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たじたじなんですけど

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緊張、焦り。優樹の頭の中はそんな感情でいっぱいになっていた。
彼のまなざしは鋭いとまではいかないが、まっすぐ過ぎる。顔の向きを固定されていて、視線をそらすことができない。
(の、飲み物……!)
喉がカラカラで舌が口の中に張り付いたみたいだ。オーダーを通してからどれくらい経ったんだろう。十分くらい? それとも五分?
やけに時間が過ぎるのが遅いような気がする。そんなことを考えていると、輪郭を支えていた手がすっと外された。
「俺のせい?」
あぐらをかいた膝の上に腕を戻した彼が、顔だけをこちらへ向けてそう言った。
「うん。うん? ……どうかなあ」
その通りではあるのだけれど、さすがに面と向かってそう言うのは抵抗があった。
(いや、抵抗ってなに? 言えばいいじゃん!)
彼が無意識でやっているあれこれにいちいち翻弄されていると言えば、ああ、普段男に縁がないから仕方ないねと苦笑されて終わりなはずだ。
それはそれでなけなしのプライドが傷つくけれど、彼だってこの女に万が一でも惚れられたら困ると思って自重してくれるだろう。
「俺とじゃ楽しくない?」
「え!?」
勢いよく振り向いたので、自分の髪が頬を叩いてくすぐったい。どういう気持ちの言葉なのかと彼を見つめると、しゅんと眉を下げてしまっている。
「もしかしてさっきの合コンで気になる人いた?」
「いやっ、……いないよ?」
畳み掛けるような質問に、つい声を張りかける。
気になる人なんていなかったというのは本当だ。今夜の合コンは、優樹も自分が頭数に入ってないなと自覚して早々に戦線離脱してしまったから、相手の男性についての情報がほとんど残っていないのだ。
「ほんと、名前や職業もおぼろだし、全然ユウキくんといた方が楽しいよ」
妙な勘違いをされてはたまらないとばかりに主張すると、彼の表情が見るからに和らいだ。
「そっか、よかった」
さっきまでの仏頂面がウソのようにはにかんだ表情に、優樹は混乱しきりだ。
(ええー……ユウキくん、情緒が不安定では?)
そうこうしているうちに、オーダーしておいたカクテルがやってくる。優樹の前に置かれたグラスはカシスソーダ。底は濃い赤色が沈んで縁に近い部分は無色透明と二層に分かれており、表面にはミントの葉が浮かべてあった。
彼の方には乳白色で満たされた、華奢なカクテルグラス。縁にはライムの輪切りと塩の結晶が飾られていた。小さくグラスをぶつけ合い、乾杯する。
ひと口口に含むと、大衆居酒屋の薄ぼけた水っぽいカクテルとはまったく違う、爽やかな風味が鼻へと抜けていく。
(それにしたって……)
右と左、両隣の席で2カップルが同時にいちゃつき始めたことに気づき、優樹は頭を抱えた。
「なんか、気まずいね……」
「そう?」
落ち着かない気持ちを共有したくて苦笑交じりに話しかけるが、思ったような効果は得られなかった。
「ユウキくんは気にならない? 周りがほら、なんかそのね」
ぼかして伝えるけれど、彼は首を振る。
「俺は別に。ゆきさんが緊張してるのって、そのせい?」
「んー、まあそうとも言えるかも」
さっきの話を蒸し返されて、過剰反応しないように肯定するだけに留める。そもそも、誘っておいて楽しめていないというのは失礼だっただろうか。
(ただ偵察に来ただけなのに、気まずいと思うこと自体がすでに奢りなのでは……!)
お得意のマイナス思考に陥りかけた時、彼がそっと顔を寄せてきた。
「大丈夫、何もしないから」
耳元に低く聴こえた声がぞくりと背筋を揺らす。彼はいったい何を否定したのだろう。今言われたことを紐解くと、どう考えても__
優樹は思いついた考えを追い払うように、ふるふると頭を振った。
「あ……当たり前だよ」
間違っても彼に何かされるかもなんて思っていない。思ってはいけない。付き合ってるわけでもないし付き合う気配もないのに、何かされるかもなんて自意識過剰なこと。
「そんな心配、まったくしてないからね」
「本当にそう思う?」
気を使ったつもりできっぱりと否定したのに、彼は含みのあることを言う。
(ちょっと待ってよ、それじゃまるで何かするつもりがあるみたい)
探るような目でちらりと彼を見ると、ふいと視線をそらされた。
「少なくとも今日はやめとく」
(やめとくって、何を?)
