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1抜錨編
1抜錨編-3
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航海科の三人は、器差や個々の観測技量の差などからそれぞれ僅かに異なる数字を報告したが、航海長を兼ねる副長は、それらを総合して現在位置を北緯二八度一七分、東経は一四度五〇分と導き出した。
『きたしお』は無事に予定していた位置に到着できたのである。ここで江田島と徳島は艦から降りることになる。
『徳島二曹、発令所。士官食堂へ』
発令所からの放送が流れる。
既に準備を終えていた徳島は荷物を担ぐと士官食堂へと向かった。
見れば江田島が特地の民間人のような服装をして待っていた。もちろん徳島とて同じだ。肌の色、髪の色などよくよく見れば微妙に現地人とは異なるのだが、様々な亜人種と混住するこの世界ではその程度の差異ならば誰も気にしないのだ。
「徳島君、準備は出来ましたね?」
徳島の姿を見れば既に準備が完璧なことくらい分かるだろうが、江田島は部下の気構えや調子を見るという意味も込め、お定まりの台詞を投げかけてくる。
「はいっ。出発準備良し、です」
江田島は徳島の返事に満足げに頷いた。
「では、参りますか」
「はい、参りましょう」
そして二人で士官食堂を出ると艦尾の方角にある梯子へと向かった。
見れば狭い通路内、乗組員達がボート用の船外機を運び、梯子を通じてハッチの外に搬出しようとしている。また別の乗組員はアタッシュケース大のジュラルミンケースを運び出してきて、そのあまりの重さに「おい、徳島。やたらと重いがこれ一体何が入ってるんだ?」などとボヤいていた。
徳島が笑いながら言った。
「それ、扱いに気を付けて。もし落としたら大変なことになりますよ」
「え、マジかよっ!? 爆発とかするのか?」
「中身が飛び散ったら回収するのがすごく大変だという意味です。なので慎重にお願いいたします」
江田島が補足説明して危険物ではないことを告げた。
上甲板に出ると外はまだ薄暗い。だが東の水平線近くは、陽がすぐそこまで昇ってきていることを示すように薄らと白くなっていた。
見送りに出てきた黒川艦長が声を掛けてくる。
「江田島、気を付けて行ってこい。徳島二曹、江田島の奴を頼んだぞ」
「はい、艦長。江田島さんがアレなのはいつものことなので、大丈夫です。なんとかします」
徳島は私服ということもあって頭を下げて敬礼した。
振り返れば既に船外機の取り付けを終えたゴムボートに、田上先任伍長が艇長として乗り込んでいる。ジュラルミンケースの積み込みも終わり、ケミィらアクアスの娘達が江田島達を待ちわびていた。
まず徳島が潜水艦の曲斜面から足がかりとして置かれた縄梯子を踏んでゴムボートに乗り移る。最上級の江田島が最後だ。
徳島は片手を海に浸し、指を口に運んだ。
「しょっぱさは日本の海と同じだね」
「そりゃ海やから、味が違ったらおかしいやろ?」
世界が違っても海は海やろ? とケミィが言った。
「でも、やっぱり味は微妙に違うよ」
「ホントなん?」
「うん、こっちの海の方が美味しい……」
その時、田上先任伍長が船外機のエンジンをかけた。ほどなくボートはゆっくりと『きたしお』の舷側を離れていった。
「こっちや!」
そしてケミィ達アクアスの誘導に従って、水平線の彼方にある陸へと向かって進んでいったのである。
02
船と呼ぶには小さいが、ボートと呼んでしまうには大きな帆艇が波のない凪いだ海面にたたずむように浮かんでいた。
帆柱に掲げられた大三角帆が力なくだらりと垂れ下がっている。艫(船の尾部)の近くに座って舵柄を握る人物は、弱り切った表情をしていた。
「オデットの言うことを聞いて、海に出るのを控えておけばよかったな」
右目に黒い眼帯をした精悍な顔つきに、項を露わにするほど短く切り揃えられた黒髪。それだけ見ると少年かとも思うが、首から下へと視線を移せば出るべきところはきっぱり突き出て、締まるべきところはキュッと締まっている。
その恵まれた肢体を麻製のテュニクと帆布製の短穿で包みつつ、小麦色の腿や脚はもっと焼かれよとばかりに露わになっていた。
彼女は呟く。
「『今朝の四海神は朝寝坊。おかげでナスタ湾には風はそよぎすらしない』ってお告げが出てたのに。まさか霧が立ちこめることを意味するなんて考えが巡らなかったよなあ」
今、海の上は霧が発生している。霧という白い薄幕によって四方の視界は完全に覆い尽くされているのだ。
「視程は……三レン(約四・八メートル)もなし。これじゃあ、何にも見えやしない」
艫付近に腰掛けた彼女は自分が乗る帆艇の舳先すら満足に見えていなかった。
今、見えているのは自分と舟の舷側。それと、その向こう側にある波のない凪いだ海水面だけ。
こうなってしまうと方向も何も分からず、どこに行くことも出来ない。
風が吹かないというお告げを聞いた時、風が吹かなければ波もないのだから艪を用いて戻れば問題ないと思ってしまったのが失敗であった。もちろん明けない夜はないように、この霧とてじっと待っていればいずれ晴れる。だからそれを待てばよい。しかし、彼女にはその余裕があまりなかった。
「酔姫をがっかりさせたくないんだよなあ」
見れば船底の盥には、魚が横たわっている。網を打って獲れた白身魚のエリダが五尾、既に血抜きも済んで料理されるのを待つばかりとなっていた。
思わず艪に手を伸ばしそうになる。
「だけど……そう、こんな時は失敗に失敗を重ねないのが優秀な船長ってもんさ。お告げの意味を深く考えなかったのが最初の間違いなら、焦って闇雲に漕ぎ出すのも失敗だ。ここは、すぱっと何かを諦めることが大事なんだ」
そう呟いて艪に伸ばした手を引っ込めた。
娘の名はシュラ・ノ・アーチ十八歳。この小さな帆艇アーチ号の船長である。
シュラは黒く塗装された青銅製の号鐘を帆柱の天辺に掲げると、ごろんと帆艇の底に寝転がった。帆柱に掲げた黒い号鐘は「この船は動いてない」ということを周囲の船に報せる形象物である。霧に包まれ視程がない時は、繋がる紐を引っ張ってカランカランと鳴らして報せるのがアヴィオン海の掟となっている。
「まあ、さすがにこんな霧の中で船を走らせている馬鹿はいないだろうけどね」
船は急には止まれない。目隠し状態で船を走らせると、突然目の前に現れた他船に激突する恐れが高い。だから普通の船長ならたとえ羅針儀を備えていてもその場に船を停泊させておく。そのためシュラの号鐘の鳴らし方もおざなりというか、とりあえず規則に従ってやっているという言い訳作りというか、危機感のない、いい加減なものとなった。
やがてシュラは突如立ち上がると、一人芝居を始める。
「シュラ船長! 右舷四点の方角に海賊船が見えます!」
見張り役のつもりなのか、霧に閉ざされた一角を指差す。
すると今度は船長役になって空想の部下達に号令を発する。
「おおっ! あれはティナエを悩ます悪い海賊共だ。野郎共、戦いの支度をしろ!」
「合点だ!」
「全速前進! 帆を風で満たせ! おも~か~じ、いっぱ~い!」
そして今度は操舵手を演じて舵柄をぐいっと引っ張る。
「おも~か~じ、いっぱ~い」
だが、アーチ号はぴくりとも動かなかった。
対水速度がなければ舵は働かない。そして帆が風を受けるか、あるいは艪を漕ぐかしなければ船は進まないのだ。
「……はあ」
一人遊びに飽きたのか、シュラは崩れたようにごろんと船底に横たわった。
「退屈だ、退屈だ、退屈だ……」
そして足を高く掲げると号鐘に繋がる紐を爪先で引っ張り始めた。それは、人目がないからこそ出来ることだ。
カラン、カランと不規則に鳴る乾いた号鐘の音だけが、霧のナスタ湾に孤独に響いた。
船底に横たわって、霧が晴れるのを待つことしばし。
どれほどの時が経ったのか、鐘を鳴らすのにも飽きてうつらうつらと睡魔に襲われそうになった頃、シュラの耳にこれまで聞いたことのないような音が届いた。
「ん?」
喩えるならば、動物の唸り声に近いかも知れない。
身を起こして船縁から顔半分を出し、音の聞こえてくる方角を睨む。すると、薄い霧の向こうで何かの影がゆっくりと横切った。この変な鳴き声は、それが発しているようだ。
「船? それとも鯨!?」
やがてその何かが立てたのであろう引き波が、アーチ号を小さく揺さぶった。おかげで夢を見ているわけでも、目の錯覚というわけでもないことがはっきりする。
今の影は一体何なのか? 普通の鯨だったらよいが、もし鎧鯨だったら船が襲われて大変なことになる。何としても正体を見極めなくてはならない。
「風は?」
自分の舟の帆を見たが、もちろん風は受けてない。
仕方なく号鐘を取り外して舵を上げ、代わりに艪を海に下ろした。そして艪の柄を握ると静かに全身に力を入れる。
幸いなことにシュラは漕ぎ手として優秀なこともあり、ほどなくして先を進む奇妙な音を立てる影に追いつくことが出来た。
影の方もこれだけ霧に包まれていると速度は出せないようでゆっくり進んでいる。それが追いつくことが出来た最大の理由だろう。シュラは正体不明の影とつかず離れずの距離を保つよう、力を加減しながら進んだ。
やがて、進行方向の霧の向こうに、薄らと桟橋や、埠頭の建物の影が浮かび上がってきた。
ぼやっとした灯りは港の灯台。そして船に積まれている号鐘とは明らかに異なる、肉厚な霧鐘がゆっくりとした単調なリズムで響いていた。
「この鐘はロベッサ埠頭の桟橋だね? ありがたい」
港湾施設があることを示す鐘の音は、それぞれの埠頭によって微妙に異なっている。
この音はアーチ号の母港のものではなかったが、シュラには馴染み深い。これを聞いただけでシュラの頭の中には、自分がナスタ湾のどこにいるのかが浮かんでいた。
先に進んでいた影は、いつの間にか薄らと見える桟橋に寄り添っていた。動物の唸り声のような音も静まっている。
「ここらでええか?」
「はい。助かります」
静かに近付いていく。すると会話らしき声も陸からの柔風に乗って聞こえてきた。
どうやら影は舟らしい。鎧鯨の類だと思ったのは杞憂だったようだ。
