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十三歳、淡い初恋、片想い
回想:出会ったその日に恋をした6
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薬局に到着するとすでにアシュクロフト氏も戻ってきており、ルークの惨状を見て目を丸くした。
「ルークは負けなかったんだ」
テオの擁護にルークも黙って頷いた。
「……まあ、男の子っていうのはこうですよ」
とりなすようにエマの父が言う。
「この時間ならまだ診療所も開いてます。かかりつけがいなければ、はす向かいの所は腕がいいと評判です」
「なるほど。特に懇意にしている医者はいませんから、ひとまずそちらへ行かせます」
「エマに手当てしてもらえば大丈夫です」
ルークの言い分に、大人たちは目を丸くする。思いがけず名前を出されたエマは、とんでもないとばかりに首を振った。
「ダメ。ちゃんとお医者さんに診てもらって」
「どうして? さっきはしてくれた」
「さっきより傷がひどいでしょう? どこか折れてたりしたら、私じゃ治せないもの」
納得がいかない様子のルークに、はっきりと告げる。自分を指名してくれたことは嬉しいし、できればそうしたいけれど、彼の体の方がもっと大事だ。
「……エマも一緒に来てくれる?」
「もちろん行く。お見舞いもするし、怪我が治るまでの間、できないことがあったら手伝う」
指きりの形を示してみせると、ルークはやっと頷いた。
薬局のすぐそばにある診療所は、年配の男性医師が一人で切り盛りしている。この下町で長年開業している彼はその見た目から親しみを込めてヤギ先生と呼ばれていた。
薄くなった頭髪と不釣り合いな立派な白髭を撫でながら、ヤギ先生は皺に埋もれた目をしょぼしょぼさせた。
「こりゃあ手ひどくやられたな」
「見た目ほどひどくありません」
そう言うが、治療台の白い明かりに照らされたルークは唇は切れ、頬は腫れ、青と黒の痣が浮かんだ痛々しい様相だ。
治療室にはヤギ先生のほか、エマとルークの二人だけだ。
ドアを一枚隔てた先の待合で、テオがアシュクロフト卿に経緯を説明しているのがかすかに聞こえる。
ヤギ先生は手早くルークの全身を検め、必要な治療を施していった。
「ま、歯も折れてないようだし、骨も無事。目も見えてる。鼻の粘膜が切れてるからしばらく鼻血に注意ね。手足はまあ、そのうち治るでしょう」
「ありがとうございます」
治療の間ずっとそばで見守っていたエマはほっと息をつく。一生残る傷などができてしまったらと不安に思っていたが、その心配はなさそうだ。
「保護者の方に話してくるから、ちょっと待ってなさいよ。下向いて、安静にね」
そう言い置いて、ヤギ先生は待合に続く扉から出て行った。
二人きりになった途端、テオは言いつけを破り座った状態でエマを見上げた。
「エマ、ごめん」
ルークからの突然の謝罪に、エマはきょとんとする。
「どうして謝るの? ルークは悪くない」
思い返してみても心当たりがないのでそう返すと、ルークは俯いてしまった。
「俺が本当に強かったら、エマを泣かせなかった」
肩を落とし、絞りだすように告げるルークを見て、エマは鼻の奥がつんとするのを感じた。
「そんなことないよ。ルークは強かった」
黒くて細い髪の真ん中のつむじをじっと見つめながら、言葉を探す。
「私、嬉しかった。ルークのお陰で私の名誉は守られたんだよ」
ダンに立ち向かう理由として挙げた彼の決意を頭の中で反芻するうちに、エマはその言葉に聞き覚えがあることを思い出していた。
「ほんと?」
前髪の隙間から窺うように覗き込まれ、大きく首を上下させる。
「そうだよ。まるで……騎士みたいだった」
この国に古くから伝わる伝承に、騎士と姫君にまつわるものがある。母が読み聞かせてくれたそのお話はエマには少し難しく、断片的にしか覚えていない。
確か、怪物に生贄にされていた姫君を騎士が助け、城に送り届けるというのが大筋だった。けれど姫君の父である王も王国民も、姫君を役目を果たさず逃げ帰った薄情者、見知らぬ男を誘惑して思い通りにする悪い魔女だとなじった。
その時騎士が言ったのだ。「姫君の名誉を守るために何でもする」と。
甲冑に身を包んだ凛々しい騎士の絵姿がエマの脳裏に蘇った。確か騎士は出身地を冠してベルハウストの騎士と呼ばれていた。
「ベルハウストの騎士を知ってるの?」
ルークの瞳がキラキラと光を放つ。
「もちろん。だからルークを騎士だって言ったの」
エマの知っているのはくだんの姫君とのエピソードだけだが、どうやらその続きがあるらしい。
長い冒険で強さを身につけ、仲間と共に強敵を倒し、最後には一国の王にまで成り上がる騎士に憧れているのだとルークは語った。姫君はどうなったのかと問うと、王様となった騎士と結婚して新たな国で幸せに暮らしたと教えてくれた。
エマは姫君を想い続ける騎士の一途さを好ましく感じた。そして自分がお姫様なんていう柄ではないことは重々理解しながら、ひそかに騎士とルークとを重ねた。
「ちゃんとエマを守れるように、強くなるから」
瞳に静かな炎を燃やすルークを見て、エマの胸はぎゅっと押されたように苦しくなった。苦しくて息がしづらいのに全然嫌じゃないと感じるのが不思議だった。
本音を言えば、ダンとは二度とやり合ってほしくない。勝とうが負けようが、傷つくことには変わりないからだ。けれどルークの気持ちがたまらなく嬉しくて、守るという言葉を大切な宝物として胸の深い場所にしまい込んだ。ルークを自分だけの騎士なのだと信じて疑わなかった。
