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第22話 Aクラス騒然
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その後学科の授業と実技実習が繰り返される日々が数週間続く。そんなある日、兄妹と明日香ちゃんはとある事態に直面して困惑と苦悩の色が濃い表情を浮かべている。
「桜、これは由々しき事態だ」
「お兄様、まさかこのような緊急事態が起こるなんて、あまりに突然すぎます」
「恐れていたことがこうして現実になるとは…」
「桜ちゃん、お兄さん、私もこの突然の事態にどうすればいいのか考えがまとまりませんよ~」
兄妹と明日香ちゃんが深刻そうに顔を突き合わせている。よほど突発的な事件が発生して、その対応策に頭を痛めているのだろうか?
「まずは予想される困難をどのように乗り切るかが大切だ。各自何かいい案はあるか?」
「お兄様、この際ですから腹を括りましょう。このまま玉砕覚悟で敵陣に突っ込んでいくしかないです」
「私も桜ちゃんの案に賛成ですよ~。このままみんなで敵に突っ込んで華々しく散りましょう」
「そこの三人は、バカなこと言っていないでさっさと勉強しろぉぉ! 明日から期末テストだって口を酸っぱくして教えたでしょうがぁぁぁ!」
特待生寮のリビングで教科書と参考書を並べているにも拘らず、試験対策をなんやかんや言いながらサボろうとする聡史、桜、明日香ちゃんの三人に対して、両手をわなわな震わせる美鈴の怒りの咆哮がこだまする。
現在こうして四人で集まって試験勉強をしている最中。いくら特待生であっても学科の点数までは優遇してもらえない以上、最低限の点数をテストで取らなければならない。
聡史と桜はステータス上の知力が100でカンストしている。これだけの知力があれば期末試験など軽いものと考えがちだが、二人は異世界に旅立っていた空白の2か月がある。その期間に授業で取り扱われた数式や歴史の年号、化学式等は習ってはいない。さすがに初めて目を通す教科書の内容がポンポン頭に入ってくるほど物事は都合よくできてはいない。
ちなみに明日香ちゃんはいつものサボり癖で試験勉強を何もしていないだけ。「真面目に勉強しろ」と、声を大にして耳元で叫んでやりたい。
「三人ともいいかしら? 最低限全科目半分以上の点数を取らないと追試が待っているのよ。追試なんか受けていたら肝心の実習の時間が大幅に削られるんですからね」
美鈴の顔はまったく笑っていない。この場に般若が出現したかのような目が吊り上がった恐ろしい表情を三人へ向けている。その迫力はレベル600を超える桜でさえも震え上がらせるほどのとんでもない破壊力を秘めている。聡史と明日香ちゃんは美鈴の眼光に射竦められて一言も発する余裕すらない。こんなスパルタモードを発揮している生徒会副会長をむやみに敵に回すほど聡史たち三人は愚かではないよう。
「さて、なんだか急に勉強がしたくなってきたぞ。よし、教科書に目を通すか」
「わ、私も勉強に対する意欲が湧いてきました。46ページから再開しますわ」
「二人とも置いていかないでくださいよ~。え、えーと… 英単語を覚えないといけないですよね」
こんな感じで美鈴による地獄のスパルタ学習会は学科試験が終了するまで続けられていく。ちょっとでも誰かの集中力が途切れると否応なく美鈴の怒号が飛ぶ。所定の時間までに試験範囲を終えなければ食事の時間すら大幅に遅延するので、三人も身を粉にして教科書や参考書の内容を頭に叩き込まなけらばならない。
当然限界まで追い込まれた三人は、全ての試験が終わった頃には口から白っぽい何かを吐き出して死体のようにしばらく動けなくなっていた。
◇◇◇◇◇
学科試験最終科目を終えると、翌日からは実技試験が待っている。
聡史、桜の兄妹は実技に関しては余裕であるのは言うまでもないだろう。懸念があるとすれば再び桜が試験会場を破壊しないかという点に尽きる。この辺に関しては聡史が事前に入念に言い聞かせてあったおかげで今回は無事にクリアできそう。
ついでに明日香ちゃんであるが、いつの間にか〔槍術レベル2〕のスキルを獲得しており、剣を手にする同クラスの男子生徒を押し込むほどに成長している。桜の厳しいと言うのも憚られる訓練の成果を見事に発揮するなんて、すごいぞ明日香ちゃん。ヤレばデキる子だ!
そして別の会場では、1年Aクラスの魔法適性を持つ生徒が緊張した面持ちで実技試験に臨んでいる。その数はクラスの約3分の2にあたる26名に及ぶ。魔法スキルを持つ生徒が数人しか在籍しないEクラスとは大違い。
「それではフィールドの奥にある的を目掛けて各自が得意な魔法を放ってください」
実技試験の内容は聡史たちが受験した編入試験と同様。採点を担当する教員の簡単な説明が終わると、名前を呼ばれた生徒から開始線に立つ。
この順番は入学試験の順位の逆から行うと決められている。入試結果26番目の生徒からスタートして、主席の生徒が最後という順番となる。
生徒にとっては、前後の者との比較で入学後に自らの能力がどの程度伸びたか、もしくはどれだけ伸び悩んでいるかが一目瞭然。さらに成績下位の数人は2学期に行われるクラス再編成でBクラスまたは下手をするとCクラスへ転落する可能性があるので、どの生徒もその目は必死を通り越している。
