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3熱走編
3熱走編-1
しおりを挟む序
特別地域/アヴィオン海とクンドラン海のほぼ境あたり/北緯二八度二四分・東経一二度五三分
ロンデル標準時間〇五三五時――
蒼穹に浮かぶ白い機体。
雲の隙間から姿を現しては隠れ、また現すを繰り返すそれは、P3C哨戒機。海上自衛隊・特地派遣海賊対処行動航空隊所属の隊員達が乗り込む機体であった。
彼らは眼下の蒼海で起きている出来事を監視していた。
「TACCO(戦術航空士)! 民間商船二五隻と、海賊の帆船が、ひぃふぅ……一二、いや三……合わせて一三隻見えた!」
双眼鏡片手に、小さな窓に張り付くように海上を監視する隊員達が目にしたのは、逃げる商帆船団と、それを追う海賊帆船の群れという光景である。
追う側が海賊だと分かったのは、揃って黒い帆を掲げているからだ。
存在そのものが人倫や法律に反する海賊達だが、彼らも仕事の際は自分達が何者であるかを示すというルールだけは健気に守っていた。
TACCOは状況を把握すると、航法兼通信を担当するNAV/COMMに対し、ティナエ共和国の首都ナスタに置かれた海賊対処行動航空隊司令部に速やかに報告するよう命じた。
『司令部、ユラヒメ〇二。哨戒エリア〇四六六にて海賊に襲われている商船団を発見した……』
そうして改めて窓から海面を見下ろす。
海賊の帆船が、激しい砲撃の噴煙を上げていた。
発射されているのは、炸裂しない純然たる金属の塊だ。しかしその威力は想像以上に凄まじく、商船に直撃すると船体を構成していた木材が破片となって辺りにまき散らされた。
周囲の碧い海面には、倒れ落ちたマストや白い帆、こんがらかった索具といったものがゴミのごとく浮いている。そしてその隙間には、動かなくなった人型の何かが無数に浮かんでいるのも認められた。
「これは酷いな」
「くそっ……」
商船の甲板上(日本では、シビリアン籍の船の甲板を『こうはん』と読む習慣がある。由来は不明)では、乗組員が剣を振るい必死になって海賊と戦っている。
だが多勢に無勢、戦いは海賊の側が優勢だ。既に抵抗力を失い拿捕された船では、海賊達が勝利の雄叫びを上げ略奪を始めていた。
「おい、あれを見ろ」
略奪の対象は荷物だけではない。
乗客として乗り合わせていたと思われる男女、子供達が海賊によって力ずくで船倉から引きずり出されている。みんな懸命に抵抗しているが、ならず者にはとても敵わない。
このような粗暴な海賊行為は、銀座側の世界では過去のものとして映画のワンシーンに登場するだけだ。それだけに隊員達には、この光景が今ひとつ非現実的なものに思われたのである。
「くそっ、この世界の海軍は何をしてるんだ? 船団に護衛船も付けないのか!?」
「いや多分、あれが地元海軍の艦艇です」
P3Cは周囲を旋回し、監視を続けた。
この世界の海では一般商船と戦闘艦を見た目で区別するのは難しい。帆船といってもマストの数や帆の形状、枚数など様々な種類があるし、どの船も自衛を目的とした武装を施している。
しかしそれでも明らかに、自衛の範囲を超える武器を積んだ船が商船団の中に混ざっていた。それが、群れを成して押し寄せる黒帆の海賊船と果敢に戦っているのだ。
「あれがティナエの海軍なのか?」
目を凝らしてみると、海賊と戦っているティナエ海軍艦のマストに海軍旗がはためいていた。
よくよく見れば船首楼甲板には、大型の弩のような武器も装備されている。
彼らは迫ってくる海賊船を追い散らそうと、電信柱のような太くて長い弩槍を投射し、無数の弓箭を放って必死に奮戦していた。
しかしその必死さのほとんどは報われていない。海軍の艦艇は、海賊一三隻に対して僅か四隻しかないのだ。あるいはこの戦いの中で、強力な海賊船団に一隻また一隻と沈められてしまったのかもしれない。
ここまで一方的な戦いになってしまっているのは、海賊がこの世界に存在しなかったはずの新兵器――大砲を装備しているからだ。
海軍の艦隊は、得意とする移乗戦闘を始める前に、大砲でマストを折られ、舵板を割られ身動きを取れなくされてしまう。
そうなると武器を手に甲板に集まった水兵達は手も足も出ない。射撃練習の標的のように一方的に狙い撃たれていくだけだ。
これでは海賊に対抗することなどとても出来ない。出来るはずがないのだ。
