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第50話 模擬戦週間開幕
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出場決定戦が終わると、桜はその足で対戦者の控室へと向かう。本当は明日香ちゃんの防具の着脱を手伝うはずであったが、それはカレンに任せて千里の控室へと入っていく。
ガランとした控室にはタオルで顔を覆った千里が未だ防具を外さないままにベンチに座っている。こちらに背を向けているので、桜がそっと部屋に入ってきたことに気付いていないよう。
「千里ちゃん、おじゃましますよ」
「えっ!」
桜が後ろから声を掛けると、彼女はビクッとして振り返る。タオルで覆った顔は半分以上隠れていて良く見えないが、目だけが真っ赤になっている様子が窺える。
「今回は残念でしたね」
「えっ…… は、はい」
言葉少なに千里は答えるだけ。右手でタオルを抑えているのは、まだ涙が止まらない顔を見られたくなのであろう。
「どなたか防具の着脱を手伝ってくれる人はいないんですか?」
「それが、夏休み中にパーティーが解散してしまって、気軽に頼める人がいなくって…」
どうやら試合前の防具の装着も千里はひとりで行っていたよう。このままでは話がしにくいので、桜が手伝って防具を外していく。重たい装備をすべて脱ぎ捨ると、千里はようやく落ち着きを取り戻す。
「桜ちゃん、ありがとうございました。まさか来てくれるとは思っていませんでした」
「たまたま試合を見ていましたから。ところで千里ちゃんは今どのパーティーにも所属していないんですか?」
「はい、このままではダンジョンに入れないので、早くどこかのパーティーに入りたいと思っているんですが…」
桜の表情はこれはもうシメたものというホクホク顔。今なら簡単に話が進みそうな予感を感じている。
「試合を見ていて私のお兄様が『千里ちゃんは魔法に向いているんじゃないか』と言っているんですよ。もしよかったらお兄様と一緒に魔法の練習をしてみませんか?」
「わ、私がですか? 魔法なんて、全然できないですよ」
「まだ才能が目覚めていないだけですわ。お兄様ならきっと千里ちゃんの隠れた才能を引き出してくれますから」
「本当ですか! どうかお願いします! 私はこのままじゃダメなんです!」
千里の落ち込んでいた気持ちが、桜の申し出によってすっかり立ち直っている。こうして千里は桜の勧誘にノセられて魔法の訓練を開始することになるのだった。
◇◇◇◇◇
昼食を終えると、模擬戦週間の開会式が始まる。すでに各学年は会場となる演習場にスタンバイして、モニターに映し出される副学院長の挨拶や生徒会長の宣誓などを眺めている。
もっともこれらの形式的なセレモニーはほぼ全員が上の空で聞いているだけで、生徒の注目はこれから始まる模擬戦の勝敗がどうなるかに集まっている。
ここ第3訓練場ではこれから開始されるオープニングマッチの高揚感が次第に高まりつつある。その理由はこの場でオープニングマッチを飾る勇者にある。当然ながら誰にとっても気になる存在なのは言うまでもないだろう。
「勇者が戦う場面なんて実際に目にするのは初めてだな」
「きっと相手を瞬殺するだろう」
「どのくらい強いのか、俺たちでは見当もつかないよな」
このように話題の中心はもっぱらこれから登場する勇者が占めている。他のクラスの生徒にとって実際のところ勇者がどの程度の力を持っているのかを詳しく知らないだけに、こうして彼らの関心を集めるのは仕方がないところ。自分たちと比較して勇者の力はどのようなものかなどといった話題が観客席のそこかしこで花を咲かせている。
当然、この第1試合で勇者と対戦する明日香ちゃんに関して話題にする生徒はひとりもいない。学年ビリの存在など端からいないも同然というムードが流れている。
その明日香ちゃんは現在控室で決定戦の時と同様に桜に手伝ってもらって防具を装着している最中。
