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第一章
宴
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4人が案内されたのは、学園長が来賓をもてなす時に使う大部屋だった。
ダンスホール並の広さの中、音楽家による優雅な演奏が場に花を添え立食パーティー形式で各々楽しんでいる様子は昼時の食堂の喧騒に似ている。
急に大人びた世界へ放り出された戸惑いと熱気を帯びた甘い香りと場の雰囲気に圧倒されて動けずにいると、スポットライトの熱さと眩しさが4人を包んだ。
会場は最高潮の盛り上がりをみせて豪雨の様な拍手と共に向けられた周囲の視線に真白は思わず息を呑んだ。
誰もが皆、目元を隠す仮面をつけているのだ。
「おぉ。これは」
「流石、気品高い」
「可愛らしい子」
「ほう……」
口々に感想やら感嘆の声を漏らしながら距離を詰め4人を囲む。
仮面の奥の瞳はギラギラと光り、中には上から下まで舐め回す視線すら感じる。
なんだか品定めされている感じがする嫌悪感と居心地の悪さに身じろぎしていると、何処からともなく伸びてきた手に真白は腕を触られた。
「これは失礼。お嬢さん」
クスクス笑い声が響く中、私も、私もと悪びれる様子もなく沢山の手が伸び、まるで一つの人形を取り合う子供達の様な無邪気さと無遠慮さに恐怖で動けない真白を抱き寄せたのは白馬だった。
「触るな」
一喝する白馬の声に静まり返る室内に、やんわりとした学園長の声が響いた。
「皆様、はやる気持ちはわかりますが……ね?まずは私の可愛い生徒達の紹介をさせて下さいな」
そう声掛けすると、今度は学園長の周りに人だかりが形成されていった。
自分達の周りに人が居なくなったのを見届けてから、白馬は真白を解放する。
よほど怖かったのか両手を胸の前で握りしめ、青白い顔をしたまま震えている真白は白馬に気づいてない様子だった。
「真白、大丈夫だから」
優しく声を掛けながら頬に触れると、ようやく目が合った。
真白は白馬にお礼を言いたかったのに声が出ず、自分の意に反してまだ小刻みに震える手を握る。
大丈夫、大丈夫。
何度も自分に言い聞かせている小さな呟きは、白馬に届いていた。
真白を安心させる様に頭を撫でていると王李が疲れた様子で二人の近くに寄ってきた。
「し、尻触られた」
「どうでもいい」
「ひどい!」
憤慨する王李を余所に、気遣わしげに雪乃が真白の傍に来て声をかけた。
「大丈夫?顔色が悪いわ、少し外の空気を吸いましょう。白馬くん、後は私に任せて?」
雪乃の提案に、一瞬だけ躊躇う白馬に気づいた真白は笑みを返す。
「行ってくる」
「……雪乃、頼む」
「えぇ」
真白は雪乃に肩を抱かれテラスへ出た。
まだ正午にも満たない明るい時間帯なのに、心はどんより曇っていた。
しかし徐々に緊張も解れて気持ちも落ち着いてくると森林の香りがふわりと風に乗って吹き流れていくのを感じる事が出来て、たったそれだけの事が泣きたくなる位、有難かった。
「……ありがとう、雪乃」
隣に立つ雪乃にお礼を言うと、小さく微笑みを返してくれた。
今までの態度が嘘みたい。
前に戻ったのかと勘違いしそうになるが、心のどこかで警鐘も聞こえてる。
何か、ある。
それは小さな確信だった。
「あのね、真白。貴女に是非紹介したい方々がいるの」
嫌な予感が的中するなんて、この時は思いもよらなかった。
雪乃は自分の背後から現れた仮面の男達に近くへ来るよう促した。
真白は言い知れない不安が胸を襲うのを感じつつも雪乃に悟られないように逃げ道を探すがテラスに誘導された時点で逃げ場がない。
「初めまして、真白さま。この度は我が社主催のツアーにご参加下さり感謝致します」
恭しく一礼する男の言葉が理解できずに眉をひそめると、雪乃が事の経緯を説明し始めた。
「真白の夢って、ここから出ることよね?だから私、随分前に学園長に相談して、あるツアーを教えて貰ったの。この人達は、世界各国を巡るツアーを定期的に開催している方々よ?学園長から今回“朱の大会”を鑑賞しに学園まで来るって聞いたから私、是非、真白に会って貰いたくて!おめでとう!これで大会に出ずとも夢が叶うわね!」
嬉しそうに両手を合わせ、はしゃぐ雪乃に真白は目眩がした。
世界各国を巡るツアー?
