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1.社畜、家政夫を雇う
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しおりを挟む次に大夢が目を覚ました時には市井は既におらず、ダイニングテーブルの上に置かれた紙に、起こさずに帰ることと、冷蔵庫に食事を作って入れてあるということ、次回は約束通り月曜日に来ることと、何かあれば掛けるようにと携帯番号が書かれていた。
作り置きの料理は久々に口にする家庭の味で、味付けもかなり好みのものだった。食欲の回復とともに体調も良くなり、翌日の日曜日になると、昼過ぎには熱も下がっていて、週明けの月曜日には大夢はちゃんと出勤できた。
「やあやあ、おはよう八木沢クン」
待ち構えたように出会い頭に大夢を捕まえる佐藤に、大夢は今朝コンビニで買ってきた缶コーヒーを押し付ける。
「見舞いと変な差し入れ、ありがと。それでチャラだから」
そのコーヒーを受け取った佐藤は横に並んで歩きながら、不満そうに大夢の頭をポフポフと叩く。
「そうじゃなくて、お前のエツコ、どうだった?」
「エツコじゃねーし」
大夢の拗ねた答えに佐藤がカカカと楽しそうに笑う。
「まぁ、顔は良かったけどな」
「性格も料理の腕もいいよ」
「それはそれは」
「でもっ、最初は飛び上がるくらい驚いたんだぞっ。黙って帰るなよーっ!」
怒りつつも、すぐに可笑しそうに笑った大夢に、佐藤は悪戯が成功した子供の様に嬉しそうな顔をしてみせた。
「だろ、だろ? 俺も玄関でビビったわー」
頷きながらコーヒーのプルタブを開けた佐藤が缶に口を付ける。
玄関での衝撃を思い出し笑いしている佐藤に、市井を見て驚いたときの佐藤の様子が想像できて、大夢も可笑しそうに笑った。
「まあ、驚いたけど、俺、市井さんが来てくれてほんとラッキーだったかも」
「あの兄ちゃん、そんなに料理上手いの? それなら俺もちょくちょくお邪魔しようかなあ」
「金出すなら来てもいいよ」
「ケチ!」
お約束の会話の流れに佐藤がグイっとコーヒーを煽る。
「ああ、でも男でよかった、ってのはホント。俺、熱で朦朧としてて、あの人に尻見せて座薬入れてもらったし」
軽い大夢の報告に佐藤は今しがた口に含んだコーヒーを盛大に噴いた。
「うわっ、汚ねっ! 何やってんだよっ」
「いや、何やってんだよは、お前だろっ」
慌ててハンカチで拭きながら佐藤が大夢を睨みつける。
「冗談言うならせめて口に何もないときにしてくれ」
「いや、冗談じゃねーし」
「冗談じゃねーの!?」
「何だよ。だいたい、座薬を持ってきたのは佐藤だろっ」
泣きぼくろのある目元を少し赤く染めて恥ずかしそうに睨んでくる大夢に、佐藤は事の真偽を計りかねているようだった。
そんな佐藤を廊下に残して、大夢はさっさとエレベーターに向かう。
「おいおいおい、八木沢っ、待てって。ていうか、今から仕事なのにこのシャツどうすんだよ。つーか冗談だよな?」
佐藤に詰め寄られながらも、大夢はこれ以上こんな場所でこの話を続ける気はなく、笑って誤魔化す。だが、佐藤の目にはその笑みすら、泣きぼくろによく合う意味深なものに見えてしまう。
「まさかっ……エツオもお前のほくろに魅了されたんじゃ……」
「佐藤、意味分んない。しつこい」
「このっ、人が心配してやっているのに!」
何事か一人でブツブツ言っている佐藤から逃げて、大夢は今日の晩御飯のことを考えることにした。
市井は月・木・土にやってくる。
月曜と木曜は大夢が仕事をしている昼間に来て、夕方には帰ってしまうから会えないが、家に帰ると食事が用意されているというのは心底ありがたく思えた。
今日のご飯はなんだろう。そんな鼻歌が出そうな気分だったのが、ふと大事なことを思い出す。
「あれ、そういえば」
体調不良ですっかり失念していたが、初回訪問時に手渡すことになっていた合鍵をまだ市井に渡せていない。
「え、あれ……どうするんだろう……」
慌てて携帯電話を出し、登録したばかりの市井の番号へ電話をする。何度目かのコール音のあと、電話が繋がった。
『……はい』
大夢の勝手な思い込みだが、早朝から起きていそうなイメージの市井は、意外にも寝起きだったのか、低い声での応答だった。
「あ、朝早くにすみません、八木沢です。えーっと……土曜日に風邪でお世話になった」
座薬の話をすれば一番手っ取り早く思い出してもらえそうだったが、それはできれば避けたい気持ちから、無難な自己紹介を告げる。
『あ、あー、八木沢さま』
はい、何でしょう、と声は低いままだったが、電話の向こうで市井が起き上がったのか、改まった話し方が、先日の市井の笑顔を大夢に思い出させた。
「――はい、そうなんです。……仕事の終わる時間ですか? えーっと……今日は――」
合鍵の受け渡しをどうするか相談してみたが、わざわざ会社まで取りに来てくれると申し出てくれた市井に、そこまでしてもらうのも申し訳ない。そう思って今日は断ろうかと思ったとき、市井が今回だけ大夢の帰宅時間に合わせて、夜に立ち寄ろうかと提案してくれた。
市井とハウスキーパー会社がどういう契約なのかは分からないが、キャンセルが入ると市井は給料に響くのかもしれない。先日も中々専属が付かないと言っていたし、キャンセルをしなくて済むなら、夜でも来てくれるというのは食事を楽しみにしている大夢にもありがたい申し出だ。
「すみません、なんだか我儘ばかりで……いえ、はい。助かります、ありがとうございます。ではそれで」
どうにか約束が出来て、電話を切ろうとしたとき、どこから話を聞いていたのか横から佐藤が口を挟んできた。
「あ、市井さん? 佐藤です。すみません、今日の晩飯、俺も一緒に行くんで、すみませんが二人分お願いできますか? ああ、そうだ。市井さんも一緒に、三人で食いましょうよ」
「さっ、佐藤。迷惑だろっ」
「――あ、そーですか。さすが市井さん」
いつの間にか携帯を奪われてしまった大夢に「市井さん、迷惑じゃないってさ」と佐藤が伝える。電話の向こうからは佐藤と大夢のやり取りに笑う市井の声が聞こえてきた。
「じゃあ、今夜。はい、失礼しまーす」
勝手に約束して切ってしまった佐藤に大夢は「おいっ」と突っ込むが、市井が了承したのならもうどうしようもない。
「追加料金払えよっ」
「はいはーい」
こうして、大夢の家に佐藤がちょくちょく立ち寄るようになるのだが、それを市井が悶々とした気持ちで見ていることを、二人はまだ知らない。
……to be continued
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