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第23話 美鈴の危機

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 この日の放課後、これから生徒会室に向かおうとする美鈴の背後から雅美が何喰わない表情で声を掛ける。その瞳の奥にある暗い影は得も言われぬ気味の悪さを漂わせる。


「西川さん、昨日の魔法は本当にお見事でしたわ。もしよろしければお互いの魔法に関する情報交換をいたしませんか?」

「東十条さん、ありがとうございます。お話ししたいところなんですが、これから生徒会室に向かわなくてはなりませんので別の機会に誘ってもらえるでしょうか」

 自分の誘いに対して何の疑いも持たずに丁寧に頭を下げる美鈴の姿を雅美は瞳の奥に冷たい光を宿しながら見下ろしている。だがせっかく罠を仕掛けているのだから、みすみす目の前の獲物を逃がすわけにはいかない。


「それほどお時間は取らせませんわ。間もなく夏休みになってしまいますし、休み中の課題として西川さんの術式を研究したいと考えていますの」

「そうですか… あまり長くは時間が取れませんが、それでもいいでしょうか?」

「ええ、こんな大切な機会ですから、この先にも繋がるようにお近づきになれれば幸いです」

 美鈴は頼まれると中々断れない性格。だからこそ生徒会副会長などという忙しい役職を引き受けてしまっている。しかも他人の悪意を間近に感じる経験がほとんどないので、上辺だけは丁寧な雅美の物言いにすっかり騙されている。


「それではどこでお話ししますか?」

「術式に関わることとなると迂闊に他人に聞かれては不味い内容もおありでしょうから、なるべく誰もいない場所がよろしいかと。よろしかったら私のとっておきの場所にご案内いたしますわ。見晴らしがよろしくて街並みを一望できますのよ」

「そうですか… では、そこでいいです」

「それではご案内いたします。どうぞこちらへ」

 カバンを手にした美鈴と雅美は連れ立って教室を出ていく。


 この二人の会話をやや離れた場所でカレンは聞き耳を立てて聞いている。二人が連れ立って教室を出ていく後ろ姿を横目で確認すると、彼女も席を立って階段に向かう二人を追う。

(まさか今日のうちに本当に行動に移すなんて、これでは西川さんに警告する暇もないじゃないの)

 雅美の行動が予想外に早すぎてカレンは内心の焦りを隠せない。二人の話の内容だと美鈴を追い出すために相当悪辣な罠を仕掛けている可能性が高い。かといってカレン自身が助けに入るわけにはいかない。彼女は回復魔法が専門で大した攻撃手段を持っていないのは動かしがたい事実。もし大人数に囲まれたら美鈴を助けるどころか自分までとばっちりで大ヤケドを負いそうな状況が目に見えている。

(こうなったら、一番頼りになる人に…)

 カレンはスマホを取り出すと誰かに電話を掛ける。だがいくら呼び出し音が鳴っても通話相手は一向に出る気配はないよう。

(もう、なんでこんな大事な時に出ないのよ。また会議中なのかしら?)

 カレンはスマホをブチ切りしてポケットに仕舞い込むと、一旦美鈴と雅美の追跡に集中する。生徒玄関を出ると、どうやら二人は話し通りに裏山の方面に歩き出す様子が目に入る。

(どこに連れていくのか場所を確認したいけど、それでは手遅れになる可能性が… もし西川さんに万一のことがあったら、あの二人を止められない)

 カレンが頭に思い描いているのは聡史と桜の兄妹コンビの姿。なぜか彼女はこれまでまったく関わりがない兄妹のことを知っている様子。クラスも違うし会話など交わした機会もない例の兄妹をなぜカレンが知っているのだろうか? しかも「二人を止められない」という意味深なフレーズ… まるで兄妹の強大な力まで承知しているかのような呟きを口にしている。

(こうなったら追跡は後回しにして直接事情を説明しに行くしかない。 面識がない私の話を信じてもらえる保証はないけど… でも絶対に何とかしないと)