思い返せば、ルークと出会ったその日にエマは初めての恋を知ったのだった。
「ルークは負けなかったんだ」
テオの擁護にルークも黙って頷いた。
「……まあ、男の子っていうのはこうですよ」
とりなすようにエマの父が言う。
「この時間ならまだ診療所も開いてます。かかりつけがいなければ、はす向かいの所は腕がいいと評判です」
「なるほど。特に懇意にしている医者はいませんから、ひとまずそちらへ行かせます」
「エマに手当てしてもらえば大丈夫です」
ルークの言い分に、大人たちは目を丸くする。思いがけず名前を出されたエマは、とんでもないとばかりに首を振った。
「ダメ。ちゃんとお医者さんに診てもらって」
「どうして? さっきはしてくれた」
「さっきより傷がひどいでしょう? どこか折れてたりしたら、私じゃ治せないもの」
納得がいかない様子のルークに、はっきりと告げる。自分を指名してくれたことは嬉しいし、できればそうしたいけれど、彼の体の方がもっと大事だ。
「……エマも一緒に来てくれる?」
「もちろん行く。お見舞いもするし、怪我が治るまでの間、できないことがあったら手伝う」
指きりの形を示してみせると、ルークはやっと頷いた。
薬局のすぐそばにある診療所は、年配の男性医師が一人で切り盛りしている。この下町で長年開業している彼はその見た目から親しみを込めてヤギ先生と呼ばれていた。
薄くなった頭髪と不釣り合いな立派な白髭を撫でながら、ヤギ先生は皺に埋もれた目をしょぼしょぼさせた。
「こりゃあ手ひどくやられたな」
「見た目ほどひどくありません」
そう言うが、治療台の白い明かりに照らされたルークは唇は切れ、頬は腫れ、青と黒の痣が浮かんだ痛々しい様相だ。
治療室にはヤギ先生のほか、エマとルークの二人だけだ。
ドアを一枚隔てた先の待合で、テオがアシュクロフト卿に経緯を説明しているのがかすかに聞こえる。
ヤギ先生は手早くルークの全身を検め、必要な治療を施していった。
「ま、歯も折れてないようだし、骨も無事。目も見えてる。鼻の粘膜が切れてるからしばらく鼻血に注意ね。手足はまあ、そのうち治るでしょう」
「ありがとうございます」
治療の間ずっとそばで見守っていたエマはほっと息をつく。一生残る傷などができてしまったらと不安に思っていたが、その心配はなさそうだ。
「保護者の方に話してくるから、ちょっと待ってなさいよ。下向いて、安静にね」
そう言い置いて、ヤギ先生は待合に続く扉から出て行った。
二人きりになった途端、テオは言いつけを破り座った状態でエマを見上げた。
「エマ、ごめん」
ルークからの突然の謝罪に、エマはきょとんとする。
「どうして謝るの? ルークは悪くない」
思い返してみても心当たりがないのでそう返すと、ルークは俯いてしまった。
「俺が本当に強かったら、エマを泣かせなかった」
肩を落とし、絞りだすように告げるルークを見て、エマは鼻の奥がつんとするのを感じた。
「そんなことないよ。ルークは強かった」
黒くて細い髪の真ん中のつむじをじっと見つめながら、言葉を探す。
「私、嬉しかった。ルークのお陰で私の名誉は守られたんだよ」
ダンに立ち向かう理由として挙げた彼の決意を頭の中で反芻するうちに、エマはその言葉に聞き覚えがあることを思い出していた。
「ほんと?」
前髪の隙間から窺うように覗き込まれ、大きく首を上下させる。
「そうだよ。まるで……騎士みたいだった」
この国に古くから伝わる伝承に、騎士と姫君にまつわるものがある。母が読み聞かせてくれたそのお話はエマには少し難しく、断片的にしか覚えていない。
確か、怪物に生贄にされていた姫君を騎士が助け、城に送り届けるというのが大筋だった。けれど姫君の父である王も王国民も、姫君を役目を果たさず逃げ帰った薄情者、見知らぬ男を誘惑して思い通りにする悪い魔女だとなじった。
その時騎士が言ったのだ。「姫君の名誉を守るために何でもする」と。
甲冑に身を包んだ凛々しい騎士の絵姿がエマの脳裏に蘇った。確か騎士は出身地を冠してベルハウストの騎士と呼ばれていた。
「ベルハウストの騎士を知ってるの?」
ルークの瞳がキラキラと光を放つ。
「もちろん。だからルークを騎士だって言ったの」
エマの知っているのはくだんの姫君とのエピソードだけだが、どうやらその続きがあるらしい。
長い冒険で強さを身につけ、仲間と共に強敵を倒し、最後には一国の王にまで成り上がる騎士に憧れているのだとルークは語った。姫君はどうなったのかと問うと、王様となった騎士と結婚して新たな国で幸せに暮らしたと教えてくれた。
エマは姫君を想い続ける騎士の一途さを好ましく感じた。そして自分がお姫様なんていう柄ではないことは重々理解しながら、ひそかに騎士とルークとを重ねた。
「ちゃんとエマを守れるように、強くなるから」
瞳に静かな炎を燃やすルークを見て、エマの胸はぎゅっと押されたように苦しくなった。苦しくて息がしづらいのに全然嫌じゃないと感じるのが不思議だった。
本音を言えば、ダンとは二度とやり合ってほしくない。勝とうが負けようが、傷つくことには変わりないからだ。けれどルークの気持ちがたまらなく嬉しくて、守るという言葉を大切な宝物として胸の深い場所にしまい込んだ。ルークを自分だけの騎士なのだと信じて疑わなかった。
思い返せば、ルークと出会ったその日にエマは初めての恋を知ったのだった。
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