危険な怪異による災害が起こらずに済んでほっと胸を撫で下ろしたが、同時に危険な霧中航行を行った船長がどんな人間なのかが気になった。
「あんな霧の中、一体どうやって」
もしかすると、海上交易で成り立っているティナエの商船を雲霞のごとく襲っては苦しめ続けている悪い海賊の一味かもしれない。悪党達がティナエに諜報員を上陸させようとしていたとしたら、正義の海賊アーチ一家の生き残りたる自分には通報する義務がある。
シュラは艪を深々と水中に沈めた。
抵抗がかかって船足が止まるとシュラは艪を引き上げ、船縁に隠れるようにして桟橋の様子を窺った。
幸い陸からの風が霧を押し退けるため、埠頭の近くは霧が薄い。見れば二人の男が木造の桟橋に降り立っていた。
舟の方にも何人かの人間が残っている。
「アクアスか?」
舟の上には、下半身が鰭であるアクアスの女達の姿も見えた。
小舟の周囲にもそれらしき影が何人分もある。なるほど、光の届かない深海で暮らす海の民なら、霧の中でも針路を見失ったりはしないだろう。
帆にも艪にも頼らず舟が進んでいたのも、きっと彼女達が水中から綱か何かで牽いていたからに違いない。妙な音の原因だけが謎として残ったが、それをこの場で解明することは難しいだろう。無理に結論を出そうとするとかえって間違えることになる。ここは勝手な解釈はせずに、見たまま全てを通報する方がいい。
「ホナ、がんばってな~」
アクアス達は桟橋の男達に手を振り、小舟と共に再び離れていった。
上陸した男達は、アクアス達を見送ると何かに向かって話しかける。
『コチラフジサンマル。サバヲ、ギョキョウニミズアゲシタ。クリカエス。サバヲ、ギョキョウニミズアゲシタ』
そしてそれが済むと素速く荷物を抱え、霧に包まれた埠頭の向こうへと消えていったのである。
* *
徳島は江田島の部下となって以来、特地の様々な国や地方に赴いてきた。
初めて旅をする土地では、最初に市場に行くようにしていた。大抵の市場は朝早くから開いているし、そこに行けば現地の人々が何を食べているのか、物価はどのくらいなのか、その土地に住まう人々の性格はどうかが掴めるからである。世間話にかこつけて情報収集もしやすい。
この港町でも朝早くに漁船が戻ってきた頃合いから市場が開いて、ヒト種やそれ以外の様々な種族によって賑わっていた。
「おじさん、魚を見せておくれよ!」
徳島は早速漁船の前で店を開いている白髪まじりの人狼種に声を掛けた。
「おうっ、今朝は活きのいいのが揚がったよ!」
人狼男性は盥に入った大型の魚を見せてくれた。
「おおっ、これはアザンシ! これって北の方の魚じゃなかったっけ?」
アザンシというのは日本でいうムツに似た特地の魚だ。
「何言ってるんだ。このあたりが本場だぞ! 見ての通り活きがよさそうだろ? 今なら一尾銅貨三枚に負けておいてやるぞ」
物価は他の地域に比べて高いようだ。
「う~ん……買った!」
「まいどありっ」
ふと徳島は、傍らにうち捨てられている魚を指差した。
「あれ、そっちの魚は何? あんまり見ないけど」
「ああ、こいつはインデルマだ。時々網にかかるんだが売り物にならなくてな」
「へぇ、そうなんだ。どういう魚なの?」
「実はな……」
こうして市場を端から端まで歩き、民情と概ねの物価を調査した徳島は、埠頭で港に浮かぶ船舶の写真を撮っている江田島のところに戻り、戦果を報告した。
「統括、江田島統括! 見てくださいよこれ!」
「どうしたんですか、それは?」
問わずとも答えは分かっているはずだが、礼儀正しい江田島は毎度のことと無視したりせずに尋ねてくれた。
「もちろん今朝の戦果です。このアザンシは刺身にしても、そのまま焼いてもムニエルにしても美味いんですよ。昼飯はこれで行きましょう。ここの漁港は結構賑わってまして野菜も種類がたくさんありました。こっちの黒いのがデン、日本でいう黒大根ですね。こっちの穀物がオリザル。海藻に生る餅米みたいなもの。まず黒大根の皮を剥くでしょ。そして小指の太さほどの厚みに切ってフライパンで焼きます。表面をきつね色になるまで焙ったら、焼いたお餅を大根で挟むんです。そうだ、こっちのチーズを一緒に挟んでも良いですよね。火の通ったデンは軽く囓るとホクッと柔らかく、でも中心には餅のモチモチとした歯応えが待っています。問題は味付けですよね。こういうのは味噌ダレみたいなトロみのあるものが食材に絡んでいいんだけど……どういうのにしようかなあ」
「徳島君。認識が誤ってますよ」
「へ、何がですか?」
「まずここを漁港だなんて言ったことです。ここは『碧海の美しき宝珠ティナエ』という国の首都でナスタといいます」
「へっ、首都? ここが?」
徳島は寂れた漁村のような雰囲気を醸している港町を見渡した。
「はい、そうです。今の貴方の言は、そうですねぇ……築地市場を見て東京港をただの漁港だと断言してしまうようなものです。貴方が見たのはこのナスタという海上都市のほんの一部の、隅っこでしかないのです。言わば巨大なナスタ港の漁業地区なのです」
「へぇ、そうなんですか? しかし統括は詳しいですね」
「アルヌスでカトー老師よりレクチャーを受けて参りました」
「ああ、あのおじいさん先生」
「前もって潜入する地域の情報を得ておくのはこの仕事をする上で大事なことですからねえ。徳島君も自分の好きな分野以外にも目を向けるべきだと思いますよ」
「ああ、いや、そういうのは俺は苦手なので、統括にお任せします」
「仕方ないですねえ」
江田島は徳島を見て何かを諦めるように頭を振る。そして続けた。
「老師の説明によると、このティナエは三十年ほど昔、アヴィオン王国と呼ばれた大国の一部だったそうです。しかし王家の力も衰えて、今では七つの国に分裂してしまいました」
「なんか戦国時代の日本みたいですね?」
「言い得て妙ですね。つまりこのあたりはそれぞれ各地に割拠した群雄が天下を奪い合う戦国時代に似た状況なのです。朝廷や幕府に相当する旧王室の権威もかろうじて残っているようですしね。君の喩えに合わせるならば、このティナエという国は商業で栄えた堺か博多といったところでしょうかねえ」
徳島は、きょろきょろと周囲を見渡しながら歩いた。
しばらくすると、確かに江田島が言うように、ナスタの港がとてつもない規模を持っていることが分かってきた。魚市場のある地域から周囲に視線を向けてみれば、岸壁に大きな倉庫が無数に並び、桟橋にはマストを三本も四本も有するような巨大な木造船が何隻も停泊しているのだ。
「人口はおよそ三百万人。ヒト種が主体ですが様々な種族が混住しています。政体は終身制の統領をトップに戴く共和制。海運で成り立っている商業国家で、最盛期では大小合わせて千隻もの船舶を保有していたとか」
「千隻!? 凄いですねえ。確か海上自衛隊が補助艦艇まで含めて百四十隻ほど、アメリカ海軍が五百隻でしたっけ?」
「一隻あたりの質が全然異なりますから比較の対象としては相応しくはないのですが、日本やアメリカと比較してみるのも、この国における海事の位置付けを把握するための参考にはなるでしょうね。ざっと平均して一隻あたり二百人の乗組員がいるとして約二十万人。この国では国民三十人のうち二人が船乗りというわけです。その家族や港湾労働者など含めれば、国民のほとんどが何らかの形で海に関わって暮らしを立てているわけです」
「市場にあれだけたくさんの魚が水揚げされていたのも、それだけの人口をまかなわないといけないからですよね。食用とされる魚の種類が豊富なのは、魚食文化が豊かだってことに繋がるから、魚料理の方もきっと期待していいですよね……でもそんなに凄い国の首都港がどうしてこんなに寂れてるんです? 物価も妙に高かったですし」
「原因は海賊の出没です。一隻や二隻ではありません。無数の海賊が、ティナエの商船を次々と襲っているんだそうです。これまでにも多くの船が積み荷を奪われ、挙げ句沈められました。大勢の犠牲者が出ているのです」
「この国に海軍はないんですか?」
「海軍はあります。しかし有効な手は打てていないようです。海賊というのは一種のゲリラですからねえ。民間船に艤装して、敵わないと見ると大人しくし、こちら側が油断しているといきなり襲ってきます。こういう相手はどれだけ戦力があったとしても対処は簡単ではない。抜本的な対策をするには思い切った行動が必要になるんですが、この国の政治状況ではそれも難しいようです。ですから貴方も注意してくださいね。この国も特地の他の国と同じく、安全な場所ではないのです」
「はい、分かりました。肝に銘じます」
「では、その海軍を見に参りましょうか」
江田島は周囲を見渡し、この寂れた港の中では人通りが多くなっている一角を指さした。そこは漁港地区とは雰囲気の明らかに異なる、軍関係と思われる船舶が並ぶ区域だった。
「え!? あそこに行くんですか?」
「ええ、待ち合わせまで時間はたっぷりありますからね」
本来ならば徳島達はもっと港から外れたところに上陸し、そこから徒歩でナスタに入るはずだった。しかし天候に恵まれ、霧に紛れて直接このナスタに上陸することが出来てしまったおかげで、大幅に時間の余裕が生まれたのだ。
「ふ、普通は軍事施設っていうのは立ち入り禁止ですよね? なんでまた危険なところにわざわざ? 統括も今し方注意しろって言いましたよね」
「ええ、言いましたよ。しかし危険から逃げているばかりでは任務は達成できません。もし怪しまれたとしても貴方ならなんとか出来るでしょう?」
「え、あ、……相変わらず無茶を言ってくれるよ。この人」
江田島の無茶振りに、徳島は頭を抱えるしかなかったのである。
徳島と江田島は、この国の軍事施設と思われる埠頭に入った。
陸海空自衛隊は、駐屯地も基地も、それぞれ周囲をフェンス類で囲み、自由な往来を禁じることによって外敵の侵入や機密の保持を確保している。この世界の軍事施設も一応は配慮の必要性を理解しているようで、壁やフェンスこそないが埠頭の出入り口は柵で囲われていた。
