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カーテンコール
享受【レージ×イミュ】
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ソレは、もう生きる事を放棄している瞳をしていた。
生きていながら死を願う、一番扱いに困る状態で運ばれてきた不運な患者。
こういう人間に手を出したら面倒くさい。
何で助けたんだ!助けてなんて言ってない!とか絶対言うから正直、関わりたくない。
そんなお決まりの台詞に対して、俺は医者だ!命を救うのが仕事なんだ!とか綺麗事を押し付ける気はさらさらないからだ。
(どうしたもんかな)
死にたかったら死ね、存命を望むなら僕を楽しませてくれる生き方を示せ。
それが“天狼”専属医師レージのポリシーだった。
最近だと姫椿がいい例だ。
彼女は、薬漬けにされた綾瀬を助ける為に自らの体内に綾瀬の身体に埋め込まれた爆弾を全て移植して欲しいと申し出た。更には彼が受けた毒を全部受けるとも。
もし綾瀬に何かあっても死ぬのは姫椿だ。
そして、この事実を綾瀬が知った時の顔は……見ものだろう?
「レ、レージ医師?」
物思いに耽っていたレージを呼び戻す声に、指で眼鏡を押しながら誤魔化す。
ここは“天狼”の本拠地、レージが管理する医務室。
目の前のストレッチャーに横たわっている任務中にヘマして半身を失ったのにまだ意識がある不運の塊は片腕片脚を失い、胴体は綺麗な半円に抉られていた。
惜しいかな、顔も半分になってたら即死だったのに残酷仕様な運命に同情する。
ストレッチャーから滴り落ちる大量の血液の海に横たわる身体は彫刻みたいに色白く冷たそうだ。
「早く死ねばいいのに」
つい口をついた言葉に、男の瞳がゆっくりとレージの方を向いて血塗れた口角を上げ微笑んだ。
(なんだ、死にたいのか)
じゃ、そういう事でと死体安置室への移動を指示しようとするレージの手を掴んだのは“天狼”のボスであるカフマのものだった。
腕をへし折るんじゃないかと思うくらいの力に顔をしかめながら振り返ると、全身血塗れになりながらも、唯一見えている片眼の鋭さは有無を言わせない独特の圧を放っている。
「蘇生」
「えぇぇ……」
カフマは抱えてきた男の片腕と片脚を突きつけた。
「蘇生」
「えぇぇ……」
てか、何でそんな雑に持ってくるの?と頭を掻きつつ、仕方なく瀕死の男に顔を近づけ問い掛ける。
「ねぇ、君は……僕に何をしてくれるの?」
こう問いかけると、生きたいと答えるのが精一杯な人間が大半だ。
だがお生憎様、僕はそんなやつに興味はない。
僕に助けを求める者には生きたい以外の言葉を求めている。
激痛の中で上手く回らない頭を必死で動かし捻り出した答えは、生への渇望だと信じているから。
もし、その答えが面白い未来へと続いていると判断した時は……僕は全力で助けよう。
「……」
静かに、浅く呼吸を繰り返す男の口が微かに動いた。
「享受」
キョウジュ?
意味が分からずカフマを見上げると、端的な答えをくれた。
「お前の」
「僕の?」
「好きにしろ」
「………へぇ」
眼鏡の奥の瞳が、新しいおもちゃを与えられた子供みたいに細まるのをカフマは見ていた。
半身を失った男はレージの実力を知らないからこそ口走った“享受”。
それは、全てを受け入れる事と引き換えにお前に俺が治せるのか?という挑発も含まれている様に聞こえた。
レージもその事に気づいたのか、口元を覆い隠している手の隙間から堪えきれなくなった微笑が溢れている。
「……いいよ?俺を選んだお前は、もう死ねない」
そっと耳に届いたレージの宣告を最後に、男は目を閉じて意識を闇の中へと落としていった。
そして次に目を覚ました時、失われた半身は全て機械式義肢に付け替えられ臓器も全て復元された人造人間と呼ぶに相応しい存在として、イミューノディフィシェンシーは誕生した。
◇
心に燻り続ける汚点を定期的に突きつけられながら生き続ける事になるとも知らずに、何故、あの時“享受”と答えてしまったのだろう?