色々言いたい事があるけど言葉にならない代わりに、怒りが沸々と込み上げ自分でも驚く程はっきりとした口調で話す事ができた。
「頼んでない」
「真白?どうしたの?怖い顔して。大丈夫よ、大丈夫」
雪乃は猫なで声で此方に近づき、真白の手を両手で包む。
そして顔色を伺う様に覗き込んできたが、顔を見たら怒り任せに何を言ってしまうか分からなかったので真白は反射的に顔を背けた。
「貴女の為を想っての事よ」
その時、手を強く握られ指先に紙で切ってしまった様な一瞬の痛みが走る。
「痛っ……な、なに?!やめて!!」
指先に目を向けると鮮血が見えた。
雪乃の手を振り払おうと抵抗しても尋常でない力で押さえ込まれ、雪乃はそのまま真白の指を紙に押し当て擦り付ける。
「やめてってば!!」
慌てて振り解くが、時、既に遅く。
雪乃は血の着いた小型ナイフと血判状を満足そうに持ち上げ微笑んだ。
「申込書には私が記入しておいたわ。あとは貴女のサインが必要だったの。けど、言っても聞かないでしょう?だから“血判”。はい、これで成立よね?」
「はい。承ります」
仮面の男が仰々しく雪乃から用紙を貰い受けた。
「……自分が何をしてるか解ってるの?」
「親友の門出の手助けをしたのよ?何をそんなに怒っているの?」
血の着いたナイフをその場に落として男が持ってきた白いハンカチで手を拭きながら雪乃は愉快そうに話し出す。
「けどこれで真白が大会に出る必要は無くなったわ。貴女は外に出たいが為に白馬くんを恥さらしにして“特別枠”を得たけれど……今思えばもっと早くにこうするべきだったわ。いいこと?“朱の大会”に相応しい優勝者は私と白馬くんなの。真白が辞退すれば王李だって辞退するわ。さぁ、出発する前に皆の前で宣言してちょうだい」
距離を縮めてくる男達から真白はテラスのギリギリまで後退する。
「嫌よ!自分の事は自分で決める。勝手な事しないで!!」
吐き捨てながら、真白は意を決してテラスの格子に手を掛けた。
学園長室は三階にある。
テラスの下は木々で生い茂っており、地面まで確認出来なかったが後悔はない。
こんな所で終わるのは嫌だ。
雪乃の思い通りになんて絶対嫌。
最早その思いだけで躊躇なく真白はテラスから身を投げた。
「……馬鹿な子」
ドスっという鈍い音を微かに聞きながら雪乃は下を覗き込む。
真白の姿は確認出来ないが、この程度の高さで死ぬとは到底思えない。
念の為すぐに男達に跡を追う様に指示を出した。
「見つけ出したら、そのまま連れて行って頂戴。私から学園長や皆に説明しておきます」
仮面の男達は毅然とした態度の雪乃に一礼するとテラスを後にした。
「……どこまでも忌々しい」
いてもいなくても煩わしい存在に、まだ心は晴れてはいない。
しかし少なくとも思い通りに事が運んでいる現状に、雪乃は口元が緩むのを隠さなかった。
◇
会場では、学園長直々に“朱の大会”の説明が始まろうとしていた。
毎年非公開で行われる為、どんな事が行われているのかは誰も知らない。
大会が終わると優勝者は即学園から出てしまうし、他の参加者も他国から推薦を受けて留学したと聞く。
ひとたび“朱の大会”が始まれば最後、学園に戻る生徒はいないのだ。
そのせいか生徒達の間では“朱の大会”に出場すれば、将来を約束されたも同然という噂だけが学園に広まっている。
綾瀬としての自我を取り戻した今、王李の頃より物事を見定める視野が広くなったからこそと言うべきか、そんな上手い話があるのか疑わしいと思いながら王李は配られた用紙に目を通した。
“大会内容は当日、発表する”
「………ないわー」
これじゃ単なる俺達のお披露目会だと毒づきながら、会場にいる仮面の来賓客を眺めた。
胡散臭い連中に、見世物みたいな自分達。
一体、何なんだ?