「くそっ……なんて酷いことを」
大砲の砲弾を四方八方から撃ち込まれた海軍の艦艇は、とても正視できない惨状を呈していた。露天甲板には、動かなくなった屍が鮮血にまみれて累々と横たわっている。そしてそのまま、船は海に沈んでいこうとしていた。
「おい、あの娘まだ生きてるぞ!」
船には、アヴィオン海の風習で船守りという巫女が乗り込んでいる。
その有翼種の女性が屍の間に座り込んだまま、虚ろな表情で空を見上げていた。おそらくあの艦の乗組員達は、彼女を庇って倒れていったのだ。
双眼鏡で様子を見つめていた海自の隊員達は、その娘と目が合ったような気がした。
「くそっ、どうしてこの機には、爆弾の一個も、魚雷の一本も搭載してないんだ! もしあれば掩護できるってのによ!」
だが、彼らに与えられた任務は『監視』である。
手を出してはならない。
任務に忠実であらねばならない責務と、目の前で起きている惨劇に対する義憤とで板挟みとなった彼らは、砕けてしまいそうなほど力を込めて奥歯を噛みしめたのである。
* *
黒翼の少女オディール・ゼ・ネヴュラは、うなじあたりに刺すような気配を感じて背後の空を見上げた。
「ん?」
だが漆黒一色の翼を広げて身を捩り、強い陽射しに腹部を曝す背面飛行に移った彼女に見えたのは、水平線から顔を覗かせたばかりの太陽と、空と、雲だけである。
「ちっ、気のせいかよ」
すぐに半横転し、意識を眼下の海へと戻そうとする。
「いや、違うな……」
しかしどうしても疑念を拭いきれず、自分の翼から黒羽を一枚引き抜くと、それに透き通すようにして東の空を覗く。すると、太陽の強い輝きに隠されていた何かの正体が見えてきた。
「あれは……ヒコウキ?」
大空とはこれまで、有翼種の縄張りであった。
だが最近はその常識が崩れつつある。ニホン人と呼ばれる連中が持ち込んだヒコウキという魔法装置が、このアヴィオン海の空を飛ぶようになってきたのだ。
もちろんそれらが一機、二機飛んだところで、有翼種が飛べなくなるほど空は狭くはない。しかしその強烈な存在感はどこか古代龍にも似ていて、そんなものがいると思うだけで息を潜めたくなってしまうのだ。
「ドラケ!」
すぐに報せようと、振り返って海上に目をやる。
するとオディールの名を冠した黒帆の海賊船は大砲をぶっ放していた。
「撃てぇ!」
船長ドラケ・ド・モヒートの号令が轟くと、海賊船オディール号は第二甲板(一番上の甲板を第一として、その下にある甲板)の右舷側に並んだ大砲十門を一斉に撃ち放った。
大量の噴煙が、すれ違う形で行き合った海軍の艦との間に立ちこめる。一瞬にして視界が塞がれお互いの姿は見えなくなった。
その一斉射撃は、パンタグリュエル商船団を護衛するティナエ海軍の軍艦からマストを奪った。巨大な帆柱の根本が打ち砕かれ、音を立てて倒れていく。
甲板に大きなラティーン型セイルとそれに繋がった大小の索具が覆い被さる。移乗戦闘に備えて集まっていた水兵達は大騒ぎしながら右往左往し、大混乱に陥った。
「よし、今だ! 風下に舵を切れ!」
その隙を見逃すドラケではない。船尾楼甲板の右舷に走り寄って敵を睨み付けつつ命令を続けざまに発した。
「ラーラホー船長!」
直後、オディール号は素早い挙動で針路を右に変更。
折れたマストを海中に引きずり行足が止まった海軍の艦は、それに付いていけず無防備な艫をオディール号に曝すことになった。
「撃て!」
再度行われる、舷側に並んだ大砲十門の一斉射。
すると発射された鉄の球塊が敵艦の艫板を破った。
艦尾を形作る船材が木っ端微塵になり、辺りに横殴りの吹雪のごとくまき散らされる。
しかし砲撃はそれで終わりではない。砲手達が大砲に群がって爆轟魔法の充填、弾込め、そして着火……間断なくこの三工程を二回繰り返した。
「撃て!」
「撃て!」
この三連撃で、海軍艦の中は滅茶苦茶になっているはずだ。何しろ一抱えもあるような大きな鉄塊が都合三十発、爆轟魔法の力で打ちこまれたのだから。
こんなものが艦の弱点である艫から飛び込んで艦内で跳ね回ったらどうなるか。
身体を掠めただけで、タフネスを気取った屈強な戦士もたちまち血袋肉塊と化してしまう。
そして鎖に繋がれた漕役奴隷達も、それぞれの座席に繋がれたまま逃げることも出来ずに絶命していった。
「よしゃ、とどめだ。とどめを刺せっ!」
「そうだそうだ、海の藻屑にしてやれ!」