もちろん出入り口には剣や槍で武装した見張りも立っている。だが、船の出航準備をしているためか資材、物資の搬入の荷車、各種の作業員の往来も激しく、出入り証や身分証の確認はされていない。外部からの侵入防止という観点ではあまり役に立っていないようであった。
おかげで徳島と江田島の二人も港湾労働者の列に混じって進むと、誰に誰何されることもなく内部に紛れ込むことが出来てしまった。とはいえ、柵で囲まれた場所に立ち入る資格を持っていないことは確かであり、見咎められたら相応のペナルティを受けるだろう。可能な限り目立たないようにするしかない。
「ほほう、ここがこの国の海軍基地ですね? 基地というよりは軍民共用の埠頭といった感じですね。まだ軍と民をしっかり分ける概念がないのかもしれません」
「統括が見たいというのはこのあたりですか?」
「いえいえ、私が見たいのはあの船です」
江田島が指さしたのは全長が五十メートル弱。全幅が約九・五メートルという流線型の美しい姿をした船であった。その船は帆走のためのマストを前、中、後と三本備え、それぞれ渡された斜桁にぶら下がる形で三角形の大三角帆が取り付けられていた。
他に特徴的な装備としては、舷側に櫂走するための長大な櫂が片舷二十丁ずつ装備されていること。櫂の長さや太さから推察するにこれを一人で扱うのは無理で、一丁あたり三~五人がかりで操作するはずだ。
江田島はそのオールを見て深々と嘆息した。
「もったいない。せっかく美しい船なのに台無しです」
「江田島統括は本当に櫂のついた船が嫌いですね」
「ええ、私は古い技術をきっぱりと捨てきれない未練たらしさと、ガレー船が否応なく抱えている非人道的な部分がどうにも気に入らないのですよ。この世界の文化や価値観では当然とされていることだけに余所者としては余計なことに口を挟むまいとは思いますが、現代日本で生まれ育った私にはどうしても馴染めないのです」
「なんだ、昔カッター訓練で嫌な体験でもしたのかと思いました」
「とんでもない! 私にとっては楽しい経験でしたよ。あの時の記憶で嫌なことと言えば、櫂を漕ぐ激しい動作を繰り返したせいでお尻の皮が剥けたことくらいですかねえ」
江田島は櫂から目を逸らすようにこの船の別のところに目を向けた。
すると艦首楼甲板に巨大な三連装投石機が装備されていた。
ロープの張力を利用したねじれ発射装置で重い岩を投射するタイプだと一目で分かる。この特地世界でも投石機が攻城戦に用いられているから、設計者はそれを船に搭載して対艦、対地攻撃に使用しようと考えたのだろう。
船体に近付いてみるとほのかに木の香りが漂ってきた。
「どうやらこの船は新造船のようですね」
木タールを塗った黒い船体に、真新しい純白の帆とロープのコントラストが美しい。その船に、船大工や作業員達が群がるようにして荷物や備品の積み込み作業をしている。新品の調度品や棚などの設置作業をしているのだ。
「では、ここにしましょう」
「本当にここで始めるんですか?」
「もちろんです」
徳島は、溜め息を吐くと早速荷物を降ろした。
その傍らで江田島はカメラを取り出すとこの船を撮影し始めた。
船舶の姿を撮影してどうするか? それはデータとして整理分類し、いざ有事となった際の敵味方、中立の識別に利用するのである。
映画や漫画等では、海上で遭遇した船舶について「あの船は敵だ」と簡単に識別して攻撃が始まる。だが、実際にはどれが敵でどれが味方かを判別するという手間のかかる手続きが必要となる。この映像資料はそのための基礎になるのだ。
日本海でも少し前に不審船が発見されたという報道がされ、海上での追跡劇や、自爆沈没といった事態にまで進展したことがある。だが、そういう船を見つけることが出来たのも、そもそもどんな船が不審で、どれが不審でないのかという海上自衛隊や海上保安庁による絶え間ないデータ蒐集活動がなされていたからなのだ。
船の写真を撮る江田島の姿は、当然のことながら傍らを行き来する作業員や、波止場で働いている多種多様な人間から注目を浴びる。だが彼らは何も言わない。カメラという道具を見たことがないから江田島が何をやっているのか理解できないのだ。せいぜい何か妙なことをしている人間がいるなと思うくらいである。しかしながら、港を警備する兵士や軍人が相手となるとそうはいかない。理解できない行動は全て彼らの誰何の対象となるのだ。
「おい、お前達。こんなところで何をしている?」
そこで徳島が携帯用竈に向かって料理をしつつ朗らかに答えた。
「ご覧の通り行商人です。デン餅という食べ物を皆さんにお売りしています」
これが徳島の役目であった。
キャンプ用品のような携帯用竈を広げ、誰が見ても誤解しようのない料理という行為をして、江田島に集まった関心を自分に引き寄せるのだ。
見れば声を掛けてきたのは、恰幅のよい豪放磊落な印象の中年男だ。髭面でこれまでタフな人生を送ってきたことが感じられる顔つきをしていた。
「ここは一般人は立ち入り禁止だぞ」
「そうですか? 誰にも止められなかったので入ってよいのかと思いまして」
「とにかくここからだな……」
「勘弁してくださいよ。もう出来上がるところなのに、ここで料理を止められたら台無しだ」
ちょうどフライパンの上で焼いた大根に、柔らかくなった餅とチーズを載せているところだった。その上にもう一枚ほどよく焼けた大根を載せ、煮凝りと混ぜ合わせた魚醤をさっと塗る。そして最後に魚醤独特の臭みを解消する香草を載せて完成である。
「だいたいデン餅って何だ? 聞いたことがないぞ」
「ご存じでないのは当然です。だって俺が考えたんですから。どうぞお試しになってください。最初の一個は無料で差し上げますからね」
爪楊枝代わりの木串を通して差し出されたそれに、中年男は目を白黒させた。
「いいのか? そんなことしたら儲からないだろう?」
「二個目から銅貨二枚のお代を頂戴しますよ。それで儲けを取り戻してみせます」
「俺が一個しか食わなかったら?」
「どうぞ、きっと気に入っていただけるはずです」
男はすぐにのど仏を上下させた。香り立つ魚醤の匂いが食欲をそそって堪らないようだ。しばらく躊躇っていたが、やがて食欲に負けて徳島からデン餅を受け取った。
そしてそれをがぶりと口に入れる。
「おっ、おおっ……美味いな」
「でしょう?」
徳島は得意げに笑った。
「はい。どうぞ!」
徳島は髭男の連れらしき翼人の少女にもデン餅を差し出す。
翼人少女は瞼を瞬かせつつそれを受け取ると口に運んだ。
小さな口で僅かに囓る。すると明らかに気に入ったような表情をして瞳を輝かせた。
翼人の娘は、小柄で細身、白い水鳥を連想させる翼と羽を全身に纏っていた。
ヒト種の女性に換算すると十五歳くらいだろうか。豪奢な白髪を長く伸ばし、白い羽を冠状に編んだもので頭部を飾っている。そして背中の白い翼と同色の羽で編んだぴったりとした衣装や膝丈の靴で肢体を覆っていた。肩口や腿は露出されていて目に眩しい。
髭の中年男が言った。
「くそっ……俺の負けだ。もう一個くれ」
「どうぞ」
徳島がもう一個デン餅を差し出した。
すかさず江田島が「銅貨二枚を頂戴いたします」と代金を求めると、男は快く払った。
その頃には船乗りや港湾の労働者が魚醤の匂いに引き寄せられるように集まってきていた。そして髭の男や翼人の少女が食べているのを見て、我も我もと銅貨を江田島に差し出して、デン餅を求めたのである。
「お、これは美味いぞ」
「ああ。気に入った!」
江田島は、注文に応えるのに忙しい徳島に代わってお金の受け渡しをしつつ髭の男に尋ねた。
「皆さんはあの船で働いてらっしゃるんですか?」
「ああ、そうだよ」
「あの船は、随分と新しいようですが?」
「そりゃ、ついこの前に進水したばかりだからな。今は艤装中だ」
「どうりで真新しい木の香りがすると思いました。しかし、あの船は実に良い」
「ほう、知ったようなことを言うな。なら聞こうじゃないか? この船のどこが良い?」
「良いところを上げろと言われたら指折り数えても足りないほどですが、私が一番気に入ったのは色っぽいところです。艫のあたりの微妙な曲線が何ともたまらない」
「あの曲線の素晴らしさがあんたに分かるのか?」
髭の男は相好を崩すと江田島に感心したように言った。一方で翼人の少女は何故か顔を真っ赤にして江田島を睨み付けている。しかし江田島はそれに構わず続けた。
「船の美しさとは全体との調和のことだと私は信じています。しかしながらこういう部分にも魅力は隠されています。たとえば、あの曲線のおかげで他の船よりは船足が一割は速いはずです」
「ふふっ、分かる人間がいてくれて嬉しいぞ」
「あの船は何ていう名前が付いているんです?」
徳島が尋ねると、男は我に返り、徳島と江田島を値踏みするかのような眼差しを向けた。
「あんた達、アヴィオンの人間じゃないようだな?」
「ええ、俺達は外国人です」
徳島が答えると江田島が続けた。
「彼も私も船が好きでしてねえ。行く先々でこういう立派な軍船と出会うと、名前とともに記憶しておくことにしているのですよ」
「よかったら教えてくださいよ。お礼にもう一個、ただであげますから」
徳島がデン餅を差し出す。すると髭の男は微苦笑を湛えながら言った。
「仕方ないな。美味い物を食わせてもらった代金として教えてやろう。この艦の船守りはオデット。俺が指揮する予定になっている」
「船守りって、何のこと?」
徳島が質問すると、髭の中年男は驚いたように目を瞬かせた。
「お前達、常識を全然知らないのか?」
「ティナエの風習には疎くって」
「まあ、常識ってのは所ところで違うものだからな。とはいえ、全く知らないとなるとお前さんは随分と遠くから来たってことになるぞ? 帝国の奴らだって、俺達と同じようにはしないもののアヴィオン四海神の知識ぐらいは持っている」
「残念だけど、そうした知識に触れる機会がなかったんです」
デン餅を更に一個、徳島は男に差し出した。
「船守りというのは、このアヴィのことだ」
男は嬉しそうにデン餅を受け取ると、翼人少女の肩に軽く触れた。
その瞬間、翼人少女が白い眉を顰め、ほんの少しばかり嫌悪の感情を表した。
(随分と癇の強い子なんだな。あるいは潔癖症なのかな?)
