お世話になります ~仕事先で男の乳首を開発してしまいました~

餅月ぺたこ

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1.社畜、家政夫を雇う

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 大夢が次に気が付いたときは、キッチンから食器を洗う水音が聞こえてきていた。

 熱が下がったのか、先ほど佐藤と話したときより身体が随分楽になっている。

 いつの間に着替えたのか、二日間ずっと着たままだったTシャツとスウェットからパジャマに替わっていた。

 ベッドのある部屋からキッチンの様子は、ドア一枚を挟んでいて見えない。だが、人の気配を確かに感じた。一瞬佐藤が洗ってくれているのかと思ったが、寝てしまう直前に家政婦が来た、と佐藤と騒いだはずだ。皿を洗っているということは、家政婦が到着して、もう仕事を始めているのだろう。大夢が寝ている間に佐藤が代わりに説明してくれたのかもしれない。

 しかし、家政婦を嬉しそうにして出迎えにいったその佐藤の声が、キッチンから一言も聞こえてこない。

「佐藤……?」

 不思議に思って大夢がキッチンに向かって声をかけると、開いたドアから見知らぬエプロン姿の男が現れた。

「だっ、誰っ」

 驚いて上体を起こしたが、やはり起き上がると目が回ってしまって、少しも座っていられない。パタリとベッドに沈んだ大夢に、こんどは市井が驚いて慌てて駆け寄る。

「だ、大丈夫ですか。ハウスキーパー・パンジーの市井です。覚えていませんか? 一度目が覚めたときに少しお話ししたんですが」

 口早に説明されても、今の大夢には何の話かすぐに理解できなかった。

「え、いや……、あの……佐藤は……? ていうか……誰?」

「佐藤さん……同僚の方ですね。佐藤さんなら、俺と入れ違えですぐに帰られました。で、俺はハウスキーパーの市井です」

 戸惑いを露わにして、同じ質問を繰り返す大夢に、市井ももう一度、今度はゆっくり名前を伝える。

「ハウス……ああ、家政婦の……いちい、さん……」

 熱のせいで潤んだ瞳で、ようやく市井と視線を合わせることができた大夢は、ジーっと市井を見つめた。その視線に応えるように市井がうんうんと頷く。

「そうです。先日お申込みいただいたハウスキーパー・パンジーです」

「……エツコは?」

「え?」

 不思議そうに尋ねてくる大夢の問いに、市井も不思議な顔で返した。

「エツコさん、という方は俺が来たときにはもういませんでしたよ」

「えっ、ほんとにエツコが来たの?」

「いや……俺は見てませんが……」

「どうなってんだよ……佐藤は何してくれたんだよ……」

 真剣な表情で頭を抱え始めた大夢に、市井も困惑顔になる。

「八木沢さま、とりあえずエツコさんのことは置いておいて、話せる元気があるうちに食事を摂っておいたほうが。もう用意は出来てますけど、おかゆは食べられそうですか?」

 幻のエツコも気になったが、市井の言葉で忘れていた食欲を思い出した。大夢は即答で「食べます」と返事をすると、市井はすぐにおかゆとお茶をお盆に乗せて持ってきてくれた。

「いただきます」

「どうぞ」

 ホカホカと湯気を上げる玉子の混ざったおかゆにそっとレンゲを沈めて、ゆっくりと口に運ぶ。

「…………うまい」

「よかった。今度はちゃんとした味付けの必要な料理で褒められるように努力します」

 市井はそう言ってニコリと笑う。その笑顔につられて大夢も笑みを返したが、そこでハッとして、笑みを消す。

(なんでエプロン男と微笑みあってんの、俺)