「桜ちゃん、ちょっとお腹の辺りがキツいような気がしますよ~」
「お昼を食べすぎただけですわ。そもそも普段から使っているプロテクターじゃないですか」
「おかしいですよ~。そんなに食べていないのに」
「大盛りパスタとサラダ、スープ、デザート… しっかり食べていますよね」
「記憶にありません!」
キッパリと言い切る明日香ちゃん。本日も一切自覚症状なし…
「明日香ちゃん、それよりも相手はそこそこ強いみたいですから、気を緩めないでしっかりと戦ってくださいね」
「はい、しっかりと負けたいと思っています」
「最初から負ける気かぁぁぁ!」
「だって、こんな模擬戦なんて、勝ってもお小遣いが入ってくるわけじゃないし… 適当にやって負けておけばいいんですよ~」
「もう何も言いませんから、好きなようにやってきてください」
さすがの桜も匙を投げている。目の前にご褒美がぶら下がらないと一切ヤル気を見せない明日香ちゃん。ダンジョンで頑張ってオークを倒しているのはドロップアイテムの代金でお小遣いが入るから… ただそれだけの理由に他ならない。
「どうせすぐに負けて終わりますから、桜ちゃんはここで待っていてもらえますか」
「いいですよ。ここから応援しています」
こうして試合時間となった明日香ちゃんは槍を手にして控え室を出ていくのであった。
◇◇◇◇◇
「それでは第1試合開始です」
訓練場に流れるアナウンスにスタンドが一斉に湧き上がる。100人を超える目が青い入場口から登場してきた勇者に注がれている。プロテクターやヘルメットなどは他の参加者と同一であるが、勇者の体から発散される雰囲気は観衆の目を引き付ける独特のものがある。
対して、反対側から登場した明日香ちゃんには誰も注目しない。
「Aクラス、浜川茂樹対Eクラス二宮明日香の対戦です」
場内に両者が紹介されると、審判を務める教員から双方に注意が行われる。いよいよ始まるオープニングマッチを観衆は固唾を飲んで見つめる。この模擬戦はどちらかが戦闘不能となるか、ギブアップによって勝敗が決まる。15分の制限時間内に勝敗がつかない場合は、ランキング上位の者がトーナメントを勝ち上がる仕組み。
「試合開始!」
審判の合図とともに、いよいよトーナメント1回戦が開幕を告げる。果たして勇者がどのように相手を片付けるかと注目している生徒たちは息をのんでその動きに注目する。
模擬戦が開始された直後の浜川茂樹は手にする剣を中段に構えて余裕の表情でどのように攻めるか考えている。
(相手が手にするのは槍か… どのみちEクラスだから軽く仕留められるだろう)
対して明日香ちゃんはまったく別の事を考えている。
(はあ~、早く負けて終わりにしたいですよ~。適当に相手をして痛くないように負けましょう)
つまらない模擬戦などさっさと終わりにしたいという気持ちがますます募っているよう。こうして大勢が見守っているのだから、ちょっとぐらいはいい格好をしたいとは考えないものだろうか?
そうこうしているうちに勇者が動き出す。剣を上段に振りかぶって一直線に明日香ちゃんに向かって踏み込んでいく。
「えいっ!」
ところが、小さな掛け声とともに勇者の目の前に明日香ちゃんの槍の先端が鋭く突き出される。この予想外の一突きに勇者は慌てて剣を振り下ろして対処する。だがその動きすら最初から読んでいたかのように、明日香ちゃんは槍を引いて勇者の剣に空を切らせると、再び体の正面に向けて槍を突き出していく。
明日香ちゃんとしては、気持ちは負けたいのだが体が勝手に動いてしまっている。あれだけ桜に毎日鍛えられた槍術の腕はすでに自動的に反射してしまうレベルまで高められている。
「なんだとっ!」
新たに突き出された槍の穂先を勇者は体を捻って辛うじて回避する。気持ちを静めるために一旦距離を置くと、戦前の「簡単な相手」という予想を覆して手足の如く槍を扱う相手を見つめる。
(なぜだ? Eクラスのそれも最下位相手になぜ俺がこんなに手古摺るんだ?)
