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第45話 妄執の果てに

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 聡史たちのパーティーがダンジョンに向かった日の朝、東十条家の例の拠点に当主の秘書から連絡が入る。


「標的がダンジョンに向かったわ。予定通りにあのの男をダンジョンへ連れて行きなさい。6階層で待ち伏せして、あとは手筈通りに…」

「はい、承知しました。ただいまから行動を開始します」

 指示を受けた男はその場に待機している仲間と共に座敷牢から金髪の男を引き出す。すでに目の焦点が合わない金髪は彼らにされるがまま後ろ手に両手を縛られて、目隠しと口を塞がれて車に乗せられていく。


 人気のない大山ダンジョンの駐車場へと滑り込んできたワゴン車から数人の男たちが一斉に降りると、金髪の男にはフード付きのコートを頭から被せて、怪しげな集団は管理事務所へと向かって歩いていく。

 そのうちのひとりの男が集団に先駆けて事務所の入り口に立つと、係員に気付かれないようにそっと印を結んで口に中で呪を呟く。


「急急如律令、泰山夫君之命ニヨリテ眠リヲ催セ」

 管理事務所内で魔法を使用するなど厳重に禁止されている違反行為にも拘わらず、この陰陽師はそのような規則など無視して係員に向かって眠りをもたらす呪詛を放つ。何も気づかないうちにカウンターや奥にあるデスクにいる管理事務所の係員は机に突っ伏して深い眠りに誘われていく。

 その間に男たちはダンジョン内へと入り込む。監視カメラに映っても人相がわからないように全員がサングラスとマスクをつけており、さらに帽子を目深にかぶったその姿はどこからどう見ても怪しさ満点。当然その集団の中央にはフード付きのコートを被った金髪の男が含まれており、全員がひと言も口を開かないうちにゲートへと向かっていく。

 他人名義で作成した冒険者カードをかざしてゲートを潜り抜けると、その集団はダンジョンの奥へと進んで姿をくらます。彼らはそのまま6階層まで進んでセーフティーゾーンに身を潜めて静かに時を待つのだった。





  ◇◇◇◇◇





 そのまま集団は同じ場所に佇んだまま何かを待つ。時折口を塞がれた金髪の男がくぐもりながらも狂気を感じさせる叫び声を上げるが、その場にいる誰もが無視してやり過ごしている。


「そろそろか?」

「監視に置いてきた式神が階段を上がってきた標的を発見した。例の場所に向かうぞ」

 集団は金髪の男を連れて5階層へ上がっていく階段の方面へと向かっていく。やや広くなった階段周辺の場所は、人目に付きやすい半面でこの場を通る人間を見逃す心配はないので待ち伏せには適している。


「縄を解け」

「はい」

 金髪の両手をを戒めていた縄を解いて目と口を塞いでいた粘着テープを剥がす。フード付きのコートを脱がせるとその表情が露になる。わずか1週間ばかりの間に男の眼は落ち窪んで眼光だけがギラギラした怪しげな光を湛えている。口元からは伸びた犬歯がはみ出しており、狂気に満ちた人相をさらに際立てている。


「最後の戒めを外すぞ」

「この場を離れるんだ! 急げ!」

 ひとりの男が金髪の背中に貼ってある呪符に手を掛けると、ベリベリと剥がしていく。すべて剥がし終わる頃には周囲にいた男たちはその場を離れて5階層へ昇っていく階段を駆け上がる。呪符を剥がした男も慌ててその後を追い、その場には金髪の男ひとりだけが放置される。


 取り残された金髪は、その場に立ち尽くしたままブツブツと独り言を呟いているよう。


「憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎いぃぃぃぃぃ!」

 狂気に満ちた叫び声を放った直後に男の眼球が裏返しになると、白目だけになった不気味な目を周囲に向けて自らの憎しみをぶつける相手を探す。ちょうどそこに運が悪いオークが現れる。

 ブモォォォォ! 

 オークは手にする棍棒を振り上げて金髪に襲い掛かる。

 ガキッ!