その時、ずくん、と胸に重いものが乗った感覚と同時に激しく喉が渇く衝動に襲われた。
久しぶりの感覚を制御する為に王李は自分の首元に触れ大きく息を吐く。
先程、嫌な予感がして手違いを装って真白に渡した飴玉がさっそく仕事をしたらしく体内から幾らか魔力が消えている。
万が一に備えた護身用として飴玉に移した力が役目を果たしたのを感じつつ真白が無事である事を祈っていると視界の隅で雪乃がテラスから戻る姿を捉えた。
勘づかれない様に目だけで追うが、いくら待てども会場に真白が戻ってくる気配はない。
不信感から一度、確認しに行こうとした時だった。
「王李くん、よね?」
甘ったるい声に背筋が凍る。
思い出したくもない過去がフラッシュバックしそうになるのを堪えて振り向けば、仮面の来賓を数人引き連れた白椿が立っていた。
屈託なく笑う顔を見ただけで胸から腹にかけて伸びる昔の傷口が疼くのを服の上からでもジリジリ感じる。
“返せ”
口をついて出そうになる本音を喉の奥で押し殺した。
綾瀬は生後まもない時から死を司る呪われた力を保持しており、それは綾瀬が見る、触れるだけで人が死ぬ厄介な力だった。
幼少期に両親から術を施され日常生活に支障は無かったが、成長と共に力も増し枷が外れる日が近いと危ぶまれていた頃に、その力を封じる魔力を持った娘として白羽の矢が立ったのが姫椿だった。
姫椿の双子の片割れの白椿は、自分の方が姫椿よりも相応しい事を証明する為に言葉巧みに綾瀬を連れ出し、検査と称して薬漬けにした状態で体内から取り出されたのは真っ赤に燃える色をした南京錠。
アレが何なのか綾瀬にも分からない。
けど、取り返したくてたまらないものだ。
「今ね、可愛い可愛い私の生徒を皆様に紹介しているの。インタビューいいかしら?質問は一個だけ!ね?」
「わー、なんだろー」
「ふふっ!簡単よぉ。朱の大会に対する意気込みを聞かせてください」
「意気込み……あ、全力で頑張りまーす」
「えー?何それ、薄っぺらーい。やり直しー!!」
冷め切った笑顔の応酬。
「じゃあ、質問を変えてあげる!優勝したら、何か欲しいものとか……なぁい?」
そう言いながら、白椿は胸の間からネックレスとして使っている赤い南京錠を見せた。
王李は、短い溜息を吐く。
姫が施した変幻がバレている可能性は極めて高かった。
百歩譲って改名は理解できる。
しかし見た目だ。
綾瀬の時と異なるのは髪の長さ位で、姫椿に至っては見た目も名前も変幻する気がまったく感じられない。
白椿が王李が綾瀬だと気づいている上で朱の大会候補に選んだ可能性すらあるのに、姫椿は自分の変幻能力は見破られないから!と自信満々だった事を思い出して自然と口角が上がってしまった。
それを不敵な微笑みと勘違いして不満そうな白椿に王李は答えた。
「ないでーす」
「えっ?」
意外、という声が漏れていそうな声だった。
王李は一礼してからその場を後にしテラスへと急いだ。
まだ預けといてやる。
そう感情を押し殺しながら。
◇
王李と白椿が接触している頃、白馬も真白が戻って来ない事に不信感を抱きながら戻ってきた雪乃に声を掛けていた。
「真白は?」
怪訝そうな顔をする白馬に、雪乃は静かに微笑み返す。
「もう少し風に当たるって」
「……そうか」
「ま、待って白馬くん!」
様子を見に行こうとする白馬の進路を塞ふさいだまま、雪乃は前方にいる学園長に向けて手を上げた。
「学園長、お話が」
「んー??なぁにー?」