いきなりだ。
唐突とも言えるタイミングで金属音を響き渡らせ、それまで普通に稼働していた腕がもげて戸惑っているイミューノディフィシェンシーを尻目にレージは腕を拾い上げた。
「あ、ありがとうございます」
術後のリハビリも卒なくこなし、レージの補佐役として仕事に忙殺される日々を過ごしていただけの日常に突然やってきた不測の事態。
受け取ろうとした腕は、何故か返されなかった。
「レ、レージ?」
にこやかに対面しているレージに余計に困惑していると、更なる違和感がイミューノディフィシェンシーを襲う。
突然、平衡感覚を失って尻餅をつく様な形で後ろに倒れた。
激しくぶつけた後頭部の痛みと久しく見てなかった天井に戸惑いながら、どうにかして身体を捩って足元を見ると、狙ったかの様に義足が外れている。
片腕、片足を失った死にかけの虫が床を這っている様で自分でも気持ち悪い。
少し前までは人間だったのに、一気に人間以下の存在まで堕ちた姿を、再びレージに晒している事が何よりも恥ずかしかった。
「享受、覚えているかな?」
見上げたくても上手く顔があげられない。
言葉の雨が静かにゆっくりとイミューノディフィシェンシーに降り注ぐ。
「義肢が外れる度に、お前には人間に戻れるチャンスをあげる。あの日失った腕と脚は今も大切に保管しているんだ。お前が俺を捕まえる事が出来たら選ぶといい。このままの姿でいたいか、人間に戻りたいか。じゃ、いくよ?よーい……どーん!」
こうして始まった“追いかけっこ”。
床に這うイミューノディフィシェンシーを大股で越えていくレージの脚をただ茫然と見ながら、半身しかない人間もどきが五体満足の人間を追いかける展開に絶望感を覚えた。
初回はどうやってレージの元に辿り着いたのか記憶にないが、地獄の様な時間を過ごし、数々の醜態を晒しながら掴んだレージの白衣の感触だけは今も鮮明に覚えている。
「あれ?捕まっちゃったー」
戯けながら、しゃがみ込むレージの顔を久しぶりに見た時の高揚感は喜びなのか憎しみなのか分からない。
「さ、どうしたい?」
こんな不自由な思いをするくらいなら人間に戻りたい。
明白な答えは喉まで出掛かっているのに、いざ口をついて出た言葉は真逆のものだった。
「貴方のものでいたい」
必死に手を伸ばして頬に触れる。
拒否られると思いもしたが、レージはされるままだった。
邪魔な眼鏡を無理矢理取り払って落とす事に成功すると、焦がれていた瞳に自分が映っているのがとてつもなく嬉しい。
この時初めて、生きている実感がふつふつと沸いてきたのも確かだった。
きっと人間に戻ってしまったらレージの興味から外れてしまう事を本能的に、察知していたんだと思う。
自分の身体を差し出して、遊ばれて……それでも傍にいたいと渇望するこの感情の名前を知らない。
唇が触れそうで触れない距離で見つめ合いながら、レージはイミューノディフィシェンシーの願いを静かに受け入れた。
「いいよ」
◇
深夜。
昼間の兎騒動の反省文を書かされていたレージは、監視役として置かれた綾瀬に悪がらみしていた。
「僕はガッカリだよ!!もっと過激な展開を楽しみにしてたのに……もっと絡み合うやつをさぁ。何でなんだい?え?姫椿を前にして、ひよった?」
「欲求不満、大爆発じゃねぇか!!」
「だぁってぇぇぇー」
不満そうな声を上げながら、机に突っ伏すレージの頭を綾瀬がはたいていると背後で派手な金属音が響き渡ってきた。
振り向くと、黙々と仕事をこなしていたイミューノディフィシェンシーの義腕が根本から外れているではないか。
狐色のオイルを滴らせながら床に落ちた上腕義手。
唖然とするイミューノディフィシェンシーに、綾瀬は恐る恐る声を掛けた。
「イミュ君、だ、大丈夫?」
「……えぇ」
そのゆっくりとした返答に背筋が冷えるのを感じながらも、治してやれよと軽くレージの肩に手をやったつもりだったが何故か肩に触れた感覚がない。
「あ?」
見れば、そこにレージの姿はなかった。
逃げられた。いつの間に?
