枯れ葉を掃くようになぎ倒され、丘の中腹までも登ることが出来なかった。ふと気づいた時には静寂があたりを押し包み、動く者は己を除いてどこにもいない。見渡す限りの大地を人馬の躯が覆っていたと述懐した。
皇帝は瞑目して語る。
「既に敵はこちら側に侵入してきている。今は門の周りに屯して城塞を築いているようだが、いずれは本格的な侵攻が始まるだろう。我らは、アルヌス丘の異界の敵と、周辺諸国の双方に対峙していかなければならない」
「戦えばよいのだっ!」
禿頭の老騎士ポダワン伯爵は、立ち上がると皇帝に一礼して、主戦論をもって応じた。
「窮している時こそ、積極果敢な攻勢が唯一の打開策じゃ。帝国全土に散らばる全軍をかき集めて、逆らう逆賊や属国どもを攻め滅ぼしてしまえ! そして、その勢いを持ってアルヌスにいる異界の敵をうち破る! その上で、また門の向こう側に攻め込むのじゃ!」
議員達は、あまりに乱暴な意見に「それが出来れば苦労はない」と、首を振り肩をすくめつつヤジの声を投げた。全戦力をかきあつめれば、各方面の治安や防衛がおろそかになってしまう。皆が口々に罵声を放ちあって、議場は騒然となった。
ポダワンは、逆賊共は皆殺しにすればよい。皆殺しにして、女子どもは奴隷にしてしまえばよい。街を廃墟にし、人っ子一人としていない荒野に変えてしまえば、もうそこから敵対する者が現れる心配などする必要もなくなる……などと、過激すぎる意見で返していた。非現実的なことのようだが、歴史的に見れば帝国にはその前科がある。
帝国がまだ現在よりも小さく、四方の全てが敵であった頃、敵国をひとつずつ攻略しては住民全てを奴隷とし、街を破壊し、森は焼き払い農地には塩をまいて不毛の荒野とし、周囲を完全な空白地帯とすることで安全を確保したのである。
「それが出来たとしても一体全体どうやってアルヌスの敵を倒す? 力ずくでは、ゴダセンの二の舞を演じることになろうな?」
議場の片隅から飛んできた声に対して、ポダワン伯は苦虫を噛みつぶしたような表情をしながらも、苦しげに応じる。
「う~そうじゃな……属国の兵を根こそぎかき集めればよい。四の五の言わせず全部かき集めるのじゃ。さすれば数だけなら十万にはなるじゃろて。弱兵とは言え矢玉除けにはなる。その連中を盾にして、遮二無二、丘に向かって攻め上ればよいのじゃよ!」
「連中が素直に従うものか!」
「そもそもどんな名目で兵を供出させる? 素直に軍の過半を失いましたから、兵を出して下さいとでも頼むのか? そんなことをしたら、逆に侮られるぞ」
カーゼル侯は、空論を振りかざして話をまとまりのつかない方向へとひっぱっていこうとするポダワン伯という存在を苦々しく思った。
タカ派と鳩派双方からの聞くに耐えない言葉の応酬が始まり、議場は掴み合いに陥りかねない雰囲気が漂いだした。
「ではどうしろと言うのか!?」
「ひっこめ戦馬鹿!」
議員達は冷静さを失って乱闘寸前にまでヒートアップする。
時間だけが虚しく過ぎ去って行く。わずかに理性を残す者もこのままではいけないと思うものの、紛糾する会議をまとめることが出来ないでいた。
そんな中で、皇帝モルトが立ち上がる。
発言しようとする皇帝を見て、罵り合う議員達も口を噤んで静かになっていった。
「いささか乱暴であったが、ポダワン伯の言葉は示唆に富んでおった」
それを受けてポダワンは、皇帝に恭しく一礼した。
皇帝の威厳を前にして議員達は冷静さを取り戻していく。皇帝が次に何を言うのか聞こうとし始めているのだ。
「さて、どのようにするべきかだ。このまま事態が悪化するのを黙って見ているのか? それも一つの方法ではある。だが、余はそれは望まない。となれば、戦うしかあるまい。ポダワン伯の進言を採用し、属国や周辺諸国の兵を集めるが良いであろう。各国に使節を派遣せよ。ファルマート大陸侵略を窺う異世界の賊徒を撃退するために、援軍派遣を求めるとな。我らは連合諸王国軍を糾合し、アルヌスの丘へと攻め入る」