徳島はそれを見逃さずに心に留め置く。
「海の四方を司る海神エウーロ、ゼヴュラ、ノートス、ボレーの四姉妹はたいそう気難しい。女ってのは大抵そういうものだが、四海神の場合はとりわけそうだ。なので船乗りとしては彼女達のご機嫌を損ねないよう気を遣う必要がある。そこで俺達の先祖は考えた。船の一隻一隻を神殿に見立てて巫女を配属してみたらどうだってな。どんな神様だって自分を祀る祭壇を沈めようとは思わないものだろ? それで旧アヴィオン王国は船に祭壇と巫女を置くようになった。だから、そこから分離独立したティナエも、その伝統を引き継いでいるってわけだ」
「つまり、君は海神に仕える巫女さんなんだね?」
「……」
徳島がまとめると、翼人の娘は無言のままこくりと頷いた。
「お前さんの地元じゃあ、どんなやり方で海神の怒りから船を護っているんだ?」
「艦に艦内神社と呼ばれる祭壇を置いて祀ってます」
徳島の言うように護衛艦や潜水艦には神棚がある。護衛艦『いずも』に至っては、出雲大社の分社があったりする。
「なあんだ。なら、たいして違わないじゃないか。それぞれ祀られた神様が祭壇のある船を守ってくれるってわけだ」
「けど、専属の神主や巫女さんを置くまではしてません。乗組員の一人が係として管理を受け持つだけです」
「しかしそれだと困らんか? 天気や潮の流れ、満ち引きの時期なんかはどうやって知る?」
この一言で、徳島は船守りの果たしている役割を洞察した。
巫女達は天気や海況の予報を行い、それで船は海難を避けるのだ。
亜人種族の多くは自然現象に対する鋭敏な知覚を持っていることが分かっている。
かつて帝都でも、亜人女性が地震を予知したことがあった。おそらく天気予報に関してもわりと実用的なレベルで的中しているのだろう。しかし、それがために学問としての気象学は、この世界では全く発達しなくなっているのだ。
「まあ……観察と経験と知識の積み重ねでなんとか……」
「なんだ。帝国の奴らと同じか。しかしそれだと恐ろしくないか?」
すると江田島が言った。
「経験と知識の積み重ねも、個人の範囲を超えて大勢のものを持ち寄りますと馬鹿にならないのですよ。いや、しかしながらこの地域の風習は理解しました。このオデット号の巫女は、こちらのアヴィさんなのですね?」
「君、すごいんだねぇ」
徳島が感嘆したように言うと、翼人の少女は恥ずかしげに顔を伏せた。
すると髭の男が若干の訂正をする。
「概ねそうだがちょっと違う。翼皇種というのは翼人の中でも海神に仕える高位の巫女種族の名称だ。この娘の名はオデット。付け加えておくが翼皇種に船守りをしてもらえるのは大変に名誉なことなんだぞ」
徳島が合点がいったと手を打った。
「もしかして船守りの名が、船の名前になる?」
「そうだ。この娘オデットが、艦の意思であり魂だ。んだから、さっきのこちらさんの発言はこの娘の尻の曲線が艶めかしくていいと言ったことになる。面と向かって魅力的だってな」
江田島は慌てて頭を下げた。
「おっと! これは知らぬこととはいえ、大変失礼いたしました。謝罪いたします」
するとオデットは若干頬を赤くしつつ、「知らなかったのだからよいのだ」と謝罪を受け入れてくれた。
「であれば、貴方がこのお嬢さんを丁重に扱ってらっしゃるのも合点のいく話です。艦長にとって、船との付き合いは最大の関心事ですからね」
「そうだ。女房以上に深く熱い仲にならないとな」
男は言いながら、翼人少女の腰に腕を回そうとする。だが肘鉄を脇腹に食らっていた。
「いてて」
すると周囲を取り囲む乗組員や労働者達が笑った。
先ほどの嫌そうな表情に加え、この肘打ちである。どうやらこの二人、まだまだ親しい関係にはなっていないらしい。
「この『娘』も進水して三ヵ月だ。突貫工事で艤装作業させて、どうにかこの形にまで持ってきた。竣工まであと少しといったところだ」
「船出の時も近い?」
江田島が核心に迫っていく。
「もちろんだ。乗組員の手配さえつけば、水と生糧品の積み込みに二、三日ってところだな。そうしたら僚艦共々海賊退治に出航できる」
「なんと!? 艤装完了後二、三日で出帆準備が整う? それは速いですねえ」
「なあに、こっちはこれが商売だからな。そのあたりは慣れっこさ」
「貴方はよほど歴戦の艦長なのですね? さすがです」
男はにんまりとした笑みでもって江田島の称賛に返礼した。
「しかし海賊には困ったものです。このナスタの港が、どうにも活気に欠けて見えるのもやはり海賊のせいですか?」
「ああ、海賊の跳梁には酷く困っている。奴らのせいで、海運で成り立つティナエはこの有り様だ。しかしオデット号さえあれば連中の好きにはさせんよ。見てくれこの重武装……新型のこいつが十隻も就航すれば海賊なんぞたちまちいなくなる」
「では私もオデット号の竣工を心待ちにさせていただきます。申し遅れましたが、私は江田島五郎。こちらの流儀ですとゴロウ・エダジマになりますか」
「俺は徳島甫です。よろしく」
「お、聞いたことがあるぞ。家名が先に来るのは遙か東方での風習だろ? 本当に遠くから来たんだな。俺は、カイピリーニャ・エム・ロイテルだ。このティナエ海軍で海佐艦長職を拝命している」
「ロイテル?」
江田島が首を傾げる。
「ん、もしかしてロイテルの家名は東方でも有名なのか? そりゃそうか。代々アヴィオン王国に仕えて提督を輩出した名家なんでな」
「そうでしたか。しかしながらこれからはカイピリーニャ艦長として、オデットさんの名と共に覚えておくことにしますよ」
徳島はオデットにデン餅を差し出しながら尋ねた。
「君の姓名を教えてくれるかい?」
「オデット・ゼ・ネヴュラ」
翼人少女は余計なことを一切言わず名前のみを告げてデン餅を受け取った。
それを見てカイピリーニャは目を丸くする。
「お、驚いたな。あの、オデットが自己紹介してやがる」
するとカイピリーニャは江田島に身を寄せて囁いた。
「一体何者だ、あいつは?」
「私の知る限りで最高の料理人ですよ。胃袋を掴んで親しくなるのは彼の特技なんです」
「大したもんだな!」
「しかし、お宅のお嬢さんも、あまり世間ズレしてない様子ですが?」
「まあ、そうだな。俺としちゃあ、自分の艦にはもう少し熟した女を船守りとして採用したかったんだが。……うひひ、お前さんも男なら分かるだろ? この娘は何かと成長が足りてない」
カイピリーニャの言うように、オデットのスタイルはほっそりとしている。つまり女性的なふくよかさに欠けているのだ。
しかしながら江田島はそれには同意しなかった。
「何をおっしゃりたいのか、ちょっと分かりかねますねえ」
江田島の態度に、カイピリーニャ艦長は「あらま」とずっこける。
「がっかりなこと言うなよ。男なんだから分かるだろ?」
「申し訳ありません。しかしながら先ほどからお二人を見ていると関係がいささかぎこちないご様子。もしかすると艦長のそのような破廉恥な言説が、たとえ聞こえないように配慮していたとしても、彼女に感じられてしまっているのかもしれません」
「お、おい、ホントか? まずいな。船に嫌われたら艦長なんてお終いだぞ。どうしたらいい?」
「どうでしょう? 私の意見が参考になりますかね?」
「なんでもいい、教えてくれ」
「実は私の友人が艦長をしているのですが、ちょうど年頃の娘さんがおりましてね。この娘が、背は高いわ男嫌いだわ、毒舌を吐くわと随分苦労してるそうですよ」
「おおっ、そうか?」
「そんな彼が言うにはですね、やはり急がずに慣れ親しんでもらうしかないようです。こちらとしても当然、表裏なく礼儀正しく振る舞う必要がありますがね」
「そ、そうか……表裏なく礼儀正しくだな? 分かった、助言に感謝する」
「いえいえ、これが少しでもご親切に対するお返しになったらと思います」
徳島はそんな二人の会話すらもオデットという娘に聞こえてしまっていることを、今ここで指摘すべきかどうか悩んだ。
だが、オデットというプライドの高そうな娘の、きゅっと閉じた唇が不満げな弧を描いているのを見ると、何も言わないほうがよいという結論に達したのである。
『きたしお』は無事に予定していた位置に到着できたのである。ここで江田島と徳島は艦から降りることになる。
『徳島二曹、発令所。士官食堂へ』
発令所からの放送が流れる。
既に準備を終えていた徳島は荷物を担ぐと士官食堂へと向かった。
見れば江田島が特地の民間人のような服装をして待っていた。もちろん徳島とて同じだ。肌の色、髪の色などよくよく見れば微妙に現地人とは異なるのだが、様々な亜人種と混住するこの世界ではその程度の差異ならば誰も気にしないのだ。
「徳島君、準備は出来ましたね?」
徳島の姿を見れば既に準備が完璧なことくらい分かるだろうが、江田島は部下の気構えや調子を見るという意味も込め、お定まりの台詞を投げかけてくる。
「はいっ。出発準備良し、です」
江田島は徳島の返事に満足げに頷いた。
「では、参りますか」
「はい、参りましょう」
そして二人で士官食堂を出ると艦尾の方角にある梯子へと向かった。
見れば狭い通路内、乗組員達がボート用の船外機を運び、梯子を通じてハッチの外に搬出しようとしている。また別の乗組員はアタッシュケース大のジュラルミンケースを運び出してきて、そのあまりの重さに「おい、徳島。やたらと重いがこれ一体何が入ってるんだ?」などとボヤいていた。
徳島が笑いながら言った。
「それ、扱いに気を付けて。もし落としたら大変なことになりますよ」