 熱のせいで夢でも見ているのだろうか、と一瞬思ったが、おかゆの温かさと優しい味は、これが夢でないことを教えてくれる。

 しかし、これが現実だとすると、夢いっぱいで申し込んだ、二十代の女の子が世話してくれるはずの現実はどこへ行ったのだろうか。

「あの……次も市井さんが来るの? エツコは?」

 大夢の言葉に、市井は首を捻るだけだ。

「八木沢さまはパンジー以外にもどこかとハウスキーパーの契約をされているんですか?」

「え、いや、一社だけです」

「では、八木沢さまの担当は最初から俺だけですね。誰かからエツコという人を紹介されたんですか」

「……あれ、そう言われれば佐藤が勝手に名付けただけだったような……」

 混乱する大夢に市井が苦笑する。

「八木沢さまも、友人の方も、きっと俺ではなく、女性の担当者がくると思われていたみたいですね」

 クックッ、と肩を震わせて笑う市井に、大夢は恥ずかしい妄想に気づかれてしまったのではと赤くなる。その直後、市井の言葉に絶句した。

「だから女性ではない俺の声を聴いて、同僚の方と間違えてあんなに甘えたんですね」

「えっ」

 あんなに甘えてきた、というのは大夢が市井に、ということだろうか。だが、そんな記憶は大夢にはない。そういえば先ほど市井と対面したとき、市井は、一度目が覚めた大夢と少し話した、と言っていただろうか。着替えもその時にしてくれたのだろう。

「えっと……市井さん。俺、覚えていないんですけど、俺が一度起きたときに少し話したっていうのは、一体何を話したんでしょうか」

 不安そうに聞いてくる大夢に、市井の表情が一瞬照れたように見えて大夢は慌てた。

「なっ、なんですかっ、一体俺と何話したんですっ」

 布団の上に置いたお盆をひっくり返しそうな勢いで大夢が訊ねる。それを落ち着かせるように市井はお盆を真っ直ぐに戻すと、照れくさそうに話し出した。

「ええっと……。熱のせいもあったんだと思います。あのとき、八木沢さまのおでこは手で触っただけですごく熱くて。……そうですね、今は大体納得できました」

「いや、俺を納得させてくださいっ」

「……いいんですか?」

「是非」

 やけに説明を引っ張る市井に焦れて、大夢は覚悟もせずに先を促した。市井は、それなら、と話し始める。

「八木沢さまは熱が上がったのか、一時間ほど前に寝苦しさで目が覚めたようです。唸り声がキッチンまで聞こえてきたので今みたいに部屋に入りました。それで、挨拶もまだだったので、名前だけでも、と自己紹介した俺を八木沢さまは手招きで呼ばれて、近づいた俺にしがみ付いてくると、風邪がしんどいという趣旨の説明を赤ちゃん言葉で一生懸命されて――」

「何言葉!?」

「えっ、赤ちゃん言葉です。……ああ、えっと、でしゅ、とか、でちゅ、とか」

「いや、それは分かりますっ」

「そうですか。んーっと、具体的には、身体が痛いでちゅ、とか、背中を優しく撫でて欲しいでしゅ、とかだったと」

「わああああっ」

 やめてくれ! と両手で耳をふさいで大夢が市井に静止を求める。

(ええええ――、俺っ、間違え……っ。部屋にいる人間をエツコと思い込んで甘えたのか!? でもそれが実は市井さんで、その市井さんは、俺が佐藤と間違ったって言ってて……。あれ、でも市井さんさっき、俺が甘えてくることが大体納得できたって言ってなかったか? それってつまり、俺が佐藤に赤ちゃん言葉で甘える男だって思われてるってこと!?)

「だ、大丈夫ですか……」

「いや……。想像以上に状況が最悪だったんで……すいません」

 とんでもない醜態を晒した上、恐ろしい誤解を持たれているようだ。

「市井さん……あの、俺、家政婦さんとあなたを間違えたみたいで……だから、決して佐藤に甘えたかったわけでは……」

 とにかく自分の言い分を伝えたいが、同時に穴があったら入りたくもある。そんな気持ちでゴニョゴニョと説明している大夢の言葉が聞き取りにくかったのか、市井は首を傾げるだけだ。大夢は恥ずかしさから俯いて目も合わせられない状況で、自分の説明が市井に届いていないことにも気付けていなかった。