人だかりからひょっこり顔だけ覗かせる白椿に雪乃の凛とした声が響く。
「真白が大会を辞退するそうです」
それまで笑顔だった白椿の顔が一瞬だけ引き攣ったのを白馬は見逃さなかった。
すぐに真白の元へ行こうとしたが、雪乃にガッチリ腕を掴まれて動けない。
会場は堰を切った様にざわめき、混乱している。
口々に事情を説明しろ、と叫ぶ声を冷静に落ち着かせようとする白椿と面食らった顔をしている白馬を他所に雪乃は小さく飛び跳ねた。
「ねぇ、白馬くん!これで優勝は私と白馬くんで決まりね!」
白馬の手を取り喜ぶ雪乃に対して目まぐるしい状況変化についていけずにされるままとなっていた白馬の耳に、白椿の声が鋭く響いた。
「白馬!!」
白椿の怒気を含む声に、すぐさま雪乃の手を解き人混みを掻き分け傍へ行くと、貼り付けた様な笑顔のまま耳打ちされた。
「捕まえて。早く。朱の大会は予定通り開催する」
有無を言わさない威圧感に、白馬は小さく頷いた。
心配そうに後をついてきた雪乃をとりあえず学園長室まで連れて行く。
「白馬くん?」
「すぐ戻る」
縋る雪乃の手を解き、白馬はすぐに部屋を出ていった。
一人残された雪乃が爪を噛み、恨めしそうにしているとも知らずに。
ダンスホール並の広さの中、音楽家による優雅な演奏が場に花を添え立食パーティー形式で各々楽しんでいる様子は昼時の食堂の喧騒に似ている。
急に大人びた世界へ放り出された戸惑いと熱気を帯びた甘い香りと場の雰囲気に圧倒されて動けずにいると、スポットライトの熱さと眩しさが4人を包んだ。
会場は最高潮の盛り上がりをみせて豪雨の様な拍手と共に向けられた周囲の視線に真白は思わず息を呑んだ。
誰もが皆、目元を隠す仮面をつけているのだ。
「おぉ。これは」
「流石、気品高い」
「可愛らしい子」
「ほう……」
口々に感想やら感嘆の声を漏らしながら距離を詰め4人を囲む。
仮面の奥の瞳はギラギラと光り、中には上から下まで舐め回す視線すら感じる。
なんだか品定めされている感じがする嫌悪感と居心地の悪さに身じろぎしていると、何処からともなく伸びてきた手に真白は腕を触られた。
「これは失礼。お嬢さん」
クスクス笑い声が響く中、私も、私もと悪びれる様子もなく沢山の手が伸び、まるで一つの人形を取り合う子供達の様な無邪気さと無遠慮さに恐怖で動けない真白を抱き寄せたのは白馬だった。
「触るな」
一喝する白馬の声に静まり返る室内に、やんわりとした学園長の声が響いた。
「皆様、はやる気持ちはわかりますが……ね?まずは私の可愛い生徒達の紹介をさせて下さいな」
そう声掛けすると、今度は学園長の周りに人だかりが形成されていった。
自分達の周りに人が居なくなったのを見届けてから、白馬は真白を解放する。
よほど怖かったのか両手を胸の前で握りしめ、青白い顔をしたまま震えている真白は白馬に気づいてない様子だった。
「真白、大丈夫だから」
優しく声を掛けながら頬に触れると、ようやく目が合った。
真白は白馬にお礼を言いたかったのに声が出ず、自分の意に反してまだ小刻みに震える手を握る。
大丈夫、大丈夫。
何度も自分に言い聞かせている小さな呟きは、白馬に届いていた。
真白を安心させる様に頭を撫でていると王李が疲れた様子で二人の近くに寄ってきた。
「し、尻触られた」
「どうでもいい」
「ひどい!」
憤慨する王李を余所に、気遣わしげに雪乃が真白の傍に来て声をかけた。
「大丈夫?顔色が悪いわ、少し外の空気を吸いましょう。白馬くん、後は私に任せて?」