 裏山方面に向かおうとした足を止めると、踵を返してカレンは学生食堂に向かう。しかも確信に満ちた足取りで。まるで双子の片割れの行動パターンを熟知しているかのよう。



 慌てた様子のカレンが学生食堂の入り口に飛び込んでいく。そこには生徒はまばらで、探している相手の姿はすぐにカレンの目に入ってくる。その人物は一緒にいる友達にこんな話をしているのがカレンの耳に聞こえてくる。


「明日香ちゃん、先日ダンジョンで、オーク7体、グレーウルフ4体、グレーリザード1体を仕留めましたから、お財布がとっても元気になりました。今は諭吉さんが3人もいますから今日は私のおごりですよ」

「桜ちゃん、いただきますよ~。それにしても簡単にお金が稼げて羨ましいです」

「そのうち明日香ちゃんもいっぱい稼げますから安心してください。私がバッチリ鍛え上げますわ」

「ほどほどにしてもらえないと稼ぐ前に私が死んじゃいますよ~」

 周囲の様子など全く気にせずに、のほほんとこのような会話をしている。

 カレンは気を引き締めて桜と明日香ちゃんが座っている席に向かう。


「あの、お楽しみ中失礼します。私はAクラスの神崎カレンと申します」

「はい、何でしょうか?」

 生クリームがたっぷり乗ったスプーンを手にして桜がカレンに振り向く。その隣では明日香ちゃんが鼻の先にクリームをつけたままで、突然声を掛けてきたカレンに見入っている。


「大事なお話なので、ちょっと耳を貸してもらえますか」

「はいどうぞ」

 カレンが桜の耳に口を寄せると、誰にも聞かれないように細心の注意を払いつつ用件を告げる。


「西川さんが狙われています。つい今しがた裏山に連れ出されました」

「間違いありませんか?」

「この目で確認したので間違いありません」

 桜の目が氷のような冷たさを湛えてスッと細められる。それはどこからどう見ても殺戮者の表情。たったそれだけで食堂内の気温が10℃くらい一気に下がったような気がする。


「明日香ちゃん、今から恒例行事に向かいますわ」

「ええぇぇぇ! 桜ちゃん。また校舎裏ですか?」

 付き合いが長い明日香ちゃんには「恒例行事」の一言で意味が通じたよう。何しろ中学時代から校舎裏でヤンキーとバトルを繰り返していた桜だけに、明日香ちゃんがお供で連れ出された機会も数知れず… だからこそ明日香ちゃんは「校舎裏ですか?」と即答できる。

 桜は明日香ちゃんが食べ掛けていたフルーツパフェを取り上げるとアイテムボックスに仕舞い込む。大好物をいきなり取り上げられた明日香ちゃんは涙目になっているが、渋々立ち上がって桜についていく。


「カレンさん、裏山といってもかなり広いです。大まかな方向はわかりますか?」

「この先から登っていく後ろ姿を確認しました」

「具体的な場所はわからないんですね?」

「はい、わかりません」

 桜は目を閉じるとスキル〔気配察知〕と〔広範囲索敵〕を同時に発動。野生動物並みに強化された桜の聴覚に裏山の上から枝が折れるポキンという音と人間二人の足音、それに加えて息遣いなどが聞こえてくる。


「こちらの方向、約500メートル先ですね。急ぎましょう」

「「はい」」

 桜が先頭に立ち、明日香ちゃんとカレンが続く。明日香ちゃんの足取りは度重なるレベルアップと桜の訓練のおかげでもうEクラス最弱とは呼べないほどに成長している。むしろ最後から登っていくカレンが息切れを起こしているくらい。 

 こうして三人は桜のスキルを頼りに美鈴たちのあとを追跡を開始する。




          
   ◇◇◇◇◇





 桜たちが追跡しているとは知らない美鈴と雅美は裏山のかなり高い場所まで登ってきている。あまり時間に余裕がない美鈴は一体どこまで登るのかとやや不安を覚え始める。


「東十条さん、まだでしょうか? ずいぶん高い場所まで来ましたが…」

「あと1、2分です。ほら、見えてきました」

 雅美が指さす先には見晴らしがいい場所などどこにも見当たらない。ただただ杉の大木が林立しているだけの、一向に変化がない裏山の景色が続いているだけ。

 雅美の考えがわからずに、美鈴の不安と生徒会室に向かわなければならない焦りが徐々に募っていく。

 ピッ

 その時、美鈴の耳には短い口笛のような音が聞こえてくる。まるで何らかの合図のように…

 その口笛の音を耳にした雅美は得も言われぬいやらしい笑みを顔に張り付かせながら美鈴に振り返っていく。その瞳には今まで美鈴に話し掛けていた穏やかさを装う欺瞞を取り払ったかのように、暗くて怪しげな光を湛えて…