「連合諸王国軍?」
皇帝の言に元老院議員達は、ざわめいた。
今から二百年ほど前に東方の騎馬民族からなる大帝国の侵略に対抗するため、大陸諸王国が連合してこれと戦ったことがあった。それまで相争っていた国々が集うのに、「異民族の侵攻に対して仲間内で争っている場合じゃない」という心理が働いたのである。不倶戴天の敵として争っていたはずの列国の王達が、騎士達が、馬を並べて互いに助け合い異民族へと向かっていく姿は、今では英雄物語の一節として語られている。
「それならば、確かに名分にはなるぞ」
「いやしかし、それはあまりにも……」
そう。そもそも『門』を開いて攻め込んだのはこちらではなかったか? 皇帝の言葉はその主客を転倒させていた。こちらから攻め込んでおいて、「異世界からの侵略から大陸を守るため」と称して各国に援軍を要請するとは、厚顔無恥にもほどがあるのではないか。……それをあえて口にする者はいなかったが。
とはいえ「帝国だけでなくファルマート大陸全土が狙われている」と檄を飛ばせば、各国は援軍を送ってよこすだろう。要するに、事実がどうであるかではなく、どう伝えるかと言うことだ。
「へ、陛下。アルヌスの麓は、人馬の躯で埋まりましょうぞ?」
カーゼル侯の問いに、皇帝モルトは嘯くように告げる。
「余は必勝を祈願しておる。だが戦に絶対はない。故に、連合諸王国軍が壊滅するようなこともありうるやも知れぬ。そうなったら、悲しいことだな。そうなれば帝国は旧来通りに諸国を指導し、これを束ねて、侵略者に立ち向かうことになろう」
周辺各国が等しく戦力を失えば、相対的に帝国の優位は変わらないということである。
「これが今回の事態における余の対応策である。これでよいかなカーゼル侯?」
皇帝の決断が下った。
カーゼルは連合諸王国軍の将兵の運命を思って、呆然とした面持ちとなった。
周囲は、そんなカーゼルら鳩派を残し、皇帝に向かい深々と頭を下げると、粛々と各国への使節を選ぶ作業へと移ったのである。
* *
打ち上げられた照明弾が、漆黒の闇を切り裂き大地を煌々と照らす。
彼らがみずからをして『コドゥ・リノ・グワバン』と呼ぶ、敵の突撃が始まった。
人工の灯りと、中空に打ち上げられた照明弾によって、麓から押し寄せる人馬の群れが浮かび上がる。
重装騎兵を前面に押し立て、オークやトロル、ゴブリンといった異形の化け物が大地を埋め尽くして突き進んで来る。その後ろには、方形の楯を並べた人間の兵士が続いていた。
上空には、人を乗せた怪鳥の群れが見える。
数にして、数千から万。はっきり言って数えようがない。
監視員が無線に怒鳴りつけていた。
「地面三分に、敵が七分。地面が三分に敵が七分だ!!」
敵意が、静かに、ひたひたと押し寄せて来る。
哨所からの知らせを受けた、陸上自衛隊特地方面派遣部隊・第五戦闘団第502中隊の隊員達は交通壕を走ると、第二区画の各々に指定された小銃掩体へと飛び込んで、担当範囲へ向けて銃を構えた。
陸自の幕僚達は、今回の特地方面派遣部隊を編成するに当たっては、かなり苦心惨憺していた。なにしろ、文明格差のある敵である。槍や甲冑で身を固めた敵と対峙した経験を持つ者などどこにもいないし、魔法やら、ファンタジーな怪異、幻想種への対処法に至っては、知るよしもない。
そこで彼らは、小説や映画にアイデアを求めることとした。