美鈴は入試次席なので、自分の順番がくるまでフィールドの開始線手前に置かれたパイプ椅子に腰掛けて物静かに待っている。その間に彼女は自らのスキルを発揮して同級生の魔法を解析中。
「席次5番、遠藤明」
「はい」
ひとりの生徒が開始線に立つと魔法を打ち出す準備を始める。美鈴の目からしても準備にモタつく印象を受ける。
「ファイアーボール」
バレーボール大の炎が的へ向かって飛翔して一瞬大きな炎となって消え去る。スキルで彼の魔法を解析している美鈴が誰にも聞こえないような声でそっと呟く。
「込められている魔力が多いだけで、術式自体には工夫はないようね」
要は美鈴が初めて聡史に見せたファイアーボールの強化版。だが居並ぶ生徒たちの反応はまったく別のよう。
「凄いな、あれだけ大きく燃え上がるなんて遠藤は相当練習を積んだな」
「あの威力ならゴブリンが燃え上がるんじゃないか?」
このような感想がゴブリンしか相手にしていないAクラスの生徒の限界であるらしい。美鈴のようにオークジェネラルに向かって魔法を放った人間はこの場にはひとりもいない。
聡史からハイレベルの魔法を指導してもらっている美鈴にとってなんとも物足りない内容と感じるのは無理からぬことであろう。
「席次4番、神崎カレン」
「はい」
名前を呼ばれた女子は美鈴にとってそれほど話をしたことがない女子生徒。もちろん同じクラスなので挨拶程度は交わす間柄ではあるものの、むしろ彼女は自ら望んでクラスの生徒と距離を置いている印象がある。そして彼女は、その名前でもわかるように欧米系と日本人のハーフのような容貌。詳しいことは本人から何も聞いてないが、ブロンドの髪やエメラルドグリーンの瞳を見れば誰でもすぐに彼女のカレンという名前はピッタリに感じる。
神崎カレンは開始線に立たずに試験担当の教員に何やら話をしている。彼女の話に頷いた教員はAクラスの生徒全員に呼び掛ける。
「この中で体に怪我を負っている生徒は手を挙げてくれ。切り傷や小さな痣でもいいぞ」
その呼びかけに応えるようにして三人の男子生徒が挙手をする。
「それでは今手を挙げた三人は椅子を持ったままこちらに来てくれ。それから怪我をしている個所を見せてもらいたい」
三人の生徒はカレンの前に一列にパイプ椅子を置いて、腕を捲ったりジャージの裾を捲り上げて患部を見せる。美鈴からははっきりとは見えないが、全員が擦り傷程度の浅い怪我のようだ。
「それでは始めます」
カレンが患部に手をかざして魔力を込めると純白の光が照射されていく。それは見ただけで心が癒されるかのような、柔らかくて、なおかつ優しい光。
「わあ、本当に治ったぞ!」
これは、腕をカレンに差し出していた男子生徒が思わず上げた声。初めて回復魔法を体験して、その表情は驚きに包まれている。対して美鈴は…
「凄いわね… 私の解析レベルではとても追いつけなかったわ。回復魔法の使い手なんて果たして日本に何人いるのかしら?」
そっと呟く美鈴はカレンの回復魔法に心の中で白旗を挙げている。自分が現在取り組んでいる無属性魔法や闇属性魔法の数十倍の量の魔法文字が整然と並んだ術式に、さすがに彼女をもってしても理解が追い付かないよう。
クラスの生徒たちからの眩いばかりの視線に見送られながらカレンが試験を終えると、次の生徒が名前を呼ばれる。
「席次3番、東十条 雅美」
「はい」
彼女は開始線に立つと、手にする紙の束から一枚を選び出す。一瞬精神を集中すると、はっきりとした口調で呪を唱え出す。
「急急如律令 東十条流、炎爆」
先ほどの5番の生徒が放ったファイアーボールの3倍以上ある炎が飛び出していく。
バーン!
炎は的に命中して小規模な爆発を引き起こした結果、粘土製の的には数か所ヒビが入っている。外見同様の威力を雅が実演した炎爆は持っているよう。
この結果に雅美は満足そうな表情を浮かべている。
この様子に対して、美鈴はといえば…
「そうなのね、漢字を用いて術式を描くのもアリよね」
新たな発見を得ているよう。聡史が操る魔法は、その魔法式が異世界の文字で描かれている。この点が美鈴の解析を困難にしている最大の障害。スキルのおかげで辛うじてその意味が理解可能だが、実際に頭の中で描く際には謎の暗号を書き込んでいるような困難な感覚がいまだに続いている。
それとは別に、たった今術を実演した雅美は陰陽術を生業とする有力な家系に生まれており、幼いころから英才教育を施されたいわばサラブレッド。彼女が実演した陰陽術に実技試験を見学するAクラスの生徒たちは騒然。
「ヤバいな、さすがは陰陽師の名門だ」
「爆発する術式は近代魔法ではまだ誰も実現していないよな?」
「千年以上の歴史は伊達じゃないぞ」
生徒たちの口々から術に対する絶賛とも呼べる評価が雅美に集まるのは当然かと。それだけ彼女はこの試験会場にインパクトを残している。わずか5年の歴史しかない近代魔法に対して、古来から脈々とその技を受け継いできた陰陽術がいまだに優位性を保っている証明がなされたかのような反応といえる。
そして…
「次席、西川美鈴」
「はい」
いよいよ美鈴の順番がやってくる。表情を変えずに開始線に立つと、一度だけ深呼吸して的を見つめる。
(よし、威力の調整も完璧)
魔法式を点検した美鈴はもう一度深呼吸をすると冷静に術式名を口にする。
「ファイアーボール」
発動は日頃の練習通りに極めて迅速かつスムーズ。鮮やかなオレンジ色の炎は他の生徒の魔法に比べると驚異的な速度で的に一直線に進んでいく。
ズガガガガーーン!
着弾した美鈴のファイアーボールは轟音を発して粘土を固めた的を文字通り粉砕しする。この結果に後ろで見ている生徒たちは息を呑んで静まり返る。
1分近い沈黙ののちに、誰かがようやく声を上げた。
「あれがファイアーボールのはずがないだろうがぁぁ!」
段違いの飛翔速度、的の中心に向かって真っ直ぐに飛ぶ正確性、そして的を粉砕した爆発力、どれを取っても従来のファイアーボールとは一線を画すまったくの別物。
ひとりが声を上げると会場は雅美の試験どころではない勢いで騒然となる。それはもう雅美の陰陽術なはるか彼方に忘れ去られていくがごとし。当然ではあるが、採点をする教員も唖然としている。
魔法学院においてこれだけの威力を持ったファイアーボール、いや、実質的にはファイアーボンバーが実演されたのは2度目。ただし最初の1回は編入試験時に聡史が放ったものなので、直接目撃した人間は三人だけ。しかも教員なので、むやみに生徒の能力を口外していない。
つまり公の場で美鈴は実質的に日本で初めて超級魔法に該当するファイアーボンバーを放った人間として誰からも認知されてしまっている。
この実技試験が原因となってのちに美鈴が大きな事件に巻き込まれるとは、今の時点で当の本人さえ気が付いていない。
そして最後に主席の浜川茂樹がホーリーアローを放って美鈴以上の破壊力を見せつけたものの「勇者なら、あのくらいは当然だろう」という極めて薄い反応しか残すことはなかった。
◇◇◇◇◇
ここで魔法学院の設立の経緯と現在の概況に関してひとまとめにして記述しておきたい。
当学院が設立されたのは今から5年前。
遡ること8年前、日本を含めた世界各国でダンジョンが出現したと同時に人々の間には一定の割合で何かしらの能力に目覚める人物が現れ始めた。最初のうちは個人でひっそりと楽しむオタク趣味と見做され、時には変人扱いされて周囲から白眼視される時期もあり、精々仲間内で盛り上がる怪奇現象サークルのような趣味集団と一般市民は捉えていた。
だがとある投稿動画が大手メディアに取り上げられた件がきっかけとなって魔法の存在が多くの人々の間に明るみになっていく。日本では魔法の概念が無秩序に広まるのを恐れて設立された魔法学院が魔法教育を専門に学習する学校として正式に認められたのが同年。さらに翌年から冒険者の育成も同時に行うようになり、現在と同様の教育訓練システムが確立された。
伊勢原の大山ダンジョンに隣接された場所に最初の魔法学院が設置されたのを皮切りに同様の学院が全国各地に創設されており、現在は8校が能力者に対する特殊教育を実施している。
具体的に校名を列挙すると、第2魔法学院(北海道、洞爺)第3魔法学院(山形、出羽)第4魔法学院(茨城、筑波)第5魔法学院(大阪、葛城)第6魔法学院(島根、出雲)第7魔法学院(愛媛、伊予)第8魔法学院(熊本、阿蘇)となっており、全て各地に出現したダンジョンに隣接して設置されている。(カッコ内は、所在都道府県とダンジョンの名称)
なお、現在秩父ダンジョン、那須ダンジョン、比叡ダンジョン、高山ダンジョンに第9~第12魔法学院を建設しており、来年4月に開校を迎える予定となっている。
こうして現行8校、来年度からは12校体制となる魔法学院であるが、設立当初はどのように運営するか、専門魔法教育の方法は? などといった議論が紛糾して、決してスムーズにスタートしたわけではなかった。
ことに最大の問題となったのは、魔法を教える教員をどのように確保するかという点であったのは言うまでもない。
社会に魔法が認知されてから僅かな期間しか経ていない時点で理論も原理も不明な魔法術式を系統立てて教えようとしても、そのような不確かなものを教えられる都合の良い人材などいるはずもなく、教員の養成に学院を運営する側は頭を抱えた。
そこで政府は、日本古来から存在する陰陽師や修験者、忍術を用いる忍者などに協力を求めるに至った。他にまともに術式を理解している人間がいないために、似たようなものならば理解は可能であろうという、極めてお役所的で実態を無視した方策が取り入れられた。この行政当局のいい加減なやり方が、後々になって禍根を残してしまう。
その具体的な方策は、他校に先駆けて開設した大山ダンジョンに隣接した魔法学院の理事長に陰陽師協会の有力な家系の当主を据えて、多くの陰陽師を教員として採用するという場当たり的な対応であった。要は学院としてのガワを整えて開校に間に合わせるという綱渡りの状態であっても、取り敢えずは開校すればよいというお役所行政がここに極まった悪しき例である。
その翌年から同時に冒険者志望の入学者を受け入れることが決定し、今度は彼らの教育を担当する人材を自衛官から多数採用して、同時に文科省の天下りポストであった学院長の地位を自衛隊の幹部から受け入れる方針となる。
このような経過を辿って現在の魔法学院が運営されており、開校してすでに5年を経てそれなりに順調に生徒の教育が行われているように外からは見える。だが近年になって、この成立過程が様々な軋轢を校内各所で生み出すようになってきている。
それは生徒の目には見えにくい教員の間でのある種の権力争いの様相を呈している。魔法を教える立場の陰陽師派(理事長派)と近接戦闘を教える側の自衛隊派(学院長派)の間で見えない火花が散っている。
殊にこの対立が先鋭化したのは、現在の学院長が2年前に就任してからであった。聡史たちをスカウトした例の学院長は自衛隊予備役でありながら不思議なことに魔法理論に精通している。当然その理由は誰も知らないが、聡史に打ち明けたように彼女が異世界から帰還した存在だという表には出せない事情が絡んでいる。
学院長はそれまでの陰陽師系に偏っていた魔法教育を排して、現代魔法の新たな理論に基づいた教育をスタートさせた。当人が誰よりも魔法を知っているのだから、最も効果的な教育方法を追求するのは当たり前の話。
だが、これが陰陽師派の教員と理事長の大きな反発を呼ぶ。学院長の方針に真っ向から反旗を翻したのだ。
だが学院長はあたかも独裁者の如くに強烈なリーダーシップを発揮して、古臭い魔法理論にこだわっている教員を次々にクビにしていった。その手法は教員の間では「まさに冷酷無慈悲」と称される、スターリンや毛沢東の粛正に匹敵する半ば脅迫に近い強引なやり方と伝えられている。
学院長のパワハラまがいの手段でクビにされた教員が裁判に訴えなかったのは、正真正銘の命の危機を感じたからであろう。「あの眼光に射竦められると生きた心地がしない」という感想をとある元教員が後になって証言した記録が政府機関の聞き取り調査の記録として残されている。
クビになった陰陽師派の教員とは入れ替えに、現代魔法の使い手が学院長のスカウトによって集められた。彼らは学院長直々の苛烈な研修によって現代魔法(異世界流の魔法)理論を叩き込まれて、合格した人間だけが教壇に立つことを許された。
ある現役教員が魔法学院に採用された当時を振り返って、このように証言している。
「来る日も来る日もあまりに辛くて、溢れる涙で黒板の文字が見えなかった」
おそらくは、桜の明日香ちゃんに対する猛特訓以上の口にするのもはばかられる地獄の研修期間であったと想像できる。
こうして魔法学院の教育内容は現在の学院長の手によって一新された。
だが1年の生徒の実技試験でもわかるように、魔法式の構築がいまだ未熟な段階に過ぎないように感じる。これは教える側の教員に原因があると言わざるを得ない。いまだ教員自体が手探りでさらに高度な現代魔法理論を身に着けようとしている状況では、こう言っては聞こえが悪いが実際に生徒に教えるどころではなかった。
教員の力量不足を補う意味で、間もなく訪れる夏季休業中には再び学院長による恐怖の講習会が3週間に渡って計画されている。魔法担当の教員は間もなく訪れようとしている夏休みをこれ以上ないブルーな気持ちで迎えようとしているなど、生徒の誰も気がついてはいなかった。
このように生徒に対する教育内容が様変わりした魔法学院ではあるが、全ての関係者が満足しているわけではない。最も苦々しい思いをしているのは学院理事長を務める東十条 胤継であった。
元々学院の理事長というのはある種の名誉職として実権を付与されない地位として設けられていた。だがこの理事長は配下の陰陽師を続々と教員に採用することで彼らを通して隠然たる権力を学院内に及ぼしてきた。
その権力基盤を2年前に就任した現学院長が片っ端から突き崩していいくのを理事長は手を拱いて見ているしかなかった。表向きは学院の人事に介入する権限は理事長に与えられていないという学院の運営規約を学院長が最大限に利用した結果である。
元々名誉職である理事長と学院内の全てを統括する学院長では立場が違ううえに、あの学院長の強烈な人柄にさすがの理事長を以ってしても口出しする隙がどこにもなかった。精々可能だったのは、自らの陰陽術を用いて学院長に呪いをかける程度の嫌がらせをするくらいのもの。
この日の午前中、学院の理事長室では誰も部屋に入れずに理事長がひとりで苦い表情を浮かべている。
「このままでは、ワシの計画が頓挫してしまうではないか」
誰もいない理事長室のデスクにコブシを叩きつけて苛立たしげに呟いている理事長の姿がある。
この理事長はかなり早い段階で魔法の有効な利用法に気が付いていた。現代科学と魔法を融合させれば、エネルギーや防衛、医療等に画期的な技術革新が起こせる。当然その革新は巨万の富を生み出して社会の在り方を変えることに繋がる可能性に溢れている。
理事長はこの権益の独占を秘かに企んでいた。魔法学院の権限を掌握することで、自らに忠実な魔法使いを育て上げて社会の隅々に配置する。そこから様々な利権を吸い上げて自らの権力基盤を盤石なものにして、いずれは政界や財界に影響力を行使する野望を胸に秘めている。
元々東十条家は長い歴史こそあるものの、陰陽師の世界ではいくつもある傍流の家系に過ぎない。宗家である安倍家を筆頭とした数多い家系の末端に顔を出す程度の泡沫といえる家柄。
だが胤継の父親が第2次大戦後の混乱期に潰れ掛けていたいくつもの他の家系を乗っ取り、次第に発言力を強めていく。
その後胤継の代になってからも東十条家の拡大は継続されて、他の家系に有望な若手がいれば、色仕掛けや金銭、脅迫など、様々な手段を選ばぬやり方で引き抜き、誘いに応じない場合は除霊や払いに失敗した体で秘かに暗殺するなど、表沙汰にできない非合法な手段すら厭わぬ過激な勢力拡大は引き継がれていった。
そして現在東十条家は宗家を上回る発言力を有し陰陽師の世界で最大勢力となっているが、その分様々な方面から大きな恨みも買っている。
革張りの豪奢なチェアーに座ったまま、理事長は小暗い表情で瞑目する。
「こうなれば、我が娘に期待する他なかろう」
そう呟くと、どのように自らの娘に働いてもらうか再び考えを巡らすのであった。
◇◇◇◇◇
実技試験を終えた次の日の昼休み、1年Aクラスでは入試席次3位の東十条雅美が、スマホの画面を開いて着信メールに目を通している。
「お父様、わかりました。必ずやあの女を学院から追い出して見せますわ」
誰にも聞こえないような小さな呟きを漏らす雅美、その瞳には父親から受け継いだ暗い光が宿っている。
その眼光が示すように、彼女は父親の性格をその細部まで受け継いでいる。そして実際に自らの目で父親がどのように邪魔者を排除していくかを見てきた。
現在陰陽師界を掌握する東十条流を受け継ぐ一人娘として、悪い意味でこれ以上完璧な存在はいないと形容できる女子生徒であろう。
現に彼女は、小学校の頃から様々な手段を用いて自分と意見が対立する生徒を追い込んできた。それは時にはイジメの標的にしたり、時には配下の陰陽師に力を行使させて呪いを掛けて病気を発症させたり、また酷い場合には交通事故に見せ掛けて大怪我を負わすなど、子供ながらに相当に悪辣な行為を平然と実行してきた過去がある。
そして雅美自身が今回の実技試験で恥をかかされたという思い込みを抱いている。その対象はもちろん東十条流最強の呪法を実演した直後に超級魔法を披露した美鈴で間違いない。
美鈴のせいで自分の魔法の評価が下がってしまった… といういわれのない恨みを雅美は心の中で募らせている。
勇者である浜川茂樹は別格としても、女子では1年生のナンバーワンだと思っていた入試の際も美鈴の後塵を拝した忸怩たる思いがある上に、それに加えて昨日の出来事。雅美の心が黒く染まるには充分といえよう。しかも父親から「美鈴を学院から排除しろ」という指示を受けた以上は彼女が躊躇う理由はどこにもない。
「あの女、生徒会の仕事で忙しいはずなのにいつの間にあんな超級魔法なんか身に着けたのよ。こうなったら配下に指示を出して… そうねぇ~、放課後に裏山にでも呼び出そうかしら」
心の中に湧き上がる憎しみによって雅美の声のトーンが若干上がっているが、彼女は全く気が付かないまま。それなりに強力な陰陽術を行使できても感情のコントロールに難を残している。多くの生徒がいる教室で無意識とはいえこのような独り言を漏らしてしまったのは彼女の不注意以外の何物でもない。
雅美は再びスマホを開いて誰かにメールを送る。その作業を終えると、暗い光を宿した目で意味深な笑顔を浮かべるのであった。
◇◇◇◇◇
Aクラスは昼休み中ということもあって、生徒たちが思い思いに過ごしている。殊に期末試験を終えたという安堵感もあって、間もなく訪れる夏休みの計画など、たわいもない話で男女が集まって盛り上がっている光景などがそこにはある。
だがグループで群れる他の生徒達には背を向けて、自分の席で読書をしている女子生徒の姿がある。彼女の名前は神崎カレン。入学試験席次4位で、今回の実技試験では回復魔法を披露して周囲を驚かせたあの生徒。
ほっそりした指で静かに本のページを捲るカレン。こうして本を相手にしている時間が長いので、金髪碧眼の読書少女というイメージがクラス内に定着している。
だが彼女は実は本など読んでいない。実際には本を読むフリをしてクラスの生徒の動向を観察している。そしてカレンの耳に微かな呟きが届いてくる。
「あの女、生徒会の仕事で忙しいはずなのにいつの間にあんな超級魔法なんか身に着けたのよ。こうなったら配下に指示を出して… そうねぇ~、放課後に裏山にでも呼び出そうかしら」
そう、カレンの耳に届いた声の主は雅美のもの。誰にも聞こえないと思い込んでいた雅美だが、その小さな呟きはカレンに聞こえている。
(さて、どうも副会長が狙われているみたいですね。どうしましょうかしら?)
カレンはカレンで頭の中で考えを巡らしていく。どこかの浅はかなお嬢さんとは違って、けっして声には出してはいない。
こうしてAクラスでは何も知らない美鈴を巡って、雅美とカレンの思惑が交錯していくのだった。
「桜、これは由々しき事態だ」
「お兄様、まさかこのような緊急事態が起こるなんて、あまりに突然すぎます」
「恐れていたことがこうして現実になるとは…」
「桜ちゃん、お兄さん、私もこの突然の事態にどうすればいいのか考えがまとまりませんよ~」
兄妹と明日香ちゃんが深刻そうに顔を突き合わせている。よほど突発的な事件が発生して、その対応策に頭を痛めているのだろうか?
「まずは予想される困難をどのように乗り切るかが大切だ。各自何かいい案はあるか?」
「お兄様、この際ですから腹を括りましょう。このまま玉砕覚悟で敵陣に突っ込んでいくしかないです」
「私も桜ちゃんの案に賛成ですよ~。このままみんなで敵に突っ込んで華々しく散りましょう」
「そこの三人は、バカなこと言っていないでさっさと勉強しろぉぉ! 明日から期末テストだって口を酸っぱくして教えたでしょうがぁぁぁ!」
特待生寮のリビングで教科書と参考書を並べているにも拘らず、試験対策をなんやかんや言いながらサボろうとする聡史、桜、明日香ちゃんの三人に対して、両手をわなわな震わせる美鈴の怒りの咆哮がこだまする。
現在こうして四人で集まって試験勉強をしている最中。いくら特待生であっても学科の点数までは優遇してもらえない以上、最低限の点数をテストで取らなければならない。
聡史と桜はステータス上の知力が100でカンストしている。これだけの知力があれば期末試験など軽いものと考えがちだが、二人は異世界に旅立っていた空白の2か月がある。その期間に授業で取り扱われた数式や歴史の年号、化学式等は習ってはいない。さすがに初めて目を通す教科書の内容がポンポン頭に入ってくるほど物事は都合よくできてはいない。
ちなみに明日香ちゃんはいつものサボり癖で試験勉強を何もしていないだけ。「真面目に勉強しろ」と、声を大にして耳元で叫んでやりたい。
「三人ともいいかしら? 最低限全科目半分以上の点数を取らないと追試が待っているのよ。追試なんか受けていたら肝心の実習の時間が大幅に削られるんですからね」
美鈴の顔はまったく笑っていない。この場に般若が出現したかのような目が吊り上がった恐ろしい表情を三人へ向けている。その迫力はレベル600を超える桜でさえも震え上がらせるほどのとんでもない破壊力を秘めている。聡史と明日香ちゃんは美鈴の眼光に射竦められて一言も発する余裕すらない。こんなスパルタモードを発揮している生徒会副会長をむやみに敵に回すほど聡史たち三人は愚かではないよう。
「さて、なんだか急に勉強がしたくなってきたぞ。よし、教科書に目を通すか」
「わ、私も勉強に対する意欲が湧いてきました。46ページから再開しますわ」
「二人とも置いていかないでくださいよ~。え、えーと… 英単語を覚えないといけないですよね」
こんな感じで美鈴による地獄のスパルタ学習会は学科試験が終了するまで続けられていく。ちょっとでも誰かの集中力が途切れると否応なく美鈴の怒号が飛ぶ。所定の時間までに試験範囲を終えなければ食事の時間すら大幅に遅延するので、三人も身を粉にして教科書や参考書の内容を頭に叩き込まなけらばならない。
当然限界まで追い込まれた三人は、全ての試験が終わった頃には口から白っぽい何かを吐き出して死体のようにしばらく動けなくなっていた。
◇◇◇◇◇
学科試験最終科目を終えると、翌日からは実技試験が待っている。
聡史、桜の兄妹は実技に関しては余裕であるのは言うまでもないだろう。懸念があるとすれば再び桜が試験会場を破壊しないかという点に尽きる。この辺に関しては聡史が事前に入念に言い聞かせてあったおかげで今回は無事にクリアできそう。
ついでに明日香ちゃんであるが、いつの間にか〔槍術レベル2〕のスキルを獲得しており、剣を手にする同クラスの男子生徒を押し込むほどに成長している。桜の厳しいと言うのも憚られる訓練の成果を見事に発揮するなんて、すごいぞ明日香ちゃん。ヤレばデキる子だ!
そして別の会場では、1年Aクラスの魔法適性を持つ生徒が緊張した面持ちで実技試験に臨んでいる。その数はクラスの約3分の2にあたる26名に及ぶ。魔法スキルを持つ生徒が数人しか在籍しないEクラスとは大違い。
「それではフィールドの奥にある的を目掛けて各自が得意な魔法を放ってください」
実技試験の内容は聡史たちが受験した編入試験と同様。採点を担当する教員の簡単な説明が終わると、名前を呼ばれた生徒から開始線に立つ。
この順番は入学試験の順位の逆から行うと決められている。入試結果26番目の生徒からスタートして、主席の生徒が最後という順番となる。
生徒にとっては、前後の者との比較で入学後に自らの能力がどの程度伸びたか、もしくはどれだけ伸び悩んでいるかが一目瞭然。さらに成績下位の数人は2学期に行われるクラス再編成でBクラスまたは下手をするとCクラスへ転落する可能性があるので、どの生徒もその目は必死を通り越している。
美鈴は入試次席なので、自分の順番がくるまでフィールドの開始線手前に置かれたパイプ椅子に腰掛けて物静かに待っている。その間に彼女は自らのスキルを発揮して同級生の魔法を解析中。
「席次5番、遠藤明」
「はい」
ひとりの生徒が開始線に立つと魔法を打ち出す準備を始める。美鈴の目からしても準備にモタつく印象を受ける。
「ファイアーボール」
バレーボール大の炎が的へ向かって飛翔して一瞬大きな炎となって消え去る。スキルで彼の魔法を解析している美鈴が誰にも聞こえないような声でそっと呟く。
「込められている魔力が多いだけで、術式自体には工夫はないようね」
要は美鈴が初めて聡史に見せたファイアーボールの強化版。だが居並ぶ生徒たちの反応はまったく別のよう。
「凄いな、あれだけ大きく燃え上がるなんて遠藤は相当練習を積んだな」
「あの威力ならゴブリンが燃え上がるんじゃないか?」
このような感想がゴブリンしか相手にしていないAクラスの生徒の限界であるらしい。美鈴のようにオークジェネラルに向かって魔法を放った人間はこの場にはひとりもいない。
聡史からハイレベルの魔法を指導してもらっている美鈴にとってなんとも物足りない内容と感じるのは無理からぬことであろう。
「席次4番、神崎カレン」
「はい」
名前を呼ばれた女子は美鈴にとってそれほど話をしたことがない女子生徒。もちろん同じクラスなので挨拶程度は交わす間柄ではあるものの、むしろ彼女は自ら望んでクラスの生徒と距離を置いている印象がある。そして彼女は、その名前でもわかるように欧米系と日本人のハーフのような容貌。詳しいことは本人から何も聞いてないが、ブロンドの髪やエメラルドグリーンの瞳を見れば誰でもすぐに彼女のカレンという名前はピッタリに感じる。
神崎カレンは開始線に立たずに試験担当の教員に何やら話をしている。彼女の話に頷いた教員はAクラスの生徒全員に呼び掛ける。
「この中で体に怪我を負っている生徒は手を挙げてくれ。切り傷や小さな痣でもいいぞ」
その呼びかけに応えるようにして三人の男子生徒が挙手をする。
「それでは今手を挙げた三人は椅子を持ったままこちらに来てくれ。それから怪我をしている個所を見せてもらいたい」
三人の生徒はカレンの前に一列にパイプ椅子を置いて、腕を捲ったりジャージの裾を捲り上げて患部を見せる。美鈴からははっきりとは見えないが、全員が擦り傷程度の浅い怪我のようだ。
「それでは始めます」
カレンが患部に手をかざして魔力を込めると純白の光が照射されていく。それは見ただけで心が癒されるかのような、柔らかくて、なおかつ優しい光。
「わあ、本当に治ったぞ!」
これは、腕をカレンに差し出していた男子生徒が思わず上げた声。初めて回復魔法を体験して、その表情は驚きに包まれている。対して美鈴は…
「凄いわね… 私の解析レベルではとても追いつけなかったわ。回復魔法の使い手なんて果たして日本に何人いるのかしら?」
そっと呟く美鈴はカレンの回復魔法に心の中で白旗を挙げている。自分が現在取り組んでいる無属性魔法や闇属性魔法の数十倍の量の魔法文字が整然と並んだ術式に、さすがに彼女をもってしても理解が追い付かないよう。
クラスの生徒たちからの眩いばかりの視線に見送られながらカレンが試験を終えると、次の生徒が名前を呼ばれる。
「席次3番、東十条 雅美」
「はい」
彼女は開始線に立つと、手にする紙の束から一枚を選び出す。一瞬精神を集中すると、はっきりとした口調で呪を唱え出す。
「急急如律令 東十条流、炎爆」
先ほどの5番の生徒が放ったファイアーボールの3倍以上ある炎が飛び出していく。
バーン!
炎は的に命中して小規模な爆発を引き起こした結果、粘土製の的には数か所ヒビが入っている。外見同様の威力を雅が実演した炎爆は持っているよう。
この結果に雅美は満足そうな表情を浮かべている。
この様子に対して、美鈴はといえば…
「そうなのね、漢字を用いて術式を描くのもアリよね」
新たな発見を得ているよう。聡史が操る魔法は、その魔法式が異世界の文字で描かれている。この点が美鈴の解析を困難にしている最大の障害。スキルのおかげで辛うじてその意味が理解可能だが、実際に頭の中で描く際には謎の暗号を書き込んでいるような困難な感覚がいまだに続いている。
それとは別に、たった今術を実演した雅美は陰陽術を生業とする有力な家系に生まれており、幼いころから英才教育を施されたいわばサラブレッド。彼女が実演した陰陽術に実技試験を見学するAクラスの生徒たちは騒然。
「ヤバいな、さすがは陰陽師の名門だ」
「爆発する術式は近代魔法ではまだ誰も実現していないよな?」
「千年以上の歴史は伊達じゃないぞ」
生徒たちの口々から術に対する絶賛とも呼べる評価が雅美に集まるのは当然かと。それだけ彼女はこの試験会場にインパクトを残している。わずか5年の歴史しかない近代魔法に対して、古来から脈々とその技を受け継いできた陰陽術がいまだに優位性を保っている証明がなされたかのような反応といえる。
そして…
「次席、西川美鈴」
「はい」
いよいよ美鈴の順番がやってくる。表情を変えずに開始線に立つと、一度だけ深呼吸して的を見つめる。
(よし、威力の調整も完璧)
魔法式を点検した美鈴はもう一度深呼吸をすると冷静に術式名を口にする。
「ファイアーボール」
発動は日頃の練習通りに極めて迅速かつスムーズ。鮮やかなオレンジ色の炎は他の生徒の魔法に比べると驚異的な速度で的に一直線に進んでいく。
ズガガガガーーン!
着弾した美鈴のファイアーボールは轟音を発して粘土を固めた的を文字通り粉砕しする。この結果に後ろで見ている生徒たちは息を呑んで静まり返る。
1分近い沈黙ののちに、誰かがようやく声を上げた。
「あれがファイアーボールのはずがないだろうがぁぁ!」
段違いの飛翔速度、的の中心に向かって真っ直ぐに飛ぶ正確性、そして的を粉砕した爆発力、どれを取っても従来のファイアーボールとは一線を画すまったくの別物。
ひとりが声を上げると会場は雅美の試験どころではない勢いで騒然となる。それはもう雅美の陰陽術なはるか彼方に忘れ去られていくがごとし。当然ではあるが、採点をする教員も唖然としている。
魔法学院においてこれだけの威力を持ったファイアーボール、いや、実質的にはファイアーボンバーが実演されたのは2度目。ただし最初の1回は編入試験時に聡史が放ったものなので、直接目撃した人間は三人だけ。しかも教員なので、むやみに生徒の能力を口外していない。
つまり公の場で美鈴は実質的に日本で初めて超級魔法に該当するファイアーボンバーを放った人間として誰からも認知されてしまっている。
この実技試験が原因となってのちに美鈴が大きな事件に巻き込まれるとは、今の時点で当の本人さえ気が付いていない。
そして最後に主席の浜川茂樹がホーリーアローを放って美鈴以上の破壊力を見せつけたものの「勇者なら、あのくらいは当然だろう」という極めて薄い反応しか残すことはなかった。
◇◇◇◇◇
ここで魔法学院の設立の経緯と現在の概況に関してひとまとめにして記述しておきたい。
当学院が設立されたのは今から5年前。
遡ること8年前、日本を含めた世界各国でダンジョンが出現したと同時に人々の間には一定の割合で何かしらの能力に目覚める人物が現れ始めた。最初のうちは個人でひっそりと楽しむオタク趣味と見做され、時には変人扱いされて周囲から白眼視される時期もあり、精々仲間内で盛り上がる怪奇現象サークルのような趣味集団と一般市民は捉えていた。
だがとある投稿動画が大手メディアに取り上げられた件がきっかけとなって魔法の存在が多くの人々の間に明るみになっていく。日本では魔法の概念が無秩序に広まるのを恐れて設立された魔法学院が魔法教育を専門に学習する学校として正式に認められたのが同年。さらに翌年から冒険者の育成も同時に行うようになり、現在と同様の教育訓練システムが確立された。
伊勢原の大山ダンジョンに隣接された場所に最初の魔法学院が設置されたのを皮切りに同様の学院が全国各地に創設されており、現在は8校が能力者に対する特殊教育を実施している。
具体的に校名を列挙すると、第2魔法学院(北海道、洞爺)第3魔法学院(山形、出羽)第4魔法学院(茨城、筑波)第5魔法学院(大阪、葛城)第6魔法学院(島根、出雲)第7魔法学院(愛媛、伊予)第8魔法学院(熊本、阿蘇)となっており、全て各地に出現したダンジョンに隣接して設置されている。(カッコ内は、所在都道府県とダンジョンの名称)
なお、現在秩父ダンジョン、那須ダンジョン、比叡ダンジョン、高山ダンジョンに第9~第12魔法学院を建設しており、来年4月に開校を迎える予定となっている。
こうして現行8校、来年度からは12校体制となる魔法学院であるが、設立当初はどのように運営するか、専門魔法教育の方法は? などといった議論が紛糾して、決してスムーズにスタートしたわけではなかった。
ことに最大の問題となったのは、魔法を教える教員をどのように確保するかという点であったのは言うまでもない。
社会に魔法が認知されてから僅かな期間しか経ていない時点で理論も原理も不明な魔法術式を系統立てて教えようとしても、そのような不確かなものを教えられる都合の良い人材などいるはずもなく、教員の養成に学院を運営する側は頭を抱えた。
そこで政府は、日本古来から存在する陰陽師や修験者、忍術を用いる忍者などに協力を求めるに至った。他にまともに術式を理解している人間がいないために、似たようなものならば理解は可能であろうという、極めてお役所的で実態を無視した方策が取り入れられた。この行政当局のいい加減なやり方が、後々になって禍根を残してしまう。
その具体的な方策は、他校に先駆けて開設した大山ダンジョンに隣接した魔法学院の理事長に陰陽師協会の有力な家系の当主を据えて、多くの陰陽師を教員として採用するという場当たり的な対応であった。要は学院としてのガワを整えて開校に間に合わせるという綱渡りの状態であっても、取り敢えずは開校すればよいというお役所行政がここに極まった悪しき例である。
その翌年から同時に冒険者志望の入学者を受け入れることが決定し、今度は彼らの教育を担当する人材を自衛官から多数採用して、同時に文科省の天下りポストであった学院長の地位を自衛隊の幹部から受け入れる方針となる。
このような経過を辿って現在の魔法学院が運営されており、開校してすでに5年を経てそれなりに順調に生徒の教育が行われているように外からは見える。だが近年になって、この成立過程が様々な軋轢を校内各所で生み出すようになってきている。
それは生徒の目には見えにくい教員の間でのある種の権力争いの様相を呈している。魔法を教える立場の陰陽師派(理事長派)と近接戦闘を教える側の自衛隊派(学院長派)の間で見えない火花が散っている。
殊にこの対立が先鋭化したのは、現在の学院長が2年前に就任してからであった。聡史たちをスカウトした例の学院長は自衛隊予備役でありながら不思議なことに魔法理論に精通している。当然その理由は誰も知らないが、聡史に打ち明けたように彼女が異世界から帰還した存在だという表には出せない事情が絡んでいる。
学院長はそれまでの陰陽師系に偏っていた魔法教育を排して、現代魔法の新たな理論に基づいた教育をスタートさせた。当人が誰よりも魔法を知っているのだから、最も効果的な教育方法を追求するのは当たり前の話。
だが、これが陰陽師派の教員と理事長の大きな反発を呼ぶ。学院長の方針に真っ向から反旗を翻したのだ。
だが学院長はあたかも独裁者の如くに強烈なリーダーシップを発揮して、古臭い魔法理論にこだわっている教員を次々にクビにしていった。その手法は教員の間では「まさに冷酷無慈悲」と称される、スターリンや毛沢東の粛正に匹敵する半ば脅迫に近い強引なやり方と伝えられている。
学院長のパワハラまがいの手段でクビにされた教員が裁判に訴えなかったのは、正真正銘の命の危機を感じたからであろう。「あの眼光に射竦められると生きた心地がしない」という感想をとある元教員が後になって証言した記録が政府機関の聞き取り調査の記録として残されている。
クビになった陰陽師派の教員とは入れ替えに、現代魔法の使い手が学院長のスカウトによって集められた。彼らは学院長直々の苛烈な研修によって現代魔法(異世界流の魔法)理論を叩き込まれて、合格した人間だけが教壇に立つことを許された。
ある現役教員が魔法学院に採用された当時を振り返って、このように証言している。
「来る日も来る日もあまりに辛くて、溢れる涙で黒板の文字が見えなかった」
おそらくは、桜の明日香ちゃんに対する猛特訓以上の口にするのもはばかられる地獄の研修期間であったと想像できる。
こうして魔法学院の教育内容は現在の学院長の手によって一新された。
だが1年の生徒の実技試験でもわかるように、魔法式の構築がいまだ未熟な段階に過ぎないように感じる。これは教える側の教員に原因があると言わざるを得ない。いまだ教員自体が手探りでさらに高度な現代魔法理論を身に着けようとしている状況では、こう言っては聞こえが悪いが実際に生徒に教えるどころではなかった。
教員の力量不足を補う意味で、間もなく訪れる夏季休業中には再び学院長による恐怖の講習会が3週間に渡って計画されている。魔法担当の教員は間もなく訪れようとしている夏休みをこれ以上ないブルーな気持ちで迎えようとしているなど、生徒の誰も気がついてはいなかった。
このように生徒に対する教育内容が様変わりした魔法学院ではあるが、全ての関係者が満足しているわけではない。最も苦々しい思いをしているのは学院理事長を務める東十条 胤継であった。
元々学院の理事長というのはある種の名誉職として実権を付与されない地位として設けられていた。だがこの理事長は配下の陰陽師を続々と教員に採用することで彼らを通して隠然たる権力を学院内に及ぼしてきた。
その権力基盤を2年前に就任した現学院長が片っ端から突き崩していいくのを理事長は手を拱いて見ているしかなかった。表向きは学院の人事に介入する権限は理事長に与えられていないという学院の運営規約を学院長が最大限に利用した結果である。
元々名誉職である理事長と学院内の全てを統括する学院長では立場が違ううえに、あの学院長の強烈な人柄にさすがの理事長を以ってしても口出しする隙がどこにもなかった。精々可能だったのは、自らの陰陽術を用いて学院長に呪いをかける程度の嫌がらせをするくらいのもの。
この日の午前中、学院の理事長室では誰も部屋に入れずに理事長がひとりで苦い表情を浮かべている。
「このままでは、ワシの計画が頓挫してしまうではないか」
誰もいない理事長室のデスクにコブシを叩きつけて苛立たしげに呟いている理事長の姿がある。
この理事長はかなり早い段階で魔法の有効な利用法に気が付いていた。現代科学と魔法を融合させれば、エネルギーや防衛、医療等に画期的な技術革新が起こせる。当然その革新は巨万の富を生み出して社会の在り方を変えることに繋がる可能性に溢れている。
理事長はこの権益の独占を秘かに企んでいた。魔法学院の権限を掌握することで、自らに忠実な魔法使いを育て上げて社会の隅々に配置する。そこから様々な利権を吸い上げて自らの権力基盤を盤石なものにして、いずれは政界や財界に影響力を行使する野望を胸に秘めている。
元々東十条家は長い歴史こそあるものの、陰陽師の世界ではいくつもある傍流の家系に過ぎない。宗家である安倍家を筆頭とした数多い家系の末端に顔を出す程度の泡沫といえる家柄。
だが胤継の父親が第2次大戦後の混乱期に潰れ掛けていたいくつもの他の家系を乗っ取り、次第に発言力を強めていく。
その後胤継の代になってからも東十条家の拡大は継続されて、他の家系に有望な若手がいれば、色仕掛けや金銭、脅迫など、様々な手段を選ばぬやり方で引き抜き、誘いに応じない場合は除霊や払いに失敗した体で秘かに暗殺するなど、表沙汰にできない非合法な手段すら厭わぬ過激な勢力拡大は引き継がれていった。
そして現在東十条家は宗家を上回る発言力を有し陰陽師の世界で最大勢力となっているが、その分様々な方面から大きな恨みも買っている。
革張りの豪奢なチェアーに座ったまま、理事長は小暗い表情で瞑目する。
「こうなれば、我が娘に期待する他なかろう」
そう呟くと、どのように自らの娘に働いてもらうか再び考えを巡らすのであった。
◇◇◇◇◇
実技試験を終えた次の日の昼休み、1年Aクラスでは入試席次3位の東十条雅美が、スマホの画面を開いて着信メールに目を通している。
「お父様、わかりました。必ずやあの女を学院から追い出して見せますわ」
誰にも聞こえないような小さな呟きを漏らす雅美、その瞳には父親から受け継いだ暗い光が宿っている。
その眼光が示すように、彼女は父親の性格をその細部まで受け継いでいる。そして実際に自らの目で父親がどのように邪魔者を排除していくかを見てきた。
現在陰陽師界を掌握する東十条流を受け継ぐ一人娘として、悪い意味でこれ以上完璧な存在はいないと形容できる女子生徒であろう。
現に彼女は、小学校の頃から様々な手段を用いて自分と意見が対立する生徒を追い込んできた。それは時にはイジメの標的にしたり、時には配下の陰陽師に力を行使させて呪いを掛けて病気を発症させたり、また酷い場合には交通事故に見せ掛けて大怪我を負わすなど、子供ながらに相当に悪辣な行為を平然と実行してきた過去がある。
そして雅美自身が今回の実技試験で恥をかかされたという思い込みを抱いている。その対象はもちろん東十条流最強の呪法を実演した直後に超級魔法を披露した美鈴で間違いない。
美鈴のせいで自分の魔法の評価が下がってしまった… といういわれのない恨みを雅美は心の中で募らせている。
勇者である浜川茂樹は別格としても、女子では1年生のナンバーワンだと思っていた入試の際も美鈴の後塵を拝した忸怩たる思いがある上に、それに加えて昨日の出来事。雅美の心が黒く染まるには充分といえよう。しかも父親から「美鈴を学院から排除しろ」という指示を受けた以上は彼女が躊躇う理由はどこにもない。
「あの女、生徒会の仕事で忙しいはずなのにいつの間にあんな超級魔法なんか身に着けたのよ。こうなったら配下に指示を出して… そうねぇ~、放課後に裏山にでも呼び出そうかしら」
心の中に湧き上がる憎しみによって雅美の声のトーンが若干上がっているが、彼女は全く気が付かないまま。それなりに強力な陰陽術を行使できても感情のコントロールに難を残している。多くの生徒がいる教室で無意識とはいえこのような独り言を漏らしてしまったのは彼女の不注意以外の何物でもない。
雅美は再びスマホを開いて誰かにメールを送る。その作業を終えると、暗い光を宿した目で意味深な笑顔を浮かべるのであった。
◇◇◇◇◇
Aクラスは昼休み中ということもあって、生徒たちが思い思いに過ごしている。殊に期末試験を終えたという安堵感もあって、間もなく訪れる夏休みの計画など、たわいもない話で男女が集まって盛り上がっている光景などがそこにはある。
だがグループで群れる他の生徒達には背を向けて、自分の席で読書をしている女子生徒の姿がある。彼女の名前は神崎カレン。入学試験席次4位で、今回の実技試験では回復魔法を披露して周囲を驚かせたあの生徒。
ほっそりした指で静かに本のページを捲るカレン。こうして本を相手にしている時間が長いので、金髪碧眼の読書少女というイメージがクラス内に定着している。
だが彼女は実は本など読んでいない。実際には本を読むフリをしてクラスの生徒の動向を観察している。そしてカレンの耳に微かな呟きが届いてくる。
「あの女、生徒会の仕事で忙しいはずなのにいつの間にあんな超級魔法なんか身に着けたのよ。こうなったら配下に指示を出して… そうねぇ~、放課後に裏山にでも呼び出そうかしら」
そう、カレンの耳に届いた声の主は雅美のもの。誰にも聞こえないと思い込んでいた雅美だが、その小さな呟きはカレンに聞こえている。
(さて、どうも副会長が狙われているみたいですね。どうしましょうかしら?)
カレンはカレンで頭の中で考えを巡らしていく。どこかの浅はかなお嬢さんとは違って、けっして声には出してはいない。
こうしてAクラスでは何も知らない美鈴を巡って、雅美とカレンの思惑が交錯していくのだった。
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