戦いの熱狂に興奮した海賊達が、更なる砲撃をとドラケに求めた。彼らは憎い海軍の艦を徹底的に破壊し尽くし、海に沈めることを求めていた。
しかしドラケはこの艦との戦闘はここで終了だと宣言する。
「なんで!?」「どうして!?」
「馬鹿野郎! 海軍なんか相手にしたって何にも得られるものはねえぞ。狙うならお宝だろう!? お宝をたんまり積んだ商船を狙うんだ! それとも、お前達の腹はもう一杯か? これ以上は食い切れないってか?」
ドラケはそう言って、獲物となるパンタグリュエル商船団の方角に船を向けるよう命じたのである。
「そ、そうだった!!」
戦いの興奮で我を忘れていた海賊達も、自分達の狙いが何であるかを思い出した。そして航海士の指示に従って甲板を走り、帆の向きを変える索具を引っ張って、金銀財宝をたっぷりと積み込んでいるはずの商船群へと舳先を向けたのである。
「ドラケ! ドラケったら、ドラケ! 返事しろよ!」
高度を下げたオディールの声が、マストトップで見張りをする乗組員の耳に入ったのは、そうした作業の喧噪が一段落ついた後だった。
海上の戦いは、芝居や御伽草子のようにテンポよくは進まない。
戦っている最中はもう「頭や身体が一つじゃ足りん!」と叫びたくなるほど忙しくなるのに、それが終わって次の獲物に追いつこうとすると、途端に暇になる。
特に帆船同士の戦いは同じ風を受け、どちらが速く進めるかを競う、船の性能比べ、乗組員の技量比べでもある。手巾でも洗濯物でもとにかく風を受けられるものを帆柱にぶら下げ、相手に追いつこうとするのだ。
相手だって命が懸かっているから必死だ。なんとか引き離そうと工夫する。
船の性能、乗組員の技量と根性――この差が明確ならばあっという間に追いつき、あるいは突き放されるが、拮抗していると、何日も、下手をすると何十日も、どちらかが諦めるまで延々と追いかけっこをしてしまうといったことが起こるのだ。
そうなると、目と鼻の先に敵がいるというのに、次の戦いまで間が空いてしまう。
敵愾心を燃やして戦いに挑まんとしていても、ちっとも始まらないため乗組員達は大いに気勢を削がれることになるのだ。
そんな時にどうするかを考えるのも船長の資質と言えた。
ドラケは甲板に無造作に積み上げてあった略奪品の箱や樽を、それぞれ船倉へ移すよう配下に命じた。それらは襲撃初期に拿捕した船の略奪品である。船倉にしっかりと収めておかなければ、次の戦いで傷物になったり邪魔になったりする可能性があった。
「へーい」
すると海賊達も、疲れているのにもかかわらず、不平を漏らさず荷物を抱えて梯子段の上り下りを始めた。彼らも海賊歴が長いから、いくらイキっていても疲れるだけだということを知っているのだ。やれることをやれる時にやる。そういう切り替えの速さが、海賊に求められる資質なのかもしれない。
「あと、子供達を休ませろ! いいな!」
「ラーラホー、船長!」
「お前達も、はしゃいでないで眠れる時に眠っておけ!」
大砲の傍らにいた子供達が「はーい」と声を揃え、疲れを癒やすべく船室に下りていった。すると入れ替わりに掃除の担当者が上がってきて、血で汚れた甲板の掃除を始める。
海賊と言いながらも、オディール号の規律はこのように存外よく守られていた。それも全てはドラケの薫陶が隅々にまで行き届いているからなのだ。
「お頭! オディールの奴が叫んでますぜ!」
見張り員のガルツからの報告がドラケの耳に入ったのは、そんな時だった。
ドラケは、振り返りざまに見張り員ガルツの頭を拳でぶん殴る。
「痛っ、何すんすかっ!? いきなりっ!」
「船長と呼べと言ったろっ!」
「す、すみません」
「それと、オディールがあれだけ騒いでるってことは、お前、見張りを怠っていただろう!?」
上空で何やら忙しなく舞うオディールを見上げたドラケは、ガルツにそう指摘する。
「す、すみません。つい戦いに目が行っちまって。あの凹凸の少ない細っこい身体じゃ、眺めていても飽きますし、俺としちゃあもっと豊満なほうが……」
「馬鹿野郎。そんなこと本人の前で決して口にするなよ! あいつ案外気にしてるんだ!」
「分かってますって! おいらだってそんなに命知らずじゃねえ!」
「とにかくこれに懲りて、二度とオディールから目を離すな。いいな!」
「ら、ラーラホー船長!」