「綾瀬」
「はい!」
監督不行届きにより怒られる事を覚悟しながら背筋を伸ばす。
「ここ、頼みますね」
「あ、はーい!」
怒られなかった安堵感とイミューノディフィシェンシーの優しさに返答が緩くなってしまったけど指摘される事は無かった。
踵を返して早々に部屋を出ていった後ろ姿を見送りながら、これは長くなりそうだと大きな欠伸をする。
“天狼”名物にもなっている二人の追いかけっこ。
今回の勝敗はどうなるだろう?なんて、分かりきっている未来が来るまで綾瀬は眠い目を擦りながら空いているベッドで仮眠する事にした。
◇◇
「また記録更新したんじゃないかい?」
ゼーゼー息を切らせるレージを今は使われていない物置きまで追い詰める事に成功したイミューノディフィシェンシーは後ろ手で静かに扉を閉めた。
今回は義足が外れる前に決着がついて良かった。
何回か繰り返してる“追いかけっこ”対策として義手と義足を強化している事をレージは知らない。
「で?どうしたい?」
お決まりの選択を口にするレージは普段の飄々とした態度のまま問いかけてきた。
予想していた反応とは全く違っていて何故だか無性に腹が立つ。
もっと驚いたり、褒めたり……何かないのか?
こんな時でも皆と同じ様に自分に接してくるのが許せない。
そうだ、意趣返しをしよう。
率直にそう思ったイミューノディフィシェンシーが、レージの驚く顔を思い浮かべながら自分の思い通りになる未来に期待を込めて口を開いた。
「人間に戻っ……」
言い切る前に、レージの蹴りで関節部分から義足が外され、久しぶりに顔面から床に崩れ落ちた。
衝撃と痛みに耐えながら、片腕で身体を支えてレージを見上げると、焦がれていた表情がそこにある。
「なんだって?」
眼鏡の奥の瞳が怒りで燃えている様に見えるのは錯覚だろうか?
狼狽えるイミューノディフィシェンシーに、レージは自分が外した義足を思いっきり踏みつけた。
「俺が知らないとでも?勝手に義肢改造して一体、誰にメンテナンスを頼んだ?何人にお前の身体を触らせた?お前は、俺の物だっていう自覚がまだない様だ。俺が望まない物なんて、外せ」
「そんな」
「必要ない。そのままのお前でいればいい」
「レージ、レージ、それだけは許してください」
「イミューノディフィシェンシー。忘れたか?」
ゆっくりと、レージの口が動く。
その動きを注視すると“享受”と読めた。
悔しそうに口をつぐむ姿に満足しながら、レージはイミューノディフィシェンシーの前にしゃがみ込むと顎を掴んで無理矢理顔を上げさせる。
「さぁ、仕切り直しといこうか?僕は今、無性に外の空気を吸いたい気分なんだ。安心していいよ?お前の後釜、綺羅は出来る子だからね」
絶望に瞳の色が揺れ、震える唇を指でなぞる。
「ふふ、いいね。その顔。凄く、そそる」
懇願は許さないと言わんばかりに話を切り上げ手を離して立ち上がる。
閉めた扉を開ける音と始まりの合図に、イミューノディフィシェンシーが後悔しても全て遅かった。
「よーい、どーん」
陽気な声と別れの挨拶として軽く上げられた手を見ながら、久しぶりに自分の心がどん底まで冷えていくのを味わった。
その一方で、胸の片隅でゾクゾクする生への渇望も微かに感じながら、開け放たれたままの扉に向かって不自由な身体を引き摺り始めた。
◇◇
「あれ?ミュー先輩は?」
「いないよー」
綺羅とレージがやりとりしている声で目を覚ました綾瀬は、予想していた状況にない事に驚きつつ、大きなあくびをした。
「え、イミュ君まだ帰ってきてないの?」
「んー、今日は見つからないんじゃないかなぁー」
呑気に呟きながら窓の外を見てるレージに、綺羅はため息をついた。
「……て事は、今日は僕がレージ医師の助手ですかね」
「暫くそうなるかも、ね?」
「「暫く?」」
驚く綺羅と綾瀬に、レージは微笑んだ。
“享受”
その言葉の意味を身をもって、思い知ればいい。
僕を楽しませる為に存在している事を、僕なしではいられない事も含めて刻み直してきたら、もう一度聞いてやろう。
選ばせている様でいて、答えがひとつしかない問いの答えを聞いてあげる為に。
「まぁ、気長に待ちましょ」
【完】
生きていながら死を願う、一番扱いに困る状態で運ばれてきた不運な患者。
こういう人間に手を出したら面倒くさい。
何で助けたんだ!助けてなんて言ってない!とか絶対言うから正直、関わりたくない。
そんなお決まりの台詞に対して、俺は医者だ!命を救うのが仕事なんだ!とか綺麗事を押し付ける気はさらさらないからだ。
(どうしたもんかな)
死にたかったら死ね、存命を望むなら僕を楽しませてくれる生き方を示せ。
それが“天狼”専属医師レージのポリシーだった。
最近だと姫椿がいい例だ。
彼女は、薬漬けにされた綾瀬を助ける為に自らの体内に綾瀬の身体に埋め込まれた爆弾を全て移植して欲しいと申し出た。更には彼が受けた毒を全部受けるとも。
もし綾瀬に何かあっても死ぬのは姫椿だ。
そして、この事実を綾瀬が知った時の顔は……見ものだろう?
