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3.とっても気になる男の乳首
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紅葉も色づく十一月の月曜日。
湿度も温度も適度な、正に理想的な日和だった。
合鍵を使い、市井は八木沢邸のドアを開ける。
邸といっても、この家には大きな門扉もなければ、芝生の庭も瀟洒な客間もない。あるのは一つの居室に一つのリビング、一つのキッチンに一つのベランダ。以上、おしまい。
寧ろ邸とは程遠い、所謂ただの1LDKのマンションの一室。だがそこは市井にとっては、歴とした職場であった。
「失礼します」
無人なのは分かっていたが、上がり框を跨ぐときに、誰に言うとなく毎回律儀にそう声を掛ける。端正で引き締まった顔を甘く見せる大きな瞳。それと同じくらい、市井は声も甘い。
返事のない静かな玄関で、市井は仕事の時だけ身に着ける青いエプロンを取り出した。骨ばった長い指が、紐を後ろ手に慣れた手つきで結ぶ。キュっと強く結ぶと、気が引き締まった気分になった。
そのまま短い廊下を進み、リビング、それとベッドのある居間を一回りして、ここの家主、八木沢大夢が椅子やベッドに脱いだまま置いている衣類を集めて回る。市井の長い脚で二十程歩けば、それらの回収は造作も無く完了した。
そのあと塵ひとつ逃さないように床に掃除機をかけ、水拭きしたあと乾拭きし……と、いつもより時間をかけて磨き上げると、再び玄関に戻り、今度は鞄から薬剤を取り出し始める。
(準備、完了)
用意は整った。
週三回、大夢の部屋を訪れ、食事の準備と掃除をするようになって早二ヶ月。
その二ヶ月で大夢に気付かれることなく彼のお尻の蕾を二回も弄って吐精させ、乳首の開発まで手掛けてしまった。
(この前、ここに二人で出しちゃってから、くすみがずっと気になってたんだよなぁ)
それは酔った大夢と共に快感に上り詰め、床に散らした、今は見えない二人分の白液の痕だ。
しっかり拭いて後始末はしたし、たぶん市井以外はくすみなんて気にならないだろう。しかし、記憶のある当の本人が気になるのだ。
仕事で訪問する日と、ワックス掛けに丁度いい天気が重なるのを待って、ようやく今日、綺麗にできる。
気合を入れる呼吸を短く一つ吐き、リビングの床の板目に沿って丁寧にツヤ出し液を塗り伸ばしながら、市井は部屋の端から黙々と拭き始めた。
脱衣所からは、先程かき集めた大夢の洗濯物が脱水に切り替わり、部屋に低音を響かせている。
市井が床を擦る度にエプロンの紐が、腰の上で揺れた。
(ピカピカになったら、八木沢さまは気づくかなぁ)
取っ掛かりがなんであれ、大夢が喜んでくれれば嬉しい。驚いてくれたら、あの泣きぼくろのある目はどんな風に見開かれるのだろう。
下心を封印し、純粋な気持ちで依頼主のそんな表情を想像すると、自然と口元が緩んできた。目鼻立ちのくっきりした市井が浮かべる華のあるキラキラスマイルが、ギャラリーもいないワックスを掛けたばかりの床を無駄に照らす。
整った容姿に高い身長。恵まれた見栄えと体格を持つ男・市井。
彼の職業は、ハウスキーパーである。
お世話になります#3
八木沢大夢はオフィスでパソコンの画面に出ているメールと手元の用紙とを照らし合わせながら、眉間にしわを寄せて睨んでいた。
カレンダーを見てからもう一度画面を見る。
「これ、佐藤知ってるのか?」
出張中で先週末から顔を見ていない男の名前を呟き、机の隅に置いてあるメモ用紙を一枚千切る。その時、同僚から声を掛けられた。
「八木沢、さっきお願いした話なんだけど、コレに全部入ってるから渡してくれる? 悪いけど佐藤によろしく言っといて」
「りょうかーい。いってらっしゃい」
大夢が緑の紙袋を受け取ると、同僚はボストンバッグを肩に掛けて急ぎ足でフロアから出ていってしまう。