それだけ言い終えると、ドラケは単眼鏡を取り出し上空のオディールへ向けた。すると漆黒の翼を広げたオディールが再び踊るように舞った。
そのバレエにも似た空中舞踊は実はそのまま信号となっている。戦場ではあちこちで大砲が発射され、海賊の雄叫びや乗客の悲鳴が上がる。そんな環境ではとても声だけでの意思疎通は不可能だ。そのために編み出されたのが彼女達の信号舞だった。
もちろん誰も見てなければ意味はないのだが……
「ガルツ! オディールの信号舞を読み上げろ」
「は、はい。花、黒、青、黄色、……意味は……えっと……警戒、敵、近付く……以上っす!」
ガルツは手元の信号表と照らし合わせながら言った。
「『敵、近付く』だと!?」
ドラケはオディールの指差す方向に単眼鏡を向けた。すると確かに見慣れない何かが飛んでいる様子が見えたのである。
翼や胴に赤い丸のマークが入っている。噂に聞くニホンのヒコウキだ。
しかしその動きは、オディールが言うような警戒が必要なものとは思えない。ヒコウキは狩り場となった海域の外縁を、ゆっくりと周回しているだけだからだ。
「ちっ、くそっ。そういうことか!」
しかし、一見無害に見えるその行動が何を意味するかに気付いたドラケは舌打ちした。
「ガルツ、信号旗を掲げろ。撤退だ! ずらかるぞ! 取り舵!!」
甲板で作業をしていた海賊達は、信じられないものでも見るかのような顔をして、働かせていた手や足を止めたのだった。
船長は、船の上では絶対的存在だ。
乗組員はたとえ納得できなくとも、船長の命令に従わなくてはならない。
「と、取り舵いっぱい」
操舵室にいる操舵長は、首を傾げながらも舵柄を引き、甲板員達も何が起きているのかと疑問に思いつつ、言われるまま帆の向きを変えていく。
オディール号は獲物を追うコースからこうして離れていった。
「船長!? 一体何をやってるんです!?」
するとクォーターマスターのパンペロが血相を変えてドラケの元にやってきた。
クォーターマスターとは、海軍や民間商船にはない海賊独特の役職だ。
船の上では船長に権力の全てが集中している。しかしそれでは乗組員達が一方的に酷使されるだけで終わってしまう。そしてそのままにしておくと、反感を溜めた乗組員が反乱を起こして船長を追放するという結末に向かうことになる。
そういった事態を防ぐために作られた役職がクォーターマスターであった。
乗組員達の代表として選出されたクォーターマスターは、船長の権力濫用を監視し、海賊活動で得た戦利品の公平な分配を担当する。言わば、企業における組合代表のような立場だ。
そんなクォーターマスターが、ドラケの判断に異議を唱えるのも至極当然であった。
これまでオディール号が海軍の軍船を片付けることに専念してきたのは、パンタグリュエル商船団の財貨を奪い取って我が物とするためだ。ここに至るまでの苦労、血と汗の代価は、これから回収するのである。それを途中で止めてしまったら全てが台無しだ。
「んなことは俺だって分かってるさ、パンペロ。でも仕方ないだろう?」
「船長、一体何故なんですか?」
「あれだ、全てはあいつのせいだ……」
ドラケは、嫌そうな顔をしながら空に浮かぶP3Cを指差したのである。
オディール号のマストに、するすると信号旗が上がる。
黄色、緑、白、青……色とりどり、様々な模様の旗が並ぶそれは、ドラケから全海賊船に向けて退却を指示するものであった。
すると三隻の船が、『了解』を意味する旗を揚げ、オディール号の後ろを追従するべく針路を変える。だが、他の海賊船は彼の指示に従う素振りを見せなかった。
「ちっ、くそっ! どうして奴らは俺に従わない!」
パンタグリュエル商船団のような大きな獲物を襲う際、海賊は他の頭目に声をかけて複数の船団を集めて仕事をする。そうしないと護衛に付く海軍の艦と渡り合えないからだ。それゆえ今回は、ドラケが率いる四隻の他、ダーレル海賊船団から五隻、ブラド海賊船団から二隻、そして単船海賊が二隻参加していた。
もちろん指揮系統がバラバラでは数の力を活かせないから、最初に獲物を見つけた海賊船団の頭目――今回の場合はドラケだった――が襲撃を仕切るのがしきたりだ。だが、そのドラケの退却指示にもかかわらず、ドラケの船団以外は従わなかったのである。
「みんな獲物に夢中でこっちを見てないんじゃないすか!?」
きっと戦いとお宝と女に夢中なのだと信号手のガルツは言った。