「レ、レージ医師?」
物思いに耽っていたレージを呼び戻す声に、指で眼鏡を押しながら誤魔化す。
ここは“天狼”の本拠地、レージが管理する医務室。
目の前のストレッチャーに横たわっている任務中にヘマして半身を失ったのにまだ意識がある不運の塊は片腕片脚を失い、胴体は綺麗な半円に抉られていた。
惜しいかな、顔も半分になってたら即死だったのに残酷仕様な運命に同情する。
ストレッチャーから滴り落ちる大量の血液の海に横たわる身体は彫刻みたいに色白く冷たそうだ。
「早く死ねばいいのに」
つい口をついた言葉に、男の瞳がゆっくりとレージの方を向いて血塗れた口角を上げ微笑んだ。
(なんだ、死にたいのか)
じゃ、そういう事でと死体安置室への移動を指示しようとするレージの手を掴んだのは“天狼”のボスであるカフマのものだった。
腕をへし折るんじゃないかと思うくらいの力に顔をしかめながら振り返ると、全身血塗れになりながらも、唯一見えている片眼の鋭さは有無を言わせない独特の圧を放っている。
「蘇生」
「えぇぇ……」
カフマは抱えてきた男の片腕と片脚を突きつけた。
「蘇生」
「えぇぇ……」
てか、何でそんな雑に持ってくるの?と頭を掻きつつ、仕方なく瀕死の男に顔を近づけ問い掛ける。
「ねぇ、君は……僕に何をしてくれるの?」
こう問いかけると、生きたいと答えるのが精一杯な人間が大半だ。
だがお生憎様、僕はそんなやつに興味はない。
僕に助けを求める者には生きたい以外の言葉を求めている。
激痛の中で上手く回らない頭を必死で動かし捻り出した答えは、生への渇望だと信じているから。
もし、その答えが面白い未来へと続いていると判断した時は……僕は全力で助けよう。
「……」
静かに、浅く呼吸を繰り返す男の口が微かに動いた。
「享受」
キョウジュ?
意味が分からずカフマを見上げると、端的な答えをくれた。
「お前の」
「僕の?」
「好きにしろ」
「………へぇ」
眼鏡の奥の瞳が、新しいおもちゃを与えられた子供みたいに細まるのをカフマは見ていた。
半身を失った男はレージの実力を知らないからこそ口走った“享受”。
それは、全てを受け入れる事と引き換えにお前に俺が治せるのか?という挑発も含まれている様に聞こえた。
レージもその事に気づいたのか、口元を覆い隠している手の隙間から堪えきれなくなった微笑が溢れている。
「……いいよ?俺を選んだお前は、もう死ねない」
そっと耳に届いたレージの宣告を最後に、男は目を閉じて意識を闇の中へと落としていった。
そして次に目を覚ました時、失われた半身は全て機械式義肢に付け替えられ臓器も全て復元された人造人間と呼ぶに相応しい存在として、イミューノディフィシェンシーは誕生した。
◇
心に燻り続ける汚点を定期的に突きつけられながら生き続ける事になるとも知らずに、何故、あの時“享受”と答えてしまったのだろう?