同僚曰く、佐藤と入れ違いで今日から地方へ出張に出なければならず、借りた物を大夢から返却しておいてほしい、とのこと。
背中を見送ってから大夢は、紙袋の件と一緒に伝えようと、先程の続きで持っていたメモ用紙にボールペンで【佐藤に】と書き込んで、壁際に掛けられている動向表に目をやった。
(佐藤が帰ってくるのは……四日後か)
しばらく静かな職場だ、と安らかな気分になったところで、今度は別の方向から名前を呼ばれた。
「八木沢さーん、南営業所から三番に電話です」
「はーいっ。――お電話かわりました八木沢です、お疲れ様です」
挨拶しながら、手早くメモを完成させて二つに折りたたむとシャツの胸ポケットに押し込む。
「――っ」
押し込んだ拍子にたたんだ紙の角がシャツの上から胸の突起を掠ってきて、おもわず息を呑んでしまった。
先月の始め頃からだろうか。気づいたのは、そう、たしか酔い潰れて市井に介抱してもらった翌朝だ。
そこが、妙に敏感というか何というか……。
熱めのシャワーを浴びていて、胸に痒みのような疼きを感じて不思議に思いながら身体を洗った。それから以降、シャツを着たときに肌に当たる生地の摩擦に違和感を持ち、見下ろしてみると、先端が勃っていることに気がついた。
今まで気にもしなかった場所だから、これまでもそうなっていたのかもしれないが、気づいてしまったら、刺激を感じて尖るのが妙に恥ずかしかった。だから、それからしばらくの間、隙あらば同僚の胸元を見て、シャツを押し上げる現象が自分だけなのかどうかを探っていた。何が悲しくて男の乳首をチェックしなくてはならないのか、と何度も思ったが、同じような状態の同僚を見つけると、精神的な安心感を得ることが出来たのだ。
「あ、いえ、すみません。何でもないです」
一瞬途切れた大夢の会話に電話口の相手が何かあったのかと尋ねてきたが、理由を言えるわけもなく、大夢は胸ポケットを手のひらで押さえながら意識を仕事に戻す。
今週も忙しい毎日が始まった。
湿度も温度も適度な、正に理想的な日和だった。
合鍵を使い、市井は八木沢邸のドアを開ける。
邸といっても、この家には大きな門扉もなければ、芝生の庭も瀟洒な客間もない。あるのは一つの居室に一つのリビング、一つのキッチンに一つのベランダ。以上、おしまい。
寧ろ邸とは程遠い、所謂ただの1LDKのマンションの一室。だがそこは市井にとっては、歴とした職場であった。
「失礼します」
無人なのは分かっていたが、上がり框を跨ぐときに、誰に言うとなく毎回律儀にそう声を掛ける。端正で引き締まった顔を甘く見せる大きな瞳。それと同じくらい、市井は声も甘い。
返事のない静かな玄関で、市井は仕事の時だけ身に着ける青いエプロンを取り出した。骨ばった長い指が、紐を後ろ手に慣れた手つきで結ぶ。キュっと強く結ぶと、気が引き締まった気分になった。
そのまま短い廊下を進み、リビング、それとベッドのある居間を一回りして、ここの家主、八木沢大夢が椅子やベッドに脱いだまま置いている衣類を集めて回る。市井の長い脚で二十程歩けば、それらの回収は造作も無く完了した。
そのあと塵ひとつ逃さないように床に掃除機をかけ、水拭きしたあと乾拭きし……と、いつもより時間をかけて磨き上げると、再び玄関に戻り、今度は鞄から薬剤を取り出し始める。
(準備、完了)
用意は整った。
週三回、大夢の部屋を訪れ、食事の準備と掃除をするようになって早二ヶ月。
その二ヶ月で大夢に気付かれることなく彼のお尻の蕾を二回も弄って吐精させ、乳首の開発まで手掛けてしまった。
(この前、ここに二人で出しちゃってから、くすみがずっと気になってたんだよなぁ)
それは酔った大夢と共に快感に上り詰め、床に散らした、今は見えない二人分の白液の痕だ。