「え、マジかよっ!? 爆発とかするのか?」
「中身が飛び散ったら回収するのがすごく大変だという意味です。なので慎重にお願いいたします」
江田島が補足説明して危険物ではないことを告げた。
上甲板に出ると外はまだ薄暗い。だが東の水平線近くは、陽がすぐそこまで昇ってきていることを示すように薄らと白くなっていた。
見送りに出てきた黒川艦長が声を掛けてくる。
「江田島、気を付けて行ってこい。徳島二曹、江田島の奴を頼んだぞ」
「はい、艦長。江田島さんがアレなのはいつものことなので、大丈夫です。なんとかします」
徳島は私服ということもあって頭を下げて敬礼した。
振り返れば既に船外機の取り付けを終えたゴムボートに、田上先任伍長が艇長として乗り込んでいる。ジュラルミンケースの積み込みも終わり、ケミィらアクアスの娘達が江田島達を待ちわびていた。
まず徳島が潜水艦の曲斜面から足がかりとして置かれた縄梯子を踏んでゴムボートに乗り移る。最上級の江田島が最後だ。
徳島は片手を海に浸し、指を口に運んだ。
「しょっぱさは日本の海と同じだね」
「そりゃ海やから、味が違ったらおかしいやろ?」
世界が違っても海は海やろ? とケミィが言った。
「でも、やっぱり味は微妙に違うよ」
「ホントなん?」
「うん、こっちの海の方が美味しい……」
その時、田上先任伍長が船外機のエンジンをかけた。ほどなくボートはゆっくりと『きたしお』の舷側を離れていった。
「こっちや!」
そしてケミィ達アクアスの誘導に従って、水平線の彼方にある陸へと向かって進んでいったのである。
02
船と呼ぶには小さいが、ボートと呼んでしまうには大きな帆艇が波のない凪いだ海面にたたずむように浮かんでいた。
帆柱に掲げられた大三角帆が力なくだらりと垂れ下がっている。艫(船の尾部)の近くに座って舵柄を握る人物は、弱り切った表情をしていた。
「オデットの言うことを聞いて、海に出るのを控えておけばよかったな」
右目に黒い眼帯をした精悍な顔つきに、項を露わにするほど短く切り揃えられた黒髪。それだけ見ると少年かとも思うが、首から下へと視線を移せば出るべきところはきっぱり突き出て、締まるべきところはキュッと締まっている。
その恵まれた肢体を麻製のテュニクと帆布製の短穿で包みつつ、小麦色の腿や脚はもっと焼かれよとばかりに露わになっていた。
彼女は呟く。
「『今朝の四海神は朝寝坊。おかげでナスタ湾には風はそよぎすらしない』ってお告げが出てたのに。まさか霧が立ちこめることを意味するなんて考えが巡らなかったよなあ」
今、海の上は霧が発生している。霧という白い薄幕によって四方の視界は完全に覆い尽くされているのだ。
「視程は……三レン(約四・八メートル)もなし。これじゃあ、何にも見えやしない」
艫付近に腰掛けた彼女は自分が乗る帆艇の舳先すら満足に見えていなかった。
今、見えているのは自分と舟の舷側。それと、その向こう側にある波のない凪いだ海水面だけ。
こうなってしまうと方向も何も分からず、どこに行くことも出来ない。
風が吹かないというお告げを聞いた時、風が吹かなければ波もないのだから艪を用いて戻れば問題ないと思ってしまったのが失敗であった。もちろん明けない夜はないように、この霧とてじっと待っていればいずれ晴れる。だからそれを待てばよい。しかし、彼女にはその余裕があまりなかった。
「酔姫をがっかりさせたくないんだよなあ」
見れば船底の盥には、魚が横たわっている。網を打って獲れた白身魚のエリダが五尾、既に血抜きも済んで料理されるのを待つばかりとなっていた。
思わず艪に手を伸ばしそうになる。
「だけど……そう、こんな時は失敗に失敗を重ねないのが優秀な船長ってもんさ。お告げの意味を深く考えなかったのが最初の間違いなら、焦って闇雲に漕ぎ出すのも失敗だ。ここは、すぱっと何かを諦めることが大事なんだ」
そう呟いて艪に伸ばした手を引っ込めた。
娘の名はシュラ・ノ・アーチ十八歳。この小さな帆艇アーチ号の船長である。
シュラは黒く塗装された青銅製の号鐘を帆柱の天辺に掲げると、ごろんと帆艇の底に寝転がった。帆柱に掲げた黒い号鐘は「この船は動いてない」ということを周囲の船に報せる形象物である。霧に包まれ視程がない時は、繋がる紐を引っ張ってカランカランと鳴らして報せるのがアヴィオン海の掟となっている。
「まあ、さすがにこんな霧の中で船を走らせている馬鹿はいないだろうけどね」
船は急には止まれない。目隠し状態で船を走らせると、突然目の前に現れた他船に激突する恐れが高い。だから普通の船長ならたとえ羅針儀を備えていてもその場に船を停泊させておく。そのためシュラの号鐘の鳴らし方もおざなりというか、とりあえず規則に従ってやっているという言い訳作りというか、危機感のない、いい加減なものとなった。
やがてシュラは突如立ち上がると、一人芝居を始める。
「シュラ船長! 右舷四点の方角に海賊船が見えます!」
見張り役のつもりなのか、霧に閉ざされた一角を指差す。
すると今度は船長役になって空想の部下達に号令を発する。
「おおっ! あれはティナエを悩ます悪い海賊共だ。野郎共、戦いの支度をしろ!」
「合点だ!」
「全速前進! 帆を風で満たせ! おも~か~じ、いっぱ~い!」
そして今度は操舵手を演じて舵柄をぐいっと引っ張る。
「おも~か~じ、いっぱ~い」
だが、アーチ号はぴくりとも動かなかった。
対水速度がなければ舵は働かない。そして帆が風を受けるか、あるいは艪を漕ぐかしなければ船は進まないのだ。
「……はあ」
一人遊びに飽きたのか、シュラは崩れたようにごろんと船底に横たわった。
「退屈だ、退屈だ、退屈だ……」
そして足を高く掲げると号鐘に繋がる紐を爪先で引っ張り始めた。それは、人目がないからこそ出来ることだ。
カラン、カランと不規則に鳴る乾いた号鐘の音だけが、霧のナスタ湾に孤独に響いた。
船底に横たわって、霧が晴れるのを待つことしばし。
どれほどの時が経ったのか、鐘を鳴らすのにも飽きてうつらうつらと睡魔に襲われそうになった頃、シュラの耳にこれまで聞いたことのないような音が届いた。
「ん?」
喩えるならば、動物の唸り声に近いかも知れない。
身を起こして船縁から顔半分を出し、音の聞こえてくる方角を睨む。すると、薄い霧の向こうで何かの影がゆっくりと横切った。この変な鳴き声は、それが発しているようだ。
「船? それとも鯨!?」
やがてその何かが立てたのであろう引き波が、アーチ号を小さく揺さぶった。おかげで夢を見ているわけでも、目の錯覚というわけでもないことがはっきりする。
今の影は一体何なのか? 普通の鯨だったらよいが、もし鎧鯨だったら船が襲われて大変なことになる。何としても正体を見極めなくてはならない。
「風は?」
自分の舟の帆を見たが、もちろん風は受けてない。
仕方なく号鐘を取り外して舵を上げ、代わりに艪を海に下ろした。そして艪の柄を握ると静かに全身に力を入れる。
幸いなことにシュラは漕ぎ手として優秀なこともあり、ほどなくして先を進む奇妙な音を立てる影に追いつくことが出来た。
影の方もこれだけ霧に包まれていると速度は出せないようでゆっくり進んでいる。それが追いつくことが出来た最大の理由だろう。シュラは正体不明の影とつかず離れずの距離を保つよう、力を加減しながら進んだ。
やがて、進行方向の霧の向こうに、薄らと桟橋や、埠頭の建物の影が浮かび上がってきた。
ぼやっとした灯りは港の灯台。そして船に積まれている号鐘とは明らかに異なる、肉厚な霧鐘がゆっくりとした単調なリズムで響いていた。
「この鐘はロベッサ埠頭の桟橋だね? ありがたい」
港湾施設があることを示す鐘の音は、それぞれの埠頭によって微妙に異なっている。
この音はアーチ号の母港のものではなかったが、シュラには馴染み深い。これを聞いただけでシュラの頭の中には、自分がナスタ湾のどこにいるのかが浮かんでいた。
先に進んでいた影は、いつの間にか薄らと見える桟橋に寄り添っていた。動物の唸り声のような音も静まっている。
「ここらでええか?」
「はい。助かります」
静かに近付いていく。すると会話らしき声も陸からの柔風に乗って聞こえてきた。
どうやら影は舟らしい。鎧鯨の類だと思ったのは杞憂だったようだ。
危険な怪異による災害が起こらずに済んでほっと胸を撫で下ろしたが、同時に危険な霧中航行を行った船長がどんな人間なのかが気になった。
「あんな霧の中、一体どうやって」
もしかすると、海上交易で成り立っているティナエの商船を雲霞のごとく襲っては苦しめ続けている悪い海賊の一味かもしれない。悪党達がティナエに諜報員を上陸させようとしていたとしたら、正義の海賊アーチ一家の生き残りたる自分には通報する義務がある。
シュラは艪を深々と水中に沈めた。
抵抗がかかって船足が止まるとシュラは艪を引き上げ、船縁に隠れるようにして桟橋の様子を窺った。
幸い陸からの風が霧を押し退けるため、埠頭の近くは霧が薄い。見れば二人の男が木造の桟橋に降り立っていた。
舟の方にも何人かの人間が残っている。
「アクアスか?」
舟の上には、下半身が鰭であるアクアスの女達の姿も見えた。
小舟の周囲にもそれらしき影が何人分もある。なるほど、光の届かない深海で暮らす海の民なら、霧の中でも針路を見失ったりはしないだろう。
帆にも艪にも頼らず舟が進んでいたのも、きっと彼女達が水中から綱か何かで牽いていたからに違いない。妙な音の原因だけが謎として残ったが、それをこの場で解明することは難しいだろう。無理に結論を出そうとするとかえって間違えることになる。ここは勝手な解釈はせずに、見たまま全てを通報する方がいい。
