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4-1「あの……隣、よろしいでしょうか?」

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 イヤホンを耳に装着して、今日も徒歩で大学へと向かう。
 大学前のバス停に、講義を一緒に受ける二人の友人の姿は無い。
 三河みかわさんと付き合うことになった中谷なかたには、そのことをおれ達に報告した後は、三河さんとベッタリだ。通学時も三河さんと一緒のようで、朝、このバス停でおれや遠見とおみを待つことは無くなった。
 一方で遅刻常習犯の遠見はというと……。

「まあ、今日も遅刻かな……」

 そう思いながらスマホをチェックしてみる。
 特に連絡は入っていない。まだ寝てるのだろう。
 先行ってるからな、と遠見にメッセージを送って、おれは講堂へと向かった。

 ♢

 講堂に入り、三人掛けの席の端っこに一人寂しく腰を下ろす。
 まだ授業開始まで十分程あるので、教科書をパラパラとめくり、適当に目を通す。
 周囲のしゃべり声がやけに耳につく。
 なんとなく寂しいな、あいつらがいないと……。 

「あの……隣、よろしいでしょうか?」

 それは、とてもか細い声。
 喧騒の中から、微かに聞こえたソプラノの声音に反応し、教科書から顔をあげる。
 そこにはお姫様が立っていた――一瞬そう錯覚してしまう程に、その女の子は可憐だった。
 少し幼さを残す顔のパーツは、どれをとっても人形のように精巧な造り。艶やかなショートの黒髪と相まって気高さと愛らしさとを同時に醸し出している。
 細やかな線の体躯はモデルのようで、しずく型のネックレスを下げ、ブラックのワンピースを纏っている。
 ふわりと膨らんだスカートの裾から、すらっとした美脚が伸びている。
 そして、その美脚に勝るとも劣らない魅力を放つ、育ちの良い胸元の前で両手をきゅっと握りしめる姿は女性的な気品に満ちている。その立ち姿に見惚れてしまうのも無理のないことだろう。

古倉ふるくらくん、隣……座ってもよろしいでしょうか?」

 その女の子は呆気に取られているおれに、ためらいがちに再度声を発した。自分の名前を呼ばれたことで、女の子が自分に話しかけているのだとようやく認識したおれは、慌てて返事をした。

「はいっ、どうぞ」
「ありがとうございます」

 丁寧にお辞儀をして、女の子は隣に座った。
 その所作一つひとつに品があって、お嬢様然としているように感じた。
 隣にめっちゃ可愛い女の子が座っているという事実に少しだけ心拍数があがる。
 …………。
 いやいや、気にするな。 
 平常心を取り戻すために、おれは教科書に目線を戻す。
 と、あることに心が引っかかった。
 この女の子、さっきおれのこと古倉くんって呼んだか?
 知り合いだったっけか?
 知り合いだったら何か話すべきかもしれない。
 記憶の扉を総当たりして、手掛りを探る。
 ああ。
 思い出した。この間、広場で三河さんと一緒にいるのを見かけたんだ。
 そのときは落ち着いた服装――確か紺のブラウスと黒のロングスカートだった。
 いや、でもその日見かけただけで、それ以前に合った記憶が無い。
 知り合いではないはず……たぶん。
 同じ講義を受けてるからおれの苗字を知ってたってところか。
 知り合いじゃないなら別に無理して話さなくてもいいよな。他人と相席なんて、大学ではよくあることだ。
 彼女に関する思考をやめ、腕時計に目を落とす。授業開始まではまだ五分あった。
 
「あの……古倉くん」

 不意に隣から名前を呼ばれる。
 女の子が真剣そうな――どこか勇気を振り絞るかのような表情でおれを見ていた。
 
「あの女性は、どなただったのでしょうか?」
「あの女性……ですか?」

 品のある落ち着いた話し方。
 しかし、質問の意味を理解できず、聞き返す。

「先週、スーパーでご一緒にいらっしゃった方です」
「ああ、妹です」
「妹さん……ですか?」
「そうですけど……」
 
 おれの返事に、女の子は何故か怪訝そうに目を細める。

「ですが……わたくしがお見受けしたところ、大変仲睦まじいご様子でした。古倉くん、試食品のソーセージを妹さんの手から召し上がっていました」
「いや、あれは妹のおふざけといいますか……まあ、そういう妹なんです」
「そうなのですね。私、兄弟姉妹はいませんから、特有の距離感には疎いもので……。そうですか、妹さんだったのですね」

 女の子が安堵の表情を浮かべた。
 どうやら女の子の疑問は解消されたようだけれど……。

「どうしてそんなこと訊くんですか?」 

 今度はおれの疑問をぶつける。

「いえ、古倉くんが女性の方と仲睦まじく歩いていらっしゃるのを、偶然お見かけ致しましたので……」

 そこで女の子は言葉を止めてしまう。
 言葉の続きを待ってみるが、顔を伏せてしまって、これ以上答えてくれそうな様子は無い。

 質問の答えになってなかったような気がするけれど、仕方が無いので、次の問いかけをする。

「すみません、おれとキミってどこかで話したことありました?」
「……覚えてらっしゃらないのですか?」

 おれの質問を聞いて、悲しそうに声を震わせる女の子。
 その様子を見て、おれの中に罪悪感が芽生える。

「すみません、覚えてません……」
 正直に白状する。そして、何か思い出すヒントを得るため、質問を付け足した。
「いつ頃、どんな話しましたっけ?」
「春……入学したての頃に、これ落としましたよ、ってハンカチを拾っていただきました」
「……それから?」
「それだけですわ」
「それだけ……」

 それは覚えてなくても仕方なくない?
 芽生えかけていた罪悪感が霧散する。
 まあ、一応接点はあったし、それでこんな可愛い女の子が名前を憶えてくれていたというのは、なんとなく嬉しい。
 これも何かの縁だし、名前くらい聞いておこう。
 そう思って尋ねてみる。
 女の子は、花が咲いたような笑顔で応えてくれた。

わたくし影守恋かげもりれんと申します」

 そう言って女の子は会釈する。
 
「影守さんね」

 反復するように苗字を口にすると、影守さんの表情が少しだけ曇った。
 それを隠すように一瞬下を向いた後。

「あの……よろしければ、恋とお呼びください。私、苗字はあまり好きじゃありませんの」

 ひかえめな様子でそう口にした。

「わかりました。それじゃ、恋さんって呼びますね」

 そう言うと、恋さんは、はいっ、と晴れやかに返事をした。

「それで……恋さん、何年生?」
「一年です」
「そうですか、おれも一年なんです」
「でしたら――」
 恋さんが少し上目遣いになる。
「――でしたら、私にもいつもお友達にしてらっしゃるような接し方をして頂けませんか?」

 友達にするような接し方……。

「ため口ってことですか?」
「ええ」

 返事とともに、恋さんが小さく頷く。

「うん、わかった」
「ありがとうございます」
「恋さんも、敬語使わなくていいよ」
「いえ、私は元々この話し方なので」
「そうなんだ。わかった。これからよろしくね」
「はい! よろしくお願い致します!」

 簡単な自己紹介を終えたところで、始業を告げるチャイムが鳴った。
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