 剛力を誇るオークが振り上げた棍棒はその場から動こうともしない金髪の頭にまごうことなく振り下ろされている。だが金髪はさしたるダメージを受けた様子もなくその場に立っている。白目しかない不気味な目がオークへと向けられる。


「憎い、憎い、憎いぃぃぃぃ!」

 男の右手がオークに延ばされていく。その爪はわずか1週間の間に5センチ以上の長さに伸びており、ズブリとオークの喉元に突き刺さるとそのまま首を掻き切っていく。大木のように太いオークの首の半分が切り落とされて大量の血飛沫を撒き散らす。男の爪による攻撃を受けたオークは抉られた傷から大量の血を吹き出して体中を真っ赤な色で死化粧をした哀れな姿に。

 ズシーン

 石を敷き詰めた床に倒れるオークの体が端末間の痙攣をしている。その様子を眺めながら金髪は狂った表情のまま右手に付着したオークの血を舐め始める。


「憎い、憎い、憎いぃぃぃぃ!」

 狂気に満ちた表情で徘徊する金髪はさしたる目的もないままに通路を徘徊しては、信じられない力で出会ったオークを引き裂いてその血を口にしていく。その度に衰弱していた体に力が戻り足取りに力強さが加わる。振るわれる腕の力はオークを圧倒して、飢えを満たすかのようにひたすらその血を集めていくのだった。





  ◇◇◇◇◇


 


 そんな出来事があるとは知らずに、聡史たちは6階層の通路を進んでいる。どうやら先程気配を捉えた集団は姿を消しており、この先は階段まで誰にも出会うはずはないと兄妹は目で合図を送っている。


「はぁ~、7階層といっても、オークの上位種が出てくるだけで大した手応えがなかったですねぇ」

「桜ちゃん、どうしてため息なんかついているんですか! オークの上位種だって、それなりに大変なんですからね」

「そういう明日香ちゃんだって、簡単にオークを倒していたじゃないですか」

「そうなんですよ~… 私って、どこまで修羅の道を突き進んでいくんでしょうか?」

 そんな話をしながら通路を進んでいくと桜が異変を感じ取る。


「嫌な気配がこの先にあります。先程感じた集団とは別の気配ですわ。注意したほうがよさそうです」

「桜、別っていうと具体的にどんな気配なんだ?」

「お兄様、さすがにこの距離では私にもはっきりとは判別できません。ですが人のような人でないような、あまり感じ取った記憶がない気配です」

「うーむ、人のようで人でないのか… そんな気配は俺にも記憶がないなぁ」

 聡史は桜のやや頼りない意見に首を捻っている。美鈴、明日香ちゃん、カレンの三人はわけがわからないという表情。

 パーティーは5階層に上がっていく階段を目指してメイン通路を進んでいく。階段が間近まで迫ってくると、誰にもその場に起きている異変が目に飛び込んでくる。金髪の男がオークの腹を引き裂いてその裂け目に頭を突っ込んで、まだ息がある魔物から生き血を啜っているなんとも悍ましい光景が目の前に出現している。


「桜ちゃん、なんだかヤバい人みたいですよ~」

「そうですね。見るからに危ない人です。ああいう人とは関りになりたくないですわ」

「何を落ち着いているんですか。今から回れ右で戻りましょうよ~」

「でもすぐそこに階段がありますから、どうしても脇を通らないと戻れませんよ。それにあの顔は秩父で見ていますし」

「えっ、秩父ですか?」

 明日香ちゃんには何のことやらわからないようだが、桜にはその金髪の男に見覚えがある。あの時警察にしょっ引かれたにも拘らず、なぜこの場にいるのかという当然の疑問が湧いてくる。


「お兄様、秩父で警察に引き渡した男とよく似ていますわ。なぜこの場にいるのか理由に心当たりがございますか?」

「さすがに心当たりはないな。それよりもずいぶん様子が変わっているようだ。注意するに越したことはないだろう」

 オークの血を啜っている金髪にさらに接近していくと、気配に気付いたのかその男は顔を上げて狂気の表情で笑い声をあげる。


「ハハハハハハハハハ! みつけた! 殺してやるぅぅぅ!」

 立ち上がった男の顔貌が変化していく。

 口から伸びた犬歯がさらに長さを増してもはや牙と呼ぶに相応しくなり、額の皮膚を突き破るようにして2本の角が生えてくる。体全体の筋肉は体格に不釣り合いなほどに盛り上がり、着ていた服はボロ切れのようになって胸部や肩に張り付いている。体中には剛毛が生え揃い、皮膚を覆い隠すほどまでに伸びていく。