「ホナ、がんばってな~」
アクアス達は桟橋の男達に手を振り、小舟と共に再び離れていった。
上陸した男達は、アクアス達を見送ると何かに向かって話しかける。
『コチラフジサンマル。サバヲ、ギョキョウニミズアゲシタ。クリカエス。サバヲ、ギョキョウニミズアゲシタ』
そしてそれが済むと素速く荷物を抱え、霧に包まれた埠頭の向こうへと消えていったのである。
* *
徳島は江田島の部下となって以来、特地の様々な国や地方に赴いてきた。
初めて旅をする土地では、最初に市場に行くようにしていた。大抵の市場は朝早くから開いているし、そこに行けば現地の人々が何を食べているのか、物価はどのくらいなのか、その土地に住まう人々の性格はどうかが掴めるからである。世間話にかこつけて情報収集もしやすい。
この港町でも朝早くに漁船が戻ってきた頃合いから市場が開いて、ヒト種やそれ以外の様々な種族によって賑わっていた。
「おじさん、魚を見せておくれよ!」
徳島は早速漁船の前で店を開いている白髪まじりの人狼種に声を掛けた。
「おうっ、今朝は活きのいいのが揚がったよ!」
人狼男性は盥に入った大型の魚を見せてくれた。
「おおっ、これはアザンシ! これって北の方の魚じゃなかったっけ?」
アザンシというのは日本でいうムツに似た特地の魚だ。
「何言ってるんだ。このあたりが本場だぞ! 見ての通り活きがよさそうだろ? 今なら一尾銅貨三枚に負けておいてやるぞ」
物価は他の地域に比べて高いようだ。
「う~ん……買った!」
「まいどありっ」
ふと徳島は、傍らにうち捨てられている魚を指差した。
「あれ、そっちの魚は何? あんまり見ないけど」
「ああ、こいつはインデルマだ。時々網にかかるんだが売り物にならなくてな」
「へぇ、そうなんだ。どういう魚なの?」
「実はな……」
こうして市場を端から端まで歩き、民情と概ねの物価を調査した徳島は、埠頭で港に浮かぶ船舶の写真を撮っている江田島のところに戻り、戦果を報告した。
「統括、江田島統括! 見てくださいよこれ!」
「どうしたんですか、それは?」
問わずとも答えは分かっているはずだが、礼儀正しい江田島は毎度のことと無視したりせずに尋ねてくれた。
「もちろん今朝の戦果です。このアザンシは刺身にしても、そのまま焼いてもムニエルにしても美味いんですよ。昼飯はこれで行きましょう。ここの漁港は結構賑わってまして野菜も種類がたくさんありました。こっちの黒いのがデン、日本でいう黒大根ですね。こっちの穀物がオリザル。海藻に生る餅米みたいなもの。まず黒大根の皮を剥くでしょ。そして小指の太さほどの厚みに切ってフライパンで焼きます。表面をきつね色になるまで焙ったら、焼いたお餅を大根で挟むんです。そうだ、こっちのチーズを一緒に挟んでも良いですよね。火の通ったデンは軽く囓るとホクッと柔らかく、でも中心には餅のモチモチとした歯応えが待っています。問題は味付けですよね。こういうのは味噌ダレみたいなトロみのあるものが食材に絡んでいいんだけど……どういうのにしようかなあ」
「徳島君。認識が誤ってますよ」
「へ、何がですか?」
「まずここを漁港だなんて言ったことです。ここは『碧海の美しき宝珠ティナエ』という国の首都でナスタといいます」
「へっ、首都? ここが?」
徳島は寂れた漁村のような雰囲気を醸している港町を見渡した。
「はい、そうです。今の貴方の言は、そうですねぇ……築地市場を見て東京港をただの漁港だと断言してしまうようなものです。貴方が見たのはこのナスタという海上都市のほんの一部の、隅っこでしかないのです。言わば巨大なナスタ港の漁業地区なのです」
「へぇ、そうなんですか? しかし統括は詳しいですね」
「アルヌスでカトー老師よりレクチャーを受けて参りました」
「ああ、あのおじいさん先生」
「前もって潜入する地域の情報を得ておくのはこの仕事をする上で大事なことですからねえ。徳島君も自分の好きな分野以外にも目を向けるべきだと思いますよ」
「ああ、いや、そういうのは俺は苦手なので、統括にお任せします」
「仕方ないですねえ」
江田島は徳島を見て何かを諦めるように頭を振る。そして続けた。
「老師の説明によると、このティナエは三十年ほど昔、アヴィオン王国と呼ばれた大国の一部だったそうです。しかし王家の力も衰えて、今では七つの国に分裂してしまいました」
「なんか戦国時代の日本みたいですね?」
「言い得て妙ですね。つまりこのあたりはそれぞれ各地に割拠した群雄が天下を奪い合う戦国時代に似た状況なのです。朝廷や幕府に相当する旧王室の権威もかろうじて残っているようですしね。君の喩えに合わせるならば、このティナエという国は商業で栄えた堺か博多といったところでしょうかねえ」
徳島は、きょろきょろと周囲を見渡しながら歩いた。
しばらくすると、確かに江田島が言うように、ナスタの港がとてつもない規模を持っていることが分かってきた。魚市場のある地域から周囲に視線を向けてみれば、岸壁に大きな倉庫が無数に並び、桟橋にはマストを三本も四本も有するような巨大な木造船が何隻も停泊しているのだ。
「人口はおよそ三百万人。ヒト種が主体ですが様々な種族が混住しています。政体は終身制の統領をトップに戴く共和制。海運で成り立っている商業国家で、最盛期では大小合わせて千隻もの船舶を保有していたとか」
「千隻!? 凄いですねえ。確か海上自衛隊が補助艦艇まで含めて百四十隻ほど、アメリカ海軍が五百隻でしたっけ?」
「一隻あたりの質が全然異なりますから比較の対象としては相応しくはないのですが、日本やアメリカと比較してみるのも、この国における海事の位置付けを把握するための参考にはなるでしょうね。ざっと平均して一隻あたり二百人の乗組員がいるとして約二十万人。この国では国民三十人のうち二人が船乗りというわけです。その家族や港湾労働者など含めれば、国民のほとんどが何らかの形で海に関わって暮らしを立てているわけです」
「市場にあれだけたくさんの魚が水揚げされていたのも、それだけの人口をまかなわないといけないからですよね。食用とされる魚の種類が豊富なのは、魚食文化が豊かだってことに繋がるから、魚料理の方もきっと期待していいですよね……でもそんなに凄い国の首都港がどうしてこんなに寂れてるんです? 物価も妙に高かったですし」
「原因は海賊の出没です。一隻や二隻ではありません。無数の海賊が、ティナエの商船を次々と襲っているんだそうです。これまでにも多くの船が積み荷を奪われ、挙げ句沈められました。大勢の犠牲者が出ているのです」
「この国に海軍はないんですか?」
「海軍はあります。しかし有効な手は打てていないようです。海賊というのは一種のゲリラですからねえ。民間船に艤装して、敵わないと見ると大人しくし、こちら側が油断しているといきなり襲ってきます。こういう相手はどれだけ戦力があったとしても対処は簡単ではない。抜本的な対策をするには思い切った行動が必要になるんですが、この国の政治状況ではそれも難しいようです。ですから貴方も注意してくださいね。この国も特地の他の国と同じく、安全な場所ではないのです」
「はい、分かりました。肝に銘じます」
「では、その海軍を見に参りましょうか」
江田島は周囲を見渡し、この寂れた港の中では人通りが多くなっている一角を指さした。そこは漁港地区とは雰囲気の明らかに異なる、軍関係と思われる船舶が並ぶ区域だった。
「え!? あそこに行くんですか?」
「ええ、待ち合わせまで時間はたっぷりありますからね」
本来ならば徳島達はもっと港から外れたところに上陸し、そこから徒歩でナスタに入るはずだった。しかし天候に恵まれ、霧に紛れて直接このナスタに上陸することが出来てしまったおかげで、大幅に時間の余裕が生まれたのだ。
「ふ、普通は軍事施設っていうのは立ち入り禁止ですよね? なんでまた危険なところにわざわざ? 統括も今し方注意しろって言いましたよね」
「ええ、言いましたよ。しかし危険から逃げているばかりでは任務は達成できません。もし怪しまれたとしても貴方ならなんとか出来るでしょう?」
「え、あ、……相変わらず無茶を言ってくれるよ。この人」
江田島の無茶振りに、徳島は頭を抱えるしかなかったのである。
徳島と江田島は、この国の軍事施設と思われる埠頭に入った。
陸海空自衛隊は、駐屯地も基地も、それぞれ周囲をフェンス類で囲み、自由な往来を禁じることによって外敵の侵入や機密の保持を確保している。この世界の軍事施設も一応は配慮の必要性を理解しているようで、壁やフェンスこそないが埠頭の出入り口は柵で囲われていた。
もちろん出入り口には剣や槍で武装した見張りも立っている。だが、船の出航準備をしているためか資材、物資の搬入の荷車、各種の作業員の往来も激しく、出入り証や身分証の確認はされていない。外部からの侵入防止という観点ではあまり役に立っていないようであった。
おかげで徳島と江田島の二人も港湾労働者の列に混じって進むと、誰に誰何されることもなく内部に紛れ込むことが出来てしまった。とはいえ、柵で囲まれた場所に立ち入る資格を持っていないことは確かであり、見咎められたら相応のペナルティを受けるだろう。可能な限り目立たないようにするしかない。
「ほほう、ここがこの国の海軍基地ですね? 基地というよりは軍民共用の埠頭といった感じですね。まだ軍と民をしっかり分ける概念がないのかもしれません」
