あなたの姫にはなれないとしても~幼なじみに捧げた求めぬ愛のゆく先は

乃木ハルノ

文字の大きさ
上 下
21 / 27
十三歳、淡い初恋、片想い

回想:出会ったその日に恋をした3

しおりを挟む
二人の密約が成立した時、父親たちがやってきた。
「私はそろそろおいとましようかな。これから運河の整備の現場に顔を出そうと思っているんだ」
「そうでしたか。運河もずいぶん多くなりましたから大変ですね」
ルークも同行するのだろうと思い、別れの予感に寂しさを感じていると、アシュクロフト氏が腰を屈めた。
「エマ、ありがとう。ルークもすっかり元気になって安心したよ」
「いいえ、こちらこそ。ルークと話せて楽しかったです」
「僕もエマと会えてよかった」
「すっかり仲良くなったみたいだね」
二人のやり取りに、エマの父も眼鏡の奥の目を柔らかく細める。
「ああ。それで治療のお礼に、私が戻るまで二人でアイスクリームでも食べていたらどうかと思ったんだが」
「え……!」
思わぬ展開に、エマは目を輝かせる。ルークとまだ一緒にいられるとしたら嬉しいし、アイスクリームは大好物だ。いいことが重なり、鼓動が弾む。
けれどそのためにはルークと父の同意が必要だ。
「そうしたい。エマは?」
「私もだけど、父さん、いい?」
どうかいいと言ってほしい。祈るような気持ちで父を見上げる。
「もちろん構わないよ。行ってきなさい」
「やった! ありがとう、父さん」
願いが叶って、エマは文字通り飛び上がった。
アシュクロフト氏からアイスクリーム代を預かったルークと連れだって、通りのアイスクリームワゴンに向かう。
大通りにはいくつかワゴンが出ており、エマはお勧めの店にルークをいざなった。
「ここは子どもにはトッピングをおまけしてくれるの」
クッキー、砂糖菓子、チョコレートのうちの一つを選ぶのだと告げると、ルークはチョコレートのアイスにクッキーにするとう。エマはバニラに色とりどりの砂糖のスプレーだ。注文したアイスを片手に日陰になっている場所へ移動する。
行き交う人を眺めながら、しばしアイスを舐めるのに集中した。暑さは夕方になって少しは落ち着いているはずなのに、日中の日差しを浴びた地面から熱気が漂っている。
半分近く食べ進んだ頃、背中側からエマとルークの方に長い影が差した。
「おい、さっき言ったこと忘れたのか?」
耳障りな声に振り返ると、赤毛のガキ大将、ダン・ブレイディが立っていた。
エマは唇についた溶けたアイスもそのままに、一歩前へ出るとそばかすの浮いた赤ら顔をきっと睨んだ。
そしてすぐに視線を外し、ルークの手を取った。
「行きましょ、ルーク」
普段なら絡まれれば下を向いて相手の気の済むまで耐える。けれど今はルークが一緒だ。ルークはすでに痛めつけられている。
痛々しい傷の痕を見て自ら手当てをしたこともあり、自分が守ってやらないとという思いがあった。
「逃げるのか」
「僕は――」
「いいから放っておきましょ」
反論しようとするルークの腕を引く。
「私たち、あなたに用はないの」
平然として聞こえるようにことさらゆっくり告げて、ルークの手を取った。すると赤ら顔はいやらしい笑みを形作る。
「生意気言うな、でぶっちょ。俺はそっちのチビに話があるって言ってんだよ」
体型をからかわれ、羞恥と怒りに目の奥が熱くなる。
「そもそもお前アイスなんか食える立場じゃないだろ」
にやにや笑いながら指をさし向けられたエマは屈辱に耐えながら、どうやってこの場を切り抜けようかと必死で考えていた。
学校の先生かダンの両親でも通りかかれば話は早いのだが、そう都合よくはいかない。
「今だって出荷寸前みたいな体してる癖にまだ太り足りねえの?」
これ以上聞きたくない。何よりルークに聞かれたくない。手の中のアイスクリームコーンにヒビが入る小さな軋みを聞きながら唇を噛んだ時――
横から手が伸びて、突きつけられていたダンの指を握った。
「……黙れ」
気づけば後ろにいると思っていたルークが前へ出て、エマとダンの間に体を割り込ませていた。
「なんだと?」
「下劣な口を開くなって言ってるんだ」
片手に食べかけのアイスクリームを持ちながら、ルークは明確にダンに立ち向かう意思を見せている。けれどダンとの身長差は頭一つ分もあるし、何よりルークは手負いだ。
「やめてよ、ルーク。私、平気だから」
袖を引いて穏便にすませようと懇願するエマに、ルークの返事はにべもなかった。
「やめない。エマが平気でも僕が嫌だ」
「なんで……」
力なく問うと、ルークが肩越しに振り返った。銀灰色の瞳が燃えるように輝いている。
まっすぐにダンを見つめ、ルークは告げた。
「女の人の名誉は、守らないといけないから」
ルークの言葉にエマは既視感を覚えていた。名誉なんて表現は六、七歳の子どもにとって身近なものではない。それでもどこかで耳にしたことがあった。どこで聞いたかは思い出せない。
「は? なんだその気障ったらしいセリフ。どうせ口だけだろ。謝るなら今のうちだぞ」
一瞬ルークの気迫に呑まれていたダンが調子を取り戻す。明確な脅しに、エマの意識は一気に現実に引き戻される。明らかに危険な橋を渡ろうとしているルークを止めたくて、繋いだ手を握りしめた。
エマの願いをよそに、ルークはダンの方へ一歩足を踏み出した。
「ありえない。そっちこそ今の発言を取り消してエマに謝れ」
「なら、どうなるかわかってるな」
饒舌なルークにダンは拳を振り上げて威嚇を示す。
このままでは、ルークはまた痛めつけられてしまう。そんなことは絶対に起こってほしくないのに、きっと止められないという予感があった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

わたしは夫のことを、愛していないのかもしれない

鈴宮(すずみや)
恋愛
 孤児院出身のアルマは、一年前、幼馴染のヴェルナーと夫婦になった。明るくて優しいヴェルナーは、日々アルマに愛を囁き、彼女のことをとても大事にしている。  しかしアルマは、ある日を境に、ヴェルナーから甘ったるい香りが漂うことに気づく。  その香りは、彼女が勤める診療所の、とある患者と同じもので――――?

処理中です...