勇者の頭に疑問が湧き上がる。彼は何が何だかわからずに絶賛混乱の最中にあるよう。
それは何も勇者だけではない。スタンドで観戦している生徒全員があっという間に決着がつくものと思っていただけに、勇者の方から間合いを取ったこの動きは改めて意外に映っている。
「おい、勇者っていうのは実は大して強くないのか?」
「なんだか手古摺っているように見えるけど、本当に大丈夫なんだろうか?」
徐々にこのようなざわめきが生徒の口々に上り始めていく。それだけのインパクトを明日香ちゃんの槍捌きが彼らにもたらしているのは間違いなさそう。
だがひとりだけこの様子を見ながら「うんうん」と頷いている人間がいる。それは控え室のモニターで試合を見ている桜に他ならない。
「あの程度の踏み込みでは明日香ちゃんの槍の前ではいいカモですわね」
腕組みをしながら余裕の表情でモニターを眺める姿は明日香ちゃんの勝利を信じて疑わない様子。
距離を取ってから大きく深呼吸した勇者は再び剣を構えてジリジリと前に踏み出していく。今度は大振りをせずに小刻みに剣を動かして槍の穂先を躱した後に、その懐に飛び込んでいこうという策に出たよう。
対する明日香ちゃんは…
(まったく、早く来てくれないと負けられないじゃないですか! いつでも負ける用意はできていますからガンガン掛かってきてください)
相変わらず負けることを前提に試合を行っている。勝ちたい勇者と負けたい明日香ちゃんというまともに嚙み合うかどうかすらわからない対戦が再開される。
勇者が徐々に前進して剣先と槍の穂先が触れ合う距離となる。
キン!
勇者が槍を払い除けようとして剣を横に振るう。そのまま明日香ちゃんの元に飛び込もうと一歩踏み込んだその時…
「グワッ!」
勇者の体が斜め後方に吹き飛ばされていく。
明日香ちゃんは横方向に弾かれた槍の動きに逆らわずに穂先を流すと、体を開いて右方向に移動する。勇者の剣の切っ先を避けるようにして位置を変えてから、そのまま大きく自分から歩を進める。こうして素早く角度を変えて斜め右方向から槍を思いっ切り横薙ぎに振るっている。
この動きはオークを壁に叩き付ける際に用いるすでに何十回も実戦で繰り返している槍捌きだけあって実に板についたもの。逆に200キロのオークを転がす威力の横薙ぎをまともに食らった勇者は堪ったものではないよう。
勇者が地面に転がされるという予想外の展開に会場は静まり返っている。試合を見ているほぼ全ての生徒にはこの場で何が起きているのか理解できない表情。
だがタネを明かすとこれは偶然でもなんでもない。
明日香ちゃんのレベルは23で槍術スキルレベル4に対して、勇者はレベル13で剣術スキルレベル3。初期数値では勇者が大きく上回っているものの、レベルにして10の開きがあると到底敵うものではない。体力の数値で比較しても明日香ちゃんは100に達しているのに対して、勇者は80前後に留まっている。
つまり桜が調子に乗って明日香ちゃんを鍛えすぎた結果がコレ。学年最弱の存在であった明日香ちゃんは、いつの間にか特待生の二人を除くと学年最強の存在に鍛え上げられていた。そもそもトライデントのアシストがあるにせよ、オークジェネラルをひとりで倒せるのは上級生を含めても一般生徒の中では明日香ちゃんしかいない。
ただし、本人に全く自覚がない点は中々困ったもの。その明日香ちゃんは槍の一振りで勇者を吹き飛ばしたことに大きく戸惑っているよう。
(困りましたねぇ… あんな力を抜いた攻撃で飛ばされているようでは、どうやって負ければいいのか分からないですよ~)
自由な時間が欲しくてどうしても負けたい明日香ちゃん… だがそろそろ諦める時が来たよう。
(勇者なんて自分から名乗るような廚2病の人はきっと弱いんですよね。しょうがないから次の対戦で負けるようにしましょうか)
相変わらずその勘違い振りは留まるところを知らない。対する勇者はと言えば…
「スキル〔不屈〕発動!」
スキルまで用いて勇者は何とか立ち上がる。その顔はこれ以上ない程の屈辱に塗れており、どうしても相手を叩きのめさなくては腹の虫が収まらないという表情に変わっている。
地面に叩き付けられた衝撃であちこちを打撲してようやく立ち上がった勇者が剣を構える。どこかに相手の隙がないかと探る目を向けるが、そんな時間の余裕を明日香ちゃんが与えない。
「それじゃあ、いきますよ~!」