「ようこそ、西川さん。ここがあなたを招待したかった場所です。精々楽しんでくださいませ」

 パチンとひとつ雅美が両手を打ち鳴らすと、杉の木の陰からニヤニヤした薄気味悪い表情の数人の男子生徒が姿を現す。彼らは全員東十条家の息がかかった陰陽系の術を操る生徒。しかも顔に見覚えがない点からしてどうやら上級生のよう。

 いつの間にか雅美は立ち位置を変えて生徒たちの後ろにいる。その様子は手下を従える女王様のような雰囲気を醸し出している。

(もしかして、騙された?)

 美鈴の脳裏には嫌な予感と、どうやってこの窮地を切り抜けようかという考えが一瞬の間に交錯する。

(魔法を使う… いや、それでは相手を死なせてしまう)

 美鈴の脳裏にはファイアーボールを食らったゴブリンの手足がバラバラに千切れて吹き飛んでいく光景が浮かんでいる。戦闘経験が未熟な美鈴がこのような思いに駆られるのは無理もない。人間に向けて魔法を放つというのは一歩間違うと殺人事件すら容易に引き起こす可能性がある。美鈴はその可能性に腰が引けてしまっている。この一瞬の逡巡が美鈴にとって結果的に命取り。彼女の背後にはこれまで隠形の術によって身を隠していた東十条家お抱えの本職の陰陽師が四人、その不気味な姿を現す。

 黒装束に身を包んだ本職の陰陽師は足音を立てずに美鈴の背後に迫ると、左右から美鈴の腕を拘束する。さらにひとりが重ね合わせた美鈴の両腕を手首の辺りで粘着テープをグルグル巻きにする。美鈴の両手の自由を奪ったところでトドメに口にテープを張り付けられると、美鈴は声すら出せない状況に追い込まれる。

 この間は瞬きする間であった。あまりに手慣れた黒装束の動きにレベルが16で正面からであれば成人男子でも取り押さえられる美鈴であっても全く抵抗できない。いわゆるプロの手口というのであろうか? なんとも鮮やかな手際といえよう。

 無抵抗な姿にされた美鈴を雅美は一段高い場所から余裕の表情で見下ろしている。


「まあ、西川さん、どうにも残念な姿になりましたわね。抵抗ができるならどうぞご自由に」

 小憎らしいほどの表情で美鈴に対して余裕を気取る雅美。対して美鈴は声も出せずに首を左右に振って必死に何かを訴えようとしている。だがそんな美鈴の態度は雅美の嗜虐心を刺激するだけ。


「さあ、そこの女を裸に剥いて好きなようにしなさい。写真はしっかり撮っておくんですよ」

 美鈴の元にニヤニヤ顔の上級生が無言で近づいてくる。逃げ出そうとしても両腕を後ろ手で一括りにされて黒装束の男二人から抱え込まれているので、どうにも逃げようがない。美鈴の脳裏には自分の最悪の未来が思い浮かんで、その瞳からは恐怖と無念が入り混じった涙が流れる。


「さあ、たっぷりと楽しんでやるぜ」

 ひとりの男子生徒が言葉を発しながら美鈴のブラウスのボタンを引き千切るように乱雑に引っ張ると、美鈴の肩と胸部の中程まではだけて、あられもない姿を晒してしまう。

(いやぁぁぁぁぁぁ、誰か助けてぇぇぇぇ! 聡史君! 桜ちゃん!)

 声を出そうにも口を塞がれて言葉にならない。それでも必死に首を振って足をバタバタさせながらなんとか抵抗を試みる美鈴。だが上級生はさらに力を込めてブラウスを乱暴に引き千切ろうとする。

 最悪なことに別の上級生は制服のスカートに手を掛けて徐々に捲り上げようとしている。

 美鈴の体中に鳥肌が立つ。これから始まる恐怖に耐え切れない美鈴の本能が引き起こしたのかもしれない。

 その時…

 ビシッ!