そんなのはお前だけだ、とはドラケも言えなかった。
見張りがよそ見をするなど海軍や民間商船なら厳罰ものの行為だが、ならず者ばかりが乗り込む海賊船では、そもそもそうした厳正な規律を求めること自体に無理がある。退却の指示に素直に従うドラケの海賊団員のほうがむしろ珍しいのだ。ガルツもオディールの信号舞を見逃したが、それも随分マシなほうだった。
「くそっ、なんてこった!?」
ドラケは頭を抱えた。
「どうしますか船長?」
「仕方ない。航海士! 船をモナム号に寄せろ!」
ドラケの命令は、航海士によって具体的な指示に翻訳されて甲板員に伝えられていく。
操舵室で操舵長が舵柄を引き、掌帆長の指示で帆の向きが変えられ、またしても船は針路を変えた。
「船長、一体何しようってんです?」
クォーターマスターのパンペロが問いかけてくる。
「ダーレルの野郎が信号を見てないってんなら、直接言ってやらなきゃならんだろ!? お前達、俺が戻るまで待ってろよ」
「まさか、モナム号に乗り込むんですかい? 他所の船に勝手に乗り込むなんてことしたら、ダーレルのお頭にぶっ殺されちまいやすぜ!」
「馬鹿言うな、いくら奴でもいきなりそんなことはしねえよ」
自分のことは船長と呼ばなければ怒るくせに、他の海賊団の頭目ならば気にしないドラケは自信ありげに言った。
「しないよな?」
いや、彼自身もそれほど自信はなかったらしい。しかし同意を求められてもパンペロには答えようもなかった。
ドラケの目指すモナム号は、ダーレル・ゴ・トーハンが船長をしている船だ。
ドワーフ種のダーレルはもともと船大工だった。
気性が荒く度胸もあり、しかし悪知恵も回ったため、何かと海賊に頼られることも多かった。そのため船匠長として船に乗り込むようになり、いつしか船長になった。そして今では大小十数隻の船を従える海賊集団の頭目として、アヴィオン海賊七頭目の一角と目されるまでに成り上がったのである。
ダーレルは今回の襲撃でもその悪知恵を遺憾なく発揮していた。
海軍のような手間がかかりながらも利益の少ない相手はドラケに押しつけ、自分達は商船団から零れるように逃げていく小型の商船をもっぱら襲っていた。
それは積み荷満載の大型船の優先権をドラケに奪われた腹いせと、出遅れた分を質よりも量で取り戻そうと思ってのことでもある。
今もまた、商船団から離れて逃れようとする小型商船の後方から追い縋り、左舷側に回ってその行足を止めるべく大砲を放とうとしていた。
オディール号は、そんなモナム号の左側へと接近した。しかし戦闘機動中の帆船に舷を寄せるのは簡単なことではなく達人的な操船技術が必要となる。
ドラケが振り返って航海士のスプーニに問いかけた。
「もうちょっとモナム号に寄せられないか?」
「無理だって船長! これ以上寄せたら衝突しちまう!」
二隻の船は波と風に翻弄されながら進んでいる。
概ね真っ直ぐに進んでいるが、波立つ海は陸に例えるなら山と谷だ。駆け上る時は大きく傾き、下り斜面に差し掛かれば滑って波が作る谷間に落ちる。これを繰り返す訳だから、当然横揺れも大きくなるので、不用意に距離を詰めれば舷側同士が激突し、下手をすると船が損壊してしまうことも起こり得るのである。
「お前なら出来るはずだ、スプーニ!」
ドラケは無理を言いながら帆桁の端から甲板に降りてきている動索の一本に手をかける。そして船縁に足をかけて二隻が最も近付くタイミングをじっと待った。その瞬間を見計らい、動索にぶら下がって振り子の要領で渡ろうというのだ。
しかしその時だった。
「きゃああっ!」
目前のモナム号の舷側に開いた窓から、突如として少女が海へと落ちていった。
「あっ、お、おいっ!」
落下する瞬間のジタバタとした振る舞いから察するに、自分の意思で飛び込んだのではなく、外的な力で放り捨てられたという感じであった。
海に落ちた少女は一旦沈むが、すぐに水面上に顔を出す。そして波間で手足をばたつかせていた。おそらく泳げないのだろう。
「おい!」
オディール号の見張りや乗組員達がモナム号の乗組員に伝えようと大声を上げる。しかし大砲の発射音、海賊達の歓声にかき消されてまったく届いていない。
「馬鹿野郎、何やってやがる! 乗組員が落ちたんだぞ!」
そうしている間にも少女は波間に呑み込まれてしまった。
実は海を生活の場としている船乗りでも、泳げる人間は案外と少ない。昨日今日船に乗ったような子供なら尚更だった。