初めて積極的に明日香ちゃんから動き出す。軽くフェイントを掛けて勇者の剣を右側に釣り出すと、その剣を槍の穂先で斜め下から思いっ切りひっぱたく。たったそれだけで勇者の手から剣が放り出されていく。すでにその一撃で勇者の手は痺れて最早使い物にはならなくなっている。一見軽く放ったようでもレベル23の一撃ともなると、勇者には大きなダメージを与えている。
ついには明日香ちゃんの槍が勇者の喉元に突き付けられる。
「それまでぇぇ! 勝者、赤!」
審判の声でオープニングマッチは終了する。勇者はこの結果が受け入れがたくて拳を握りしめて小刻みに震えている。最下位に負けたというのは勇者として、またAクラスのトップとして簡単には受け入れられないのであろう。
最弱が最強を負かした! このとんでもない番狂わせにスタンドからは一切声が上がらない。誰もがその信じられない瞬間を目撃して何を言っていいのかまったくわかっていない。
そんなシーンとしたフィールドで一礼した明日香ちゃんはスタスタと控え室へと戻っていく。その表情は予定通りに負けられなかったことに対して大きく憤慨している。なんでこうなるんだろうと、納得いかない顔で控え室へと戻ってくる。
「明日香ちゃん、予想通りに圧勝でしたね」
「桜ちゃん、あの廚2病の人は全然ダメです! 負けたかったのに、負ける方法が全然わからなかったです」
「だから『廚2病の人』なんて口にしたら華麗なるブーメランが突き刺さりますよ」
「えっ! どういう意味ですか?」
最後まで訳が分からない明日香ちゃん、こんな人物に負けたと知ったら勇者は泣くに泣けないであろう。
ともあれこうして、トーナメントは本格的に開始されるのであった。
【お知らせ】
いつも当作品をご愛読いただきましてありがとうございます。この度こちらの小説に加えまして新たに異世界ファンタジー作品を当サイトに掲載させていただきます。この作品同様に多くの方々に目を通していただけると幸いです。すでにたくさんのお気に入り登録もお寄せいただいておりまして、現在ファンタジーランキングの40位前後に位置しています。作品の詳細は下記に記載いたしております。またこの作品の目次のページ左下に新作小説にジャンプできるアイコンがありますので、どうぞこちらをクリックしていただけるようお願い申し上げます。
新小説タイトル 〔クラスごと異世界に召喚されたんだけどなぜか一人多い 浮いている俺はクラスの連中とは別れて気の合う仲間と気ままな冒険者生活を楽しむことにする〕
異世界召喚モノにちょっとだけSF要素を取り入れた作品となっておりますが、肩の力を抜いて楽しめる内容です。皆様この小説同様に第1話だけでも覗きに来てくださいませ。
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「面白かった」
「続きが気になる」
「早く投稿して!」
と感じていただいた方は是非とも【お気に入り登録】や【いいねボタン】などをポチッとしていただくと作者のモチベーションに繋がります! 皆様の応援を心よりお待ちしております。
ガランとした控室にはタオルで顔を覆った千里が未だ防具を外さないままにベンチに座っている。こちらに背を向けているので、桜がそっと部屋に入ってきたことに気付いていないよう。
「千里ちゃん、おじゃましますよ」
「えっ!」
桜が後ろから声を掛けると、彼女はビクッとして振り返る。タオルで覆った顔は半分以上隠れていて良く見えないが、目だけが真っ赤になっている様子が窺える。
「今回は残念でしたね」
「えっ…… は、はい」
言葉少なに千里は答えるだけ。右手でタオルを抑えているのは、まだ涙が止まらない顔を見られたくなのであろう。
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「それが、夏休み中にパーティーが解散してしまって、気軽に頼める人がいなくって…」
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「はい、このままではダンジョンに入れないので、早くどこかのパーティーに入りたいと思っているんですが…」
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「わ、私がですか? 魔法なんて、全然できないですよ」
「まだ才能が目覚めていないだけですわ。お兄様ならきっと千里ちゃんの隠れた才能を引き出してくれますから」
「本当ですか! どうかお願いします! 私はこのままじゃダメなんです!」