自衛隊のPX(売店)では自衛隊が戦国時代にタイムスリップする小説はもとより、漫画、挙げ句の果てに新旧の映画版やテレビ版のDVDが飛ぶように売れたという。さらにはファンタジーの映画やアニメを求めて幹部自衛官が秋葉原の書店に列を作るという、笑っていいのかいけないのか分からない事態すらおこっている。
M氏やT氏といった高名なアニメ監督や小説家などが、市ヶ谷に集められて参考意見を求められたという話までもがまことしやかに語られているほどなのだ。
そして彼らは某かの結論を下すと、全国の各部隊から合わせて三個師団相当の戦力を抽出したのである。
それは一尉~三尉の幹部と三等陸曹以上の陸曹を集中するという特異な編成であった。
その理由としては、首相の答弁にある『未開の地で誰を味方として、誰を敵とするか』という高度な判断力を現場の指揮官に求める必要があるからと説明しているが、それだけではないことは、誰の目にも明らかだった。
特地方面派遣部隊は、かき集められた装備にも特徴があった。比較的古い物が多く見られるということである。まず隊員達の携行する小銃は六四式小銃。集結した戦車は七四式だった。全て新装備が導入されたことで、第一線からは姿を消しつつあるものだ。
「在庫一斉処分」などと口の悪い最先任上級曹長は語っている。そういう側面がないとも言えないが、そればかりが理由ではないのだ。
六四式小銃が選択されたのは八九式の5・56㎜弾では、槍を構えて突っ込んで来る重量級のオークを止めることが出来なかったからだ。さらに同銃の銃剣で敵を刺突すると、鋸状になっている鎬が鎧やチェーンメイル等の防具にひっかかって、そのまま抜けなくなってしまった事例が多く報告されたのだ。
その上、情勢によっては装備を放棄して撤退しなければならない事態も想定されている。一両数億円もする高価な兵器を、簡単にうち捨ててくるわけにはいかないので、廃棄しても惜しくない、廃棄予定あるいは既に廃棄済みであるが、手続きの遅れによって倉庫等に眠っていた装備をかき集めたのである。
六四式小銃を持つ者は二脚を立てて、照星と照門を引き起こす。配られた弾が常装薬なので、規整子は『小』にあわせた。
ある者は5・56㎜機関銃のミニミを構え、カチカチと金属製ベルトリンクで繋がれた弾帯を押し込んでいる。(六二式機関銃は、陸曹や幹部が血相を変えて「俺たちを殺すつもりかぁ」と反対したので、特地には持ち込まれていない。それほど故障が多く、言うことキカン銃と揶揄されていた銃なのだ)
高射特科のスカイシューターをはじめとする、35㎜二連装高射機関砲L90や、40㎜自走高射機関砲M42と言った新旧そして骨董品の対空火器が、上空から近付く怪鳥へと砲口を向けた。
次の照明弾が上げられ、闇夜が再び明るくなった。上空から降り注ぐ光が、夜空を背景にしていた敵を浮かび上がらせる。敵も、その足を速め、足音と言うよりは轟きに近くなっている。
小銃の切り替え軸(安全装置)を「ア」から「レ」へとまわす。
耳に付けたイヤホンから、指揮官の声が聞こえた。
「慌てるなよ、まだ撃つなぁ……」
慣れたわけではないが、これが初めてという訳でもない。自衛官達は近づいて来る敵を前にして息を呑みつつも、号令を待つことが出来た。
敵が、彼らの言葉で『アルヌス・ウルゥ』と呼んでいるこの丘に押し寄せて来るのは、これで三回目。そのうち二回は彼らの失敗だった。大敗北と言って良いはずだ。
この世界の標準的な武器である槍や弓そして剣、防具としての甲冑では、その戦術はどうしても隊伍を整えて全員で押し寄せるという方法となる。時折、火炎や爆発物を用いた攻撃(魔法かそれに類するものではないかと言われている)も行われているが、射程が短い上に数も圧倒的に少ないため、それほどの脅威にならない。そのために、どれほどの数を揃えようとも、現代の銃砲火器を装備した自衛隊の前では敵ではなかったのだ。