雪乃の提案に、一瞬だけ躊躇う白馬に気づいた真白は笑みを返す。
「行ってくる」
「……雪乃、頼む」
「えぇ」
真白は雪乃に肩を抱かれテラスへ出た。
まだ正午にも満たない明るい時間帯なのに、心はどんより曇っていた。
しかし徐々に緊張も解れて気持ちも落ち着いてくると森林の香りがふわりと風に乗って吹き流れていくのを感じる事が出来て、たったそれだけの事が泣きたくなる位、有難かった。
「……ありがとう、雪乃」
隣に立つ雪乃にお礼を言うと、小さく微笑みを返してくれた。
今までの態度が嘘みたい。
前に戻ったのかと勘違いしそうになるが、心のどこかで警鐘も聞こえてる。
何か、ある。
それは小さな確信だった。
「あのね、真白。貴女に是非紹介したい方々がいるの」
嫌な予感が的中するなんて、この時は思いもよらなかった。
雪乃は自分の背後から現れた仮面の男達に近くへ来るよう促した。
真白は言い知れない不安が胸を襲うのを感じつつも雪乃に悟られないように逃げ道を探すがテラスに誘導された時点で逃げ場がない。
「初めまして、真白さま。この度は我が社主催のツアーにご参加下さり感謝致します」
恭しく一礼する男の言葉が理解できずに眉をひそめると、雪乃が事の経緯を説明し始めた。
「真白の夢って、ここから出ることよね?だから私、随分前に学園長に相談して、あるツアーを教えて貰ったの。この人達は、世界各国を巡るツアーを定期的に開催している方々よ?学園長から今回“朱の大会”を鑑賞しに学園まで来るって聞いたから私、是非、真白に会って貰いたくて!おめでとう!これで大会に出ずとも夢が叶うわね!」
嬉しそうに両手を合わせ、はしゃぐ雪乃に真白は目眩がした。
世界各国を巡るツアー?
色々言いたい事があるけど言葉にならない代わりに、怒りが沸々と込み上げ自分でも驚く程はっきりとした口調で話す事ができた。
「頼んでない」
「真白?どうしたの?怖い顔して。大丈夫よ、大丈夫」
雪乃は猫なで声で此方に近づき、真白の手を両手で包む。
そして顔色を伺う様に覗き込んできたが、顔を見たら怒り任せに何を言ってしまうか分からなかったので真白は反射的に顔を背けた。
「貴女の為を想っての事よ」
その時、手を強く握られ指先に紙で切ってしまった様な一瞬の痛みが走る。
「痛っ……な、なに?!やめて!!」
指先に目を向けると鮮血が見えた。
雪乃の手を振り払おうと抵抗しても尋常でない力で押さえ込まれ、雪乃はそのまま真白の指を紙に押し当て擦り付ける。
「やめてってば!!」
慌てて振り解くが、時、既に遅く。
雪乃は血の着いた小型ナイフと血判状を満足そうに持ち上げ微笑んだ。
「申込書には私が記入しておいたわ。あとは貴女のサインが必要だったの。けど、言っても聞かないでしょう?だから“血判”。はい、これで成立よね?」
「はい。承ります」
仮面の男が仰々しく雪乃から用紙を貰い受けた。
「……自分が何をしてるか解ってるの?」
「親友の門出の手助けをしたのよ?何をそんなに怒っているの?」
血の着いたナイフをその場に落として男が持ってきた白いハンカチで手を拭きながら雪乃は愉快そうに話し出す。
「けどこれで真白が大会に出る必要は無くなったわ。貴女は外に出たいが為に白馬くんを恥さらしにして“特別枠”を得たけれど……今思えばもっと早くにこうするべきだったわ。いいこと?“朱の大会”に相応しい優勝者は私と白馬くんなの。真白が辞退すれば王李だって辞退するわ。さぁ、出発する前に皆の前で宣言してちょうだい」