千里の落ち込んでいた気持ちが、桜の申し出によってすっかり立ち直っている。こうして千里は桜の勧誘にノセられて魔法の訓練を開始することになるのだった。
◇◇◇◇◇
昼食を終えると、模擬戦週間の開会式が始まる。すでに各学年は会場となる演習場にスタンバイして、モニターに映し出される副学院長の挨拶や生徒会長の宣誓などを眺めている。
もっともこれらの形式的なセレモニーはほぼ全員が上の空で聞いているだけで、生徒の注目はこれから始まる模擬戦の勝敗がどうなるかに集まっている。
ここ第3訓練場ではこれから開始されるオープニングマッチの高揚感が次第に高まりつつある。その理由はこの場でオープニングマッチを飾る勇者にある。当然ながら誰にとっても気になる存在なのは言うまでもないだろう。
「勇者が戦う場面なんて実際に目にするのは初めてだな」
「きっと相手を瞬殺するだろう」
「どのくらい強いのか、俺たちでは見当もつかないよな」
このように話題の中心はもっぱらこれから登場する勇者が占めている。他のクラスの生徒にとって実際のところ勇者がどの程度の力を持っているのかを詳しく知らないだけに、こうして彼らの関心を集めるのは仕方がないところ。自分たちと比較して勇者の力はどのようなものかなどといった話題が観客席のそこかしこで花を咲かせている。
当然、この第1試合で勇者と対戦する明日香ちゃんに関して話題にする生徒はひとりもいない。学年ビリの存在など端からいないも同然というムードが流れている。
その明日香ちゃんは現在控室で決定戦の時と同様に桜に手伝ってもらって防具を装着している最中。
「桜ちゃん、ちょっとお腹の辺りがキツいような気がしますよ~」
「お昼を食べすぎただけですわ。そもそも普段から使っているプロテクターじゃないですか」
「おかしいですよ~。そんなに食べていないのに」
「大盛りパスタとサラダ、スープ、デザート… しっかり食べていますよね」
「記憶にありません!」
キッパリと言い切る明日香ちゃん。本日も一切自覚症状なし…
「明日香ちゃん、それよりも相手はそこそこ強いみたいですから、気を緩めないでしっかりと戦ってくださいね」
「はい、しっかりと負けたいと思っています」
「最初から負ける気かぁぁぁ!」
「だって、こんな模擬戦なんて、勝ってもお小遣いが入ってくるわけじゃないし… 適当にやって負けておけばいいんですよ~」
「もう何も言いませんから、好きなようにやってきてください」
さすがの桜も匙を投げている。目の前にご褒美がぶら下がらないと一切ヤル気を見せない明日香ちゃん。ダンジョンで頑張ってオークを倒しているのはドロップアイテムの代金でお小遣いが入るから… ただそれだけの理由に他ならない。
「どうせすぐに負けて終わりますから、桜ちゃんはここで待っていてもらえますか」
「いいですよ。ここから応援しています」
こうして試合時間となった明日香ちゃんは槍を手にして控え室を出ていくのであった。
◇◇◇◇◇
「それでは第1試合開始です」
訓練場に流れるアナウンスにスタンドが一斉に湧き上がる。100人を超える目が青い入場口から登場してきた勇者に注がれている。プロテクターやヘルメットなどは他の参加者と同一であるが、勇者の体から発散される雰囲気は観衆の目を引き付ける独特のものがある。
対して、反対側から登場した明日香ちゃんには誰も注目しない。
「Aクラス、浜川茂樹対Eクラス二宮明日香の対戦です」
場内に両者が紹介されると、審判を務める教員から双方に注意が行われる。いよいよ始まるオープニングマッチを観衆は固唾を飲んで見つめる。この模擬戦はどちらかが戦闘不能となるか、ギブアップによって勝敗が決まる。15分の制限時間内に勝敗がつかない場合は、ランキング上位の者がトーナメントを勝ち上がる仕組み。
「試合開始!」
審判の合図とともに、いよいよトーナメント1回戦が開幕を告げる。果たして勇者がどのように相手を片付けるかと注目している生徒たちは息をのんでその動きに注目する。
模擬戦が開始された直後の浜川茂樹は手にする剣を中段に構えて余裕の表情でどのように攻めるか考えている。
(相手が手にするのは槍か… どのみちEクラスだから軽く仕留められるだろう)
対して明日香ちゃんはまったく別の事を考えている。
(はあ~、早く負けて終わりにしたいですよ~。適当に相手をして痛くないように負けましょう)
つまらない模擬戦などさっさと終わりにしたいという気持ちがますます募っているよう。こうして大勢が見守っているのだから、ちょっとぐらいはいい格好をしたいとは考えないものだろうか?