彼の横顔を食い入るように見つめるが、答えはない。中途半端に放り出されて、優樹がまたしても思考の迷路に迷い込みそうになった時。
「ゆきさん、クリスマスの予定は?」
「えっと?」
今までの流れを大幅にそれた質問に、一瞬思考が追いつかない。
「やっぱりデートの約束とかして__」
「ないない! クリスマスって平日だし」
慌てながらもさりげなく紛れ込ませた情報は、だから予定がなくても憐れまないでねという予防線だ。悲しいことに、平日だから予定を入れていないというよりは誰からも誘われないから暇なのだ。
(別に言わなくてもいいよね)
自分の考えを正当化しようとした時、彼がグラスをトン、とテーブルに置いた。その音に反応して、優樹はそちらに目を向ける。
「じゃあさ、俺と過ごしてほしい」
「うん……はい⁉」
彼の申し出に頷きかけて、その意味を理解して驚愕する。
「だめかな」
「だめじゃないよ……わ、私でよければ」
「よかった、ありがとう」
ありがとう、なんてこちらが言いたいくらいだ。クリスマスに予定の一つもないというのはみじめなものだ。
SNSの発達している昨今、他人が素敵な予定を過ごしている様子を簡単に垣間見ることができる。見たらいいねと伝えなければいけないような気がするし、さりとて本心はいいねと思いきれない。
部屋で独りぼっちでスマホの画面の向こう、自分とは別次元にカップルたちが存在しているのを見るのは辛いものだ。
だから優樹にとって、彼からの誘いは渡りに船だった。独り身同士、気楽に過ごそうということなのだろうけれど、独りで過ごす寂しさを今年は味合わなくていい。
(だからって勘違いなんかしないけどね)
優樹は自分に言い聞かせた。
「行くところは、ちょっと考えさせて」
「うん、わかった。私も何か探しとこうか?」
「ううん、今回は俺に決めさせてほしい」
彼のただならぬ勢いに、優樹はお願い、と伝えるだけで精一杯だった。
話がまとまったところで、日程の相談だ。その直前の土曜日に約束が決まった。クリスマスイブも当日も仕事が終わった後、夜なら空けられると言われたけれど、優樹はその前の週末を提案した。
(やっぱり本当の恋人同士でもないのにイブとか当日とか会うのは悪いもんね)
あえて口には出さない。彼だって今はクリスマスに予定がないと言っていたけれど、これから入る可能性は十分だ。その時に優樹との予定が邪魔になっては申し訳ない。
彼の方も平日は急な残業が発生しないとも限らないということで、問題なく了承してくれた。時間や集合場所は追って連絡するということが決まると、そろそろいい時間になっている。店を出て、駅まで向かうことになった。
「あれ? ユウキくん、JRじゃないの?」
彼が優樹の乗るメトロ線の改札口まで一緒についてきたので、不思議に思って尋ねる。
「ゆきさんが電車に乗るのを見届けようと思って」
「え、間違えないよ?」
メトロは乗り入れが入り組んでいる駅もあるけれど、優樹は通勤に日比谷線を使っている。恵比寿は通勤経路を途中下車しただけだから、一切不安はない。
「そういう問題じゃないから」
けれど彼はどうしてもと言い張って、下りのホームまで来てくれた。電車を待つ時間、優樹はそわそわとしてしまう。何か彼を楽しませるような会話ができたらいいのに、気が利かなくて話題が何も思いつかない。
「ありがとう」
もう一、二分で電車がくるという時に、彼がそう言った。
「そんな、お礼を言うのは私の方! 結局ごちそうになっちゃったし」
「俺がそうしたかっただけ。気にしないで」
その時足元にわずかな振動が伝わり、すぐにホームに電車が滑り込んできた。話途中ではあったが、彼に背中を押され、ホームドアに近づく。乗り込んですぐに振り返り、もう一度お礼を伝える。
ドアが閉まっても彼はまだそこに立って優樹のことを見ていた。静かに電車が動き出す。彼の姿が見えなくなってからも、優樹はしばらく窓の外の暗がりを見つめていた。
今日は本当にいろいろあった。
(というか、結局ユウキくんがどうして来てくれたかわからないままだ)
次の約束まではまだ、三週間近くある。その時に聞くのではもう遅いだろうし、わざわざメッセージを送るのもおかしいような気がする。
優樹は自分の要領の悪さを悔いながら、冷たい手すりをぎゅっと握った。
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