いきなりだ。
唐突とも言えるタイミングで金属音を響き渡らせ、それまで普通に稼働していた腕がもげて戸惑っているイミューノディフィシェンシーを尻目にレージは腕を拾い上げた。
「あ、ありがとうございます」
術後のリハビリも卒なくこなし、レージの補佐役として仕事に忙殺される日々を過ごしていただけの日常に突然やってきた不測の事態。
受け取ろうとした腕は、何故か返されなかった。
「レ、レージ?」
にこやかに対面しているレージに余計に困惑していると、更なる違和感がイミューノディフィシェンシーを襲う。
突然、平衡感覚を失って尻餅をつく様な形で後ろに倒れた。
激しくぶつけた後頭部の痛みと久しく見てなかった天井に戸惑いながら、どうにかして身体を捩って足元を見ると、狙ったかの様に義足が外れている。
片腕、片足を失った死にかけの虫が床を這っている様で自分でも気持ち悪い。
少し前までは人間だったのに、一気に人間以下の存在まで堕ちた姿を、再びレージに晒している事が何よりも恥ずかしかった。
「享受、覚えているかな?」
見上げたくても上手く顔があげられない。
言葉の雨が静かにゆっくりとイミューノディフィシェンシーに降り注ぐ。
「義肢が外れる度に、お前には人間に戻れるチャンスをあげる。あの日失った腕と脚は今も大切に保管しているんだ。お前が俺を捕まえる事が出来たら選ぶといい。このままの姿でいたいか、人間に戻りたいか。じゃ、いくよ?よーい……どーん!」
こうして始まった“追いかけっこ”。
床に這うイミューノディフィシェンシーを大股で越えていくレージの脚をただ茫然と見ながら、半身しかない人間もどきが五体満足の人間を追いかける展開に絶望感を覚えた。
初回はどうやってレージの元に辿り着いたのか記憶にないが、地獄の様な時間を過ごし、数々の醜態を晒しながら掴んだレージの白衣の感触だけは今も鮮明に覚えている。
「あれ?捕まっちゃったー」
戯けながら、しゃがみ込むレージの顔を久しぶりに見た時の高揚感は喜びなのか憎しみなのか分からない。
「さ、どうしたい?」
こんな不自由な思いをするくらいなら人間に戻りたい。
明白な答えは喉まで出掛かっているのに、いざ口をついて出た言葉は真逆のものだった。
「貴方のものでいたい」
必死に手を伸ばして頬に触れる。
拒否られると思いもしたが、レージはされるままだった。
邪魔な眼鏡を無理矢理取り払って落とす事に成功すると、焦がれていた瞳に自分が映っているのがとてつもなく嬉しい。
この時初めて、生きている実感がふつふつと沸いてきたのも確かだった。
きっと人間に戻ってしまったらレージの興味から外れてしまう事を本能的に、察知していたんだと思う。
自分の身体を差し出して、遊ばれて……それでも傍にいたいと渇望するこの感情の名前を知らない。
唇が触れそうで触れない距離で見つめ合いながら、レージはイミューノディフィシェンシーの願いを静かに受け入れた。
「いいよ」
◇
深夜。
昼間の兎騒動の反省文を書かされていたレージは、監視役として置かれた綾瀬に悪がらみしていた。
「僕はガッカリだよ!!もっと過激な展開を楽しみにしてたのに……もっと絡み合うやつをさぁ。何でなんだい?え?姫椿を前にして、ひよった?」
「欲求不満、大爆発じゃねぇか!!」
「だぁってぇぇぇー」
不満そうな声を上げながら、机に突っ伏すレージの頭を綾瀬がはたいていると背後で派手な金属音が響き渡ってきた。
振り向くと、黙々と仕事をこなしていたイミューノディフィシェンシーの義腕が根本から外れているではないか。
狐色のオイルを滴らせながら床に落ちた上腕義手。
唖然とするイミューノディフィシェンシーに、綾瀬は恐る恐る声を掛けた。
「イミュ君、だ、大丈夫?」
「……えぇ」
そのゆっくりとした返答に背筋が冷えるのを感じながらも、治してやれよと軽くレージの肩に手をやったつもりだったが何故か肩に触れた感覚がない。
「あ?」
見れば、そこにレージの姿はなかった。
逃げられた。いつの間に?