そうこうしているうちに勇者が動き出す。剣を上段に振りかぶって一直線に明日香ちゃんに向かって踏み込んでいく。
「えいっ!」
ところが、小さな掛け声とともに勇者の目の前に明日香ちゃんの槍の先端が鋭く突き出される。この予想外の一突きに勇者は慌てて剣を振り下ろして対処する。だがその動きすら最初から読んでいたかのように、明日香ちゃんは槍を引いて勇者の剣に空を切らせると、再び体の正面に向けて槍を突き出していく。
明日香ちゃんとしては、気持ちは負けたいのだが体が勝手に動いてしまっている。あれだけ桜に毎日鍛えられた槍術の腕はすでに自動的に反射してしまうレベルまで高められている。
「なんだとっ!」
新たに突き出された槍の穂先を勇者は体を捻って辛うじて回避する。気持ちを静めるために一旦距離を置くと、戦前の「簡単な相手」という予想を覆して手足の如く槍を扱う相手を見つめる。
(なぜだ? Eクラスのそれも最下位相手になぜ俺がこんなに手古摺るんだ?)
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それは何も勇者だけではない。スタンドで観戦している生徒全員があっという間に決着がつくものと思っていただけに、勇者の方から間合いを取ったこの動きは改めて意外に映っている。
「おい、勇者っていうのは実は大して強くないのか?」
「なんだか手古摺っているように見えるけど、本当に大丈夫なんだろうか?」
徐々にこのようなざわめきが生徒の口々に上り始めていく。それだけのインパクトを明日香ちゃんの槍捌きが彼らにもたらしているのは間違いなさそう。
だがひとりだけこの様子を見ながら「うんうん」と頷いている人間がいる。それは控え室のモニターで試合を見ている桜に他ならない。
「あの程度の踏み込みでは明日香ちゃんの槍の前ではいいカモですわね」
腕組みをしながら余裕の表情でモニターを眺める姿は明日香ちゃんの勝利を信じて疑わない様子。
距離を取ってから大きく深呼吸した勇者は再び剣を構えてジリジリと前に踏み出していく。今度は大振りをせずに小刻みに剣を動かして槍の穂先を躱した後に、その懐に飛び込んでいこうという策に出たよう。
対する明日香ちゃんは…
(まったく、早く来てくれないと負けられないじゃないですか! いつでも負ける用意はできていますからガンガン掛かってきてください)
相変わらず負けることを前提に試合を行っている。勝ちたい勇者と負けたい明日香ちゃんというまともに嚙み合うかどうかすらわからない対戦が再開される。
勇者が徐々に前進して剣先と槍の穂先が触れ合う距離となる。
キン!
勇者が槍を払い除けようとして剣を横に振るう。そのまま明日香ちゃんの元に飛び込もうと一歩踏み込んだその時…
「グワッ!」
勇者の体が斜め後方に吹き飛ばされていく。
明日香ちゃんは横方向に弾かれた槍の動きに逆らわずに穂先を流すと、体を開いて右方向に移動する。勇者の剣の切っ先を避けるようにして位置を変えてから、そのまま大きく自分から歩を進める。こうして素早く角度を変えて斜め右方向から槍を思いっ切り横薙ぎに振るっている。
この動きはオークを壁に叩き付ける際に用いるすでに何十回も実戦で繰り返している槍捌きだけあって実に板についたもの。逆に200キロのオークを転がす威力の横薙ぎをまともに食らった勇者は堪ったものではないよう。
勇者が地面に転がされるという予想外の展開に会場は静まり返っている。試合を見ているほぼ全ての生徒にはこの場で何が起きているのか理解できない表情。
だがタネを明かすとこれは偶然でもなんでもない。
明日香ちゃんのレベルは23で槍術スキルレベル4に対して、勇者はレベル13で剣術スキルレベル3。初期数値では勇者が大きく上回っているものの、レベルにして10の開きがあると到底敵うものではない。体力の数値で比較しても明日香ちゃんは100に達しているのに対して、勇者は80前後に留まっている。
つまり桜が調子に乗って明日香ちゃんを鍛えすぎた結果がコレ。学年最弱の存在であった明日香ちゃんは、いつの間にか特待生の二人を除くと学年最強の存在に鍛え上げられていた。そもそもトライデントのアシストがあるにせよ、オークジェネラルをひとりで倒せるのは上級生を含めても一般生徒の中では明日香ちゃんしかいない。
ただし、本人に全く自覚がない点は中々困ったもの。その明日香ちゃんは槍の一振りで勇者を吹き飛ばしたことに大きく戸惑っているよう。
(困りましたねぇ… あんな力を抜いた攻撃で飛ばされているようでは、どうやって負ければいいのか分からないですよ~)
