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アキラとの過去が清算できたからだろうか、オレの心は凪いでいた。そしてアキラと話してみて、改めて話をすることは大事なのだと思った。どんなに相手のことを想っていたとしても、独りよがりな行動はお互いにとっていいことではない。
思えばアキラのときだってオレがもっと食い下がっていれば、本当のことを話してくれたかもしれなかった。なのにオレはなにも言わず、アキラが言ったことを鵜呑みにして逃げた。
熊野のことだって、熊野からは元カノとよりを戻すとは聞いていないのに、オレが勝手にそう言われることを怖がっていただけだ。自分の気持ちを伝えることもしていない。そうやって今回もオレは逃げるのか。
ダメだ。もう後悔はしたくない。だからどんな未来が待ち受けていたとしてもオレはもう逃げたくない。
とはいえ、逃げ回っていたことは当然熊野には気づかれているはずで、熊野に合わせる顔がないのも事実だった。決心したはずなのに日和ってしまう自分に苦笑する。
どうやって話しかけようか悩んでいると、昼休憩が終わるタイミングで、山本からオレの分の未提出の領収書が自分のところに混ざっていたと渡された。
見ると期限が迫っていて、オレは慌てて経理課へと向かった。
経理課のある階でエレベーターから降りてすぐ、なんだか経理課の方が騒がしいことに気づいた。
入り口のところからそっと中を覗くと、熊野と誰かが揉めているようだった。熊野の方はいつも通り落ち着いた様子で、声を荒げることもなく男が持ってきた領収書を処理できないと断っていた。
男の方は何度断られても引くことはなく、多分問題のある領収書をごり押ししようとしていた。とにかく思いつく限りの罵詈雑言を浴びせ、熊野の人格否定にまで及んでいた為、オレは頭に血が登ってしまった。
男の元へツカツカと歩み寄り、男の手から領収書を取り上げた。内容を見て呆れてしまう。日付は何年も前のものだし、そもそも明らかに数字に修正した跡があった。そんなもの経費で落とせるわけがない。もしも落としてしまえば、熊野にだって累が及ぶ可能性だってあるのだ。
「あっれ~? オレの目がおかしいんですかねー? ここの数字……んー?」
領収書を蛍光灯の光に透すようにしてそう言うと、男はオレから領収書を引ったくり「もういいよ!」と経理課から逃げるようにして出ていった。それを見送り熊野の方に向き直ると、熊野の太い眉が少しだけへにょりとハの字に下がっていた。
余計なことだっただろうか。とりあえず自分の領収書と一緒に経費申請書を出して、無事処理してもらった。声をかけたいけれど、あんなことがあった後ではさすがに個人的な話をするのは躊躇われて、今はそのまま帰ることにした。
向き合おうとしてもこれだ。やっぱりオレたちは──。内心しょんぼりしていると、廊下に出たところで熊野に呼び止められた。
「神楽坂君──」
名前を呼ばれ振り向くと、熊野はオレの手になにかを握らせた。
「へ……?」
手を開いてみるとそれは飴で、とくんと胸が鳴った。そのまま熊野が戻ろうとするので、オレは慌てて「飴、ありがとうございます。──また」と声をかけた。
熊野は振り向いて、「ああ、また」と言って嬉しそうに笑った。オレたちに『また』があることを嬉しく思う。
エレベーターを待ちながら、手の中の飴を確かめるように手の平を転がす。
実は熊野から飴をもらうのはこれが初めてではない。そしてそれがオレが熊野のことをなにがあっても怖いと思わない理由でもあった。
入社二年目、仕事にも慣れて独り立ちしたころだった。初めて経費申請書を経理課に提出することになった。
今まではオレが申請する機会はなかったし、経理課に獰猛な熊がいると噂話では聞いていたからドキドキして向かったのを覚えている。恐怖ではなく、緊張で震える手で書類を出すと、交換するみたいに無言で飴を渡されたのだ。
子どもでもないのに飴? とキョトンとしてしまったけれど、熊野は頷いただけでなにかを言うことはなかった。
笑顔だったわけでもないけれど、熊野の耳が薄らと赤くなっているように見えて、思わず口元が緩んだ。同時に肩に入っていた余計な力がふわりと抜けた気がした。
アキラと別れて半年、当時のオレは未だアキラからフラれたショックから立ち直れておらず、表面上はなんとか普通にふるまってはいても結構いっぱいいっぱいだった。そんなときだったから、熊野にとっては大して意味のない行動だったとしてもオレにはそれは気遣いで、正しく優しさだった。だから余計に心に沁みたのだ。
それから熊野の元に手続きにいく機会も何度かあって、熊野は相変わらずにこりともしなかったけれど、話し声は穏やかだった。それに、書類の受け渡しで触れてしまった熊野の無骨で太い指は誰かを守るもので、とても危害を加えられるなんて思えなかった。
今思うとオレはそのころから熊野に惹かれていたのかもしれない。
包みをペリッと破り口に含んだ飴は、あのときと同じ優しくて甘い味がして、胸が温かくなるのを感じた。
当時失恋の傷は癒えていなかったし、なにより熊野はノンケだと思っていた。実際彼女がいたわけだし当たっていた。