 その場に立っているのは、日本では物語の中だけに存在する鬼そのもの。

 古来より残された伝説では人は時として鬼へと変貌する。「生なり」または「生成り」とも呼ばれる人間が恨みや愛憎の果てに生きたまま鬼となる伝説が伝わっているが、聡史たちの前にその伝説の存在が出現している。

 東十条家の陰陽師はこの生成りを聡史たちの刺客に差し向けようと、この金髪の男の身柄を警察から奪取していた。しかもわざわざ怨念を増幅させる効果を高めた地下牢に閉じ込めるという、日本における陰陽家の長い歴史の中でも禁断とされた呪法に手を出している。しかる後にダンジョンの6階層で聡史たちに遭遇するように仕向けたらしい。

 鬼となり果てた金髪の男は白目が剥き出しの不気味な眼窩を聡史たちへと向ける。その目はまさに狂気が宿るという表現が適切。聡史たちは人が鬼になるという極めて珍しい場面の目撃者となっている。


「コロス! コロシテ食ッテヤル!」

 もはや人語と判別するのも困難な発音の不気味な大声が通路に響き渡る。鬼の力を得た金髪は床を蹴って切れ味鋭い爪を光らせながらパーティーが立っている場所に猛烈な速度で接近していく。

 バキッ!

 グシャン!

 だがその長い爪が、パーティーのメンバーに届くことはない。


「まあまあのスピードですが、私には通用しませんわ」

 オリハルコンの籠手を装着した桜がカウンターの一撃を鬼の腹部に当ててその体を30メートル以上吹き飛ばしている。鬼の体は通路の床をゴロゴロと転がりながらようやく停止。たったの一撃で両肩が外れて首が変な方向を向いているが、鬼の体は周辺に漂う魔力を取り込んですぐに再生していく。


「なるほど、ダメージを食らっても体がすぐに再生するんですか。便利なものですねわ。ですがそれは絶対的な強さではありませんの」

 今度は桜からダッシュして鬼に強烈な拳を叩き込んでいく。肉を削ぎ血が飛び散っても桜は一切の容赦ないままに鬼をフルボッコにしていく。鬼もなんとか抵抗しようと腕を伸ばすが、そんな散発的な攻撃など歯牙にも掛けない桜の怒涛のラッシュが続く。

 ついに両腕が拳の勢いで吹き飛ばされて抵抗不能になった鬼に向かって、桜の必殺技が炸裂する。


「迷わず成仏波ぁぁぁ!」

 両手の掌打が鬼の分厚い胸板に当てられると同時に、桜の掌から闘気が飛び出す。その闘気は鬼の体の内部を破壊しつくして、背中から抜けて通路の床と天井と壁の表面をガリガリ削りながら突き進んでいく。あらゆる物体の内部を破壊する桜も滅多に使用しない必殺技の威力は絶大。

 ズダーーン!

 鬼は仰向けに引っ繰り返って天井を仰ぎ見ている。両腕は失われ胴体は骨が見えるまで削られて、いまだ息が残っているのが不思議な状態。


「これは相当にしぶといようですね」

 桜は床に倒れている鬼からまだ視線を離してはいない。なぜならここまでボロ雑巾のようにされても、まだ鬼の体が再生を開始しているから。


「桜、せっかくだから美鈴に譲ってもらえるか」

「お兄様、私がこの手で仕留めますわ」

「まあまあ、美鈴が面白い魔法を手に入れたから、ここで試してみるのも悪くないだろう」

「聡史君、私がやるの?」

「せっかくの機会だから闇魔法を試してみるのはどうだ?」

「ああ、そうだったわね。こんな気味の悪い相手に試してみるのも悪くないわね」

 桜が戻ってくるのを待つ間に、美鈴は頭の中に新たに覚えた術式を呼び出す。闇属性魔法だけは直接脳内に流れ込んできた影響か、どんなに複雑な異世界文字の羅列であろうとも一瞬で思い浮かべることが可能。