距離を縮めてくる男達から真白はテラスのギリギリまで後退する。
「嫌よ!自分の事は自分で決める。勝手な事しないで!!」
吐き捨てながら、真白は意を決してテラスの格子に手を掛けた。
学園長室は三階にある。
テラスの下は木々で生い茂っており、地面まで確認出来なかったが後悔はない。
こんな所で終わるのは嫌だ。
雪乃の思い通りになんて絶対嫌。
最早その思いだけで躊躇なく真白はテラスから身を投げた。
「……馬鹿な子」
ドスっという鈍い音を微かに聞きながら雪乃は下を覗き込む。
真白の姿は確認出来ないが、この程度の高さで死ぬとは到底思えない。
念の為すぐに男達に跡を追う様に指示を出した。
「見つけ出したら、そのまま連れて行って頂戴。私から学園長や皆に説明しておきます」
仮面の男達は毅然とした態度の雪乃に一礼するとテラスを後にした。
「……どこまでも忌々しい」
いてもいなくても煩わしい存在に、まだ心は晴れてはいない。
しかし少なくとも思い通りに事が運んでいる現状に、雪乃は口元が緩むのを隠さなかった。
◇
会場では、学園長直々に“朱の大会”の説明が始まろうとしていた。
毎年非公開で行われる為、どんな事が行われているのかは誰も知らない。
大会が終わると優勝者は即学園から出てしまうし、他の参加者も他国から推薦を受けて留学したと聞く。
ひとたび“朱の大会”が始まれば最後、学園に戻る生徒はいないのだ。
そのせいか生徒達の間では“朱の大会”に出場すれば、将来を約束されたも同然という噂だけが学園に広まっている。
綾瀬としての自我を取り戻した今、王李の頃より物事を見定める視野が広くなったからこそと言うべきか、そんな上手い話があるのか疑わしいと思いながら王李は配られた用紙に目を通した。
“大会内容は当日、発表する”
「………ないわー」
これじゃ単なる俺達のお披露目会だと毒づきながら、会場にいる仮面の来賓客を眺めた。
胡散臭い連中に、見世物みたいな自分達。
一体、何なんだ?
その時、ずくん、と胸に重いものが乗った感覚と同時に激しく喉が渇く衝動に襲われた。
久しぶりの感覚を制御する為に王李は自分の首元に触れ大きく息を吐く。
先程、嫌な予感がして手違いを装って真白に渡した飴玉がさっそく仕事をしたらしく体内から幾らか魔力が消えている。
万が一に備えた護身用として飴玉に移した力が役目を果たしたのを感じつつ真白が無事である事を祈っていると視界の隅で雪乃がテラスから戻る姿を捉えた。
勘づかれない様に目だけで追うが、いくら待てども会場に真白が戻ってくる気配はない。
不信感から一度、確認しに行こうとした時だった。
「王李くん、よね?」
甘ったるい声に背筋が凍る。
思い出したくもない過去がフラッシュバックしそうになるのを堪えて振り向けば、仮面の来賓を数人引き連れた白椿が立っていた。
屈託なく笑う顔を見ただけで胸から腹にかけて伸びる昔の傷口が疼くのを服の上からでもジリジリ感じる。
“返せ”
口をついて出そうになる本音を喉の奥で押し殺した。
綾瀬は生後まもない時から死を司る呪われた力を保持しており、それは綾瀬が見る、触れるだけで人が死ぬ厄介な力だった。
幼少期に両親から術を施され日常生活に支障は無かったが、成長と共に力も増し枷が外れる日が近いと危ぶまれていた頃に、その力を封じる魔力を持った娘として白羽の矢が立ったのが姫椿だった。