「統括が見たいというのはこのあたりですか?」
「いえいえ、私が見たいのはあの船です」
江田島が指さしたのは全長が五十メートル弱。全幅が約九・五メートルという流線型の美しい姿をした船であった。その船は帆走のためのマストを前、中、後と三本備え、それぞれ渡された斜桁にぶら下がる形で三角形の大三角帆が取り付けられていた。
他に特徴的な装備としては、舷側に櫂走するための長大な櫂が片舷二十丁ずつ装備されていること。櫂の長さや太さから推察するにこれを一人で扱うのは無理で、一丁あたり三~五人がかりで操作するはずだ。
江田島はそのオールを見て深々と嘆息した。
「もったいない。せっかく美しい船なのに台無しです」
「江田島統括は本当に櫂のついた船が嫌いですね」
「ええ、私は古い技術をきっぱりと捨てきれない未練たらしさと、ガレー船が否応なく抱えている非人道的な部分がどうにも気に入らないのですよ。この世界の文化や価値観では当然とされていることだけに余所者としては余計なことに口を挟むまいとは思いますが、現代日本で生まれ育った私にはどうしても馴染めないのです」
「なんだ、昔カッター訓練で嫌な体験でもしたのかと思いました」
「とんでもない! 私にとっては楽しい経験でしたよ。あの時の記憶で嫌なことと言えば、櫂を漕ぐ激しい動作を繰り返したせいでお尻の皮が剥けたことくらいですかねえ」
江田島は櫂から目を逸らすようにこの船の別のところに目を向けた。
すると艦首楼甲板に巨大な三連装投石機が装備されていた。
ロープの張力を利用したねじれ発射装置で重い岩を投射するタイプだと一目で分かる。この特地世界でも投石機が攻城戦に用いられているから、設計者はそれを船に搭載して対艦、対地攻撃に使用しようと考えたのだろう。
船体に近付いてみるとほのかに木の香りが漂ってきた。
「どうやらこの船は新造船のようですね」
木タールを塗った黒い船体に、真新しい純白の帆とロープのコントラストが美しい。その船に、船大工や作業員達が群がるようにして荷物や備品の積み込み作業をしている。新品の調度品や棚などの設置作業をしているのだ。
「では、ここにしましょう」
「本当にここで始めるんですか?」
「もちろんです」
徳島は、溜め息を吐くと早速荷物を降ろした。
その傍らで江田島はカメラを取り出すとこの船を撮影し始めた。
船舶の姿を撮影してどうするか? それはデータとして整理分類し、いざ有事となった際の敵味方、中立の識別に利用するのである。
映画や漫画等では、海上で遭遇した船舶について「あの船は敵だ」と簡単に識別して攻撃が始まる。だが、実際にはどれが敵でどれが味方かを判別するという手間のかかる手続きが必要となる。この映像資料はそのための基礎になるのだ。
日本海でも少し前に不審船が発見されたという報道がされ、海上での追跡劇や、自爆沈没といった事態にまで進展したことがある。だが、そういう船を見つけることが出来たのも、そもそもどんな船が不審で、どれが不審でないのかという海上自衛隊や海上保安庁による絶え間ないデータ蒐集活動がなされていたからなのだ。
船の写真を撮る江田島の姿は、当然のことながら傍らを行き来する作業員や、波止場で働いている多種多様な人間から注目を浴びる。だが彼らは何も言わない。カメラという道具を見たことがないから江田島が何をやっているのか理解できないのだ。せいぜい何か妙なことをしている人間がいるなと思うくらいである。しかしながら、港を警備する兵士や軍人が相手となるとそうはいかない。理解できない行動は全て彼らの誰何の対象となるのだ。
「おい、お前達。こんなところで何をしている?」
そこで徳島が携帯用竈に向かって料理をしつつ朗らかに答えた。
「ご覧の通り行商人です。デン餅という食べ物を皆さんにお売りしています」
これが徳島の役目であった。
キャンプ用品のような携帯用竈を広げ、誰が見ても誤解しようのない料理という行為をして、江田島に集まった関心を自分に引き寄せるのだ。
見れば声を掛けてきたのは、恰幅のよい豪放磊落な印象の中年男だ。髭面でこれまでタフな人生を送ってきたことが感じられる顔つきをしていた。
「ここは一般人は立ち入り禁止だぞ」
「そうですか? 誰にも止められなかったので入ってよいのかと思いまして」
「とにかくここからだな……」
「勘弁してくださいよ。もう出来上がるところなのに、ここで料理を止められたら台無しだ」
ちょうどフライパンの上で焼いた大根に、柔らかくなった餅とチーズを載せているところだった。その上にもう一枚ほどよく焼けた大根を載せ、煮凝りと混ぜ合わせた魚醤をさっと塗る。そして最後に魚醤独特の臭みを解消する香草を載せて完成である。
「だいたいデン餅って何だ? 聞いたことがないぞ」
「ご存じでないのは当然です。だって俺が考えたんですから。どうぞお試しになってください。最初の一個は無料で差し上げますからね」
爪楊枝代わりの木串を通して差し出されたそれに、中年男は目を白黒させた。
「いいのか? そんなことしたら儲からないだろう?」
「二個目から銅貨二枚のお代を頂戴しますよ。それで儲けを取り戻してみせます」
「俺が一個しか食わなかったら?」
「どうぞ、きっと気に入っていただけるはずです」
男はすぐにのど仏を上下させた。香り立つ魚醤の匂いが食欲をそそって堪らないようだ。しばらく躊躇っていたが、やがて食欲に負けて徳島からデン餅を受け取った。
そしてそれをがぶりと口に入れる。
「おっ、おおっ……美味いな」
「でしょう?」
徳島は得意げに笑った。
「はい。どうぞ!」
徳島は髭男の連れらしき翼人の少女にもデン餅を差し出す。
翼人少女は瞼を瞬かせつつそれを受け取ると口に運んだ。
小さな口で僅かに囓る。すると明らかに気に入ったような表情をして瞳を輝かせた。
翼人の娘は、小柄で細身、白い水鳥を連想させる翼と羽を全身に纏っていた。
ヒト種の女性に換算すると十五歳くらいだろうか。豪奢な白髪を長く伸ばし、白い羽を冠状に編んだもので頭部を飾っている。そして背中の白い翼と同色の羽で編んだぴったりとした衣装や膝丈の靴で肢体を覆っていた。肩口や腿は露出されていて目に眩しい。
髭の中年男が言った。
「くそっ……俺の負けだ。もう一個くれ」
「どうぞ」
徳島がもう一個デン餅を差し出した。
すかさず江田島が「銅貨二枚を頂戴いたします」と代金を求めると、男は快く払った。
その頃には船乗りや港湾の労働者が魚醤の匂いに引き寄せられるように集まってきていた。そして髭の男や翼人の少女が食べているのを見て、我も我もと銅貨を江田島に差し出して、デン餅を求めたのである。
「お、これは美味いぞ」
「ああ。気に入った!」
江田島は、注文に応えるのに忙しい徳島に代わってお金の受け渡しをしつつ髭の男に尋ねた。
「皆さんはあの船で働いてらっしゃるんですか?」
「ああ、そうだよ」
「あの船は、随分と新しいようですが?」
「そりゃ、ついこの前に進水したばかりだからな。今は艤装中だ」
「どうりで真新しい木の香りがすると思いました。しかし、あの船は実に良い」
「ほう、知ったようなことを言うな。なら聞こうじゃないか? この船のどこが良い?」
「良いところを上げろと言われたら指折り数えても足りないほどですが、私が一番気に入ったのは色っぽいところです。艫のあたりの微妙な曲線が何ともたまらない」
「あの曲線の素晴らしさがあんたに分かるのか?」
髭の男は相好を崩すと江田島に感心したように言った。一方で翼人の少女は何故か顔を真っ赤にして江田島を睨み付けている。しかし江田島はそれに構わず続けた。
「船の美しさとは全体との調和のことだと私は信じています。しかしながらこういう部分にも魅力は隠されています。たとえば、あの曲線のおかげで他の船よりは船足が一割は速いはずです」
「ふふっ、分かる人間がいてくれて嬉しいぞ」
「あの船は何ていう名前が付いているんです?」
徳島が尋ねると、男は我に返り、徳島と江田島を値踏みするかのような眼差しを向けた。
「あんた達、アヴィオンの人間じゃないようだな?」
「ええ、俺達は外国人です」
徳島が答えると江田島が続けた。
「彼も私も船が好きでしてねえ。行く先々でこういう立派な軍船と出会うと、名前とともに記憶しておくことにしているのですよ」
「よかったら教えてくださいよ。お礼にもう一個、ただであげますから」
徳島がデン餅を差し出す。すると髭の男は微苦笑を湛えながら言った。
「仕方ないな。美味い物を食わせてもらった代金として教えてやろう。この艦の船守りはオデット。俺が指揮する予定になっている」
「船守りって、何のこと?」
徳島が質問すると、髭の中年男は驚いたように目を瞬かせた。
「お前達、常識を全然知らないのか?」
「ティナエの風習には疎くって」
「まあ、常識ってのは所ところで違うものだからな。とはいえ、全く知らないとなるとお前さんは随分と遠くから来たってことになるぞ? 帝国の奴らだって、俺達と同じようにはしないもののアヴィオン四海神の知識ぐらいは持っている」
「残念だけど、そうした知識に触れる機会がなかったんです」
デン餅を更に一個、徳島は男に差し出した。
「船守りというのは、このアヴィのことだ」
男は嬉しそうにデン餅を受け取ると、翼人少女の肩に軽く触れた。
その瞬間、翼人少女が白い眉を顰め、ほんの少しばかり嫌悪の感情を表した。
(随分と癇の強い子なんだな。あるいは潔癖症なのかな?)
