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凱旋1
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春先より続いていた隣国との戦をおおよそ満足のいく内容で終結させ、斎賀國次期当主である章継(あきつぐ)は上機嫌で戦地を離れた。
兵の数を過信して策らしい策もなく愚直に攻勢をかけてくる敵方は物の数ではなかったが、諦めの悪い総大将のせいで随分時間がかかってしまった。
だが、二月近くに渡る遠征もそろそろ終わりだ。あと一日足らずで屋敷に到着する。章継は感慨深く配下の兵たちを見回した。
「これが最後の野営になる。皆、ご苦労だったな」
あるじからの労いの言葉に、家臣一同誇らしげな表情を見せている。そんな中、章継の従弟にあたる雅朝(まさとも)が軽口を叩いた。
「若~、おれたち頑張ったから、祝勝会は奮発(ふんぱつ)してよね?」
「ああ、もちろんだ。酒だろうがつまみだろうが、いくらでも用意してやる。なんなら俺の秘蔵の酒も全部出す」
章継の言葉を聞いて、雅朝が「やった」と小さく拳を握る。その隣では、補佐役の景光(かげみつ)が眉間のシワを深くしていた。
「章継様は雅朝に甘すぎます」
「おれは別にワガママで言ってるんじゃなくて、兵の皆のことを考えてるの」
「どうだかな」
「働き者にはご褒美が必要だろ?」
「褒美は自らねだるものではない」
「その考え、ちょっと固すぎない? 皆が皆、景光みたいに枯れてるわけじゃないんだから」
「……もういっぺん言ってみろ」
遠慮のない言葉の応酬は、付き合いの長い気安さからくるものだ。それがわかっているから、章継も好きにさせておく。
「まあとにかく、戦は終わった。少しくらい羽を伸ばしてもバチは当たらないだろう」
章継が取りなすと、景光も納得したようだ。仏頂面ながら「戻ったら厨房に声をかけておきます」と主の命に従った。
予定通り、あくる日の昼過ぎに章継の率いる斎賀軍は斎賀城へと帰還した。先に送っておいた伝令が帰還予定を伝えていたため、到着時には盛大な出迎えが待ち受けていた。章継は疲れたそぶりも見せず、領民に無事な姿を見せる。
その次は大殿に挨拶だ。先の戦で思いがけない怪我をして、懇意にしている寺で療養していた父久敬(ひさたか)は、息子の顔を見て誇らしげに頷(うなず)いてみせた。
戦利品や自軍の被害状況について一通り伝え終わった後、久敬がふと思い出したように告げた。
「そういえばお前、忘れてはいないだろうな」
「何をですか」
「中津の姫のことだ」
思わず顔をしかめる章継を、久敬が嗜(たしな)める。
「輿(こし)入(い)れからもう二月も経つのに、ずっと放ったらかしだろう」
「国を守るのが先決ですから」
「危機は去った。ちゃんと向かい合うんだ」
「……」
この婚姻は、久敬の勇み足で決まったことだ。負傷し戦線を離れた父が、自分にもしものことがあった場合の保険として話を進めたのだろう。
それは理解できるものの、この報告を戦線に身を置いていた時に寝耳に水の状態で受けた章継としては、話が違うという気持ちだ。
父も常々、時が来たら自分で好きな相手を選べと言っていた。それなのにいざとなるとこうなのだから、到底納得がいかない。
口をつぐんだ章継を見て、久敬は小さく嘆息した。
「妻というものは掛け替えのない存在だ」
正妻である章継の母を早くに亡くした彼だからこそ、重みのある言葉だ。
しかし気持ちが収まらず、、章継は無表情で答えた。
「義務は果たします」
家督を受ける身であれば、跡継ぎをもうけることの大切さはわかる。子を成すのが義務というのならそうする用意はある。たとえ納得がいかなくとも。
「まあいい。ひとまず初音殿と会ってみろ」
父の言葉に頭を下げ、その場を持する。
報告を終えると屋敷に戻った。もしかしたら新妻が迎えに出てくるかと思ったが、いらぬ心配だった。
向こうも乗り気ではないのかもしれない。そう思うと少しほっとした。
湯殿で長旅の埃(ほこり)を落とし夕(ゆう)餉(げ)を取ると、すでにとっぷり日は暮れていた。すでに夫婦とは言え、帰って早々夜更けに偲(しの)んで行くのははばかられて、日を改めることに決めた。