「ウッ!」

 ビシッ!

「クッ!」

 ビシッ!

「ガッ!」

 ビシッ!

「ゲオ!」

 何か目に見えない物が飛んできて、頭を撃ち抜かれた黒装束の男たちはその一撃で頭部を血塗れにして地面に倒れ込む。わずかに患部が陥没しているところを見ると、頭蓋骨が割れている可能性もある。陥没した部分に銀色の金属が顔を覗かせているところを見ると、どうやらパチンコ玉を撃ち込まれたよう。

 
「ムグムグ」

 声にならない声を出しながら体の自由を取り戻した美鈴がその方向に振り向くと、そこには近付く者は全て斬り捨てると言わんばかりの怜悧な刃物のような表情の桜が立っている。


「いい根性ですわね。私の友達に手を出した以上全員地獄に送って差し上げますから覚悟はよろしいですね」

 その声は、正真正銘地獄から這い出してきた死を運ぶ使者のような人の心を芯から凍えさせる響きを孕んでいる。それにしてもプロの陰陽師相手にこの手際。しかも攻撃に一切の躊躇いがないというのは、桜という少女は正真正銘の危ない人間のように思えてくる。

 四人のプロの陰陽師を一瞬で倒した桜、その右手にはアイテムボックスから取り出した数発のパチンコ玉が握られている。だが、彼女はこの場に来てから何かを投げるようなモーションを見せていない。

 ではいかようにして陰陽師たちを昏倒させたかといえば、驚くことに桜は親指で玉を弾いただけ。これは中国拳法にある指弾と呼ばれる技として知られている。陰陽師たちの頭を正確に撃ち抜いたように、自在に狙った箇所にパチンコ玉を弾く技術の持ち主がこの桜。


「な、何者です!」

 一瞬で配下の陰陽師が倒されるという目を疑うこの状況と魂が凍えるような冷たい響きの桜のセリフ。この双方が相まってようやく雅美が我に返る。雅美と同時に美鈴の着衣に手を掛けていた男子生徒も桜の存在に気が付いた模様。


「私のお友達から今すぐ手をお放しなさい。それが、あなた方の罪を軽くする唯一の方法ですわよ。私は頼んでいるのではありませんわ。命令しておりますの」

 相変わらず氷のようなセリフが投げ掛けられるが、美鈴の周囲にいる二人の男子生徒にはそこに立っているのがプロの陰陽師さえ瞬殺してしまう怪物だという認識に至っていないよう。彼らは何らかのアクシデントによって陰陽師が倒れたものと、自らに都合の良い解釈をしている。確かに一般的な常識の範疇では銃でも持っていない限り四人の人間を一瞬で倒すなど到底あり得る事態ではないだろう。生徒たちは桜を睨み付けながら声を上げる。


「なんだと! 俺たち上級生に向かって1年のガキが何を偉そうにほざいているんだ? おい、この女が痛い目に遭うのが嫌だったらその場から一歩も動くんじゃないぞ」

 桜は言葉で命令を発してはいるが、敢えて殺気までは出していない。殺してもいいかな程度の気持ちはあって多少の殺気は籠っているが、さすがに内に秘めて隠している。なぜなら明日香ちゃんの訓練時のように殺気だけで簡単に気絶させてしまっては、この連中が犯した罪とは釣り合いが取れないと考えたため。

 その代わりとして、桜はアイテムボックスから取り出した黒いオープンフィンガーグローブをゆっくりと両手に嵌める。こんな大晦日の格闘技戦中継でしか目にしない代物をなぜ桜が取り出したかというと目的はただ一つ。拳の威力を弱めるために他ならない。

 このグローブは桜が私物として異世界に持ち込んだ品であり、現在は対人戦専用のマジックアイテム化している。対戦者が死なないように大賢者によって桜のパンチの威力を5分の1まで軽減する世にも珍しい品といえる。

 攻撃の威力を高める品を数々作り出した大賢者は、初めて耳にした「威力を弱めてほしい」という依頼に目を白黒したという逸話が残されている。


「私の警告に素直に応じないなんて実に愚かですわね。痛い目に遭う覚悟が出来ていると受け取りますわ」

 その一言とともに桜の姿が二人の上級生の目から消え失せる。桜は自らのスキル〔神速〕と〔神足〕を同時に発動。スキルレベルMAXまで極めた双方のスキルを同時に使用するとどうなるか? 

 一定の距離を瞬時に移動する〔縮地〕が発動する。これがたびたび見せている桜の瞬間移動の正体。姿を消した桜は瞬きの間に美鈴を取り押さえている男子生徒の目の前に移動する。


「な、なんだと! ごばぁぁぁ」

「きゅ、急に、わぁぁぁぁ!」

 反応する暇を与えずに桜は二人を殴り飛ばしている。威力を抑えてあるとはいえヘビー級ボクサーのパンチ力の3倍以上の衝撃を与えるので、男子生徒2名は杉の大木に体を打ち付けられて目を回す。これでも桜からすると相当穏便な措置といえよう。

 その時…


「桜ちゃ~ん! やっと追いつきましたよ~」

 杉の林を掻き分けて明日香ちゃんとカレンが現場に到着。

 何者かが争う物音を聞きつけた桜が急にダッシュしたせいで二人は桜に置き去りにされていたのだが、ようやくこうして追い付いてきた。


「ちょうどいいタイミングでしたわ。お二人は美鈴ちゃんを保護して戒めを解いてもらえますか」

「ラジャーですよ~」

 明日香ちゃんとカレンに支えられて美鈴は桜から離れた場所に連れていかれると、口に貼り付けられた粘着テープをビリビリと剥がされていく。


「ぷはぁぁぁ。明日香ちゃん、ありがとう。やっとまともに声が出せるわ」

「美鈴さん、大丈夫ですか?」

 明日香ちゃんはブラウスの上半分のボタンが飛んで両肩がはだけている美鈴を心配顔で覗き込む。カレンも眉に皺を寄せて心配した表情を浮かべている。

「明日香ちゃん、助けに来てくれてありがとう。桜ちゃんがギリギリ間に合ったおかげでなんとか無事よ」

「お礼なら私ではなくて、ここにいるカレンさんにしてください。美鈴さんが危ないって教えてくれたんですよ~」

「そうだったの。神崎さん、どうもありがとうございました」

「いいえ、気にしないでください。たまたまですから」

 カレンはそんな大層な礼を言われる筋合いはないと首を横に振っているが、美鈴は粘着テープを外してもらって自由になった両手で彼女の手を取り何度も頭を下げるのだった。





     ◇◇◇◇◇




 桜ひとりにいいようにやられて、配下の陰陽師と男子生徒2名をあっという間に叩きのめされた雅美は、体をワナワナ震わせて目を吊り上がらせた怒りの形相を浮かべている。杉の大木に体を打ち付けられて気絶している男子生徒と同様に、桜の隔絶した戦闘能力を明らかに見誤っているよう。


「お前たち、急に現れたあの小娘を何とかしなさい。こうなったら手段など選びません。式神を出すのです」

「「「「「はい、お嬢様!」」」」」

 雅美の命令に声を揃えて返事をしたのは彼女の親衛隊とでもいうべき3年生の男子生徒。本職の陰陽師が一瞬で倒されたのは誤算であるが、最も信頼できるこの五人がいるおかげで雅美はいまだに強気を保っていられる。


「急急如律令、式神来臨」

 五人が呪符を取り出して印を結ぶと、宙を舞う呪符が不気味な姿の式神へと変容していく。元々式神とは平安時代の陰陽術の大家である安倍晴明が都の四條大橋の河原に結界を築いて飼っていたという術者に忠実な眷属とされる。

 その姿は様々で、あるものは鬼のようであり、また別のものは大蛇の姿を取るなどという言い伝えが残されている。

 この場にいる3年生の男子は陰陽師としてかなり優秀なようで、それぞれが自らの眷属である式神を操る腕を持っている。とはいっても最も下位の小鬼の姿をした式神5体が出てきただけで、桜からすればゴブリン登場程度の認識でしかない。


「まとめて処分いたしましょうか」

 桜は牙を剥いて襲い掛かろうとする式神に無慈悲な拳を浴びせていく。たとえ威力が50分の1であろうとも、小鬼程度を打ちのめすには十分。

 グギャァァァ!

 ゴブリンと同じような悲鳴を残して式神は破れて引き千切られた呪符に戻って空しく風にさらわれて何処かへと飛ばされていく運命が待っている。


「これで終わりですか? それではこちらから参りますわ」

 自信を持って送り出した式神があっという間に姿を消し去られた3年生の五人の術者は挙って顔を引き攣らせてはいるが、このままむざむざやられるものかと別の呪符を取り出して火炎を飛ばして対抗開始。


「このような子供騙しは、無駄と知るべきですわね」

 桜は巧みなステップで飛び交う火炎を避けながら、3年生に向かって前進を止めようとはしない。避けた桜の背後に飛んでいく炎は最寄りの大木にぶつかって僅かにその表面に焦げ跡を残して消え去さっていく。

 飛んでくる火炎を全く気にする様子もなく速度を落とさずに接近してくる桜を見て3年生の表情は益々引き攣っていく。中にはすでに抵抗を諦めて、無駄撃ちを中断して逃げ出そうと試みる生徒も出てくる始末。この期に及んではお嬢様の命令よりも自分の身が可愛くなるのは当然の心情。


「逃げても無駄ですわ」

 だが、桜には容赦などというフレーズは無用。逃げようとする相手に対して背後から襲い掛かると、彼らはなす術なく頭から大木にぶつかって次々に気を失う。


「おのれぇぇぇぇ、この身の程知らずがぁぁぁぁ!」

 最後にたったひとり残された雅美が桜に向かって呪詛の籠った憎しみの視線を叩きつける。つい今まで東十条家の一人娘として余裕に満ちた態度で振る舞っていたが、その表情にはどこにも名門の誇りなど残されてはいない。


「お覚悟を」

 対して桜は、普段通りの表情を向けている。

 それはあたかも配下を全て片付けてラスボスまで辿り着いたかのような、この先にあるべき戦いに期待を膨らまる態度。

 陰陽道の最大勢力である東十条家のお嬢様Vs傍若無人かつ脳筋なんちゃってお嬢様による世紀の対決のゴングが今ここに打ち鳴らされようとしている。

 先に動きを見せたのは雅美。


「このクソガキがぁぁぁ! 今から門外不出の東十条家の秘術をその目に焼き付けてやるから覚悟しろぉぉぉぉ。急急如律令、前鬼後鬼、来臨」

 手に握り締めた呪符に魔力を込めると、3年生の男子たちが生み出した式神とは桁違いの二体の大鬼が姿を現す。平安時代の伝承によれば、前鬼と後鬼と呼ばれるこの大鬼は安倍晴明と術比べをしたとして知られる蘆屋道満が身辺警護に使役したと言われる。

 千年前の伝承がこうして現在まで伝わっている事が示す通りに、恐ろしい力を秘めたまさに秘術と呼ぶには相応しい式神。雅美の陰陽術の力は誇張でもなんでもなく才能に溢れていると表現して差し支えない。


「非常に面白い手品ですわね。それでは少々本気を出して戦いましょうか」

 桜は前鬼と後鬼を興味深そうに見ている。これだけの眷属を使役できるとは、陰陽道というのも中々奥が深いものだと認識を新たにしているかのよう。彼女自身が「本気」と言っている証拠にオープンフィンガーグローブからいつものオリハルコンの籠手にいつの間にか装備を変更している。

 身の丈4メートル以上の高さから桜を見下ろす前鬼と後鬼、人間のコブシよりも大きな爛々と輝く両眼で桜を睨み付けている。

 対する桜は左右の籠手をカツカツと打ち鳴らして感触を確かめている。その表情は「いつでも掛かって来い」とばかりに2体の大鬼を明確に挑発している。


「前鬼、後鬼、その小娘を殺せぇぇぇ!」

 グオォォォォ!

 ガァァァァァ!

 その雄叫びとともに、決戦は開始されるのであった。
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