姫椿の双子の片割れの白椿は、自分の方が姫椿よりも相応しい事を証明する為に言葉巧みに綾瀬を連れ出し、検査と称して薬漬けにした状態で体内から取り出されたのは真っ赤に燃える色をした南京錠。
アレが何なのか綾瀬にも分からない。
けど、取り返したくてたまらないものだ。
「今ね、可愛い可愛い私の生徒を皆様に紹介しているの。インタビューいいかしら?質問は一個だけ!ね?」
「わー、なんだろー」
「ふふっ!簡単よぉ。朱の大会に対する意気込みを聞かせてください」
「意気込み……あ、全力で頑張りまーす」
「えー?何それ、薄っぺらーい。やり直しー!!」
冷め切った笑顔の応酬。
「じゃあ、質問を変えてあげる!優勝したら、何か欲しいものとか……なぁい?」
そう言いながら、白椿は胸の間からネックレスとして使っている赤い南京錠を見せた。
王李は、短い溜息を吐く。
姫が施した変幻がバレている可能性は極めて高かった。
百歩譲って改名は理解できる。
しかし見た目だ。
綾瀬の時と異なるのは髪の長さ位で、姫椿に至っては見た目も名前も変幻する気がまったく感じられない。
白椿が王李が綾瀬だと気づいている上で朱の大会候補に選んだ可能性すらあるのに、姫椿は自分の変幻能力は見破られないから!と自信満々だった事を思い出して自然と口角が上がってしまった。
それを不敵な微笑みと勘違いして不満そうな白椿に王李は答えた。
「ないでーす」
「えっ?」
意外、という声が漏れていそうな声だった。
王李は一礼してからその場を後にしテラスへと急いだ。
まだ預けといてやる。
そう感情を押し殺しながら。
◇
王李と白椿が接触している頃、白馬も真白が戻って来ない事に不信感を抱きながら戻ってきた雪乃に声を掛けていた。
「真白は?」
怪訝そうな顔をする白馬に、雪乃は静かに微笑み返す。
「もう少し風に当たるって」
「……そうか」
「ま、待って白馬くん!」
様子を見に行こうとする白馬の進路を塞ふさいだまま、雪乃は前方にいる学園長に向けて手を上げた。
「学園長、お話が」
「んー??なぁにー?」
人だかりからひょっこり顔だけ覗かせる白椿に雪乃の凛とした声が響く。
「真白が大会を辞退するそうです」
それまで笑顔だった白椿の顔が一瞬だけ引き攣ったのを白馬は見逃さなかった。
すぐに真白の元へ行こうとしたが、雪乃にガッチリ腕を掴まれて動けない。
会場は堰を切った様にざわめき、混乱している。
口々に事情を説明しろ、と叫ぶ声を冷静に落ち着かせようとする白椿と面食らった顔をしている白馬を他所に雪乃は小さく飛び跳ねた。
「ねぇ、白馬くん!これで優勝は私と白馬くんで決まりね!」
白馬の手を取り喜ぶ雪乃に対して目まぐるしい状況変化についていけずにされるままとなっていた白馬の耳に、白椿の声が鋭く響いた。
「白馬!!」
白椿の怒気を含む声に、すぐさま雪乃の手を解き人混みを掻き分け傍へ行くと、貼り付けた様な笑顔のまま耳打ちされた。
「捕まえて。早く。朱の大会は予定通り開催する」
有無を言わさない威圧感に、白馬は小さく頷いた。
心配そうに後をついてきた雪乃をとりあえず学園長室まで連れて行く。
「白馬くん?」
「すぐ戻る」
縋る雪乃の手を解き、白馬はすぐに部屋を出ていった。
一人残された雪乃が爪を噛み、恨めしそうにしているとも知らずに。
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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