「くそっ」
ドラケは忌々しそうに舌打ちする。そして思い切って海へと飛び込んだのである。
* *
特地の海で用いられる船は、銀座側世界で言うところの『ガレアス型』が多い。
この型は帆と櫂という二つの推進機関を持っている。そのため波が比較的静かだが風向きの変わりやすいアヴィオン海での運航に適しているのだ。
しかし最近、海賊の間では少しばかり事情が変わってきていた。
大砲という新兵器が出回るようになったからだ。
問題はこの大砲が鉄の塊だということ。非常に重いため露天甲板にずらっと並べると船の重心位置が高くなり、船が動揺してからの復元性が激しく低下する。簡単に言うと、船が操りにくくなってしまうのだ。
そうなると船足が遅くなり、獲物の商船に追いつき難くなる。海賊という本業に差し障りが生じるのだ。
そこで船大工でもあったダーレル船長は思い切って櫂漕室と漕役奴隷を廃止した。
大砲によって衝角を用いた戦いの必要性が低下したこともある。無風時は乗組員達を露天甲板に並べて船を漕がせることにして、第二甲板の主を大砲にしたのだ。
これによって船の重心は低くなった。
そしてその結果は良好だった。
彼の工夫は、アヴィオン海諸国の海軍を相手にしても、ほとんど負けることがないという成果をもたらし、今では他の海賊達の多くがそれを真似て大砲を下部甲板へと並べるようになったのである。
海賊船モナム号の薄暗い第二甲板では、ずらりと並んだ右舷側の大砲の隙間で、海賊達が砂鼠のごとく忙しなく働いていた。
「おら、次だ。早く次を撃て!」
船長のダーレル・ゴ・トーハンが、乗組員達を厳しい声で叱咤する。
この男、ぬめっとした禿げ頭と髭面、ドワーフ独特の酒樽のように腹の突き出た体躯という容姿である。
その見てくれとすぐに手が出る暴力的な性格もあって、配下の海賊達は彼のことを非常に恐れていた。そのため追い立てられるように働くのだ。
「ほら、急げ、急げ、急げ! 遅れる奴は大砲の中にその頭をぶち込んでやるぞ!」
掌砲長の合図で、掃除係が大砲の砲口から長いブラシを差し込んで数回前後させる。
続いて火薬役のパウダーモンキー――この世界でパウビーノと呼ばれる少年少女達が、それぞれ担当する砲の尾栓に手を翳し、爆轟魔法を充填していった。
パウビーノとは、広い意味では魔導師だ。
しかしながらここにいる彼らは、実質は魔導師にはなれなかった者とも言えた。
様々な魔法を自在に操るような才能がなく、初歩的な魔法をどうにか使える程度でしかない。そのため師匠から魔導師の道は諦めなさいと見切られたのである。
彼らは自分にも魔導が使えると知った時、いずれは大賢者か、大魔導師か……それが無理でも、とにかく平凡とは違う生活が待っていると野心の炎を胸中に灯した。
自分はそのあたりの一般人とは違う。将来は安泰だ、という優越感に染まったのだ。それなのに、お前にその能力はないと宣告されてしまった。そうした挫折体験は、幼き彼らの夢や希望、自尊心といったものを粉微塵に打ち砕いた。
そんな彼らにとある組織が近付いた。その者達は、中途半端な才能を抱えて腐ってしまった子供達を集めるとこう囁いたのだ。
「お前達の力で、何もかもぶち壊してやればいい。そもそも世の中のほうが間違ってるんだからな。お前達の価値を認めない世の中や世界に何の意味がある? お前は特別な存在だ。他人から尊敬され、敬われる資格がある。なのにどうしてお前達は報われない? いい思いが出来ない? それはどこかの狡い奴らがお前達のいるべき場所を、得るべき取り分を掠め取っているからだ。周りを見ろ! 凡百の馬鹿者どもが、家畜のように扱われている。にもかかわらず、奴らはその狡い奴らを崇めている。搾取されるだけの人生をよしとしてるんだ。だがお前達は違うだろ? 自尊心ある者だ。お前達は世の仕組みに気が付いている。真に倒すべきものが見えている。だからその全てを、間違った全てをぶち壊せ! 大砲と、お前達の力で思い知らせてやるんだ! 犠牲? 気に留めるな、小狡い奴らに従っているような奴らは向こう側、つまり敵だ! これは全てをひっくり返すための戦い、戦争なんだ。戦争に犠牲は付き物だろう?」
彼らの言葉は鬱屈した少年や少女達の心を巧みに捉えた。
少年や少女達は行き場のなかった暗い情熱を特訓に注ぎ込み、己の役目を爆轟魔法に特化させたのである。