 ちょうどそのタイミングで再生を終えた鬼がフラフラしながら立ち上がる。美鈴は聡史から手渡された黒曜石の杖を振るいながら魔法名を口にする。


「ダークフレイム」

 黒曜石の杖から漆黒の炎が迸ると、彼我の30メートルの距離を直進して鬼の体を包み込むようにして燃え広がる。


「ギヤァァァァァ!」

 全身を闇の炎に包まれた鬼は狂ったように身を捩らせながら絶叫を上げるが、炎は一向に止むことなく燃え続ける。両手両足が炭化して崩れ落ちても、なおも炎は鬼の体を包んだまま。

 
「美鈴さんの魔法は、なんだか見ているほうが怖くなってきますよ~」

「明日香ちゃん、これが闇魔法ですよ。私もそうそう何度も目にした機会はないですが、威力は一般の魔法と比べて桁違いです」

「桜ちゃん、そうなんですか。魔法ってひと口に言っても色々あるんですね」

 魔法使いになりたい割には大して勉強もしてないド素人の明日香ちゃんには、属性の分類など頭に入っていない。単に凄い威力の魔法だと驚いているだけとはあまりに情けない限り。ちょっとは勉強してもらいたい。


「桜ちゃん、そろそろ火が燃え尽きそうですよ~」

「ほとんど灰になっていますからね。さて、ここから再生したら大したものですが…」

 暗黒の炎に焼かれて消し炭になった鬼の体は未だに燻ぶった煙を上げている。だがその消し炭が徐々に寄り集まっている様子を桜は見逃してはいない。


「お兄様、どうやらまだ復活するようですわ」

「ダンジョン内部は魔力に満ち溢れているからな。体を再生するのも容易なんだろう」

 兄妹の会話を聞いている明日香ちゃんが驚いた表情で問い掛けてくる。


「ええええ! お兄さん、それじゃあいつまで経っても終わらないじゃないですよ~」

「大丈夫だ。まだカレンが残っているからな」

「えっ、今度は私ですか?」

 指名されたカレンが逆にビックリした表情で聡史を見つめている。まさかこんな大事な場面で自分に出番が回ってくると思っていなかったらしく、彼女にしては珍しく油断をしていたよう。


「神聖魔法をあの消し炭に向かって放つんだ」

「は、はい、わかりました。聖光ホーリーライト

 聡史から手渡された世界樹の杖から白い光が放たれる。久しぶりの出番に世界樹の杖はいつもよりも多めに魔力を消費して消し炭を浄化していく。


「あれ? なんだか動きが止まったようですよ~」

 もちろん魔法知識がない明日香ちゃんには神聖魔法が何たるものかなど全然わかっていない。だからちょっとぐらい勉強しろ! …と耳元で叫んでやりたい気分だ。

 すると、ここで桜が…


「せっかくだから明日香ちゃんも参加してみましょう。あの消し炭に槍を突き立ててください」

「ええええ! 今度は私の番ですか?」

「どうぞどうぞ!」

 カレン以上に油断していた明日香ちゃん。ビックリしながらも、桜に勧められるままにトライデントを手にして動きが止まった消し炭に近づいていく。相手が攻撃してこないのでいつになく強気な表情を浮かべている。弱った相手には徹底的に強く出るのが明日香ちゃんの素晴らしいところといえる。


「これでトドメですよ~」

 床に散乱する消し炭にトライデントを突き立てる明日香ちゃん。こちらも活躍の機会に槍一倍の張り切りようを見せるトライデントが青く発光する。思い出してもらいたいが元々トライデントは海神が手にする槍として作られている。風や雷の属性を操れるが、元来の武器としての属性は〔聖〕となっている。

 神槍を突き刺された消し炭から黒い瘴気が立ち上っていく。怨念や妄執がトライデントによって浄化されていくゆえの瘴気であろう。立ち上る瘴気が止むとそこにはただの燃えカスとなった塊が残されているだけで、間もなくその塊は床へと吸収されていく。


「不思議ですねぇ? なんだか消えちゃいましたよ~」

「明日香ちゃん、細かいことはどうでもいいんですわ。あの鬼を討伐したんですから、もうこれでお仕舞です」

「そうですね。さっさと外に出て美味しいパフェを食べましょうよ~」

 こうして妄執に狂った人間の成れの果てを討伐したパーティーはダンジョンの外へと向かう。結果的に人間がひとりこの世から消えたのだが、この明日香ちゃんの何も考えない能天気さが救いだと、聡史はひとりで考えるのだった。



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