黒澤明監督の映画『影武者』で、武田騎馬隊が織田・徳川の鉄砲隊を前にたちまち壊滅するという場面が描かれていたが、それよりもさらに映画的に、人馬の屍が丘の麓を埋め尽くす結果となったのである。
だが、それでもなお彼らはこの丘を取り戻そうと攻撃を始める。
自衛隊もこの地に居座って、アルヌスの丘を守ろうとする。
全てはここに『門』があるからだ。『門』こそが、異世界を繋ぐ出入り口であった。敵はこのアルヌスから銀座へとなだれ込んだのである。東京、そして銀座で起きたあの忌まわしい惨劇を防ぐためには、この『門』を確保し絶対に渡すことは許されない。
奪おうとする。そして守ろうとする。この二つの意志が衝突してついに三度目の攻防戦へと行き着いた。過去の二回の経験を学んだのか、今回は夜襲だった。月の出ていない夜間なら見通しも利かない。夜ならば油断も隙もあり得る……というのが、この世界の感覚だったのだろう。悪い考えとは言えない。が、しかし……次の照明弾があがると、コドゥ・リノ・グワバン将兵の姿が、はっきりと浮かび上がった。
「撃てぇ!」
東京そして日本は、二十四時間営業は当たり前の世界だ。昼だろうと夜だろうと区別無く、列べられた銃口は挨拶代わりとして砲火をもって彼らを出迎えたのである。
01
伊丹耀司二等陸尉(三十三歳)はオタクであった。現在もオタクであり、将来もきっとオタクであり続けるだろうと自任している。
『オタク』と言っても、自分でファンフィクション小説や漫画を描いたり、あるいはフィギュアや球体関節人形を作って愛でたりするという、クリエイティブなオタクではない。もちろんボーカロイドを歌わせたりもしない。他人が「創った」り「描いた」ものへの批評や評価を掲示板に投稿するという、アクティブなオタクでもない。誰かの書いた漫画や小説をただひたすらに読みあさるという、パッシブな消費者としてのオタクであった。
夏季と冬季の同人誌即売会には欠かさず参加し、靖国神社なんかには一度も行ったことがないくせに中野、秋葉原へは休日の度に詣でている。官舎の壁には中学時代に入手した高橋留美子のサイン色紙が飾られていて、本棚には同人誌がずらっと並んでいるありさまだ。法令集や教範、軍事関係の書籍は開くこともないからと本棚でなく、新品状態のままにビニール紐で縛り上げて押入の中に放り込んである。
そんな性向の彼であるから、仕事に対する態度は熱意というものにいささか欠けていた。例えば、演習の予定が入っていても「その日は、イベントがありまして……」と臆面もなく休暇を申請してしまうというように。
彼は嘯く。
「俺はね、趣味に生きるために仕事してるんですよ。だから仕事と趣味とどっちを選ぶ? と尋ねられたら、趣味を優先しますよ」
そんな彼が、よーも自衛官などになったものだと思うのだが、なっちゃったのだから仕方ないのである。
そもそも彼のこれまでは、「喰う寝る遊ぶ、その合間にほんのちょっと人生」と言うに相応しい物であった。彼が昔愛読したマンガにあった「息抜きの合間に、人生やってるんだろ」というセリフが最も合っているように思われる。だからでもないだろうが、競争率の低い公立高校を選んで、あんまり勉強することなく入試に合格。成績は中の下。アニメ・漫画研究会で漫画や小説を読みふける毎日。たまに映画の封切り日には朝早く映画館に列ぶという三年間を過ごしたのだった。
大学は、新設されたばかりで競争率の低そうな学科を選び、これもまたあんまり勉強することなく合格。やはりアニメを観賞し、漫画やライトノベルを読みつづける毎日を過ごすが、在学中無遅刻・無欠席で全ての講義に出席していたこともあって、講師陣の受けはそれなりに良く、「伊丹だから、ま、いいか」と『良』と『可』の成績をもらい四年で卒業。
「就活どうする?」という話題が、学生の間でそろそろ出始めた頃に、彼はしゃかりきになって会社訪問するのは好きじゃないなぁ……などと呟きながら都内某所にある自衛隊地方連絡部(現在は地方協力本部)の事務所の戸を叩いたのである。
「こんな奴、よくも幹部にしたものだ」とは、誰のセリフだっただろうか。
彼の国防意欲というか、熱意に欠ける職務態度に業を煮やした上司が、「お前ちょっと鍛え直して貰ってこい」と有無を言わさず過酷な訓練で定評のある幹部レンジャー訓練に放り込んだ。
案の定、すぐに音を上げて「やめたいんですけど」と電話をかけて来た。
これには彼の上司も困ってしまった。あの手この手で励まし、頑張らせようとしたのだがどうにもならない。そもそも言ってどうにかなるなら最初から苦労しない。疲れ果て、どうしようもなくなって、最後にポツリと呟いた。
「ここで止めたら、年末(二十九、三十、三十一日)の休暇はやらん」
「じゃぁ、頑張ってみます」
伊丹の上司は、自分が口にした何に効果があったのかと、今でも悩んでいると言う。
さて、こんな伊丹が夏のある日、都内某所でおこなわれているイベントに行くために新橋駅で『ゆりかもめ』を待っていたところ、とんでもない事件に出くわした。
後に『銀座事件』と呼ばれるアレである。
突然あらわれた巨大な『門』。
そこからあふれ出た、異形の怪異をふくむ軍勢。
今でこそ『門』の向こう側を、政府は特別地域などと呼んでいるが、伊丹には瞬間的に『異世界』だと理解できた。理解できてしまった。
そしてこう思った。
「くそっ! このままでは、夏の同人誌即売会が中止になってしまう」
その後の彼の活躍は、革新系の大手新聞ですら一面で取り上げざるを得なかったほどである。
霞ヶ関や永田町も襲われ、何が起きているのかわからずただ逃げ回るばかりの政府の役人と政治家たち。命令が来ないために、出動したくても出来ない自衛隊。桜田門以南の官庁街がほぼ壊滅したために指揮系統がズタズタになり、効果的な対応が出来ない警察。
そんな中で伊丹は、付近の警察官を捕まえて西を指さした。
「皇居へ避難誘導してくれ!」
だが、「そんなことできるわけない」という言葉が返ってくる。一般の警察官にとって、皇居内に立て籠もるなどというアイデアは思案の外にあったからだ。
とはいえ、皇居は元より江戸城と呼ばれた軍事施設である。従って数万の人々を収容し、かつ中世レベルの軍勢から守るのにこれほど相応しい施設はない。いや、包囲されているわけでも無いから籠城の必要はない。避難した人々は、半蔵門から西へと脱出すればよいのだ。
伊丹は、指揮系統からはずれつつも懸命に民間人を守ろうとしていた警察官や、避難した民間人の協力を仰いで、皇居へと立て籠もった。皇宮警察がやかましかったが、これも皇居にお住まいの『偉い方』のお言葉一つで鎮まる。
徳川の手によって造られた江戸城は実戦経験のない城塞である。だが、数百年の時を経て平成の世にて初めて城塞としての真価を発揮したのである。
この後、皇居にある近衛と称される第一機動隊、そして市ヶ谷から自主的に出動してきた第四機動隊によって、『二重橋濠の防衛戦』は引き継がれたのであるが、それまでの数時間が、数千からの人を救ったという功績は誰もが認めることである。こうして伊丹は防衛大臣から賞詞を賜った上で二等陸尉へと昇進することとなった。
なっちゃったのである。
で、時が少しばかりたって、特別地域派遣部隊である。
三度目の攻撃を受けた翌朝。
明るくなって見えた光景は、夥しい人馬と怪異の死骸によって大地が埋め尽くされているというものだった。
さらには高射機関砲の40㎜徹甲弾を受けて墜ちた飛竜も横たわっていた。
伝説ではドラゴンの鱗は鉄よりも硬いと語られているが、確かにそのようである。ただ40㎜弾を受けては耐えることは出来なかったようだ。
「ちょっとした地方都市一個分の人口が、まるまる失われたってことか」
伊丹は、これを見て思った。
銀座事件で攻め込んできた敵は、約六万。
第一次から始まって昨晩の第三次攻撃で、およそ六万が死傷(オークやゴブリン等の怪異はこれに含まず)。合わせて十二万もの兵を失っちゃって、敵はどうするつもりなんだろか、と。
この世界の人口がどの程度か知る由もない。何しろ、『門』とその周辺を確保しただけで、まだなんの調査も出来ていないのだから。
だが一般的な常識から考えても、数万の戦力を丸ごと失って、その部族だか国家だかが無事でいられるはずがないのだ。見たところ倒れている兵士の中に、子どもにしか見えない者もいる。実際に子どもなのか、そのような容姿をもった種族なのかは分からないが……。もし、子どもを戦場に送るようならその国の有り様は、最早末期的と言えるだろう。
伊丹ですらこのように感じるのだから、他の幹部達も当然考えていた。
この世界の調査をしなければ、と。
前進して一定の地域を確保するにしても、『門』周辺だけを確保し続けるにしても、さらに進んで敵と交渉するにしても、今後の方針を定めるには情報が不足しているのである。幸いにしてOH‐1型ヘリが撮ってきた航空写真から周辺の地図は起こすことができた。滑走路が開けば、無人偵察機を飛ばすこともできるだろう。従って、次はどんな人間が住んでいるか、人口や人種、産業、宗教そして政治形態がどのようになっているか、そして住民の性格はどういうものかの調査をしたいところだ。
どうやって、調査するのか。
もちろん、直接行って見るのである。
「それがいいかも知れませんねえ」
「それがいいかもじゃない! 君が行くんだ」
檜垣三等陸佐は、物わかりの悪い部下に疲れたように言った。
伊丹は、新しく上司となった男の言葉に首を傾げた。
自分は員数外の幹部として第五戦闘団に所属しているおまけみたいな二尉だ。調査という任務はわからなくもないが、その為の部下を持っていなかったのである。
「まさか、一人で行けと?」
それも、気楽でいいかなと思わなくもない。
「そんなことは言うわけないだろう。とりあえず六個の深部情報偵察隊を編成する。君の任務はその内の第三の指揮だ。担当地域の住民と接触し民情を把握せよ。可能ならば、事後の今後の活動に協力が得られるよう、友好的な関係を結んできたまえ」
「はぁ……ま、そう言うことなら」
こうして伊丹は後頭部をポリポリと掻きながら、第三偵察隊の隊長となったのである。
* *
アメリカ合衆国
ホワイトハウス
「大統領閣下。東京に現れた『門』に関する、第六次報告です」
大統領のディレルは、カリカリに焼き上げた薄切りのトーストにバターとジャムを重ねて塗ったものをサクッと囓ると、彼の優秀なスタッフが差し出した報告書を受け取った。
大統領は表紙を含めて数枚ばかりめくる。さっと目を通した程度で、テーブルの上にポンと放り出した。
「クリアロン補佐官。この報告によると、日本軍は折角『門』の向こう側へ立ち入ったのに『門』の周囲を壁で囲んで、亀の子みたいに首を引っ込めて立て籠もっている。そういうことなのだね?」
「その通りです、閣下。自衛隊は守備を固めて動いていません」
Army(軍)ではなくSelf Defense Force(自衛隊)だと、さりげなく訂正する補佐官。だが大統領はそれに気づかないのかそのまま話を続けた。
「ふむ……圧倒的な技術格差。高度な訓練を受けた優秀な兵士。いったい何を躊躇う必要がある? 君の考えを述べたまえ」