自由な時間が欲しくてどうしても負けたい明日香ちゃん… だがそろそろ諦める時が来たよう。
(勇者なんて自分から名乗るような廚2病の人はきっと弱いんですよね。しょうがないから次の対戦で負けるようにしましょうか)
相変わらずその勘違い振りは留まるところを知らない。対する勇者はと言えば…
「スキル〔不屈〕発動!」
スキルまで用いて勇者は何とか立ち上がる。その顔はこれ以上ない程の屈辱に塗れており、どうしても相手を叩きのめさなくては腹の虫が収まらないという表情に変わっている。
地面に叩き付けられた衝撃であちこちを打撲してようやく立ち上がった勇者が剣を構える。どこかに相手の隙がないかと探る目を向けるが、そんな時間の余裕を明日香ちゃんが与えない。
「それじゃあ、いきますよ~!」
初めて積極的に明日香ちゃんから動き出す。軽くフェイントを掛けて勇者の剣を右側に釣り出すと、その剣を槍の穂先で斜め下から思いっ切りひっぱたく。たったそれだけで勇者の手から剣が放り出されていく。すでにその一撃で勇者の手は痺れて最早使い物にはならなくなっている。一見軽く放ったようでもレベル23の一撃ともなると、勇者には大きなダメージを与えている。
ついには明日香ちゃんの槍が勇者の喉元に突き付けられる。
「それまでぇぇ! 勝者、赤!」
審判の声でオープニングマッチは終了する。勇者はこの結果が受け入れがたくて拳を握りしめて小刻みに震えている。最下位に負けたというのは勇者として、またAクラスのトップとして簡単には受け入れられないのであろう。
最弱が最強を負かした! このとんでもない番狂わせにスタンドからは一切声が上がらない。誰もがその信じられない瞬間を目撃して何を言っていいのかまったくわかっていない。
そんなシーンとしたフィールドで一礼した明日香ちゃんはスタスタと控え室へと戻っていく。その表情は予定通りに負けられなかったことに対して大きく憤慨している。なんでこうなるんだろうと、納得いかない顔で控え室へと戻ってくる。
「明日香ちゃん、予想通りに圧勝でしたね」
「桜ちゃん、あの廚2病の人は全然ダメです! 負けたかったのに、負ける方法が全然わからなかったです」
「だから『廚2病の人』なんて口にしたら華麗なるブーメランが突き刺さりますよ」
「えっ! どういう意味ですか?」
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ともあれこうして、トーナメントは本格的に開始されるのであった。
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日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

異世界帰りの俺、現代日本にダンジョンが出現したので異世界経験を売ったり配信してみます
内田ヨシキ
ファンタジー
「あの魔物の倒し方なら、30万円で売るよ!」
――これは、現代日本にダンジョンが出現して間もない頃の物語。
カクヨムにて先行連載中です!
(https://kakuyomu.jp/works/16818023211703153243)
異世界で名を馳せた英雄「一条 拓斗(いちじょう たくと)」は、現代日本に帰還したはいいが、異世界で鍛えた魔力も身体能力も失われていた。
残ったのは魔物退治の経験や、魔法に関する知識、異世界言語能力など現代日本で役に立たないものばかり。
一般人として生活するようになった拓斗だったが、持てる能力を一切活かせない日々は苦痛だった。
そんな折、現代日本に迷宮と魔物が出現。それらは拓斗が異世界で散々見てきたものだった。
そして3年後、ついに迷宮で活動する国家資格を手にした拓斗は、安定も平穏も捨てて、自分のすべてを活かせるはずの迷宮へ赴く。
異世界人「フィリア」との出会いをきっかけに、拓斗は自分の異世界経験が、他の初心者同然の冒険者にとって非常に有益なものであると気づく。
やがて拓斗はフィリアと共に、魔物の倒し方や、迷宮探索のコツ、魔法の使い方などを、時に直接売り、時に動画配信してお金に変えていく。
さらには迷宮探索に有用なアイテムや、冒険者の能力を可視化する「ステータスカード」を発明する。
そんな彼らの活動は、ダンジョン黎明期の日本において重要なものとなっていき、公的機関に発展していく――。
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