しっかり拭いて後始末はしたし、たぶん市井以外はくすみなんて気にならないだろう。しかし、記憶のある当の本人が気になるのだ。
仕事で訪問する日と、ワックス掛けに丁度いい天気が重なるのを待って、ようやく今日、綺麗にできる。
気合を入れる呼吸を短く一つ吐き、リビングの床の板目に沿って丁寧にツヤ出し液を塗り伸ばしながら、市井は部屋の端から黙々と拭き始めた。
脱衣所からは、先程かき集めた大夢の洗濯物が脱水に切り替わり、部屋に低音を響かせている。
市井が床を擦る度にエプロンの紐が、腰の上で揺れた。
(ピカピカになったら、八木沢さまは気づくかなぁ)
取っ掛かりがなんであれ、大夢が喜んでくれれば嬉しい。驚いてくれたら、あの泣きぼくろのある目はどんな風に見開かれるのだろう。
下心を封印し、純粋な気持ちで依頼主のそんな表情を想像すると、自然と口元が緩んできた。目鼻立ちのくっきりした市井が浮かべる華のあるキラキラスマイルが、ギャラリーもいないワックスを掛けたばかりの床を無駄に照らす。
整った容姿に高い身長。恵まれた見栄えと体格を持つ男・市井。
彼の職業は、ハウスキーパーである。
お世話になります#3
八木沢大夢はオフィスでパソコンの画面に出ているメールと手元の用紙とを照らし合わせながら、眉間にしわを寄せて睨んでいた。
カレンダーを見てからもう一度画面を見る。
「これ、佐藤知ってるのか?」
出張中で先週末から顔を見ていない男の名前を呟き、机の隅に置いてあるメモ用紙を一枚千切る。その時、同僚から声を掛けられた。
「八木沢、さっきお願いした話なんだけど、コレに全部入ってるから渡してくれる? 悪いけど佐藤によろしく言っといて」
「りょうかーい。いってらっしゃい」
大夢が緑の紙袋を受け取ると、同僚はボストンバッグを肩に掛けて急ぎ足でフロアから出ていってしまう。
同僚曰く、佐藤と入れ違いで今日から地方へ出張に出なければならず、借りた物を大夢から返却しておいてほしい、とのこと。
背中を見送ってから大夢は、紙袋の件と一緒に伝えようと、先程の続きで持っていたメモ用紙にボールペンで【佐藤に】と書き込んで、壁際に掛けられている動向表に目をやった。
(佐藤が帰ってくるのは……四日後か)
しばらく静かな職場だ、と安らかな気分になったところで、今度は別の方向から名前を呼ばれた。
「八木沢さーん、南営業所から三番に電話です」
「はーいっ。――お電話かわりました八木沢です、お疲れ様です」
挨拶しながら、手早くメモを完成させて二つに折りたたむとシャツの胸ポケットに押し込む。
「――っ」
押し込んだ拍子にたたんだ紙の角がシャツの上から胸の突起を掠ってきて、おもわず息を呑んでしまった。
先月の始め頃からだろうか。気づいたのは、そう、たしか酔い潰れて市井に介抱してもらった翌朝だ。
そこが、妙に敏感というか何というか……。
熱めのシャワーを浴びていて、胸に痒みのような疼きを感じて不思議に思いながら身体を洗った。それから以降、シャツを着たときに肌に当たる生地の摩擦に違和感を持ち、見下ろしてみると、先端が勃っていることに気がついた。
今まで気にもしなかった場所だから、これまでもそうなっていたのかもしれないが、気づいてしまったら、刺激を感じて尖るのが妙に恥ずかしかった。だから、それからしばらくの間、隙あらば同僚の胸元を見て、シャツを押し上げる現象が自分だけなのかどうかを探っていた。何が悲しくて男の乳首をチェックしなくてはならないのか、と何度も思ったが、同じような状態の同僚を見つけると、精神的な安心感を得ることが出来たのだ。
「あ、いえ、すみません。何でもないです」
一瞬途切れた大夢の会話に電話口の相手が何かあったのかと尋ねてきたが、理由を言えるわけもなく、大夢は胸ポケットを手のひらで押さえながら意識を仕事に戻す。
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