「大統領閣下、ご説明いたします。日本は、かつての大戦の教訓から学んだのです。いかに強力な戦力を有しているとは言え、広大な地域を制圧支配しようとするには、その戦力は不足します。選択しうるオプションとしては、特別地域の政治状況を明確に見極め、要点を押さえるという戦略しかありません」
そのことは中級指揮官の層を異常なまでに厚くした特地派遣部隊の編成からも窺い知ることが出来る。『門』を確保する段階を終えて、現在は特別地域の各地に小部隊を派遣し、情報収集や宣撫工作にあたらせる、といったところだろう。
大統領はナプキンで口元についたバターをぬぐうと、目の前の部下を一瞥した。
「つまり、日本軍の現状は特別地域の情勢を窺っているからだと言うのだね?」
「そのとおりです大統領閣下。北条首相は石橋を叩く男のようです。成果を急いでいません」
大統領は、ススッとコーヒーを口に含んだ。
銀座事件を受けた後の強腰の態度をとった北条は、空前の支持率を受けて政権が安定している。だから成果を急ぐ必要がないと言うのである。
我が身を振り返ればディレルは支持率が急落している。早急に具体的な成果をあげて国民に示さなければならない。それが彼の立場だった。
「補佐官、『門』はフロンティアだ」
「その通りです、大統領閣下」
「『門』の向こう側に、どれほどの可能性が詰まっているか、想像したまえ」
手つかずの資源。圧倒的な技術格差から生ずる経済的な優位。汚染されていない自然。これら全てに資本主義経済は価値を見いだすのである。
資源は存在する。これは間違いがない。
東京に攻め込んできた兵士の武装を解析したところ、ほぼ地球と同じ鉱物資源があることが判明している。それどころか、こちら側ではレアメタル、レアアースとされる稀少資源が、特地では豊富に存在する可能性も指摘されていた。
そして技術格差は、武器の種類や構造から類推することが出来る。
見事な、工芸品と見まがうばかりの細工が施されていたが、所詮は手工業の域を出ないものばかりだ。材質、構造共に不均質で規格といったものは存在してなかった。
これらの武装で身を固めた騎士達が攻め込んで来るという戦術を見れば、その社会構造と生産力までも予想が可能だ。
さらに、こちら側には存在しないファンタジーな怪異、動物、亜人達。これらの生き物が持つ遺伝子情報は、生命科学産業の研究者達にとって宝の山と言えるだろう。
極めつけは『門』である。
この超自然現象を含めた全てに、全世界の科学者達が注目しているのだ。
「ご安心下さい大統領閣下。わが国と日本とは友邦です。価値観を同じくする国であり、経済的な結びつきも強固です。『門』から得る利益は、わが国の企業にも開放されるでしょう。また、そのように働きかけるべきです」
「それでは不足なのだよ」
同様の働きかけならば、既にEU各国が始めている。
中国やロシア、新興諸国も『門』がもたらすであろう利益、資源を狙って水面下の活動を始めていた。
「問題は、どれほどの権益を確保できるかなのだ」
これこそがディレル大統領が国民に示すことの出来る成果となるだろう。
「その為には、わが国はもっと積極的に関与するべきではないかね? 米日同盟の見地から陸軍の派兵を検討しても良いと思うが」
だが、補佐官は残念そうに首を振った。
「我が国は、中近東だけでも手を焼いております。余所様の喧嘩に手を出す余裕はありません」
それに『門』の持つ可能性は、必ずしもよい面ばかりとは限らないのだ。未開の野蛮人を手なずけ教化しようとするなら、多額の予算と人材を長期間にわたって投入しなければならなくなる。かつての植民地時代のように、ただ収奪すればよいという時代ではないのだ。
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