雅朝が楽しみにしていた祝勝会は、準備のために翌晩への持ち越しだ。その日は早めに床につくことにした。
兵の数を過信して策らしい策もなく愚直に攻勢をかけてくる敵方は物の数ではなかったが、諦めの悪い総大将のせいで随分時間がかかってしまった。
だが、二月近くに渡る遠征もそろそろ終わりだ。あと一日足らずで屋敷に到着する。章継は感慨深く配下の兵たちを見回した。
「これが最後の野営になる。皆、ご苦労だったな」
あるじからの労いの言葉に、家臣一同誇らしげな表情を見せている。そんな中、章継の従弟にあたる雅朝(まさとも)が軽口を叩いた。
「若~、おれたち頑張ったから、祝勝会は奮発(ふんぱつ)してよね?」
「ああ、もちろんだ。酒だろうがつまみだろうが、いくらでも用意してやる。なんなら俺の秘蔵の酒も全部出す」
章継の言葉を聞いて、雅朝が「やった」と小さく拳を握る。その隣では、補佐役の景光(かげみつ)が眉間のシワを深くしていた。
「章継様は雅朝に甘すぎます」
「おれは別にワガママで言ってるんじゃなくて、兵の皆のことを考えてるの」
「どうだかな」
「働き者にはご褒美が必要だろ?」
「褒美は自らねだるものではない」
「その考え、ちょっと固すぎない? 皆が皆、景光みたいに枯れてるわけじゃないんだから」
「……もういっぺん言ってみろ」
遠慮のない言葉の応酬は、付き合いの長い気安さからくるものだ。それがわかっているから、章継も好きにさせておく。
「まあとにかく、戦は終わった。少しくらい羽を伸ばしてもバチは当たらないだろう」
章継が取りなすと、景光も納得したようだ。仏頂面ながら「戻ったら厨房に声をかけておきます」と主の命に従った。
予定通り、あくる日の昼過ぎに章継の率いる斎賀軍は斎賀城へと帰還した。先に送っておいた伝令が帰還予定を伝えていたため、到着時には盛大な出迎えが待ち受けていた。章継は疲れたそぶりも見せず、領民に無事な姿を見せる。
その次は大殿に挨拶だ。先の戦で思いがけない怪我をして、懇意にしている寺で療養していた父久敬(ひさたか)は、息子の顔を見て誇らしげに頷(うなず)いてみせた。
戦利品や自軍の被害状況について一通り伝え終わった後、久敬がふと思い出したように告げた。
「そういえばお前、忘れてはいないだろうな」
「何をですか」
「中津の姫のことだ」
思わず顔をしかめる章継を、久敬が嗜(たしな)める。
「輿(こし)入(い)れからもう二月も経つのに、ずっと放ったらかしだろう」
「国を守るのが先決ですから」
「危機は去った。ちゃんと向かい合うんだ」
「……」
この婚姻は、久敬の勇み足で決まったことだ。負傷し戦線を離れた父が、自分にもしものことがあった場合の保険として話を進めたのだろう。
それは理解できるものの、この報告を戦線に身を置いていた時に寝耳に水の状態で受けた章継としては、話が違うという気持ちだ。
父も常々、時が来たら自分で好きな相手を選べと言っていた。それなのにいざとなるとこうなのだから、到底納得がいかない。
口をつぐんだ章継を見て、久敬は小さく嘆息した。
「妻というものは掛け替えのない存在だ」
正妻である章継の母を早くに亡くした彼だからこそ、重みのある言葉だ。
しかし気持ちが収まらず、、章継は無表情で答えた。
「義務は果たします」
家督を受ける身であれば、跡継ぎをもうけることの大切さはわかる。子を成すのが義務というのならそうする用意はある。たとえ納得がいかなくとも。
「まあいい。ひとまず初音殿と会ってみろ」
父の言葉に頭を下げ、その場を持する。
報告を終えると屋敷に戻った。もしかしたら新妻が迎えに出てくるかと思ったが、いらぬ心配だった。
向こうも乗り気ではないのかもしれない。そう思うと少しほっとした。
湯殿で長旅の埃(ほこり)を落とし夕(ゆう)餉(げ)を取ると、すでにとっぷり日は暮れていた。すでに夫婦とは言え、帰って早々夜更けに偲(しの)んで行くのははばかられて、日を改めることに決めた。
雅朝が楽しみにしていた祝勝会は、準備のために翌晩への持ち越しだ。その日は早めに床につくことにした。
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