だから無意識に恋ではないと、恋していい相手ではないとあのころのオレは熊野との可能性のすべてを消し去ったのかもしれない。
思えばアキラのときだってオレがもっと食い下がっていれば、本当のことを話してくれたかもしれなかった。なのにオレはなにも言わず、アキラが言ったことを鵜呑みにして逃げた。
熊野のことだって、熊野からは元カノとよりを戻すとは聞いていないのに、オレが勝手にそう言われることを怖がっていただけだ。自分の気持ちを伝えることもしていない。そうやって今回もオレは逃げるのか。
ダメだ。もう後悔はしたくない。だからどんな未来が待ち受けていたとしてもオレはもう逃げたくない。
とはいえ、逃げ回っていたことは当然熊野には気づかれているはずで、熊野に合わせる顔がないのも事実だった。決心したはずなのに日和ってしまう自分に苦笑する。
どうやって話しかけようか悩んでいると、昼休憩が終わるタイミングで、山本からオレの分の未提出の領収書が自分のところに混ざっていたと渡された。
見ると期限が迫っていて、オレは慌てて経理課へと向かった。
経理課のある階でエレベーターから降りてすぐ、なんだか経理課の方が騒がしいことに気づいた。
入り口のところからそっと中を覗くと、熊野と誰かが揉めているようだった。熊野の方はいつも通り落ち着いた様子で、声を荒げることもなく男が持ってきた領収書を処理できないと断っていた。
男の方は何度断られても引くことはなく、多分問題のある領収書をごり押ししようとしていた。とにかく思いつく限りの罵詈雑言を浴びせ、熊野の人格否定にまで及んでいた為、オレは頭に血が登ってしまった。
男の元へツカツカと歩み寄り、男の手から領収書を取り上げた。内容を見て呆れてしまう。日付は何年も前のものだし、そもそも明らかに数字に修正した跡があった。そんなもの経費で落とせるわけがない。もしも落としてしまえば、熊野にだって累が及ぶ可能性だってあるのだ。
「あっれ~? オレの目がおかしいんですかねー? ここの数字……んー?」
領収書を蛍光灯の光に透すようにしてそう言うと、男はオレから領収書を引ったくり「もういいよ!」と経理課から逃げるようにして出ていった。それを見送り熊野の方に向き直ると、熊野の太い眉が少しだけへにょりとハの字に下がっていた。
余計なことだっただろうか。とりあえず自分の領収書と一緒に経費申請書を出して、無事処理してもらった。声をかけたいけれど、あんなことがあった後ではさすがに個人的な話をするのは躊躇われて、今はそのまま帰ることにした。
向き合おうとしてもこれだ。やっぱりオレたちは──。内心しょんぼりしていると、廊下に出たところで熊野に呼び止められた。
「神楽坂君──」
名前を呼ばれ振り向くと、熊野はオレの手になにかを握らせた。
「へ……?」
手を開いてみるとそれは飴で、とくんと胸が鳴った。そのまま熊野が戻ろうとするので、オレは慌てて「飴、ありがとうございます。──また」と声をかけた。
熊野は振り向いて、「ああ、また」と言って嬉しそうに笑った。オレたちに『また』があることを嬉しく思う。
エレベーターを待ちながら、手の中の飴を確かめるように手の平を転がす。
実は熊野から飴をもらうのはこれが初めてではない。そしてそれがオレが熊野のことをなにがあっても怖いと思わない理由でもあった。
入社二年目、仕事にも慣れて独り立ちしたころだった。初めて経費申請書を経理課に提出することになった。
今まではオレが申請する機会はなかったし、経理課に獰猛な熊がいると噂話では聞いていたからドキドキして向かったのを覚えている。恐怖ではなく、緊張で震える手で書類を出すと、交換するみたいに無言で飴を渡されたのだ。
子どもでもないのに飴? とキョトンとしてしまったけれど、熊野は頷いただけでなにかを言うことはなかった。
笑顔だったわけでもないけれど、熊野の耳が薄らと赤くなっているように見えて、思わず口元が緩んだ。同時に肩に入っていた余計な力がふわりと抜けた気がした。
アキラと別れて半年、当時のオレは未だアキラからフラれたショックから立ち直れておらず、表面上はなんとか普通にふるまってはいても結構いっぱいいっぱいだった。そんなときだったから、熊野にとっては大して意味のない行動だったとしてもオレにはそれは気遣いで、正しく優しさだった。だから余計に心に沁みたのだ。
それから熊野の元に手続きにいく機会も何度かあって、熊野は相変わらずにこりともしなかったけれど、話し声は穏やかだった。それに、書類の受け渡しで触れてしまった熊野の無骨で太い指は誰かを守るもので、とても危害を加えられるなんて思えなかった。
今思うとオレはそのころから熊野に惹かれていたのかもしれない。
包みをペリッと破り口に含んだ飴は、あのときと同じ優しくて甘い味がして、胸が温かくなるのを感じた。
当時失恋の傷は癒えていなかったし、なにより熊野はノンケだと思っていた。実際彼女がいたわけだし当たっていた。
だから無意識に恋ではないと、恋していい相手ではないとあのころのオレは熊野との可能性のすべてを消し去ったのかもしれない。
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