5 / 13
②
しおりを挟む
俺はいつものようにおにぎりを買おうと『乙女さん家』を目指し家を出た。
大きな桜の木のあるお宅を目印に右に曲がって大通りに向って……。
いつも少しだけできている人だかりがない。
そして降ろされたままのシャッターには【しばらくお休みします】という張り紙があった。
昨日は休みなんて事ひと言も言っていなかったし、乙女さんに何かあったのだろうか? 何か急な用事で休むだけならいいんだけど――。
休むという事実だけしか書かれていない張り紙をじっと見つめる。
何の情報を得る事もできないと分かっていても、しばらくその場から離れる事ができなかった。
胃の不快感がいつもより強まった気がした。
そうして俺は心配のあまりお昼の用意を忘れてしまい、周囲からは「恋人さん病気なの?」「もしかして――あ、いや、何か辛い事があったら相談しろよ?」と言われてしまった。
その度に「大丈夫です」と返すものの乙女さんの事が心配でそれが顔に出ていたのだろう、元気づけようとお菓子の差し入れが増えてしまった。
俺は見た目が貧相だから今までも世話を焼きたがる人は多かった。
だけどそれは『同情』であって『愛情』ではないと分かっていた。
ありがたくはあるけどそれと同じくらい複雑な想いもあって、心は温かくはならないし少しだけ胸の辺りがチクリとする気がした。
俺と母さんはふたりであっても充分に幸せだった。だけど俺の見た目のせいで母さんが何度となく悪く言われているのを聞いた。充分な食事を与えていないと誤解されたのだ。
「違う」と俺がいくら言ってみても信じてもらえず、無理矢理食事をとらせようとした。俺は拒絶して泣いて喚いて、ますます母さんの事を悪く言われた。小さな子どもには全てが悪夢のようで、こうなってしまうのは俺が全部悪いんだと自分を責めた事もあったけど、いつも母さんは抱きしめて「大好きよ。いい子ね」って言ってくれたんだ。だから俺は少しの不満や疑問を抱きながらも誰の事も恨まずに生きてこられた。
手作り弁当の差し入れを普通に断れないのもこうした経緯があったからだ。母さんが言うように「大事に」「感謝を」という言葉が間違っているとは思った事はない。だけど、やっぱり表面しか見ずに自分の考えを押し付ける周りの人間に対し特別な感情を抱く事はなかったし、これから先もないだろうと思っていた。
――なのに、乙女さんは違った。
知り合ってそんなに経っていないのに、彼女の瞳はいつも『愛情』に溢れていた。勿論『恋』や恋愛的な『愛』ではなく、『家族愛』のようなものだった。小食のはずの俺も普段よりは少しだけ多く食べる事ができるような気がした。味は違うけど母さんが作ってくれたおにぎりに感じる温もりと似ていたのだ。
俺は仕事帰りにコンビニで買ったパンをかじり、機械的に口を動かし続けた。まるでシュレッダーのようだと自分で自分の事を思った。
部屋には目立った家具と言えば、大きな冷蔵庫だけ。冷蔵庫のブーンという音だけが虚しく響いていた。
大きな桜の木のあるお宅を目印に右に曲がって大通りに向って……。
いつも少しだけできている人だかりがない。
そして降ろされたままのシャッターには【しばらくお休みします】という張り紙があった。
昨日は休みなんて事ひと言も言っていなかったし、乙女さんに何かあったのだろうか? 何か急な用事で休むだけならいいんだけど――。
休むという事実だけしか書かれていない張り紙をじっと見つめる。
何の情報を得る事もできないと分かっていても、しばらくその場から離れる事ができなかった。
胃の不快感がいつもより強まった気がした。
そうして俺は心配のあまりお昼の用意を忘れてしまい、周囲からは「恋人さん病気なの?」「もしかして――あ、いや、何か辛い事があったら相談しろよ?」と言われてしまった。
その度に「大丈夫です」と返すものの乙女さんの事が心配でそれが顔に出ていたのだろう、元気づけようとお菓子の差し入れが増えてしまった。
俺は見た目が貧相だから今までも世話を焼きたがる人は多かった。
だけどそれは『同情』であって『愛情』ではないと分かっていた。
ありがたくはあるけどそれと同じくらい複雑な想いもあって、心は温かくはならないし少しだけ胸の辺りがチクリとする気がした。
俺と母さんはふたりであっても充分に幸せだった。だけど俺の見た目のせいで母さんが何度となく悪く言われているのを聞いた。充分な食事を与えていないと誤解されたのだ。
「違う」と俺がいくら言ってみても信じてもらえず、無理矢理食事をとらせようとした。俺は拒絶して泣いて喚いて、ますます母さんの事を悪く言われた。小さな子どもには全てが悪夢のようで、こうなってしまうのは俺が全部悪いんだと自分を責めた事もあったけど、いつも母さんは抱きしめて「大好きよ。いい子ね」って言ってくれたんだ。だから俺は少しの不満や疑問を抱きながらも誰の事も恨まずに生きてこられた。
手作り弁当の差し入れを普通に断れないのもこうした経緯があったからだ。母さんが言うように「大事に」「感謝を」という言葉が間違っているとは思った事はない。だけど、やっぱり表面しか見ずに自分の考えを押し付ける周りの人間に対し特別な感情を抱く事はなかったし、これから先もないだろうと思っていた。
――なのに、乙女さんは違った。
知り合ってそんなに経っていないのに、彼女の瞳はいつも『愛情』に溢れていた。勿論『恋』や恋愛的な『愛』ではなく、『家族愛』のようなものだった。小食のはずの俺も普段よりは少しだけ多く食べる事ができるような気がした。味は違うけど母さんが作ってくれたおにぎりに感じる温もりと似ていたのだ。
俺は仕事帰りにコンビニで買ったパンをかじり、機械的に口を動かし続けた。まるでシュレッダーのようだと自分で自分の事を思った。
部屋には目立った家具と言えば、大きな冷蔵庫だけ。冷蔵庫のブーンという音だけが虚しく響いていた。
0
お気に入りに追加
27
あなたにおすすめの小説
婚約者に会いに行ったらば
龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。
そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。
ショックでその場を逃げ出したミシェルは――
何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。
そこには何やら事件も絡んできて?
傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。
転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!
音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。
どうせ全部、知ってるくせに。
楽川楽
BL
【腹黒美形×単純平凡】
親友と、飲み会の悪ふざけでキスをした。単なる罰ゲームだったのに、どうしてもあのキスが忘れられない…。
飲み会のノリでしたキスで、親友を意識し始めてしまった単純な受けが、まんまと腹黒攻めに捕まるお話。
※fujossyさんの属性コンテスト『ノンケ受け』部門にて優秀賞をいただいた作品です。
クズ彼氏にサヨナラして一途な攻めに告白される話
雨宮里玖
BL
密かに好きだった一条と成り行きで恋人同士になった真下。恋人になったはいいが、一条の態度は冷ややかで、真下は耐えきれずにこのことを塔矢に相談する。真下の事を一途に想っていた塔矢は一条に腹を立て、復讐を開始する——。
塔矢(21)攻。大学生&俳優業。一途に真下が好き。
真下(21)受。大学生。一条と恋人同士になるが早くも後悔。
一条廉(21)大学生。モテる。イケメン。真下のクズ彼氏。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる