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 記憶は、最近まで飛ぶ。
 この宿屋の近くまで来る人なんて退治しに来たか、噂を知らないお金がなくてまともな宿屋に泊まれなくて不法滞在しに来た新米冒険者くらいだ。

 悪さしに来たなら追い払ってやろうと少女達が宿屋からそっと外の様子を窺う。

「……あれは、あたしの後輩だった……」

 誰の後輩だったのかはわからない。記憶の中に薄っすら残っている誰かの記録には、確かに彼は冒険者だった。
 深緑色の長い髪は綺麗にひとつに結われていて、見えているのか不思議なくらい細い目が特徴の彼。

 彼は街の結界の一部を担っている結界石に近付くと、片手を翳して破壊した。

「ちょ、あんなことしたら魔物が入り込んできちゃうじゃない!」

 自分とは違う、本当の魔物が街に入ってきてしまったら街の人が危ない。
 ――でも、街の安全を守るだなんてあたしが考えるの、おかしいよね。だってあたし自身が今は魔物だもん。

 だから関係ない。
 街に魔物が入ってこようと、この宿が無事なら関係ないんだ。

 結界石が壊れたことは誰もわからなかったみたいで、数日後魔物の群がやってきたのが宿から見えた。
 真っ直ぐに近くの竜小屋へと向かっていく魔物たち。

 関係ない。関係ない。
 思いながら宿を出て、空から竜小屋を見てみると少女と少年が居るのが見えた。あの踊り子の少女は先日パーティから追い出されたと風の噂で聞いた子だ。

「あんな大群二人じゃ、死んじゃう……!」

 見たところ少女は踊り子の職業、少年は剣士だろうか。どう見たってあんな大群相手では不利だ。
 ――でも、関係ない。関係ないけれど……。

 彼女の中の誰かが、きっと正義感強い人だったんだ。それに、自分の中の誰かがあの二人を死なせてはダメだと叫んでいる。だから……そう言い訳をして、少女達は駐屯所へと向かう。
 いきなり幽霊なんて現れたら、きっとびっくりしてしまうだろうから、長いローブを被って。

「竜小屋で大変なことが起きてるわ。早く向かって」

 誰かと会話をするのが緊張して、声が震えてしまったけれど、駐屯所でのんきな顔を浮かべている騎士に一言だけ告げて立ち去って様子を窺う。
 騎士がすぐに向かった背中にホッとして、宿に戻る。

 踊り子の少女と、剣士の少年の無事を見届けてから、また宿の中に籠る。

 ――また静かに、あの宿と一緒に悠久の時を過ごすんだ。

 ――そう思ってたのに、あの踊り子の少女と少年が来てくれるなんて。あたしの中の皆も喜んでいるようだった。彼女になら、いいのかもしれない。そうなんだよね? あたしの中のみんな。



「ニア、ニア!」

 シャルの声にハッとする。目の前には幽霊が「大丈夫?」と心配そうに見ている。
 今見えていた世界は何だったんだろう……。

 気付いたら、わたしはいつの間にか描かれていた魔法陣の中に居た。
 ……もしかしてだけれど、幽霊の記憶だったのかな。

「ニア、大丈夫か? ぼんやりしていたみたいだったが」
「大丈夫! ちょっと……うん、なんか色々あったみたい?」

 幽霊が色々あったこと、昨日ユーリのことを呼んできてくれたこと、わたしがここに来たことを喜んでくれてるみたいなこと……は、わかったし。
 契約魔法が初めてで少しだけ怖いけれど、うん。大丈夫。

「じゃあ、契約結ぼうか」
「……本当にいいの?」
「もちろん」

 にっと笑って手を差し出せば、幽霊は少しだけ悩んだ後手を重ね合わせる。実体がないから、本当に重なっているのかはわからないけれど。
 魔物との契約自体は、悪い事ではない。そういう職業だってギルドにあるわけなんだし。だから、怖がることなんてない。

 初めて魔法を使う時の気持ちを思い出す。……いや、やっぱり思い出したくないかも。

 竜車の契約の儀を見たことがあるから、なんとなくやり方はわかる。

「えっと……、わ、我が名はニア。悠久の時を生きる悪しき魂よ、汝の力を望み、新たなる契りをここに結ぶ……」

 わたしが詠唱を始めると、魔法陣が光る。
 よかった、合っているみたい。

「悪しき力を善なるものに!」

 幽霊の体が、白く光る。
 ――実体はなかったはずなのに、手の感触がして。
 同時に、記憶がまた流れ込んでくる。


『やめて! 殺さないで!』

 魔物の記憶。

『おかあさん、こっちこっち!』

 平和な村娘の記憶。

『どうして死んだんだ……』

 悲しみに暮れる青年の記憶。

『兄弟の恨み!! 冥界へ落ちろ!』

 憎しみで復讐を果たした冒険者の記憶。

 幽霊と混ざりあった者たちの記憶だろうか。
 温かい記憶、冷たい記憶、たくさんの記憶が頭の中に入り込んできて。

『ニア、大丈夫。あなたは強い子よ。だから……自分を強く持つのよ』

 誰の声なのかわからないけれど、最後にひどく懐かしい声が響いて、そこでわたしの意識がぷつんと切れた。
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