全ては自分達を認めなかった世の中を破壊するため。新兵器である大砲はまさにそれに相応しい武器だ。彼らは海賊とともに既存の価値観、制度、人間……あらゆる全てを圧倒し、打倒し、破壊し尽くすため、額に汗しつつ渾身の力を振り絞っていた。
少年が息せき切りながらも叫んだ。
「お、終わりました!」
「よっしゃ!」
すると待っていたかのように、海賊の一人が砲口から人の頭サイズの鉄の塊を押し入れた。
「撃ち方よーい!」
装填が済むと、全員で砲架を押し、砲口を砲門――舷側に開いた小窓――から押し出す。
「用意よしっ!」
既にモナム号の右舷側には、敵商船が横腹を曝している。それに向けて掌砲長が狙いを定めた。
「撃て!」
ダーレルの合図で、尾栓の火口に火縄が押しつけられる。
大音声とともに大砲が一斉に火を放った。
発射の勢いを受け止めた砲身が、砲架とともに船内で後退し、もうもうと大量の噴煙が辺りを満たした。
本来、爆轟魔法では噴煙は生じないものだ。しかし焼素と燃素の混合割合が適正でないとこのような噴煙や煤が生じる。完璧な割合を短時間で構成できるのは、真に実力のある魔導師くらいなのだ。
しかしそんなことは些末なこと。要は砲弾を撃ち出せればよいのだから。
砲弾は真っ直ぐ飛翔し、商船の舷側に直撃。飛び散った木片が、周囲にいた乗組員に横殴りの吹雪のごとく降り注いだ。
「命中!」
「やったぞ!」
商船の乗組員達が次々と斃れていくのが砲門から覗けた。
敵を倒した。自分の力が敵の船を打ちのめした。
破壊衝動が達成された爽快感に、パウビーノは酔った。
自分の力がこれだけのことを成したのだという威力に酔いしれた。
そして、他の海賊達と一緒になって歓声を上げたのである。
「お頭、火矢が飛んできましたぜ!」
商船の側も一方的に殴られてばかりではいない。
反撃のために豪雨のごとく放たれた火矢が、モナム号の右舷に次々と突き立つ。甲板にも突き刺さる。帆にまで突き刺さって、火をあちこちに燃え移らせていった。
だが海賊達は、そんなものには痛痒を感じなかった。燃え移った炎がそれ以上広がらないように、手慣れた様子で水をかけ、砂をかけて回る。
「次だ。次の用意だ!」
消火作業が滞りなく進んでいることを確認したダーレル船長は、砲手達を急き立てるように次弾の装填作業を命じた。
砲の掃除が終わると、パウビーノは呼吸を整える間もなく次の魔法のために全身の魔力をかき集める。そして尾栓に手を翳し、薬室内に爆轟魔法を構成していった。
「よし、次いいか?」
「あうっ……」
だがその時、一人の少女が崩れるように膝をついた。
少女の全身から滴る汗が、甲板に水溜まりを作っている。少女はそのまま水溜まりの中に倒れ伏してしまった。
大量の発汗、呼吸困難、全身の痙攣――それらはいずれも魔力を消耗し過ぎた時に起こる症状だ。
「何してやがる! 誰が寝っ転がっていいって言った!?」
掌砲長が怒鳴った。
少女は爪先で小突かれると、立ち上がろうと力を入れる。だが、疲れ果てているせいか、小さなその身体すら起こすことが出来なかった。
「も、もう無理……です。少し休ませてください」
すると後ろで見ていたダーレルが手を伸ばし、少女の髪を鷲掴みにして持ち上げた。
「はぁ、ふざけたこと言ってるんじゃねえ! 無理ってのはな、嘘吐きの言葉なんだよ! その言葉を理由に途中で止めちまうから物事ってぇのは無理になる! たとえ出来なくても続けろ、続けていれば、いずれ無理じゃなくなるんだ!」
「そ、そんな……理不尽な……」
「だいたいこれしか能がないお前が今頑張らなくていつ頑張るってんだ? 弱音吐いている暇があったら、気合い入れやがれ!」
「ダ、ダメです。無……理です!」
「まだ無理って言うか? 本当に無理か?」
「は、は……い」
「なら、役立たずのお前は不要だ!」
ダーレルは興味を失ったかのような表情を浮かべ、少女の身体を持ち上げると海に投げ捨てた。
「な……」
少女は我が身に起きたことを理解できないまま、左舷側に開いた砲門から外へと投げ出される。
「ひ、酷……い」
それを見ていた他の海賊、そしてパウビーノ達は驚きと恐怖で息を呑む。
ダーレルはそんな少年の一人に右手を伸ばして捕まえると命じた。
「これからはこっちの砲もお前が担当だ、いいな!?」
「え、ええっ!?」