 そんな大夢に市井は躊躇いがちに聞いてきた。

「あの……どうします? 続きを聞きますか?」

「続きがあるんですかっ?」

 伏せていた大夢の目と顔が思わず上がる。大きく見開かれたその瞳と視線が合って、市井は面映ゆいような戸惑った笑みを見せた。

「いや、続きと言っても、あとはお薬を入れたくらいで終わりです」

「そ、そうですか。薬を入れて……」

 それ以上はなかったことに安心して胸を撫で下ろしたが、次の瞬間には猛烈な違和感に、大夢は汗を噴き出した。

「市井さん……」

「はい」

「薬……飲ませてくれたんですよね……」

「え?」

 大夢の確認の言葉に、今度は市井が大夢から目を逸らして気まずそうに俯く。そして、数秒の沈黙のあとに見せたのは、開き直ったような爽やかな笑顔と真実だった。

「あの、座薬なんで、やっぱり入れないと」

 家政夫にしておくには惜しいくらいの容姿をした同い年くらいの男が、キラキラの笑顔で座薬を入れるお世話をしてくれた、と言い出した。

「え、待っ……ちょ、それってお尻……!? そっ、そんなオプションまでやるんですかっ」

 強烈な恥ずかしさに襲われて、大夢は涙が出そうになるのを必死で阻止するために声を荒げた。

「だ、大体っ、座薬なんてこの家のどこから……っ」

「え……どこって、枕元に置いてたじゃないですか。子供用だったんでどうしようかと思いましたけど、ネットで検索したら緊急時は二個使えば大人でも問題ないみたいでしたし」

「二個っ!? っていうことは二回もお尻にっ!?」

 大夢の言葉に怒りが混ざるのを感じて、市井は声を大きくして慌てて説明を始める。

「待ってくださいっ。俺だって、それはお手伝いできないって言ったんですっ。そしたら、八木沢さまも一旦は諦めたんですけど、意識が朦朧とされていたのか、俺のことを、その、やっぱり佐藤さんと混同したようで――」

 再び佐藤の名前が出てきて、大夢は市井が、佐藤と自分を一体どんな関係だと思っているんだと、一言言ってやろうと口を開いた。

 しかしその時、大夢は忘れていた曖昧な記憶を少し思い出した。

 ――確かに、《佐藤》に尻を向けた気がする。

「え……あれ、市井さんだったの……」

「思い出してくれましたか!」

「思い出したくなかったけどねっ」

 自分の無罪を証明する大夢の記憶に市井は安堵するが、大夢は泣けてきた。

(そうだ……俺、身体が痛くてだるくて、なんか佐藤にならもういいやって……)

 上手く座薬が入れられなかった大夢は、苦しさと面倒臭さから解放されたい一心で、熱に浮かされた頭で安易にお尻を突き出して頼んでしまった記憶が蘇る。まさかそれが初対面の家政夫だったとは。

「あの……ほんと、……すいません」

 お盆をずらしてベッドの上で土下座する大夢に、市井は顔を上げるようにお願いする。

「び、病気のときは仕方ないですよ。それより俺が男で良かったってことで、前向きに考えましょう」

「男で……」

 そう言われて、大夢は、今日ここに来た家政婦がもし女性だったら、と考えて顔を青くした。

「ほ、ほんとに……市井さんでよかった……! 俺、訴えられて人生終わるとこでした!」

「あはは、そこまで大げさな」

 落ち込みを隠せない大夢に市井は「でしたら」と改めて向き直ると提案してきた。

「では、その恩に便乗して、次回からの担当も俺で続けてもらって構わないですか? 男のハウスキーパーは中々長期の担当が付かないんで、継続していただけると助かるんですが」

「え……えっと」

 尻を見られたというのは中々に恥ずかしい間柄だが、仕事を懇願する市井は切実なようだ。女の子が作ってくれる手料理に未練はたっぷりあるが、大夢は尻を見せてしまった手前、見せられた被害者からお願いされれば何となく無下にすることもできない。

「えっと……いえ、俺こそ変態と罵られてもおかしくないのに世話してもらって……。市井さんの人柄に助けられてますし……あの……市井さんが嫌でないのなら」

 大夢の答えに、市井が満面の笑みを浮かべた。その笑顔に大夢もまたつられて笑ってしまう。

(つーか、この人、カッケーな……。なんで家政夫やってんの?)

 その男前に尻の穴を見せた自分は一体何やってんだ、と心の中で突っ込んで、大夢はもう一度頭を下げた。

「じゃあ、今後もよろしくお願いします。俺、熱が下がったらちゃんとまともな奴なんで」

 大夢の挨拶に市井が「了解してます」と可笑しそうに笑う。

「こちらこそよろしくお願いいたします」

 お互い挨拶を交わすと、市井は、薬が効いているから今は元気なだけですよと、おかゆを食べ終わった大夢を早々に布団に閉じ込める。

 誰かに世話をされる優しさを久々に味わって、大夢は長身の家政夫に感謝し、再びまどろんでいった。

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