徳島はそれを見逃さずに心に留め置く。
「海の四方を司る海神エウーロ、ゼヴュラ、ノートス、ボレーの四姉妹はたいそう気難しい。女ってのは大抵そういうものだが、四海神の場合はとりわけそうだ。なので船乗りとしては彼女達のご機嫌を損ねないよう気を遣う必要がある。そこで俺達の先祖は考えた。船の一隻一隻を神殿に見立てて巫女を配属してみたらどうだってな。どんな神様だって自分を祀る祭壇を沈めようとは思わないものだろ? それで旧アヴィオン王国は船に祭壇と巫女を置くようになった。だから、そこから分離独立したティナエも、その伝統を引き継いでいるってわけだ」
「つまり、君は海神に仕える巫女さんなんだね?」
「……」
徳島がまとめると、翼人の娘は無言のままこくりと頷いた。
「お前さんの地元じゃあ、どんなやり方で海神の怒りから船を護っているんだ?」
「艦に艦内神社と呼ばれる祭壇を置いて祀ってます」
徳島の言うように護衛艦や潜水艦には神棚がある。護衛艦『いずも』に至っては、出雲大社の分社があったりする。
「なあんだ。なら、たいして違わないじゃないか。それぞれ祀られた神様が祭壇のある船を守ってくれるってわけだ」
「けど、専属の神主や巫女さんを置くまではしてません。乗組員の一人が係として管理を受け持つだけです」
「しかしそれだと困らんか? 天気や潮の流れ、満ち引きの時期なんかはどうやって知る?」
この一言で、徳島は船守りの果たしている役割を洞察した。
巫女達は天気や海況の予報を行い、それで船は海難を避けるのだ。
亜人種族の多くは自然現象に対する鋭敏な知覚を持っていることが分かっている。
かつて帝都でも、亜人女性が地震を予知したことがあった。おそらく天気予報に関してもわりと実用的なレベルで的中しているのだろう。しかし、それがために学問としての気象学は、この世界では全く発達しなくなっているのだ。
「まあ……観察と経験と知識の積み重ねでなんとか……」
「なんだ。帝国の奴らと同じか。しかしそれだと恐ろしくないか?」
すると江田島が言った。
「経験と知識の積み重ねも、個人の範囲を超えて大勢のものを持ち寄りますと馬鹿にならないのですよ。いや、しかしながらこの地域の風習は理解しました。このオデット号の巫女は、こちらのアヴィさんなのですね?」
「君、すごいんだねぇ」
徳島が感嘆したように言うと、翼人の少女は恥ずかしげに顔を伏せた。
すると髭の男が若干の訂正をする。
「概ねそうだがちょっと違う。翼皇種というのは翼人の中でも海神に仕える高位の巫女種族の名称だ。この娘の名はオデット。付け加えておくが翼皇種に船守りをしてもらえるのは大変に名誉なことなんだぞ」
徳島が合点がいったと手を打った。
「もしかして船守りの名が、船の名前になる?」
「そうだ。この娘オデットが、艦の意思であり魂だ。んだから、さっきのこちらさんの発言はこの娘の尻の曲線が艶めかしくていいと言ったことになる。面と向かって魅力的だってな」
江田島は慌てて頭を下げた。
「おっと! これは知らぬこととはいえ、大変失礼いたしました。謝罪いたします」
するとオデットは若干頬を赤くしつつ、「知らなかったのだからよいのだ」と謝罪を受け入れてくれた。
「であれば、貴方がこのお嬢さんを丁重に扱ってらっしゃるのも合点のいく話です。艦長にとって、船との付き合いは最大の関心事ですからね」
「そうだ。女房以上に深く熱い仲にならないとな」
男は言いながら、翼人少女の腰に腕を回そうとする。だが肘鉄を脇腹に食らっていた。
「いてて」
すると周囲を取り囲む乗組員や労働者達が笑った。
先ほどの嫌そうな表情に加え、この肘打ちである。どうやらこの二人、まだまだ親しい関係にはなっていないらしい。
「この『娘』も進水して三ヵ月だ。突貫工事で艤装作業させて、どうにかこの形にまで持ってきた。竣工まであと少しといったところだ」
「船出の時も近い?」
江田島が核心に迫っていく。
「もちろんだ。乗組員の手配さえつけば、水と生糧品の積み込みに二、三日ってところだな。そうしたら僚艦共々海賊退治に出航できる」
「なんと!? 艤装完了後二、三日で出帆準備が整う? それは速いですねえ」
「なあに、こっちはこれが商売だからな。そのあたりは慣れっこさ」
「貴方はよほど歴戦の艦長なのですね? さすがです」
男はにんまりとした笑みでもって江田島の称賛に返礼した。
「しかし海賊には困ったものです。このナスタの港が、どうにも活気に欠けて見えるのもやはり海賊のせいですか?」
「ああ、海賊の跳梁には酷く困っている。奴らのせいで、海運で成り立つティナエはこの有り様だ。しかしオデット号さえあれば連中の好きにはさせんよ。見てくれこの重武装……新型のこいつが十隻も就航すれば海賊なんぞたちまちいなくなる」
「では私もオデット号の竣工を心待ちにさせていただきます。申し遅れましたが、私は江田島五郎。こちらの流儀ですとゴロウ・エダジマになりますか」
「俺は徳島甫です。よろしく」
「お、聞いたことがあるぞ。家名が先に来るのは遙か東方での風習だろ? 本当に遠くから来たんだな。俺は、カイピリーニャ・エム・ロイテルだ。このティナエ海軍で海佐艦長職を拝命している」
「ロイテル?」
江田島が首を傾げる。
「ん、もしかしてロイテルの家名は東方でも有名なのか? そりゃそうか。代々アヴィオン王国に仕えて提督を輩出した名家なんでな」
「そうでしたか。しかしながらこれからはカイピリーニャ艦長として、オデットさんの名と共に覚えておくことにしますよ」
徳島はオデットにデン餅を差し出しながら尋ねた。
「君の姓名を教えてくれるかい?」
「オデット・ゼ・ネヴュラ」
翼人少女は余計なことを一切言わず名前のみを告げてデン餅を受け取った。
それを見てカイピリーニャは目を丸くする。
「お、驚いたな。あの、オデットが自己紹介してやがる」
するとカイピリーニャは江田島に身を寄せて囁いた。
「一体何者だ、あいつは?」
「私の知る限りで最高の料理人ですよ。胃袋を掴んで親しくなるのは彼の特技なんです」
「大したもんだな!」
「しかし、お宅のお嬢さんも、あまり世間ズレしてない様子ですが?」
「まあ、そうだな。俺としちゃあ、自分の艦にはもう少し熟した女を船守りとして採用したかったんだが。……うひひ、お前さんも男なら分かるだろ? この娘は何かと成長が足りてない」
カイピリーニャの言うように、オデットのスタイルはほっそりとしている。つまり女性的なふくよかさに欠けているのだ。
しかしながら江田島はそれには同意しなかった。
「何をおっしゃりたいのか、ちょっと分かりかねますねえ」
江田島の態度に、カイピリーニャ艦長は「あらま」とずっこける。
「がっかりなこと言うなよ。男なんだから分かるだろ?」
「申し訳ありません。しかしながら先ほどからお二人を見ていると関係がいささかぎこちないご様子。もしかすると艦長のそのような破廉恥な言説が、たとえ聞こえないように配慮していたとしても、彼女に感じられてしまっているのかもしれません」
「お、おい、ホントか? まずいな。船に嫌われたら艦長なんてお終いだぞ。どうしたらいい?」
「どうでしょう? 私の意見が参考になりますかね?」
「なんでもいい、教えてくれ」
「実は私の友人が艦長をしているのですが、ちょうど年頃の娘さんがおりましてね。この娘が、背は高いわ男嫌いだわ、毒舌を吐くわと随分苦労してるそうですよ」
「おおっ、そうか?」
「そんな彼が言うにはですね、やはり急がずに慣れ親しんでもらうしかないようです。こちらとしても当然、表裏なく礼儀正しく振る舞う必要がありますがね」
「そ、そうか……表裏なく礼儀正しくだな? 分かった、助言に感謝する」
「いえいえ、これが少しでもご親切に対するお返しになったらと思います」
徳島はそんな二人の会話すらもオデットという娘に聞こえてしまっていることを、今ここで指摘すべきかどうか悩んだ。
だが、オデットというプライドの高そうな娘の、きゅっと閉じた唇が不満げな弧を描いているのを見ると、何も言わないほうがよいという結論に達したのである。
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