これまで担当していた砲の面倒すら大変だというのに、今からそれが倍になる。その絶望感に声を上げた。
しかしダーレルは皆を振り返って告げた。
「お前達も、よく聞け! この船には役立たずを乗せてる余裕はねえ! 海に放り出されたくなければ死ぬ気でやるんだ。いいな!」
パウビーノ達は絶望感に天を仰ぎたくなった。
話が違う。自分達パウビーノは大砲操作になくてはならない存在として、もっと敬われるはずだったのだ。
しかし逆らえば海に放り出される実例を目の当たりにしたばかりである。
皆がダーレル船長の視野に自分の姿が入りませんようにという思いで、自らの命を削るような爆轟魔法に神経を集中させたのである。
モナム号の第二甲板に、オディール号船長のドラケがやってきたのはそれから大砲を三回ほど斉射した後だった。
「おい、ダーレル!? どこにいる? 出てこい!」
ドラケ船長は衣服や髪がびしょ濡れであった。そして小脇には、先ほど海に放り投げられたパウビーノの少女を荷物のごとく抱えていた。
「なんだ、ドラケじゃねえか? 貴様、一体何しに俺の船にやってきた!」
ダーレルは砲撃の指揮を副長に任せると、太い腹を巡らせてダーレルと相対した。
「何しに、じゃねぇ! お前、いくらなんでもこりゃあねえだろ!?」
ドラケは海から拾い上げた少女の襟首を掴んでダーレルの前に突きつける。少女はまるで猫の子のようにだらっと吊り下げられた。
「なんだお前? まさかそんな役立たずを届けるために来たのか?」
「お前、こんなことしてギルドの奴らになんて申し開きする!? 大砲もガキどもも全部、借りものなんだぞ!」
「んなの知るかよ! お前と違って、俺はギルドの奴らにどう思われようと構いはしねえんだ! だいたい武器ってのは消耗品だろ? ギルドの連中だって、損失分の金をきっちり納めてれば文句は言わねえよ!」
要するに金銭で始末をつけると言っている訳だ。ドラケにはそれが気に入らなかった。
「ちっ、たくっどうしてお前って奴はそんなんなんだ!?」
「お前こそ! わざわざそれを言って俺を苛つかせるためにこの船に来たのか?」
「いや、違う。アレを報せるためだ」
ドラケは再び少女を小脇に挟み込むと、舷側に近付いて窓から見える空を指差す。
「アレが見えるか?」
「何があるって言うんだ?」
舷側に歩み寄ったダーレルが見上げると、白い胴体に赤い丸の入った見慣れない何かが、少し離れた蒼い空をゆっくりと飛んでいた。
もしこの時、周囲が静かであればP3Cのエンジン音も聞こえただろう。しかしこのモナム号は大砲をひっきりなしに轟かせていて、その程度の音はすべて打ち消されてしまう。
「なんだありゃ?」
「ニホンのヒコウキって奴だ」
あれが何を意味するか分かるな? とドラケは念を押す。
「さあ、分からんな?」
しかしダーレルは首を傾げるだけであった。
「要するに、今すぐここからずらからないと不味いことになるんだよ!」
「どうしてだ?」
「あの死告天使が姿を見せたら、次にやってくるのは多分『飛船』だからだ! 飛船の噂は、お前も聞いているだろ?」
飛船というのはもちろん比喩表現で『飛んでいると見間違うほどに足の速い船』という意味である。海賊達の間でニホンの船はそのように噂されていた。
曰く、目にも止まらぬ速さで進む。
曰く、とてつもない威力の大砲を持っている。
だが、実際にそれを見たことがある者は海賊にはいない。その姿を直接見た者のほとんどは捕らえられ、ティナエに連行されてしまったからだ。
では何故そんな噂が流れるのかと言えば、ナスタに潜入した海賊側の諜報員が、逮捕された海賊に接触して情報を得たからである。
しかし、それがゆえにダーレルは耳を貸さなかった。
「んなもん、ただの噂だ噂。捕まった弱虫どもが、言い訳に尾ひれを付けただけだろ? 確かにニホンとやらの国の船は来てるが、飛船なんていうほどのもんじゃない」
「けど、お前もよく知る頭目連中だってとっ捕まってるんだぞ!」
例えば、アヴィオン海に住む人々を恐れさせた海賊七頭目の内、ベナン・ガ・グルールとアガラー・ル・ナッハは既にティナエに捕らえられている。
「奴らが間抜けだっただけさ」
それでもダーレルは鼻を鳴らした。
「海賊七頭目に数えられていた連中が、揃いも揃って間抜けだったと?」
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