「綾瀬」
「はい!」
監督不行届きにより怒られる事を覚悟しながら背筋を伸ばす。
「ここ、頼みますね」
「あ、はーい!」
怒られなかった安堵感とイミューノディフィシェンシーの優しさに返答が緩くなってしまったけど指摘される事は無かった。
踵を返して早々に部屋を出ていった後ろ姿を見送りながら、これは長くなりそうだと大きな欠伸をする。
“天狼”名物にもなっている二人の追いかけっこ。
今回の勝敗はどうなるだろう?なんて、分かりきっている未来が来るまで綾瀬は眠い目を擦りながら空いているベッドで仮眠する事にした。
◇◇
「また記録更新したんじゃないかい?」
ゼーゼー息を切らせるレージを今は使われていない物置きまで追い詰める事に成功したイミューノディフィシェンシーは後ろ手で静かに扉を閉めた。
今回は義足が外れる前に決着がついて良かった。
何回か繰り返してる“追いかけっこ”対策として義手と義足を強化している事をレージは知らない。
「で?どうしたい?」
お決まりの選択を口にするレージは普段の飄々とした態度のまま問いかけてきた。
予想していた反応とは全く違っていて何故だか無性に腹が立つ。
もっと驚いたり、褒めたり……何かないのか?
こんな時でも皆と同じ様に自分に接してくるのが許せない。
そうだ、意趣返しをしよう。
率直にそう思ったイミューノディフィシェンシーが、レージの驚く顔を思い浮かべながら自分の思い通りになる未来に期待を込めて口を開いた。
「人間に戻っ……」
言い切る前に、レージの蹴りで関節部分から義足が外され、久しぶりに顔面から床に崩れ落ちた。
衝撃と痛みに耐えながら、片腕で身体を支えてレージを見上げると、焦がれていた表情がそこにある。
「なんだって?」
眼鏡の奥の瞳が怒りで燃えている様に見えるのは錯覚だろうか?
狼狽えるイミューノディフィシェンシーに、レージは自分が外した義足を思いっきり踏みつけた。
「俺が知らないとでも?勝手に義肢改造して一体、誰にメンテナンスを頼んだ?何人にお前の身体を触らせた?お前は、俺の物だっていう自覚がまだない様だ。俺が望まない物なんて、外せ」
「そんな」
「必要ない。そのままのお前でいればいい」
「レージ、レージ、それだけは許してください」
「イミューノディフィシェンシー。忘れたか?」
ゆっくりと、レージの口が動く。
その動きを注視すると“享受”と読めた。
悔しそうに口をつぐむ姿に満足しながら、レージはイミューノディフィシェンシーの前にしゃがみ込むと顎を掴んで無理矢理顔を上げさせる。
「さぁ、仕切り直しといこうか?僕は今、無性に外の空気を吸いたい気分なんだ。安心していいよ?お前の後釜、綺羅は出来る子だからね」
絶望に瞳の色が揺れ、震える唇を指でなぞる。
「ふふ、いいね。その顔。凄く、そそる」
懇願は許さないと言わんばかりに話を切り上げ手を離して立ち上がる。
閉めた扉を開ける音と始まりの合図に、イミューノディフィシェンシーが後悔しても全て遅かった。
「よーい、どーん」
陽気な声と別れの挨拶として軽く上げられた手を見ながら、久しぶりに自分の心がどん底まで冷えていくのを味わった。
その一方で、胸の片隅でゾクゾクする生への渇望も微かに感じながら、開け放たれたままの扉に向かって不自由な身体を引き摺り始めた。
◇◇
「あれ?ミュー先輩は?」
「いないよー」
綺羅とレージがやりとりしている声で目を覚ました綾瀬は、予想していた状況にない事に驚きつつ、大きなあくびをした。
「え、イミュ君まだ帰ってきてないの?」
「んー、今日は見つからないんじゃないかなぁー」
呑気に呟きながら窓の外を見てるレージに、綺羅はため息をついた。
「……て事は、今日は僕がレージ医師の助手ですかね」
「暫くそうなるかも、ね?」
「「暫く?」」
驚く綺羅と綾瀬に、レージは微笑んだ。
“享受”
その言葉の意味を身をもって、思い知ればいい。
僕を楽しませる為に存在している事を、僕なしではいられない事も含めて刻み直してきたら、もう一度聞いてやろう。
選ばせている様でいて、答えがひとつしかない問いの答えを聞いてあげる為に。
「まぁ、気長に待ちましょ」
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その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
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